夕顔 その四
「何者なのか、さっぱりわかりません。
ただ必死に隠してるっていうのだけはわかります。
牛車出入りするたびに女子が興味津々で、南側の半蔀のある長屋のあたりで覗き見してますね。
たまに女主人らしいのも一緒に覗いてますが、どんな顔か? いやそれがはっきり見えませんけど、かなり可愛いみたいです。
それでこの間のことですが、小者らに交通整理させてゴーカな車がやってきましてな。
それ見た女子が、つい、
『ちょっとちょっと右近の君、早く御覧なさいよ。中将様がもうすぐいらっしゃるみたい!』
と叫んでしまって、それ聞いた大人の女が慌てて出てきて、
『しっ、静かに!』
と女子黙らせて、
『どうしてそうとわかったのよ? ホントかどうかちょっと見てくるわ!』
と裾からげて見に出てきました。
今にも崩れ落ちそうなボロい橋渡って行きましたが、慌ててるもんだから着物の裾を、欄干のささくれか何かに引っ掛けたんでしょうな、危うく橋から落ちそうになって、
『な、何よこの橋! 何処の馬鹿がかけたのよ!』
と叫んだら、自分が何で走ってたんか忘れたんでしょうな、でもすぐ思いだして、指折って数え出し始めまして。
『中将様だとしたら、立派なお直衣姿で、付き人だってたくさん連れてるはずよ、○○さんでしょ、××さんでしょ……』
もしかしたら、あの頭中将さまのお側づきの人間やその家来、手伝いの童子なんかの顔、知ってて言ってたんじゃないですかね?」
ヒカルはえっと驚き
「マジで?ホントに頭中将のことを言ってたんだとしたら……あの、『雨夜の品定め』の時言ってた、いまだに忘れられない常夏の女なのか?!」
妄想が頭を巡り出したヒカルの顔色を見てとった惟光、さらにたたみかける、
「実は、そうしてスネークしとりましたらあの家の女子といい感じになりまして(*´σー`)エヘヘ。
それでもっとあの家の内情?みたいなのわかってきました。
相手の子、
この家の人ってみーんなおんなじような感じでー、女主人みたいなの?は?そんなのいないしいー
て知らん顔してるんですよ。
まあこっちも、そんなん全然興味ないわー、君さえいれば♪的な?感じでテキトーにすっとぼけてコッソリ通ってますけどね。
よくもよくも隠してるもんだと感心します。ちっこい子がうかうかと口滑らせても、うまいこと誤魔化して、
まー何言ってるのかしらこの子は!誰もいないのにねええええ!
って、そらもう徹底してますわ」
「えー、ズルいぞぉ惟光ばっかりいろいろ見て。尼君のお見舞いにいくついでに、俺にもちょっと覗き見させてよぅ」
ニヤつく惟光にヒカルが身悶えしつつせがむ。
仮住まいかもしれないにせよ、あのようなあばら家に住んでいることから考えると
「左馬課長の言ってた、下の品て感じ? その中に、意外にもイイ女が♪的なやつかー!」
とまたまたそんなことを考えてワクワクしてしまうヒカル。
昔からの幼馴染であり、忠実な部下でもある惟光は、普段から些細なことでもヒカルの望むように、と腐心してはいたが、なんのことはない、自分も負けずおとらずの女好きだったので、全然苦でもなんでもない。むしろ必要以上に張り切ってアレコレ策を弄し、あっちこっちと段取りをして歩きながら、なんとかかんとか、首尾よくヒカルを通わせることに成功したのだった。
この辺の詳細は、語るのも野暮ということで略♪
この時代の常として女性の方も、はっきりどこの誰?などと野暮な詮索はしない。
それをいいことにヒカルも名のらないまま、むやみに粗末ななりをして、いつになく熱を入れて通うのであった。
こりゃ今回はよっぽどでっせ、と惟光も自分の馬を献上し、いつでもどこでもお供に♪と走り回る。
「愛人宅にコソコソ通ってるのを誰かに見られたらヤバイですよ、くれぐれも気をつけてくださいね!」
とぶつぶつ言いながらもそこは惟光、抜かりはない。
オトナの付き人は同じ人間をずっと使い、コドモのお手伝いはその都度違う子を一人ずつ連れて行く。
「万一誰かに、お?と思われては」と、途中どこかに立ち寄ることも一切しない。
慣れてくるにしたがい、さすがに女の方も、イマイチ不審で納得いかないので、手紙の使いに後をつけさせたり、夜明けの道を尾行させ、住まいをつきとめようとしてみたりするが、その度に巻かれてしまう。
そうやって自分のことは隠し続けるものの、ヒカルはこの女が可愛くて仕方がない。
いつも彼女のことで頭が一杯で、これはヤバイ、俺としたことがハマりすぎと反省しつつも、ますます頻繁に通ってしまう。
こと男女の問題では、どんなクソ真面目な人でも乱れるときはあるものだが(王子の父のように)、従来王子はぎりぎりのところで押しとどめて他人にソレと気取られるようなことはなかった。
が今回は、不思議なほど朝も昼もなく気にかかってしょうがない。
いやいや落ち着け、こんなにトチ狂って夢中になるほどの女でもないと、つとめて気持ちを冷まそうとするのだが、うまくいかない。
女はひたすら従順でおっとりとしていて、あまり物事を深く考えない、無邪気な子どものようである。
かと思えば、オトナの男女の機微はキッチリ心得ている。
大した身分でない、特に美人でも才媛でもない女のどこにこんなにも惹かれるのか、と何度も考え込んでしまうヒカルだったが、理由はわからない。まあ、恋とはそんなものである的な感じか。
ことさらにヨレヨレの服をまとい、姿も変え、顔はすっかり隠して、深夜人の寝静まるのを待って出入りする。昔がたりの妖怪じみていてうす気味悪くはあるが、隠し切れないイケメンぶりと物腰の上品さは暗闇の手探りでもよくわかる。
「いいとこのボンなんでしょうけど、いったいどこの誰なのかしらん。きっと、最近ウチに出入りしてるあの遊び人が手引きしたに違いないんだけど」
と惟光を疑いつつも、本人はそ知らぬ顔で、馴染みの女房にせっせと通いつめている風を装っているので、それ以上確かめる術もない。
女は女で、一風変わった不可思議な物思いにふけるのであった。
……と、ここまでお軽く書いてしまったが、実はこの「夕顔」の巻、物語としてはとてもよく出来ている。「空蝉」から明らかに雰囲気が変わるが、ここにきて格段にクラスアップした感。単なる噂話や恋バナではない、人生の悲哀まで描ききる、いっぱしの「小説」である。
なので「夕顔」メインストーリーは、目端のきく、冷静な中堅美人OL・右近ちゃんに語っていただく。右近ちゃんの、北島マヤばりのなりきりひとり語りをお楽しみください。
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