おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

五月に読んだ本

2011年5月20日  2023年9月13日 
 
「三陸海岸大津波」吉村昭

「地震津波の心得」
津波予知について

一、緩慢な長い大揺れの地震があったら、津波のくるおそれがあるので少なくとも一時間位は辛抱して気をつけよ。

一、(海から)遠雷あるいは大砲の如き音がしたら津波のくるおそれがある。

一、津波は、激しい干潮をもって始まるのを通例とするから、潮の動きに注意せよ。

避難方法について
一、家財に目をくれず、高い所へ身一つでのがれよ。

一、もし船に乗っていて岸から二、三百メートルはなれていたら、むしろ沖へ逃げた方が安全である。


・・・・・・・・・・・・・
1970年に書かれた本。テレビや新聞や、ネットなどで三陸の津波の歴史を見聞きしていても、こうしてまとめて読むと本当に凄まじい。体験をつづった子どもの作文もいくつか載っているが、ありのままを淡々と描く幼いが鋭い筆致に胸をつかれる。吉村氏は作文を書いた当人をも何人か追跡取材していて、その中に自分以外の家族を全員喪った女性がいた。その女性は、やはり津波を体験した男性と結婚し、今でも地震があると、豪雨であろうと雪の深夜であろうと、子どもを背負って山へ逃げる、と言う。子どもがいやがらないかという問いに「いえ、それが普通のことになっていますから一緒に逃げます」。

今言うのは酷かもしれないが、やはりこういうことは文章に書いてみるのがいいのかもしれない。文章に落としこむというのは、絶えず揺れ動く自分自身の感情の外側に立ち、客観視して再構築するという作業だから、もやもやした掴みどころのない気持ちから開放される助けになると思う。
いつだったか讀売新聞に、被災した小学生の詩が長田弘さん監修で載っていたが、どれも素直で的確に表現されていた。
文章に限らず、絵でも造形でも、何でもいい。記憶や感情を、他人も認識できるような形にしてみるといいと思う。

昭和八年の津波で、岩手県知事が全県民に対し出した告諭。
(原文はカタカナと漢字)
 
告 諭
 
今暁三陸沿岸に於ける強震に伴える海しゅう(つなみ)並びに火災は、
被害甚大にして往年の惨害を想わしむるものあり。
之が罹災同胞の救援に就いては、同胞共済の精神に基づき至大の努力を致されつつありと信ずるも、
此の際特に県民心を協せ万難を排し罹災同胞の救済並びに被害地町村の復興に当たらるべし。
時あたかも郷土将兵は、熱河掃匪の為尽忠報国の至誠を輸しつつあり。
願わくば忠勇なる出動将兵をして、後顧の憂いなからしむるに努めらるべし。
 
昭和八年三月三日      岩手県知事 石黒英彦
 
なんだかじんと来ます。同胞という言い方は良いなあ。
 
明治・昭和いずれの津波も、もっとも活躍したのは軍隊。次いで警察消防、村長をはじめとする役場の職員たち。天皇陛下を中心とした一元的な救援体制が、甚大な被害を受けた人々を救い、村を復興していく見事さは、数字の羅列された記録からも十分読み取れる。今と比べると…とつい考えてしまう。当時は原発もないし、車も大型の船もない、家もさほど大きくなかっただろうし、といろいろ割り引いても…うーん。
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