「遺伝子 親密なる人類史」

  本屋でみかけた「細胞」を読みたくなったけど一応前の本も読もうと思い、つい借りてしまった(両方)。読み切れるのか私(アホ)。

「遺伝子 親密なる人類史」シッダールタ・ムカジー(監修:仲野徹、訳:田中文)

 The Gene:An Intimate History / Siddhartha Mukherjee

 一言でいってしまえば「遺伝子」に関する歴史本である。医師でありがん研究者(血液学、腫瘍学)でもある作者、デビュー作「がん ~4000年の歴史~」にてピュリッツァー賞を受賞してる(こっちも読まないと)。この手の一般向け本は読みやすいものが多いけど、中でも屈指の読みやすさわかりやすさだと思う。

 ド文系の私でも聞いたことのある名前から全くワカラン!な名前まで、とにかく多くの名前が次から次へと綺羅星のごとく現れる。それら研究者たちは必ずしも医学専門というわけではない。博物学や植物学、統計学などさまざまである。だが大方に共通しているのは「変わり者」ということ。「ハエ部屋」には笑った。教科書にも載っている「ショウジョウバエの遺伝」研究、これをやるために部屋がどんなふうになるか・その作業がどれほど細かく根気のいるものになるか、考えてみればそりゃそうだ、となる。つまり生活そっちのけでドップリのめり込む、常軌を逸した、ほぼ狂気に近い知識欲がないと無理な所業なのだ。そういった「何としてでも知りたい」という情動に突き動かされた科学者たちのお蔭で今がある。きっと今も似たりよったりな感じなんだろう。

 ただしその「情熱」は取り扱い注意である。「得られた知識と技術により世界を・人類をより良きものにする」は、ひとつ間違うととんでもない惨事を起こす。そのひとつが優生学。このくだり中々に怖い。発端は遺伝病に苦しむ人をなんとか減らそうという、至極真っ当な思いからスタートしてるものの、何を以て「良い」ものとするのかというところが難しい。これに「半端ない情熱」が一層危うさを増幅し加速する。ナチスの民族浄化・断種政策が有名だけれど、その元となる学問は突然ポっと出たわけじゃなく普通に最新科学としてそこにあったのだ。独裁国家により基本的人権や基本的な倫理感など全部すっ飛ばされて、最悪の形で暴走してしまった。第二次大戦後、優生学研究は中止となり、アメリカの優生学記録局は大幅に縮小、廃止へ。作者の言葉を借りると「最も熱心な優生学の支持者の多くは、ドイツの優生学の促進に自らがはたした役割については集団的健忘症を都合よく患っており、そして、優生学運動を完全に放棄した」。

 このあたりまでで上巻のようやく三分の二くらいなんですよ。情報量が多いそして濃い。どれもこれも興味深いのですが全部我が物にしたかと言われると心もとなく、いつものように私の殴り書きメモをまとまりなく置いておきます。

〇遺伝子の突然変異はなぜ起こるか

①環境因子

②偶然のミス

③遺伝

④ウイルスによる

 遺伝性の難病である「嚢胞性繊維症」は過去にコレラ発生地だった場所に特有→原因となる遺伝子変異は、コレラによる脱水を軽減する作用があったために生き延びたか? 

〇ヒトゲノム

 遺伝子の数は他の生物と変わらない、ネットワークが複雑。独創性と創意があり異なるゲノムを産み出す能力がある。

 ゲノムの98%の領域は遺伝子間DNAとイントロン(余白的な?)多くの断片があるも、不活化・沈黙している→大部分は「ヒト」ではない

 繰り返し現れる配列Aluは起源も機能も重要性も不明

→進化する用意がある、ということか?

〇遺伝子科学は「病理」から「正常」の科学へ

 一般に、遺伝的多様性が高い=古い

〇現生人類とは?

 遺伝的多様性は異なる人種間より同じ人種内の方が高い

「『人種』は特徴の代わりにはならないお粗末概念」

〇遺伝的な記憶

 ゲノムには消せない、降り積もる化学的な「印」=エピジェネティック・マークがある?

「記憶」を機能的に利用できるかどうかは「記憶を沈黙させる能力」にかかっている

「主要調節タンパク質はエピジェネティック・マークと相互作用して、細胞記憶をリセットできる」by山中伸弥

 エピジェネティクスは不確か、限定的、特異的、予測不能であり、次世代に受け渡されることはない。

〇遺伝子治療

 臨床治験の死亡例「熱気と幻想の充満した雰囲気には疑問を抱く」「あの人たちはまだ対処できていなかった」「ちゃんとできもしないのに。時期尚早だった。あまりにも時期尚早だった」 

 考慮すべき三角形:浸透率・大きな苦しみ・正当化できる介入

〇未来

①ヒトゲノムにコードされた情報の正確な性質を見極める

②時間と空間における組み合わせをどう指定し、どう発達させるか

③ゲノムからの将来予測


 こうやって書いてみるとなんもわかっとらんな私(笑)。ただ、DNAの構造がいたってシンプルで、基本コードが書いてあるだけ、役割に沿ったタンパク質と結びつき、機能をON/OFFする、ってそれ完全にコンピューターやんと思いました。内部に棲むミトコンドリアといい、私たちは自分の行動を自分の意思によるものと思い込んでるけど、実は人類ごと違うものに動かされてるのかもしれん、とSFめいた気持ちになったりする。

「宇宙での私たちの究極の目的は、エントロピーを抑制することのように思える」

 面白かったです!さあ次は「細胞」!頑張ろ!

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四年

 今日は安倍元総理の命日である。第一報を聞いた時の衝撃は、記事にしてあるのでここでは繰り返さない(書いておいてよかった):「2022年参院選明けに思うこと

 もう四年なのか、まだ四年なのか。事あるごとに「この場に安倍さんがいたらどうしただろう」「もう少しうまくやれたのではないか」と思い続けてきた。現政権がダメというわけではない。そりゃ細かいことを言えばキリがないが、刻々変わる国際情勢、難問だらけの国内情勢の中、かなりうまくやってくれていると思う。それでも、小さくないプラスアルファの要素として、安倍元総理の存在が浮かんで来てしまう。特に米トランプ大統領、何かを止めるとまではいかなくても、もう少し何とかなったのではないか色々と、などと。詮無いことではあるが。

 安倍さんを殺した男のことについては、触れたくないし名前も顔も忘れたいが、今の自分の気持ちだけ書いとく。某宗教にハマった親のせいで不遇な生い立ちだったのは事実だろうし、人生がうまくいかなかったのが全て自己責任と言い切るには酷なところもあるが、正直やらかした事の重大さにはまったく見合わないどころか、全然まったく一ミリも関係ない:

「某宗教が憎かったからその関係者を襲うつもりだった、だが難しかったので、『たまたま』奈良に選挙応援に来るという安倍元総理を狙うことにした」

 要するに目立てばよかったし、某宗教にダメージを与えられればよかった。結果として某宗教は解散となった。まんまと思惑通りに動いてしまったわけだ。私は某宗教の信者でもなんでもないし、正直なくなってもどうでもいいが、この流れには非常に怒りを感じる。何かこう、崩してはいけないところが破壊されてしまって、簡単には元に戻せない、そんな気もしてる。

 安倍元総理の死を「喜んで」いた人らは論外の人外として(家族を目の前で残虐に殺された仇でもない限り理解不能。どんな大嫌いな奴でもその死を喜んだりはしゃいだりはしない、普通)、悼む心を持たない(持てない?)人が特にメディア系で少なくなかったのが少しショックでもあった。確かに「国葬」という形は賛否両論あっても仕方ないし、どういった意見だろうが自由だ。だけど国葬によって付近の道路が一部交通規制され、その影響で少し渋滞が起こったからといって、普段は「良い人」の顔をしていた人が、かなり憎々し気に文句を垂れていたことを私は忘れない。なるほどね、だから日々徳を積まなきゃいけないのか。と生温く今もただ眺めている。絶対にそんな風にはなりたくないが、人間だから先のことはわからない。常に自戒せよ、と自分に言い聞かせる。

 いち国民でしかない、何者でもない私にできることは殆どなくて、せいぜい身の回りの身近な人々を大事に、つつましく暮らしていくしかない。こうして書くことで何がどうなるわけでもないが、今の私の気持ちとして置いておく。あらためて、偉大な存在を噛みしめつつ。


「ロングウォーク」

  ガテン仕事終わったー!とボーっとしてたら光の速さで上映が減っていく……慌てて行きました。平日の午後にしちゃまあまあの入り。明るくなってみると女性のおひとり様多し(私もや)。わかる。ガチのキングファンじゃないとちょっと誘いにくいよなあ。

 原作は、スティーブン・キングが大学生の頃に書いて、のちにリチャード・バックマン名義で出版された作品。事実上の初長編とのこと。私が読んだ時は「死のロングウォーク」という題名だった。

「ロングウォーク」フランシス・ローレンス(2025米)

The Long Walk / Francis Lawrence

 読んだのはずっと前のことだったけど、あまりにもあまりな設定と物語で最初から最後まで息つく暇もなくしんどかった覚えがある。しかしこのしんどさこそがキングであり、この最悪なゲームを思いつき、その中でもさらに最低最悪なシチュエーションを次々書いちゃうのがキングである。そんなこの世の終わりみたいな状況下でも、愛と友情は存在すると臆面もなく最大のエモを以て書いちゃうのもまたキングである。ちょっと前に「シラート」を観てたせいもあるけど、これもまた「基本理不尽で残酷な世界」の寓話だよなあと思った。ロードムービーの体をとったデスゲーム。そうだ、「シラート」で軍隊が出てきたとき、いつ群衆に向かって発砲し出すかとドキドキしたのは、絶対これ読んでたせいだ。今気づいたわ。

 例によって原作は読み返すことなく観たのだが、まず男の子たちが思ってたより年嵩だった。ローティーン少年のイメージだったけど?と思いwikiなど見返したらば、やはり原作では12-18才でもっと人数も多い。この設定通りだとさすがに実写化は無理だろうから仕方ないが、嫌さ加減の種類がちょっと違ったんよね。現実を知らない・自分を過大評価しがち・まだ全然子供だけど大人への憧れと嫌悪がせめぎあってるギリギリの年頃として絶妙だったのよ原作。とはいえ映画の尺には収まらないし、観る方も精神がもたないと思われる(つまりもっと悲惨なので。キングだからね!)。とはいえ「主人公を応援することイコール他の人間が先にしぬことを願うこと」というエグイ構造は変わらないので十分キツイ。始まった直後「なんで私はワザワザお金出してこんなヤバイ映画を観にきたんだろう」という「エイリアン・ロムルス」冒頭での感情そのまんま出た。アホじゃないのかな私。やっぱアホだろ私(再)。

 俳優さんたちはいずれ劣らぬ名演技。主人公ギャラティくん(クーパー・ホフマン)は原作の少年をそのまま少し年齢上げたような感じではあった。服装は多分原作を踏襲してる。ギャラティと親友になるピーター・マクヴリーズ役のデビッド・ジョンソンはかの「エイリアン・ロムルス」のアンディ役の人(!)。そして悪役の少佐、あれこの声どっかで……と思ったらやっぱりマーク・ハミルやん!最近キング原作映画に出まくりじゃない?(「サンキュー、チャック」での父親役もよかった)。

 という感じで一向に感想がまとまらない(いつもか)。いわゆる「キングの文脈」を全く知らない人だとかなり厳しいかもしんないし、デスゲーム系が好きな人だと甘いと感じるかもしれない。キング好きのためのキングらしい映画、であることは間違いなく、私は面白かったですハイ。

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「黒牢城」

  大河勢そろい踏みのメンバーを見て、これは是非とも観ねばなるまいと思い観た。封切り間もないので観客多め、年齢層やや高め。

「黒牢城」黒沢清(2026)

 黒沢清さんてお名前は聞いたことあるけど映画は観てないな、と思ったら「学校の怪談」の人だったのね。初の時代劇(!)らしいが、なかなかに渋く重厚な絵面と展開で最後まで連れてかれた。ちょうど今の大河「豊臣兄弟!」で荒木村重の裏切りエピソードを観たばかりなのでタイムリーもいいところ。とはいえトータス松本さん演じる村重と、本木雅弘さん演じるそれとは全然まったく違ってた。ギャップが大きすぎていっそ清々しいほど。それほどまでに荒木村重という人物自体がミステリーってことなんだろう。今大河で死せる竹中半兵衛をとんでもなく美麗に演じた菅田将暉さんが、ここで黒田官兵衛として転生してるのも楽しい。此方も圧倒的な存在感。

 ただ、この映画自体は決してミステリーの枠ではない。あくまでひとつの要素であって主体じゃないのだ。ポスターにあるように「心を読め」、各登場人物がどういう過去があり、何を思って行動しているか、それが逆に「ミステリー」要素により徐々に解き明かされる。まずカメラの視点が屋根の上、天井よりやや下、くらいの高さが多く、人物バーンとアップ!はここぞという時のみ(効く)。離れたところから突き放して観てる感。それ故に、何か起こるたびに繰り返される人の右往左往が、真剣みとおかしみの両方を醸し出す。物理の動きで内面をも表現するのが演技というものだろうけど、それが演出によってより効果的に観る者に届く。勿論演者の力量に対する絶大な信頼あってこその技。そしてロケ地がまたこれ本物揃い……よくもよくもここまで「この場面にはここしかない」場所をお選びになったものだ。キャスティングもロケ地選びも拘り半端ない。

 演じた俳優さんたち、主演の本木さんはじめいずれ劣らぬツワモノ揃いの陣営だが、やはり特に凄かったのは吉高由里子さん演じる千代保。男ばかりの中でほぼ紅一点ともいうべき役柄の割に、前半はしごく控えめにふんわりした存在(ただし不穏な雰囲気を纏いつつ)だったのが、終盤にかけて一気に畳みかけてくる。持仏堂のシーンは圧巻。心をぶっ刺し揺さぶるような長いセリフ回しが、たった一言に収束する様は素晴らしかった。単なる慈悲とか同情心とかではない、非情かつ凄惨な世の中に在るからこそ辿り着いた究極の死生観。たった一言が死への恐怖を超えて人の心を救う。さすがは言の葉を操る紫式部様である(実際吉高さんの中でバリバリ生きてるんじゃないかしらん、まひろは)。ラストの締めも完璧。面白かった。黒沢監督、また時代劇撮ってほしいな。

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「激動の昭和史 沖縄決戦」

  6月23日、沖縄全戦没者追悼式の日。高市総理の挨拶が始まるか始まらないかのうちに、市民団体の「戦争を止めろ」「憲法九条を守れ」など抗議の声。鎮魂の日に何やってんだ。辺野古沖転覆事故の件をどうにかしてから言うてくれ。


映画.comより

「激動の昭和史 沖縄決戦」岡本喜八(1971)脚本:新藤兼人

 さすがは大作映画「日本のいちばん長い日」を撮った岡本監督、よくもよくも148分の長さに詰め込んだ。昭和史、と銘打っているとはいえ映画なので、これをこのまま丸ごと鵜呑みにすることは出来ないが、太平洋戦争中でも屈指の激戦だった沖縄戦を作品として遺したことは確実に偉業だと思う。

 まず以て、登場人物の顔と体型、喋り方がもう現代と違う。主役級の俳優さんや女優さんは置いとくとしても、モブの兵隊さんたち、住民たちがしっかり「当時の日本人」なのだ。いや公開1971年なので厳密には当時そのままではないんだろうけど、令和の今と比べれば雲泥の差。リメークすれば特撮やらCGやら使って戦闘シーンはもっと凄いものになりそうだが、人物はいかんともしがたい。「撮って残す」ことの価値は事ほど左様に無限大。群像劇というだけでは足りない、あの戦いを戦った一人一人の生きざま死にざまを取りこぼすことなく描ききってやる、という尋常ならざる熱と執念を感じる。映画の中でも出てくるが、太田實海軍中将の有名な電報文の一節:

沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」

 まさにこの通りの内容だった。圧巻としか言いようがない。

 私は戦後生まれなので第二次大戦は全く経験していないが、ウクライナやガザやホルムズ海峡をめぐる戦争と同じ時代を生きている。身近とまではいわないものの、戦闘状態になった国土がどうなるか、市井の人々がどういう目に遭うか、はネットのお蔭である程度は見聞きした。影響が周辺地域のみならず遠く離れた国にも及ぶことも。そのせいか、この映画が遠い世界のこととは思えない。

 仲間が次々とやられていく中で、「コンチキショー!」と叫びながら機関銃を撃ちまくる女子学生。俺たちがやったらあ!とばかりに果敢に突っ込んでいく十代の若者。敵の戦車が迫るその前で踊り歌い続ける老婆。進むも地獄退くも地獄の戦場で、絶望しかない状況で、せめて一矢報いたいともがく人間の姿を、TVやPCの画面越しではあるが、私も確かにみた。以前、「日本は何で中々戦争やめなかったんだろう?」と問うた私に亡父は「なにくそ!という気持ちが(皆に)あったんだと思う」と答えた。当時の私には理解しきれていなかったが、今ならわかる気がする。

 だが、「斯ク戦ヘリ」すべての人々を顕彰し悼むべきその日に、戦争止めろ九条守れの言葉を現首相に投げつける人々(おそらく殆ど戦後生まれ)の心持ちは全く理解できない。そんなことをして何になるのか。上滑りどころか的外れ、履き違えもいいところだ。むしろ御霊を侮辱していないか。実に恥ずかしい限り。

 私の大叔父は大学を繰上げ卒業と同時に陸軍士官候補生となり、昭和十九年八月出征、沖縄に上陸。二十年にフィリピンに転戦しその地で戦病死した。彼の見た沖縄はどんな風景だったろうか。彼もまた「斯ク戦ヘリ」の一人だったのである。

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