2010年6月30日水曜日

短編小説:穴が開いた(3)

 さらに、有名な占い師が穴の周辺を強烈なパワースポットだと認定したことで、騒ぎは一層加速した。見物人は増えつづけ「奇跡を呼ぶ」鉄の蓋に触れるために長い行列まで出来るようになった。

 きっかけは些細なことだった。列に割り込んだとか割り込まないとかいう類の理由で、背の低い太った若い女が男に突き飛ばされた。女の大きな尻が柵を破り、ゴムマリのように転がった。大勢が見ている前で、女は隙間からすっぽりと、穴に落ちていった。

 口を開く者は誰もいなかった。全員身じろぎもせずその場に立ち竦んだ。


 やがて一人が言った。笑い声が聞こえたと。するともう一人が、ああ確かに聞こえたと頷いた。さらに一人、なんて幸せ、なんて素敵という声も聞こえたと言い張った。何人かがそれに同意した。彼女は自分から落ちたのだ、それを望んだのだと誰かが叫んだ。おおおおおと地鳴りのような声。ここは強力なパワースポット、あの穴の中には最大最強のパワーが満ちているに違いないと誰かがぶち上げ、そうだそうだと口々に答えた。そんな声は聞こえないと否定する者も、様子を見よう、やめておけと止める者も、もはや誰一人いなかった。

 並んでいたものたちが柵を壊し、我先にと穴になだれ込んでいったのは、女が落ちてからたった数分後のことだった。


*****

 真新しいボルトをひとつひとつ締めていく男の、十字型の痣がついた手を、少年がじっと見つめている。ボルトは錆びたり朽ちたりしない最新式のものだ。以前より一回り大きく丈夫な鋼鉄の蓋は、以前より十倍も多い十倍も丈夫なボルトで留められている。少年が口を開いた。

――――おじさん、いつもこれを全部、一人で締めてるの?


――――そうだよ。

と男は答えた。

――――おじさん、毎日来てるよね。

――――そうだよ。

 男は鼻をすんと鳴らすと、お前もなと呟いた。少年は男のすぐ側にしゃがみこんで言った。

―――――穴に落ちていった人たち、誰も見つからなかったんだよね?

――――そうだよ。誰一人、見つからなかった。

――――まだこの穴の中にいるのかな。

――――わからない。いるのかもしれない、いないのかもしれない……だが、もう何十年も経っているからな。

 風が丈高い草の原を渡ってきた。西に傾いた日が少年の顔を照らした。

――――いつまでこうやって締め続けるの?

――――死ぬまでさ。俺が死んだら……そうだな、息子か娘を代わりに寄越すかな。

――――おじさんち、子どもはいないじゃないか。

 男は答えなかった。少年はしばらく黙ると、思いきったように口を開いた。

――――僕が締めに来ようか? おじさんがもし……締められなくなったら。

 男は少年の顔をちらっと見るとまた視線を下に戻し、言った。

――――そうだな。覚えていたら、の話だが。

――――覚えてるよ。

――――お前くらいの男の子は、一ヶ月、いや一週間もすりゃ、心も体も真新しく入れ替わっちまうもんだ。俺もそうだった。

――――おじさんはそうでも、僕は違うかもしれないじゃないか。

 男は一瞬目を丸くし、やがて声を立てて笑った。それから作業の手を止め、少年の目を覗き込んで真面目な顔で言った。

――――そうだな。俺とお前とは、違う人間だ。お前は忘れないかもしれない。ただ、可愛い娘っ子や、身入りのいい仕事に夢中になって、俺の代わりにボルトを締めることをすっかり忘れちまっても、それは構わない。そんなことは些細なことだ。だが――――

 男は巨大な鋼鉄の蓋をぼんやりと眺めながら、呟くように、だが力を込めて言った。

――――この蓋の下に穴があること、それだけは忘れちゃいけない。忘れたが最後、呑み込まれる、永遠にな。だから、片時も忘れちゃならないんだ。

 少年は眉を寄せ首を傾げると、再びボルトを締め始めた男の手元を見つめて言った。

――――おじさん……おじさんは小さい頃、あの蓋の下を……見たんだよね? お爺ちゃんから聞いた。

――――ふん。爺ちゃんはこうも言ってなかったか? あいつは嘘つきの人殺しだって。俺は穴をただ覗いていただけだ。叱られるのが嫌さに、穴に入っていたと嘘をついた。あんな騒ぎを引き起こすとは思ってもみずにな。

――――それは……おじさんが悪いんじゃないよ。あの人たちは自分から落ちていったんだ。

 男はまた黙った。力を込めてボルトを締めるごとに、十字型の痣が生き物のように伸び縮みする。陽が落ちて、周りは急速に色を失っていく。少年の大きな瞳だけが薄闇に輝いた。

――――それで、その……中には、何があったの? 何が見えた?
 十字の動きが止まった。男は小さくため息をつき、道具を地面に置いて何事か呟いた。少年は、今なんて言ったのと膝でにじり寄った。

――――まったく、皆いつも同じことを聞くな。あの下には……何も無い。ただの穴さ。何一つ見えなかったし、聞こえなかったし、感じられなかった。なぜ穴が開いたのか、なぜふさがらないのかは俺にはわからない。だがこれだけは確かだ。あの中には、何も無い。

 なあんにもな、と肩をすくめ、男は十字のない方の手で道具を仕舞い、荷物を背負って歩き出した。少年はしゃがみこんだまま、夕闇の中徐々にくすんでいく鉄蓋の色を眺めた。やがて遠ざかっていく男の後ろ姿が見えなくなると、少年は身震いをして立ち上がり、帰るべき我が家に向かって全速力で駆けていった。

<了>


気が向いたらこちらへ♪
にほんブログ村 小説ブログへ
にほんブログ村

23 件のコメント:

  1. おさ子ったら読書日記いっぱい書いてるじゃないのっ 越前和紙ほったらかして。早く教えなさいよ、もううううっ

    この短編に関係なくて恐縮なんですが、私もいま、遅ればせながらドスト読んでます。時間がなくてなかなかですけどね。えっと、地下室の日記、だっけ(タイトル覚えとけって?)面白くて昼休み超過しそうになって困る(笑)

    公募に出す長編書いてて忙しいというか、ブログやってる暇ないんだろうなと思っていました。いや、それも鋭意取り組んでらっしゃるでしょうけど、それに加えてこのブログもだなんてほんとにスーパー母さんね、おさ子!

    返信削除
  2. midiさん
    素早いお越し、ありがとうございます♪
    実は小部屋のサイドバーにこっそりリンク貼ってあるんですが、だーれも気づいてくれなくて(当たり前)。お知らせ遅れてすみません。

    和紙の方もネタはあるんですがちょっと決まってないこともあり、書けないんですよー。で放置。
    しかし読書日記は書いときたいし、短編やらなんやらも実験したいしで、結局こんなブログを作ってしまいました(笑)。

    地下室の日記ならぬ手記、ですね♪えーと去年だか?に読みました。現実にこんな奴が身近にいたらウザイと思いますが(笑)確かに読みだすと止まらない感じしますね。ドストって罪と罰さえもきちんと読んでないので、今後の課題にしたいと思います。

    ところで短編の感想は?……微妙なんでしょうか。しくしく。

    返信削除
  3. あらーーー、私の大事なお姫様をかどわかしていたと思ったら、すごい事になっているじゃーーーあーーりませんか。
    ではまた出直しじゃーーー、覚悟しなはられやよまれーーうにゅうにゅ。

    返信削除
  4. えっとね、(2)までは面白い、すごく! でも(3)で、あそうなのねやっぱり、みたいな。なんというかいい意味で予想を裏切ってほしかったのですけど。

    でもぐいぐいと読ませますからね。さすがですね、そこんとこは。

    返信削除
  5. 預言者様
    いらさいませー♪長の不義理をお許しくださいましっ。
    いろいろ実験君♪をしたいので、今後忌憚ないご意見及び祝福(笑)をお願いいたします。

    midi様
    うっ、やっぱりそうですよね。これ、ラストのセリフがパッと頭に浮かんで、それに沿って書いたんですよ。だから割とさくさく書けてあまり引っかからなかったんですが、ヴァッキーさんにすっごい期待まんまんのコメントをいただいて初めて「やばい、ありきたりかも」と思い始め・・・。
    もうちょっと破天荒にいくべきでしたねー。ウチダさんの言うように、自分でもどういう結論(結末)になるのかわからない文章、というのがよろしいのでしょうね。まあいろいろ、頑張ってみます。これからも遠慮会釈ないご意見をビシバシと(笑)お願いいたします。

    返信削除
  6. すみません、まだ読んでないですが、祝福について。
    私は思うのですが、何が力があるって、一番というか絶対なのは、愛だと。要するに許しと祝福です。この力を世界に投げ出せば、怖いものはないです。(笑)
    そして世の中は怖れだけです。虚実の境目にある真実は、余りにも狭いくせに、簡単に抜けられる代物?です。
    この明白な領域からの贈り物を、知らん振りするように手懐けられた人類の、脱出とは、逆説的に侵入することかもしれない。
    浸透圧がこれほど高い時代は、いままでなかった。どうかあなたの成功が、世を照らすことに直結しますように。祝福を。

    返信削除
  7. 預言者様
    いやあ、なんかこう懐かしいですね♪
    私の成功……いつそんなものが手に入るのやらわかりませんが、ゲットすべく頑張りますねー。
    浸透圧の高い時代、なるほどなるほど。なんかしみますなあ。いや駄洒落じゃなく。

    返信削除
  8. さあ、最終話だ!
    あれですね、最終話としつつ、後日談って感じの夕方ですね。
    2.1話~2.9話まであるような、そんな雰囲気です。

    この前、『ブリキの太鼓』っていう映画のDVDを買ったんです。
    原作が3部作になっていて、その2部までを映像化したんですけど、ほとんど原作そのまんまでした(笑)
    執拗なまでにそのまんまだったので、ビビりました。
    今回の『穴』のお話を読んで、これは長編だなあと思ったんです。
    いろんな人物が『穴』に関わるわけです。
    あ、そうだ!
    『穴』で、みんなで連作ってのもいいですねえ。
    やりませんか?

    返信削除
  9. ヴァッキーさん
    読んでくれてありがとう♪
    何か物足りないわけですね、わかった♪
    短編はホント難しいなー。物語を広げすぎてもダメだし、まとまりすぎてもなんかつまんないし。
    精進しますわー。

    「ブリキの太鼓」、私は映画しか観てないんですよ。あのまんまの雰囲気なら原作かなり良さそうだなあ。読んでみまーす♪

    出た「穴」連作!
    この短編は、何処の国ともいつの時代ともはっきりさせてないので、そこら辺を各自で明確にして書いてみると楽しいかもね。
    で、誰が参加してくださるのかしらん?(わくわく♪)
    そういう記事を作ってコメント欄に投稿してもらえばいいのかな。

    返信削除
  10. 自分のブログにお誘いの記事を作ってみました。
    なんか、不都合な点があったら教えてください。
    勝手にやっちゃったので、スミマセ~ン。

    返信削除
  11. ヴァッキーさん
    今観てきたー♪
    いいのではないでしょうか、紹介までしてくれてありがとう!
    ヴァッキーさんのブログもリンク貼っときますね。

    返信削除
  12. 僕の大好きな映画、アンドレイ・タルコフスキー監督の「ストーカー」を思い出しました。人類にとって未知のゾーンがある日突然できて、そこの中心に行けば願いがかなうという伝説が生まれて、密猟者(ストーカー)と物理学者と作家の三人がゾーンを旅する話。宇宙人の足跡?ごみ捨て場?キャンプ跡?
    ある理解を超えた存在を前にして、人それぞれが自分なりの意味づけをしていく・・・
    そういう感じがこのお話と同じテイストを持っているなぁって思ったんです。
    だから、穴が穴にすぎないことがわかる3が僕は好きです。
    でも読む人によっては、いやそれでもこの穴は・・・と解釈したくもなっちゃう。
    そういうブラックボックスなんですよね、穴って。


    競作、僕も参加させていただこうと思っています。
    穴があったら入りたいような、
    どこに出しても恥ずかしいような、
    そんな文章しか書けないんですけど・・・

    返信削除
  13. 矢菱虎菱さん
    タルコフスキー! といえば、ものすごく綺麗なのに、ものすごく空虚で寂れた情景を撮らせたら天下一品ですよね。「ソラリス」の宇宙船も、白くて清潔なんだけどなんだかこう、うらわびしいというか。映像そのものが語ってるんでしょうね。
    「ストーカー」良さそうですね、観てみたいリストに入れます♪

    >穴が穴にすぎないことがわかる3が僕は好きです
    ありがとうございます!ヴァッキーさん宛のコメントにも書きましたが、最初にこの場面が出てきて、それに肉付けしていった形なのでそういう感想は嬉しいでーす、わーい!

    >穴があったら入りたいような、
    どこに出しても恥ずかしいような、
    そんな文章しか書けないんですけど

    (爆)
    こういう当意即妙が私には足りないのでとっても刺激になります、楽しみにしております♪

    返信削除
  14. はじめまして。私のブログにコメントを頂き、ありがとうございました。
    この話、面白いですね。
    2話、3話とそれぞれ違った展開で楽しめました。
    人間って、奇蹟とか好きですからね。
    ただの穴がパワースポットになっちゃうんですから(笑)
    この十字の痣の男は、小さな嘘で、心にも一生残る痣を作ってしまいましたね(きれいにまとめちゃった!)

    返信削除
  15. りんさん、いらっしゃいませー♪
    この頃パワースポット流行ってますよね。いろいろ世の中が落ち着かないから?皆何かにすがりたい気持ちが強いんでしょうか。
    そういう私も神社好きですが。

    >小さな嘘で、心にも一生残る痣を作ってしまいましたね
    おおお、10.0の着地!

    読んでいただいてありがとうございます、なんだかよくわからないブログですがまたいらして下さいね。

    返信削除
  16. はじめまして、銀河です。
    穴がパワースポットに、パワースポットが墓場に!
    三波春夫の大東京音頭「人がワニになる、ワニが花になる」以来の衝撃です(笑)

    欲に駆られた人間は穴に落ちるしかないんですね。
    悪魔にそそのかされて羊たちが崖から落ちてく話を思い出しました。もっともその者が神か悪魔かは羊の側からの評価軸に基づいた呼び方なわけですが。

    返信削除
  17. いやー、面白かったです。
    ちゃんと行きて帰りし物語になってますし、美しい構成ですね。
    塞がりきらない穴は人間の暗部を象徴してるのかな。
    その中を垣間見た少年はひとつ大人になったのかも。
    こういう穴の設定だと、どうしても星新一さんの
    「おーいでてこーい」を思い出しちゃいますね(笑)

    返信削除
  18. はじめまして。
    今回、おさかさんのアイデアに便乗させていただいたia.といいます。

    不思議な伝説と少年の微妙な心の動きの絡み方が絶妙ですね。
    もくもくとボルトを続ける心に去来するものは何なのか。
    「穴」という底知れないものに隠された闇の深さに驚きました。
    とっても良かったです。

    返信削除
  19. わーい、一杯コメントが入っててうれしいな♪
    皆様、ようこそいらっしゃいました。読んでいただいて本当にありがとうございます!

    銀河径一郎さん
    いらっしゃいませー♪
    ここで三波春夫先生が引き合いに出されるとはさすがヴァッキーノ仲間です(笑)。

    >羊たちが崖から落ちてく
    これ読んで、最後の話に、ペンギンが大挙して氷から海に次々落ちてく動画を貼ればよかったなと後悔(笑)。何か次に書いたら絶対載せます。・・・て、全然関係ないですね。すみません。

    レイバックさん
    褒めすぎでーす(照嬉)。
    ところでレイバックさんてサザンファン?
    「忘れじのレイドバック」て…あ、レイドバックだった。
    すみません独り言です。

    ia.さん
    あああ、褒め殺されるう(照照嬉嬉)
    ところでia.さんは楳図かずおのイアラって・・・
    すみません独り言です。

    皆様ありがとうございました。
    楽しい企画でしたね♪

    返信削除
  20. はじめまして。
    みなさんの作品を楽しませていただいております、
    もぐらと申します。

    うーん、時間の流れが「時代」とか「歴史」になりつつある
    瞬間を切り取ったような作品ですね。
    その時間の中心に生きている登場人物は変わらず、
    それでいて多くは語らず人間の心の傷、欲、懺悔、生、
    死、無 そういうものを感じます。

    ありがとうございました。
    楽しかったです。

    返信削除
  21. もぐらさん
    いらっしゃいませー♪
    読んでくださってありがとうございます!
    いろいろ感じていただいたようで嬉しいです。

    「語り」のようなお話、を書いてみたくてこういう形にしました。
    次回はまた違う感じでやります。
    主がものぐさゆえに不定期更新なブログですが、
    また是非おいでくださいね、お待ちしております。

    返信削除
  22.  なんていうのかな、おさかさん独特の、背景の重層さが、バックストーリーの絡みの、言外の進行性が、余韻というか、その面持ちが少し足らなかったような。
     確かに穴に全てのことを投影できるのであるが、逆にそのことが、ストーリーの綾をスポイルしているとも思う。

     生とは明暗の皴であることが、穴によって埋められ、そして穴によって広げられる。

    返信削除
  23. 預言者様

    >確かに穴に全てのことを投影できるのであるが、逆にそのことが、ストーリーの綾をスポイルしているとも思う

    鋭いですねえ、確かにストーリーの起伏はあまり考えませんでした。淡々とというのは狙ったんですが、最後までそれじゃいけないですね。さっぱり系だと思ったら妙に腹持ちがよくて満腹感あり、とかその逆とか。

    「穴」が主人公だからそこにもっと含みを持たせてもよかったですね。
    よしもう一回穴覗いてきます(笑)。
    ありがとうございました。

    返信削除