2015年12月25日金曜日

夕顔 最終話 ~楽屋にて~

「右近ちゃーん♪」 
「侍従ちゃん!」 
「お疲れ様ー! とっておきの玉露、淹れてきたわん♪」 
「ありがとうー! 持つべきものは友達ねえ(涙)一緒にさっきの八つ橋いただきましょ♪ 侍従ちゃん、そこ座って。はい、お座布団」 
 がさがさ、もぐもぐ 
「ふーん、おいひいー♪」 
「お茶にあうわー♪」 
「ところでさ右近ちゃん」 
「なあに侍従ちゃん」 
「ヒカル王子さ、右近ちゃんに

女はかよわくてでしゃばらず、騙されても気づかない、つまりちょっと頭弱い子がいいよね
なーんていってたけど」 
「あー(笑)まあまとめるとそんな感じだわね」 
「はー、ほんと男ってさあ……でもね右近ちゃん。夕顔さんって確かにちょっと天然ちゃんで不思議ちゃんだけど、頭は悪くないよね?」 
「そうね。王子のことだってうすうす知ってて知らんぷりして、恨みごとをいうのを楽しんでたわけだから。なかなかいそうでいないタイプかも」 
「おバカタレントみたいなもん? なーんにもしりませーん私、と見せかけて実はのらりくらりと計算ずくの対応」 
「うんうん。あ、あとね侍従ちゃん……あ、これはいいか」

「え。なになに?言いかけて黙るってやめてよ右近ちゃん。気になるじゃん」
「うーん。こんなこというのも何だけどさ…ま、平安時代だからいいわよね!あのさ、夕顔さんて」
「うん?」
見える人、だったんじゃないかと思って」
「……な、ななななななにが?!」
「あーあほらーやっぱり言わなきゃよかった。まあ落ち着いて侍従ちゃん。だって、いくらなんでも持病も何にもない若い女性がよ?あんな感じで急に死んじゃうって普通ありえないじゃない?」
「そ、そうね。言われてみれば」
「異常なまでの怖がりっていうのも、実は普段からいろいろ見えてたんじゃないかなあ。だから行くのも渋ってたし、行ったら行ったで廃屋に近い、風水的にも最悪の場所で、それでもヒカル王子のポジティブパワーで何とかなってたんだけど、いかんせん長く居すぎた。だから皆、知らず知らず汚染されてしまった、禍々しいものに」
「がくがくぶるぶる…」
「皆寝ちゃって、ヒカル王子のパワーがオフになってる状態、つまり丸腰のまま、明らかに夕顔さんに対して害意のある物の怪に、半端ない負のオーラを浴びせられたと……」
「ひいいい……」
「どんだけ怖ろしいものを見たのかしらねえええ……」
「…………」
「つまり夕顔さんて、他人から向けられる感情にすごく敏感な人だったんだと思うのね。だからこそヒカル王子の好みだとか、何を望んでるかとかを瞬時に察知して、ハートをキャッチ♪することができたんだろうけど、嫉妬とか憎悪とか、悪い感情も同じように入ってきちゃうんだよね。空気読むのが上手い人って、得てしてそういうとこあるもん。
頭の中将の奥方からはなんとか物理的に逃げ出せたけど、逃げ場のない廃屋で、相手は実体がない物の怪でスルー不可能。強烈な負のエネルギーをストッパー無しでまともに食らっちゃったんだよね。そりゃ心肺停止もするわ
「…(泣)…そ、そういえばさー! 空蝉さんのとこ、ついに出発だって!」 
「あらそうなの? そういや伊予介おじさんが挨拶に来てたわねえ」 
「十月頭だって」 
「ふーん」 
「それでね、ヒカルの君がお餞別を山と贈って」 
「まあ、当然といえば当然」 
「その中に、空蝉さんが置いていったあの小袿もまぜといたらしいよ。もちお歌つきで。 


もう一度逢うまでの形見の品と思っておりましたが 
それもかなわぬこととなりました 
袖が涙で朽ちてしまいそうです』」 


「ほー。お返しは?」 


「あの少年が最後のお使いでね。 
蝉の羽の衣替えも終わった後の夏衣は 

返していただいても泣けるばかりですわ』」 

「ふむふむ。きっぱりしてらっしゃるわん。さすが空蝉さん」 
「きっぱり? 泣けるっていってんじゃん」 
「ふっ。このくらいの歌、

はい、これで何もかも終わりましたわね、おつかれさまでしたー♪
くらいのニュアンスでしょ」 
「あがが。ヒカル最後までつれなくされてっ」 
「だ・か・らこそ、忘れられないってわけ」 
ビバ空蝉の術ー♪」 

<「若紫」につづく> 

参考HP「源氏物語の世界」 

夕顔 ~右近ひとり語り~ その八(最終章)

       >>> その一  その二  その三  その四  その五  その六  その七  幕間

十三

 さてそれからまた幾日かのち、夕顔のお方さまの四十九日の法要が、比叡山の法華堂にて人目を忍びつつ、しめやかに行われました。

 正式な作法に則り、装束をはじめ必要なものを事細かに揃え、読経もさせられました。経典や仏像の飾りに至るまできっちりと行き届き、惟光さまの兄上である高僧の阿闍梨さまが、それは見事に催してくださったのでした。
 光君の学問の師で、親しくしてらっしゃる文章博士をお召しになり、願文を作らせることまでなさいました。誰とは言わず、亡くなった恋人を阿弥陀仏にお譲りするという旨、しみじみと書き表されましたものをごらんになった博士は

「いやこれはお見事、書き加えることなどありません」

と申されました。
 必死におさえていた涙がこぼれて、大層お悲しみの様子を見咎めて、

「いったいどういうお方なのでしょう。お噂にも上らなかったというのに、こんなに貴方さまを思い嘆かせるなんて。余程縁が深かったのでしょうね」

などと言っています。
 こっそりと誂えさせた、布施の装束の袴を手にとって

「今日は私が泣く泣く結ぶこの下紐を
いつの世にか再会して
解くことができましょうか」

 亡くなった者は、四十九日のあいだは中有を漂うといいます。その日も過ぎた今は、お方さまはどの道に定まって行かれるのだろうか、と思いながら、光君とともにわたくしも、心を込めて読経をさせていただきました。

 光の君は頭の中将さまに、何度もかの撫子の君が健在でおられることを知らせようとなさったようですが、何しろ夕顔のお方さまがこの世の人ではなくなってしまったので、責められるのが怖さに言い出すことが出来ないままでした。
 後で知ったことですが、西の京、お方さまのもう一人の乳母の家では、一体何処へ行ってしまったのかと心配しておりました。が、心当たりもなく、探しようもありません。わたくし、右近でさえも戻ってこないので、不審がり嘆きあっていたようでございます。
 定かではないが、おそらくこの人が関わっているのだろうと惟光さまを疑いますが、まるで知らぬ顔で、以前と変わらない様子で馴染みの女の元に通ってらっしゃいます。
 まるで夢のような心持ちがして、

「もしや、受領の息子か誰かが、頭の君を恐れて、夕顔のお方さまをさらって地方に下ってしまったのだろうか」

などという荒唐無稽な筋書きも考えていたとか。

 西の京の家の主人、お方さまの乳母には三人の子どもがおりましたが、右近めは他人でありましたから

「私には関わりないことと心を隔てて、事情を知らせないのだわ」

と泣いて恋しがっていたそうです。
 わたくしの方は、「右近がついていながらなんという迂闊なことを」と非難されるのが嫌さに、光の君のほうは、今頃になって人の噂になるのもよろしくないという理由で、お方さまのことはひた隠しておりました。
 あの撫子の君がどうなっているのか、知る術もなく時は過ぎていったのでございます。

 光の君は、夕顔のお方さまに夢にでも逢いたいと思い続けながら、法事を終えられました。

 ある夜のこと。
 あの女……あの、荒れ果てた院で見た女と、そっくりそのまま同じ姿が、ぼう……と光君の枕上に現れたとか。

「あの荒んだ場所に棲みつく物の怪が、私に目をつけたのだろうか?…そのせいでこんなことに?」

 と、思い出されるにつけても、気味の悪いことでございました。


 夕顔のお方さまのお話は、以上でございます。

 みなさま、この年寄りの埒もない昔語りを、長々聞いていただき、まことにありがとうございます。

 ……あの撫子の君でございますか?

 それはまた、別の機会に……何しろ何年ものちの話になりますゆえ。

 お疲れになったでしょう、今宵はごゆるりとお休みくださいませ。またいつか、何処かでお会いいたしましょう。

 では、ごきげんよう。

                                      >>>「夕顔」最終話 楽屋にて
参考HP「源氏物語の世界」 

2015年12月24日木曜日

夕顔 ~右近ひとり語り~ 幕間

……ただいまより、十分間の休憩に入ります…… 

「右近ちゃーん!」 
「あら侍従ちゃん、来てくれたのねん♪」 
「当然じゃなーい。右近ちゃん、スッテキだったわー♪ラストも楽しみー」 
「はー、超疲れるー、ひとり語りってすっごい大変。よそ行きの喋り方だしさー」 
「ほらほら、差し入れ♪京都黒ゴマ八橋どすえ」 
「きゃーありがと。終わったら食べるわ、はあ」 
「ところでさ、右近ちゃん」 
「なあに侍従ちゃん」 
「空蝉さんの話、知ってる?」 
「ううん。この間からずっとここに詰めっきりだもん、すっかり浦島太郎よ。何?」 
「またお手紙出したみたいよ、王子に」 
「へえ」 
「今度伊予に下ることになっちゃったじゃない? しかも王子、倒れちゃったでしょ。今出すしかないと思ったみたい」 
「なんだかんだで、空蝉さんも女ねー。で、内容は?侍従ちゃん」 
「えーとね 

貴方さまの具合のよくないことを耳にして、案じておりますが、わたくしごときがお手紙を出すのはなかなかに憚られますから…… 


何故手紙ひとつ寄越さない?という問いすら 

いただかないまま月日が経ちましたが 
わたくしもどれだけ思い悩んでいるか、貴方はご存知ないですわね 

『益田』の歌のように、生きる甲斐もない気持ちです』 


だって」 

「さっすが空蝉さん。王子はまたいそいそと返事だしたでしょ、これ」 
「そうそう。あれだけ死ぬの生きるのって言っててさ(笑)ま、そこがヒカル王子の王子たるゆえん。 

生きる甲斐もないなんて、言いたいのはこっちだよ 


貴方の残した空蝉(衣)を見るたび、ダメ押しーって感じなのに 

そんなこと書いて来られたらまた期待しちゃうよ? 

はかない希望だろうけどね


だって」 

「なるほどー。やっぱり今回のこと、結構こたえてんのかしら、さすがのヒカル王子も」 
「コタエてんだか懲りてないんだかわからん(笑)だってさー右近ちゃん知ってる? 軒端の荻ちゃんにもねー……」 
「えぇえ? だってあの子もうカレシいるでしょ。ほら、なんてったっけ」 
「蔵人の少将さん」 
「そうそう。ヤダー、あたしほんとに浦島たろこちゃんだわっ。情報通の右近ちゃん、の名が泣くってもんよ。早く舞台はねないかしらん」 
「王子さ、ちょっとイジワル心出して、あの少年使って

死ぬほどあなたのこと思ってますのに、わかってる?』 

なーんて言わせちゃってさ、 


ワンナイトラブとはいえ、忘れちゃいないよ♪君はもう忘れちゃったのかい?ちょっと悔しいな♪』 


いけしゃあしゃあと、こうよー。しかもその辺に生えてる背の高い荻に結びつけてさ、蔵人の少将に知れちゃうかもー、ま、別にいいだろ♪俺様なら許してもらえるはず、なんて超ゴーマンな態度」 

「をいをい……夕顔の巻はまだ終わってないのよっヒカルっ」 
「ビョーキは直らないってわけなのよ。でね、軒端の荻ちゃんも、今カレに知れたらヤバいから、なんなのよーと思いつつも、覚えててくれたことはちょっと嬉しい」 
「うーむ。で、返事は」 
「サクっとね。 

はっきりしないことを今頃ほのめかされても……


所詮わたくしは下荻(=身分低い)ですから全部本気になんてとてもできなくてしょぼん、ですわっ』」 


「荻ちゃんらしい素直なお歌ねえ」 

「で、王子はまたまた比べちゃうわけ。碁盤の前で差し向かいでいた空蝉さんは、今でも忘れられない、できればもいちどお願いしたい♪って感じだけど、こっちの子はイマイチ軽薄っていうかー、キャピキャピし過ぎ?ま、そういうのも悪くないけどさ♪なんて」 
「(ため息)なんつうか……」 
「マメ?(笑)」 
「というしか、ないわねん」

ビーーーーーーっ 

「あら、そろそろだわ。侍従ちゃん席に戻らないと」 
「うん。頑張ってねー右近ちゃん♪じゃまたあとで」 
「またねー♪」 


参考HP「源氏物語の世界」 

夕顔 ~右近ひとり語り~ その七

                  >>> その一  その二  その三  その四  その五  その六

十一

 夕顔のお方さまを野辺にお送りしましたそのあと、わたくしは二条院に呼ばれ、光君のお側近くにお部屋をいただき、お仕えすることになりました。
 慣れない屋敷で、悲しみに沈みがちのわたくしを、惟光さまも何くれとなく、面倒をみてくださいました。

 わたくしはこの通り、さほど美しくもない普通の女でございますから、光の君のお屋敷に住み、時折お話し相手になることなど、夢にも思っておりませんでした。悲しみのあまり床についた光君は

「あの人とは、本当に不思議なほど短かった縁だった。私ももうこの世に生きていられないような気がするよ。右近、お前も長年の女主人を失って、さぞ心細いことだろう。私が長く生きていられれば、いろいろ面倒をみてやれるのだが、そうもいかないようだ。口惜しいことだよ」

などというような気弱いことを仰って、さめざめとお泣きになるのです。わたくしごときに、本当に勿体ないお言葉ではございました。

 二条院のなかでは人々が右往左往しておりました。なにしろ内裏から、帝よりの御使いがひきもきらず訪れるのです。帝は大変心配されておりましたから、光の君もさすがにいつまでも寝込んだままでいるわけにも参りませんでした。
 北の方のお家のほうでも懸命にお世話なさって、左大臣が毎日お越しになり、さまざまな加持祈祷をさせられました。その甲斐あってか、二十余日後、光の君はようやっとご回復なされたのでございます。 
 お方さまの死に触れたことで籠っていらした忌明けの日が、病明けの床上げの日と、奇しくも重なりましたことで、光君は久しぶりに参内なさることになりました。舅の左大臣さまは車もご用意され、御物忌みや何やかやと、慎みごとをうるさく申し上げたりして、細々とお世話を焼かれています。
 光の君さまは言われるがまま、されるがままで、心ここにあらずといったご様子でいらっしゃいました。

 九月も二十日を過ぎました。
 光の君は、身体は回復されたものの沈みがちで、ふとした拍子に声をあげて泣かれたりして、お側づきのかたがたに

「物の怪でも憑いてらっしゃるのかしら」

と噂されるほどでした。
 ですがその面やつれしたお顔は、より一層優美でいらしたとか。

 あるのどかな夕暮れ、お召しがかかり、光君は言いにくそうに仰られました。

「今考えても解せないのは……なぜあそこまで、誰とも知られまいと懸命にお隠しになっていたのか、ということなんだよ。本当に卑しい身分であったとしても、私には関係なかったのに……右近、お前のお方さまはあまりに余所余所しい振る舞いだったと思わないか?」

「深く隠していたなどと……お方さまはただ、申し上げるほどの名前でもないと思っていらしただけでございます。
 最初から、不思議な、思いもかけないご縁でありましたから
『とても現実のこととも思えない。あの方が名前をお隠しになるのは、真実かの光の君でいらっしゃるからでしょう。私となど所詮遊び、後腐れがないように黙っていらっしゃるのだわ』
などと仰っておりました。お辛い気持ちでいらしたのは、お方さまのほうですわ」

 むっとして言い募るわたくしを宥めるように、光君はまた仰いました。

「詮ない意地の張り合いだっというわけだね。私はそんなに隠すつもりはなかったんだよ。ただ、こういうつきあい方に慣れていなかっただけなんだ。帝の目もあるし、慎むべき、憚るべきことが多い身だからね。何気なく誰かに冗談を言うだけでも、へんに大きく取りざたされてしまう。
あの、何ということもない夕暮れの出来事が、不思議な程心に残ってね。どうしてもこうしても、逢いに行かずにいられなかった。それもこれも、こんなことになる運命だったとは……本当に可哀想なことをした。
だが一方ではつらいのだよ。こんなに短いご縁だったのであれば、何故あれほどあの方が心に染みて、愛しく思われたのだろうか、と。
右近、もっと詳しく話を聞かせておくれ。いまさら何を隠すことがあろう。七日ごとに仏画を描かせて冥福を祈ろうにも、何も知らないままではどうしようもない」

「どうしてお隠しすることなどありましょう。夕顔のお方さまご自身が黙っていらしたことを、亡くなったからといってわたくしがうかうかと話していいのか、と控えておりましただけでございます」

 そうしてわたくしは初めて、光の君にお方さまのご事情をお話ししたのでした。


十二

「親御さまたちは、早いうちにお亡くなりになりました。
三位の中将であらせられましたお父様は、お方さまのことを大層お可愛がりになっておりましたが、ご自分の出世の心もとなさをお嘆きのうちに、命さえ失ってしまわれて……。その後ふとしたご縁で、頭の中将さま、その頃はまだ少将でいらっしゃいましたが、お方さまを見初められ、三年ほど熱心に通われておりました。
 ところが去年の秋の頃、中将さまの北の方、右大臣さまのお宅より、大変恐ろしいことを言って寄越したのです。
 ただでさえ怖がりのお方さまでいらっしゃいましたから、どうすることも出来ずに怖気づいてしまわれて、西の京にある乳母の家にこっそりと隠れ住むことになりました。家は狭く、むさ苦しい所でしたから、とても長くは住めるものではない、そのうち山里に移ろうかとも考えておいででした。
 ですがあいにく今年は方塞がりに当たっていて、仕方なくあの下た家に方違えに参っておりましたところを、光君に見つけられたのです。お方さまはそのことをとても嘆いておいででした。
 お方さまは世間の人とは違い、とかく控えめな方で、他の人に思い悩んでいる姿は見られたくなかったようです。光君にお逢いするときは何気ないふうを装っていらっしゃいましたが……」

「そうだったのか……」

 光の君はため息をつかれ、しばし亡き人に思いを馳せられておいでのようでした。

「そういえば、行方が知れない幼な子がいる、と頭の中将から聞いたことがある。もしや」

「はい、おととしの春にお生まれになりました。とても可愛らしいお嬢さまでございます」

 光君は身を乗り出して仰いました。

「今その子は何処に? 誰にも知らせないで、私に預からせてもらえないか。これほどあっけなく逝ってしまった人の形見として、こんなに嬉しいことがあるだろうか。
 頭の中将にも伝えるべきだろうが、言っても始まらない恨み言をいわれるだろうし、大体右大臣家が黙っていないだろうからね。私が引き取って育てるなら、何も問題はない。
 その乳母とやらを何とかとりなして、子どもを連れて来てもらえないか?」

光の君の熱意は本物のように感じられ、わたくしもいささか興奮いたしました。

「そうしていただけるのならば、こんなに嬉しいことはありません。あの西の京のような所で育つのも、不憫なことでございますし。他に頼りになる人もおりませんから、光の君が後見人になっていただけるのなら願ったりかなったりでございます」

 夕暮れの静けさのなか、空はしみじみと美しく、庭先の前栽は枯れはてて、虫の音も弱くひそやかに、だんだんと色づく紅葉。
 まるで絵に描いたような趣深い景色を見渡して、なんとわたくしは果報者か、このような素晴らしい宮仕えなど思いもよらなかった、以前夕顔のお方さまとともに住まった場所は、今思い出しても恥ずかしいくらい酷い有様だったとため息をつきました。

 竹藪の中で、家鳩という鳥が太い声で鳴くのを聞いて、あの院でお方さまが同じ声にひどく怖がっていらしたのを思い出しました。
 光の君も同じお気持ちだったようで、またわたくしに話しかけられました。

「年はいくつだったんだい? 不思議な程世間ずれしてなくて、か弱く見えたのも、こんなに短い命だったせいなのだろうか」

「十九におなりでした。右近めの母は、お方さまの乳母でもあったのですが、その母が早くに亡くなりましたため、三位の君が不憫がって、お側離れず一緒に育ててくださいました。そのご恩を考えると、どうしてわたくしのような者が生き延びているのかと……家族同然に慣れ親しんだお方でしたから、本当に悔しうございます。
 はかなく弱々しいお方さまがわたくしめを必要としてくださる、そのお気持ちだけ頼りに、長年お仕えしてきたのでございます」

「頼りなげな女性、というのが可愛らしくてよいのだ。小賢しく他人に靡かないような人はちょっと、ね。私自身、てきぱきとした性質じゃないもんだから、女性はただ柔らかに優しく、うっかりすると誰かに騙されてしまいそうな感じがいいね。でしゃばったりせず控えめで、それでもこれという男の心には従うというのがたまらなく愛しい。私の思うがままに育てて暮らしたら、どんなに慕わしく離れがたい女になるだろう」

「まさに、光君の望むとおりのお方さまでございました。ですがそう思うと余計に口惜しうございます」

 言い終わらぬうちに涙が溢れ出しました。

 空はすこし曇って、風が冷たくなってきました。しばらく二人無言のまま眺めておりました。

「恋した人の亡骸を焼く煙を
あの雲かこの雲かと思って眺めると
この夕暮れの空も
親しいもののような気がしてくる」

 独り言のように呟かれた光君に、泣き続けるわたくしは答えることはできませんでした。
 わたくしの代わりにお方さまが此処にいられたらどんなにか……
 そう思うにつけましても、胸は悲しみに塞がるのでした。あの耳障りな砧の音さえも恋しく思えるほどに。
 光の君は静かに「八月九日正に長き夜」とお口ずさみになって、お休みになられました。

                                                 >>> 幕間へ
参考HP「源氏物語の世界」 

夕顔 ~右近ひとり語り~ その六

                          >>> その一  その二  その三  その四  その五


 やっとのことで、惟光朝臣さまがご到着なさいました。
   夜中といわず早朝といわず、常に光の君のみ心のままつき従っておりました方が、今宵に限ってお側にいらっしゃらなかった上に、なかなか捕まらなかったものですから、光君は随分と恨んでらしゃいました。
 ですが実際に惟光さまを目の前にしますと、あまりにあっというまの出来事をどうお話してよいやらわからなくなったようで、一言も言葉が出なくなってしまわれました。
 わたくしは惟光さまがいらしたことで、これまでのすべてが一遍に思い出され、さらなる涙にくれておりました。
 光の君も、一人で気丈夫にしておられた緊張が解けたのでしょうか、いちどきに襲ってきました悲しみを堪え切れず、しばらくの間涙をとめどもなく流していらっしゃいました。

 光君はようよう気持ちを落ち着かせると仰いました。 

「本当に奇怪な出来事だった。私がどれだけ驚いたか……とても言葉では言い尽くせないよ。
 とりあえず読経をするべきだろうと、お前の兄の阿闍梨を呼ぶように命じておいたはずなのだが、どうした?」 

「すみません、ゆうべ山に帰ってしまいましたんです。坊さんも偉くなると弟子たちの手前、あまり出歩いてばかりもいられないようで。しかし不思議な話ですなあ。夕顔のお方さまは、生前からどこかお悪いところでも?」

「そんなこと……全然……元気だったんだ、ついさっきまで」

 光君はまた泣き出してしまわれました。
 お嘆きになる様は大層いたわしく、悲痛で、しかも優美でございました。さすがの惟光さまもつい、もらい泣きをしてしまうほどに。

 二人とも年若いお方、これから一体どうすればよいのか、瞬時に判断がつくほど練れているわけではございません。他に頼れる年配者もおりません。わたくしはすこし心配になりましたが、そこはあたまの回転の速い惟光さま、こう提案なさいました。

「そうだ、この院の管理人には、誰にも言わないよう命令しておいたほうがよろしいですよ。管理人自身は口が固くても、その身内が誰かに喋ってしまうこともありますからな、とにかく暗いうちに、早くここから出ないと。誰かに見られたらことです」

「それはもっともだが、ここよりひと気のないところなんて他にあるか?」

「そうですねえ……あの五条の辺りは人通りも多いし狭いですからね、女の人たちが泣き騒いだら近所連中に筒抜け、すぐ噂になりますからなあ。そうだ、山奥の寺に行けば、こんなことしょっちゅうですから、目立たないんじゃないでしょうか。えーッと……」

 惟光さまはちょっと考えて、また仰いました。

「そうそう、昔親しくしていた女がおりまして、それが東山辺りで尼になってるんです。あそこなら大丈夫でしょう。いや色っぽい話ではないですよ、私の父朝臣の乳母だった婆さまの隠居先です。あの辺りなら、人はまあおりますけど、ここらや五条よりもひと目につきません」

 話が決まると、惟光さまは夜明け前の慌しさに紛れ、素早く車を寄せてらっしゃいました。

 夕顔のお方さまの亡骸を、光の君はとてもお抱きになることができず、惟光さまが上筵にくるんで車に乗せられました。
 小柄なお体はただただお可愛らしうございました。きっちりと包むことはできなかったため、筵の隙間から髪がこぼれ落ちてきますのがいたましく、光君も、せめて最期を見届けたい、と涙ながらに呟かれました。が、

「いけません、早く馬に乗って二条院にお帰り下さい。もたもたしていたらそれこそ誰かに見られてしまいますよ!」

 惟光さまがきっぱりと撥ねつけられました。
 わたくしはお方さまとともに車に乗りましたが、馬を光君に譲られた惟光さまは裾を括りあげて徒歩で行かれます。とても奇妙で、変わった野辺送りでございましたが、光の君の深い悲しみを間近で拝見したわたくしたちには、体裁の悪さなど何ほどのこともありませんでした。むしろ、帰らねばならない光君はどれほどの思いをなさっていたか……身を切られるようなお気持ちだったのに違いありません。



 お方さまが生き返られることは遂にありませんでした。わたくしは身も世もなく泣き続け、自分でも何をしようとしているのかわからないままふらふら外に出て、あわや谷底にというところを惟光さまのご家来に助けられました。
 五条の家に住む、お方さまのお身内にお知らせしなければ、と気ばかり焦りますが、どうにもなりません。無闇に知らせて騒ぎにでもなりましたら、光の君にも大層なご迷惑がかかります。惟光さまはそれを一番恐れておいででした。
 すべてのごたごたを一手に引き受け、世間だけでなくご自分のお身内にさえもいっさい秘密のまま、始末をつけようと思っていらしたのです。
 ですから、その日の夕暮れ、惟光さまが光君の元にお出かけになられたとき、まさか君がお葬式にいらっしゃるとは夢にも思っておりませんでした。とんでもない、と最初は反対された惟光さまも、光の君のお方さまへの深い思いを前に、折れざるを得なかったのでございます。

 空には十七日の月が差し昇っておりました。

 屏風のかげで臥せっている私の隣に、質素な狩衣姿の光君がそっと入っていらして、お方さまの手をお取りになりました。
 まるで眠っているかのような可愛らしいご様子に

「今いちどお声をお聞かせください。如何な前世の因縁か、僅かの間にあれ程心を尽くし愛した私を、うち捨てて逝ってしまわれるなんて。私は一体どうしたらいいんだろう、どうしたら」

 光の君は辺りも憚らず泣き続けられました。
 周りで読経するお坊様たちも、どなたとは知らないものの、訳ありとみて、そっと涙を拭っていらしたようです。

 光の君は、わたくしに「二条院へおいで」と誘ってくださいました。
 勿体ないお心づかいにわたくしは胸が一杯になり

「夕顔のお方さまとわたくしは、何年もの間……ほんの幼い頃から片時も離れたことがないほど慣れ親しんだ間柄でございます。こんなに急にお別れ申し上げて、わたくし一人で一体どこへ帰ればよいのか……お方さまがこうなったことを皆にどう話せばよいのでしょうか。
わたくしの悲しみはさておき、周りの人にとやかく言われましょうことがまた辛うございます。とても顔向けが出来ません。
わたくしも煙と一緒に、お方さまのところへ参りとうございます」

と泣き崩れてしまいました。

「それは私も同じだ。悲しくない別れなどない、世の中はそういうものだ。だが先立つほうも残されるほうも、同じ限りある命なのだよ。気を取り直して、私を頼りなさい」

 光の君の優しい言葉にわたくしは、ますます涙が止まりません。君も泣きながら

「と言う私こそ、生きていられないような気持ちだよ」

などと仰います。
 思い出すのも苦しいほどに、悲しく辛い夜でございました。

 どのくらい時間が経ったのでしょう。
 いつの間にか惟光さまがいらして

「ああ、ああ、もうすぐ朝ですよ。本当に早くお帰りになってくださらないと。いい加減しゃんとしてくださいよ」

と促されました。
 光の君は何度も振り返り振り返り、後ろ髪を引かれる様子で出立なされました。

                                                >>>その七へ
参考HP「源氏物語の世界」 

2015年12月23日水曜日

夕顔 ~右近ひとり語り~ その五

                  >>> その一  その二  その三  その四



 誰も、どうすることもできませんでした。

「いったい誰にこんなことを相談できるというのか。坊さんぐらいか? 役に立ちそうなのは」

 お若い光の君はそんなことを言って強がったものの、亡くなった人を目の前にどうしたらいいのかおわかりにならず、お方さまの身体をひしと抱き、

「ねえ、ねえ君、生き返っておくれ、こんな悲しい目にあわせないで」

と繰り返されました。
 が、その身体はますます冷え、生前の気配もむなしく薄れていくばかりでございました。
 わたくしは恐ろしさもいっぺんに忘れ、

「お方さま、お方さまあっ!」

 取り乱し、泣き騒いだのでございます。

「南殿の鬼が、何某の大臣を脅かした、という話もある。いくらなんでも死ぬことはないだろう、さっきまで元気だったのだから……夜に大声を出すのはよろしくない。右近、静かに」

 光の君はご自分に言い聞かせるように仰いましたが、お方さまはもうはっきりと亡骸に成り果てていらっしゃいます。君は、ともすれば茫然としがちなわが身を奮い立たせるように、管理人の男に命じました。

「ここに、まことに不思議ながら、物の怪に襲われたらしい人がいる。苦しそうにしているので、今すぐ惟光朝臣の泊まっている家に向かい、急いでこちらに来るよう言え。
なんとかという阿闍梨がまだそこに居たら、一緒に連れて行くのだ、こっそりとな。尼君などに知られたらまずいから、あまり仰々しい物言いはしないように。このような忍び歩きは許さない方だから」

 光君は冷静を装ってらっしゃいましたが、胸は塞がり、お方さまをこのままむざむざと死なせてしまったら一体どうなるのかと思うにつけ、荒れた屋敷はますます寒々と薄気味悪さを増していくばかりでした。
 
 夜半も過ぎましたでしょうか、風がやや荒々しく吹きはじめました。松風がざわざわと低い音をたて、しわがれた異様な鳥の声、梟と申す鳥でしょうか、不気味に響きわたります。惟光さまを呼びに出払ってしまったため、院の内は人の声もありません。

「どうしてこんなところで夜を明かそうなどと思ってしまったのだろう」

と光君も後悔なさっておいででしたが、いまさら詮無いことでございました。

 わたくしといえば、何も考えられないまま、畏れ多くも光の君にぴったり寄り添い申し上げ、震え死ぬかと思うほどでございました。今思えば光君は、わたくしのこともご心配だったのでしょう、しっかりとわたくしの衣を掴んでおいででした。お一人だけで気を強くしていらしたのですから、まことに勿体無くもお気の毒なことでございました。

 灯りの火がほのかに瞬いて、母屋の境に立ててある屏風の上を、影がちらちらと動き、みしみしと床を踏みしめる何かの足音が、後ろから近寄ってくるような気配に総毛立ちました。

「惟光のやつ、何処にいるのだろう。早く来ればいいのに」

元々、居所が掴みにくい惟光さまでございます、そのことを良くおわかりになっている光の君ですのに、思わずそう口にしてしまうほど、その夜は二度と明けないのではないかと思うほどに長く、千夜を過すような心地がしたものでございました。

 ようやく、鶏の声がはるか遠くから聞こえてまいりました。光の君はため息をつかれ、誰に言うともなく呟かれました。

「いったい、どういうめぐり合わせでこんな目に遭ったのだろう。

みんな私が悪いのだ。恋に溺れて自分を見失った報いに、こんな、この先も語り草となるような大それたことを引き起こしてしまった。

隠していても、起こったことは元には戻せない。内裏の帝のお耳に入ることはもちろん、世の噂になることは間違いない。口さがない京の子ども達のいい笑いものになるのだろう。

恋に狂って人を死なせてしまった、馬鹿者として」

                                                >>>その六へ
参考HP「源氏物語の世界」 

夕顔 ~右近ひとり語り~ その四

                                     >>> その一  その二  その三


 その夜。
 お二人が眠られたので、わたくしたちも休ませていただき、ほんのすこしとろとろ、としかけた頃でございます。

 光の君とお方さまの枕上が、
 ぼう
と白く光りました。

 夢なのかもしれない、と思いながら、重いまぶたを押し開けて目を凝らすと、女が見えました。

 髪の長い、姿のうつくしい女が、お二人を覗き込むように、座っておりました。

 わたくしは
 あなたさまをかけがえのないお方と、こんなに
 こんなに……お慕い申し上げておりますのに
 わたくしのところにはすこしもいらっしゃらないで
 こんな……何処といってとりえのない女のかたなど連れて
 お可愛がりになるなんて
 なんて、なんて酷い……

 ……酷い……

 女は呟くと、お方さまに覆いかぶさりました。

 ばさあ

と広がる長い黒髪。

 わたくしは払い除けようと手を伸ばし……
「右近、右近!」

 光の君の声に目が覚めました。
 闇の中に飛び起きますと、お二人の枕元に抜き身の刀がぬらぬらと光っております。

「急に火が消えたんだ、何かに襲われたのかと思って刀を抜いた。右近、誰か宿直の者を呼んで、灯りを頼んで来てくれ」

「く、暗うございます、とてもわたくしには」

「なんだ、子どもっぽいことを」

 光の君は震えているわたくしをお笑いになって、
ぱん、ぱん
と手を叩かれました。

 こたえたのは山彦だけでございました。

 おそろしいほどの、闇と静けさ。

 お方さまのご様子をうかがいますと、びっしょり汗をかいて、わなわなと震えてらっしゃいます。正気をうしなっておられるようでした。

「何でも無闇に怖がられる性質の方ですから、どんなにか」

と申し上げる声も震えました。光の君は、そうだな、か弱い人だから、と仰って

「私が誰か起こしてこよう。手を叩いても答えるのは山彦だけだしね。右近、こちらにおいで。お前のお方さまと一緒にいるのだ」

 わたくしの手を引き寄せて、お方さまの隣に座らせ、西の妻戸に出て戸を押し開けられました。
 渡殿の火も既に消えておりました。




 微かに吹く風の中、僅かばかりの家来は皆寝入っておりました。光の君が親しくお使いになる、この院の管理人の息子である若者、殿上童一人、いつもの付き人数人、たったそれだけでございました。
 呼びかけると、返事をして起きたようなので

「灯りを持って参れ。弓の弦を打って、絶えず音を出すように命じるのだ。こんなひと気のない場所で、気を許して眠り込むやつがあるか。惟光はどうした、来ていただろう」

とお叱りになられました。
 家来たちは慌てて

「惟光さまは一度いらっしゃいましたが、特にご用もないので、夜明けがたお迎えに参ります、と仰せられてお帰りになられました」

と言い訳しました。
 一人が、弓の弦を大げさに打ち鳴らし「火の用心」と言いながら、管理人のいる部屋の方角に向かったようです。
 それほど遅い時間でもなかったというのに、何ゆえひとり残らず眠り込んでしまったのか……

 わたくしは、とにかく恐ろしくて恐ろしくてたまらず、お方さまと共に突っ伏したまま震えているだけで、何も考えることはできませんでした。

「おいおい右近、ちょっと怖がり過ぎじゃないか? こういう荒れた場所では、狐のようなものが人を脅かそうとして怖がらすものなんだよ。私がいるからには大丈夫、そんなものには近寄らせない」

 光の君は力強くそう仰って、暗闇の中わたくしを引き起こされました。

「も、申し訳ございませぬ。あまり恐ろしくて、気分が悪くなったものですから……。お方さまこそ、私以上に怖がってらっしゃいますわ、きっと」

「そうだな。またどうしてこんなに、」
 伏したままのお方さまを抱き起こそうとした、光の君の手が止まりました。

 お方さまは、息をしておりませんでした。

 揺すっても力なく、なよなよとくず折れてしまいます。

「子どものように頼りない人だから、物の怪に魅入られてしまったのかもしれない」

 呟いた光の君の声も震えておりました。
 灯りが来ましたが、わたくしは動くこともできません。光君が几帳を引き寄せて、

「もっと近くに持って来い」

と言われても躊躇して持ってこないのを

「近くに来いと言うんだ! 遠慮している場合じゃない!」

とお叱りになっている様子を、ただ見ているしかありませんでした。

 灯りが枕元を照らしたそのとき、女の姿が一瞬
ぼう
と浮かんだかと思うと、すぐに消えうせました。

「……昔話にはよく聞くが」

 光の君もさすがに肌を粟立たせていらっしゃいました。が、すぐに気を取り直され、お方さまに声をおかけになりました。

 返事はありませんでした。

 お方さまの身体は、しんから冷え切っておられました。

 とっくにこときれていらしたのです。

                                                 >>>その五
参考HP「源氏物語の世界」 

2015年12月22日火曜日

夕顔 ~右近ひとり語り~ その三

                                            >>> その一  その二



「ねえ、ちょっとその辺の近いところで、気楽に夜を明かしてみない? ここだとどうも落ち着かなくてね」

という光君のご提案に

「あら、いくらなんでも急すぎませんか」

 お方さまはいつものように、賛成も反対も致しません。
 私たち女房も、お方さまへのひとかたならぬご愛情をお傍近くで見知っておりましたから、少々無茶なご提案に不安を感じながらも、ただ男君を信じて従うほかはありませんでした。

 夜明けも近づいてまいりました。
 鶏の声はまだでしたが、御嶽精進でしょうか、立ち座りも大儀そうな老人が礼拝するらしき声が聞こえてきました。

「朝の露のようにはかない世なのに、何をこれ以上欲張って祈るのだろうね」

と仰る光の君の耳に

「南無当来導師、弥勒菩薩よお救いくださいませ」

と一心に祈る声が届きます。

「おお、聞こえたかい?あのご老人も、現世だけとは思っていないようだよ」

 光君はさも感心したかのように、大げさなことを仰います。

「優婆塞……出家せず在俗のまま修行している僧のように勤行するあの老人にならい、来世もこうして愛しあう約束をやぶらずいてください」

「前世の縁の浅さが身につまされていますので
ましてそのような先のことなどはかりかねますわ」

 夕顔のお方さまもさすがに困惑していらっしゃいました。

 山の端に隠れることをためらう月のように、お方さまは出し抜けに知らない場所に出かけることを渋っておられました。光君さまが説得なさるうち、月はにわかに雲に隠れ、明けゆく空が実にうつくしゅうございました。
 辺りが明るくなって人目に触れる前にと、六条から出立なさるときのように素早く車を出し、お方さまを軽々と乗せられましたので、わたくしも同乗させていただきました。

 程なくなにがしの院と申される場所に着きまして、管理人の出てくるのを待ちました。荒れた門を隠すように、丈高く見上げるほどに生い茂った草、中はたとえようもなく薄暗うございました。霧も深く、露めいた空気の中、車の簾を上げ放しておられましたので、君のお袖も大層濡れてしまわれました。

「おお、うっかりしていた。こんな夜歩きはしたことがないからね。いろいろ気をつけなくてはいけないね

 昔の人もこのように恋の道に迷ったのだろうか
 私はまだ知らない明け方の道だ

貴女は慣れてるのかな?」

 お方さまは恥らいつつ、

「山の端をどことも知らないで随っていく月は
 途中で光が消えてしまうのではないでしょうか

心細いものでございます」

と、家が建て込んで賑やかな五条の通りとあまりに違う様子に、しきりと怯えてらっしゃいました。

 お車を門の内に入れさせた後も、西の面に部屋をしつらえる間、 高欄に轅(ながえ)を立てかけ待っておりました。管理人があちらこちらと走り回り、賓客を迎える用意におおわらわでございます。わたくしは何となく華やいだ気持ちになりまして、過ぎ去りし昔のことなど、ひそかに思い浮かべておりました。
 ほのかに辺りの様子が見えて来ました頃、やっと車を下りることになりました。お部屋は急ごしらえではありましたが、小奇麗にしつらえてありました。

「お供に誰も連れていらっしゃらないなんて……不都合なことではございませんか?」

 管理人の一人は光の君とも面識がおありのようで、近寄って

「誰か、しかるべきかたをお呼びするべきでは?」

と申し上げますのに、君は

「わざと人の来ないような隠れ家を探してきたんだ。これ以上他の人間に漏らしてはならないぞ」

と口止めをなさるのです。
 お粥など急いで作らせたものの、給仕をする者が揃いません。慣れない旅寝でございます、光の君と夕顔のお方さまのお二人は、落ち着くまで「息長川」よりいついつまでも、と睦みあうほかには何もお出来になりませんでした。




 日が高くなった頃に起きられて、光君手づから格子を上げられました。庭はひどく荒れ果てていて、人の気配もなく広々と見渡され、木立は薄気味悪いくらい鬱蒼と生い茂っておりました。すぐ近くにある草木は特に見所もなく、すっかり秋の野となって、池も水草に埋もれ、なんともすさまじく恐ろしげな風景でございました。小さな別棟には人も住んでいるようでしたが、こちらからは離れておりました。

「なんとも気味の悪い場所だね。まあ、鬼の類も私なら見逃してくれるだろうが」

 光の君は笑って仰いました。
 この期に及んで、まだ顔を隠されていましたので、お方さまもさすがにあんまりだと思ってらっしゃるようでした。光君も

「確かに、これほど深い仲になったのに顔を見せないというのも常識はずれか」

とお思いになったのか、

「夕方の露を待って花開き顔をみせるのは
道で逢ったご縁からなのですよ
露の光はいかがです?」

と詠みかけられました。露の光、つまり自分は光の君だということを暗に白状なさった形です。
 お方さまは流し目に見やって、かすかな声で返されました。

「光り輝くと見えました夕顔の上の露は
黄昏時の見間違いでしたかしら? わたくしは最初からお見通しでしたわ」

 お方さまを抱き寄せる光君。この上なく仲睦まじい、幸せそうなお二人、場所が場所だけに、まして不吉とまでに思えるほどでございました。

「いつまでも隠してらっしゃるなんてひどいですわ。もうはっきりと名のられませ。どなたか分からない方とこうしているなんて、気味の悪いことですわ」

「私は海人の子なのだよ、名のるほどのものでもない」

 そんなふうに戯れに言い争われたり、睦みあわれたりしながら、一日が過ぎてまいりました。

 暫くしますと、何処から探しあてたのか、惟光の朝臣が果物やお菓子などを持って参上されました。あの通り気さくな方ですから、わたくしは思わず、こんな場所に連れ出されたこと、いまだに身分をお明かしにならないことなどいろいろ愚痴ってしまいました。

「まあまあ、でもこんなことをやらかすくらい、余程あなたのお方さまにご執心なんだよ」

「それはそうなんですけど」

「しかし惜しかったなあ。そんなにいい女だったのなら、俺がもらってしまえばよかった」

 呆れたことに、惟光さまは、自分が心を広くもって、わが主人にお方さまを譲ってやったのだ、などと不遜なことを思ってらしたのです。
  しかしそんな無駄話をしていたことで、光君の元に直接惟光さまが行くことはありませんでした。それで何がどう変わったわけでもないのでしょうが……わたくしが今でも悔やんでおりますことのひとつでございます。

 日が西に傾いて参りました。また、夜がやって来ようとしております。

 たとえようもなく静かな夕べの空を眺めながら、薄気味悪い部屋の奥は見ないようにして、端の簾を上げ寄り添うおふたり。
 夕日に照らされたお互いの顔を見交わしてらっしゃるうちに少しずつお方さまも落ち着かれていきましたが、光の君から片時も離れず、頑是ない子どものように、少しのことにも怯えておられます。
 早い時間に格子を下ろして、灯りをつけたお部屋で

「こんなに深い仲となりましたのに、まだ何か隠してらっしゃるなんて」

という恨み言がかすかに聞こえます。

 光の君の居所は、内裏におられる帝をはじめ、どなたもご存知ありませんでしたから、参内していらっしゃらないのを、さぞかし不審に思われ探しまわっておられたことでしょう。
 あの、六条の御方さまはいったいどうお考えになっていたことか……。このようなお振る舞いは、六条ではけっして許されないことでしたから。

 夕顔のお方さまのように、ただ無心に、そこにいらっしゃるだけでいとおしい女性と、他の誰より高貴で聡明であるがゆえに気位高く、差し向かいでいると何か気詰まりな女性。
 光君がつい心の中でお二人を引き比べてしまわれたとしても、いたし方のないことでございました。


夕顔 ~右近ひとり語り~ その二

                                                 <<< その一



 わたくしの仕えておりましたご主人、ここでは「夕顔」のお方さまとお呼びすることにいたします。

 光の君と夕顔のお方さまの仲は、北の方はもちろん、他のどなたもご存知ありませんでした。ましてや六条の御方さまなど、いっさい知る由もないはずでございました。
 初めはほんの遊び心でいらっしゃいました光君、日を追うごとに夕顔のお方さまにお心を奪われていかれますのが、わたくしのような者にさえ、手に取るようにわかりました。ただ、やんごとないご身分とお立場ゆえ、人目も煩く、毎晩通い詰めるというわけにもまいりません。

「いっそ我が二条院に迎えてしまおうか。世間を騒がすことにはなるが、致し方ない」

 夕顔のお方さまを運命の女性と思し召し、本気でこのようにお考えになっていらしたようでございます。

「ねえ、もっと気楽なところでのんびり話したいね」

「これはまた異なことを。何だか今宵の貴方は、怖いようですわ」

「そうかな」

 無邪気に笑われるお方さまにつられ、光君も微笑まれて、

「どちらが狐なのかな。今はこのまま化かされていたい」

といとおしげにおっしゃいます。
 お方さまは「わたくしも」というように、そっと寄り添われて、身分のことさえなければ、まことにお似合いのお二人でございました。

 光の君はこのときすでに、夕顔のお方さまがあの頭中将さまの思い人だったことを気づいておられたようなのですが、あえて問い詰めることはありませんでした。
 ひとつには、お方さまが急に心変わりして姿を消すようなことはまずない、と信じていらしたこともありますが、ご自分が思うように通えなくなって、お方さまが他に心を移すことがあっても、それはそれで、むしろ愛情がいや増すのではないか、ともお考えだったようです。
 なんと深く、不思議な縁でございましたことか。




 忘れもしないあの晩……八月の、十五夜でございました。

 月の光が煌々と、隙間の多い板屋にくまなく射し込み、見慣れたはずの住まいもまるで別の場所にように思われました。
 夜明けが近づきますと近所の家々では、下賎の男たちがはや目を覚まし、

「はあ、貧乏はイヤだなあ」

「今年は商売もいまひとつだし、田舎に行き来する暇もないから、どうなるのやら心配だよ。北隣さん、聞こえてる?」

などと言い交わしております。
 猥雑な界隈であけすけに聞こえてくる貧乏臭い会話、おいたわしくもお方さまは、大層恥ずかしく思っていらっしゃいました。見栄っ張りで高慢な人ならば、それこそ死にたくなるような有様の住まいでございましたが、夕顔のお方さまは、辛いことも嫌なことも気恥ずかしいことも、過剰に気に病むということはなく、いつも品よくおっとりと、おおらかでいらっしゃいました。
 近所の家々の不躾で下品な様子も、その酷さを、今ひとつわかっていらっしゃらないようなところもあり、そのあたりが、気位ばかり高い風流人よりは余程罪もなく、憎めない感じでございました。
 そうは申しましても、下た屋ばかりの通りでございます、まだ明けやらぬうちから、ごろごろという臼の音が雷よりもおどろおどろしく、枕もとのすぐ傍で響き渡ります。さすがの光君さまもこれには閉口なさっておいででした。高貴なお育ちのかたには、何の音なのかも見当がつかず、ただただうるさく耳障りとだけ思われましたようです。
 あの頃、夕顔のお方さまと私たちが住んでいたのは、そのような場所だったのでございます。

 ですが、其処此処から聞こえる、衣を打つ砧のかすかな音、空を飛ぶ雁の声。立派なお屋敷にはない、堪えられない趣深さもございました。庭に面したお部屋の遣戸を引き開けて、外をご覧になるお二人。こじんまりした庭でも、洒落た呉竹や、前栽の露などは、もっと大きく豪華な庭のそれと同じように、美しくきらめいておりました。
 とりどりに虫の声も聞こえます。
 いつもは立派なお屋敷の厚い壁越しに聞く蟋蟀の声が、耳に直接押し当てたかのように鳴き騒ぐのを、これはこれで珍しく面白いと楽しんでらっしゃるご様子の光の君。それもこれも夕顔のお方さまへの、お心ざしの深さゆえでございました。

 夕顔のお方さま。ああ、今でもはっきりとそのお姿が目に浮かびます。

 そのときは白い袷に、薄い色のやわらかな衣を重ねてらして、華やかとはいえないもののとても可愛らしく華奢なお姿、取り立てて何処其処が優れている、というわけでもございませんがその繊細でたおやかなご風情、口から出るひと言ふた言の、この上ないいじらしさ。

 あまりにか弱く消え入りそうに儚い、美しいお方さま。

 今思うと、僅かでもいい、もうすこし芯になるつよさがあったなら……これからお話しするようなことは起こりえなかったのかも知れません。

                                                 >>> その三へ
参考HP「源氏物語の世界」 

夕顔 ~右近ひとり語り~ その一

今宵は月が美しゅうございますね。
あの日も……同じように月の輝く宵でございました。
この婆めが右近と呼ばれておりました、もう遠い遠い昔のことでございます。

あの頃のわたくし……
思いもかけぬ出来事に出遭い、ただただ胸がつぶれそうなほどに悲しく辛く、生きながらえてまたこのような場に出ることなど想像もつかないほど、酷い有様でございました。
時の流れとは無常なものでございます。
思い出すのも苦しかった日々も、矢のように過ぎてゆきました。今はこうして語ることが、懐かしく慕わしいお方さまの一番のご供養になるものと信じ、残りの命を奮い立たせております。

はて、どこから話せば?
わたくしにお任せいただけるのなら、そうですね……はじめに、やはりあの……六条の御方さまについて、語らせていただきとうございます。


 秋のことでございました。
 かの光の君は、特に誰のせいということもなく、ひとり物思いにふけりがちな日々を送られていらっしゃいました。北の方のお宅に通うのもついついと間遠になり、向こう方には随分と恨まれていらっしゃいましたとか。

 例の六条の御方さまにいたしましても、高嶺の花がこちらに靡いたとみるや、手のひらを返したように、通り一遍のお相手と同じように扱われ、お気の毒なことになっていたようです。手に入れるまではひどく情熱的でいらした光君が、もはやそのような振る舞いをみせることはない……どういうことかしら、やはり醒めてしまった……と申し上げるしかないのでしょう。
 六条の御方さまは、極端に物事を突き詰めて考えがちなむつかしいお人で、君より年上であることをずっと気に病んでおられました。ましてその訪れが目に見えて減ってきた折には、それみたことかという人の噂にも怯え、今日は明日はと待つしかないうち、心も千々に乱れておいででした。

 霧が深くたちこめた朝、無理にうながされ、眠そうなご様子でため息まじりに出立なさる光の君。
 中将のおもとと申します女房が御格子を一間上げて、お見送り申し上げようと御几帳を引き開けたので、六条の御方さまも頭を少し上げてご覧になっておられます。
 色あざやかな前栽の花々に心惹かれて、立ち去りがたいご様子でいらっしゃる光君のお姿は、比類ないうつくしさでございました。
 お伴にと、中将の君が渡り廊下に出て参りました。薄絹の裳はこの季節に似つかわしい紫苑色、あざやかに引き結んだその腰つきは、まことにたおやかで優美でございました。
 光君はふと振り返り、中からは見えない隅の方の高欄に、中将の君をしばしの間座らせました。その凛とした節度のある態度といい、髪のかかり具合といい、見事なものと感じいってご覧になっていた光君、

「咲く花に心を移したと噂されるのは慎みたいものだが
手折らないで見過ごすにも惜しい今朝の朝顔だ
さあ、どうしようか?」

 仰られながら、いつもの悪い癖でございますね、中将の君の手をお取りになります。
 中将の君も慣れたもので、素早くこう返されました。

「朝霧の晴れ間も待たずにお帰りになられるようですから
花に心を止められる暇などありませんわ」

 さすがは当代一の才色兼備とうたわれる方の女房、非の打ち所のないかわし方でいらっしゃいましたこと。
 可愛らしい男の子が、裾を露に濡らしながら花の中に入り、朝顔を手折って王子にお渡ししているその様子は、まさに一幅の絵でございました。

 光の君は、まことに素晴らしい男君でございました。
 通りがかりに垣間見ただけの人でも、心惹かれずにはいられませんでした。美しい花の陰では、無骨な田舎者でさえ胸が高鳴るものですが、いちどでも王子の魅力に触れた人は、その身分に関わりなく、是非わが自慢の娘をお側仕えにと願い、そこそこに優秀な姉や妹ならば、下働きでもいいからこの方に仕えさせたい、と思ったものでした。
 ましてや、ごく身近にお姿を拝見し、何かのついでにもお言葉をかけられるような立場におります、ものをわきまえた人たちならば、思いは格別でありましょう。
 六条の立派なお屋敷で、それでも朝から晩までくつろいで過すということのない光君、北の方がいらっしゃる身では致し方ないことではございますが、わが女主人こそ第一と思し召す女房たちは、物足りなくも心もとなく、恨めしく思っていましたとか。

                                                >>>その二へ
参考HP「源氏物語の世界」 

2015年12月20日日曜日

夕顔 その四

さて惟光担当の、あの西隣の家の偵察だが、さらに詳しい最新情報入手!なのである。

何者なのか、さっぱりわかりません
ただ必死に隠してるっていうのだけはわかります。
牛車出入りするたびに女子が興味津々で、南側の半蔀のある長屋のあたりで覗き見してますね。
たまに女主人らしいのも一緒に覗いてますが、どんな顔か? いやそれがはっきり見えませんけど、かなり可愛いみたいです。

それでこの間のことですが、小者らに交通整理させてゴーカな車がやってきましてな。
それ見た女子が、つい、
『ちょっとちょっと右近の君、早く御覧なさいよ。中将様がもうすぐいらっしゃるみたい!』
と叫んでしまって、それ聞いた大人の女が慌てて出てきて、
『しっ、静かに!』
と女子黙らせて、
『どうしてそうとわかったのよ? ホントかどうかちょっと見てくるわ!』
と裾からげて見に出てきました。
今にも崩れ落ちそうなボロい橋渡って行きましたが、慌ててるもんだから着物の裾を、欄干のささくれか何かに引っ掛けたんでしょうな、危うく橋から落ちそうになって、
『な、何よこの橋! 何処の馬鹿がかけたのよ!』
と叫んだら、自分が何で走ってたんか忘れたんでしょうな、でもすぐ思いだして、指折って数え出し始めまして。
『中将様だとしたら、立派なお直衣姿で、付き人だってたくさん連れてるはずよ、○○さんでしょ、××さんでしょ……』

もしかしたら、あの頭中将さまのお側づきの人間やその家来、手伝いの童子なんかの顔、知ってて言ってたんじゃないですかね?」

ヒカルはえっと驚き
「マジで?ホントに頭中将のことを言ってたんだとしたら……あの、『雨夜の品定め』の時言ってた、いまだに忘れられない常夏の女なのか?!

妄想が頭を巡り出したヒカルの顔色を見てとった惟光、さらにたたみかける、
「実は、そうしてスネークしとりましたらあの家の女子といい感じになりまして(*´σー`)エヘヘ。
それでもっとあの家の内情?みたいなのわかってきました。
相手の子、

この家の人ってみーんなおんなじような感じでー、女主人みたいなの?は?そんなのいないしいー

て知らん顔してるんですよ。
まあこっちも、そんなん全然興味ないわー、君さえいれば♪的な?感じでテキトーにすっとぼけてコッソリ通ってますけどね。
よくもよくも隠してるもんだと感心します。ちっこい子がうかうかと口滑らせても、うまいこと誤魔化して、
まー何言ってるのかしらこの子は!誰もいないのにねええええ!

って、そらもう徹底してますわ」

えー、ズルいぞぉ惟光ばっかりいろいろ見て。尼君のお見舞いにいくついでに、俺にもちょっと覗き見させてよぅ」

ニヤつく惟光にヒカルが身悶えしつつせがむ。
仮住まいかもしれないにせよ、あのようなあばら家に住んでいることから考えると
「左馬課長の言ってた、下の品て感じ? その中に、意外にもイイ女が♪的なやつかー!」
とまたまたそんなことを考えてワクワクしてしまうヒカル。

昔からの幼馴染であり、忠実な部下でもある惟光は、普段から些細なことでもヒカルの望むように、と腐心してはいたが、なんのことはない、自分も負けずおとらずの女好きだったので、全然苦でもなんでもない。むしろ必要以上に張り切ってアレコレ策を弄し、あっちこっちと段取りをして歩きながら、なんとかかんとか、首尾よくヒカルを通わせることに成功したのだった。
この辺の詳細は、語るのも野暮ということで略♪

この時代の常として女性の方も、はっきりどこの誰?などと野暮な詮索はしない。
それをいいことにヒカルも名のらないまま、むやみに粗末ななりをして、いつになく熱を入れて通うのであった。
こりゃ今回はよっぽどでっせ、と惟光も自分の馬を献上し、いつでもどこでもお供に♪と走り回る。

「愛人宅にコソコソ通ってるのを誰かに見られたらヤバイですよ、くれぐれも気をつけてくださいね!」

とぶつぶつ言いながらもそこは惟光、抜かりはない。
オトナの付き人は同じ人間をずっと使い、コドモのお手伝いはその都度違う子を一人ずつ連れて行く。
「万一誰かに、お?と思われては」と、途中どこかに立ち寄ることも一切しない。

慣れてくるにしたがい、さすがに女の方も、イマイチ不審で納得いかないので、手紙の使いに後をつけさせたり、夜明けの道を尾行させ、住まいをつきとめようとしてみたりするが、その度に巻かれてしまう。
そうやって自分のことは隠し続けるものの、ヒカルはこの女が可愛くて仕方がない。
いつも彼女のことで頭が一杯で、これはヤバイ、俺としたことがハマりすぎと反省しつつも、ますます頻繁に通ってしまう。

こと男女の問題では、どんなクソ真面目な人でも乱れるときはあるものだが(王子の父のように)、従来王子はぎりぎりのところで押しとどめて他人にソレと気取られるようなことはなかった。
が今回は、不思議なほど朝も昼もなく気にかかってしょうがない
いやいや落ち着け、こんなにトチ狂って夢中になるほどの女でもないと、つとめて気持ちを冷まそうとするのだが、うまくいかない。
女はひたすら従順でおっとりとしていて、あまり物事を深く考えない、無邪気な子どものようである。
かと思えば、オトナの男女の機微はキッチリ心得ている。
大した身分でない、特に美人でも才媛でもない女のどこにこんなにも惹かれるのか、と何度も考え込んでしまうヒカルだったが、理由はわからない。まあ、恋とはそんなものである的な感じか

ことさらにヨレヨレの服をまとい、姿も変え、顔はすっかり隠して、深夜人の寝静まるのを待って出入りする。昔がたりの妖怪じみていてうす気味悪くはあるが、隠し切れないイケメンぶりと物腰の上品さは暗闇の手探りでもよくわかる。
いいとこのボンなんでしょうけど、いったいどこの誰なのかしらん。きっと、最近ウチに出入りしてるあの遊び人が手引きしたに違いないんだけど
と惟光を疑いつつも、本人はそ知らぬ顔で、馴染みの女房にせっせと通いつめている風を装っているので、それ以上確かめる術もない。
女は女で、一風変わった不可思議な物思いにふけるのであった。

……と、ここまでお軽く書いてしまったが、実はこの「夕顔」の巻、物語としてはとてもよく出来ている。「空蝉」から明らかに雰囲気が変わるが、ここにきて格段にクラスアップした感。単なる噂話や恋バナではない、人生の悲哀まで描ききる、いっぱしの「小説」である。
なので「夕顔」メインストーリーは、目端のきく、冷静な中堅美人OL・右近ちゃんに語っていただく。右近ちゃんの、北島マヤばりのなりきりひとり語りをお楽しみください。

参考HP「源氏物語の世界」

2015年12月17日木曜日

夕顔 その三(オフィスにて♪)

「ねえねえ右近ちゃん」
「なあに侍従ちゃん」
空蝉さんてさー、結局どーしてんの?」
「旦那さんが伊予から帰って来てるみたいよ、今」 ※空蝉の夫は地方受領
「あらま。じゃあもう、お屋敷に忍び込むなんてことできないわよね。王子はさすがに諦めたのかしらん」
「それがね、まだまだ未練たーらたら。あそこまで冷たくされた経験がなかったもんだから、逆に忘れらんないのね」
「逃げまくったことで、余計追わせることになったと。世の中ままならないわねー」
「あら殊勝なことをおっしゃる侍従ちゃん。そ、素直に受け入れて楽しんでくれてたなら、ワンオブいい思い出♪ってことになったのに、ちっくしょうあんだけ拒否られたまんまで済ますなんてプライドが許さねぇ!」
「出た!俺様キャラ!」
「ま、あれよね。『雨夜の品定め』、あれがいけなかった。それまでは下々の女性にはゼーンゼン興味なかったのに、あれ以来ぐーっとキャパが広がっちゃったってわけ」
「なるほどー。喜ばしいようなその逆のような」
「ナーンにも知らないで王子の再訪を待ち続けてる萩ちゃんはホント可哀想だし、逃げ出した空蝉さんだって微妙よね。あのときそう遠くへは逃げられるはずもなし、すぐ近くに隠れてたんだろうからねぇ」
知らん顔で大嘘いって口説いてるのまるっと知られちゃってるわけだー♪いやーん、他人事ながらチョー恥ずかしい!」
「王子気になってしょうがない、空蝉さんの真意はホントのとこどーなの?俺を嫌ってるのか、それとも」
「自分を嫌う女がいるなんて、認めたくないわけね、ヒカル」
「そうこうしてるうちに、伊予介が戻ってきたわけよ、京の都に」
「ほうほう♪」
「そんで上司であるヒカルの前に、まっさきに参上」
「アタシも見たよー。日焼けして真っ黒でさ、服が似合わないったら」
「船旅だからね。でも家柄はそこそこいいし、顔つきだって、年は取ってるけど(多分四十代)小奇麗な感じで、やっぱそこいらへんの若造とは違うシブイ男の色気みたいなもんもあるわけ」
「そ、そう?!アタシにはわかんないわっ」
「侍従ちゃんの好みはジャニーズ系だもんね。アタシは割とオジ好みなのよん。ま、それはどーでもいいけど、ヒカルもちょっと後ろめたいわけ。気のいい部下のおじさんを騙してるみたいでさ
「みたいってゆーか、まるっとその通りでしょ」
「伊予の国の様子も自分からいろいろ聞いてみたいんだけど、そのたびに荻ちゃんや空蝉さんのことがぐるぐるしちゃって、聞くに聞けない」
「案外小心者? 俺様(笑)」
「こんな実直なおじさんの前で、超後ろ暗いことばっかり考えちゃう俺ってサイテー?」
「うん、サイテー(笑)」
「やっぱまずかったなあ、アレは」
「まずいよっ(笑)今頃気づくなっ」
「そういや左馬課長が言ってたよなあ、すぐ靡く女には気をつけろって。考えてみれば、つれない態度は俺にとってはムカつくけど、夫のためには立派だよなあ」
「そうそう♪そゆこと」
「でもだからって、すっぱり諦めないのがヒカルのヒカルたるゆえんなのよ、侍従ちゃん」
「えー?まだ何かすんのこのヒト。いくらなんでも引き際ってもんが」
「何も知らない伊予介、娘をどこかに嫁入りさせて、妻と一緒に伊予に戻るつもりだ、なんてことをもらすわけ。一度は反省したヒカルもこれにはびっくり、そんなところに連れ去られたらもう二度と会えない。なんとかもう一度会えないもんかい?とダメ元であの少年に頼んでみるけど」
「アカンやつやそれ…」
「向こうが会う気満々ならともかく、ねえ。全力で逃げてる女を追いかけ回すのもみっともないし、さすがのヒカル王子もしぶしぶ諦めた」
「やっとかよ!」
「とはいえまったくすっぱーん、と断ち切るのは出来なかった。それでメールを送ったわけ。それも色っぽいやつじゃなく、季節の挨拶みたいななんてことないの」
「メル友ね♪なら安心」
空蝉さんの巧いところはここなのよ。頑なに無視するかと思いきや、快くお返事差し上げた。それがまた女らしくて可愛げがあって、かつウィットに富んだメールだったもんだからヒカルも、腹立ちはおさまらないものの、忘れ去ることはついに出来なかった。男女の駆け引きの勝ち負けでいったら、空蝉さんの完全勝利ってやつね。鮮やかなお手並みよ」
「おお!ビバ・空蝉の術ー♪アタシもお手本にしよっと。ところで軒端の荻ちゃんは?」
「うーん、荻ちゃんの方はちと可哀想なのよね。例え結婚相手が決まっても、ヒカル王子ならいつでもOKですわ♪みたいな感じが見えみえなんだけど、逆にそれで王子に引かれるっていうか」
「はー、まさにワンナイトラブだったわけねー」
「女はね、出し惜しみすべきなのよ。若かろうが若くなかろうが、美人だろうがブスだろうが。相手に振り回されるんじゃない、引っ張って引っ張って、相手を引きずってぶん回すのよっ」
「あ、今のメモメモ♪」
  

参考HP「源氏物語の世界」

夕顔 その二

数日後。惟光がヒカルの元にやってきた。

「うちの母の調子がイマイチなので、またまた世話をしに行っておりました。それでですね」

ずずずと近寄って内緒話。

「気になる例の隣の家の件、顔見知りの下働きが一人おりましたんで、どんな事情の家なのか聞きましたが、口ごもるんですわ。はっきりせんかいって散々責めましたらようやく口開きまして。

五月ごろから、こっそり男が通いだしたんですわ。いや誰か知りません、奥さん、私ら家の者にも隠してます。ほんとにそれ以上知りませんのですわ』

穏やかじゃないでしょ? 

俄然興味湧いて来たので、垣根ごしに覗きました。

そしたら確かに若い女性の影が! あのほら、お女中が腰にまく、エプロンみたいなやつ、ああ褶(しびら)。あれ巻いてましたんで、一応女主人て立場の人がどこかにいるはず、でも顔が見えません。ますます興味が湧いて、いや王子様の為にですけど、昨日の夕方も覗きました。

そしたらついに!見えました! いやまたこれがもう、それはそれはお綺麗なお方で! 手紙を書いてるようでしたが、その様子が本当にもう、物憂げで、悲しそうで寂しそうで…ああ、思いだしたら私まで泣けてきます。本当ですって。その証拠にその御方の後ろに控えてた女房たちまで、こう袖に目をあててもらい泣きしてたぐらいですから!」

ヒカル王子はニヤリと笑い

ほほー、こりゃなんとしてもお知り合いにならなくっちゃ♪

と心に誓うのであった。

惟光、心の声

(しっかし王子もほんと、手当たり次第っつうか何つうか…これだけ身分の違う女にも手ぇ出そうとするとかフツーじゃないわマジで。まあこんだけのイケメンでしかも人一倍の肉食系、目をつけた獲物は必ず狩るぜ!!って感じ?
でも、あの程度の身分の女でもこんなに気合入れるんだから、相手が六条の御方みたいな超絶無理目の美女を落とすときなんかいったいどんな手を…いやいやいや怖いわ…)

「それで、もうちょっとあの御方のことを知りたくなりまして。いや、あくまでも王子様の為ですよ。適当な用件こしらえてメール出してみました。そうしたら待ってたんか? ってぐらいの速攻レス!けっこうメール慣れ? してるみたいでソツのない、まあまあのレスでした。多分、頭の切れる女房がついてるんでしょうね」

おお、その調子だよっ惟光。どんどん聞いて!これ逃したら絶対後悔するっ!」

あの「雨夜の品定め」で話題になっていた、下の下、誰も寄り付かないような貧相な家に、意外やステキ女子を見つけちゃったー!というパティーン?!とヒカルの胸は弾むのであった。

参考HP「源氏物語の世界」

2015年12月14日月曜日

夕顔 その一

久しぶりの「ひかるのきみ」再開です。「夕顔」の段、2008年5月にもうひとつのブログで公開したものを加筆修正しました。今見るとこっ恥ずかしいことこの上ありませんが、せっかくなので置いておきます(^_^;)。

「夕顔」の段、始まる前にちょいと解説。


「空蝉」以来、堰をきったように恋の遍歴を重ね、名実ともに肉食系に変貌したヒカル。「中の品」であった空蝉さんの後、これまた超絶「上の品」の女性を手中にする。

その名も「六条の御息所」(ろくじょうのみやすどころ)。
 早死にした先の東宮、つまり現社長の兄にあたる人の未亡人、家柄も超一流なら、教養高く風雅の心得も深い、誰もが憧れる年増の(といっても二十代後半)美女である。
 だが彼女を得てもなお、ヒカルは満足できない。六条方面にお忍び歩きしつつも、その目は獲物を狙うハンターそのもの、新しい恋を常に追い求めています。

 平安時代、高貴な人々には乳母がいた。乳母というからにはもちろん「母乳が出る」、つまり赤ん坊を産んだばかりの人であるから、必然的に自分の子どもと仕えている人の子ども、同い年の二人以上に乳をやる。いわゆる「乳兄弟」と呼ばれる特殊な関係性がそこにできあがる。

 ヒカルの乳兄弟は惟光(これみつという男。上記の理由でヒカルとは生まれたときから主従関係にあるものの、同じ母の乳を飲んだ幼なじみでもあり、身分の差の割には気安く言いたいことを言い合える仲でもあった。
 その惟光の母つまりヒカルの乳母は、大病をしたため尼となった(俗世間で生きる罪深さを解消し、汚れを捨て去る=病を治す、または亡くなったとしても極楽に行けるように、との思いから、出家する人が多かった)。あるときヒカルはふと思いついて、五条の街中に住む、出家したばかりのこの乳母を見舞うことに。

「夕顔」の話はここから始まる。

先に言っておくと、この段はかなり情景描写が多いです。身分違いの恋を描くので、家屋敷の違いやなんかをはっきりさせとかないとっていうのが一番の理由でしょうが、さらにいえば読者の大半が上流階級であったこと。外出のままならない深窓の姫君たちには、シツコイくらいに説明しないと理解してもらえなかったのではないか。普通の街中の様子を詳細に描いて楽しんでもらうという目的もあったかも。今のように画像つきでSNSあげちゃうとかできませんからね。しかし今自分で読んでみてもキツイわこれ・・・けっこう伏線がはってあったりするので割とフルに書きましたが、要するに夕顔の人とヒカルが初めて歌をやり取りした時の話です。まあ適当に飛ばし読みで。きっと女房さんたちならそんな感じだったと思う(笑)。

2015年12月12日土曜日

12月に読んだ本

「ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ 影の支配者たちがアジアを狙う」
宋 鴻兵

考えてみれば、現代の通貨のしくみって不思議だ。
物々交換や金貨銀貨の取引とちがって、今のお金は単なる約束事であり、それ自体に額面通りの価値があるわけではない。さらに現金さえも持ち歩くことは減り、支払は電子マネーやカード、働いて貯めたお金は通帳に記載された数字。そのデータを守るために、高いお金をかけて高性能なコンピュータを導入、システムを構築し、24時間毎日保守運用。何だかなあという感じだが、この仕組があることで物事が動き、自分の力だけでは到底作れないものやできないことがお金で入手できるのだから、共通の概念というものは一旦広めることに成功すれば、こんなにもすごい力を得られるのだと感心してしまう。

米国政府には通貨発行権がない。
一見公共機関かのように見える金融機関は、実質ただの民間企業。昔からの一部の大金持ちの一族が米国政府および国の生殺与奪の実権を握っている。

という、ちょっと聞くと陰謀論めいた話を、歴史的経緯や実際の事件、公式の記録や数値のデータなどを基に、論理的に実証していく。金という有限の資源を基準とする実体経済から、市場の操作により(持つ者の思うがままに)いくらでも利を生む仕組みに変えられていく経緯など、金融全般の勉強にもなる上、なまじっかなミステリーより格段に面白い。本当にこの通りのことが行われていたとすれば、現在起こっている様々な事象も、すべて誰かの意図によって誘導されているのでは…などと思えてくる。
「国も人種も、世界平和も何も関係ない、ただひとつ金儲けをするという目的のために、少数のとんでもなく知能指数の高い一団が知恵を結集し、取れそうなところからよってたかってむしりとる」
という図式を当てはめれば、大体のことは説明がついてしまうような気がしてくるのだ。

ただ読み終わってみて思った。そうまでして儲けた有り余るほどの金を、この人達は何に使っているのだろう?
人間には所詮肉体という限界がある。たくさんものがあっても、それを全部有益に使う「時間」は等しく限られている。人ひとり永く生きたところでせいぜい100年そこそこ。自分たちの一族存続のためにとはいっても、限界はある。確かにお金を持たないと守れないものはあるが、持っているが故に攻撃される可能性も高くなる。普通に衣食住揃ってたまに娯楽もできる、老後もよほどのことがないかぎり安心、というラインを超えると、むしろ持っていれば持っているほど新たな不安材料が増える。その不安を解消するために、さらなるマネーゲームに金をつぎこみ、政治にもバンバン口を出し、国内で満足のいく利益が出ないとみれば、外国でも同じことを試みる。

・・・と、こう書いてみるとこの人達って本当に働き者だ、ある意味病的なほど。

ただ、家を建てる者がいなければ、農業を営む者がいなければ、いくら金があっても勝手に家は建たないし食べ物もでてこない。いろいろと技術を持って働く民がいないことには、彼らの生活も成り立たないのだ。そこいらへんは「知能指数の高い彼ら」なら十分に理解しているはず。結局生身の人間である以上、ある程度助け合わないと生きていけないので、人より多く持っている者は、そのぶん責任も負うことになる。というか是非背負い込んでくださいなという感じである。

著者は中国の人で、今後中国が進むべき道として、金本位制に準じた実体経済の導入をうたっており、それがかつて金融界を牛耳ってきた面々への対抗策にもなると主張している。2009年に書かれた本であるが、六年後の今、どのように世界が変わってきたか?を考えると、まだまだ良い方に変わっていく道ではなく、長年のツケを否応なく払わされている途中、のような印象だ。下々の庶民が出来ることとして、今更だがやはり金融系の勉強もするとしよう。


「関東大震災 朝鮮人虐殺の真実」 工藤美代子

刊行が上の本と偶然同じ(!)2009年。ということは東日本大震災前。あの時のことを思い出してみると、少なくとも混乱に乗じた「テロ」は起こっていない。もちろんそのような想定はしていたろうし、未然に防いだ可能性もあるが、何しろ震災直後は電話もろくに通じなかったし、電車も止まった。ところどころ停電もあり、道路も寸断されたため車での移動も困難になり、さまざまな物流が大混乱。地震が起きることを前もって知っていて事前準備していないかぎり、あの状況で何かを綿密に計画し実行するのは難しかったと思う。無人となった被災地を荒らす窃盗や、避難所での事件など聞こえてきたのは、少し落ち着いて来た頃だ。デマも多かった。ツイッターでチェーンメールの如くデマRTが次々と流れてきた。デマと判明し随分たったあとでも、FBの記事でシェアされてきたりもした。

いっぽう関東大震災のころは抗日運動盛んな時代、日本でテロを計画していた社会主義者も少ない数ではなく、軍や警察が厳重に警戒するのは無理からぬことだったろう。治安も悪化し、一般人が自警団を組んで防衛に当たったのも至極当然の動きではあった。
「虐殺」といえるような事象が本当にあったかどうかは、この本を読んだだけで結論付けることはできないと思うし、しようとも思わない。ただ「事実と違うまたは誇張した」デマが回って、煽られて犠牲を出してしまったことは事実だろう。2011年の時もそうだったが、強いストレスを受け不安な日々を過ごす人には、真っ当な話よりも、よりネガティブ、よりセンセーショナルな情報のほうが耳に入りやすい。そして悪い話ほど広がるスピードが速く、一度信じこんでしまうと、後に訂正されても受け入れにくくなる。ネットがある現代でさえそうだったのだから、テレビもなくラジオはじめ報道機関がほぼすべて壊滅した状態ではなおさらだろう。

いかにも物議を醸しそうなタイトルではあるけれど、前半は当時の日本の国内外の状況がさまざまな資料を元に詳細に描かれていて、大変興味深いし勉強にもなる。ただ「虐殺があったかなかったか」ではなく「なぜ虐殺といわれるに至ったか」に絞って追求していったほうが、かえって真実に肉薄できたのではないか。本書は学術本ではないし、事実が後から誇張されたり上書きされたりする経緯もきちんと調べて書かれているので、あえて結論づける必要はなかったように思う。当時を語る本としてはかなり良質だと思うので、ちょっともったいない気がする。

2015年12月4日金曜日

11月に読んだ本 2

残穢(ざんえ)」小野不由美

「リング」を読んだ時、一種の呪いというようなものが無機物であるビデオテープにより一気に、広範囲に伝播していくという発想に感心したが、本作の「呪い」は非常にオーソドックスというか、それぞれのエピソードが昔からよくあるような話であるぶん、身近にじわじわ迫るような感覚で怖い。本人がそれと自覚せずいつのまにか穢れに触れ、理由のよくわからない不安感や恐怖に苛まれた挙句不幸が起こり、さらにその不幸がたまたま近くにいたものを巻き込みながら徐々にひろがっていく。因縁のある土地、とか業の深い家、とかいう言い方をするときの具体的な状況とはこういうことなのだろう。

語られることで、書(描)かれることで、家として建てられることで、何かが発動される。形を得て名づけられることで、実体となり現実世界に影響を及ぼす。新しく家を建てるときにはお祓いをし、重要な局面では大会社の社長でも神頼みをする日本人は、昔からの「穢れ」の感覚から逃れられない。ビジュアルとしてはわかりにくいが、誰もが非常に理解しやすい恐怖を見事に描いていると思う。

「幽」や「新耳袋」を熟読している私としては、あーやっぱりこの話出たか!というエピソードも多く、だからといってそれで白けるとか冷めるとかはまったくなく、逆にいろいろ関連している気がしてきてますます怖い。この本読んだ後風邪引いたしなあ。それも熱も咳も出ないのにただひたすらダルくて。。。作者さんの「夏バテ」に似てるような気も。。いやきっと偶然、ですけどね。映画化されるみたいだけど大丈夫なのか?一気に何かが伝播。。。いやいやいや。

「親なるもの 断崖」曽根富美子

ネットの広告でよく見かける漫画で、ちょっと気になっていたところ、近所の大きな本屋で立ち読み用の冊子を読んだ。三分の一読んだところで購入を決めた(電子書籍)。
青森の寒村から室蘭の女郎屋に売られた四人の少女の運命を描いた大作。日本の負の歴史の現場が、凄みのある絵とセリフで迫ってくる。
正直重すぎて読むのが辛くなるが、単純な善悪の対立はここにはない。人間にも物事にも、絶対的な括りというものはないということを、作者は繰り返し語っている。

四人の中でもっとも波乱万丈で、酷薄な人生を歩んだ梅。ともに売られた最愛の姉は、着いたその日に客を取らされ首を吊る。姉が辿るはずだった道を自分が代わりに、と梅は十一歳にして女郎となる。
そんな梅に惚れ、助けようとする男たちが何人か現れるが、結果として誰ひとり彼女を救えない。梅を女郎にしたのは男であり、つらい仕事の相手も男。唯一愛した男も、身請けしてくれた男も、それは女郎であったが故に出会ったわけであり、根底のところでは男というものを信じていないし、許していないように思う。望まない性行為は、確実に人間を壊す。少々の愛や思いやりで癒されるほど甘いものではない。

何かあったら最後は死ぬんだと心の底で考えていた
あの女郎と地獄を共にすればいいと思っていた
社会主義も反政府主義も女郎を抱くことで解っているような気がしていた
だけど違っていた
おれは間違っていたよ父さん!!

女郎を愛したのならいっしょに地獄に堕ちるのじゃなく
地獄からいっしょに這い出さなきゃならないんだ!
いっしょに生きてやらなければならないんだよ!

そう思ったら…怖いよ
怖いよ父さん…
”生きる”ことがこんなに勇気のいることなんて
父さん…だけど父さん…!!
おれ生きていくよあの女郎といっしょに
生きのびてみせるよ!!

苦労知らずのボンボンだった若者のこのセリフ。命の危険に対峙したことで出たこの言葉は、ある意味梅の真の望みでもあり、二人はこの瞬間完全に理解しあったと言えるかもしれない(梅自身は聞いていないが)。
しかしこの恋人は特高に捕まり、梅は遊郭に連れ戻され、二度と結ばれることはなかった。梅は後に別の男に身請けされ外に抜け出すも、女郎あがりの経歴は消せない。酷い誹謗中傷や侮辱行為が娘に向かうことを止めるため、梅は姿を消す。「いっしょに生きてやる」ことのできる男は、ついに生涯現れなかった。心も体も傷つき壊れた梅が生きる理由はただひとつ、娘の道生を産んだこと。娘の存在そのものであった。

本当のことを知ったとしても
それがすべて真理ではないのだ
もっと深い
もっと重い
もっと遠い
そしていちばん近い自分のいのちの中にそれを見つけていけ

映像化してもいいくらいの壮大なドラマだが、これは漫画という表現方法でなければ真意が届かないかもしれない。脚本にするにはかなり難しい。ともすると「心ならずも遊郭で働く哀れな女性の物語」または「遊郭でしたたかに生きる女性の苦労話」とかありがちな流れに「当時の社会が悪い」「戦争は悪」とかいう単純な価値観が加味されそうだ。確かに国や戦争、戦時体制についての批判めいたくだりはあるが、彼女らの悲惨はそればかりが理由ではないし、理解したり共感したりしたからといって救われるわけでも何でもない。むしろそういった社会的な問題・システムの欠陥をいいことに、都合のいいほうに転んで弱者を蹴落としいたぶる人間がいかに多いか、綺麗事では人は救えないこと、中途半端な情けがさらなる害を為すことにもなるという皮肉、一括りではない個々の現実というものをひとつひとつ丁寧に、赤裸々に描き出しているように思う。

ここまで中身が濃く、複雑な構造の人間ドラマを描ききるには、心身ともにかなり消耗しただろう。室蘭が地元だという作者の、その心意気に敬意を表す。

2015年12月2日水曜日

11月に読んだ本 1


古代ギリシャのリアル」藤村シシン

ツイッターで知った藤村シシンさん。スッパーンと明るく開けっぴろげにとんでもない単語を、けれど熟知していないと絶対に出てこない事ごとを、マシンガンのように繰り出すその類まれなる知性、半端ない古代ギリシャ愛に惹かれ、密かにフォローし楽しんでいた。そのうち本を出すという話をタイムラインで知り、リアルな知人でもないどころかネットですら話しかけたこともないのに、速攻アマゾンで予約してしまった自分にびっくりだった。
当初より大幅に遅れてこの本を手にした時、予想をはるかに超えたカラフルで完成度の高い装丁にまず唸った。中身は言うに及ばず、愛を以て得た知識を惜しげもなくこれでもかと披露してくれる。これじゃ遅れるのも道理だ。かなりマニアックな内容なのに、神々の紹介や相関図はまるでゲームのキャラデザインのように、ビジュアル的にもわかりやすく楽しい。文章もテンポが良く読みやすい。あっという間に読み終えてしまった。
掴みがまず素晴らしいので引用しておく。

「はじめに、君たちに言っておきたいことがある。ギリシャといえば、青い海、白亜の神殿!なんてイメージは幻想だ。古代ギリシャ人は海をワイン色と表現する。そして古代ギリシャ語には元々「青」も「海」を表す単語もなかった。そして古代ギリシャの神殿は極彩色で彩色されていたから、元々白亜ではなかったんだ」

増刷になったとのこと、内容の濃さと面白さからすれば当然だが、こういう本の売れ方はなかなか新鮮。同じ専門家の方々や身内以外に、私みたいに密かに楽しんでた一般人が相当数いたということだ。
藤村一味でググるとたくさんまとめが出てくるので、興味を惹かれた向きは一読オススメ。ただし電車の中で読むと笑いをこらえるのが辛いかと。
個人的には、呪術師黒川さんや、日本史クラスタの本も読みたい。必ず買うので是非作って!とここで叫んどく。