帚木(十)
「なあに侍従ちゃん」
「ヘンな噂、聞いたんだけど」
「誰のどういう噂?」
「ヒカル王子よー、今もちきりじゃないっ。右近ちゃんたら知らん振りしてっ」
「あはは。アレね」
「アレってなにー!方違えの先で、人妻、ひ・と・づ・まと、ナニかあったんでしょっねっそうなんでしょっ」
「知ってんじゃないの(笑)」
「うわーん聞かせてよー(泣)」
「わかったわかった、何も泣かなくても」
実録!オフィスの情報通、右近姉さんが語る真実のヒカル王子!
貞淑な人妻はそのとき・・・・・・
「何勝手にアオリ文句つけてんの、侍従ちゃん」
「えーだってー。このほうが気分出るしいー。女性○身とかセ○ンみたいでしょ?」
「ていうか実話系オヤジ雑誌みたいなんだけど。ア○芸とか。ま、いいや」
「大体さ、なんで人妻とそういうことになっちゃったわけ?いくら地方公務員(受領)とはいっても、そこそこの地位の人でしょ。奥さんなんかシッカリ隠しとくもんじゃない。いくらヒカル王子でも手が出せないよね、そうそう」
「そうなのよ、それが急な方違えのはた迷惑な側面なわけよ、侍従ちゃん。
そんなに大きな屋敷でもないしさ、ただでさえ親戚が物忌で大勢来てるのに、さらにヒカル王子みたいな身分の高いお客さんなんて、もうそれはハンパない気遣いが要るし大変なわけよ。家具なんかゼーンブとっぱらって別の部屋に押し込んじゃってさ、とりあえず見栄えのよさげな場所を空けた、って感じだったのよね。
紀伊守からしたら、父の伊予守が不在のとき万が一にも自分と継母に間違いがあったなんて疑われると非常にまずい。
そうそう、ここだけの話だけど、この息子も実は、わっかい継母のことが気になってた。だからこそ、自分のいるところからはとりあえず離したわけ。だけど何しろ現場は混乱してるから、どこに誰が寝るかなんていちいち関知していられなかった。
それで結果的に奥さん、王子のすぐ隣の部屋で寝ることになっちゃったわけ」
「ヒエー!うらやましい!」
「バカね。奥さんの方は夢にも思ってやしなかったわよ、隣にわくわくしながら辺りをうかがってる王子がいるなんてさ。弟と呑気にお喋りしてたくらいなんだから」
「おつきの人って、いなかったの?普通いるよね」
「暑い日だったからね。中将さんって人を呼ぼうとしたんだけど、水浴びにいっちゃってたみたい。他のメイドさん(女房)たちはちょっと離れたところに寝てた」
「弟は」
「弟だってコドモじゃないんだから、一緒には寝ないわよ。どっかいっちゃった」
「てことは」
「そう。若い二人を隔てるのはうっすい障子、しかも向こうからは鍵もかかってない、あとは衝立だけ」
「がーん!」
「眠りかけていた奥さんの枕元に」
「うっ」
「そっと近寄るヒカル王子」
「でっ」
「中将をお呼びでしたので、参りました」
「あう。確かにヒカル王子の当時の役職も中将よねっ」
「長い間思い続けておりました胸のうちを聞いていただきたく」
「あぁあ!うっとり」
「侍従ちゃん、落ち着いてね。こんなの常套句じゃないの」
「へ?嘘なの?」
「お父さんの社長(帝)からちらっと話は聞いてたみたいだから、知ってはいたんだろうけどね、思い続けてた、ってのはねえ。可愛い少年と紀伊守の話を聞いてから、つまりついさっきってことじゃん?(笑)」
「あうう。で奥さんの方は」
「侍従ちゃんさ、いくらなんでも、たとえ彼氏でもよ、知らない間に枕元に立ってたら、どうよ?」
「怖えーよ!」
「あら侍従ちゃんはしたない言葉遣い」
「失礼しました右近ねえさんっ。ありえないね、たとえヒカル王子でもさ。心の準備ってもんがあるじゃん。下着だって考えたいしー♪」
「ちょっとちょっと侍従ちゃん、アナタとは違うのよ。奥さん、元々はいいとこのお嬢さんでさ、すっごいマジメな人だったから、とてもとても適当に楽しんで♪ってわけにはいかなかった」
「ええ?!ヒカル王子をもってしても?!」
「そもそも、たまたま方違えに来て、たまたま近くにいたからっていって忍んできたってのバレバレじゃん」
「そりゃそうだね」
「こっちが身分低いからって、馬鹿にするにも程があるわっ、現代で言うとパワハラじゃないのっ」
「ふんふん」
「でもね、抵抗もむなしく」
「えっ」
「ヒカル王子は嫌がる人妻をお姫様抱っこして」
「えええ」
「中将、夜明け方に迎えにおいで、と言って奥の部屋に消えたのでした」
「ひー、ヤバーイ」
「侍従ちゃん、嬉しそうよ」
「えー、でもなんか、ちょっとロマンじゃない?今をときめく超イケメンのヒカル王子と一夜を♪いい記念てもんじゃないー?だってその奥さんの夫って、あの伊予介でしょ。フツーのオジサンじゃん。あたしならそこまでいったら観念しちゃうなあ」
「ところが人妻はそうはいかなかった。
体を硬くしたまま、決してノリノリにはならなかった。ヒカルがいくらくどいてもね。さすがのヒカルも、これはヤバイ、いつもと違う、と思い出した」
「ふんふん」
「夜明けがた、皆が起き出してきて、中将が心配げに待っていても、ヒカルは奥さんを離す事ができない。だってかたくなに拒否ってる雰囲気をどうにもできなかったから」
「モテ男のプライドにかけて、て感じ?」
「それもあるかもね。ちょっと遊ぶだけのつもりが、なんか超後ろめたい。無理やりやっちゃった、みたいな感じで終わりたくはなかった。どうしても」
「んなこといったってねえ(笑)若いわね、王子も」
「やけに分別くさいわね、侍従ちゃん。でもそのとおりなのよ。言えば言うほど奥さん、ヒカルのことが信じられない。嘘ばっかつくなー!てね。ていうかそれどころじゃない、夫の伊予介への罪悪感で頭が一杯。忘れたいからもうほっといてくれー!て感じ」
「でも王子、駄々をこねる」
「そ。しぶしぶ帰っていくんだけど、そこは抜け目なくて、数日後にちゃっかりあの少年、人妻の弟を、気に入ったからと紀伊守に頼んでつれてきたもらう。もちろんお手紙の渡し役にするため」
「ほうほう。やるねー」
「だけど奥さん、あくまでつれない。『お人違いだといいなさい。あなたもこんな手紙をことづかってきちゃダメ』なんて弟を叱ったりして」
「で、王子ますます燃える♪」
「よくわかったわね♪侍従ちゃん。そうなのよ、こうなりゃ意地よね。王子は手ぶらで帰ってきた弟に『そもそも私の方が、あの伊予のダンナより先に思いをかけてたんだよ。若過ぎて頼りないと思われてるようだけどさ、あのダンナももうトシだよね?後のこともちょっと考えたほうがいいと思わない?』などと吹き込むわけよ」
「まあー、腹黒ねえ、王子ったら」
「そうこうしてるうちに、また方違えのチャンスが巡ってくる」
「それでまた同じ屋敷に行くわけね、お庭が気に入ったからとかなんとかいって」
「そうそう。紀伊守は大喜び、一も二もなくお受けする。だけど人妻はじょーだんじゃない、と生きた心地もしない。すぐさま中将さんに『ちょっと具合が悪いから、あなたたちの部屋でマッサージお願いするわ』なんて言って奥の部屋に引っ込んでしまうわけ。弟もカンタンには見つけられない場所にね。やっと探し当てて半泣きの弟に『コドモがこんなとんでもない仕事するんじゃないの!適当に誤魔化しときなさいっ』と叱責」
「ふーん。ホントにヤなんだねえ。ヒカル王子そのものがイヤっていうより、不倫が許せないって感じなのかしらん」
「そうねー、逡巡はあるわけよ、彼女にしたって。あんなに拒否ることなかったかも、相手は身分の高いイケメン王子、とても自分には手の届かない畏れ多い人なのに、失礼だったかしら。いやいやでも、独身だったときならともかく、今つきあうわけにはいかないんだから、もうこうなったら情のわからない頑なな女で押し通すしかないわ」
「ううむ。なんか可哀想・・・かも」
「そうなのよ。でも当のヒカルはイマイチわかってない。なんでこんな強情張るのかなってスネちゃって、こんな歌を贈るのよ
『近づくと消えるという帚木(のようなあなたの心)とは知らず
迷い込んでしまいました
直接申し上げたいところですが・・・・』
彼女も一晩中眠れなかったみたい
『数ならぬ身の私ですから
帚木のように姿を消したいのです』」
「な、なんか、泣けない?」
「いじらしいわよね。それでますます王子は忘れられなくなっちゃうのよ。弟を代わりに傍に置いたりして」
「ほうほう右近ちゃん、それではまだ」
「察しがいいわね侍従ちゃん。そう、続きがあるのよ」
>>「空蝉」につづく
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