「動乱の日本戦国史」
久しぶりの呉座さん。とはいえ積読大量にあるの。ちょびちょび読んでますの。読むのに気合とパワーが要るんですよ中身濃くて。

「動乱の日本戦国史」呉座雄一(2023)
思えばこれ、大河「どうする家康」の終盤辺りで購入したんだった。「鎌倉殿の13人」からこっち、大河製作スタッフは極力最新の学説を踏まえた上で上手にエンタメ化する技術を手に入れた、ような気がしている(勿論、監修の先生がたの多大な努力もあり)。中断していた大河鑑賞を「鎌倉殿」から本格再開した私なので、もっと前からとっくにそうなってたのかもしれないけど、おおーこの史実をこういう風に料理したか!そう来るか!と唸りつつ観るのは中々の中毒性がある。
この本は時期的に、「どうする家康」視聴組をだいぶ意識したものかと推測する。あーこれドラマでもああしてたなこうしてたな、となる箇所多数。「狸」と言われた家康が実はそうでもなくて、都度悩み苦しみ凹みつつ、家臣の力も十二分に借りて大きな危機を何とか切り抜け乗り越えた「普通の人」(勿論才がある人ではあるが)だったという描き方と展開は、相当画期的だったように思う。まず以てタイトルが秀逸なのよね。国と民の未来を左右する大きな決断を何度も何度もしなければならなかった、一か八かの瀬戸際に常時立たされていた、その状態をタイトル一つで明確に表してる。現状で一番最適な道を選んだつもりでも運もなければうまくいくとは限らない、その逆もしかり。想像するだに気が遠くなりそうだ。薄氷を踏むようなギリギリ状態から徳川の世が300年も続いたんだから、そりゃ「神君」とも呼ばれますわね。
話がそれてしまった。この本、「はじめに」だけでもうズドーンと来る。内容は七章に分かれていて、「川中島の戦い」「桶狭間の戦い」「三方ヶ原の戦い」「長篠の戦い」「関ヶ原の戦い」「大坂の陣」「豊臣秀吉の天下統一過程」とあるが、それぞれの章を読む前に「はじめに」を読み直すとますますズンと来ます。いやホントに。
「日本中世史学会で最も研究が遅れていた分野は、これら戦国時代の合戦なのである」
これは呉座さんの他の本でも目にしたことのある一文だが、どうしてそうなったかの経緯が端的にここで書かれている。
旧陸軍参謀本部が編纂した「日本戦史」は、過去の戦闘の実例から作戦・戦術を学ぼうとしたが、元ネタは「江戸時代の軍記類」。
→戦後、「歴史学は軍国主義への協力を反省し、軍事研究・戦争研究を忌避したため」、新たな合戦研究は行われず、この「日本戦史」がそのまま引き継がれる形となった。
→1970年代、「在野・民間の歴史研究者」が合戦の通説を見直す動き
→1990年代、「戦争論」が盛んになり現在に至る。
つまりたった30年くらいなのだ、「合戦の歴史研究」は。ブルーオーシャンにも程がある。この時代は文書も大量に残っていて解析が大変、と聞いたことがあるが研究者にとっては汲めども尽きぬお宝な時代なのではない?
そして私が一番ぐっときた最終章、「惣無事」のくだりである。これはもう私の拙いまとめ能力じゃ無理というか、変にまとめることで落とすものがあまりに多くありそうで怖い。怖いが、自分のために覚書として抜粋も入れて無理くりまとめてみる。
戦闘の原因の殆どは「国境紛争」、境目の城の取り合いである。
→よって戦闘を停止させるには、この問題を解決せねばならない。
→その手法のひとつが「惣無事」:「境目領主の温存をはかって、多くの周辺領主によってそれが承認・維持される」というもの。境目領主とは、対立する勢力の境界領域、いわば最前線に位置する領主のこと。どちらかの勢力についたり離れたりする勢力を温存することで領域確定を先送りする
対照的なのは「国分」:境目領主の利害は無視し、大大名同士で国郡を境目として機械的に領域を確定。
「惣無事の場合、(国分のような)強制的な秩序改変は行わない。何となく中をとって、みんながまあまあ納得できる、丸く収まるところを模索するということになる。旧来の秩序が維持されるのである。当然、一時的な停戦にしかつながらず、紛争の再燃も懸念される。根本的な問題解決にはならないが、当面の危機を回避できれば良いという微温的な措置が『惣無事』なのである」
「たとえば現在、ロシアがウクライナを侵略している。ウクライナはロシアと停戦することを望んでいるのかというと、必ずしもそうではない。ウクライナにとってベストのシナリオは、アメリカやNATOが参戦し、ロシアを徹底的に叩くことだろう。」
「弱い側から見ると、一時的に停戦が成立しても、全然安心できない。一時的に停戦したところで、また戦争が勃発したら、今度こそ滅ぼされてしまうかもしれない。だから、別に停戦協定など結びたくない。彼らにとって一番望ましいのは、徳川家康とか豊臣秀吉といった大大名が北条を滅ぼしてくれることである」
「(上からの法令という形ではなく)関東・東北という地域における領主たち、武士たちによる平和への取り組みとして『惣無事』を捉える方が、意味があると考える」
大河は去年が平安、今年が江戸、と二年連続合戦のない時代が続いたところで、来年はまた「豊臣」の時代となるが、これで俄然楽しみになってきた。豊臣秀吉もまたいろんなイメージが先行してる人物。きょうだいの目を通じて、これまでにない新たな秀吉像が描かれるのではないかと期待してる。昨今軽視されがちな「人文系学問」、どうして捨てたものではない。というよりハッキリ役に立つと思うのよ色んなことの理解に。もしかしたら様々な紛争解決のヒントになり得る可能性も。
呉座さん、小泉悠さんと対談でもしないかしら。何なら一緒に研究も。本出たら買う。

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