「踏切の幽霊」

  読書の秋到来しましたね。今日は雨だけど、この少し肌寒いくらいのスッキリ感が本当に快適。もう一年中これでいい(と毎年各所で言ってる)。

 この本は完全に表紙とタイトルで読もうと思った。ご覧の通りそんなに奇をてらった感じでもないんだけど何となく。第169回直木賞候補作(←この年の受賞作に「木挽町のあだ討ち」がある!)。

「踏切の幽霊」高野和明(2022)

 物語が「1994年」にて始まった辺りでは、そのまま現代へと繋がっていくのかと思っていた。だけど飛ばない。あくまでこの年代の物語として続き、終わった。期間としてはさほど長くない。何でこうしたのかなあと少し不思議に思ったが気づいた、30年以上も前だ。若者からしたら十分に「昔」の話だ。自分に置き換えてみればわかる。私が二十代の頃、三十年前っていうと……詳述しないがちょっとばかりショック。90年代なんてほんのちょっと前って感覚なんだけどなあ。

 それはともかく物語はとても面白かった。ホラーでもありミステリーでもあり、社会派小説といってもいい気がする。「幽霊」にまつわる謎が徐々に解き明かされ、遂に真実への「接点」が開かれるといった趣。一気に読んでしまった。この世ならぬものの存在が常にベースにあるというところが良い。最愛の妻を若くして亡くし業界人としての旬も過ぎてしまった主人公にとっての、さまざまな「接点」にもなってるのだ。

 現代には妖怪や魑魅魍魎の類が住める場所がなくなったとよく言われてるけど、そんなことないんよね。その時代時代においての、そういうものの「在り方」の違いはあれど完全にいなくなることはないんじゃないだろうか。90年代というのはまだ「幽霊」というものの存在がマスレベルで身近だったのかもな、と思ったりもした。 同時に、主人公がマスメディアの人間であり「一般人ではありえない」様々な資料や機微な情報にアクセスする伝手と手段を持っている設定は、令和ではもう現実的ではないとも思った。個人でのネット利用がまだ一般的でない時代の「謎解き」は、この時代設定がギリギリ絶妙なラインかもしれない!

 この話を現代設定にしたら成り立つだろうか?と考えてみると、「幽霊」の扱いはともかくとして登場人物の諸事情がやや現実離れしてしまう気がする。してみると少しは世の中マシになっているんだろうか。三歩進んで二歩下がる、という感じかもしれないけど。というわけで大変面白かったです。映画化しないかしら。普通にできそう。

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「我々は宇宙人」

  最近(珍しく)なにかと多忙につき、書く方は完全に滞ってる。とはいえツイ廃なので例によってこれもTwitter(x)にて見かけて突発的に観に行った。だいたいこういう映画は二週目も過ぎると早々にレイトショーとか早朝とかの時間帯に移動しがちなのだが、三週目に至ってもなお私にとって行きやすい昼前後の回であったのも大きい。広い部屋ではなかったものの、けっこう埋まってたので好調なんだと思う。

 結論からいえば予想を遥かに超えた名作だった。逃げ場のない映画館で最後までじっくり観られてよかったです。


「我々は宇宙人」門脇康平(2026)

 まず音。小学校のプールの水底で聞こえていた音。そして雨。車のフロントガラスをさかのぼる水の流れ。ああこれは確かに、見たことがあるし聞いたことがある。

 お若い監督さんだから、たぶんこの小学校の風景と小学生の諸々は2005年以降のそれ。つまり私の子世代にドストライク。それでも自分の小学生時代、子の小学生時代、見事に蘇りました。実写ではなくリアル寄りのアニメ、にした意味もよくわかる。観る人それぞれの記憶の中にあるそれぞれ違う小学校と小学生が、この「絵」によって勝手に補正されてくのだ。ああ私もたしかにあのような風景の中にいた、あの集団の中にいたと。それほどに解像度が高い、絵も内容も。今年は私、同窓会やクラス会目白押しだったせいか刺さりまくった。

 ストーリーはしっかりとあるものの、ここで語る必要性を感じない。ただひたすらに「小学生」のリアルを味わうのがよいと思う。物知らずで元気で可愛いだけでは全然ない、子供ながらの「純粋な」剥き出しの悪意、「たわいもない」悪戯だが途方もなく残酷な所業、も容赦なくさらけ出されてかなりしんどい。「親」や「先生」は小学生にとって完全に埒外であることも改めて実感。自分だってそうだったじゃん?とも。とはいえ大人の影響は小さくないのも事実で、だからこそ厄介。教育とか躾とかって何なんだろうな。難しいわ。

 二人の小学生のその後が私には意外だった。逆かと思ってた。それもこれも、二人の関係の「躓き」の認識が、両者でズレていたせいも多分にある。中々にしんどい。こういうのあったよな確かに。悪気はないけど周りとの距離感がつかめずになんとなく避けられてしまう現象、避けたことも避けられたことも両方ある。中学生の頃の自分を思い出して胸が痛かった。ただ、この二人は確かに「友達」ではあったのだ。向かう道も居場所も何もかも違ってしまっていても、子供の頃好きだったものの名を忘れてしまっても、その事実は消えない。何なら今も、もしかしたらこれからもずっと「友達」であり続けるのかもしれない。自然にそう思わせる、非常に美しいラストだった。人によっては綺麗すぎると感じるかもしれないが、私は素晴らしいと感じた。ここまでリアルに拘り寄せてきたことの効果が、最大限に発揮され奇跡を産んだ、と思う。

 映画館で観るべき映画だと断言します。面白かった! 

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回避と回遊

 コロナワクチン(コスタイベ)打った当日、うたた寝した間に見た夢。寝てる時間は一時間少々だったのに情報量凄い。途中で「ああこれはいつもの辿り着けない系の夢だ」と気づいたところがハイライト。

 実家に帰っている。親戚が大勢集まっているところに到着。皆歓迎してくれる。兄が赤ん坊をあやしながら私の近くに連れてきた。赤ん坊は人見知りもせずハイハイしながら寄ってきて私の膝に乗り、そのまま寝てしまう。そっと下ろそうとするとビクっと動く。起きてしまったかと思ったが、布団の上に寝かせたらそのまま大人しく眠り続けたのでホッとする。

 これから会食に出かけることになっている。夫と娘と準備をするうち、手土産を持ってこなかったことに気づいた。何故思いつかなかったんだろう、何故来る途中に買わなかったのか、いつも持ってきているのにと悔しくなる。部屋のテーブルには誰かが持って来たらしきお菓子の箱がいくつも置いてある。娘とエレベーターを待つ間行き先の店名を聞いたが、乗り込むと娘の姿がない。特に心配もせず下に降りれば誰かいるだろうとそのままでいると、見知らぬ若い父親と小学生くらいの男の子が乗り込んできた。エレベーターは一階を通り越し下の駐車場へとどんどん降りてゆく。父子が押すの忘れたね、と顔を見合わせて笑って、一階のボタンを押してくれた。エレベーターから降りると、勧められてこの父子の車に同乗した。息子の方はこれからスイミングスクールへ行くようだ。スクールは駅からさほど離れていないようなので、ここで男の子と一緒に降りると何度も言ったのに車を止めてくれない。父親がその先の電器店に寄るタイミングでようやく降車できた。

 駅に戻ろうと向かうも、歩くとやはり結構遠い上に坂道がすごい。坂を上りつめやっと駅舎が見えてきた頃、左側に素晴らしく青く美しい海の風景が広がった。いつの間にこんな場所にきたんだろう?しかし海沿いの道はガードレールもない細い下り坂の道で、しかも途中で途切れているようだ。大波が来たら一巻の終わりだろう。ここはダメ、他の道を行こうと何かの建物に入る。この間何度も娘にLINEしようとするがどうしてもうまく打ち込めない。聞いた店名も忘れてしまった。

 建物は博物館のようなところで変わった展示がある。スタッフらしき人から、まもなくTV撮影があるのでこちら側からは出られなくなります、と知らされる。しかし反対側から出ると、採石場のような盛り土しかないだだっ広い場所。付近に立っていた警備員?に駅はどこだと聞いても要領を得ず、まともに答えてもらえない。

 仕方なく建物に戻り、撮影予定の側を急いで通ることにする。幸い準備中のようで邪魔にはならなかったようだ。途中でベルトコンベヤーのような板の上を走る。足の下で何かの基盤や装置が潰され外れ下に落ちていく。これではとても走れないと思い別の通路を探すが、気持ちが焦るばかりで一向に外に出られない。

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「映画ちいかわ 人魚の島のひみつ」

  やっと観に行きました!シルバーウィークの終わりがけ、混雑も比較的落ち着いたところだったか、来場特典「ひみつ本」ゲットしたぜイエイ♪終了21時過ぎの早めのレイトショーだったが、やはり観客は大人が多かった。

「映画ちいかわ 人魚の島のひみつ」及川啓(2026)原作/監修 ナガノ


「ちいかわ」についてはもっぱらX(Twitter)にて漫画をチラホラ読んでおり、アニメについてはこの間ネフリで一気にまとめて観た(ただ全部ではない、まだ前半あたりと思われる)。なので登場人物(?)とそれぞれの性格、ちいかわの住む世界観もだいたい心得ており、可愛くてお呑気な(異世界での)日常系と思いきやその実メチャクチャハードで痛みを伴う展開をぶっこんでくることも知ってた。

 封切りしてからもうずいぶん経ったしネットには種々雑多な考察が溢れているので、今更私がなんか言うことでもないが、ひとつ言っておくとエンドロールから最後のシーンまで観て、席を立ち出口までの廊下を歩きつつ一緒にいた息子娘に対し発した感想は

「ヤバイ」

でした。うん、ヤバイとしか言いようがなかったわあの時。

 以下、あまりネタバレしないよう気をつけつつ思ったことだけ書いとく。

 基本的にはセイレーンは「日本における神」。豊かな実りをもたらす神(和魂)であると同時に、理不尽で残酷な禍をもたらす神(荒魂)でもある。善悪はない、そういった認識自体がない。神は自然そのものだからだ。

 この「神」といわばウィンウィンの関係でバランスが取れていた島だった。それが禁忌を犯した何者かにより崩れた。もはや内部では解決できない。外からやってくる者によって解決を図るしかない。

 ……あれ?この間観た「オデュッセイア」に建てつけが酷似しとるやんか!(とは多くの人が言っておる)

 そして結果として、「外から来たものによって『島内の』問題は解決する」んよね……うん。解決……(意味深)。

 観終わった後も色々浮かんで、じわじわ効いて来る映画でした。真面目によく出来ててとんでもなく面白いです。全国民観るべき。つか全世界で公開すべき。私は友人と二度目を観に行く予定(4DX)。  

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「タタール人の砂漠」

  そろそろ読書の秋、だけど雨ばかり。


「タタール人の砂漠」ブッツァーティ(1940伊、2013訳 脇功)

Il deserto dei Tartari / Buzzati,Dino

 カフカの再来、と称されるだけあって不思議な話だった。私の印象としては、カフカよりその視点は詩的で穏やかだが、ある意味途轍もなく容赦ないし厳しい。「なにかが起こるのをじっと待つ」ことに憑りつかれた男の話は、もちろん思った通りにはいかない人生の寓話なんだろうけど、「どうせ死ぬなら華々しく意味のある死に方をしたい」って意外に普遍的な考えなんだなあと変なところに感心してしまった。書かれたのがまさに世界大戦前夜?だからこそなのかもしれないが。大抵の人間は「特に意味もなく」「華々しくもなく」人生を終える。思ってもいないタイミングで突然断ち切られてしまう命もたくさんある。そう考えると、青春を「期待」に満ちて終え、最後の最後にやってきた「実現」を見聞きすることなく終わったジョヴァンニは実のところ相当幸せな部類なのではないか。最後まで「何か素晴らしいものがやってくる」と信じていたのだから。

 物語の中で風景だけが、最初から最後まで何も変わらないまま残る。なんだかんだ砦は、何もない寂寞とした世界(外の世界も含め)唯一の安全地帯ということだったのではないかなあ。淡々とした語り口だが最後まで面白かった。映画化もされてるらしいので観てみたいな。 

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