2011年4月21日木曜日

もうすぐ五月

忘れないうちに書いておく。

2011年3月11日金曜日

午後、小学校の周年記念実行委員の打ち上げランチから帰宅。ネットをしつつテレビの国会中継をナナメ観していたら、突然地震警報が鳴り響く。東北方面がマークされている。初めて見る警報画面に驚いていたら部屋が揺れ始めた。最初はゆっくりだったので座ったまま様子をみていたが、揺れは止まるどころか徐々に大きくなっていく。もはや体験したことのない揺れの規模。さすがにじっとしていられず、携帯を握りしめてベランダの戸と玄関ドアを開けた。玄関戸棚の金魚の水槽から水がバシャバシャ溢れている。慌てて段ボール紙をかぶせてガムテで固定。玄関のたたき水浸し。まだ揺れているのでとりあえず後始末は置いて外に出る。
道を歩く人が二、三人、きょろきょろ辺りを見回しているが、騒ぐ声は無い。つけたままのテレビが、地震の規模がマグニチュード8であること(のちに9と訂正された)、三陸のほぼ全域の津波警報を告げていた。

携帯電話やメールはすぐに通じなくなった。固定電話は始めのうち通じたので双方の実家に連絡し無事を知らせた。都内で働く夫とは連絡がつかなかったものの、普段から、このようなときは無理に帰宅せず会社に泊まると言っていたし、東京や埼玉はほとんど被害がなかったこともあり、さほど心配はしていなかった。それよりこれからもしさらに大きな地震が来たら、子ども3人を連れてどう逃げるか、そればかり考えていた。

あの津波の映像をいつどのようなタイミングで観たのか?ほぼリアルタイムに近い、第一報を観たことだけは間違いないが、ここのところ時系列がはっきりしない。余震も頻繁にあったし、やはり相当に動揺していたのだろう、断片的な記憶しかない。

震災で一色のテレビを横目に、それでも普通に夕飯は食べ、宿題もさせ、しかし習い事はすべて自主キャンセル(後で振替になった)。
日常と非日常が入り交じって変な感じ。
とりあえず停電に備え水のくみおき(マンションなので水道も電気を使う)、懐中電灯の用意、携帯やDSの充電(灯りがわりになる)。家具の開き戸をガムテで止め、高い位置にあるものは下におろし、転倒防止用の突っ張り棒を再確認。
かなり寒い日だったがリビングから廊下に通じるドアは、閉じ込めが怖くて開け放したままにした。
JRがすべて運行を休止した時点で夫は帰って来れないと判断。子ども三人を服のまま和室に寝かせ、枕元には荷物とスリッパ。私はリビングで布団にくるまった。地震速報を聞くためテレビはつけたまま。うとうとするたびにあのチャイムに起こされ、揺れが収まるまで身構え、ほとんど眠れなかった。

翌朝。

明るい部屋の中でテレビが津波の映像を繰り返し流す。ああ、夢じゃなかったんだ、と思った。取り返しのつかないことが今起こっている。自分たちは暖かい部屋でこうして無事にしているが、現地の人たちはいったいどのような夜を過ごしたのか。胃がきりきり痛む。それ以上想像をすることを無理矢理に止め、子どもたちに朝御飯を作った。

0 件のコメント:

コメントを投稿