2011年12月2日金曜日

12月に読んだ本



長女が友達から借りてきたので、急いで読んだ。話も文章も、よく練られ整理されていてストレス無く読める。キャラ立ても秀逸。主人公が良い人過ぎるほど良い人なのだが、時代がかった話し方をする変わった人、という描写がうまいので傲慢にも偽善にもならない。かなり魅力的。

ただ主人公が選択を迫られるところで、「バチスタ」シリーズを愛読する者としてはちょっとアレレな気持ちになった。最先端医療に携わる人あってこその終末医療でもあるから、どっちが「温かい」かとか「患者本位」かとかいう二者択一な感じにはしてほしくなかった。問題はあくまで主人公個人の役割がどうかということだ。

ただ、現場のお医者さんたちは過酷な状況の中で頑張ってる!という認識が一般に広がったというのは喜ばしいことなのかも。「バチスタ」「ノーフォールト」「ブラックジャックによろしく」の作者の功績はすごい。

2011年11月29日火曜日

11月に観た映画



観たかったのに何でか見損なった映画シリーズ。これももう7,8年も前の映画なんだねえ。誰かの映画評だか感想だかに一言

「駆け込み乗車は良くないよ、て映画」

と載っていたのだが、

まさにそのとおり(´・∀・`)。

あと彼氏の浮気を「決定的な場面を目撃してしまう」ことで知るのと、じわじわ怪しい言動を見聞きした末に浮気相手本人から知るのと、どっちがいいかしらんという話でもある。残念なのは男性陣がいまひとつイケメンじゃないところ。いや別に美形じゃなくてもいいがもうちょっとさぁ…単に好みじゃないってだけなんだろうけど・・・いっぽうグウィネスはたいそう綺麗なおねーさんです。

2011年10月4日火曜日

10月に読んだ漫画 2




日常を全力で愉しむ男の漫画。何より料理の描写がこれでもかというほど細かくリアルでかつ美味しそう、下手な料理本よりずっとメニューの参考になる。
例えば炊込み御飯なんかだと、あらかじめ米をつけておいた水から調味料の分だけ捨てて…とか、玉ねぎを炒めるときは弱火NG、焦がさない程度に時々返しながらがよい。だから炒めている最中に他の下ごしらえ…とか、買い物から始まって、料理して食べて後片付けするまでの全体の進行を、ここまで具体的に描いた漫画って今までなかったんじゃないだろうか。
完全に大人向けとはいえ、本気でここのレシピは役に立つので、ついつい毎回買ってしまうのであった。
 
ストーリーそのものに過激さはないが、よく考えるとうわあ…なことをさらりと描いちゃうあたりはさすがのよしながさんである。

「宇宙兄弟」15巻出た




限定版は¥1500でストラップ付きらしいが、まあいいや。
今巻は、月での事故がトラウマになってパニック障害を起こしてしまうヒビトの苦悩が中心。
 
「実際にできないことを、いくら出来る出来ると思ってもそれは無駄」
「出来ることを増やしていくことで自信をつけていく」
 
…ですよねえ。
 
ただ「頑張る」「諦めない」という気持ちだけでは何も動かない。
地道に少しずつ、こつこつと地味な努力と小さな達成を繰り返していくことしか
大きな成功につながる道はない。
 
それにしてもこういう漫画を描く人はどうやって取材やら何やらやっているのであろうか。
いろんな人からいろんな話を聞くのだろうけど、
新キャラのバレエダンサー(15)が、10歳まで他人より上達が遅くすぐ泣くわぐずるわの
弱虫バレリーナだったというエピソードなんかリアルだ。
うちのお子さんたちはこんな天才ではなく凡人ではあるが、体力や気力がある年齢までは
どうしてもバランスがとれない、という雰囲気はよくわかる。
育児は待つのも大事だよなあ。
 
待ったなしの場合も多いけど。
 
 

10月に読んだ本 1

いろいろと久しぶりだが、もう好きなようにやろうと思う。

というわけで(どういうわけだ)今話題のこの人の本。

池井戸潤「民王」


「下町ロケット」をちょっと前に読んで、なかなかよかったので図書館で借りてみた。
いわゆる入れ替わりものだが、バカバカしい中にも作者の熱い思いが今回も感じられ、読後はスッキリ。
それにしても銀行、本当に嫌いなのね。勤め人の頃よほど酷い目にあったのだろうか。
政治家に対する「プライベートのスキャンダルや漢字の読み間違いやなんかはどうでもいい。
問題は能力があるかどうか、今まで何をしてきたかどうかだ」という意見は完全同意。
マスコミはもう「ちゃんと報道しないもの」として考えるしかないと思う。下手するとフィクションの世界より無責任でいい加減だもんなあ。

2011年9月26日月曜日

ひさびさ更新

しばらく書き込めなかったので、もう捨てようかと思っていたブログだが
なんだか復活してるので久々に日記。

震災から半年。
とりあえず、ありがたいことに平穏な日々を送っている。
しばらくは何も読みたくない観たくない状態でどうなることかと思ったが
そういう欲求も徐々に回復傾向。

ただし何かが決定的に変わったことは確か。
根拠のない自信やある程度楽観的な思考は
生きていく上でわりと必要なのだが
だいぶ失ったように感じる。
自分にとってそれがプラスなのかマイナスなのか、今はわからない。
まあでも何とか生きていけるだろう。
毎日やることはたくさんあるし、いろんなことを知りたいとか勉強したいとか
そういう気持ちは萎えていない。

充電、というのとは違うけど
書くべき何かが見えてきたら始めればいいかと思っている。
私の書くものなんか取るに足りないものだし、なくても困らないし
世の中に何の影響ももたらさない。
そうしっかり自覚できた今、あとは「それでも書きたい!」という欲求が自分を満たすまで
待つだけなのだ。

今は日常を一所懸命に生きようと思う。

2011年7月14日木曜日

7月に観た映画 その一


「カラフル」
レンタルして観たら、現役中学生悶絶。主人公が公立中の三年、校舎や教室の雰囲気、三者面談という長女にとってシャレになってない感にやられた(?)らしい。ジミーな制服も毎日着てるのと激似だしね。出てくる人物もその動きも、いかにも中学生!的であり、現役中学生母である私もうーんとうなるリアルさであった。
だがあまりにリアルすぎて、中学生という年齢の鼻持ちならなさとか胸糞悪さというかそういうものも剥き出しだったので、映画館で観たら相当キツかったかも。長女は途中であまりにもつまらんと投げ出しそうになっていたが結局最後まで観て「あんまりいい話じゃないよねこれ」と。同意。だが作品としては成功なのかもしれん。すぐ「別にー」「フツー」とか言う中学生に、はっきり嫌いと言わしめること自体そんなに容易に出来ることじゃない。何より原作が森絵都さんなので、単純な構造の物語であるわけがないという私の勝手な先入観により、中学生とその親は一度観てみてもいいかもしれないと偉そうに言っておく。

2011年6月20日月曜日

このところの諸問題について参考にしているもの(個人の意見です)

前々回の記事で、自分なりに理解して判断し、行動している内容を表に出すつもりはないと書いたが、一応記録として、今何を参考にしているかだけ書き留めておくことにした。随時更新。

学習院大理学部 田崎晴明氏によるまとめ。
放射線と原子力発電所事故についてのできるだけ短くてわかりやすくて正確な解説

東大病院で放射線治療を担当するチームのブログ。放射線が体に与える影響をわかりやすく解説。
team nakagawa

水産学(資源管理・資源解析)専門の三重大生物資源学部准教授のブログ。水産物の汚染についてのまとめなど。
勝川俊雄 公式サイト
 
大阪大学の菊池教授による似非科学批判のサイト。専門家たちによる熱い議論が展開される。科学的なものの考え方、あやしいものの見分け方など、膨大なコメント欄は宝の山です。
kikulog
 
その他ツイッター:
hayano氏
kikumaco氏
Mihoko_Nojiri氏
 
Newton 「きちんと知りたい 原発と放射能について」2011年7月号
もう次の号になっていますので店頭にはないかも。バックナンバーはまだ入手可能なはず。図書館にもあるよ。
かなりわかりやすかった。集中して読むべし。

2CHの秀逸なコピペ:
● 原発関連スレでの知っておいて損はない知識 ●


原発反対には2種類の人がいるようです
① 今すぐ全部止めろ
② 現実的に今すぐは無理だろうけど代替エネルギー政策やって数年スパンで止めるべき


原発賛成には2種類の人がいるようです
③ 海外頼りのエネルギー政策はまずい。代替エネルギー政策進めて落ち着くまでは原発しかない
④ 原発しかない

①は中核、左翼などが主体だと先日のデモでバレた。日本の原発は悪くて他国の原発は良しとする傾向がある


②と③の人は言っている内容が実は同じ。レスに賛成か反対かを書いてしまうので論争になる


④は滅多に見ないのでどういう主張かよくわからない


これを踏まえて安価をつけてみると実はほとんどの人は②か③なのである


言いすぎな面もあるが、確かに①=反原発原理主義とは話をする価値がない。


とりあえず①の連中を黙らせてから、②と③の立場の間で議論すべきかと。

ちなみに私も②か③だな。
この際だから、放射能が人体に与える影響も、事細かに研究するといい。必ずや後々の人のためになるし、日本のアドバンテージとも成り得る。個々人が他人事でなく関心を持ち続けることで得られるメリットは計り知れないと思う。

2011年6月16日木曜日

個人的なまとめ

友人のブログ記事に対するコメントが、超長くなってしまい二つに分けて投稿した。そのまま書き逃げも何なので、こっちにも一部メモとして残しておくことにした。

※以下の意見はあくまで個人的なものです。鵜呑み禁止。


子供が危険、子供を守れ!という魔法の言葉に惑わされすぎてはいませんか?

何ですか、関西ではもう福島は全部ダメってことになってんですかね。
福島といっても広いですよ?同じ県だからといって一括りにするやり方って、散々批判されていた「同心円」の考え方と同じなんですけどね。

この間、いわきと郡山でしたっけ、小学生の内部被曝検査の結果は問題なし。そもそも野菜も牛乳も検査していて、OKとなったものだけ出荷されています。
この基準がちょっと、という話もありますが、実際に今の時点で、福島県内において内部被曝の数値がこれだけ低ければ、県外ではさらに影響は少ないと考えています。もちろん部分的に高い場所もありますから、注意は必要ですけど。

チェルノの子供の甲状腺ガンの多発は、主に放射性ヨードに汚染された牛乳によるものでしたが、現在の日本の厳しく管理された酪農のやり方と当時のチェルノのそれとは全く違います。同じ時間と手間を使って調べるならそこを調べてみてください。チェルノでは汚染した草を牛に食べさせていたようですし、きのこ類も食べてました。

ちなみに放射性物質は、あの爆発以来、新たに大量に大気中に放出されたことはない。(福島原発周辺のモニタリング参照:毎日更新されてます。ぐぐれば出ます)
つまり今浮遊している・また地表に溜まっている、のは一定の量のみ。物質にもよりますが、空間線量は、どんどん減っています。ずいぶん前からもう震災前と変わらないレベルに落ちてます。

ただ汚染された水は海に出ていますから、今後魚は注意しなければなりません。今のところ、コウナゴなどある種の魚や、淡水魚に高い値が出ています。(淡水魚は元々ミネラルを貯めこむ性質があるため、放射性物質も残ってしまいやすい。海水魚は逆に排出する方が多い)

政府や東電は都合の悪い情報を隠蔽しているなどと言われていますが、私の理解では、情報を出すべき時に出しそこね、しかも間違った理解で異なるニュアンスを盛って発表したがために混乱した、だけだと思ってます。だいたい隠蔽や素早い数値の操作が出来るような目端のきく賢い?政府だったら、瓦礫の処理ももっと進んでるはず。
ちなみに、メルトダウンをしてようがしてまいが、メルトスルーだろうがなんだろうが、計測された放射性物質の量に変わりはありません。 時々、計器の故障や気象条件により、誤った数値がネットで発表されてしまうこともままありますが、すぐにたくさんツッコミが入って訂正されます。よい時代になったものです。公表された数値が信じられないという人って、そういう動きとか何も見てないんじゃないかな。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
専門家なら、現地行って、自分で計測してデータとって分析して判断してほしい。発表された数値が信用できないと言うのならなおさらですけど、信用できないと言い張る「専門家」はそういうことしないし、素人がガイガーカウンター買って闇雲に計測する行為は止めない。私はここにこそ何らかの陰謀を感じますね(笑)。

私も一人・一つの機関だけを信用することは避け、なるべく多くの情報をみて判断するようにはしています。ですが、あまりに最近酷すぎる。子どもを守れ!という気持ちさえあれば、根拠が薄いことでも何でも言ってもいい、というのは絶対に違うと思う。命を張って原発で作業している人たちですら急性障害は出ていない事実には目をつむり、データが取れないほど低量の放射線による影響の可能性を、根拠なく声高に叫ぶ人って一体何なんだろうと毎日プンスカしております。

ここ何年かは、福島の子供を中心に、定期的な内部被曝の検査、及び健康観察を行う。
食べ物に関して、特に魚は、きめ細かい検査を継続。

もちろん原発事故が収束することが大前提。
さらに当り前のことだが、事故の処理に関わった作業員および自衛隊・警察・消防の方々の健康観察及び、万一障害が出たときの治療や生活補償も、最優先されるべき大事なことだ。

2011年6月15日水曜日

暢気な時代の終わり

昨日、久しぶりに美容院へ行ったら、馴染みのお姉さんがお休みだった。何故か受付以外は男性の美容師ばかり。珍しいなと思いつつ、担当についた人となんやかやとお喋りしていた。お決まりの地震の話から始まって、たわいもないお喋りをしていたが、計画停電の話になり、店大変だったでしょと言ったら
「ええ、そーなんす。今回のことで、美容院って本当に電気いっぱい使ってんだなあって思いましたよ」


うんうん。
でもね、食べ物や水が何とか行き渡ったあと、散髪や洗髪のボランティアあったでしょ?
やっぱり美容師さんって手に職、人に役立つ仕事だなって思ったよ。
「ありがとうございます!さいたまアリーナでも洗髪とかやってる人いましたよね」


そうそう。ツイッターで回ってた。


「自分も見に行きましたけど…やっぱり大変そうでしたね、避難所って」


そうねー。


・・・・・・

「自分、実は福島出身なんすよ」


わあそうなんだ、津波は大丈夫だった?と聞いたら、実家は海から離れた高台にあるので皆無事でしたと。


「瓦が大分落ちちゃったから、直しに来いとか言われてるんですよね。まあでも弟がいるからいいかなーと」


そうか、弟さんがいるなら安心だね、男手があればね。まあとにかくご無事でなにより。


「・・・自分、三人子供いるんすよ。今奥さんのお母さんと同居してて」


あらま、うちと同じだ。いくつくらい?


「一人はこの間産まれたばっかで。上は一歳半と三歳です」


ひゃあ、そりゃ大変だ。退院したばっかりよね、昼も夜もないでしょ。


「そーなんすアハハ」


・・・・・・

あんなこと言ってたけど、内心は心配だろうな。もしかしたら、妊婦のお嫁さんと乳幼児二人をつれて、こっちに避難してきたのかもしれない。前には見なかった人だし、ありえない話ではない。
私が原発のげの字も話題に出さなかったから、つい福島出身であることを言いたくなったのかも。
どちらにせよ、いろいろ大変なことも多いだろう。頑張れ、若いお父さん。


情報収集のため、ネットの中をあちこち回るのが毎日の習慣になっているが、こと原発に関して、特に放射能の問題に関して、ネットがなかったらなかなか知り得なかった有益な情報がある一方で、とんでもなくひどいデマや巧妙にミスリードを誘う無益どころか有害な情報までが溢れている。


東電や政府をバッシングするのはある程度仕方ないとしても(それでもやり過ぎはイカンと思うが)、福島への誹謗中傷がひど過ぎる。しかも結構な有名人や、ジャーナリストを名のる人間、専門家を自称する人間が、福島の野菜を産業廃棄物呼ばわりしたり、もう福島から一切モノを出すなと発言したり、霧のかかった4号機を危険だ爆発するかもとか騒いだり。
怒りを通り越してもはや力が入らなくなるのであまり見ないようにしているが、大体において、関係のない人=直接この問題にさらされていない人ほど大仰に騒ぎ、デマを飛ばしたりそれを無検証で信じたり、しているように思う。とにかく悪い情報はあっさり信じるくせに、良い情報は隠蔽だインチキだとなかなか認めようとしない。東大の学者は全員御用学者とか、もう何なの。そんなに皆、自分の知識量や理解力や判断力に自信があるのか?日々専門的に研究し、地道にデータを取り検証し続けている人たちより、直接関わってない「専門家」や「ジャーナリスト」や「普通の主婦」を信じる根拠はなんなの。
テレビに引っ張りだこの「原子力を専門とする」ある学者さんは、話の「わかりやすさ」で定評があるが、運営するサイト内で「福島のものは絶対に他県に出さない」などと暴言を吐いていた。その根拠としているつもり?の計算も、文系の私でもこれはないだろ・・・と呆れ返るくらい酷いもの。それなりに普通の人に影響力のある人が、こんな発言したらどういうことが起こるか、考えてみたことはあるんだろうか。
福島に知り合いや縁者はいないんだろうか。昨日の私のように、福島出身の人が自分の髪を洗ったり切ったりすることだってある。その人に彼は除染したのかと迫るのか?大丈夫か?小さい子いるんだろう?(手遅れかもしれないが)今からでも内部被曝検査しろと親切ごかしにささやくのか?


反吐が出そうだ。


私は、過剰に心配する人を馬鹿にする気はない。妊婦や乳幼児持ちは、注意しすぎくらいがちょうどよいとも思っているし、私自身も子持ちだから、原発の現状・放射性物質の飛散状況や濃度の情報・食物の基準値や検査状況などの情報は毎日注視しているし、スーパーに行っても買うものはいろいろと考える。だがその中身を、表に出すことはしない。私は単なる一般人であり、私自身の理解と判断で行っていることを、事情も何も違う他人に安易にすすめることなど出来ないからだ。自分の専門外のこと、よく知らないことを、さも真実はひとつ!であるかのように全世界に発信するなど、本当に信じられない。
先ほど関係ない人間ほど騒ぐ、と書いたが、もうひとつ。
騒ぐ人は、そもそも自分の感情をアピールしたい人だから、心配心配心配!私はこんなに心配してるのに皆なんで平気なの?と他人を煽る。黙って静かにしている人が、何も心配していない・考えていないとは限らないのに。


無理やり逆に考えてみると、これだけネットが発達し、これだけいろんな情報をマスコミでない素人でも手に取れる、こんな時代は歴史上初めてである。玉石混交となるのも仕方ないかもしれない。皆してこの混乱をくぐり抜けることで、既存のメディアが従来もすくなからず流してきた、嘘やミスリードを誘う言い回し、捏造を見抜ける力が多数につくのであれば、必要悪の騒ぎと言えるのかもしれない。

2011年6月8日水曜日

何を信じるか? その2

なんかもういろいろと疲れる。わからないことをわからないままただ持っているのって、案外と消耗するかも。内臓脂肪も消耗してほしいもんだがそうはいかんらしい。

ということで今日も吐き出し御免。

まず放射能関係の問題について。

ぶっちゃけ、浴びちゃってるとは思う。さいたまは地震の被害もほとんどなかったし、学校が休校になることも、外出禁止令が出ることもなく、長女の部活は通常どおり(公共交通機関が乱れた時は遠方への練習試合は中止、公式試合も延期になったけど)、小学校の子どもたちは普通に校庭で体育してたり遊んだりしてたし、五月に運動会もやった。
野菜や魚も販売されてるものを普通に食べてるので、内部被曝もそれなりにしてるんだろう。

だからどうするかというと、どうにもならない。浴びちゃったものは。

今までどおり、健康に留意して暮らしていくしかない。
プラス、福島原発の状態を見守り、外に出た放射性物質の量や飛散方向に気を配るくらい。
しつこいようだが、今まで通り、バランスの良い食生活を心がける・適度に動き適度に休む・定期健診を受ける、などなどこんなことがなくても注意すべき点を注意して、生きていくしかないのだ。

怖れる人をわらうつもりはない。特に小さい子持ちや妊婦は心配して当然だろうし、実際に細心の注意をはらうべき問題だと思う。だが実は悪いことばかりでもない、とあえて言う。今回のことで、食べ物や飲み物がどこから、どのような流れで店に並ぶのかということに皆の関心がいき、結果さまざまなチェック体制が強化されつつある。一般住民から行政への働きかけも、飛躍的に増えたのではないか? 当たり前だと思っていたことが当たり前でないと皆が気づき、共通の関心と適度な危機感を持つことは、むしろ喜ばしいことだ。

生きていく上で、リスクは避けられない。毎日活動している以上、リスクをゼロにするのは不可能だ。だとすれば、その時々・各家庭の状況に応じた予防・対策を講じていくしかない。

私と私の家族に関していえば「これまで生きてきた中で一番多い放射線を浴びた」ということはほぼ確実だろうが、それでこの先どうなるかというのは確率的な問題。
食生活を整え、新陳代謝をよくし抵抗力をつけ、病気になるべくかからないよう気をつけて生きていく。私に出来ることはそのくらいしかない。

情報について。

ぶっちゃけ、今回の地震でも原発問題でも政治の問題でも、テレビを中心とするマスコミにはかなり失望している。今は無編集の生の映像も、生の声もネットにアップロードして沢山の人に見聞きしてもらうことが容易にできる世の中だ。「ネットの情報は嘘が多い、鵜呑みにするな」と批判する向きもいるが、そもそもテレビや新聞や雑誌といった既存のメディアだって完全に信用できるかといったらそうではない。むしろ「恣意的な編集」を受ける側に「わかりやすく」「本当のことだと思い込ませる」という手法は、ことによっては相当悪質だ。鵜呑みにしてはいけない点では同じなのに、そうではないフリをしている。

「鵜呑みにしない」というのは、何も信じないこととイコールではない。自分なりに基準をもうけ、信頼できると判断できるところはとりあえず信頼する。そうでないと動くことが出来なくなる。

私は学歴がすべてを左右するとは決して思っていないし、東大出だから無条件に信頼するということはしない。そもそも会社勤めのとき、超のつく高学歴でも電話ひとつ取れない・口の聞き方ひとつ知らない、という人はたくさんみた。
しかしそれでも、声を大にして言いたい。

頭の良い人…いわゆる高学歴で、専門的知識や技術を持つ(だが話はあまりうまくない・またはちょっと上から目線)人を貶めるのはもうやめようと。

今回の原発事故で、TVではさまざまな人がさまざまな意見を発信していたが、テレビの人って本当に科学的思考が欠けてないか? そもそも専門としている分野も違えば立場も異なる人間を集めたって、まとまるわけもなく、視聴者に伝わるわけもない。あげくに政府や保安院の後出し情報に翻弄され、あの時大丈夫だと力説していた学者は「御用学者」だ!と決め付ける。今出ている情報から判断するとこういう意見になる、とちゃんと言ってた人も多かったよ。
責めるべきは、高水準の専門知識や技術を持つ人間を使いこなせないこの国のトップと、何を伝えるかを決められずまとめられない自分たちの方でしょうに。
とりあえず超・素人のコメンテイターに意見言わせるのはほんっとに時間の無駄、言ってる人の影響力と事によっては害悪にすらなりかねないので今すぐヤメレ。ってもうそういうのはほとんど観てないけど。まあネットにおいても、トンデモ説をブログやツイッターなどで喧伝する人もいて、結構なアクセス数を稼いでいるのを見るとホントにうんざりする。国や行政や専門の研究機関も知らない、私だけが知っているわかっている提案・下手すると陰謀!なんか存在しないって。

事故直後から地道に測定を重ね、データとして積み上げ発信している専門家集団はちゃんと存在する。もちろんそれをそのまま発表しても、素人にはよく理解出来ない。ある程度取捨選択して、わかりやすくまとめる作業は必要なのだが、それが出来る人があまりいない。出来たところで「都合の悪いことは隠す。バイアスのかかった情報だ」とか言われたりもする。よくある論法だ。
情報全部出せ→全部出す→わからん!わかるように説明しろ→いろいろはしょって説明→はしょった理由は何だ?説明できないってことは隠してるってことだな→はしょった部分出す→無駄な情報はいらん、ごまかしてないか…以下ループ。双方の歩み寄りは必要だと思うが、自分の理解力の無さを人のせいにはしたくないものだ。
全貌を理解することは、不可能に近い。自分の理解出来ない情報は、とりあえず脇に置いとくことだ。捨てるか捨てないかは後で判断するとして。

人のかけるバイアスより、自分自身が知らず知らずかけている「バイアス」に注意したい。

良い情報は嘘かごまかしではないかと疑うのに、悪い情報はあまり確認しないで本当と思い込む、なんてことをしていないか? 映像や文章は、編集がきくものだ。自分が見ているものは本当に一次資料なのか? 的確な調査とデータに基づいたものなのか? ある部分だけ恣意的に取り上げたものではないか?
さまざまな面から考えて当たらねばならない。疲れるけど。

最近呆れた記事は某大手新聞社系の週刊誌。

「子供の鼻血が出た」
ことで不安を感じている母親のエピソードのあとに内部被曝に関する記事。
「鼻血」「体がダルイ」というのは確かに放射線障害による症状のひとつではあるだろうが、この子供の鼻血が内部被曝によるものだという確たる証拠はどこにもない。読み方によっては「もう症状が出ている子もいる」と理解する人もいるかもしれない。そうではない、「内部被曝への不安を持ってしまう母親を通じ、政府・行政へ対策ちゃんとしろの提言をしてる」ともいえるあたりが姑息だ。母親の、子どもへの愛情ゆえの不安を、読者を引き寄せるために利用しているといっても言い過ぎではないと思う。

いわゆる高学歴のマスコミ人の、科学的思考の無さと理数系技術系の仕事をする人への嫉妬(としか思えない)と偏向には、自分が文系なのもあって余計に腹がたつ。自分の理解力の無さ・知識のなさにも腹がたつ。子どもたちに「あんたたちはしっかり勉強しなさい、特に理数系」と言うしかない自分の無力にもうんざりする。

だけどまあ、なんとかやっていくしかないのだ。

2011年6月2日木曜日

何を信じるか?

現総理の不信任案が否決された。
結果はわかりきっていたけど、この決議の前にあった民主党の代議士会で、

震災や原発問題に一定のめどがついたら、若い人に後を継いでもらう

と発言した菅総理。

一定のめど

なんだそれ。

例えば震災であれば、全員が避難所暮らしから解放されるとか?

福島の原発がすべて安定した状態になり、作業者および福島の人たちの生活保障が全戸になされ、子どもたちの定期的な健康観察や学校の除染などの運用体制が確立するとか?

いつ出来るのそれ。今までの実績からすると、私たち一般人の思っている「一定のめど」とこの人の思っている「一定のめど」は全然別物のように思えるんだが。

この人の一番ダメなところは、誠意をまったく感じられないところ。
言葉だけ頑張るだの何だのって言ったって、行動が全然伴ってない。具体的に、いつまでに何をするって言ってみなさいな。自分の目で見た被災地の姿を、人に伝わる言葉にして発信してみなさいな。何度も視察にいったのだろうに、まだ一度もそういう「肉声」を聞いた記憶はない。

今朝のワイドショーで、不信任案にたいする被災地の人々の声、というのを取り上げていた。
今政局を云々やってるときじゃない、とか、誰がやっても一緒、とかいう声の中で、優しそうな品のいいおばあちゃまが
「菅さんじゃだめね。動きが遅い。全然物事が進まない」
ときっぱりおっしゃっていた。
だがアナウンサーは最後に
「やはり被災地の方々は、こんなときに不信任案なんて、と思ってらっしゃるようですね」
とまとめてしまっていた。

否決が決まった夕方のニュースでは、スタジオのアナウンサーの
「被災地の方々は、菅さんでは駄目だ、動きが遅い、とかそういう意見はありますかね?」
という質問に、現地記者がカメラ目線のまま
「まったくありません!」
と言い放っていた。
なんでそこまで断言できるのか、不思議だ。わざわざこういう質問してこういう答えをする、という台本が決まっていたみたいだ。朝、あのおばあちゃんが言っていたことは完全無視?あれ、違うテレビ局だっけ?それにしてもたくさんある避難所のなかで、たったひとつの場所で聞いただけなんでしょ?なんでまったくない!と言い切れるの?

マスコミはいったい何を守ろうとしているのですか?

夜の会見では満面の笑みの総理、まだ当分辞めるつもりはないらしい。

日本はいったいどうなってしまったのか。
これからどうなるのか。
今の政府の有様は、世界を驚かせ、尊敬を集めた雄々しき日本の姿とは遠くかけ離れている。

2011年6月1日水曜日

今日から6月

早いものでもう五月も終わりである。このへんで、いろいろと思ったことをダダ流し。

科学的思考、というのは実は「明快」「わかりやすい」からほど遠いところにある。なぜなら、誰の目から見ても白であるものにも「本当は黒なのではないか?いや赤かも。ことによると緑かも」と懐疑をいだき、あらゆる可能性を捨てずに考察し続けるのが、科学的思考というものだから。

「再臨界する可能性はゼロではない」
通常ならありえない低い可能性でも、ゼロではない以上そう答えるのが科学者だ。デタラメだとかいろいろ言われているが、一番批判されるべきは、そういう「科学的思考」による発言の真意を理解せず、その場ではわかったふりをし、不安を煽るニュアンスを盛って発表してしまった政府だろう。

「ただちに健康に影響なし」
これだって決して嘘ではない。一番数値が高かった時でも、即死レベルではもちろんないし、体調不良を起こすほどでもない。
だけどこちらが知りたいのは、だったら「いつから」「どのように」影響あるの? ということだ。
その辺の答えがすぐに出てこないのはある程度仕方ないとは思う。未曽有の災害にかてて加えて、かつて誰も経験したことのない事態だ。専門家が何人集まっても、なかなか明確な答えは出てこないだろう。
しかしそういう状況でも、今何をしなければならないか、を迅速に判断し答えを出すのが、全権をもつ政府の役割ではないのか。
わからないならわからないなりに
「すぐにどうとかってことはないから落ち着いて!けど、万一爆発なんかしたらヤバイから30km圏内は全員避難!」
としていてもよかったはず。事故直後、国民全体が切迫した危機感をいだいていたあの時期なら、すくなくとも住民の感情的には動きやすかったのではないか? そういうスピードと機転を必要とする措置を今の政府が出来たかどうかはかなり疑問ではあるが、もし最初に
「とにかく逃げろ!あとは国に任せとけ!
と宣言して一斉退避を決行していれば、後々住民が振り回されることも、都内での買い占め騒ぎも、不信任案なんてことにもなってなかった・・・かもしれない。

東電が事故当時、社員を退避させたことで批判されたが、東電はいち私企業である。とりあえず社員の安全を守るのは当然ではないか?周辺住民を守るのは政府の仕事のはず。国に手厚い保護をうけているとはいえ、東電には、強制的に住民を避難させる権限などないだろう。東電は、東電に出来る仕事をしただけではないのか?まったく悪いところがなかったとは言わないが、政府がマスコミの前で東電批判するのは筋違い。そういうことは裏でやって、表向きだけでも全面協力体制だと見せなさいよ。だから不安になるんでしょうが。

政権交代してからというもの、おかしなところがいろいろと目につくようになったので、国会中継をよく観るようになり、ネットでも情報収集に励んだ。それですべてを知ったつもりになったわけではないが、歴史研究でいうところの「一次資料の重要性」を痛感した。
テレビのニュースや新聞や雑誌などの記事は「編集」されている。当然ながら、国会中継を丸々載せるはずもなく、発言ややりとりを抜粋しまとめている。要するに記者、またはその記者が所属する組織の考え方ひとつだ。そんなことは分かりきっているのに、自分が観た国会でのやりとりと、実際に報道された内容を比べて、あまりのギャップに驚いた。驚いた自分にもびっくりだった。当たり前じゃないかと。

本来の「科学的思考」が「わかりやすさ」や「明快さ」からは遠く離れていることと同じく、真実は複雑で掴みどころのないものだ。わかった!理解した!と思った時ほど注意だ。
ニュースになっているのは所詮、ダイジェストにすぎないし、間違っている可能性だってある。今頃そんなことを実感するなよ自分、と情けなかった。

よく聞くのが「政治は誰がやっても同じ」という言葉。かつて私もそう思っていたし、口にしたこともある。けれど本当に、誰がやっても同じ、か?飛び抜けて有能ではなくとも、あるレベル以上の働き手によって構成されている会社に、著しく劣る人間を放り込んだらどうなる?せめて「あるレベル」に達している人間かどうかの見極めは必要なのでは?
逆に考えれば、「誰がやっても同じ」ように思えていたということは、これまで大きな失敗がなく平穏な状態が保たれていたということではないか。では「同じでなくなった」時に何が起こった?

沖縄の普天間問題。
宮崎口蹄疫。
尖閣の漁船衝突事件。
 
震災を抜きにしても、何かいろんな方面から崩れてきているように感じる。

トップがコロコロ変わるのはよくないという声をよく聞くが、そうは思わない。変わる理由が正当ならば、変わるべきである。動かない組織はすぐに腐る。ただ、「変わる」ことそのものを目的にするべきではない。

すくなくとも国のトップにつく人間が、人の心がわからない・組織というものがわからない・すべて他人のせいにする、ような輩であってはならないと思う。

今日は午後から党首討論も行われる。3時からNHKで中継もある。せめて見届けようと思う。

2011年5月20日金曜日

五月に読んだ本



「地震津波の心得」
津波予知について

一、緩慢な長い大揺れの地震があったら、津波のくるおそれがあるので少なくとも一時間位は辛抱して気をつけよ。

一、(海から)遠雷あるいは大砲の如き音がしたら津波のくるおそれがある。

一、津波は、激しい干潮をもって始まるのを通例とするから、潮の動きに注意せよ。

避難方法について
一、家財に目をくれず、高い所へ身一つでのがれよ。

一、もし船に乗っていて岸から二、三百メートルはなれていたら、むしろ沖へ逃げた方が安全である。


・・・・・・・・・・・・・
1970年に書かれた本。テレビや新聞や、ネットなどで三陸の津波の歴史を見聞きしていても、こうしてまとめて読むと本当に凄まじい。体験をつづった子どもの作文もいくつか載っているが、ありのままを淡々と描く幼いが鋭い筆致に胸をつかれる。吉村氏は作文を書いた当人をも何人か追跡取材していて、その中に自分以外の家族を全員喪った女性がいた。その女性は、やはり津波を体験した男性と結婚し、今でも地震があると、豪雨であろうと雪の深夜であろうと、子どもを背負って山へ逃げる、と言う。子どもがいやがらないかという問いに「いえ、それが普通のことになっていますから一緒に逃げます」。

今言うのは酷かもしれないが、やはりこういうことは文章に書いてみるのがいいのかもしれない。文章に落としこむというのは、絶えず揺れ動く自分自身の感情の外側に立ち、客観視して再構築するという作業だから、もやもやした掴みどころのない気持ちから開放される助けになると思う。
いつだったか讀売新聞に、被災した小学生の詩が長田弘さん監修で載っていたが、どれも素直で的確に表現されていた。
文章に限らず、絵でも造形でも、何でもいい。記憶や感情を、他人も認識できるような形にしてみるといいと思う。

昭和八年の津波で、岩手県知事が全県民に対し出した告諭。
(原文はカタカナと漢字)
 
告 諭
 
今暁三陸沿岸に於ける強震に伴える海しゅう(つなみ)並びに火災は、
被害甚大にして往年の惨害を想わしむるものあり。
之が罹災同胞の救援に就いては、同胞共済の精神に基づき至大の努力を致されつつありと信ずるも、
此の際特に県民心を協せ万難を排し罹災同胞の救済並びに被害地町村の復興に当たらるべし。
時あたかも郷土将兵は、熱河掃匪の為尽忠報国の至誠を輸しつつあり。
願わくば忠勇なる出動将兵をして、後顧の憂いなからしむるに努めらるべし。
 
昭和八年三月三日      岩手県知事 石黒英彦
 
なんだかじんと来ます。同胞という言い方は良いなあ。
 
明治・昭和いずれの津波も、もっとも活躍したのは軍隊。次いで警察消防、村長をはじめとする役場の職員たち。天皇陛下を中心とした一元的な救援体制が、甚大な被害を受けた人々を救い、村を復興していく見事さは、数字の羅列された記録からも十分読み取れる。今と比べると…とつい考えてしまう。当時は原発もないし、車も大型の船もない、家もさほど大きくなかっただろうし、といろいろ割り引いても…うーん。

2011年5月16日月曜日

勝つためのステップ



実は、毎週旦那が買ってくる「少年マガジン」を読んでいる。
そのなかで地味に気に入っているのがこの「ベイビーステップ」。
成績優秀な良い子だが、運動神経は普通、真面目なだけがとりえの主人公がテニスの魅力に取りつかれ、尋常でない努力でめきめきと上達していく。
この努力というのが、巨人の星的なアレではなく、あくまで論理的・緻密な分析に基づいた鍛錬なのである。試合中、暇さえあれば相手のデータをノートに細かく書き込み、勝った場合でも負けた場合でも必ず後でフィードバックさせる。(作者も同じ癖?があるらしい 笑)仕事出来そう、いやこだわりすぎて逆にダメか?上司にいたらしち面倒くさそうだが(笑)確実に頼りにはなる。

そのお気に入りの漫画なのだが、先週の回は格段に良かった。

相手をわざと怒らせるような振る舞いをする相手を破った主人公が、コーチと試合について話す。

精神的な状態を、悪い→良い順にならべると


「無気力→怒り→重圧→挑戦」


重圧は、勝ちたい気持ちから来るもの。
怒りは勝ちには直接結びつかない。


ふーむ。

怒りでは勝てない。
そこを乗り越えて、なおかつ重圧を克服して、やっと挑戦する気持ちに到達する。

なんだか・・・

今回の大震災に対するメッセージのような気がしてならない。

これ以上いろいろ書くのは控えよう、ただ、作者に最上の感謝と敬意を表する。

連載終わったらコミックス大人買いしちゃお。

2011年4月26日火曜日

読むこと書くこと

3/11の震災によって、何かが決定的に変わってしまった、というのはいろんな人がもう既に書いているけれども、変わったというよりは、思い知った…という言葉がしっくりくる。見ないふりをしてきたこと、あるはずがない、起こるはずがないと思い込んでいたことを、目の前につきつけられた。地震にしても津波にしても、原発にしても。

平和で便利で快適な生活は、実はものすごく微妙なバランスの上に成り立っていて、ひとつ間違うと一気に総崩れになる。そういうことを薄々気がついていながら、気づかないふりをしてきた。いつまでもこの生活が続くはずがないと心の底でわかっていながら、続くことを前提に生きてきた。
そういう、人生に対する根拠のない自信のようなものは、これから先持つことはもうないだろう。いいのか悪いのかはわからないが。

津波に流されて壊滅した街の映像を繰り返し目にして、もしかして自分が今いだいている気持ちは、戦争を経験した人と同じなのかもしれないとぼんやり思ったりもした。
テレビの映像には匂いもないし風も吹いてこないし、マイクが拾わない音は聞こえない(音がない状態、というのもわからない)から、「目の当たりにした」というまでには至らないが、伝聞や写真などで何が起こっていたのかを知っただけ、に比べれば、雲泥の差の情報量だ。
私だけではない、おそらく日本全国、いやもしかしたらテレビが普及している国なら全部、このようなレベルの「経験」をした人がいるのではないか。とすると、史上まれにみる、いやもしかすると史上初といえるほど多数の人々の「共有体験」となったのかもしれない。
皆が皆、同じ思いを抱いたかどうかはわからないが、あの映像を観て浮かれる人はまずいないだろうし、もしかしたらとてつもなく大勢の人が、瞬間的にでも共通の意識をいだいていたかもしれない。

ああ、かもしれないかもしれないのオンパレードだ。妄想じみたこの考えがもし真実を含んでいたとしても、劇的に何かが変わるわけではない。世界は相変わらず、戦争する国は戦争を継続しているし、殺人や暴行や窃盗や詐欺も毎日起こっている。今後もなくなることはないだろう。だがほんの一瞬でも共有された「記憶」は、時間をおいてじわじわと効いてくるようにも思う。どう効いてくるのだ?と言われると困るけれども。
元々このブログは、自分の書いた作品を掲載するためのものだった。だが一年程前から「書いてなんになるんだろう?」「いったい人様に読んでもらう価値があるのか?」と自問する日が続き、思うように筆が動かず、やむなく本や映画やもろもろの備忘録と化していたのだが、震災後はそれすらまったく書けなくなってしまった。

生活以外のことへの気力を失い、書くことへの意欲も失い、いったん空っぽになった。ああもうこれで私は何も書けなくなった、何も生み出せなくなった。これからは何かを創作するということからは離れて生きるんだろうな、と本気でそう思った。

だが空っぽになったということは、グダグダした迷いも、消えたということだ。

同じような思いを持ったであろう、焼け野原を目の当たりにした人々は、それ以後何かを創ることをやめたか?諦めたか?そんなことはない。何かが失われれば、必ず新たに産み出されるものがある。繰り返し人類が経験してきたことだ。何よりも、当の被災者である東北の人々が既に体現しつつある。復興が進み、長い時間が経てば、とてつもない創造があの地から発信されるのではないだろうか。

くだくだと書いてきたが、要は物事は常に変転するものだという、当たり前のことを、やっと納得できただけ。幸福も不幸も、ずっと同じ状態はあり得ない。いつどうなるか判らないということを肝に銘じ、緊張感を持って生きるというのは決して悪い生き方ではない。

つまりこれからも、「もの書く日々」は続くということだ。
……つまらないオチで申し訳ない。
ただ今後は、最初の目論見どおり、創作を第一に考えたいと思う。以前は、短編はともかく長編をネット公開することに躊躇する気持ちもあったが、もうなんかどうでもよくなった。読んでくれる人が一人でも二人でもいれば、それでいい。作品を書き、誰かに読んで貰えれば、それでもう作家といえる。

本や映画やもろもろの備忘録も続けようとは思うが、フェイスブックにシフトしていくかも。
あちらは実名なのでちょっとまたニュアンスが変わるかもしれないが。

まあ、おいおい考えます。

2011年4月21日木曜日

もうすぐ五月

忘れないうちに書いておく。

2011年3月11日金曜日

午後、小学校の周年記念実行委員の打ち上げランチから帰宅。ネットをしつつテレビの国会中継をナナメ観していたら、突然地震警報が鳴り響く。東北方面がマークされている。初めて見る警報画面に驚いていたら部屋が揺れ始めた。最初はゆっくりだったので座ったまま様子をみていたが、揺れは止まるどころか徐々に大きくなっていく。もはや体験したことのない揺れの規模。さすがにじっとしていられず、携帯を握りしめてベランダの戸と玄関ドアを開けた。玄関戸棚の金魚の水槽から水がバシャバシャ溢れている。慌てて段ボール紙をかぶせてガムテで固定。玄関のたたき水浸し。まだ揺れているのでとりあえず後始末は置いて外に出る。
道を歩く人が二、三人、きょろきょろ辺りを見回しているが、騒ぐ声は無い。つけたままのテレビが、地震の規模がマグニチュード8であること(のちに9と訂正された)、三陸のほぼ全域の津波警報を告げていた。

携帯電話やメールはすぐに通じなくなった。固定電話は始めのうち通じたので双方の実家に連絡し無事を知らせた。都内で働く夫とは連絡がつかなかったものの、普段から、このようなときは無理に帰宅せず会社に泊まると言っていたし、東京や埼玉はほとんど被害がなかったこともあり、さほど心配はしていなかった。それよりこれからもしさらに大きな地震が来たら、子ども3人を連れてどう逃げるか、そればかり考えていた。

あの津波の映像をいつどのようなタイミングで観たのか?ほぼリアルタイムに近い、第一報を観たことだけは間違いないが、ここのところ時系列がはっきりしない。余震も頻繁にあったし、やはり相当に動揺していたのだろう、断片的な記憶しかない。

震災で一色のテレビを横目に、それでも普通に夕飯は食べ、宿題もさせ、しかし習い事はすべて自主キャンセル(後で振替になった)。
日常と非日常が入り交じって変な感じ。
とりあえず停電に備え水のくみおき(マンションなので水道も電気を使う)、懐中電灯の用意、携帯やDSの充電(灯りがわりになる)。家具の開き戸をガムテで止め、高い位置にあるものは下におろし、転倒防止用の突っ張り棒を再確認。
かなり寒い日だったがリビングから廊下に通じるドアは、閉じ込めが怖くて開け放したままにした。
JRがすべて運行を休止した時点で夫は帰って来れないと判断。子ども三人を服のまま和室に寝かせ、枕元には荷物とスリッパ。私はリビングで布団にくるまった。地震速報を聞くためテレビはつけたまま。うとうとするたびにあのチャイムに起こされ、揺れが収まるまで身構え、ほとんど眠れなかった。

翌朝。

明るい部屋の中でテレビが津波の映像を繰り返し流す。ああ、夢じゃなかったんだ、と思った。取り返しのつかないことが今起こっている。自分たちは暖かい部屋でこうして無事にしているが、現地の人たちはいったいどのような夜を過ごしたのか。胃がきりきり痛む。それ以上想像をすることを無理矢理に止め、子どもたちに朝御飯を作った。

2011年3月8日火曜日

三月に読んだ本

世の中は今いろいろとえらいことになっている。が、しがない一般国民の私としては相変わらずの生活をするしかない。
といいつつ、このところ微妙に生活が変わりつつあるのだが。まあそれはそれとして。

「ホーラ~死都~」篠田節子


ホラーも書けるのねえとまた感心(オヤジテイストの駄洒落ではない)。けど、あまり怖くなかった。ちょっと前の記事にも書いたが、私は幽霊とか魑魅魍魎のたぐいはもうあまり怖くないのだ。見たことない・多分見る能力ない、のも理由の一つだが、もはや現実の方がよっぽど恐怖のネタがあるわけで。
篠田さんも、異界を描いてはいるが、そこで怖がらせようとは思ってないふしもある。あえて詳しくは書かないが、不倫をしてる方にとっては男女ともにかなり恐ろしい話かも。因果応報という点で桐野夏生さんの「柔らかな頬」に通じるように思う。結局どこかでツケを払うことになるんだなあ。





「日輪の遺産」浅田次郎


いわゆるトレジャーハンターものかと思ったら全然違う。根底に流れているものはこの間観た「太平洋の奇跡」と同じ、日本人としての誇りである。ご自身はあとがきに、この作品はいわゆる「若書き」で、個性ある登場人物を生かしきれなかった・まとめられなかった・・・直そうかとも思ったが、あえてこのままにした、と書かれていた。とはいえ浅田さんなので文章は美しく整っていて読みやすく、引き込まれる内容であることは間違いない。「若書き」の勢いに、このテーマに対する情熱、伝えたいという思いが溢れていて、読後感がすごくよかった。

ひとつだけ引っかかったのは、女子学生たちが殉死した理由。なんというか、もっと地道で静かな決意ではなかったか、と思うがそれをどう表現するか、今の私にはわからない。そういう意味では最後の独白部分はなかった方がよかったかも。

この方も沢山本を書かれているので、篠田さん同様少しずつ読んでいくのがまた楽しみだ。

2011年3月2日水曜日

帚木(十)

「ねえねえ右近ちゃん」

「なあに侍従ちゃん」

「ヘンな噂、聞いたんだけど」

「誰のどういう噂?」

「ヒカル王子よー、今もちきりじゃないっ。右近ちゃんたら知らん振りしてっ」

「あはは。アレね」

「アレってなにー!方違えの先で、人妻、ひ・と・づ・まと、ナニかあったんでしょっねっそうなんでしょっ」

「知ってんじゃないの(笑)」

「うわーん聞かせてよー(泣)」

「わかったわかった、何も泣かなくても」

実録!オフィスの情報通、右近姉さんが語る真実のヒカル王子!

貞淑な人妻はそのとき・・・・・・

「何勝手にアオリ文句つけてんの、侍従ちゃん」

「えーだってー。このほうが気分出るしいー。女性○身とかセ○ンみたいでしょ?」

「ていうか実話系オヤジ雑誌みたいなんだけど。ア○芸とか。ま、いいや」

「大体さ、なんで人妻とそういうことになっちゃったわけ?いくら地方公務員(受領)とはいっても、そこそこの地位の人でしょ。奥さんなんかシッカリ隠しとくもんじゃない。いくらヒカル王子でも手が出せないよね、そうそう」

「そうなのよ、それが急な方違えのはた迷惑な側面なわけよ、侍従ちゃん。

そんなに大きな屋敷でもないしさ、ただでさえ親戚が物忌で大勢来てるのに、さらにヒカル王子みたいな身分の高いお客さんなんて、もうそれはハンパない気遣いが要るし大変なわけよ。家具なんかゼーンブとっぱらって別の部屋に押し込んじゃってさ、とりあえず見栄えのよさげな場所を空けた、って感じだったのよね。

紀伊守からしたら、父の伊予守が不在のとき万が一にも自分と継母に間違いがあったなんて疑われると非常にまずい。

そうそう、ここだけの話だけど、この息子も実は、わっかい継母のことが気になってた。だからこそ、自分のいるところからはとりあえず離したわけ。だけど何しろ現場は混乱してるから、どこに誰が寝るかなんていちいち関知していられなかった

それで結果的に奥さん、王子のすぐ隣の部屋で寝ることになっちゃったわけ」

「ヒエー!うらやましい!」

「バカね。奥さんの方は夢にも思ってやしなかったわよ、隣にわくわくしながら辺りをうかがってる王子がいるなんてさ。弟と呑気にお喋りしてたくらいなんだから」

「おつきの人って、いなかったの?普通いるよね」

「暑い日だったからね。中将さんって人を呼ぼうとしたんだけど、水浴びにいっちゃってたみたい。他のメイドさん(女房)たちはちょっと離れたところに寝てた」

「弟は」

「弟だってコドモじゃないんだから、一緒には寝ないわよ。どっかいっちゃった」

「てことは」

「そう。若い二人を隔てるのはうっすい障子、しかも向こうからは鍵もかかってない、あとは衝立だけ」

「がーん!」

「眠りかけていた奥さんの枕元に」

「うっ」

「そっと近寄るヒカル王子」

「でっ」

中将をお呼びでしたので、参りました」

「あう。確かにヒカル王子の当時の役職も中将よねっ」

「長い間思い続けておりました胸のうちを聞いていただきたく」

「あぁあ!うっとり」

「侍従ちゃん、落ち着いてね。こんなの常套句じゃないの

「へ?嘘なの?」

「お父さんの社長(帝)からちらっと話は聞いてたみたいだから、知ってはいたんだろうけどね、思い続けてた、ってのはねえ。可愛い少年と紀伊守の話を聞いてから、つまりついさっきってことじゃん?(笑)」

「あうう。で奥さんの方は」

「侍従ちゃんさ、いくらなんでも、たとえ彼氏でもよ、知らない間に枕元に立ってたら、どうよ?」

「怖えーよ!」

「あら侍従ちゃんはしたない言葉遣い」

「失礼しました右近ねえさんっ。ありえないね、たとえヒカル王子でもさ。心の準備ってもんがあるじゃん。下着だって考えたいしー♪」

「ちょっとちょっと侍従ちゃん、アナタとは違うのよ。奥さん、元々はいいとこのお嬢さんでさ、すっごいマジメな人だったから、とてもとても適当に楽しんで♪ってわけにはいかなかった」

「ええ?!ヒカル王子をもってしても?!」

「そもそも、たまたま方違えに来て、たまたま近くにいたからっていって忍んできたってのバレバレじゃん」

「そりゃそうだね」

「こっちが身分低いからって、馬鹿にするにも程があるわっ、現代で言うとパワハラじゃないのっ」

「ふんふん」

「でもね、抵抗もむなしく」

「えっ」

「ヒカル王子は嫌がる人妻をお姫様抱っこして」

「えええ」

「中将、夜明け方に迎えにおいで、と言って奥の部屋に消えたのでした」

「ひー、ヤバーイ」

「侍従ちゃん、嬉しそうよ」

「えー、でもなんか、ちょっとロマンじゃない?今をときめく超イケメンのヒカル王子と一夜を♪いい記念てもんじゃないー?だってその奥さんの夫って、あの伊予介でしょ。フツーのオジサンじゃん。あたしならそこまでいったら観念しちゃうなあ」

「ところが人妻はそうはいかなかった。

体を硬くしたまま、決してノリノリにはならなかった。ヒカルがいくらくどいてもね。さすがのヒカルも、これはヤバイ、いつもと違う、と思い出した」

「ふんふん」

「夜明けがた、皆が起き出してきて、中将が心配げに待っていても、ヒカルは奥さんを離す事ができない。だってかたくなに拒否ってる雰囲気をどうにもできなかったから」

「モテ男のプライドにかけて、て感じ?」

「それもあるかもね。ちょっと遊ぶだけのつもりが、なんか超後ろめたい。無理やりやっちゃった、みたいな感じで終わりたくはなかった。どうしても」

「んなこといったってねえ(笑)若いわね、王子も」

「やけに分別くさいわね、侍従ちゃん。でもそのとおりなのよ。言えば言うほど奥さん、ヒカルのことが信じられない。嘘ばっかつくなー!てね。ていうかそれどころじゃない、夫の伊予介への罪悪感で頭が一杯。忘れたいからもうほっといてくれー!て感じ」

「でも王子、駄々をこねる」

「そ。しぶしぶ帰っていくんだけど、そこは抜け目なくて、数日後にちゃっかりあの少年、人妻の弟を、気に入ったからと紀伊守に頼んでつれてきたもらう。もちろんお手紙の渡し役にするため」

「ほうほう。やるねー」

「だけど奥さん、あくまでつれない。『お人違いだといいなさい。あなたもこんな手紙をことづかってきちゃダメ』なんて弟を叱ったりして」

「で、王子ますます燃える♪」

「よくわかったわね♪侍従ちゃん。そうなのよ、こうなりゃ意地よね。王子は手ぶらで帰ってきた弟に『そもそも私の方が、あの伊予のダンナより先に思いをかけてたんだよ。若過ぎて頼りないと思われてるようだけどさ、あのダンナももうトシだよね?後のこともちょっと考えたほうがいいと思わない?』などと吹き込むわけよ」

「まあー、腹黒ねえ、王子ったら」

「そうこうしてるうちに、また方違えのチャンスが巡ってくる」

「それでまた同じ屋敷に行くわけね、お庭が気に入ったからとかなんとかいって」

「そうそう。紀伊守は大喜び、一も二もなくお受けする。だけど人妻はじょーだんじゃない、と生きた心地もしない。すぐさま中将さんに『ちょっと具合が悪いから、あなたたちの部屋でマッサージお願いするわ』なんて言って奥の部屋に引っ込んでしまうわけ。弟もカンタンには見つけられない場所にね。やっと探し当てて半泣きの弟に『コドモがこんなとんでもない仕事するんじゃないの!適当に誤魔化しときなさいっ』と叱責」

「ふーん。ホントにヤなんだねえ。ヒカル王子そのものがイヤっていうより、不倫が許せないって感じなのかしらん」

「そうねー、逡巡はあるわけよ、彼女にしたって。あんなに拒否ることなかったかも、相手は身分の高いイケメン王子、とても自分には手の届かない畏れ多い人なのに、失礼だったかしら。いやいやでも、独身だったときならともかく、今つきあうわけにはいかないんだから、もうこうなったら情のわからない頑なな女で押し通すしかないわ」


「ううむ。なんか可哀想・・・かも」

「そうなのよ。でも当のヒカルはイマイチわかってない。なんでこんな強情張るのかなってスネちゃって、こんな歌を贈るのよ

近づくと消えるという帚木(のようなあなたの心)とは知らず


 迷い込んでしまいました


直接申し上げたいところですが・・・・

彼女も一晩中眠れなかったみたい

数ならぬ身の私ですから


帚木のように姿を消したいのです』」

「な、なんか、泣けない?」

「いじらしいわよね。それでますます王子は忘れられなくなっちゃうのよ。弟を代わりに傍に置いたりして」

「ほうほう右近ちゃん、それではまだ」


「察しがいいわね侍従ちゃん。そう、続きがあるのよ


>>「空蝉」につづく

2011年2月25日金曜日

二月に観た映画

「太平洋の奇跡」 公式サイト

突然思い立って観てきた。予想以上に良かった。以前、クリント・イーストウッド監督の硫黄島シリーズ二本を観たとき、なんで日本でこのような映画が撮れないのかと悔しかったが、よくやった!という感じ。
竹野内の滑舌が気になるという意見をいろんなところで見たが、私はあまり気にならなかった。むしろ役柄に合っている。強烈な個性を持つヒーローというのではなく、朴訥とした真面目な普通の日本人男性、一緒にいればなんとなく安心する。大場栄という人は実際にそういう人だったのではないかなと思ったからだ。

どのテレビ局でやってた番組か忘れたが、この映画の特集をやっていて、大場大尉の息子さんが出演していた。絆がとても強いご夫婦だったらしく、本当に死ぬまで一緒だったようだ。その話をしながら思わずこみ上げて、目を赤くする息子さんの姿に、こちらの胸まで熱くなった。

極限状態の中、足手まといになる民間人を守り、一年以上も山にこもったこと自体驚くべきことだ。余程統制がとれていないと無理。冷静で的確な判断力と実行力とともに、非常に細やかな心遣いがそこにはあっただろう。
生きるか死ぬかという当時、特に民間人にとって「この人のためなら死ねる!」ではなく「この人がいれば安心して死ねる」という存在だったのではないか。
こういうお父さんたちが死力を尽くして頑張ってくれたおかげで今の日本があるんだよなあ。本当にありがたいことである。

脇役もそれぞれ個性があって素晴らしかった。が、中島ともこさんの役がいまひとつわからない。あの人の存在は一体どういう意味が・・・バリバリ愛国者や復讐に燃える人や、なんかぼーっと周りに合わせてる人や、いろんな人がいたんだよってことでしょうか。

イーストウッド監督の作品よりずっと小粒かもしれないが、ひとつだけ「勝った!」と思ったこと。それは、山を下りてきた大尉が、「あなたはこの人々をよく守った」という賞賛に返した言葉。

「私はそれ以上にたくさんの人を殺してきた。私は、褒められるようなことは何一つしていない」

硫黄島を捕ったことで「一万人以上の兵士の命を救った」と最後にテロップを流したイーストウッドに対し、この崇高なまでに謙虚な、美しい人間性はどうだ。この高い精神性が日本人の誇りだ。一万人の兵士の命が、空襲で殺された十万人の日本人の命より重いと考えるアメリカとは違うんだよ。

2011年2月18日金曜日

二月に読んだ本 その一

ふう、バレンタインも終わったー。関東地方の雪はすごかったけど、もう溶けましたね。

「夜がはじまるとき」スティーヴン・キング

原題は日没直後・・・黄昏は逢魔の時間、というが、完全に闇に包まれたその瞬間てことですね。題名だけでもちょっと怖。

短篇集なのだが、相変わらず話の密度が濃くて、五感をリアルに刺激される感はさすが。
「悪霊の島」から「狂気」を描く腕にさらに磨きがかかったように思う。冒頭の「N」なんか、読んでいてこちらの頭まで変になりそうな感じだった。こんな人と面と向かってこんな話を延々聞かされたらそりゃおかしくなるわなあ。
ここに出てくる「異界」のイメージが、日本の神話に出てくる黄泉比良坂や天岩戸に似ているのにも注目。絶対接点のないはずの土地の神話に何故か多くの共通点があることは昔から知られているけど、人種やなんかが違っても、脳の構造にはそれほどかわりはないだろうから、恐怖の原点なるものは似通うのかもしれない。
それぞれに面白かったが、最後の「どんづまりの窮地」は、食事しながら読んじゃダメです。特にカレーとか茶色系はやめたほうが・・・て、誰もいないからってそんな行儀悪いことしてるのは私だけか(笑)。
いやいや、読んだときは何も食べてなかったけど、あまりの内容に、一時想像力を無理くりにレベルダウンさせながら読んだ。キング本人もあとがきに、書きながら自分でも嫌になったって書いてた。オイオイ。まあ、でも面白いです♪


「予防接種は『効く』のか? ワクチン嫌いを考える」岩田健太郎

ホラー好きの私であるが、先日子どもに「お母さんは何が怖い?オバケ?幽霊?」ときかれて「そんなもん全然。生きてる人間の方がよっぽど怖い」と答えた。子ども抱えてる母親にしたら、実体のない霊とかなんとかより、包丁持って押しこんでくる頭のオカシイ人、とかの方がよっぽどホラーだ。

ホラーといえば病気の子どもをみることそのものがホラー。小さければ小さいほど、その恐怖感はハンパない。うちの子どもたちは幸い丈夫で、救急車のお世話になったり入院したりなんてことはなかったが、それでも「最悪の事態」が頭をよぎったことは何回もある。パニくるのを防ぐため想像力無理くりレベルダウン、という技?もこれで培ったようなものだ。それと共につくづく現代医療の恩恵を感じる。この平和な日本の、こんないい時代に産まれて本当に良かったと思う。

話がズレた。予防接種、これについては反省しつつ告白しておく。今でこそ毎年家族全員インフル予防接種をかかさない私だが、数年前まではいろんな情報に惑わされ大いに迷っていた。予防接種のあとに(たまたま)子どもが相次いで発熱、すわ副反応?かと医者に電話したり厚生労働省にメール送ったり、したこともあるし、近所の看護師ママに「予防接種ってホントにやんなきゃいけないの?不要なきがする」などと口走り、やんわりとたしなめられたこともある。この本に出てくる極端な「ワクチン嫌い」(≒電波ゆんゆん)とまではいかないが、情報に振り回された「知ってるつもりのシッタカ母」だったと思う。ああああ。
当時の私、お医者さんの「お母さん、様子をみましょう」という言葉がつらく、誰か絶対大丈夫って言って!と常に思っていた。いろいろ経験を積んでやっと、様子をみるという意味が「どっちつかず」ではなく「常に冷静に子どもを観察する」ことなのだとよくわかった。自分自身に対して「大丈夫大丈夫、慌てるなパニくるな」と言い聞かせ気持ちを落ち着かせ、いろんな角度から見て聞いて判断して、動く、これしかないのだと。当たり前の話なのになあ。あれまた話がズレたような。

何にせよ日本のワクチン事情はまだかなりお寒い状況にあるらしい。マスコミももうちょっと考えないと。すくなくとも数字でちゃんと結果が出てるものに関しては「冷静に」「正確に」伝えてほしいものだ。受け取る方も鵜呑みにしない態度はもちろん大事だけれども。

2011年1月31日月曜日

一月に読んだ本 その2

うわああいつのまにか一月も終わり。いつになったら落ち着くんだ・・・と愚痴っても仕方ないので、急いでアップ。

「核心」上下巻 パトリシア・コーンウェル

もう17冊めになる、スカーペッタシリーズ。前作の記事書いたのってついこの間のような気がするのに、仕事早いなあ。今回も翻訳者は池田さん(て別に知り合いじゃないんだけど)。リズムがあってとても読みやすい。

十年を超えるシリーズをこうして読み続けていると、登場人物がすごく近しい人に思えてくる。スカーペッタのパーフェクトさと、様々なジレンマに悩む姿は愛おしいし、本当にカッコイイ。しかしその、誰にも文句のつけようのない魅力と正しさゆえの、嫉みそねみもハンパない。スカーペッタの社会的地位や名声や人望が、他人を陥れたり出し抜いたりして得たものではないだけに、より一層の反感をかうのだ。
宮部みゆきの「名もなき毒」でも扱っていたが、嫉妬心というのは恐ろしい。「より良く、より正しく生きようと真摯に努力する人」の存在じたいがある人間にとっては許せないもの・嫉妬の対象となり、世の中に毒を放出する触媒に成り得るというのは、本当に不条理なことだが、古今東西よくある話で、今後もなくならないんだろう。物書きにとっては永遠のテーマとも言えるのかも。してみると、嫉妬のパワーというのも物凄いが、「真摯さ」というのも超絶なパワーを持っているのだろう。「排除」するべき脅威、と思わせるくらいなんだから。

はいここで、今「真摯さ」といえばコレですよコレ。

「マネジメント」基本と原則 エッセンシャル版 P.F.ドラッカー

当たり前のことを当たり前に、例をあげて非常にわかりやすく説明してくれている感じ。何より大事なことは、知識や技術や人当たりの良さ、とかではなく、
「真摯さ」
であるという。そこが一番の武器であり、宝だという。
そうだよなあ。仕事が出来る出来ないじゃなく、上でも下でも、一緒に仕事する人間に真摯な態度がないと萎えるよね。なんて言ってる自分はどうなんだ!というと心許ないが、すくなくとも期日を守ろうという気持ちはある。世の中にはそれもない人が・・・・てまあいいか。


で、うちの中学生が読みたがっていたのでポイントで購入。



                      「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら 」
                                                            岩崎 夏海


実はあまり期待してなかったのだが、これが意外に面白かった。
中学生の間で結構流行っているらしい。娘は小一時間ほどでイッキ読み。上のエッセンシャル版も読み始めたが、難しいんだって。文章自体は易しいのだが、内容が濃いので疲れる、ほら私のいつも読んでる本は中身スッカスカのもんばっかだからさーだって。
・・・・・えーと・・・・まあそういう自覚が出ただけマシかと言っておこう。

2011年1月20日木曜日

帚木(九)

方違えで紀伊守の屋敷にやってきたヒカル。

ヒカルが通された部屋は屋敷の東面、その反対側、西の面からかすかな衣擦れの音や、若々しい女性の声がする。
わるくない雰囲気だ。さすがに笑い声などはおさえて静かに心がけているのが、また思わせぶりな感じでよい。

最初上がっていた窓の格子は残念ながら、主の紀伊守が「不用意だ」と下ろさせてしまった。 障子の上から漏れる明りに「見えるかな?」とそっと近寄ってみたが、覗けそうな隙間はない。仕方ないので耳をダンボにしつつ聞き入っていると、母屋の中、自分のいる東面寄りに集まっている人々のひそひそ話が聞こえてくる。どうも自分のことを噂しているらしい。

「なんかさー、超堅実って感じじゃなーい? あんなにお若いのに、もう妻持ちで、しかも相手がS役員(左大臣)のムスメでしょ。ありえないくらいシッカリしてらっしゃるわよね」

「いやいや、婚家を離れたところじゃイロイロとあるみたいよー。もちろん奥様に内緒でこっそり、うふふ」

どきっとするヒカル王子、本命の藤壺の宮と直接お目通りはかなわないが、何かと理由をつけて周辺をウロウロすることはある。目端のきく者なら、不審に思うことがないとはいえない。そんな些細なことでも、一旦噂に火がついたら……やや焦る王子であった。

しかしあとはたわいもない話が続くばかり。これ以上は聞いててもしょうがないな、と思い始めたとき、聞き覚えのある和歌を誰かが口ずさんだ。
以前、社長と縁続きの女性(式部卿宮の姫君)に朝顔の花を添えて贈ったときの歌だ。

「うーん、ちょっと冗長? こうして聞くとたいしたことないな。朝顔ちゃんだったらもっと、品よく上手に詠むだろうになあ」

なんて自己評価するヒカルであった。

そこにやってきた主の紀伊守、灯篭を掛け添えるやら、灯の火を掻きたてて明るくするやら、ちょっとしたお菓子なんかをあれこれ用意させるやら、と走りまわる。

「帷帳の準備はどうなってるんだい? そういう趣向がないようじゃ、充分な接待とはいえないよねえ」

ヒカルがからかうと、生真面目な主は

「な、何がお気に召すのやら、とんとわかりかねますのでっ」

とただただかしこまるばかり。

……

「ちょっと待ったあ!」


「何よ、侍従ちゃん。今からいいとこなのに」


「帷帳の準備って何?そういう方の趣向って?」


「まったく侍従ちゃんてば世間知らずなんだから。まあそこが可愛いんだけどさ。あのね、平安時代は通い婚でしょ。ワンナイトラブも結構あったみたいだけど、正式に結婚てことになるとさ、お婿さんは三日間奥さんのおうちに通わなきゃいけないわけ。そのときに歌われる歌があるのね。それに出てくるの。これ↓


我家は 帷帳(とばりちょう)も 垂れたるを 大君来ませ 聟にせむ 御肴に 何よけむ……」


「……は?」


「侍従ちゃん、ワザとじゃない?あんまりカマトトちゃんなこといってると右近姉さん怒るわよマジで」


「え、えーと……とばりちょう、ってのれんとかすだれとかだよね……隠すためのものであって、その用意が出来てるから、いらっしゃいませお婿さま、お肴いかがしましょか(考え中)……つ、つまり……はっ!」


「つまり?」


「夜のおもてなしに誰か差し出せとー! きゃー!」


「いちいち叫ばないの、侍従ちゃん」


「だって、右近ちゃん……そそそそそ、そんなあ(涙目)」


「バカね、冗談なのよ。あんまり紀伊守があたふた無粋に動き回ってるもんだから、婿に来たわけじゃないんだからさ、もっとさらっともてなしてくれりゃいいよ、てからかってるわけ。だけどあのご主人、超がつく堅物だから、まともに受けちゃった(笑)」


「な、なーんだ。ほっ」


「と、してる場合でもないけどね。何しろヒカル王子は、贈った歌が女房の間で知れ渡っちゃうほどの超絶モテ系男子だから、ただで済むはずないのよ♪」


「現代で言うと、学級委員の女子に送ったちょい親密なメールのコピペが、一斉メールしたわけでもないのに全校女子生徒に出回るみたいな?」


「……侍従ちゃん、その例えはよくわかんない。そんなシチュエーション、普通ないでしょ」


「とにかく先にすすみましょ♪ はてさて夜のおもてなしはいかに!」


「だからそれはないって」
………

夜も更けてきた。

ヒカル王子が部屋の端でまったり横になってるので、自然お供の人たちも騒ぐことはなく静かにしている。そんなくつろいだ雰囲気の中、屋敷にいる子ども達がご機嫌伺いにやって来た。みなそれぞれに可愛らしいが、その中に特に品があって感じの良い、十二、三歳くらいの子がいる。紀伊守に
「誰の子なの?」
と聞くと、
「この子は、先に亡くなった○○課長(衛門督)の末息子でして。大層可愛がられておりましたが、幼くして親に先立たれたものですから、姉のよすがでここにいるという次第です。物覚えもよく賢いので、会社の手伝い(童殿上)に出すことも考えてはいるんですが、なかなか思うようには……」
としんみり答える。
「気の毒なことだな。とすると、この子の姉が君の継母、というわけ?」
「はい、そういうことになります」
「母、というには若すぎるよね彼女。そういえば以前、社長(帝)が
『○○課長から以前、ウチの娘をそのうち入社(宮仕え)させますからってちらっと聞いたことがあるんだけど、その後どうなったのかねえ?』
なんておっしゃってたの聞いたことあるよ。世の中、わかんないもんだよねえ」
などとしたり顔で大人ぶるヒカル王子に、主は実直に答える。
「わたくしも、このようなことになるとは思ってもみませんでした。世の中というのは今も昔もそんなもので、いつどうなっていくのか誰にもわからないものなのでしょう。なかでも女の運命というのはよるべなく、哀れなことでございます」
「君のお父さん、伊予介は大事にされてるの? 正式な夫、家の主人として」
「どうですかね。内々の夫として扱っているようですが、何しろ年が離れすぎていますから。私も周りも正直、釈然とはしませんね」
「まあそうはいっても、君達のような若者にハイどうぞって譲るわけにもいかないだろう。父君はいっぱしの風流人だし、何かと年相応の心得があるだろうからね」

お前も若者だろうが! てか多分この主人より年下だろ!

というツッコミはさておき、ヒカルはかなりその若い妻とやらに興味を持った様子、さらに
で、ここんちの人たちはみんな何処に行ったんだい?」
さりげなさを装って聞く。
「皆離れた棟に下がらせました。まだ何人かはいるかもしれませんが……」

宴のあと、ヒカルのお供はあらかた酔いつぶれ、廊下のスノコの上で寝込んでしまった。辺りはしん、と静まり返る。

……

「なななな、なにこの展開はっ」

「おほほほほ」

<つづくっ>


参考HP「源氏物語の世界

2011年1月11日火曜日

一月に読んだ本 

やっと新学期だ。今年の冬休みは連休のせいか長かった。といいつつ朝の掃除をさぼってPCに向かうわたくし。だって昼には小学生達帰って来るんですもん。

「ダリ・私の50の秘伝-画家を志す者よ、ただ絵を描きたまえ!」
サルヴァドール・ダリ(著) 音土知花(訳)


ブログ仲間midiさんの訳によるこの本、一昨年12月の発売後すぐに購入、数ヶ月かけて読破した。したのだが、ずっと感想を書けずにいた。絵は描くのも観るのも好きだが、私は完全なるシロートにすぎないと、この本でこれでもかというくらいはっきり思い知らされたからだ。ただただダリおじ様の世界のぶっ飛び方・それでいて異常なほどに繊細かつ緻密なイマジネーションに感服するばかりだったのである。で、今挙げてはみたものの、ろくな感想を書けそうにない点では同じ。あああmidiさまごめんなさい。代わりに重鎮の書評を置いとこうっと。

横尾忠則氏の書評はこちら

それで、私ごときが何で今ここにこの本を挙げているかといいますと、これですよ。


「悪霊の島」上下巻 スティーヴン・キング

これも実は、一昨年の9月に出たのを、キングファンとして気になっていながら何故か買いそびれたままになっていた本。
読んでみたらあらまあ、先に挙げたダリ本と何と親和性があることか。「50の秘伝」の英訳は古くからあるようなので、キングが早い時期に読んでいる可能性は高い。そうでなくても、画家も作家も、普通の人間が普通に見たり聞いたり感じたりしていることの、さらに奥、もしくは表からは決してわからない内面に入り込む作業をする点は同じだから、重なる部分が多いのは当然かもしれない。

一番好感が持てるのは、両方ともオカルティックな方面に十分足を突っ込んでいるのにも関わらず、論理的、科学的思考からも逸脱することなく冷静かつ客観的な姿勢であること。単に「感性」だけで作品は出来ないとはっきり言っている。
裏に隠れた知識・知見、先人の叡智、それを受け容れる鋭敏な知性、長年の経験に培われた勘・・・いろんなものが総動員されて初めて、「普通の人」を驚かせる・感動させる作品を生み出せるのだろう。

それにしても夢って不思議だ。私は夢をよく見るしよく覚えているせいか、夢をそのまま絵にしたとしか思えないダリの作品を観ると一種の懐かしさを感じる。キングの小説も然り。国籍も生い立ちも住んでいる場所も慣習も違うのに、話の筋がオカルトだろうがホラーだろうがアクション&サスペンスだろうが、何か郷愁のようなものを感じるのはどうしてだろう?と長年不思議だった。つまりは「夢」つながりなんだな。

ちなみに夫はほとんど夢を見ない人だ。通りで私とは発想の仕方が違う・・・ってそれは基本的な科学的知識の違いもあるけれど。ダリが瞬間的に夢を見ることの出来る人だと言ったら「それは単にラリってるだけでは」と斬って捨てられた(笑)。