おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

「オッペンハイマー」

2024年4月5日  2024年4月5日 

 封切早々行ってきましたぜ三時間。でも全然長く感じなかった。RRRで鍛えたからか!(違)もちろん終わった後トイレダッシュ。

 一応、伝記の体なのでネタバレも何もという感じだが、ここから先は出来れば観てからの方がいいかもしれない。

www.oppenheimermovie.comより

「オッペンハイマー」クリストファー・ノーラン

Oppenheimer Christopher Norlan(2023米)

 

 モヤモヤすると聞いていたがやはりモヤモヤした。幼い頃から原爆の恐ろしさを様々なメディアで叩き込まれて来た日本人としては、この徹底したオッペンハイマー視点の「原爆」、如何にアメリカ人と日本人の「感覚」がかけ離れているか思い知らされる。 

 それは何も、

 実験成功したぜyeah!よくやった英雄だワッショイ!

 という「わかりやすい」場面だけではない(イラっとはするが)。戦争の趨勢はほぼ確定してきた段階で、日本に原爆を落とすことの正当性をひねり出す場面だけでもない(イラっとry)。オッペンハイマーは全く以て人格者とはいいがたい、傲岸かつ癖の強い、ややクレイジーな学者男(キリアン・マーフィー素晴らしい!)だというのに、

「世界はそれまでと変わってしまった。我は死神なり、世界の破壊者なり」

 とかなんとかいうポエム(実際、古代インド聖典が元ネタ)を呟いてしまうのはいただけない。実にいただけない。なーに酔いしれてんだコイツ、いい人ぶってんじゃねえや、やっすい罪悪感やなオイ。と、激しく熱い怒りというよりはひんやり氷点下に冷え切った、

「ああ日本はやはり敗戦国なんだな畜生め」

 という思いがふつふつとわき出してくる。

 世界唯一の被爆国・日本に生まれ育ったとはいえ当事者では全然ない者にここまでの「モヤモヤ」を引き起こす演出は流石のノーラン監督。しかし本当にすごいのはここからだ。原爆の父として持て囃された「英雄」が一転、嵌められて地位を奪われる下りからの展開。「安い罪悪感」を漏らすオッペンハイマーに向けての痛烈なシーンが二つある。一つはトルーマン大統領との面会場面(史実ということに驚いた)。もう一つはストローズ。ストローズを演じたロバート・ダウニー・Jrがラスト近くで語る、そりゃアカデミー賞も獲りますわ納得、の圧巻のシーン。2つともに、私は正直いってスっとした。いやその通りやん、と。つまりは前半のモヤモヤも含めすべて、ノーラン監督の術中にすっかりはまっていたわけだ。

 一足先に観に行った次女と話していたのだが、いったいこの映画は、アメリカ人と日本人以外の、原爆当事者国じゃない国の人達の目にはどう映ったんだろうか。全世界で九億ドルを超える興行収入を得た、ノーラン監督の最高傑作という呼び声も高い今作に、何を見出したんだろうか。海外レビューをいくつか読んでみても、当然のことながら私が感じた「モヤモヤ」への言及はない。おそらく一切感知していないだろう。ただその恐ろしいまでの緻密で複雑な構成、オッペンハイマーという人間の深部に入り込まされるような感覚、各俳優の演技力等に絶賛の声をあげている。

 もとより映画というものは観る人によって引っかかるところ、響くところは異なるものだが、今作はもうまったくレベルが違う気がする。ノーラン監督によってぎっしりみちみちに積み重ねられ関連付けられた幾層ものレイヤーは常に揺れて動いており、観る者の心を映してそれぞれ違う像を結ぶのだ。

 キッシーはよくもよくも、G7首脳に広島原爆資料館を見せたよなあ……今の国際情勢だからこそ大きく響く、意味あることだよね。更にこの映画が全世界でヒット。うーん、もう一回観たくなってきた。

 そして、

「『オッペンハイマー』へのカウンターとなるアンサームービーを撮りたい」

 と仰った山崎貴監督、是非ぜひ頑張ってほしい。超応援。アイツらを存分にモヤモヤさせてやって!(←けっこう根に持ってる)

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