「激動の昭和史 沖縄決戦」

  6月23日、沖縄全戦没者追悼式の日。高市総理の挨拶が始まるか始まらないかのうちに、市民団体の「戦争を止めろ」「憲法九条を守れ」など抗議の声。鎮魂の日に何やってんだ。辺野古沖転覆事故の件をどうにかしてから言うてくれ。


映画.comより

「激動の昭和史 沖縄決戦」岡本喜八(1971)脚本:新藤兼人

 さすがは大作映画「日本のいちばん長い日」を撮った岡本監督、よくもよくも148分の長さに詰め込んだ。昭和史、と銘打っているとはいえ映画なので、これをこのまま丸ごと鵜呑みにすることは出来ないが、太平洋戦争中でも屈指の激戦だった沖縄戦を作品として遺したことは確実に偉業だと思う。

 まず以て、登場人物の顔と体型、喋り方がもう現代と違う。主役級の俳優さんや女優さんは置いとくとしても、モブの兵隊さんたち、住民たちがしっかり「当時の日本人」なのだ。いや公開1971年なので厳密には当時そのままではないんだろうけど、令和の今と比べれば雲泥の差。リメークすれば特撮やらCGやら使って戦闘シーンはもっと凄いものになりそうだが、人物はいかんともしがたい。「撮って残す」ことの価値は事ほど左様に無限大。群像劇というだけでは足りない、あの戦いを戦った一人一人の生きざま死にざまを取りこぼすことなく描ききってやる、という尋常ならざる熱と執念を感じる。映画の中でも出てくるが、太田實海軍中将の有名な電報文の一節:

沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」

 まさにこの通りの内容だった。圧巻としか言いようがない。

 私は戦後生まれなので第二次大戦は全く経験していないが、ウクライナやガザやホルムズ海峡をめぐる戦争と同じ時代を生きている。身近とまではいわないものの、戦闘状態になった国土がどうなるか、市井の人々がどういう目に遭うか、はネットのお蔭である程度は見聞きした。影響が周辺地域のみならず遠く離れた国にも及ぶことも。そのせいか、この映画が遠い世界のこととは思えない。

 仲間が次々とやられていく中で、「コンチキショー!」と叫びながら機関銃を撃ちまくる女子学生。俺たちがやったらあ!とばかりに果敢に突っ込んでいく十代の若者。敵の戦車が迫るその前で踊り歌い続ける老婆。進むも地獄退くも地獄の戦場で、絶望しかない状況で、せめて一矢報いたいともがく人間の姿を、TVやPCの画面越しではあるが、私も確かにみた。以前、「日本は何で中々戦争やめなかったんだろう?」と問うた私に亡父は「なにくそ!という気持ちが(皆に)あったんだと思う」と答えた。当時の私には理解しきれていなかったが、今ならわかる気がする。

 だが、「斯ク戦ヘリ」すべての人々を顕彰し悼むべきその日に、戦争止めろ九条守れの言葉を現首相に投げつける人々(おそらく殆ど戦後生まれ)の心持ちは全く理解できない。そんなことをして何になるのか。上滑りどころか的外れ、履き違えもいいところだ。むしろ御霊を侮辱していないか。実に恥ずかしい限り。

 私の大叔父は大学を繰上げ卒業と同時に陸軍士官候補生となり、昭和十九年八月出征、沖縄に上陸。二十年にフィリピンに転戦しその地で戦病死した。彼の見た沖縄はどんな風景だったろうか。彼もまた「斯ク戦ヘリ」の一人だったのである。

にほんブログ村 映画ブログ 映画備忘録へ

「マイケル」

  封切直後に行きました。もちろんIMAX課金ですよ。例によって平日真昼間なので大入り満員とまではいかずとも、真ん中の席はほぼ埋まってた。年齢層は高め。若者もチラホラ。


「マイケル」アントワン・フークア(2026米)

Mickael / Antoine Fuqua

 まず感じたのはマイケルの、恐ろしいほどの孤独。幼い頃から兄弟とともにステージに立ってた彼は、「子供時代」というものを経験していない。窓の外で遊ぶ子供たちを羨ましそうに眺める冒頭からマイケル少年を取り巻く環境が瞬時に理解できる。今ならDVで通報もののスパルタ親父の完全支配下にある家族。その箱の中に囲われ子供として生きることを阻止され、かと思えば芸能界では「皆の望む子供」を演じさせられる。ああーーーこりゃ「家族と離れ多くの友達と暮らすピーターパン」に憧れますわ……のちに自分で「ネバーランド」を作った気持ちもわかる。自分の中に「一人ぼっちの子供」がいつもいたんだよな。ピュアで繊細で、優しいマイケルが。つい親目線で見てしまってだいぶ胸が痛かった。しかし時代を考えると、このDVスパルタ親父が言ってることもわからんではないのだ。当時黒人差別がまだまだ酷かったし普通に働いても一生日陰者、かといって生き馬の目を抜く芸能界でのし上がるには生半可な覚悟と努力では無理、成功したらしたで群がって来る輩に金をむしられないよう身近な家族を大事にしろ等、それは本当にそう。家族への愛情がないわけでもない、むしろ過剰なほどある。だからこそ厄介で難しかったんだろう(とはいえ映画だからかなりソフトに描かれてるらしい、あれでも)。

 Twitter(x)でつらつら映画マイケルの講評を見ていくと「ストーリーが薄い」という意見が散見されるけれど、私的には全然そんなことなかった。「マイケルの孤独と父の支配からの解放」に絞られた、相当に濃厚な味わいだった。ラストの「Bad」ライブシーンには鳥肌立ちましたね。まさに一気に解き放たれ、突き抜けたマイケル!を目撃した。

 そして何より俳優さんが凄い。子供時代を演じたジュリアード・バルディくんが途方もなく才能に溢れててヤバかった。天才。インタビュー動画では人生何周目か、と思うほど大人びたことを言うんだけど、ちゃんと子供なんだよね。愛されて大事に育てられた故の強さが感じられる。どうかこのまま初心を失わず着実にキャリアを積んでいってほしい。

 大人になったマイケルを演じたのはマイケルの甥御さん、ジェファー・ジャクソン。この方、顔はそこまで似てないのよ。マイケルっぽい髪型と服装とメイクをしててもやはり違う。なのに、ふとした瞬間にマジでマイケル本人に見える。ダンスは素人で、二年間猛練習したという話だから、おそらく到底マイケルのレベルには達してないんだろう。撮り方と角度の上手さなんだろうけど、それだけじゃない圧倒的「マイケル」感。もうこれは血の力、というしかない。そしてその存在を感じ取れるほどに私の中にも刷り込まれてる。リアルタイムでマイケルを見て来た世代の強み。なんだか誇らしい気持ちにもなる。マイケル・ジャクソンは凄い人なんだぞーと世界中に叫びたい。制作陣もきっとそうなんだろうな。

 続編もあるという話だが、この先は別ベクトルで辛いものになりそう。でも頑張って作ってほしい。頑張って観に行きます。面白かった! 

にほんブログ村 映画ブログ 映画備忘録へ

曖昧な境界線を右往左往

 うたた寝時の夢はいつも面白いのが多い。周りが明るいせいだろうか?

 温泉施設に来ている。最初は服を着たまま浴場に入り説明を聞く形だ。どうやら男女同一の会場で、男女別の風呂場は他にあるらしい。説明する従業員に推しがいるのか、浴衣を着た若い女子たちが声援している。背後で息子が、これどこに座ればいいの……と困惑して立ち尽くしている。一人ずつお菓子が配られた。隣にいた中年女性に「このオバサン、独り占めにしようとした!」と怒鳴られる。誰かの分を盗るなどしていないし、そもそもまだ此方には配られてもいない。そう言い返すと女性は逃げてしまった。

 イベントは終わったようなのでひとまず浴場を出る。時計を見ると一時だ。しまった、これでは夕方の約束に間に合わないと思い、コインロッカーに預けてあったトランクを出し家に帰ろうと歩き出した。が、サブバッグを忘れてきたことに気づく。引き返して一基しかないエレベーターを待つ。程なく来たが下に行くからとすぐ扉が閉まった。再び待ってようやく乗り込む。5、6人でほぼ埋まる狭さだった。扉が閉まりかけた時、大勢の子供たちがエレベーターに乗ろうと走って来るのが見えたが、人数的にももう無理だとわかっていたので誰も開くボタンを押さなかった。ところが子供たちがボタンを押すと扉が開き、結局ぎゅうぎゅう詰めで乗ることになった。扉が閉まりエレベーターが動き出したところで、窓の下に2、3人の子供が来たのが見えた。全員坊主頭で目がギョロついている。中にいる子供の一人が、「あの子たちは乗れないね。僕らは間に合ってよかった」と呟いた。

 ロッカーに戻りサブバッグを手にしたところで時間は14:18。約束には間に合いそうだ。でもまだ風呂に入っていない……

(そうだ施錠を忘れていた)

夢の中で私は焦る。起き上がろうとするが眠すぎて無理だ。何とか起きて玄関ドアの鍵をかけ、窓際の部屋に行くと外で何か作業しているような音が聞こえる。すべての部屋の窓を確認しリビングに戻ろうとしたところで、とっくに出かけたはずの家人が突然トイレから出てきた。「ビックリした!一度戻ったんだね」というと家人は照れ笑いしつつまた家を出て行った。 


※実際には施錠されてました!

にほんブログ村 その他日記ブログ 見た夢へ

「シラート」

 怖いと聞いたのでDolby Cinemaで観ました!(←は?)恐怖感バグってる私でしたが心臓に悪そうとは思った。

「シラート」オリベル・ラシェ(2025仏西合作)

Sirāt / Oliver Laxe

 なんとなーく筋は心得てたのだが、のっけから不穏で不安定で、頼りない感じがずっとつきまとっていた。絶えず聞かされる音のせいなのか映像そのもののせいなのか、それとも冒頭に流れる

「地獄と天国の狭間に『シラート』という橋がある。その道は髪の毛よりも細く剣よりも鋭いという」

のフレーズに頭が支配されたせいか。ロードムービーの体だがそうじゃなかった。

 以下、ネタバレ注意:

 レイヴというものを深く理解しているわけではない私だが、冒頭シーンのように皆が超巨大なスピーカーから流れる音に任せ、思い思いに身体を動かす光景は、全人類が古代からやってるであろう「神との交信」としての踊り、に見えた。ある意味「無垢」な時間と空間ではあるのだが、そこには普通に多数の生の肉体と生の感情が存在してるわけで、要するにいつ何が起こっても不思議ではない。私はつい某地の、戦争のきっかけとなった音楽祭を想起せずにはいられなかった。なので、いなくなった娘を息子と共に探しに来た父親、には初手から何でこんなとこに年端もいかない息子を連れてくんねんとちょっと怒りを感じた。父子はレイヴの場において明らかに異物であり「何かが起こる」ための触媒となるのだろうな、と予測しながらも。

 道行く三台の車は舗装された道路を外れ、あえて砂漠と岩山ばかりの荒れた道なき道を走る。危険が迫っているからとレイヴを中止させ観客たちを避難させた軍隊および他人のいそうなところを避けて通っているが、それはとりもなおさず「安全な場所」の外ということだ。誰もいない、足を踏み入れていない領域とはつまり酷く危険であり、いざという時に誰も守ってくれないし助けに来てくれないということである。安全より自由を選んだ一行がたどる運命はまさに「自由にはリスクと代償が伴う」を地で行く展開となる。

 とはいえストーリーらしきストーリーは無い。ただ「前に進む」それだけ。冒頭のフレーズが絶えずよぎる、さまざまな道。一行はそれなりに苦労して道なき道をいくのだが、これが奇妙に現実感がない。現実感がないのに、いつの間にかこの世界に入り込んでいる。登場人物の衝撃と驚きと痛みを、まるでそこにいるかのように「受けて」しまっている。もう一度観ても、同じ場面で同じように受けてしまう気がする。

 人によってかなり意見の分かれる映画だと思う。つまらない、何を言いたいのかわからない、という感想もそれはそれで正しい、ストーリーを語る映画ではないから。冒頭のフレーズの言葉の魔力が効くかどうか、で受け取り方が異なるのかもしれない。私は面白かった。

にほんブログ村 映画ブログ 映画備忘録へ

日常に還る

  久しぶりに長い昼寝でリアルな長い夢。しかし大部分を忘れてしまった。惜しい。


 実家の仏間にいる。そこには亡くなったはずの父もいたが、皆普通に接している。そこにいることが当たり前になったのだなあと思う。父は「子供はそういうもんやな」などと言っていた。

 そろそろ帰らなければならない。娘と私は帰り支度を始める。息子はこれから車で海辺のキャンプに出掛けるらしい。助手席には男友達、後部座席には寝袋のようなものに隠れている女友達がいる。息子は「どうしてこういうことするんだろう」とボヤきつつも、時間通り出発。気をつけてね、と声をかける。

 自宅のソファに寝転がってウトウトしていると、母が話しかけてきた。どうやら母には、父の姿はモノクロに見えるらしい。私には以前と同じように見えるよ、誰かに相談してみる?と聞くと、

「いや、うかうかそんなこと言うと……えんようになってまうやろ?そのままでいい」

と答えた。

にほんブログ村 その他日記ブログ 見た夢へ