手習 六
ColBase:伊勢物語 鳥の子図 |
新しい年が明けた。
まだ春のきざしは見えず、川はすっかり凍って水の音すらしない。あまりの心細さに、
「貴女に心惑わされたが、道には迷わなかった」
という匂宮の言葉を思い出す浮舟。恋心は枯れ果てたが、その時の場面だけは心に焼きついている。
「降りしきる野山の雪を眺めても
昔を今日も悲しく思い出す」
などといつものように手習いを慰めとして、勤行の合間に書いた。
(わたくしがいなくなってから初めての年が明けたと……そう思っている人もきっといる)
浮舟の心にあの顏、この顏が浮かぶ。
女房が若菜を粗末な籠に入れて持ってきた。
尼君は、
「山里の雪間の若菜を摘んで祝い
やはり貴女の将来を期待します」
との歌を添えて浮舟に渡した。
「雪深き野辺の若菜も今日からは
貴女のために長寿を祝って摘みましょう」
浮舟からの返歌に
「そう思ってくださるのは有り難いけれど……ただ、やはり尼姿ではなく普通の若い娘さんでいらしたらどんなにか」
尼君は心からの涙に濡れる。
寝室のすぐ傍にある紅梅を「春や昔の」の歌になぞらえて感慨に耽る浮舟。
※月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身一つはもとの身にして(古今集恋五-七四七 在原業平)
(わたくし自身は去年とは変わってしまったけれど、この花は色も香りも同じね)
他の花より特に心惹かれるのは、やはり香りが記憶ごと身に沁みついているからだろうか。
後夜の勤行には閼伽の花を供える。下臈の尼でやや若めの女房を呼んで梅花を折らせると、恨みがましく花びらが散り、香りが強く立ちのぼった。
「袖を触れ合った人の姿は見えないが花の香りが
それかとも思う春の夜明けよ」
大尼君の孫の一人で紀伊守となった者がこの程上京して、小野の庵を訪ねた。歳は三十そこそこで目鼻立ちは整っており、いかにも自信満々といった風情である。
「お元気でしたか、去年、おととしと如何お過ごしで?」
大尼君にいくら声をかけても呆けていて話にならないので、尼君の方にやって来た。
「祖母殿はすっかり耄碌してしまいましたな。哀れなものです。寿命も残り少ないというのに中々お目にかかることも難しく、遠い所で年月を過してしまって……両親が亡くなりました後は祖母殿お一方を親代わりでしたのに。ときに常陸守の北の方からは便りがございますか?」
常陸守の北の方、とはこの紀伊守の妹である。
「年月が経つにつれ、することもなく寂しさばかり勝っていきます。常陸からは久しく音沙汰がないわね。大尼君はもう一度会うまで待っていられるかしら」
我が母と同じ「常陸」という呼び名にドキっとする浮舟。もちろん無関係の他人である。
紀伊守はまた言う。
「上京してからもう数日になりますが、何だかんだと公事が忙しくて、ややこしい案件ばかりに関わっていましてね。本当なら昨日のうちに伺おうと思っていましたのに、右大将殿が宇治へおいでになるというのにお供して、終日故八の宮のお住まいだった所にて過ごしました。殿は故宮のご息女のもとに通っていらしたのですが先年に亡くなられ、もうお一方の妹君を密かに囲われたものの、此方も去年の春世を去られましてね。一周忌の法要をするということで彼方の寺の律師に細々と申しつけておられました。私も女装束一領を用立てねばなりませんので、此方で縫っていただけないでしょうか?材料は急いで準備させますから」
まさに自分の話だとわかって浮舟は動揺したが、皆に怪しまれては、と奥の方を向いて聞いていない振りをした。何も知らない尼君は
「あの聖の親王のご息女はお二人と聞いておりましたが……ほら二条院におられる、兵部卿宮の北の方は何方でしたっけ?」
この甥に問うと、
「ああ、二条院の方は正妻腹の妹君ですね。右大将殿の二人目の方は劣り腹らしいです。表立ったお扱いこそしておられませんでしたが、いたく悲しまれて……初めの方の時も大変でしたがね。もう少しで出家してしまわれるところでした」
すらすらと答える。
(薫さまと近しいご家来だったのね)
と思うと背筋が冷える浮舟だった。
この家来はさらに語る。
「不思議なことに二人とも若くして、同じ宇治でお亡くなりになったのですからね。昨日も、痛々しくてとても見ていられませんでしたよ。川に近い所で水面を覗き込まれて、酷く泣いていらっしゃいました。上の部屋に昇られてそこの柱に、
影もとどめなかったあの人、もろともに水の上に
落ちる私の涙はますます止めがたい
なんて歌を書きつけていらして。殿は中々言葉に出して仰ることは少ないお方なんですが、ただその雰囲気がね……こっちの胸まで痛くなるような切なさで。あれほど思われたら女冥利に尽きるってもんですよ。お若くいらした時からずっと、実に優れたお方よと拝見していましたが、この頃はますます男盛りでいらっしゃる。当代きっての権力者など何ほどでもない、ただこの殿を一心にお頼み申し上げて過してまいった甲斐がありましたね」
(こんな風に仕事内容を余所でペラペラ喋ってしまうような下っ端の家来でも、薫さまの美点は理解しているのね)
などと妙に感心する浮舟である。
尼君は、
「光る君と呼ばれた故ヒカル院のご様子には比べようもないと存じますが、当世では一族あげて栄えていらっしゃいますわね。ご子息に当たる夕霧右大臣ですとか」
「そうですね、たいそう凛々しく整ったお顔立ちで貫禄もあり、さすがは大臣といった威厳がございます。それと兵部卿宮、此方がまた途方もなくお美しい。女の身として親しくお仕え申し上げたい、とまで思いますね」
紀伊守は、まるで誰かに話せと命じられたかのように、浮舟の心に響く内容ばかり語る。興味深く聞いていると、自分自身が経験したことすら他人事のように思えて来る。紀伊守は思い存分喋り倒してから出て行った。
(薫さまは……わたくしを忘れておられない)
と胸打たれるにつけても、母親の心の内が推し量られるが、尼となった姿を見せねばならないと思うと気が引ける。
周りの尼や女房達は、紀伊守が言いつけていった「女装束」の準備に早速かかり始めた。浮舟は何とも奇妙奇天烈な心地がするも、まさか自分のこととは言い出せない。
皆テキパキと布を裁つやら縫うやら大忙しである。浮舟にも当然のように声がかかった。
「此方をお願いしますわ。貴女はとても上手に折り曲げられますから」
と小袿の単衣を差し出されて、さすがに自分の「一周忌の衣装」と思うと平静ではいられない。手も触れずに突っ伏した浮舟に、
「まあ、どうなさったの?」
と尼君が手を止めて駆けよる。
他の女房達は特に気にも留めず、紅に桜の織物の袿を重ねて、
「貴女にはこういう衣装をこそ差し上げたいわね。無粋な墨染などではなくて」
などと言っている。
「尼姿に変わった身の上で、昔のような
衣装を着て今更偲ぶなんて」
と書いて、
(おいたわしいこと。わたくしがもし儚くなれば、何事も隠しきれない此の世、あちこちから聞きあわせて事情を知ることになるだろう。あんなにひた隠しに隠していた薄情者、と思われるかしら)
あれこれ思いを巡らせつつ、
「過ぎ去ったことはすっかり忘れてしまいましたが、こういった衣装の仕立てをするにつけ何となくしんみりします」
ゆったりと言う。
「忘れたなどと、きっと思い出すことは多くございますでしょう?いつまでもお隠しになっていることが辛うございますわ。私自身は、このような世の常の色合いなど久しく忘れていましたから、どうしても野暮ったくなってしまう。亡き娘が此処にいてくれたら、と思いますよ。貴女にもそんな風にお世話くださった親御さまがおありでしょう?娘を亡くした私でさえ、まだどこかにいるのではないか、居場所を尋ね歩きたいと思ったりするくらいですからね。きっと何処をどう探せばいいのかもわからず、ただただ心配していらっしゃるのではないかしら」
「俗世にいた頃、片親はございました。ここ数か月の間にもしかしたら亡くなったかも……」
涙がこみあげるのを誤魔化そうと続けて、
「思い出すとかえって苦しいこともありますので、なかなか申し上げられないのです。今更何を隠し立てしましょうか」
言葉少なく言うにとどめた。
こんにちは、小宰相の君と申します。后の宮、つまり明石中宮さまにお仕え致しております。
薫さまの恋人?そんな、滅相も無い。時折お立ち寄りいただいて、世間話などするだけの仲ですよ。ただのいちファン、いち推しというやつです、ええ。
薫さまはこの度、浮舟の君の一周忌ということで宇治にいらしたようです。もう一年経ってしまった、何ともあっけないことだ……と溜息しきりでしたとか。
浮舟の君のご親族に対しては、出来るだけのことをしてやりたいと仰っていた通り、実に手厚いお扱いです。あの常陸守のご子息がたが元服されると蔵人とし、ご自身の所属される右近衛府の将監として取り立てられましたのもそのひとつ。まだ小さい子供たちも、
「見目の良い子なら私の傍仕えとして使おう」
というお心づもりのようです。
雨が静かに降る夜、薫さまが明石中宮さまのところに参上なさいました。今宵の御前は人もまばらでのんびりした雰囲気です。薫さまはいつものように近況をご報告されるついでに、珍しく宇治の話をされました。
「鄙びた山里に長年通っておりましたことで何かと非難も受けましたが、そういう宿縁であったのでしょう。誰しも否応なく心が向くことはある、それほどのことでもないと自分に言い聞かせつつ時々訪れていたものの、憂しにも通じる所柄のせいでしょうか……辛い所と思うようになりましてからは、道のりも遙か遠くのような気がいたしまして、長く足を踏み入れないままでした。先だって久しぶりに行きましたところ、儚い此の世の有様を重ね重ね実感することになりまして、もしかしたらこの場所は私に道心を起こさせるよう造っておかれた聖の住処かと、そう思った次第です」
中宮さまにとっては僧都の話を切り出す絶好のタイミングでした。
「……宇治には何やら恐ろしい物でも棲んでいるのでしょうか?……その方はどんなふうにお亡くなりに?」
相次いでお二人が亡くなられたことは周知の事実ですので、この質問自体は薫さまも特に不審には思われなかったのでしょう、
「恐ろしい物、たしかにそうかもしれません。あんな風に人里離れた場所には、よからぬものがきっと棲みつきましょう。亡くなりました経緯も普通ではございませんでしたので」
あまり多くは語られないまま退出されました。
その後すぐに中宮さまが私をお呼びになり、小声で仰いました。
「薫大将は今でもあの方を思ってらっしゃるのね……あまりにお気の毒で、何度も打ち明けようかと思ったけれど、本当にその方かどうかはわからないし、何だか気後れしてしまってとてもあれ以上は……小宰相の君、貴女は色々と聞き合わせてらっしゃるわね?不都合なことは伏せて、そういえばこういうことがありましたと、世間話を装って何気なくお伝えしてくださらない?」
「そんな……お身内である中宮さまさえご遠慮なさることを、まして一介の女房の私が申せましょうか」
「色々ありますのよ……わたくしはわたくしで不都合な事情が」
匂宮さまが病みやつれられ大騒ぎになったのは、ちょうど浮舟の君が亡くなられた時期と重なっております。我が息子の不始末はもはや全てご存知の中宮さま、多大なご迷惑をかけた薫さまに対し得意顔にそんな話は出来ないということでしょう。下手をすると、中宮さまは初めからご承知だった・容認していたなどと邪推されて、今後の関係にも支障を来しかねません。中宮さまのお立場としては、何も知らない・知らなかった体を貫き通されるのが最善です。
さすがのお心遣い、と感服いたしました。この聡明なお方の御子だというのに、宮さまはどうしてああなってしまわれたのか。ああ、余計なことを申しました。失礼いたしました。
その日、薫さまが私の局に立ち寄られたのはすっかり夜が更けた頃にございました。
私は中宮さまの仰る通り、あくまで僧都のお話を小耳に挟んで……というスタンスで語りました。薫さまはたいへん驚かれて、暫く言葉も出ないご様子でした。
お心の声はしっかり聞こえてまいりましたよ―――。
(何という不思議な話だ。聞いたこともない。先ほどの中宮のご質問は、遠回しに探りを入れたということか。直接私に話していただければよかったのに。水臭い)
(いや……私にしても始めからの経緯をすべて申し上げていたわけではない。今この話を聞いても、やはり馬鹿々々しいようで人に漏らす気にはなれないが……全然関係のないところですっかり知れ渡っていたりするのかも。実際どんなに隠そうとしても無理なのが世の中だから)
時折此方をちらちらご覧になりつつ、じっと考え込んでいらっしゃいました。大方、私にすべてを吐き出されることは憚られたのでしょう、
「そうか……不思議だね。世の中には似たような人もいるものだ。その人は今も生きて……?」
平静を装い問われました。
「僧都が下山した折に尼になさったそうですよ。重く患っていた時にはお世話をしていた尼たちが惜しんでさせなかったのですが、回復されてからご本人のたってのご希望があり髪を下ろされた、とのことです」
聞いたままを申しました。
薫さまはまた黙ってしまわれました。発見された場所が宇治、いなくなった当時の有様を思い合わせても、ほぼ浮舟の君に間違いないと当たりをつけられたようです。
(本当にそうなら、今更顔を合わせてもすごく気まずいだろうな……どうしたら確実なことがわかるだろう?自分で直接出向いて尋ねるのは目立ちすぎるし、世間体も悪い気がする。万一あの匂宮に聞きつけられでもしたら、絶対にしゃしゃり出てくる。せっかくの仏道修行も妨害しかねない。待てよ……もしかしたら匂宮は既に知っていて『薫には知らせるな』と言い置いたのか?中宮がそんな珍しい話をお耳にしながら私に直ぐ仰らなかったのは、そのせいなのか?もし匂宮絡みなら、どんなに未練が残っていようともう亡くなったものとして諦めよう。此の世の人として立ち戻ったのならば、いつか黄泉のほとりに吹き寄せられるまま語り合える日も来る。我が物として取り戻して妻にしようという考えは二度と持つまい)
素知らぬ風でいらした薫さまでしたが、内心は如何に中宮さまから聞きだすかという思いで占められていたのでしょう。
程なくして、また此方へ参上されたのでした。
「お恥ずかしい話ですが、失ったと思っておりました人が、世に落ちぶれつつも生きていると、ある人から聞きました。にわかには信じがたいことではございましたが、いや、あの性質ならばと思い直しました。自分から思い切った振舞いをして離れていくような人ではないと、ずっとそう考えておりましたので……物の怪に誑かされて彷徨い誰かに助けられた、という流れはまさに彼女ならばありそうなことだと」
薫さまはいらっしゃるなりそう切り出され、浮舟の君とのお話を詳細に語られました。もちろん、匂宮さまの行状もやんわりとですが事細かに。決して恨みがましい言い方ではありませんでしたが。
「私が彼女を探し出したと匂宮が聞こし召せば、まだそんな女に拘っているのか、執念深いことと嗤われるでしょう。ですから、もし本当に生きていたとしても知らぬ振りをしていようかと存じます」
暗に、中宮さまにも釘を刺されましたね。あの宮さまに漏らしてはいないかと。
「あの僧都はいろいろと気味の悪い話を沢山されたものですから怖くて、いちいちどれがどれとも気に留めたりはしませんでしたのよ。匂宮はその場にいませんでしたし、知りようがありません。あの困ったご性分でそんなことを聞きつけたらどうなることやら、考えたくもない。こと恋愛にかけては浮ついた軽薄な宮だと世間でも評判なのが、情けなくてなりませんわ」
中宮さまはきっぱりと否定されました。
(よかった。中宮は慎重なお方だから、たとえ内々の世間話としてでも人の秘密事を漏らしたりはなさるまい)
薫さまも少し安心されたようでした。
浮舟の君が今どちらにお住まいなのか、どうしたらお逢いできるのか―――この先はきっと薫さまご自身で、あの僧都にお聞きになられるのでしょう。重い身分でいらっしゃいますから極力目立たぬよう、かつ人に知られても不審がられないような理由をつけて。
薫さまは毎月八日には宇治にて仏事を催されますので、薬師仏へのご寄進ついでに比叡山延暦寺・根本中堂へも時々お出かけになられます。きっとその折に横川に立ち寄られるおつもりでしょうね。
薫さまのことですから、事実関係がはっきりするまであちらのご親族には何も仰らないでしょうが、きっとあの方のごきょうだいの童を供につけるのではないかとみています。
何より、この話を聞いてからの薫さまの浮かれようといったら。いいえ、普通の人にはもちろんわかりませんよ?元々からして感情を表に出す方ではございませんから。目が違うんですよね。何と言いますか、夢心地といったふんわり感が、うっすらと。当然ですよね、一周忌を終えたばかりの恋人が実は生きていた―――なんて、浮足立たないわけがありません。
ただ、思慮深い方ゆえの不安もございました。
(もし本当にその女が浮舟だとわかったとして……尼の草庵だ、どんなにみすぼらしく荒んでいるか知れない。ことによると……別の男がいたりしたら)
出家したとはいえ若くお美しい女性、匂宮さまのこともありましたし、一途に信じきれないのも致し方ないでしょう。お辛いことと存じます。
それでも私は、薫さまにお知らせできてよかったと思っております。表情には出されずとも、浮舟の君を喪ってからの悲嘆の深さは尋常ではありませんでしたので……大袈裟に凹んだ風をみせて病だ何だと世間を騒がせた割には、今は一周忌も知らぬ顏でケロっとしてらっしゃるどこかの宮さまとは全然違いますからね。
ああ、すみません。つい本音が……お忘れください。
とにかく薫さま推しの私としましては、少しでも明るい方向に事が進みますよう切に祈っております。
小宰相の君でした。
参考HP「源氏物語の世界」他
にほんブログ村
コメント
コメントを投稿