夕顔 ~右近ひとり語り~ その四
六
その夜。
お二人が眠られたので、わたくしたちも休ませていただき、ほんのすこしとろとろ、としかけた頃でございます。
光の君とお方さまの枕上が、
ぼう
と白く光りました。
夢なのかもしれない、と思いながら、重いまぶたを押し開けて目を凝らすと、女が見えました。
髪の長い、姿のうつくしい女が、お二人を覗き込むように、座っておりました。
わたくしは
あなたさまをかけがえのないお方と、こんなに
こんなに……お慕い申し上げておりますのに
わたくしのところにはすこしもいらっしゃらないで
こんな……何処といってとりえのない女のかたなど連れて
お可愛がりになるなんて
なんて、なんて酷い……
……酷い……
女は呟くと、お方さまに覆いかぶさりました。
ばさあ
と広がる長い黒髪。
わたくしは払い除けようと手を伸ばし……
「右近、右近!」
光の君の声に目が覚めました。
闇の中に飛び起きますと、お二人の枕元に抜き身の刀がぬらぬらと光っております。
「急に火が消えたんだ、何かに襲われたのかと思って刀を抜いた。右近、誰か宿直の者を呼んで、灯りを頼んで来てくれ」
「く、暗うございます、とてもわたくしには」
「なんだ、子どもっぽいことを」
光の君は震えているわたくしをお笑いになって、
ぱん、ぱん
と手を叩かれました。
こたえたのは山彦だけでございました。
おそろしいほどの、闇と静けさ。
お方さまのご様子をうかがいますと、びっしょり汗をかいて、わなわなと震えてらっしゃいます。正気をうしなっておられるようでした。
「何でも無闇に怖がられる性質の方ですから、どんなにか」
と申し上げる声も震えました。光の君は、そうだな、か弱い人だから、と仰って
「私が誰か起こしてこよう。手を叩いても答えるのは山彦だけだしね。右近、こちらにおいで。お前のお方さまと一緒にいるのだ」
わたくしの手を引き寄せて、お方さまの隣に座らせ、西の妻戸に出て戸を押し開けられました。
渡殿の火も既に消えておりました。
七
微かに吹く風の中、僅かばかりの家来は皆寝入っておりました。光の君が親しくお使いになる、この院の管理人の息子である若者、殿上童一人、いつもの付き人数人、たったそれだけでございました。
呼びかけると、返事をして起きたようなので
「灯りを持って参れ。弓の弦を打って、絶えず音を出すように命じるのだ。こんなひと気のない場所で、気を許して眠り込むやつがあるか。惟光はどうした、来ていただろう」
とお叱りになられました。
家来たちは慌てて
「惟光さまは一度いらっしゃいましたが、特にご用もないので、夜明けがたお迎えに参ります、と仰せられてお帰りになられました」
と言い訳しました。
一人が、弓の弦を大げさに打ち鳴らし「火の用心」と言いながら、管理人のいる部屋の方角に向かったようです。
それほど遅い時間でもなかったというのに、何ゆえひとり残らず眠り込んでしまったのか……
わたくしは、とにかく恐ろしくて恐ろしくてたまらず、お方さまと共に突っ伏したまま震えているだけで、何も考えることはできませんでした。
「おいおい右近、ちょっと怖がり過ぎじゃないか? こういう荒れた場所では、狐のようなものが人を脅かそうとして怖がらすものなんだよ。私がいるからには大丈夫、そんなものには近寄らせない」
光の君は力強くそう仰って、暗闇の中わたくしを引き起こされました。
「も、申し訳ございませぬ。あまり恐ろしくて、気分が悪くなったものですから……。お方さまこそ、私以上に怖がってらっしゃいますわ、きっと」
「そうだな。またどうしてこんなに、」
伏したままのお方さまを抱き起こそうとした、光の君の手が止まりました。
お方さまは、息をしておりませんでした。
揺すっても力なく、なよなよとくず折れてしまいます。
「子どものように頼りない人だから、物の怪に魅入られてしまったのかもしれない」
呟いた光の君の声も震えておりました。
灯りが来ましたが、わたくしは動くこともできません。光君が几帳を引き寄せて、
「もっと近くに持って来い」
と言われても躊躇して持ってこないのを
「近くに来いと言うんだ! 遠慮している場合じゃない!」
とお叱りになっている様子を、ただ見ているしかありませんでした。
灯りが枕元を照らしたそのとき、女の姿が一瞬
ぼう
と浮かんだかと思うと、すぐに消えうせました。
「……昔話にはよく聞くが」
光の君もさすがに肌を粟立たせていらっしゃいました。が、すぐに気を取り直され、お方さまに声をおかけになりました。
返事はありませんでした。
お方さまの身体は、しんから冷え切っておられました。
とっくにこときれていらしたのです。
>>>その五へ
参考HP「源氏物語の世界」
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