2012年11月20日火曜日

10月に読んだ本

いつものことだがまた間隔があいてしまった。今11月だというのにこのタイトルは・・・と迷ったものの10月に読んだものは読んだんだから仕方ない。

「最悪」奥田英朗

奥田英朗さんの作品は、実はまたまた新聞連載でちょこっと読んだのが初めて。しかも後半のみ。けっこう面白かったので、読んでみた。してみると新聞小説って、本を売るには意外に有効な手なのね。まあ、この先も紙の新聞が売れ続ければ、の話だが。

これといって目立つ産業もなく観光資源もない、平凡な地方都市の中での話。大都会というわけでもないが、かといってのどかな田舎というわけでもない、これ以上発展するあてもほとんどない、閉塞した感じがよく描かれている。複数の登場人物の、げんなりするような日常がさらに悪い方向に動いていく様子、こちらもげんなりしながら目を離せない。他人の不幸は蜜の味、なんだかんだ言いつつこれを最後まで読み終えてしまったアンタが一番最悪だよ!と作者に高笑いされてる気分だ。ちょっと悔しい。
この本のラスト数ページは美容院で読んだ。担当の若いお姉さんに「イン・ザ・プール」も良かったですよと勧められた。また読んでしまうかもしれないじゃないか。くそう。


「ストロベリーナイト」誉田哲也

こちらも初。長女に前から勧められていた。奴は三作目くらいまで読んでいるらしい。
割と正統的な娯楽サスペンス。テンポよく読み進められ読後もスッキリ。しかしスッキリしすぎ!と思ってしまうのは奥田さんの毒がまだ残っているからか。「ストロベリーナイト」に取り憑かれてしまう理由がちょっと、個人的には弱いかなーと思った。あまり書きすぎるとネタバレになるのでこれ以上は言わない。でも面白かったので今度また次を読んでみようと思う。

2012年10月5日金曜日

10月に観た映画

ヒア・アフター クリント・イーストウッド監督

忙しかったので作業しながら斜め見しようかなと思ったら、全然ダメだった。最初から最後まで何も出来ないで画面に釘付け。いや本来映画はそういうものであってほしいが。やはりこれも映画館で観ればよかった…という一本だった。

まず冒頭の、スマトラの津波映像が予想を超えて凄かった。圧倒的なリアリティと、それでいて拘りの映像美。胸がひりつくほど怖いのに、目を離せない美しさ。ただ、少し後ろめたい気持ちにもなった。もし大震災時の津波が今後このように映画の中の1エピソードとされたらどうなんだろうか。それが素晴らしい映像であればあるほど、複雑な気持ちになるのかもしれないな、と。ただこの映画、震災一ヶ月前に公開され、震災後数日で上映とりやめとなった。配給元のワーナーは売上の一部を寄付もしている。

さて肝心の物語。それぞれ別の国で、別々の理由で「死」にとらわれた三人が、手繰り寄せられるように一同に会する、という話。一人は津波に遭い死にかけたことから、一人は常に死人の存在に触れずにいられない霊能力ゆえに、一人は双子の兄の不慮の事故死ゆえに。他の人からは理解されにくく、どちらかというと排斥されてしまう三人だが、考えてみれば人間は必ず死ぬのだから、死が無いかのように生きているほうが本当は間違っているんだろう。しかし、自分を完全に理解してくれる他者との出会い、で大体のことは解決してしまうのだなあ。人間はやはり孤独には耐えられないのだろうか。

このごろのDVDにはメイキングめいたおまけがよくついているのだが、ここでのお気に入りエピソード。

「ロンドンでは割と治安の悪いところで撮影することが多かったんだけど、監督が
『こういう場所では、女性をひとり歩きさせたくないね』
ていったんだよ。クリントが、あの顔であの喋り方で
『こういう場所では、女性をひとり歩きさせたくないね』(←この人ホントに二回言った)
・・・これを聞けただけで俺はこの映画に参加できてラッキーだったと思う」

昔気質の爺ちゃん監督、愛されてます。

10月に読んだ本

「終わらざる夏」浅田次郎

浅田さんらしく読みやすい、端正な文章だというのに、なんだか今回はとても辛かった。辛くて何度も読むのを中断した。登場人物一人一人がとても丁寧に、丹念に描かれている物語ではよくありがちなことだが、知り合いの話を読んでいるような気になってくる。今回厳然たる歴史的事実も頭にあり、読み進めていくほどに彼らの運命が眼前に迫ってきて、本当に辛かった。
日本の敗戦が決まった日、千島の小さな島占守島に攻め込んできたロシア軍を日本軍が見事撃退した、という史実を元に作られた物語だが、勇壮な戦いのシーンは皆無。この島にいる軍隊がどういう理由で止め置かれることになったのか、どういう事情で皆ここにいるのか、敗戦処理の役割をそれと知らずに担わされた翻訳家の老兵(といっても45歳だが)を軸に描いている。

今まさに平和な日本において「小さな島」をめぐって紛争が起こっているが、この時は軍人のみならず民間人も普通に持っていた「領土を取られることは命を取られることと同じ」「この島が取られれば、次は北海道だ」という共通認識というか危機感、一体どこにいってしまったのだろう。国というものが何か、きちんと教育してこなかった日本のツケが今いろんな形で出てきていると思う。戦争反対ーというのは簡単だが、なぜ戦争状態になってしまうのか、戦争になると何が起こるのか、やめようとするときに何が起こるのか、きっちり検証して子々孫々に教えていくべきことなんじゃないのか。

といろいろ真面目に考えてしまう本だったが、最後にちょっとずっこけた。いや、人によるかもしれないが、私はちょっと・・・うーん、これをラストに持ってきますか。まあ、そういう形もありだけど・・・うーん。気になる向きは読んでみて、私に感想をきかせてくださいな。

2012年9月25日火曜日

9月に観た映画

ふと気づくと、このところずうううっと映画館で映画を観てない。いや、観てるけど、子供向けばっか。一番最近観たのがNARUTOという・・・いや別にいいんだけどね・・・洋画観たい。

で、これですよ。シャーロック・ホームズ二作目、「シャドウゲーム」。一言でいえば安心のクオリティ。最初から最後まで素直に面白かった!映画館で観たかったなあ・・・なんだか気づかないうちに終わってたんだよなあ・・・最近、洋画の上映サイクルが異常に短くないか?私がぼーっとしてただけか。今夏も暑かったしなあ。ロバート・ダウニーJrは相変わらず阿部ちゃんテイスト。今回やたら変装するんだが、そのバレバレ感たっぷりな化け方すら阿部ちゃんっぽい。ホームズ日本版とかあったら絶対阿部ちゃんだな。それにしてもとても変装の名人とは思えないぞホームズ。たたみかけるような軽快なストーリー運びは今回も踏襲しているが、とくにお笑い系エピソードが秀逸。新婚のワトソン夫妻のヒサンなハネムーンはそこまでやるかという徹底ぶりで中々笑えた。世界中の誰もが知っているシリーズであるから、俳優もノリノリでキャラがしっかり立っていて、最後までダレることなく一気にみせる。きっとあるであろう三作目が楽しみだぞ。次は映画館で観ようそうしよう。

2012年9月19日水曜日

9月に読んだ本

夏休み終わってさあ!と思ったら息子マイコプラズマで倒れ、体育祭はおろか連休を棒に振る。マイコプラズマは耐性菌も出来てて高熱出るわ咳はひどいわで意外に大変。流行中とのことで皆様もお気をつけ遊ばしませ。

で。
いつもの山崎さん…と言いたいところだが、正直二巻目から最後まで歯切れが悪いままだった。山崎さんが身を置いていた新聞ジャーナリズムの世界、表から裏までよく知った世界を書いたはずなのに「不毛地帯」や「沈まぬ太陽」のときのような、大組織の悪徳や矛盾をバッサバッサと斬っていく思い切りの良さが、今回は見当たらない。さすがの女傑も、身内を斬ることには迷いが出たのか。

なんというか、ヒーローがいないのがつまらない。大概主人公は家庭をあまり顧みない仕事人間なのだが、真剣に・実直に自分のやるべきことに向き合っているがゆえの話だし、一方で家族に深く感謝もし済まなくも思っている。だからこそ家族も彼を支える。大胆でハイリスクな決断や行動の裏には、そういう自他の細やかな心遣いがあるのだ。だから脇役でも光る。

今回は残念ながら、登場人物の誰ひとりとして好きになれない。ようは「空気読まずイケイケでやりたいことやってた傲慢な新聞記者が、国益に関する情報に手を出してお灸をすえられた」ってことなんで、正直同情の余地無し。例の密約については、近年ついにその存在が明らかになった!て現与党の大臣がドヤ顔で言ってたけど、騒いでたのは一部マスコミだけ、一般国民としてはそれがどーしたんですか?て感じ。沖縄返還のための交渉カードのひとつってだけでしょ。交渉の内容をいちいち明らかにできるわけない。今まさに合意がまとまるかどうかのさなかに「国家が隠蔽してる!知る権利の侵害だキー!」とやり玉にあげようとしたらそりゃちょっと待てコラ、てなるよ。
んで解雇されて自棄になり家族を見捨てて実家の家業も放り投げ、末路が沖縄でプロ市民ですか・・・もうなんというかダメダメじゃん。山崎さん、いつも主人公に惚れ込んでる様子がよくわかるのに、今回は全然それがなかった。やっぱダメ男はきっぱりさっぱり切り捨てなきゃあかんですよ。つか、次回作やるなら、特に新聞じゃなくてもいいけどマスコミ関係を斬ってほしいです。最近とみに酷すぎなんで。



うってかわってこちらは、細やかな心遣い満載の、英国古き良き時代の一作。
オースティンのお話は「プライドと偏見」しか読んだことないのだけれど、それがめっぽう面白かったのでいつか全作制覇したいと思っている。こちらは晩年近くに書かれたものだけど予想以上に良かった。
何が良いって、主人公の女性がすっごい真面目で常識的で、かといって堅苦しすぎるということもなく、バランス感覚にあふれた魅力的な人物であること。小説の主人公で、しかも女性でこれだけ真面目で真っ当な人は少ないのではないんだろうか。身近にいたら是非ともお友達になりたい人だ。
さらに好感が持てるのは、出てくる人たちが多少の欠点はあるものの、全員品がよく振る舞いに節度があること。翻訳もののせいもあるけど言葉遣いもちょっと古くさいが美しい。

お話としてはよくある感じ。
「経済力がない・社会的地位が低いという理由で家族に反対されて結婚を諦めた恋人が、すっかり出世しお金持ちになっていた。ふとしたきっかけでまた顔を合わせることになった二人。お互い独身で何も障害はないが、過去のいろいろで簡単にことはすすまない。お互い素直になれないうちに双方に別々の縁談が・・・」
ぱーっと恋に落ちて、というわかりやすい情熱ではないが、長年あたためた思いが少しずつ熟して、周囲の思惑や何かをかいくぐり、そっと表にあらわれてくるさまは中々にワクワクする。これ原文てどんな感じなのかな。そちらもちょっと読んでみたいかも。

2012年9月6日木曜日

夏休みに読んだ本(まとめて)

朝の喧騒が過ぎるとすっかり静かな家の中。さくさく母の夏休みの宿題を済ませてしまおう。

最初は、外出中の長女から「今本屋。海堂さんの新作の文庫出てるんだけど買っていい?(お金あとでよろしく)」というメールがきて、おおしょうがないなーとうっかり買ってしまうハメ(?)になった上下巻。いや別にイヤイヤ買ったわけじゃないが。しかし忙しくて結局読んだのは一ヶ月後くらい(意味なし)。当の長女も臨海学校だ合宿だ、学祭の準備だとほとんど家にいなかったが、読めたんだろうか?
一言で言って、今回は完全なる「医療系ミステリー」であった。「このミス」大賞をとったくらいだから当たり前なんであるが、最新鋭の医療機器や医学知識、大病院の内部事情なんかをとっぱらってもいける感じの正統派な作り。いや、実際にはそれがあってこそのトリックであり、とっぱらうなんてことは出来ないんだけれども、作品の組立として、という意味で。お医者さんというのはほんとに本を読むのも書くのも速いのねーとちょっと憎たらしい(笑)。
さてお次は久々の宮部作品。こちらはRPGのような世界観と、リアルを融合させようとした…といっていいのだろうか。スティーヴン・キングの「ダーク・タワー」シリーズを彷彿とさせる人物や場面が其処此処に出てきて、お好きな向きは楽しいかも。私も楽しませていただいた。安定した文章力と構成で、どんどん読み進む、のはいつもの宮部作品。
だが。だがですよ。
やっぱりなんだかこれおかしくないか。
「どうもいじめられていたらしい兄が、思い余って相手を一人殺し一人傷つけた」→「優等生で正義感の強い兄がそんなことをやらかしたのは『英雄の書』に惑わされたから」
あまりネタバレになるのも何なのでコレ以上は書かないが、この理由付けは一体なんなんだ。こじつけというか、責任転嫁してるというか、妄想じみているというか何というか。ファンタジーならばなおさら、不条理感を出すならもうちょっと際立ったものにしてほしかった。いじめられっ子を助ける正義の味方がやりすぎた、というヌルい感じじゃなく、もっと人間の黒い部分全開に。うーん、宮部さんは良い人すぎるのかなあ。世界観がけっこう面白いだけに、ちょっと勿体無いような気も。続きがありそうな感じなので、そのへん折込み済みなのかもしれないけど。

2012年9月5日水曜日

紀行文【中1男子(読書めんどくさい)編】

続きを書くといいつつもう夏休み終わっちゃってますけれども。

紀行文

つまり旅行などでいつもと違う場所に行ったことをつらつらと、その時々の心情を交えて書く、そういうものといえばよろしいでしょうか。学校の宿題作文リストには「旅を通じて自分自身が変わったことを書きましょう」みたいなことが書いてあったりしたが、そんな

「自分が変わるほどの衝撃的な旅」

なんて早々あるわけないやん。ただ景色をみてキレイだなと思ったり、すげえええと感動したり、帰ってきてやっぱり家が一番だわと再認識したり、そういうよくある普通の感覚を文章化する、それで何がいけないのかね。とりあえず理想を言ってるだけだという大人の事情はわからんでもないけど。

というわけで、書かせてみた紀行文。
幸い今年は、いつもの帰省の際に「金比羅山参り」という非常にわかりやすいイベントをこなしてきた。本のあらすじはすぐ忘れる息子だが、そこは男子の常で方向感覚は良く道筋もよく覚えている。

とにかく何でもいいから順を追って最初から最後まで、金比羅山の入り口から頂上、下りるまでの全行程を書け!

話はそれからだってことで開始。

日程的にギリギリながら、一応下書きっぽいものを自力で書いたのは息子にしちゃ上出来。しかしだな、紙が小さすぎだぞ。これでどうやって添削しろっつうの。真っ赤っ赤のこの紙では到底この通りに直しなんぞできまい。

そこで甘い、超甘い対応だが、母が全面的に添削文章を別紙に書き直し。みっちり最初から最後まで自分で書かせるべきなんだろうが、そんなことをしていては何時間かかるかわからん。本人の集中力ももたないし、だいいち妹の自由研究にも時間と手間をさかねばならない母の気力体力がもたん。この状況で「自分で書かせる」ことに固執すると結局母がイタコにならざるを得ない。釈然としない気持ちながらも別紙に書き直し始めた。

すると・・・あれ?これは・・・

意外に内容がある。というか結構正確な記述。

誤字脱字はもちろん何度も同じ言葉を繰り返し用いたり、主語述語が噛み合ってなかったり、文章的には多々問題があったものの、「紀行文」としての体裁はちゃんと整っている。事実のみを淡々と書いているが、それ故にたまに挟まれた感想というか、心情に説得力がある。いや何これ、案外イケてんじゃん!(親馬鹿)といいつつ相当直したけど。

読書感想文が苦手でも、特に男子なら、紀行文は書けるって子は案外多いのじゃないだろうか。だって明らかに書きやすいよ。国語の成績が残念なうちの息子がこんな短時間(正味二時間弱?)で原稿用紙四枚くらい書けるんだもの。主観をまじえず、事実をそのまま順を追って連ねていく、というのは例えば新聞記事とか、ビジネス文書とかには必要な技術じゃないのかしらん。

前回にも書いたけど、私は小学生時代、ほぼ毎年紀行文(おそらく自由課題というやつ)を書いてた。あの頃は宿題が多くて、作文は他に読書感想文もあったけど、断然書きやすく楽しかったのは紀行文の方。今私が曲りなりにものを書けるのも、その経験の積み重ねがあるからこそと思っている。

本人も、母の助けがあったとはいえ、読書感想文よりははるかに楽に書けたことと珍しく(国語関係で私に)褒められたことで、ちょっと自信がついた感もある。うーん、いいじゃないの紀行文。国語力アップに向けてのとっかかりになりそうだ。これから毎年それにしようそうしよう。

で、塾のほうも二学期からは英数に加え国語も受けてもらいますから。そこんとこもよろしく頼むわ息子。漢字練習は怠るなよ。

2012年8月28日火曜日

読書感想文の基本を学ぶ【小4女子(読書好き)編】

小学生の親ともなると、毎年悩まされる読書感想文。ひらがな・カタカナがやっと身についた一年生ですらその義務を免れないというのはどうかと思う。誰が・何を・どうした、を書かすだけでも大変なのにどうしろというのだ。長女から始まった夏休みの読書感想文地獄は延々続いてはや10年目。その間に、さすがに無茶振りと気づいたのか、何故か「読書感想画」(作文付き)という珍妙なメニューまで出てくる始末。詰め込み教育といわれる私の子供時代(そうは言われているが詰め込みだと思ったことは一度もない)にさえ、低学年は作文はあったにしろ読書感想文なんか無かったんだから、ゆとりもやっちゃったことだしもう無理だと諦めろ。それより日記をもっと書かせろ。一日にあったことを順序良く書いていくことが一番の基本だろうがよ。だいたい学校で書き取りやらせないのがアカンのだ。音読も、毎日違うの読むとか、古典読ますとか、工夫しようよ。今日のニュースの原稿読み、とかでもいいじゃん。コレに載ってるのしかダメとか何なの。

と、文句タラタラだったこの10年なのだが、今年はもう末っ子も四年。来年からは自力で書いて貰う(=親が楽をする)ため、今年はしっかり手を入れとこう。

というわけでこの本。
な、懐かしい。箱入りハードカバーの美しい表紙はもとより、物語自体の面白さ、ワクワク感。「冒険者たち」とともに大事な宝物だった。でも人に貸したら戻って来なかったんだよなあ・・・。それだけ魅力的な本だったとも言えるのだがちと切ない。

案の定娘もハマり、一気読みしてしまった。ふむふむ食いつきはOK。
読書感想文用としては、面白く読んだ本というのが一番だ。

とはいえ、うちの娘さんの文章能力ではとても賞を狙うとかそういうところまではいかない。手取り足取り徹底的に添削してやれば可能かもしれないがそれでは意味が無い。原稿用紙三枚、1000字から1200字という短さで、どのような本をどのように読んだのかを、読む人にわかるように書くのはどうしたらいいか。さらに本人の文章能力も少しはアップさせたいもの。
(あれ、割と贅沢だな)


というわけでやったこと。

1.あらすじを書く
1)物語を一文で説明させる(口頭でもよし)
2)起承転結で言うとどうなるか、簡単に口頭で言わせ、さらにメモを取らせる
3)起承転結それぞれのメモを元に、200字くらいであらすじを書かせる

2.感想を書く
1)1.で作った四つのあらすじそれぞれについて感想を書いていく(2つか3つ)
2)全体としての感想を書く(100字程度)

3.原稿用紙に書く(1)
1.と2.を組み合わせ嵌めこんでいく。慣れてくればいきなり冒頭を結から入るという手もありだが、初心者なので順を追って書いていく。

4.添削
誤字脱字はもちろん、基本的な文章の組立てがきちんとされてるかどうか、同じ言葉ばかり続けていないか、句読点や改行は適当か。なぜこう直すのか、を説明し理解させることも必要(←親子の場合これが難しい)。

5.原稿用紙に書く(2)
母の添削を元に再度書かせる。

6.仕上げ
チェックして問題なければ完成。

これだけのボリュームある本を一気読みしたのも初めてなら、いつもイヤイヤ書く感想文なのに意外に簡単に、短時間で書けてしまった、というのも娘にとって初体験。来年は早めに、自力で書く!と宣言されておりました。

賞を取れる類の技術ではないけど、将来レポートや報告書を書く上でのメソッドの基本にはなりそうな(ほんまかいな)。起承転結がはっきりした、「冒険」(出会いと別れ・旅立ち・戦い・本来の場所への帰還)という物語の基本ともいえる組立が成されている本は、やはり子供にとって面白くかつ書きやすいのだとおもわれる。
ちょっと覚醒の見られる小4女子に、来年の更なる進歩を期待するのである(親バカ)。

さて一方、作文大嫌いの、読書も実用本以外イマイチ好きじゃない、体力だけはあるが集中力皆無の中1男子に何を書かしたか。次回に続く。

2012年8月10日金曜日

夏休みに読んだ本


久しぶりの夏生さんの真骨頂。人の心の裏の部分、悪意の底の底を書かせたら天下一品。
なんというか、男性作家に比べ女性作家の描く恋愛というのは非常に底意地が悪く、破滅的でドロドロ感が半端ないことが多いのだが、それでもなぜ人は恋愛にハマってしまうんでしょう。特にここに出てくる女性陣は聡明で生活能力も高く、物の道理もわきまえてる感じなのに。ここまでハマる恋愛をすることがいいことなのか悪いことなのか、私にはわからない。人によりけりなんだろうけど私には無理そうだな、こうやって小説というフィルターを通して安全なところから見ているだけでも怖すぎだ。

「相手を許さない・許せない=恋愛終わってない」というのには同意。許せない!と怒ったり泣いたり悩んだりしてるうちは、相手への執着があるってことだ。許すも許さんもどーでもいいわーと思えればその恋は終了。うーん、さすが夏生姐さんである。




さて、こちらも私は久しぶり。「白夜行」に感動した私なので、関連作というのはどうなのかとちょっと心配だったのだが、やっぱり面白くて引きこまれた。なにしろ美冬さんの悪女っぷりが素晴らしい。美貌と頭脳と、氷のような沈着冷静さで周囲の男性を手玉に取るさまは、怖い人なのに小気味良い。
キレイに?決まったラストの詳細は書かないが、本当に最後まで完璧に尻尾を出さず勝ち続けているように見える美冬、だがその「完璧さ」がいずれ彼女の仇となるような予感もする。
三部作の二作目といわれているが、本当のラストはどう演出されるのだろうか?

今回「運命の人」も借りたが、まだ一巻だけなので感想はまだ書かない。一昔前の濃ゆい政治とマスコミの世界がさすがの筆致で繰り広げられてます。
今日図書館行ったけどまだ二巻はなかった。夏休み明けですな。

というわけで私も明日から盆休みに入ります。
明けたら子供の夏休み宿題消化週間。愚痴と腹立ちまぎれに記事をアップするであろうとおもわれます。

皆様、よいお盆休みをお過ごしくださいませ。

2012年8月8日水曜日

家族に食事を作ろう【中1男子編】

暑い暑いといってるうちに、夏休みも中盤を過ぎました。
息子の部活も、お盆前に一週間連続でお休み。この間に宿題をやっとけよーということらしい。
今日は家庭科の宿題「家族に食事を作ろう」というレポートの書き方を教示してみた。

【前提】
作文超ニガテ。読書もイマイチ好きじゃない。ストレス無く集中して読めるのはゲーム攻略本。
小学校の時の読書感想文は、母イタコ状態(ほとんど口述筆記)
自由研究?下書きすらしないで書こうとしましたさ。全体のバランスとかレイアウトとかなにそれ美味しいの?状態。
が、お料理は下手ではない。ヤル気もないわけではない。目玉焼きとかスクランブルエッグならなんとかなるし、ご飯があまると醤油かけて炒めて食べてる。

【実践編】
注※以下は、こうさせよう!と思っていたことであり、実際にすべてクリアできたとか、んなわけありません。

0.メニュー決め

レポート用紙にはあらかじめ枠線がひいてあり、品目は3つ分ある。4品目以上作った場合も3つだけ書くように、とあるので、これは絶対に3品目を最低限書かねばならないということである
とはいえ、単にご飯を炊くだけでも1品目になるため、和食であれば一汁一菜メニューをやればそれで3品目になる。あとは本人の家事能力に合わせてメニューを選べばよい。

1.説明を聞きながら、メモを取る

ひとつひとつの品目ごとに作り方を説明。材料も含め、手順を要領よくメモ、あとでこれだけ見れば作れるくらいの完成度を目指す。

2.メモを見ながら実習

材料を揃え、洗い、切る。作業は手際よく、並行して行う。まな板や包丁を安全面に気をつけながら扱う、またこまめに洗うなど衛生面にも注意。メモした内容から実践がうまく導き出せているか、足りない情報などないか確認。
料理というものが、ただ材料をそろえて作るというだけではなく、総合力が必要ということに気づくこと。

3.まとめ

最初のメモ+実習を踏まえ、材料や手順をまとめる。
材料は種類ごとにまとめたり行をかえたりして見やすく。
手順は番号をふって箇条書きにする。段組を考え、字の大きさ・濃さなどに気を配る。作り方を知らない人でも、これを見れば作れるくらいの完成度を目指す。

以下、愚痴。

一応、ここに書いたことはぜーんぶ、言ったことは言った。言ったけどねえ…

なかなかこれだけのことを、一日で教えるってのは難しいわなあ。半分でも理解できてりゃよしとするか、って本当に理解してるのかどうかも定かではないし。フィードバックが大事なんだよねえ本当は。先生、添削してほしいなあ。でもきっとはんこポンで終わりなんだろうなあ。

はー。

夏休みももう半分切った(中学校は)。

2012年7月24日火曜日

【覚書き】原発とその周辺について今考えてること

【個人の意見です】

私は福井県出身だ。だから言うわけではないが、現時点では原発存続やむなしという判断をしている
代替となるエネルギーはどれもこれも、現状では技術的にも政治的にも心もとない。それに電気の安定供給はやはり現代の日本には必要不可欠であると思うからだ。経済活動のみならず、電気ははっきりと人の命を左右すると考えているからだ。

福島の原発について。大勢の人たちが避難生活を余儀なくされ、慣れ親しんだ土地での生活を奪われたことは本当に悲劇であると思う。決して繰り返してはならないことだとも思う。しかし直接高い放射線を浴びて障害が出たり死んでしまったりした人は今のところいない。低線量の被曝がどの程度人に影響を与えるものなのか、今後長く観察はしていくべきだが、震災以来の識者の調査や科学的治験に鑑み、個人的にはほとんど影響はないのでは、と考えている。除染と定期的な住民の健康調査(現在福島に在住している人・外に避難した人両方)は必ず行わねばならないだろう。補償の問題も、この際だからきめ細かく法に定め、柔軟にあたるべきだ。

東電について。世間的にかなり厳しく見られているが、まあそこは仕方ないと思う。だが、解体は絶対反対。電力という国家の根幹となるインフラを分割して経営するなどもってのほかだと思う。電力に関してもっとも多く知識とノウハウと設備を持っているのは東電である。そこは生かす形で、非常時の振る舞いや責任の所在・責任のとり方(補償など)を国手動で法整備していったらいいと思う。もちろん国民に対しては常にオープンな姿勢を求める。

もろもろ、思っていること。

計画停電ね、いちどいろんな場所でやってみるといいよ。訓練という意味合いで。電気のありがたみがわかるから。家の中だけじゃないからね。一番わかりやすいのは信号。信号がない道って怖いよ、夜なんか特に。死亡事故もあった。長く続くと確実に治安も悪くなると思う。

例えば原発やめたとする。今まで通りにいけばいいけど、そうは問屋がおろさない。計画停電どころか、お金のない人は電気を使えない時代が来るとしたら、悲劇はおそらくあちこちで、地味に起きていく。補償はされない。やりようがない。電気を買えないのは個人の責任だから。電気がないから死んだ、という因果関係を説明するのが難しいから。そもそも国のせいにも電力会社のせいにもできない。そういう選択を国民がしたから。という話になるのではと私は思う。

節電すれば、我慢すれば何とかなると言う人は現実が見えていないと思う。

原発を一切なくすことがなぜ子供を守ることになるのか、私にはどうしてもわからない。そうじゃなくて、放射性物質、特に廃棄物の処理の仕方を死ぬ気で研究して、何とか安全に廃棄するなりリサイクルするなり出来るようにすることが大人の責任だと思う。だってもう現にたくさんあるんだもの。どうにかせんとあかんでしょ。
どのみち人類が放射能と縁を切ることは出来ないのだ。地球も宇宙も放射線だらけ。よくその特性や扱いを学んでつきあっていくしかないんじゃないのと思う。闇雲に忌避したって何もいいことない。すくなくとも、放射能除去をうたった怪しげな商品やなんかに騙されないよう、最低限は勉強すべきだ。
今なくすか否かを決めることはないと思う。性急すぎ。それより何より、どういうリスクがあってどういう対策をとればいいか、よくよく考えることが今するべきことなんじゃないの。過剰な感情論は不要、つか害悪でさえある。冷静で理性的な議論望む。

2012年7月20日金曜日

空蝉(一)

「でさ、侍従ちゃん」

「なあに?右近ちゃん」

「この彼女……伊予介の奥さんね、こっから『空蝉さん』て呼ぶから」

「うつせみ・・・・って、蝉の抜け殻のことだよね。なんで?」

「理由を言っちゃうとネタバレしちゃうから、内緒♪」
初めての敗北、屈辱にまみれ眠れない夜を過したヒカルに明日はあるか?!次の一手は?乞うご期待!
「だから、アオリはもういいって侍従ちゃん(笑)」

「や、つい(笑)」

「さて、プライドズッタズタのヒカル王子、

こんなの初めて。世の中のキビシサを思い知ったよ、うう。恥ずかしくてもう死んでしまいたい』

とめそめそ泣きながらも、次への布石は忘れない」

「何それ、どゆこと」

「あの少年よ、少年」

「・・・え?まだいたの?」

「そうよー。空蝉さんの代わりだもの」

「ふーん・・・・って!えええ!代わりってソレは何の代わりっ」

「やあねえ侍従ちゃんたら、こういうことはスルーなさいっていつも言ってるのに。珍しい話じゃないでしょ今も昔も。とにかく彼をおさえとかないことには、次もないしね」

「お、王子ったら(絶句)見境ないわね…ていうか手段を選ばないってか」

「おかげで少年、すっかり舞い上がる。とっとと帰っちゃったヒカル王子を
『本来ならお歌でもかわして、後朝の別れってやつなのに』
なんてちょっと恨んだりなんかして」

「罪深いやつよのう…で、空蝉さんは?あーせいせいしたわって感じ?」

「いや、こっちはこっちで複雑なのよー。

ちょっとやり過ぎちゃったかしら・・・あれきりお手紙も来ないし。きっともうコリゴリだと思ってらっしゃるのね。
でもでも!もしつきあったとしても…私みたいな身分も低いパッとしない女とそんなに長続きするとは思えない。最初はよくても、だんだん関係が冷えてって、ついには自然消滅ってパターンよね絶対。 こんなに強引で傲慢、上から目線なやり口が続くのもなーんか微妙だし。
やっぱり、最初から何もなかったことにするのが一番無難なの!そうなのよ!そうに決まった!』
なーんて思いつつ、心は乱れて物思いにふける日々なわけよ」

「うーん、羨ましいような、気の毒なような」

「王子の方も、超ムカツクーと思いながらも気になって仕方ない。迂闊に誰にも言えないから余計。話せるのはただ一人あの少年だけ。

『もうほんとにつらいやら情けないやらで、忘れようにも忘れられないよー。またチャンスがあったら、今度こそ会えるようにしてよ!ねっ頼むよ!』」

「で、がんばるわけね、少年(笑)」

「そ。チャンスはまた巡ってくる、それも完全無欠なチャンスが!」

「わくわく!それは?!」

「息子の紀伊守が、仕事でいったん地元に戻ることに」

「とすると家には、男あるじは居ない状態」

「夕闇に紛れて、屋敷に向かう牛車。早く早く、門に鎖がかかる前に。だがあくまで目立たず地味にひっそりと」

「ふんふん。やるね少年」

「番人たちも、相手が子どもだからあっさりスルー。まんまと、ヒカル王子を中に入れることに成功」

「よっしゃあバッチコーイ!」

「って侍従ちゃん、どっちの味方なのよ(笑)

とりあえず王子を東の妻戸の前に立たせておいて、自分は南側の部屋の格子を叩いて声をかけた。ま、ちょっと大げさにやったわけね。隠れてるヒカルに注意を向けないため。

『そんなに叩かなくても丸見えよー』

とメイドさんたちの声。

『この暑いのに、なんで格子なんか下ろしてるの?』

『昼から、西のお嬢さんがいらしてて、碁を打って遊んでるから、一応見えないようにしてるのよ』

おお、なんとラッキー。これは是非拝見せねば、と色めき立つヒカル王子、簾の間からすっと中に入る」

「西のお嬢さんって、伊予介の娘でしょ。たしか軒端の荻ちゃんって言うんだっけ、イマドキな感じで可愛いコよね」

「そ。王子はそうっと隅っこに寄って覗き込むんだけど、なにしろ暑いもんだから屏風も衝立(几帳)も置き方がいい加減で、ほとんどゼーンブ見通せたわけ」

「ほうほう、つまりスキだらけだったと

「まあ、『中の品』、つまりはフツーのお家だもんね。王子の正妻さんのお屋敷みたいに、奥の奥まで格式ばってるワケないわよ。

とにかく目当ての人はすぐ察しがついた。二人のすぐ近くに灯りが置いてあったしね。空蝉さんは濃い紫の綾の単がさねっていうの?その上にもう一枚長めの上着着てた」

「なんか…地味?つかオバサンくさくね?真夏なのに」

「いやいや、それが『お品がある』っていうのよ。ダンナも紀伊守もいないし、お客が来てるわけでもない、普通なら気抜いてもおかしくないシチュエーションなのに、顔や手があらわにならないようさりげなく気をつかう平安女性のたしなみっつうかね」

「へー。継娘ちゃん相手にねえ。アタシなんか実家じゃ、羽伸ばしーのぐーたら放題だけどなあ」

「ドコで誰が見てるかわかんないんだから、オンナは常に気を抜いちゃダメってことなのよ、侍従ちゃん♪ 現に軒端の荻ちゃんは油断しすぎて、超くだけた格好だったわけ。まさか覗かれてるなんて思ってないんだから無理ないけどさ」

「えぇ?どどど、どんな」

「白い羅紗の単がさねに、水色の短い上着みたいなやつを適当にはおってるだけ。胸もガバっとあいてて腰紐の結んでるとこから下の袴も丸見え状態」

「ヒエー!白の羅紗って、それシースルーじゃん!しかもヘソ出し同然!エロすぎー!」

「侍従ちゃん、喜びすぎ。まあヒカル王子も男だからね、おぉお♪ こっちのほうが若くて可愛いじゃん!いいじゃん!とワクテカしたものの、なぜか大して美人でもなく華やかでもない年増の空蝉さんの方に目がいってしまう」

「へー、なんでー?男はやっぱり若い方がいいんちゃうん?」

「なんで急に関西弁に(笑)侍従ちゃん、なんか身に覚えでも?ま、いいや。やっぱりさ、あけっぴろげで素直なのも若さゆえのご愛嬌ってもんだけど、度が過ぎると単なるガサツよね。空蝉さんはすべてにおいて控えめで女らしくて、またそれが人前だから繕ってるのではなく、本当に素がソレなんだから貴重ってことに王子も気がついたわけ。

ほら例の、『こんな下賎な場所にこんなイイ女が!』ってパターンよ」

「ふむふむ。一見地味で目立たない感じだけど、他の女にはない、一本筋の通った空蝉さんだからこそ、王子のハートを鷲掴みして離さなかったわけね」

「そゆこと。さて、夜も更けてまいりました」

「あちこちで戸や格子を閉める音♪」

「何食わぬ顔で、メイドさんたちに指示出しする少年。もちろん姉さんがどこに寝るのかチェックは忘れない♪」

「物陰で待機中のヒカル王子はもう待ち遠しさMAX。少年に

『ねーねーマダー?今日もまたダメ、ってゆわれたら僕しんじゃうかも』

なんて文句をたれる」

「ワガママねー。で少年は」

「”今は人が居ますから、お待ち下さい。必ずなんとかいたします”」

「少年のほうが冷静じゃん(笑)」

「そ・の・う・え、王子がナニ聞いたと思う?

『そういえばさ、紀伊守の妹もここにいるって言うじゃない?ちょっと覗かしてよ』」

「サイテー(笑)さっきシッカリ見たくせに」

「少年

『ムリです。仕切りや衝立もきっちり置いてありますから』

とバッサリ」

「あたりまえじゃん(呆)…どんだけ図々しいのヒカル」

「さてみんなしかるべき場所に落ち着いたあと、少年が入り口近くに寝るといって最後に入る、ここ風通しがいいからねーなんていいつつ」

「でも本当は通るのは風ばかりではなく♪」

「冴えてるわねー侍従ちゃん♪

しんと静まり返った屋敷内に、あるかなきかの風のごと、かすかに響く衣擦れの音

まだ、誰も気づかない

物思いがちで眠れない、空蝉さえもまだ

「夜は長いわねー♪右近ちゃん」

「長いのよー♪侍従ちゃん」


<空蝉その2につづく>

参考HP「源氏物語の世界

2012年7月18日水曜日

山の寺

お父さんは?

幼稚園の友達にバイバイをした小さな手が、私の薬指と小指をぎゅっと掴む。私は前を向いたままつぶやくように答える。

まだよ。今日も、まだ。

娘の大きな目が一瞬さらに見開かれ、すぐに閉じた。道端に植えられたタチアオイの列に一羽のアゲハがまとわりついている。昼下がりの空は曇っていて、遠く雷鳴が聞こえる。ああ、急いで帰らなくては。今日はなぜ自転車で来なかったのだろう。

雨が降りそうだから、タクシーで行こうか。

娘の返事を待たず、近くに来たタクシーに手を挙げる。町はますます暗くなる。
白いカバーに包まれたタクシーの座席で、行き先を告げる。
運転手の顔はよく見えない。それほど年上にも見えないが、さして若くもなさそうだ。
駅を過ぎた。そろそろ家のある道に通じる交差点にさしかかるはず。
信号待ちで停まったタクシーの窓から、見慣れないものが目に留まった。

浅くぼけたような色の街並みの中に突然現れた、黒く大きな木造りの門。開かれた扉の向こうに白砂が広がる。眩しいほどに真っ白だ。奥にこれも古めかしい大きな建物が見える。参拝客らしき姿も多い。

こんな立派なお寺、前からあったかしら?全然気づかなかった。
ずっと昔、学生の頃住んでいたアパートの近所にあった、あのお寺に似ている。
今度、お父さんと来よう。

娘は黙って座っている。
タクシーは吸い込まれるように門を入る。

ちょっと。何で?…家にすぐ帰らなきゃいけないのに。

そう言おうとして口を噤んだ。何言ってるの?さっき私が自分で言ったじゃない、寄って下さいって。

運転手は建物の裏手にある大きな木の根元に車を停めると、外に出た私たちに顔を向け、ここで待ってますからねごゆっくりと言った。満面の笑顔だ。意外に若い、と思ったのも束の間、すぐに疲れた様子で座席をリクライニングさせ目を瞑ってしまった。

寺の裏手から表に出ると、門の外の風景が変わっていた。さっきまでの街並みは消え、一面、白い雪に覆われた田んぼが広がっていた。雪さえちらついている。

お母さん、雪。

娘が嬉しそうに指差し、あそこに行きたいなあと言う。

だめよ、このお寺をひと通り回ってしまわなきゃ。
でなきゃお父さんを案内できないでしょ。

そっかあ。

娘は素直に従って、踵をかえした。
それにしても変わった建物だ。出入口が見当たらない。いったい何処から入るのかしら。
行き交う人々にたずねようにも、みなひっきりなしに喋りつづけており、こちらに気がついてもいないようだ。
同じ日本語を話しているのに、意味がさっぱりわからない。

建物に入れないので、石畳の通路をウロウロ歩き回っているうちに、広い場所に出た。緑の草地の周りを木のクイで囲ってある。牧場のようだが、中には牛も馬も、何もいない。ふと顔を上げると、遠くに山並みが見える。普段、家からこのような風景はみたことがない。

いつのまにこんな山奥に来たのだろう?
駅からそれほど離れた場所ではなかったはず。あとすこしで家に帰る道、だったはず。

ここは何処なの?

誰かが答える声がした。◯◯県◯◯郡…

そんな馬鹿な。そんな遠いところに、いつのまに来たの?

娘の姿がない。

慌てて辺りを見回した。が、知らない顔ばかりだ。
娘の名を呼ぼうとして愕然とした。思い出せない。

走り出した。周りの景色はめまぐるしく変わっていく。周りは山、山、また山。合間を深く切り込んだ谷。水脈も見える。

娘の名前が思い出せない。なんてこと、自分の子の名前を忘れるなんて。
早く思い出して、家に帰らなくては。
薬指と小指を掴む、柔らかな感触だけが残っている。

早くおうちに帰りたい。早く、一刻も早く。

山は深く、家は遠い。一日では到底辿りつけないほどに、遠くに来てしまった。

焦るほどに足は進まない。柔らかく土にのめりこむ。アゲハがひらひらと目の前を舞った。
は や く

2012年6月15日金曜日

【覚書き】一年三ヶ月後の所感

結っこプロジェクト」のUSBメモリ。陸前高田の松の木で作られているという。

USBのなかに入っていた動画には、震災前の美しい浜と、津波の映像、現在の姿が収録されている。

このUSBメモリは寄付のつもりで買った。現地に行けない、何も出来ない自分の、せめてもの支援と思った。
もちろん今までも、信用のおける、行き先使い道が明確なものを選び、出来る範囲で少しずつだが寄付はしていたし、食べ物もなるべく東北産のものを選んだり、チャリティDVDやCDを買ったりもした。
だが考えてみれば、現に被災地にいる人から(ネット越しではあるが)直接ものを買ったのはこれが初めてだった。


動画は衝撃的だった。

元は本当に平和で美しい風景が、いとも簡単に押し流され、無残に変わり果てる。
何度も見たはずの津波映像が、今そこにあるリアルな出来事として、眼前につきつけられる。

出来る範囲で少しでも何かの助けになればいい、という気持ちは美しいが、ある意味傲慢なのかもしれない。「支援してやる」というような気持ちはないつもりだが、同情や共感、憐憫といった言葉のあいだに共通する意味、使い方言い方、タイミングによって微妙に変わるそのニュアンス、一種の危うさを、見透かされたような気になった。
ほんの少しの足し、は現実問題としてあくまで「ほんの少し」の足しでしかないのだ。

もちろん一番強いメッセージは「記憶にとどめよ」というものであり、プロジェクトに関わる人達が、支援に対してそんなふうに考えているという意味ではまったくない。あくまで、私個人の受け取り方である。

そういうわけで「ささやかな支援を人に知られずそっと行う謙虚な自分」への鉄槌(?)を自らの手で下したわけだが、当然ながら支援は続ける。傲慢だろうが自己満足だろうが、細々とでも、長く続けることが肝心と思う。

それから。

基本、他人にこうしろああしろと指示するのが好きではないし、他人の考えを変えてやろうなどと、困難で無理な仕事もしたくはない。だがこれだけは声を大にして言う。

瓦礫を早いとこ片付けよう。

そのためには広域処理でもなんでもやる。現地で処理しきれない分は他で引き受けるしかない、誰かがやるしかないのだ。地震列島で原発が其処此処にある日本では、何処に住んでいてもいつ今の被災地と同じ状態になるかもしれない。日本に住んでいる以上、明日は我が身。助けなくてどうする。

自分が不安だから、心配だから、わからないからと、何を言ってもやってもいいというわけじゃない。子供を守るというお題目さえ唱えれば、何もかも許されるわけじゃない。親の愛ゆえの愚かさを否定はしないが、度を超えた愚かさは、はっきりと罪だ。勉強が出来る出来ないではない、社会的地位があるかないかではない。目の前の現実をまっすぐ見る力と、自分以外の人へのほんの少しの心遣いがあるかどうかだ。

人によっていろいろ考え方があることは理解するし、尊重もする。が、自分の考えをつぶさに検証することもなく無批判に垂れ流すのはよろしくない。この辺は自戒するところでもあるが、何にせよ今の世の中、無知と愚かさに対して寛容になりすぎた。

ちゃんと勉強しよう。
他人の気持ちを良く考えて行動しよう。

親なら必ず子供に言ってることではないのか?

私も自分の知識と見識に絶対の自信があるわけではないので、あまり偉そうに発言は出来ないのだが、声高にいろいろと失礼なことを叫ぶ輩にはちょっとちょっと待て、と注意するくらいはしないといかん、とこの頃思う。陸前高田の松でできたUSBメモリが私に要求している。ああえらいものを買ってしまった。気を引き締めて頑張ろう、いろいろと。

とりあえず近所のイ◯ん、「放射性物質ゼロ宣言」なんつーアホウな看板を片付けない限り、お宅で売ってる食べ物は一切買わんからなっ。
科学的知見ゼロの企業なんかに本当の食の安全が守れるかってんだてやんでい。
デカイ企業のこういう愚かな行動が、瓦礫を穢れとしかみない・被災地の人を侮辱して平気・な人の主張の助けになってる気がしてならない。ある意味東電より罪が重いと思うのは私だけか?



2012年6月12日火曜日

【覚書き】計画停電

大飯原発の再稼働(起動?)、一応決まったらしいが反対運動もまだまだ喧しい。
今のところ私は、緩やか~な脱原発を望んではいるが、ゼロリスクというあり得ないものを追いかけるつもりはさらさらないので、今後を考えるための一助として昨年の記憶を掘り起こしてみる。

震災時はさほどの被害がなかった埼玉県であったが(だからこそ?)、計画停電(輪番停電)はほぼ全域で実施された。
なんだかすごく長く続いていたような気になっていたけれども、今wikiなどを見返すと

3/14から3/27まで

という二週間にも満たない期間。うーん、細かく記録しておくべきだったな。あの頃は一日をこなすのに必死でそこまで思い至らなかった。反省。とりあえずつらつら思い出すままに書いてみよう。


輪番場所と時期
当初はそれなりに混乱した。何しろ自分の地域がどのグループに入るのかわからない。行政もよくわかっていない。東電には問い合わせ電話が殺到してたらしく、近所の支店にも大勢並んでいた。ネットなしで情報を得るには難しい状況だったと思う。
東電HPにもアクセスが集中し見られない事態が起こったが、すぐに個人でスケジュールを記載するHPを立ち上げる人が続出、検索すればいくつもそういうサイトが出てくるようになった。調べて即ママ友に一斉メール、というのもよくやった。震災直後も唯一使えていたツイッターも活躍。

しかしこの混乱もそれほどではなく、連絡体制が整ってくると共に徐々に解消。毎日テレビで連呼していたし、マンションの掲示板にも予定が貼られた。もともと私の住んでるあたりは昔ながらの地域の結びつきが残っていて、自治会などの組織は早い時期から動いていた。輪番3回目からはもう慣れたもんだった。

家庭内(マンション)
コンセントは抜き、停電後にはブレーカーを落としておく。
(精密機械などは通電したときがヤバイ。事実うっかりコンセント抜くの忘れたルータが壊れた)

水まわりのこと。
マンションで電気系統が止まるということは、水道も使えないということなので、まずやったことは水の確保。風呂に水を多めに張り(トイレ流し用)、ペットボトルなどに飲料用の水を貯めた。電気ポットはしばらくの間保温されているものの、電気がないとお湯を出せないタイプのものは大変不便。うちのポットは一応電池でも動くはずだったのだが、久々にその機能を使おうとしたら壊れてた…(その後、電気なしでも使えるものを購入)。
冷蔵庫は保冷剤を大量投入したうえ、停電中原則として開けること禁止、とした。
うちは幸いオール電化ではなかったので、ガスが使えたことは大きく(ただし点火するのに乾電池が必要)調理に関してはそれほど困らなかった。ただ、店頭からパンや麺類、粉類が消え、お米も品薄だったのでメニューは限定的なものにならざるを得なかった(つか最初からあんまりレパートリー広くないし、決める手間が省けて実は楽…)。

灯りのこと。
時間が夜にかかった場合、あらかじめ子供全員同じ部屋に集め、それぞれたっぷり充電したDS片手にスタンバイ。これ相当明るいので懐中電灯がわりにもなる。何より停電中は堂々とゲームが出来て嬉しかったようだ(笑)。
私は同じく充電フルの携帯をいじったり、音楽を聴いたり昼寝したりして過ごした。

暖房のこと。
こたつを出していたので、全員で足つっこんでいれば電気切れても十分暖かい。そもそもマンションは気密性が高く、寒さはあまり感じなかった。夏でなくてよかった、とはよく思った。

外の様子(道路、店など)
今まで意識したことがなかったが、非常用電源を備えている信号機の存在がありがたかった。それほど人通りのない道でも、やはり信号がないと怖かった。特に夜は危ないので、暗くなったら極力外出は控えた。周囲の家いえが真っ暗になるさまは異様だった。

店の多くは、停電のある日は開店を遅くしたり閉店を早めたり営業時間を調整していた。何が売っているかも含め、この辺はママ友やご近所ネットワークのみならず、道で会った人ともよく情報交換した。

その他所感
地震による被害がほとんどなかった地域であったこと(電気・ガス・水道すべて正常稼働)、期間が春休み中であったことと、何より震災直後で住民の間に一定の連帯感と緊張感、および「もっと大変な人がたくさんいるんだから不足をいってはいけない」というような意識もあり、さほどの混乱なく粛々と停電を受け入れられたのだと思う。だがもしこれが都会のど真ん中、通行量も多く、種々雑多な店や会社や家が立ち並び、隣に誰が住んでるのかもわからないところなら、この程度の混乱におさめることはなかなか厳しいんじゃなかろうか。
ぶっちゃけ、電気が止まるって結構大変なことだと思った。たった二週間足らず、一回につきたかだか2,3時間、しかも開始と終了時間がほぼ正確(多少の前後はあったが)、という停電でも、全員健康に問題のない一般家庭の運営においてすら雑多な作業が確実に発生するのだ。介護すべき病人や乳幼児を抱えた人はさらに大変、まして企業は本当に膨大な手間、経済的損失を強いられるだろう。

震災以来、当たり前だと思っていたことが実は微妙なバランスの上に成り立っていたことを思い知ったが、電気の安定供給もそのひとつだ。
計画停電は、当初の混乱とか、実は必要なかったんじゃないかとかいろいろ批判されているが、電気の安定供給が脅かされることの疑似体験=壮大な訓練だと思えば、有意義だったのではないか。

脱原発叫ぶのはいいが、一気に原発ぜんぶ止めてホントにそれで大丈夫か?火力は原油の輸入が止まったらアウト。太陽光や地熱や風力は、そのバックアップに足るほどの供給能力は現時点でない。
蓄電できない以上、使用電力<供給電力であれば単純にOKとはいえない気がする。総量が明らかに減る状態で、これまでどおりの電気の安定供給を目指す、なまじっかな節電やちょっとの我慢で済む話ではない。だいたい瓦礫の受け入れですらこんなに揉めるのに、みんなでその「ちょっとの我慢」(ちょっと、じゃ済まない可能性も大)を今後ずっとわかちあうなんてこと、出来るんですかね。