2017年8月17日木曜日

五~七月に読んだ本

例によってまた更新をサボってしまった!久しぶりなので何を読んだやら忘れてる…順不同で行きます。

「荒神」宮部みゆき

久しぶりの宮部さん。ご本人の「特撮時代劇を書きました!」との言は読み終わってから知ったのだが、私の印象としては特に冒頭の掴みは「ジョーズ」とか「グリズリー」とかのパニック物を連想。途中のグロい描写は「進撃の巨人」、途中でその生き物の正体がわかったところではじめてああこれゴジラだ、とわかった。
以前、宮部さんにはファンタジー向かないのでは?と書いたことがあるが、今回時代物だったせいか特に違和感なく、当時の社会問題+伝奇的な要素がバランスよく組み合わされて興味深かった。兄妹と家の因縁話は歌舞伎でやっても似合いそう。ただ「英雄の書」でもそうだったように、やっぱり兄がダークサイド堕ちした理由が弱い。怪物の陰惨さと絶望感が半端ないので、これに対比できるほどの悲惨がないと個人的に納得できん。
しかし細かいところは別にいっかーとなるほどに怪物の存在感が圧倒的で素晴らしいので、小説としてかなり成功していると思う(えらそう)。

これNHKでドラマ化決定してるのね。うーんアニメの方がよくないか?と思ったけど、あとがき読んで特撮に期待。

「冷血」上下 高村薫

久しぶりの高村さん。まず思ったのは、あれ?何か読みやすい、だった。いや昔も読みにくいことはなかったのだが、さらに文章が整理され、なんというか滑舌がよくなったというか…テンポがよくなったのか?それともストーリーテリング能力がパワーアップ?いずれにしろ端正な文章を心ゆくまで堪能できた。
前半は被害者の家族が「その日」までにどのような日常を過していたかを丹念に綴り、事件後は徹底して加害者側および警察の視点から語る。本家の「冷血」は読んでいないが、カポーティを描いた映画を観て大体の内容は把握していたので、組み立てや展開はおそらく本家のやり方を踏襲しているのだろうなあと想像。
おなじみの合田刑事がすべてにおいて精緻なせいか、とにかく犯人二人の雑さが際立つ。生き方も考え方も、行動も言動も、殺し方も逃げ方もすべてが雑。一人は元々の気質、もう一人は親の抑圧によって壊れた結果、そのある意味シンプルな気質に引っ張られ同化した感じ。読むこちらの方も、被害者側の遺族の感情がほとんどかかれていないせいか、奇妙に現実感がない。相当酷い話のはずなのに怒りがわいてこない。そういう自分への戸惑いと疑問。終盤、唯一出てきた遺族の一人が言った言葉は、そのまま犯人たちの心持ちに繋がる。「殺すのが正しい手順のような…とにかく早く始末しなきゃと」。被害者とも加害者とも全く関係のない第三者が決める「死刑」というのは案外この二人のやったことに近いのかもしれないと思わされた。死刑反対派に与する高村さんらしい結論だ。

「古事記 不思議な1300年史」 斎藤英喜
「日本古代の氏族と国家」 直木孝次郎
「入門白山信仰~白山比咩の謎に迫る~」 内海邦彦
「秦氏の研究」 大和岩雄

資料本として上記四冊を図書館で借りて読んだ。どれも面白かったが、古事記というものがかつてねつ造疑惑により資料としての価値を貶められていたこと、さらに今では、「時代とともに変遷する」ことそのものに価値を見出されているということ、非常に興味深かった。とすると、現代に見立てて語り直せば何年か後には…と思ったが、既にプロ・アマを問わない二次創作の山だわ。日本ってホントにもう・・・。
白山信仰と秦氏、これはあまりに面白すぎて、ついうっかり白山神社の記念誌とか続・秦氏の研究とか買ってしまった。こういう分厚くてお高い本こそ電子書籍にしてほしいのだが、大体ないんだな。希望は出しといたけど。

2017年4月20日木曜日

末摘花 九(ひとり語りby侍従♪)

外はもうすっかり朝よ。ヒカル王子の車が寄せてある中門は、超歪んでてボロっボロ。もちろん夜目にもボロっちいことはバレてたけど、今は全て隠れなく朝日に晒されちゃってもうね……。
どこもかしこも荒れ果ててる中、松の木に積もった雪だけこんもり暖かそうで、ここ山里? て勘違いしそうなほど寂しーいうらぶれた感満載。

(雨夜の品定めの時皆が話してた『葎の門』って、ちょうどこんな場所だったのかなあ。確かに、こういう所に気の毒な境遇のカワイイ女子を囲って、今どうしてるかなー恋しいなーって日々思いを募らせる、なんて楽しそう。名前を言えないあの女性(ひと)への思いも、それで紛れようってもんだしね)
(前提条件や場所はカンペキなんだけどなー、肝心の本人が……うーん……)
(いやいやでも待てよヒカル! 俺以外に誰が我慢できるってのあの姫に!そもそも俺様がここまで通うことになったのって、もしかしてもしかしなくても、亡き常陸宮親王のお導きってやつなんじゃない…? 父親としてはあれじゃあ心配で心配で、おちおち成仏も出来ないよね……わかる、すっごくよくわかる

なんて、かなり失礼だけどまあ的を射てる色々に思いを巡らしつつ、御付きの人を呼んで橘の木の雪を払わせる王子。
その拍子に、隣の松の木が羨むように起き上がって、さっと雪がこぼれたのね。

「わが袖は名に立つ末の松山か空より浪の越えぬ日はなし」

跳ね上がった雪が御付きの人の袖にかかるのを見て、王子ピキーン☆とこの歌が浮かんだわけなんだけど説明するね。
末の松山」って海沿いの小高い丘の上にある松のことなんだけど、そこを波が越えることは滅多にないってことから、末の松山と同じく自分が裏切るなんてことない絶対! とかなんとか引っ掛けて恋の歌に使うってパティーンがけっこうあるわけ。
でもねー、そういう歌を詠んでみたところであの姫君には無駄無駄無駄ア!

「はー、こういう機微っていうの? 俺様と同レベルとは言わないけどせめてちょっと説明すれば理解できて、気の利いた返歌のひとつもくれるくらいの機転がほしいよねー」
王子、雪を眺めながら溜息。
 車を出す用の門はまだ閉まりっぱだったから、鍵預かってる番人を呼び出してみたんだけど、これが超よぼよぼのお爺さん。さらにその娘か孫か、大人とも子供ともつかない年齢不詳な女も一緒に出てきたんだけど、着てるものときたら超汚くって、それが雪の白さで余計に汚れが目立つ目立つ。超寒そうに、何かよくわかんない小さい入れ物に火を入れたやつ……今でいう携帯カイロ? 的なものを袖で包みながらついてきてた。その子とお爺さんが門を開けようとするんだけど、固まっちゃってるのか無理っぽい(ろくなもの食べてないんだろうね、非力なのよ)。見かねた王子の家来が手を貸してやっと開門よ。

「大雪の降った寒い朝に、頭が真っ白な年寄りが働かねばならないのも気の毒だが
見ているこちらも負けず劣らず涙で袖を濡らす朝だよ
『幼き者は着るものもなく』」


なんて口ずさむヒカル王子。最後のは白楽天の詩なんだけど、その終わりの句に出てくる鼻……あの姫君も超寒そうだったなー、などと思い出し笑いしつつ
「頭の中将が見たらどういう感想を漏らすかな? いっつもストーカーばりにつきまとってるからソッコーで見つかりそう…ぶるる」
などとげっそりする。

(常識的っていうかありがちな容姿なら、このままブッチしちゃってもよかったんだけど、こんだけバッチリはっきり見ちゃうとさ……申し訳ないっていうかなんていうか……ちゃんと真面目に通わないとな…)

 というわけで、あのオッサンくさい黒貂の皮のかわりに、絹、綾、綿、女房さんたちの着物、なんとあの門番のお爺さんや娘の分もよ? 上から下までタップリ気を遣って用意してあげたってのはさすがセレブよねー。いわゆるのぶ、のべ……なんだっけ右近ちゃん……あ、ノーブレスオブリージュねはーいありがと……て、ちょっと違うか。人道的配慮ってやつ? 
こういうのもさ、人によっては屈辱ーて思っちゃうこともあって良しあしなんだけど、そこはあの姫君ですから。まんま素直に受け取って感謝してくれるもんだから王子も気楽に「こういう生活面だけでもきちんとしてあげるか……」て思って、普通ならしないようなあからさまな援助もしてたみたい。

「思い出すなあ空蝉ちゃん……あの宵、無防備にくつろいでた空蝉ちゃんの横顔……当然スッピンだしぶっちゃけ美人じゃなかったけど、立ち居振る舞いがとにかくイイ! から、大して気にならなかったんだよねー。常陸宮の姫君は、身分とか家柄は空蝉ちゃんより大幅に上なのに、どうしてこうなった? とすると、品の上とか下とかは関係ないのかもなー。空蝉ちゃんは腹立つほど頑固だったけどイイ女だった。してやられた! お見事! て感じで忘れられないよね」

 未だ解けない空蝉の術ー♪ パネエっす空蝉姐さん。

>>「末摘花 十」につづく
参考HP「源氏物語の世界

2017年4月19日水曜日

四月に読んだ本

なぜか画像が貼りつけられないので、このまま更新。

「最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常」二宮敦人

藝大生を妻に持つ作家・二宮氏の実録ルポエッセイ。
私は「アーティスト」という言葉の意味を激しく勘違いしていた。アーティスト、とは、アート「で」生きていく人ではなく、アート「と」生きていく人のことなのだ。これまでの人生、真のアーティストの方々に対しては非常に失礼な見方をしていたように思う。ごめんなさい。
アートは本来、対価を要求するものではない。ただ作りたいから、書(描)きたいから、弾きたいから、とにかく自らの内から湧き上がる何かを表現することそのものなんである(対価を受け取ったからそれはアートではない、なんてことはもちろんないが)。ラスコーの洞窟絵の時代は今よりもっと生きるか死ぬかのシビアな世界だったろうに、それであのレベルの絵を描いていたわけだから、「アート」は人間の知能がある程度のレベルを超えたあたりから続く、もはや本能といってもいいくらいの行動なのだろうと思う。実際に、常識を超えた発想というのは技術の発展のきっかけとなるから、直近の生活に役立たない(様に見える)というだけで、全体が進化するためのひとつの手段という見方もできる。
「職人」と言われる人々が、どう考えても割に合わない時間と手間をかけてものを作るのは、お金より何よりまず、そういった「本能」=「将来を見据えた大局観」に突き動かされてのことだと考えるとわかりやすい。そこに普通の金勘定の考え方を持ってきても、合うわけないのだ。
とはいえ「アート」に没頭できるのも、普通の経済活動あってのことでもある。両方に利のあるようにうまくかみ合って回るといいのだが…今は、中間に立つ者が利を根こそぎかっぱいでいく構図が目に余る。利は必要だが取りすぎたら災いになる、結局程ほどが幸せなのだ。というのを実現していくにはどうしたらいいんだろうか? 永遠の課題。

「くじ」シャーリイ・ジャクスン

スティーヴンキングが敬愛してやまない作家、ジャクスンの短編集。このところジャクスンの本が相次いで復刊されていて嬉しい限り。しかもこの「くじ」はキング作品の翻訳でおなじみの深町眞理子さんの処女訳作品であるという。好きな訳者さんなのでなお嬉しい。
ジャクスンの本を初めて読んだのは小学校低学年の頃。兄の買った「なぞの幽霊屋敷」というタイトル(こちらのほうが一番原題に合っている気がする、今となれば)の本、生頼範義さんのおどろおどろしい挿絵とあいまって、強烈な印象を残した。同じシリーズで同時期に買っていた「吸血鬼ドラキュラ」とはまったくちがう、あの不条理感というか、何もかも歪んでいてうまく嵌らない頼りなさ、不安定な感じに惹きつけられ、何回も読み返したものだった。高校に入ってまもなくスティーヴンキングを知り、どっぷりハマっていったのも必然。キングの初期作品、特に短編はジャクスンぽいものが多々あって、次第にわかりやすいホラーになり、最近になってまたその世界観に戻ってきたような感がある。
まごうかたなき大人と呼ばれる年齢になってこの短編集を読んでみると、何も奇抜な表現や言葉を使っているわけではないし、非常に短いものが多いのに(短いからか?)、自然にその世界に引っ張り込まれる。このさりげなさは意識してそうしているんだろうけど、本当にうまい。表現を吟味しつくして日本語の文章を作っていく翻訳という作業とも親和性が高く、翻訳する価値のある作品だと思う。新たに出た二冊も購入済みなので今から楽しみ。新訳で出ている「丘の家」も買おうかどうしようか。

「桶川ストーカー殺人 遺言」清水 潔

元・写真週刊誌FOCUS記者、現TV記者による「桶川ストーカー殺人事件」の記録。
この事件についてはよく覚えている。最初は通り魔かと思われたのが、実は元交際相手の差し金で全くの他人に殺された、ということも、しばらくの間被害者がやたら叩かれていたことも、その後張本人が北海道で自殺したということも、警察が酷かった、ということも、その都度新聞や雑誌の報道などで大まかにではあるが記憶に残っていた。
地道だが果敢な調査報道によりいち早く事件の真相に迫り、真犯人を追いつめていったジャーナリスト魂には本当に感心させられる。とても優秀で、男気のある人なのだろう。それはこの前読んだ著書「文庫X:殺人犯はそこにいる」からもうかがえる。
だが、この二件に共通していえるのが、この気鋭のジャーナリストを以てしても容易に触れられない闇があるということだ。「ルパン」を、「和人」を逮捕されないように仕向けたのは誰なのだろう? 事なかれ主義や怠慢が重い結果を招くことは多々あるが、意図的な「不手際」だったとしたらさらに怖い。
何が敵に回るかわからない。手持ちカードは多いのに越したことはないのだ。自衛のためにはまず記録。映像、音声、文章に残すこと。バックアップを取り、家族をはじめ信頼できる人の間で情報を共有すること。被害者が反撃をすると、その手段が暴言・暴力ではなく正当な手続きを踏んだものであっても「そこまでやらなくても」「大げさ」などと無責任な批判をしてくる輩は必ず沸いて出るので、常に複数で事に当たることが大事。
それにしても、被害者遺族が起こした国家賠償請求訴訟の判決「警察の捜査怠慢については賠償責任が認められたが、遺族が求めた捜査怠慢と殺害の関連認定については退けた」って…それはつまり裏を返せば、捜査をきちんとしてもしなくてもどのみち殺されてたってことで…それだけヤバイ相手だということで、そういうのに目をつけられたら警察も役に立たないんだから頼るなって裁判所が認めちゃったってことで… そんなんでいいの? これ何が悪いのだろう。法律の不備?