「スマートシティはなぜ失敗するのか」
怒涛の日々がようやく落ち着いた。ので、ずっと前に読んだコレから書いとく。
「スマートシティはなぜ失敗するのか 都市の人類学」シャノン・マターン(2024、訳 依田光江)
とはいえ爆速で読んでかなり内容を忘れてる(←)のでカンニング検索してみた。私が何を書こうがこれ以上のレビューには絶対ならないと思うので置いておきますね。
「スマートシティはなぜ失敗するのか」(シャノンマターン)の感想:技術的視点では捉えきれない都市の複雑さ
私の雑な印象としては「えっ今更そんなこと言うてはるんですか?!」だった。人はコンピューターではない(当たり前)、スマートシティという枠組みでは社会的階層の低い弱者の存在は見えなくなってしまう・結局は人と人とのケアが大事・地域の図書館が重要なハブとなる(うろおぼえ)、等々特に目新しいことはない……と思った。私の認識違いかもしれないので本気にしないでね(え)。以下つらつらと考えたことを述べる。
そもそもAIに期待しすぎな気がする。いうて既存のデータを入れ込んでるだけだからね。勿論人間より大量のデータを保持できるし処理速度は速いし学習もするとはいえ、そこから「完全に」新しい発想が出てくるわけないじゃんと思ってる。正誤も怪しいし、何なら得意といわれてる「要約」も危ないぞ?この本に書いてある「ダッシュボード」というやつはまさに、必要なもの(と誰かが判断したもの)をピックアップして見やすくまとめましたって話だから、そりゃあ漏れますよそれ以外の細部が。要約ってそういうもんだもの。見た目がシンプルでクールでわかりやすい、はとどのつまり大部分捨てられた状態なわけだ。
シンプルでクールで洗練された、を求めすぎると失敗する。現実の暮らしはもっと複雑で、無駄無益で行きつ戻りつの非効率な動きが多いけれども、その過程を踏むことにより秩序が保たれる・バランスを取っているところもままある。思うに「シティ」を目指すんじゃなく地方の小さなコミュニティ、つまり「昔ながらの田舎町」をロールモデルにするべきじゃないのかしら。もちろんこちらも極端なのはダメで、常に「開かれて」ないといけないけど。特に子育てなんて目や手が多いに越したことはないよなあ、と職住近接・超近距離三世代別居の親戚一家を見てつくづく思う。
図書館というシステムはもっと予算つけて、今ある箱の充実は勿論のこと「個人図書館」みたいなのできないかなあ。個人の蔵書を個人宅で所蔵して管理するやり方。全体のデータベースに登録して貸し借りも可能。紙本がまったくなくなってしまうことはない気もするけど、この先激減するのは確実だろうし増えはしないわよね。ならば考えてもいいと思う。というのも実家および自宅の蔵書をどうしたもんかと日々悩んでいるんですよう(泣)話が大幅にズレたけど、本はまあまあ面白かったです(とってつけたようなフォロー)。
※追記:個人図書館とか文庫とかは既にあるみたいね。やろうと思えばだれでもできる。問題は場所と管理よねえ(汗)。
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