「鹿の国」
突然思い立ってGW前の土曜日に行ってきやした。都内のミニシアターは、学生の頃住んでいた場所の隣駅。駅ナカはすっかりキレイに変身してたけど、周辺にはまだまだ昔のままの雰囲気が残ってた。元中央線沿線民としては懐かしさばかり。
5/1(木) #鹿の国 初日舞台挨拶
— Cinema Chupki(シネマ・チュプキ・タバタ) (@cinemachupki) May 1, 2025
ゲスト🎙️#弘理子 監督
恐ろしい事をしていたのでは?…と、ずっと謎に包まれていた「御室神事」。諏訪信仰の根幹が見られる貴重な映像の記録。諏訪のおじさんたちとの面白いエピソードも交えて、お話下さいました☺️
上映は今日から5/16迄!お見逃しなく‼️ https://t.co/bO5yOv7Tt7 pic.twitter.com/mlWG0x9mTF
「鹿の国」弘理子(2025)
信州・諏訪大社の四季の祭礼を追ったドキュメント映像、その合間に「御室神事」の再現が挟まる。初めはこの再現も地元民がやってるのかと勘違い、あまりの発声の良さ・演技力に驚いたが、さすがに途中であ、役者さんだよねと気づいた。神様とその側近役のお子さんたちは地元の子なのかな?ガイドブックには「信仰の再現」とあったけどこれは「役者による神事の再現」よね。信仰は再現できないでしょう。これをきっかけにその「幻の神事」が見直され復活して、何年かに一度でも行われるようになったらいいな。何にし映像として残したのは大変すばらしいことだと思う。
考古学者や史学者をガッツリ巻き込みつつも一般人にも映画として楽しめるよう、かといって過剰な説明などすることなく最低限にして、基本的にはそこにある風景や音をそのまま映す、という抑えた演出(とはいえ監督さんの思考や嗜好はバリバリに感じられる:もののけ姫大好きだなきっと)は好感が持てた。ぶっちゃけ祭礼を淡々と追うだけでも私には十分面白かった。日本人ならば誰しも「いつかどこかで見た風景」なんじゃなかろうか?私の実家の近くには古くから紙の神様を祀る大滝神社があるが、そのお祭りにも重なるところ多くて驚いた。とくに諏訪大社の祭礼で綱を引くときの「おいさおいさ」という掛け声、大滝神社での神輿担ぎ時のそれとまるっきり同じ!「神社にて行う法華八講」もまた、式年大祭にて観たことがある(こちらも絵図には残っているものの長く廃れていたという)。神社の参道をお坊さん集団が行進して、拝殿の前でさまざまな儀式を行うのはなかなか壮観だった。まさに「神仏習合」の可視化。
この大滝神社(1500年前~)よりさらに歴史が古く多種多様な祭礼や儀式が現存している諏訪大社だが、ただ漫然と同じことを続けてきただけ、では全然ないことが、冒頭から即座にわかる。画面に映り込む動物愛護団体の「諏訪大社は動物を殺すな」という横断幕。以前は鹿を生贄として捧げていたが、今は剥製と鹿肉を供えることになってるらしい(鹿射ちの猟師さんがお祭り用に神社に持ち込む)。その時代時代の価値観を完全拒否するのではなくやんわり受け止めかつ芯は損なわず、双方の落しどころを見つけてきたからこその存続なのだろう。面白いのは「鹿食免」というお札。この地に仏教が入ってきたときに鹿の殺生を生業としてる人はどうしましょう、となって、免罪符的なお札が考案され、猟師さんは今も皆これを家に祀ってるという。仏教側の理屈としては、
「(殺生はいかんと放してやったにしても)他の人間に殺されたりもっと強い動物に食われたりして、結局生きてゆくことができない。ゆえに人間が食べて一体となることで、その人間が成仏して一緒に救済されるのがよい」
ということらしい(うろ覚え。もっとうまいこと言ってた)。
てな感じで全般的に面白かったのだが、田植えのシーンだけ???となった。移住して12年の男性が今年初めてコメ作りにチャレンジ、というやつ。それ自体はいいとしてそのお方の服装が昔ながらの着物に裸足!裸足はやめてほしかった。絵的な問題でそうなったのかもしれないけど、普通に危ない。土の中に何があるか知れたものじゃないし、足に傷でもつけたらマジ危険。お手伝いに来てた地元民はプロのお婆ちゃん筆頭に皆上から下まで完全防備だったやろがい。小学生の田植え体験だって足にはお父さんの古靴下二枚重ね&捨ててもいいボロ靴なんだべ?そこは「昔ながら」とか要らないんだわ(←うるさい)。
まだお若い監督さん、昔の映画業界にありがちな「社会活動」的な方向へ振れないよう、今後も「好き」の具現化を頑張ってほしい。面白かったです。

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