夕顔 ~右近ひとり語り~ その五
八
誰も、どうすることもできませんでした。
「いったい誰にこんなことを相談できるというのか。坊さんぐらいか? 役に立ちそうなのは」
お若い光の君はそんなことを言って強がったものの、亡くなった人を目の前にどうしたらいいのかおわかりにならず、お方さまの身体をひしと抱き、
「ねえ、ねえ君、生き返っておくれ、こんな悲しい目にあわせないで」
と繰り返されました。
が、その身体はますます冷え、生前の気配もむなしく薄れていくばかりでございました。
わたくしは恐ろしさもいっぺんに忘れ、
「お方さま、お方さまあっ!」
取り乱し、泣き騒いだのでございます。
「南殿の鬼が、何某の大臣を脅かした、という話もある。いくらなんでも死ぬことはないだろう、さっきまで元気だったのだから……夜に大声を出すのはよろしくない。右近、静かに」
光の君はご自分に言い聞かせるように仰いましたが、お方さまはもうはっきりと亡骸に成り果てていらっしゃいます。君は、ともすれば茫然としがちなわが身を奮い立たせるように、管理人の男に命じました。
「ここに、まことに不思議ながら、物の怪に襲われたらしい人がいる。苦しそうにしているので、今すぐ惟光朝臣の泊まっている家に向かい、急いでこちらに来るよう言え。
なんとかという阿闍梨がまだそこに居たら、一緒に連れて行くのだ、こっそりとな。尼君などに知られたらまずいから、あまり仰々しい物言いはしないように。このような忍び歩きは許さない方だから」
光君は冷静を装ってらっしゃいましたが、胸は塞がり、お方さまをこのままむざむざと死なせてしまったら一体どうなるのかと思うにつけ、荒れた屋敷はますます寒々と薄気味悪さを増していくばかりでした。
夜半も過ぎましたでしょうか、風がやや荒々しく吹きはじめました。松風がざわざわと低い音をたて、しわがれた異様な鳥の声、梟と申す鳥でしょうか、不気味に響きわたります。惟光さまを呼びに出払ってしまったため、院の内は人の声もありません。
「どうしてこんなところで夜を明かそうなどと思ってしまったのだろう」
と光君も後悔なさっておいででしたが、いまさら詮無いことでございました。
わたくしといえば、何も考えられないまま、畏れ多くも光の君にぴったり寄り添い申し上げ、震え死ぬかと思うほどでございました。今思えば光君は、わたくしのこともご心配だったのでしょう、しっかりとわたくしの衣を掴んでおいででした。お一人だけで気を強くしていらしたのですから、まことに勿体無くもお気の毒なことでございました。
灯りの火がほのかに瞬いて、母屋の境に立ててある屏風の上を、影がちらちらと動き、みしみしと床を踏みしめる何かの足音が、後ろから近寄ってくるような気配に総毛立ちました。
「惟光のやつ、何処にいるのだろう。早く来ればいいのに」
元々、居所が掴みにくい惟光さまでございます、そのことを良くおわかりになっている光の君ですのに、思わずそう口にしてしまうほど、その夜は二度と明けないのではないかと思うほどに長く、千夜を過すような心地がしたものでございました。
ようやく、鶏の声がはるか遠くから聞こえてまいりました。光の君はため息をつかれ、誰に言うともなく呟かれました。
「いったい、どういうめぐり合わせでこんな目に遭ったのだろう。
みんな私が悪いのだ。恋に溺れて自分を見失った報いに、こんな、この先も語り草となるような大それたことを引き起こしてしまった。
隠していても、起こったことは元には戻せない。内裏の帝のお耳に入ることはもちろん、世の噂になることは間違いない。口さがない京の子ども達のいい笑いものになるのだろう。
恋に狂って人を死なせてしまった、馬鹿者として」
>>>その六へ
参考HP「源氏物語の世界」
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