2016年1月23日土曜日

若紫 十二(最終章@女子会♪)

「王命婦さん、少納言さん、それに侍従ちゃん、グラスは行き渡りましたでしょうか?」
「はい!」
「はいっ」
「は~い♪」
「それでは、只今から女子会始めまーす。僭越ながら、わたくし右近が乾杯の音頭を取らせていただきます。若紫の巻もようやく最終章、皆さま大変お疲れ様でした! 乾杯!
(全員)「かんぱーーーーーい!」
……しばし飲食とお喋りに集中……

「あっ少納言さんもうグラスあいてる! 注ぐよ!」
「ありがとう侍従ちゃん。いただくわ。はい、ご返杯」
「たまにはこういう女子会もいいわね。誘ってくれてありがと、右近ちゃん」
「王命婦さんも大変だったものねえ……その後、藤壺宮さまはご体調いかが?」
「お蔭様で順調でいらっしゃるわ。ヒカル王子も、さすがに今は何も言ってこないし……って、ごめんなさい少納言さん。あなたのところにしわ寄せが行っちゃってるのよね」
「……いいえ、とても良くしていただいていますのよ。二条院はとても大きくて豪華な御殿ですし、住まいの西の対は素敵な調度品がたくさん……家来や女房や遊び相手に至るまで完璧に取り揃えていただいて、何の不自由もありません。姫君も最初こそビクビクしてましたが、今ではすっかり慣れて、ヒカル王子とも仲良しで、元気にしておりますの……ええ
「……ちょ、少納言さん……目が死んでる。っていうか超棒読み」
「綺麗事言ってないで、ぶっちゃけちゃいなYO! 飲みが足りないんじゃないの? ほらっ」
いつのまにかすっかり出来上がった侍従がさらに酒を注ぐ。少納言、一気に飲み干す。
「はーっ。元の、あの古い邸よりずっと良い生活をしていることは確かなんです。それは感謝すべきことなのですけどね……時々思うんです、あと一日早く兵部卿宮さまが迎えに来てくださっていたら。あの日私が、惟光さんに引っ越しのことを言わなければ、って
「少納言さん……(泣)」
「自分を責めちゃダメよ! あの王子なら、少納言さんが言わなくても、何とかして情報ゲットしてたと思う。それこそどんな手を使っても」
「そうなんですけど……もう少しうまくやれなかったかな、って」
いいえ、無理ですわ
 王命婦がキッパリと言い放った。
「普段そのお部屋なりお家なり(=職場)を取り仕切っているとはいえ、私たちはしょせん一介の女房(=OL)にすぎません。権力側に本気で突っ込んでこられたら、とても太刀打ちできるものではない」
「説得力あるわあ……」
「王命婦さん、男前……」
「まして乳母である少納言さんはまだお子さんも小さいでしょ? 上司の機嫌損ねて仕事を失ったら、都から追い出されたら……て思うと怖いわよね。私にも家族はいますから、よーくわかるわ。ついこの間、同じ思いをしたばかりだから。結局私たちに拒否権なんてないのよ」
「王命婦さん……(泣)」
 手をとりあう二人。
「ほらほらそこ、湿っぽくなっちゃダーメ! 王命婦さんも少納言さんも、この際言いたいことゼーンブ言っちゃいなYO!
 注ぎまくる侍従。いそいそとおつまみを補充する右近。
「だいたいね、私たちのことを最初から見下していらしたと思うんですよ、ヒカル王子は」
 少納言の耳がほんのり桜色に染まって来た。
「高貴な血筋とはいえ、直接的な後ろ盾はない、単なるおばあちゃんと孫ですからね。尼君は最期まで、王子のことをゼーンゼン、まったく信用されてませんでした。北山であんなに熱っぽく請われても、頑として撥ねつけていらっしゃいましたから……案の定、京に帰られたら速攻で疎遠になって、ああやっぱり仰る通りだったわーなんて」
 少納言、杯をあおる。
「京の、私たちの邸にいらした時も、夜にアポ無しで。わざわざ来てやったんだぜー的な態度でしたけど、もののついでだったのはバレバレですから! 残念っ!
「少納言さん……すごく、古いです……」
「しっ、侍従ちゃん黙って聞くのよ!」
 手酌で酒を注ぐ少納言。勢い余ってテーブルにこぼれる。
「それでも頑張ったんです私たち。慌てて掃除して、家で一番見栄えのする調度品も置いて。だけど、一歩その部屋に入ったときの、あの王子の目! ふ~ん、ま、こういう部屋もセレブな俺には新鮮だから? 心広いよね俺、的な? あの態度! そりゃ二条院とは比べ物にならないでしょうよ、ろくな飲み物も出せませんよ。だけど、だけどねえ……」
 泣き出す少納言を、悔しいわよねえ、そうよねえとハグして慰める王命婦。
「藤壺の件は、一応合意の上だし、何より大人同士だからまだいいけど、若紫ちゃんはまだ小学校中学年くらいですものねえ。それも、尼君の四十九日も過ぎないうちから、いきなり御簾の中に入ってきて添い寝だなんて、さすがにおおらかな平安時代でもないわーって感じよね」
「しかも! その帰りに、よその女の家に寄ろうとするし! んで、すげなく断られてやんの、ウケルー!」
「通い婚のお約束も守らないしね! 相手が子供なのに三日も通ったら皆に変に思われちゃうかもーって、だったら最初から言い寄るなっつうの!◯ーカバー◯」
 右近と侍従、そろって顔真っ赤。王命婦が溜息まじりに言う。
「結局、通うのが面倒だったって理由なのよね、真夜中に突撃して、騙し討ちみたいにさらってったのは」
「そうなんです! 本当に馬鹿にしてますよ! 尼君が亡くなったとみるや、女房たちばかりの家と侮ってこんな仕打ちを……もう……兵部卿宮に顔向けが出来ません私……」
「あー、あの上品で人の良さそうなおじ様ね。気の強い奥さまの尻に敷かれてはいるけど、社会的地位は問題ないし、そこそこ経済状態も悪くないし、保護者として全然問題ないのにね」
「私、その家に知り合いがいるんですけど、奥さまって確かに最初はヤキモチ焼いていろいろ意地悪もしたみたいですが、この頃はかなり軟化されてたって。若紫ちゃんを引き取ることもちゃんと了承してて、あのくらいの子供久しぶりだわーってむしろ楽しみにしてらしたみたい。けっこうガッカリしてるらしいですよ」
「右近さん……邸に残った人たちは王子から、しばらくの間は何も言うなと固く口止めをされています。そのせいで、兵部卿宮側の人たちには、私の一存で姫君を連れて行ったと思われているみたいなんです。尼君が以前から、あちらの奥さまをあまりよく思ってなかったことで、乳母が出すぎた真似をしたと……
「えーひどい!」
「全然違いますよね! 抗議したほうがいいんじゃないですか?」
「何なら、私からそれとなく根回ししてもいいわよ」
「……ありがとうございます! 本当に、皆さんにそう言っていただけて……。でも、いいんです。私が姫君を守りきれなかったのは事実ですし……だいたい、今更そうと知れたところで、王子がハイそうですかと姫君をお返しすると思われますか?」
「……返さないでしょうね、絶対」
「……ですね」
ハイ! おつぎしまーす! 飲んで飲んで!
侍従、全員の杯に酒を満たす。以下ループ。

「でね、少納言さん?」
「はい……」
 少納言、うつらうつらしかけながら答える。侍従、右近ともにへべれけ状態。王命婦は三人の倍は飲んでいるが、まったく顔色も口調も変わらない。
こうなった以上、もう覚悟を決めるしかないっていうのは、貴方自身もわかっていらっしゃるのよね?」
 うんうんと頷く少納言。
「若紫ちゃんはどう? 今の生活に満足してる?」
「ええ……だと思います。王子は本当に細やかなお方で、必要なものはもちろん、姫の好きそうなもの、喜びそうなこともよくおわかりになっています」
「この頃は、ヒカル王子参内もよくサボってたわねえ」
「そうなんです。ずっと西の対で姫君のお相手をなさっていて。慣れるまでずっと」
「一応、大事にはしてくれてるのね。二人でいるときはどんな感じ?」
「よく手習いを一緒にされてるんですが、とっても微笑ましくて。姫君が一生懸命筆を持って書いている様子がもうとんでもなく可愛らしいので、王子もうメロメロっていうか、目に入れても痛くないって風情です」
「父性本能刺激されちゃってる感じなのね」
「男女間の色気みたいなのは皆無なんですよね、少なくとも姫君の方は。王子が帰ってくれば真っ先にお出迎えして、無邪気にお膝の上に乗っかりますし
「あらまあそうなの。普通は実の父子でもそんなことしないのにねえ、平安時代は」
「羨ましい!」
 侍従がむっくりと起き上がった。
「ぶっちゃけ、すっごい羨ましい! ヒカル王子ほどのハイスペックな男、何処にもいないですよ? ねえ右近ちゃん、右近ちゃんもそう思うでしょ!」
「うーん…もう飲めない…」
「もう、いいじゃないですか。とりあえず若紫ちゃんの将来安泰ってことで。兵部卿宮さまはちょっと気の毒だけど、少納言さんが自分を責める必要は全然ない。だって、メッチャ玉の輿じゃないですかっ! あああ、出来るなら私が代わりたいっ!」
「侍従ちゃん……」
「あはは、その通りよね。とにかく生活に不安はないわ」
「少納言さん!」
「は、はいっ」
「これからですよ、勝負は! どーせヒカル王子のことだから、バンバン女をつくるに決まってます。間違いない!
「…アンタも…大概古いわよ…侍従ちゃん。むにゃ」
「右近ちゃん黙ってて、て寝てるわね……まあいいか、とにかく少納言さん! 私たち女房(=OL)にとって職場環境は重要なんだから、頑張って西の対を磨き上げるのよっ! んで若紫ちゃんをもり立てる!どんな女がやってきても負けないように縁の下からバックアップよ!
「侍従ちゃん、素敵。元気が出てきたわ! ありがとう!」
「ホント、いいこと言うわねー。見なおしたわ。私も、ますます精進して藤壺と宮さまをトップに押し上げようっと!」
王命婦さんとこはー、まだまだイロイロありそうだと思いまーす…むにゃ」
「右近ちゃん……不吉なこといわないでよ……私もそう思うけどさ。これで引っ込む王子じゃないものね」
「と・に・か・く! 皆さん、円陣組んでっ!」

 部屋の中央に集まる四人(右近、ムリヤリ引っぱり起こされる)、それぞれの手を重ねる。

ハイ行きますよー!
てっぺん目指してーっ! 
平 安 女 房 ズ、ファイッ!!!

…………

と、いうわけで、「ひかるのきみ」初の女子会は盛況のうちに終了いたしましたようです。楽しそうで何よりでした。きっとまたどっかでやるんじゃないでしょうか。

で、以下はいつもの私見です。

いやあ「若紫」の巻、予想以上に酷かった……ヒカル、現代ならもちろんのこと、平安時代においても不審者そのものっていうか犯罪者ですね(笑)。今上帝の息子で、現左大臣の婿だから誰も何も言えないというだけで。もしかして本当にこういう話があったのか? と思うほど変に細部がリアル。
白馬に乗った王子がやって来て姫をさらっていく
という古今東西よくあるおとぎ話的なイメージからあまりにもかけ離れていて、驚きました。実際にやると、こんなとんでもないことになるんだなと。

身分が上の者には基本逆らえないって時代だから仕方ない部分はありますが、まずヒカルは女房さんたちを完全に下にみている。だから女房さんたちに何を言われようと、顰蹙をかおうと、基本的に気にしない。いっぽう外の人たち=世間にどう思われるかは非常に気を遣う。女房さんたちは必ず「女」だけど、外の人たちは男性も含まれるから、なんでしょうね。

源氏物語は、女房さんたち抜きでは、何も話が進まないといっても過言ではない。影の主役といってもいいのですが、扱いは割と酷い。文中で少納言さんに
こういう振る舞いは私たちにとって大迷惑だ
みたいなことを言わせてましたけど、普段あまり口に出せはしないがこう言いたい局面は多々あったのであろうなあと思います。
結局、女(女房)には何を決める権限もなく、権力者(男)の言いなりで、責任のみ押し付けられてしまう……現代にも通じるような悩みと憤りが、平安時代のキャリア女性の中にもきっと存在していたでしょう。女房さんたちの間で爆発的に流行ったのも、ハーレクイン的な単純な恋愛ストーリーではない、こういう生活者としてのリアルな視点に共感されていたからこそ、と思います。

<末摘花 一につづく>
参考HP「源氏物語の世界」 

2016年1月22日金曜日

若紫 十一

 その日、ヒカルはたまたま左大臣家を訪れていたが、いつもの如く正妻はなかなか出てこない。
 面白くないので和琴を即興でかき鳴らし「常陸では田を作っているが」とかいう歌を朗々と口ずさんでいるうち、惟光参上。呼び寄せたところ、衝撃の報告が!
 明日、少女の邸に父宮の迎えが来る、という。焦るヒカル。

兵部卿宮の邸に移っちゃうとなると、こちらに迎えとるどころか会うことすら難しくなるな。大人の女性を扱うのと同じ、いやもっと悪い。あんな幼い子に懸想しちゃって何なのあの人? ロ◯コン?などときっと非難されるに違いない(いや、もうされてるが)。
よし、父宮が来る前に、連れてきちゃお!しばらくの間女房たちには口止めをすることにして、と)
 惟光に向き直り、命令を出す。
「明け方、あの邸に向かう。車の装備は今のままで、随身を一人か二人確保しておけ。今からミッションスタートだ! 行け」
惟光はラジャー! とばかり、準備に走る。

ヒカル
(さて、どうしようか。また世間で噂になって、私が見境ないタラシだとか言われちゃうんだろうなあ(いやその通りだが)。せめて相手が妙齢なら、女だって満更でもなかったんじゃないの? 珍しい話じゃないよねってことになるけど、まだほんの子供だからなあ。
実の父親である兵部卿宮に探し回られて、万一誘拐だなんだと騒ぎたてられたら、体裁も悪いし、格好つかないよな)
などと思い悩むが、ではこの機会を逃すのか? それでいいのか? いやよくない!ということで、結局夜遅くに出発することと決める。

 正妻・葵の上は、いつものように渋々といった体で、打ち解けず人形のように座っている。
「某所で、どうしても今処理せねばならないことがあるのを思い出しました。すぐに戻ってきますね」
といって返事も待たず(どうせ返事しないし)さっと出たので、お側に仕える女房たちにも気づかれない。自分の部屋で直衣を身につけ、惟光だけを馬に乗せて邸に向かった。
 惟光に門を叩かせると、何も事情を知らない者がすぐ開けてくれたので、サクッと車を引き入れる。惟光が妻戸を鳴らし咳払いをすると、少納言が聞きつけて出てきた。
「こんばんは。(ヒカル王子が)いらしてます」
「姫君はお休みになってますわ。どうしてまた、こんな夜遅くにお出ましになられましたの?」
 夜歩きのついでに立ち寄ったと思っているふうだ。
「兵部卿宮の邸へ移られるそうですね。その前に申し上げたいことがございまして」
「まあ、何事でございますか。姫君には、はかばかしいお返事などできないと思いますが」
 少納言は笑ったが、ヒカルを目にすると一転困り顔で
「老いた者どもが、いぎたなく眠っておりますので…」
と制止する。
「姫君はまだお目覚めではないと? ちょっと起こしちゃいましょう。こんな素晴らしい朝霧を知らずに寝ているなんて」
と言いつつズカズカと入っていくヒカル。不意を突かれた少納言は「いや、ちょ、待って」と言葉にならない。
 姫君は何も知らず眠っている。ヒカルが抱き起こすと目を開けたが、寝ぼけて父宮が迎えに来たのかと勘違いしたようだ。
 ヒカルはその髪を撫でつけて
「さあおいで。父宮さまの御使として来ましたよ」
という。
父宮さまじゃない!
 姫君はびっくりして、震えあがった。
「ああ、そんなに驚かなくても。私も同じ人間ですよ」
と言うが早いか抱きあげて出て行くと、大輔、少納言などが
何をなさいます! 一体、どういうことなのですか?!
と口々に騒ぐ。
「ここには、いつでも来られるわけではないのが心配だから、もっと気楽な場所にとお願いしていたはず。なのに、兵部卿宮の邸にお移りになるのですって? 困ったものだね、そうなるとますます、お話もできなくなるよ。というわけで誰か一人、ついてきてくれ」
 ヒカルの言葉に、皆パニック状態、少納言が必死に訴える。
今日のところは、どうかご勘弁を! 父宮さまがいらしたら、どうご説明せよと仰るのですか? 年月を経て、自然にしかるべきご縁で結ばれるのならともかくも、これではあまりに考えなしのお振る舞い、お仕えする私たちにも大迷惑ですわ!」
ヒカルは聞き入れず、「ハイハイ後からついてきてもいいからねー」と言って車を寄せてしまう。皆アワアワするばかりで何もできない。
 姫君も、ただならぬ雰囲気を感じ取って泣き出してしまう。少納言は、これはもう止められない、と覚悟を決め、昨夜縫った衣装類を引っさげ、自らも適当に着替えると車に乗り込んだ。
 ヒカルの住まいである二条院はすぐ近くなので、車はまだ暗いうちに到着、西の対の前で止まった。
 姫君を軽々と抱き下ろすヒカル。
 少納言は茫然として
「やはりまだ夢のような心地がします……私はこれからいったいどうしたらよいのでしょうか?」
と下りることを躊躇うが、
「それは貴方の心ひとつだ。姫君奪取ミッションはコンプリートしちゃったし、帰るなら送るけど?
といわれ、もう笑うしかなく、車を下りた。あまりに急な展開に気持ちがついていかず、胸がドキドキする。
「父宮さまは姫君のいなくなったことをどう思い、なんと仰るだろう。姫君はこれからどうなっていくのだろうか……兎にも角にも、お身内に先立たれたことが本当にお気の毒だ
と思うと涙がこみ上げてくるが、さすがに不吉なので、じっと堪えた。

 西の対は誰も住んでいないので、御帳などもない。惟光を呼んで、御帳や屏風などをあちらこちらと配置させる。御几帳の帷子を引き下ろし、御座所など、ちょっと手を入れれば使える状態ではあったので、東の対から寝具など運び入れて何とか寝る場所は整った。
 姫君は、未知の場所に連れてこられてわけもわからず、どうなるの? と震えているが、さすがに
声を立てて泣くことはできないでいる。
少納言と一緒に寝たい……
という声は怯えているせいか赤ん坊のようだ。
これからは、乳母とお休みになるようことはしないのですよ
とヒカルが諭すと、ひどくしょんぼりして、泣きながら横になった。少納言はましてとても寝るどころではない。心乱れて何も考えられないまま、一晩中一睡もできなかった。

<若紫 十二につづく>
参考HP「源氏物語の世界」 

2016年1月21日木曜日

若紫 十

 同じ日、邸には少女の父・兵部卿宮が訪れた。
 ここ数年来すっかり古びて、人も減り、荒れた雰囲気が隠せない広い邸を、父宮はひととおり見渡しながら言った。
「幼い子が住むようなところではないね。やはり私のところにおいで。けっして窮屈なところではないよ。乳母も、部屋を貰って仕えるといい。若い人たちもいるから、姫君と一緒に仲良く遊んでくれるだろう」
 姫君を近く呼び寄せてみると、ヒカルの移り香が馥郁とひろがる
「ほう、よい匂いだ。服はすっかりくたびれているけれど…。
長いこと、病がちな老人とばかり過ごさせてしまったね。早く引き取ってこちらに馴染ませようと思ってはいたが、尼君が変に疑って疎んじていたので、妻も手をこまねいていたのだよ。亡くなってからこんなことを言うのも心苦しいことだが」
「いえいえ、心苦しいなどと…ですが姫君は、今は心細くともしばらくこのままのほうがよろしいかと思います。もう少し物の道理がおわかりになるまで成長されましてから、そちらに行かれたほうが、うまくいくかと」
 乳母の少納言が静かに言う。
「今は夜となく昼となく、お祖母様を恋しがって、ちょっとしたものもお召し上がりにならないのです」
 そのせいで姫君は面窶れをしていたが、それがまた上品で可愛らしく、かえって見栄えが良いほどだ。
「どうか、もうそんなに悲しまないで。亡き人にあまりこだわりすぎるのも良くないことだよ。この父がついているのだから」
などと慰める父宮だが、日が暮れれば自分の邸に帰ってしまう。姫君が帰り際に、寂しいですーと泣くので、父宮もついもらい泣きをして
「どうか、あまり思いつめないようにね。今日明日のうちに、きっとお迎えに来るよ」
と繰り返しなだめすかし、やっとのことで出立される。

 父宮がいなくなると、姫君は誰も慰めようがないくらい泣き沈んでいた。我が身の将来のことまで思い至ってのことではないが、ただ長年かたときも離れることなく一緒にいたお祖母様が、今は亡き人となってしまったのが幼心にもたいそう悲しく、胸がふさがって、いつものように遊ぶこともしない。昼間はそれでも何とか紛らわせているが、日暮れともなるとひどくふさぎこんでしまう。いったいどうしたものかと慰めあぐねる乳母にしても、涙をこらえきれない。

 ヒカルの命をうけ惟光が様子を見に来た。
「私自身が伺うつもりが、内裏よりお召がありまして。本当に申し訳ない。気になって仕方ないのですが」
と伝え、宿直役の人も一緒に寄越した。

「情けないことですわ。お戯れにしても、ご結婚のはじめにこのような仕打ちとは」
「父宮さまがお耳にされたら、側仕えの者の落ち度として責められましょう」
「ああ大変。何かの拍子に、うっかり漏らしてしまっては何としよう」
など女房たちは口さがないが、当の姫君はなんとも思っていないのがまた困ったことである。

 少納言は惟光に、ヒカルの真意を探るべく愚痴る。
「ヒカル王子と姫君の間には、将来にわたって切っても切れない宿縁がたしかにあるのかもしれません。ですが今現在は、まったく不釣り合いなお話とお見受けします。どうしてそんなに姫君のことを思ってくださいますのか、これからどうなさるおつもりなのか、わたくしはどう対処すべきなのか、判断できず悩んでおります。
今日も父宮さまがいらして
将来不安がないように、よく姫に仕えてください。あまり幼い子扱いはしてくださるな』
と釘を刺されました。かなりプレッシャーですわ。今まではただ放ったらかされておりましたのが、今後はこのような、よその男のかたとのお手紙のやりとりや、ご訪問といったことにも、改めて目を光らせ配慮しなければならないので」
といいつつも
(惟光さんに、ヒカル王子と姫君の間に何かあったのかと思われては、それも不本意だわ…)
と考えてもいたので、あまりあからさまに嘆くようなことはしない。惟光のほうは、よく事情がわかっていない上に、少納言に奥歯にものが挟まったような言い方をされ、怒られているのか単に愚痴られているのか、イマイチ腑に落ちない。

 帰参した惟光がとりあえずそのまま報告すると、ヒカルは少納言の気持ちを察して、ああしまったなと反省する。が、だからといって普通の女相手のように三日通って正式に結婚、というのも、相手が相手なのでおかしな感じだし、だいいち軽々しくひと目につくようなことをすると、すぐに噂の種になってしまう。
やはりあの姫君は、自分の邸に迎えるべきだ
と決意を新たにするヒカルであった。
 それ以降、手紙は頻繁に出し、夕暮れにはいつも惟光を遣わす。
「差し障りがあって伺えませんが、どうかお許しを」
などと書きつけて。

 そんなある日、訪れた惟光に対し、少納言が口早にこう言った。
父宮さまより、明日姫君をお迎えにまいりますと急なお知らせが来ましたので、気ぜわしくてなりません。長年住み慣れた蓬生の宿を離れますのもさすがに寂しく、お仕えする人々も思い乱れております」
 邸の人々は皆、忙しそうに縫い物などしている。誰もかれも、ろくに返事もしないので、惟光は諦めて邸を辞した。

<若紫 十一につづく>
参考HP「源氏物語の世界」 

2016年1月20日水曜日

若紫 九

 十月(実際には十一月)。
 朱雀院の行幸(神社仏閣、名刹などに帝が外出すること)という一大イベントが予定されているため、舞人、高貴な家の子弟、上達部、殿上人など、およそ芸ごとに秀でているものは皆召集がかかり、親王や大臣を中心に、それぞれ練習に余念がない。
 そんな忙しい日々の合間、そういえば北山の尼君はどうしているのか、えらくご無沙汰してしまったなと思い出したヒカル
 問い合わせてみたところ、僧都から返事が来た。
「先月の二十日ほどに、ついにみまかられまして……世の常とはいえ悲しいことでございます」
などとある。ヒカルは世の儚さをしみじみ感じつつ、
「尼君が心配していたあの若紫ちゃんはどうしているだろうか。幼な心にも恋しがっていることだろうな。私も、母の御息所に先立たれたときには…」
と、ほとんど忘れていた自分の幼き頃のことも思い出し、丁重にお悔やみを申し上げた。乳母の少納言が如才なく返事をかえしてきた。

 喪が明けて一行が京に戻ったと聞き、折を見て、ある夜ヒカルみずから訪れた。主を失った邸はいっそう寂れて、小さい子にはさぞ恐ろしかろうと思われた。
 いつもの南廂の間に落ち着くと、少納言が尼君のご臨終の様子などを涙ながらに語る。他人事ながら、ヒカルの袖も涙に濡れるのだった。

「父親である兵部卿宮さまにすぐ引き取っていただこうとしましたが、亡くなった尼君が
『亡き娘は、宮の北の方のことを情のない、意地悪な人と言っていました。もう幼児ともいえず、かといってまだ大人の顔色をよむ分別はない、中途半端なお歳の姫ですから、大勢いらっしゃる中で侮られ軽んじられて過ごされようかと思うと、躊躇ってしまいます』
などと始終ご心配なされていて……。
王子様の、姫君への勿体無いようなお言葉、どのくらい先々のことまで考えてらっしゃるのか存じませぬが、こんな時ですから素直に嬉しく受けとめるべきか、とも考えております。
ですが肝心の姫君は……ふさわしいお年ごろでは全くない上、年のわりに幼くていらして、もう本当にヒカル様のお相手としてはとてもとても、お話にならないのです」

うーん、何度同じことを申し上げたらわかってくださるのかなあ? そういう幼くあどけないご様子こそが、かわいらしく愛しく思えるという、本当に格別のご縁と私は考えているのです。こうなったらやはり、人づてではなく、直接お話しさせてくださいよ。

年若い姫にお目にかかるのは難しいのでしょうが
和歌の浦の波のようにただ立ち帰ることはいたしませんよ
さすがに失礼でしょう?」
と、詰め寄るヒカル。
少納言は内心、
「確かに、尼君は亡くなってしまったのだし、私自身はヒカル王子に逆らえるほどの身分でもない……いや、だけど、だけど!」
テンパリながらも

和歌の浦に寄せる波の真の心も知らないまま
浮かうかと身を任せる玉藻になるのはどうなのかしら
はいそうですかではよろしくー、とはいきませんよさすがに」

なかなか絶妙な返答をしたので、ヒカルはおおおーと感心し、ちょっと詰めよりすぎたかな? とすこし差し控える気にもなる。「どうやって波を越えて会いましょうか」と軽く口ずさむのを、若い女房たちは自分に言われたようにぞくぞくっと震える。

 姫君は亡き祖母を恋しがって泣き伏していたが、遊び相手たちが
「お直衣を着ている方がいらしてますよ。父宮さまがおいでなのでは」
というので飛び起きて、
「少納言のおば様! 直衣を着ているという方はどこにいらっしゃるです? お父様ですの?」
 とたたた、と近づいてくる足音、声がたまらなく可愛らしい。
「父宮さまではありませんが、まったく見知らぬ方というわけではありませんよ。こちらへ」

えっちがうの?! 誰? もしかして…あのときの、あのカッコイイ王子様?! 

少女はさすがにあ、私まずいこと言っちゃった?! と察して、
「向こうに行きたいですー。眠いですー……」
と乳母の少納言にべったりとくっついて離れない。
「まあ姫君、今更どうして隠れようとなさいますの? 眠いのなら、私の膝の上でお休みなさいませ。さあ、もうすこし寄って……ね、王子。これですから。まだまだ赤ちゃんのようなお年ごろなのですよ」
と言って、半ばやけくそで姫君を押しやったところ、ヒカル、御簾の隙間から手を差し入れて探る。
柔らかな衣の上に、髪がつやつやとかかって、末のほうまでサラッサラだ。

うっわー超可愛い。萌えるわー。

と調子に乗って姫君の手をとらえると、
何なの? 不審者?! と怯えて
もう寝るっていってるでしょ!
と必死に振り払い、奥に引っ込もうとする。ヒカルはそのタイミングを逃さない。スルッと簾の内に滑り入ってしまった。
「今は、私が世話をする人ですよ。そんなに嫌わないで」
乳母は驚き呆れ、
「ダ、ダメですよ王子、出てください! あまりといえばあまりですわ。いくらなんでも、姫はまだ女とはいえないお歳ですのよ!」
と叫ぶ。
「まあまあ、さすがにこんな幼い子に何もしやしないよ。ただ、他の人とは違う私の心ざしの深さをしっかり見届けてほしいのだ」
ヒカルは涼しい顔でそううそぶくのだった。

 外は霰が降り荒れて、恐ろしげな夜である。
「この可愛い子が、どうしてこんな寂れた場所で、心細く過ごさねばならないのか」
と思うといじらしく、つい涙が出て、とても見捨ててはおけない! と変なスイッチが入ったヒカル
「格子を下ろしなさい。天気も荒れて物騒な夜だから、私が夜明かしして御守りする。皆、もっと近くに寄って」
といって、馴れた様子で帳の内までズカズカ入っていく。
ちょ、誰が入っていいと?!女ばっかりの中に勝手に入ってきちゃってなんなのこの人!ありえないっ!!
と一同ドン引き。
 乳母の少納言も同様だが、相手はヒカル王子。事を荒立てるわけにもいかず、嘆息しつつただ見守る。
 姫君はひどく怯えて、一体自分はどうなっちゃうのかとぶるぶる震え、つやつやすべすべの若いお肌を粟立てている。ヒカルはそんな姿も可愛いと思い、小さな体を単衣だけで包み込む。
我ながらこれはちょっと何だかなー、ロリコンヘンな人みたいだよねと
自覚しつつも、そこは女扱いにかけては百戦錬磨のヒカル、
「私と行きましょうよ、美しい絵がたくさんある、お人形遊びもできる所に」
と優しく声をかけ、姫君の気を引く。何しろ十八歳という若いイケメンだしいい匂いがするし、人を惹きつけずにおかない愛嬌もたっぷり。幼い姫君は、そんなに怖い人でもないのかも? とやや思い直すが、さすがに気を許して眠り込むというところまではいかない。ずいぶん長いこと、もじもじしながら横になっていた。
 その夜は一晩中、風が吹き荒れていたので、女房たちは
「ほんとうに、王子がこうして宿直にいらっしゃらなかったら、どんなに心細かったでしょうか」
「同じことなら、お似合いの年回りでいらしたら…ねえ?」
とささやきあっている。乳母は心配でたまらないので、二人のすぐ側に控えて寝ずの番だ。

 風がすこし吹きやんだ深夜、ヒカルは邸を出ることにしたが、傍から見れば恋人宅から帰るような風情である。
「今はますます愛しくてたまらない。もう片時の間も離れるのは心配だから、明け暮れ眺めていられる場所に迎えたい。こうして通うだけでは物足りないよ。姫君も怖がってはいなかったよね」
と調子こくヒカルを、少納言が静かにたしなめる。
「姫君の父宮さまも、引き取られるおつもりでいらっしゃいます。この四十九日がすぎるまではと思っておられるようです」
「兵部卿宮ならそれは確かな頼り先だろうけど、ずっと別々に暮らして来たんでしょ? 他人と同じようなものじゃないか。今夜初めてお会いした私のほうが心ざしは深いと思うよ!」
といって姫君をかき撫でかき撫でして、後ろ髪をひかれつつ出立した。

 霧が深く立ち込めた空は常ならぬ雰囲気で、霜が白くおりている。本当の恋ならば情緒もある朝帰りであったろうに、何か物足りなく思える
 以前こっそりと通っていた処に近いと気付き、その門を叩かせたが、誰も出てこない。どうしようもないので、お伴の中で声の良い者に歌わせる。

曙に霧が立ち込める空模様につけても
素通りしがたい貴方の家の門前です

と二回ほど歌うと、物なれた感じの使用人が出てきて

霧のたちこめた我が家の前を通り過ぎがたいと仰るなら
生い茂った草が門を閉ざしたことくらい何でもないでしょうに
今まで放っておかれた癖に調子良すぎですよ」

とよみかけ、家に入ってしまった。それきり誰も出て来ない。
 このまま帰るのも虚しいが、明けゆく空の下うろうろするのはもっと体裁が悪いので、おとなしく邸に帰ることにした。

 ヒカルは、あの可愛らしい少女の面影を恋しく思い出し、ひとり笑いをしながら寝た
 日が高くなってから起きだして、さて手紙を、と机に向かったが、いつもとは勝手が違うので、書いては置き書いては置きしつつ、気の向くままに書きすさび、美しい絵なども添えた。

<若紫 十につづく>
参考HP「源氏物語の世界」 

2016年1月19日火曜日

若紫 八

 北山の寺で療養していた若紫の少女の祖母・尼君は、程なく回復し山を下りた。住まいは同じ京の都だったので、ヒカルとは時折お手紙をやりとり。
 だが内容は変わり映えしないし、まずヒカルのほうがそれどころではない悩み事満載だったこともあり、とくにこれといった進展もないまま時ばかり過ぎていった。

 管弦の催しも一段落ついた秋の終わりごろ、なんとなく物寂しい気持ちになるヒカル。月が美しい夜に、ふとお忍びの場所へ行こうと思い立つ。
 内裏から出て、行き先の六条京極あたりまではまだ少々遠い場所で、時雨に足止めされる。そこに古木が鬱蒼と茂った、荒れた邸があった。いつもお側にいる乳母子の家来・惟光によると
「亡くなった按察使大納言の邸、つまり北山の尼君の邸でございますな。そういやこの間、何かのついでに寄りましたら、尼君がかなりお悪いようで、皆さんいろいろと大変そうでしたよ」
「ええ! なんと、それはお気の毒に……なんでもっと早く言わない、お見舞いするべきだったろう。今すぐ入ってご挨拶しよう!
惟光心の声
(お手紙やりとりしてたんと違いますのん…つか、今の今までカンペキ忘れてたでしょ……)
 ヒカルにせきたてられた惟光は、伴の一人を中に入れ案内をさせる。たまたま立ち寄ったのではなくわざわざお見舞いのため来ました、かのように言わせたので先方は驚き、
「いや恐れいります。大変申し訳ないことなのですが、ここ数日とくに弱ってきていまして……とてもお会いできる状態ではありません」
と言ったものの、むげに帰してしまうのも失礼と、慌てて南の廂の間を片付けヒカル一行を上がらせる。
「むさ苦しいところですが、せめてものお礼ということで……何のご用意もなく、鬱陶しいお座所で恐縮です」
 なるほど、ヒカルがいつも見慣れているような場所とは違う、と思う。
「いつも今度こそは伺おうと思いながら、すげないお返事ばかりでしたので、ご遠慮申し上げておりました。こんなことになってらっしゃるとは……なにせご病気でいらっしゃることすら存じ上げなかったほどのおぼつかない関係でしたから」
何気に相手のせいにするヒカル。乳母の少納言
「病がちなのはいつものことなのですが、いよいよの際になりまして……せっかくお立ち寄りいただきましたのに、自らお礼申し上げることもできません。以前仰っていた姫君へのお心、万一にもお変わりないようであれば、もうすこし大人にお成り遊ばした暁には是非、ものの数に入れてくださいませ。まことに、このような心細い状況のまま置くのは、尼君の願っております仏道の妨げと思えてなりませんから」
などと切々と語る。
 尼君はすぐ近くに臥しているのか、心細げな声が絶え絶えに聞こえる。
「まことに勿体無いことでございます。せめて姫君が、きちんとお礼を言えるようなお年であればよかったのですが……」
 ヒカルは哀れに思い
「浅い気持ちならば、いまさら気を持たせるような真似はしませんよ。いかなる因縁か、初めてあの子にお目にかかったときから、不思議なほど愛しい気持ちが強くなるばかりで、現世の縁だけとも思えません」
などと優しく言いくるめる。
「とはいえいつも何の甲斐もない感じですので、あの幼き少女のお声を一言でもお聞かせ願いたいのですが、どうでしょう?」
しれっと図々しくせがむヒカル。
「いやいや、何もご存じなく、ぐっすりお休みになってまして
などと言っているそばから、とととと、と近づく足音がして
おばあさま! この前お寺にいらしてたヒカル王子さまがお家にいるですか-? どうしてお会いしないのですー?!
女房たちはしまった、と顔を見合わせ「お静かに!」と止めるがもう遅い。
「だってー、『お会いしたら気分の悪いのも良くなった』って仰ってたじゃないですかー」
と、私うまいこと言ったです! というようにドヤ顔でいる。
 ヒカルは笑いそうになるが、女房たちの困っているのを思いやって聞かぬふりをし、丁重にお見舞いの言葉を述べて帰った。
「なるほど、子供らしい様子だ。教育のしがいがあるというもの」
とほくそ笑む。

 翌日のお見舞いも気合を入れて用意する。手紙はいつものように小さく結んで

かわいらしい鶴の一声を聞いてから
葦の間をさ迷う舟のように思いまどっています
ずっと同じ人を追いかけてばかりで

と、姫君に合わせことさらに幼く書いてあるのも、あまりに見事な筆跡なので、周囲の女房たちは「そのままお手本に」と騒ぐ。
 お返事はもちろん少納言である。

「尼君は、もはや今日か明日かという状態でして……山寺にお移しする段取りをととのえているところです。このように丁重なお見舞いをいただきましたお礼は、あの世からでもお返事させていただくことになりましょう」

 さすがにお気の毒なことと思う。

 秋の夕暮れは、いつもにもまして心がざわめき、許されない恋人のことで頭が一杯になるので、もう無理にでも、あのゆかりの少女を引き取ってしまいたいという気持ちが募る。尼君が「心配で、死んでも死に切れない」と言っていた夕暮れを思い出し、少女に会いたくて震えるが、また一方では、間近で実際に見たら思ったほどではないんじゃないの? という気にもなったりする。

手に摘んで早く見たいものだ
紫草にゆかりある野辺の若草を

<若紫 九につづく>
参考HP「源氏物語の世界」 

2016年1月18日月曜日

若紫 七(オフィス&右近宅にて♪)

「ちょっとちょっと!右近ちゃん!」
「どうしたの侍従ちゃん? そんなに慌てて」
「聞いた?! 藤壺の宮さまのこと」
「ああ、ご懐妊されたって話? 長いことお宿下がりしてたと思ったら、そういうことだったのね」
「えーでもさ……ちょっとヘンじゃない? 具合悪いってご実家に帰られたのって、確か四月だったよ? あのとき藤壺のお部屋のお掃除手伝わされたからよく覚えてる。そんときもう妊婦だったとしたら、今最低四ヶ月か、五ヶ月? だけどもう七月にもなるのに、宮さまのお腹まだペッタンコだよ……。物の怪のせいとか何とか言われてるけどさ、そんなことってあり?」
「帝も久々に宮さまが参内されたからはしゃいじゃって、毎日のように藤壺に通いつめてるらしいわよ。おめでたいことよね」
「だからー!」
「侍従ちゃん?」
 しーっというように、指を口に当てる右近。
「何を言いたいかは察しつくけど、職場じゃNGよその話題。平安時代の部屋って壁もドアもほとんどない、単に屏風や簾で仕切られてるだけなんだからさ。壁に耳あり障子に目ありどころじゃない、ザル以下っていうかすべて筒抜けよ?」
「……そ、それもそうね……え、ていうか右近ちゃんやっぱり何か知ってるのね! あそこの女房さんたちと仲いいもん。ずるーい私にも教えて!」
「落ち着いて侍従ちゃん。仕事が引けたら、私んち来れる?」
「もちろん行く行く! お菓子持ってくね!」

簾が巻き上げられ、お局女房が顔を出す。
「アフターファイブのお話もいいけど、今日中にその御文の整理は終わりそう? 二人共」
「は、はーい」「ただいま」
………… 
(右近の家)
「はーつっかれたー。一ヶ月分仕事したような気分。お茶が美味しいわー♪」
「アタシたち頑張ったわよね、残業しないために。あ、これ美味しいね、侍従ちゃんありがと」
「でしょー。少納言さんに教えてもらったの♪お寺のスイーツってヘルシーだしなかなかイケルのよね」
「少納言さんて、例の若紫ちゃんの乳母さん?」
「そうそう。大変だったらしいわよーヒカル王子。あんなちっちゃい子相手に、断っても断っても諦めなくて、皆ドン引きしてたって」
「知ってる、有名よねその話。それこそ物の怪でも憑いたのか?! てくらいなりふり構わずだったってね。王子らしくないわ」
「そうなのよ! 現代なら不審者情報事案決定よね! そんでね、それまでストーカーか!?てくらいシツコクしてた王子がさ、ある時いきなりパタっとトーンダウンしたわけよ」
「ふんふん」
「それがちょうど、四月に藤壺の宮がお宿下がりした、そのタイミングなわけ」
「なるほど」
「まあ、転地療養中の北山であれだけ若紫ちゃんに執着してたのは、吊橋効果っていうかー、スキー場でのインストラクターがモテるようなもんっていうかー、要するに非日常空間で珍しいものみて一時的に熱あげちゃったってやつだったのかもしれないけど」
「それにしても、急すぎ?」
「京都に帰ってきてからもしばらくは情熱的なお手紙出してたみたいだしね。なんか不自然なのよ。…ねえ右近ちゃん、ニヤニヤしてないで早く話してよー! わかってんのよ、右近ちゃんて藤壺宮さまの腹心の女房・王命婦(おうのみょうぶ)さんとマブダチなんでしょ?」
「マブダチ(笑)古っ、侍従ちゃん年がわかるわよ? まあいいわ、話しましょ」
……
若紫の巻は、その名の通り、ヒカルと若紫の少女との出会いがメインである。だがもうひとつ、重大なエピソードが存在する。ヒカルと藤壺の宮の密通である。
ヒカルの、藤壺宮への思いは今に始まったことではなく、昔からの憧れの存在であった。折々に思慕をつのらせていく中、都を離れた療養先での、面差しの似た少女との出会い。隠し抑えつけていた思いがここではっきり形になる。手の届かない藤壺宮の代わりにせめてこの少女を、と望むがうまくいかない。都に帰ったものの、正妻は自分に無関心で冷たい。ヒカルの思いは落とし所を見つけられず、ついに暴走したのだ。
……
「なるほどねー。やっぱり王命婦さんが手引きしたんだ。そうじゃなきゃ絶対無理だもんね」
「一応彼女の名誉のため言っとくけど、相当何回も断ったみたいよ。だけどさー、あのキラキライケメンでしょ。おまけに老若男女問わずの人タラシだしさ…死ぬの生きるの言われて、根負けしちゃったみたい」
「あーわかるー。私だったら秒殺かも」
「ぶっちゃけ、藤壺の宮さま自身も恋してたのよね。少年の頃から自分に熱い視線を送ってくるヒカルのことを。何しろお歌がこれだもんね」

こうして目の前に見ていても、また逢う夜はいつになることか……夢のようです
我と我が身を、その夢のうちに紛らわせて消えてしまいたい

世の語り草になるでしょう、この上なく辛い我が身を
覚めることのない夢と成しても

「あああああもう! お歌だけで倒れそう! 情熱的よねー(うっとり)これをあの美男美女の二人がとりかわしたかと思うともう絵面が良すぎてヤバいわ」
「結局相思相愛なのよね。一回きりの過ちってわけでもないし、現に子供出来るくらいの宿縁があったってことだし」
許されない愛かあ……憧れるわね右近ちゃん」
「そうねー。私たちみたいな外野は気楽なもんだけど、王命婦さんは大変よ。まさか帝以外の胤でご懐妊だなんて予想外だったから、辻褄合わせに神経すり減らしてさ。帝があっさり『物の怪のせい』ってことで納得してくれたおかげで、周りも一安心って感じよ」
「……帝は、ご存知ないんでしょ? え、まさか」
「だから、壁はないのよ。仕切りだけなのよ? 人の口に戸は立てられないっていうけど、その戸すらほとんどない時代だから。わかんないわけないよ、いくら世間を知らない帝でも。お子様初めてってわけでもないんだし」
「うわあ……」
「ま、歴史的にみてもよくある話だしね、帝の寵姫を家臣が寝とるっていうのは。その家臣が息子ってのはちょっとキツイ状況だけど、いつも見てて、気づかないはずはない。我が息子の、藤壺宮への熱い視線を」
「おぉふ……」
「今、帝が藤壺に通いつめてるのも、やたらとヒカル王子を内裏に呼びつけるのも、
お前らこれで終わりにしろよ
って警告だとも解釈できるわけ」
「こ、怖い…ね」
「まして当の宮さまと王命婦さんはガクブルよ。だからもう手引はしないし、お手紙の返事も一切渡さないようにしたみたい」
「……あ! そのせいか!」
「何?」
「つい最近、少納言さんから聞いたんだけど、ヒカル王子からのお手紙が復活したらしい」
「そうなんだ。わっかりやすいわねー王子」
「なんかさ、話聞いてて思ったけど……もしかして王子、三月の時点で若紫ちゃんを手に入れていれば、藤壺の宮さまに対して突っ走ることはなかったんじゃないの?」
「うーん、そうかもしれないけど……ただいくらなんでもまだガキンチョだから、結局すぐには満足できなくて、おんなじことになったんじゃないかなあ。まあ、タイミングがたまたま良すぎたというか、悪かったというのか……」
「とりあえず、今後はまた若紫ちゃんに矛先が向くわけね」
「少納言さんも大変ね……そうだ、今度女子会しない? 王命婦さんも誘って」
「王命婦さんに少納言さんに右近ちゃんに私? 濃ゆいわー(笑)」
「いいじゃん♪ やろうよ侍従ちゃん」
「うんうん♪ 楽しみね、右近ちゃん♪」

<若紫 八につづく>
参考HP「源氏物語の世界」 

2016年1月17日日曜日

若紫 六

京の都に帰り着いたヒカルはまず内裏に参上し、近況など申し上げた。
父帝は「えらくやつれてしまったね」と心配顔だ。
ヒカルは、北山の聖がいかに尊い様だったかを、問われるまま詳細に説明する。
帝は、
「本来なら、阿闍梨など地位のある僧にも成るべき人なのだろうな。それだけ修行の功労を積んでいるのに、朝廷には知らされないままだったとは」
と感心しきりである。これであの聖も、何かと引き立てて貰えるかもしれない。加えて世話になった寺の評判もますます上がるというものだ。なんだかんだで、ヒカルも貴族として仕事してるのであった。

そのとき。
光の君!
ちょうど同じタイミングで参内していた、舅の左大臣にばったり会ってしまった。、
いやぁお久しぶりですな! 
私もお迎えに伺おうと思っていましたんですが、お忍び歩きとのこと、邪魔をしてはとご遠慮申し上げておりましたんですよ。
まあ、仕事は程々にして一日二日のんびりお休みください」
言いながらも
「あとで、ウチまでお送りしますからねっ!!
と、釘を刺された。
気楽な自宅に戻るつもりだったヒカルだが、これはさすがに逃げられない。
しぶしぶながらも左大臣邸に連れて行かれるしかなかった。

舅はヒカルを先に車に乗せ、自分はさっと端に寄ってかしこまっている。良い場所をヒカルに譲った形だ。
自慢の娘の、これまた自慢の婿であるヒカルを大事にする気持ちはわかるしありがたくはあるが、その激ラブっぷりは少々、重い
左大臣邸でも、ヒカル様が久々のお越し! ということで気合入れまくり、しばらく見ないうちにあちこち玉のように磨きたて、用意万端整えてあった。こういう感じもまた、いろいろと辛い。

なのに正妻の葵の上、いつものごとく物陰に隠れたまま出てこない。
実父の左大臣が強く言い聞かせてやっとのことで姿を現すが、美しい妻はまるで絵に描かれた姫君のように、じっと座ったまま身じろぎもせず、ただ行儀よくそこに居るだけだ。
思うさま心の内を語ったり、北山ごもりの話をしようにも、何の反応も期待できないのでは甲斐もなく、愛情がわくはずもない。
いまだにまったく打ち解けることなく、よそよそしい気詰まりな相手としか扱われないヒカルは、年数とともに距離が遠ざかるばかりのこの状況に堪えられず、思わず

「たまには、フツーの奥さんらしい態度見せたらどうです?
今回のように私が病でひどく苦しんでいても、お加減どうですかとも仰ってこないのって、今に始まった話じゃないけど、さすがにあんまりじゃないですか?

と言ってしまった。
姫は長い沈黙のあとやっと

「何も尋ねないのは、辛いことなのですか?」

と、遠い目をしながら答えた。こちらを見上げて来たその顔は、美女を見慣れたヒカルすら気後れしそうなほど気高く美しい。
やばいやっぱ超キレイだなこの子ーと思いつつ

「やっと何か仰ったかと思えば……ガッカリですね。尋ねない→訪ねない、という言葉は他人同士が使うものでしょ。凹むなあそういうの。あなたのその、世間体の悪いご対応を、まあそのうち思い直される時が来るだろうと、アレコレ試してきましたが、ますます嫌われてしまったようだ。別に私の命がどうなろうと、どうでもいいんですよねあなたは」

と言い捨てて寝所に入った。
葵の上が入ってくる様子はない。ヒカルも今更一緒に寝よう♪などと誘いづらく、溜息まじりに寝転がっていたがどうにも面白く無い。仕方なく眠いふりをしながら渋々と妻を呼び相手をする。
かくの如くこの夫婦、問題アリアリなのだった。

そんなこんなでヒカルはなおさら、山で見たあの少女のことが気にかかって仕方がない。別れたときよりまた大きくなったろうなーと。
「そうだ、あの若草ちゃんは日々成長する、そういう年頃なんだ。似合わないと言われたのも道理だな。難しいなー普通の女のように言い寄るというわけにはいかないし……何とか算段をつけて、ただ気楽に引き取って、明け暮れ楽しく見て癒やされたい……。
しかし、あの子の父の兵部卿宮はとても品が良いし物腰も優雅だけど、特に見た目がいいってことはないんだよなあ。あの子だけ、なんであの一族に似てるんだろう? 祖母が同じ后だから、隔世遺伝なんだろうか」
縁の深さをしみじみ実感し、どうにかうまくいく方法はないかと必死で考えるヒカル。

翌日、懲りずにまた尼君と僧都にお手紙を出したものの、軽くあしらわれたので悔しくなったヒカル、ついに最終兵器・惟光を投入!
惟光は早速女の子の乳母・少納言との面会をとりつけ、ヒカルの思いを立板に水と語るも、言えば言うほど周囲は困惑(当然)。

「手習いさえおぼつかない幼児ですので……」
とやんわり断った尼君に
「その手習いの、書き散らしたやつでいいから! ください!」
と迫るに至っては、もうどうみてもHENTAIです本当にありがとうございました状態
さすがの惟光も呆れかえって
「ヒカル王子、まだご病気が治ってらっしゃらないんですよ……そのまましばらく左大臣様のお屋敷でみていただいて、よーくお休みになってください。尼君へのお手紙は、すっかり良くなってから、ご自宅に帰ってからのほうがいいんじゃないでしょうかね……」
と主人を諭す。
ヒカルは
「それもそうだね! 待ち遠しいなあ!」
とあくまで能天気なのであった。

参考HP「源氏物語の世界」 
<若紫 七につづく>

2016年1月16日土曜日

若紫 五

明けゆく空はあらかた霞み、山鳥どもがそこかしこと囀り合っている。
名も知らぬ草木の花ばなも色とりどりに散りまじり、錦を敷いたような中、鹿がそぞろ歩く。
都育ちのヒカルには、山の風景の何もかもが新鮮で珍しく、飽かず眺めているうち、塞いだ気持ちもすっきり晴れていく。

聖(念仏僧)は、身動きこそ不自由だが、ヒカルのためにとどうにか護身の法をおこなってみせる。陀羅尼経をよむ枯れた声が歯の隙間からしゅうしゅうと漏れ聞きとりづらいが、これもまたいかにも年季の入った尊い感じがして悪くない。
ヒカルを見送る人々が、口ぐちに回復を祝う。内裏の父帝からもお見舞いを賜った。
僧都は、見慣れない珍しい果物をこれでもかと谷底から採ってきて、振る舞ってくれる。
「今年中の誓いが深うございまして、あまり遠くまでお見送りすることはかないません……なかなか思うようにはならないものですなあ」
などと残念そうに酒を注ぐ。

「山水の風景に心惹かれてまだまだ帰りたくないのですが、帝からもったいないお見舞いもいただいてしまいましたので……今咲いているこの花の盛りが過ぎないうちに、また伺いますよ。

都に帰ったら宮の人々に言って聞かせましょう、この山桜の美しさを
風に吹き散らされる前に見に来るべきだと

ヒカル王子の立ち居振る舞い、声音、すべてが眩しい僧都は思わず

三千年に一度咲くという優曇華(うどんげ)の花を待って待って
ついに出会えたような心持ちです
ありふれた深山の桜など目にもとまりませんよ

と口走る。ヒカルは微笑んで
「その時節に一度だけ開く花に出会うことこそ、難しいものでしょうに」
と言い返す。(意味深)

聖は盃をおしいただき
山奥の松の扉をひさかたぶりに開けてみたら
この世でお目にかかったことのない、花の顔(かんばせ)を拝見いたしました
とむせび泣きつつ光君の顔をしげしげと見つめ、御守護にと独孤を渡す。

僧都も負けじと、聖徳太子が百済より手に入れたという(ほんまかいな)玉飾りのついた金剛子の数珠を、唐風の箱ごと透かし編みの袋に入れ五葉の松の枝につけたもの・紺瑠璃の壷に種々の薬を入れ藤や桜などに付けたもの・その他ご当地ものの贈り物など、さまざまに取り揃えて王子に奉る。
ヒカル王子の方もお返しは万全、聖をはじめ読経してくれた法師たちへのお布施にと、あらかじめ家来たちにいろいろと用意させていた。京の都から大量にお取り寄せした土産ものを、その辺りの木こりに至るまで大盤振る舞いし、誦経なども行った。

僧都は、屋敷内の尼君にヒカルの言葉を改めて伝えたものの

「ともかくも今は、何を仰られようとどうにもできません。本当にお気持ちがあるとしても、これから四、五年を過ごしてのちならば、です」

と、同じことを繰り返すだけで、まったく取り付く島もない。
かろうじてお手紙ばかりは、僧都のお付きの子供づてにやり取りされた。

昨日の夕暮れ、ほのかに美しい花を見ましたので
今朝は霞のように立ち去りがたい気がしています

尼君からの返しは
ほんとうに花の辺りを立ち去りたくないと思ってらっしゃるのかしら?
霞んだ空の色はこちらからは見えませんわ」

と、知性と気品あふれる筆致で、さらりとだが毅然とつっぱねる。

さていよいよ出立、とヒカルが用意してあった車に乗ろうとすると、
「まったく、どちらへ行かれるとも仰らないでお出かけになられたりして……」
と、左大臣家からのお迎えの家来やその子息たちがわらわら集まって来た。
頭中将、左中弁、その他の子息は寄ってたかって
「このような小旅行には、ぜひお伴いたしたく常々思っていますのに、あんまりじゃないですかー!置いてきぼりなんて」
と恨み言の嵐。ヒカルは涼しい顔で
「すっごくキレイな花の蔭に、しばし佇む間もなく引き帰しちゃったのはホント、物足りない感じだよ」
と返す。(意味深その2)

岩蔭に生えた苔の上に皆で並び座り、酒を酌み交わす。落ち来る水のさまが風情を誘う滝のほとりである。
頭中将は懐手にした笛を取り出し、吹き澄ましている。弁の君は、扇をかすかに打ち鳴らし、「豊浦の寺の、西なるや」と謡う。
いづれ劣らぬ優れた公達ではあるが、悩ましげに岩に寄りかかっているヒカルの君の姿は他とはステージが違うともいうべき類まれなる美形、他に目移りするはずもない。
いつものように笛や篳篥を吹くお付きまで現れ、もはやライブの趣だ。

悟り澄ました年寄りばかりの静かな山に、元気盛りの若者が大勢集い、即興の野外ライブはいやがうえにも盛り上がる。ついには僧都まで、自ら七絃琴を手に
「光の君、ひとつ弾いてくださいませんか? どうせなら、山鳥も人と同じように驚かせてやりましょうよ」
と熱心に頼んできた。ヒカルは
「病み上がりなもので、自信がないですが……そこまで仰るなら」
などと言いつつ、満更でもない様子。ひとときかき鳴らすと、それを切りにようやく一行は出発した。

一気にしんとした山中、名残惜しい寂しいと、下々の法師や子供たちまでが涙を流す。まして屋敷の内では、年老いた尼君たちが今まで見たこともないヒカルの美男っぷりに「この世の者とも思えない」と言い合った。

「本当に、一体どういう縁で、あのようなお美しい姿を以て、この日の本の、むさ苦しい末法の世にお生まれになったのかと思うと……まことにもったいなくもありがたいこと」

と目を押し拭う。
かの姫君は、幼いながらも「王子様カッコイイですー」とご覧になり
「父宮さまよりずーっとイケメンさんですー」などと言っている。
それならばあの方のお子様になっては?
と言われると、「それいいかもですー」とうんうん頷いている。お人形遊びの時にも、絵を描くときにも、「源氏の君」を作っては、きれいな衣装を着せ、かいがいしくお世話をするのでした。

参考HP「源氏物語の世界」 
<若紫 六につづく>

2016年1月15日金曜日

若紫 四(オフィスにて♪閑話休題)

「ねえねえ右近ちゃん」 
「なあに侍従ちゃん」 
「最近、ヒカル王子見ないんだけど」 
「昨日帰ってきたみたいよ。山奥に引っ込んで静養してたって」 
「あ、もう帰ってるんだ。じゃあこれからはまたお姿が見られるのね♪うふふ」 
「侍従ちゃん、あれだけいろいろあっても、まだファンなわけね」 
「だあって、やっぱカッコイイじゃーん? つきあえるわけはなくてもさ。イケメンは見て楽しい、眼福ってやつー?」 
「なんかオヤジ臭いわねえ(笑)わからなくもないけど。でもまた何かあるらしいわよ、王子」 
「あー知ってる知ってる。静養先でどっかの娘さんを見初めたって話でしょ?」 
「もう噂になってるわけ。早いわね~、さすが侍従ちゃん。でもね、娘さんっていうか、ガキんちょらしいよ。十歳くらいの」 
「エー! ありえなーい! ロリコンじゃん! ホント守備範囲広いわね……」 
「さすがに周りに止められたらしいけどね」 
「そうよねー現代だったら完全に犯罪だし、さすがの早婚な平安時代だってちょっとね。だって多分、その子……月のものなんてまだ、なわけでしょ?」 
「よっぽど発育のいい子なら別だけど、ま、9割がたないでしょうね」 
「入内するんだって最低限ソレが始まらないと、ダメだもんね。子ども作れないし。大体13歳から14歳ってところなのかしらん」 
「平安の女性の平均寿命、40歳後半くらいだしねえ。出産も命がけだし。若いうちにさっさと妊娠してさっさと出産しちゃったほうがリスクは少ないわよね」 
「でもいくらなんでもあけっぴろげに『月のもの来ましたー♪』ってお赤飯たくってわけにもいかないし」 
「男の場合は元服、女は裳着、よね。もう嫁入りオッケーですよーっていう親の意思表示」 
「この腰紐を解いてくれる人募集中♪ってことでしょ、右近ちゃんうふふ」 
「ヤダー侍従ちゃんたらあからさまー♪うふふ」 

……しばしお仕事に熱中してお喋り中断…… 

「話がズレたわねー、右近ちゃん」 
「何が? 侍従ちゃん」 
「ぶっちゃけヒカル王子は、どういうつもりなわけ? そんなお子ちゃまなんか引き取って」 
「いずれは妻にするってんでしょ、当然」 
「だって正妻さんいるじゃん。そっちはどーすんの。それにあの、ちょっとコワイ六条のおん方さまってのもいるし。ちっちゃいうちはいいけどさ」 
「さあねー。何も考えてないんじゃない? ペット飼うような感覚じゃないの? 何しろお金はあるし家は広いし」 
「はー、おばあさまの尼君が反対するわけだ、そんなんじゃ。アタシならいつでもオッケーなのになあ♪ あんなイケメンがお父様になるなんて、そんでゆくゆくは旦那になるなんて、夢のようだわ」 
「って侍従ちゃん……アナタ王子より年上でしょ」 
「ヤダー右近ちゃん、それは言わない約束よっ♪」 

などとさまざまな憶測を呼ぶヒカルの行動は、十代前半で結婚していた平安時代の事情を鑑みてもなお

ぶっちゃけ異常である。尼君がドン引きするのも道理なのだ。
三の最後では、坊さまにまでやんわり
「珍しい場所で珍しいもの見て舞い上がってるだけでしょ?いつも見てるこちらからしたらなんてことないただの子供ですよ。落ち着いてね」
とたしなめられちゃってるあたり、そうとう痛い感じでもある。
 
だがヒカル本人はいたって真面目なつもりなのだ。母の顔を知らず、育てられた祖母も早くに亡くし、寂しかった自分の生い立ちに見知らぬ少女の境遇を重ねあわせ、深く同情を寄せている、その心はたしかに真実なのだろう。

だが、完全なる「父親」「保護者」となろうという気持ちでは絶対にない。
その辺り周囲にもミエミエなので、誰もヒカルに賛同しないのだ。特に祖母である尼君は。

見た目には、超のつくリア充男であるにもかかわらず、実はヒカルとうまくいっている女性は誰一人としていない。
正妻の葵の上しかり、六条の御息所しかり。空蝉には逃げられ、唯一心を許しつきあえるかと思った夕顔は死んでしまった。最愛の女性ははなから許されない、絶対に結ばれることのない相手。

すべてをリセットして、新たに始めたい

そんな欲求を満たすことができそうな幼い少女。しかも最愛の女性と縁続きで面差しも似ている、となれば……

私見だが、「夕顔」以降、源氏は本格的に「小説」の体を成してくる。噂話のまとめのようだった冒頭から、空蝉・夕顔を経て、人物造形・登場人物の関係性・伏線など、全体としてのバランスや構成・展開の仕方をしっかり考えながら書いているふしがうかがえる。読者サービスとしての情景描写は相変わらず多いが、表現がシンプルになり無駄な部分がかなり減っている。この「若紫」から、俄然面白さに加速がついてくるのだ。
そういった重大な転換期の段として、教科書に取り上げられることになったのかもしれない。

しかし同時に、ヒカルの常軌を逸した病みっぷりも加速していく。いやほんとサイテーですわ(笑)


<若紫その五につづく> 
参考HP「源氏物語の世界」 

若紫 三

さてやってきました、坊さまの屋敷。 
自慢するだけあって庭はなかなか趣がある。月が出ていないため遣り水に篝火をともし、灯籠も置く。ヒカルが座る南面の部屋は小奇麗にしつらえてあり、漂うお香も品よく薫りわたる。 
しかし。 
ヒカル王子のかもし出す空気は何より格別で、屋敷内の人々もいつになく気を遣うのだった。 

坊さまは世の無常や来世の話を長々と続け、ヒカルは自分を振り返ってややビビる。 

「俺はいつもどうしようもないことで頭が一杯だから、生きてる限り思い悩み続けるんだよなあ、きっと。今でこんな調子じゃ来世はどんだけ罪深くなるんだよ」 

自分のような奴はさっさと出家してこういう隠遁生活をすべきかもと思いつつも、やっぱり昼間見た光景が忘れられないヒカル。 (懲りない)

「こちらにいらっしゃる方がたはどなたですか? お尋ね申したい夢を見ましたよ。今日ここに来て思い当たりました」 

などとミエミエの言い方をすると坊さまは笑って 

「そりゃまた唐突なお話でございますなあ。お尋ねになりましても、きっとがっかりなされますよ。 
先の按察使大納言(あぜちだいなごん)、亡くなられてから大分経ちますからおそらくご存知ないでしょうが、その正妻が私の妹でございました。 
夫を亡くしてから出家したのですが、この頃病気がちになりましたものですから、京の都を出てこちらを頼りにひっそり暮らしているのでございます」 

「その大納言の娘さんがいらっしゃるそうですよね? いや、別にどんな人かということではないんですが」 

ヒカルは真面目くさった顔でシレっとカマをかける。 

「そうです、娘が一人おりました。亡くなってからもう十年以上になりますね。亡き父親は入内させるつもりでそれは大事に育てたのですが、その願いもかなわずみまかったものですから、ただこの妹尼が女手ひとつで育てておりましたうちに、誰が手引きしたものか、兵部卿宮が忍んで来るようになりまして。 
ですがご存知のとおりあそこの本妻さまは身分も気位も高い方でございますから気苦労も多く、娘は始終思い悩み続けてとうとう亡くなってしまったのです。 
何かを気に病んでばかりいると本当に病気になる、その実例を私は目の当たりにしたのでございます」 

ヒカル心の声 

ふうん。じゃあその、兵部卿宮と娘の間の子ってことだな。 
ってことは、つまりあの子も親王(皇家)の血筋。 もしかしたらあの人にも似てるのかも。 
品もよくてかわいらしい、なまじに偉ぶったところもないあんな小さなうちから一緒に暮らして、自分の理想どおりの女性に育て上げてみたいものだ」 


ヒカルはあれこれ思いを巡らせつつ、そこは慎重に言葉を選ぶ。 

「それは大変お気の毒なことで。娘さんの面影をとどめるようなお形見もいらっしゃらないのですか」 

「ちょうど亡くなるころに生まれました。それも女の子でした。物思いの種になるばかりで、寄る年波に思い悩んでおるようです」 


「!」 
ヒカル決心。 

「おかしなことを言うと思われるかもしれませんが、わたくしをその幼い方の後見人と思ってくださるよう、お話していただけませんか。 
思うところあって、通い関わっている所もありますが、どうも何か心に染まないようで、いまだ独り住まいしております。 
まだまだ不似合いな年頃ではございますが、決して卑しい気持ちで申し上げているのでありません、その辺誤解のなきよう」 

「それは……たいそう嬉しいお申し出ではございますが、まだ本当にがんぜない子どもでございますから……お戯れにも、お世話なさるのは難しいと存じます。 
まあ、女の子というものは、人に世話をされつつ一人前になっていくものですから、あまりどうこう申し上げられませんが…・・・あの祖母に相談いたしました上でお返事いたしましょう」 

当然だが坊さま、ドン引きである。 
相手は何しろ十歳にもならない幼女、それをまだ若いヒカルが引き取るって……ちょ、あんさん何言うてますのん何か勘違いしてはりませんか?という感じである。 
ヒカルの方もさすがに気配を感じ取り赤面、しどろもどろと言葉に詰まる。 

「阿弥陀仏のおいでになる堂にて、勤行の時間です。初夜のお勤めをまだしておりません。済ませてまいりましょう」 
坊さまは話を断ち切ってそそくさと立ち去る。 

ヒカルはあれやこれやと頭に浮かぶことが多すぎて、眠れない。
雨がさわさわと降りそそぎ、吹く山風は冷ややかだ。滝の淀みも深まり、落ちる水の音が高い。絶え絶えに聴こえる眠たげな読経の声。特に趣味人でなくとも、しみじみとするような雰囲気のなか、夜もとっぷりと更けてきた。 
家の中で誰か起きているような気配、とても静かにしているが、数珠が脇息に当たって鳴る音、優しくさわめく衣擦れの音がきこえる。さほど遠い場所ではなさそうだ。 
近くに寄り、外側に立て渡してある屏風の中をすこし引き開けて扇を鳴らすと、誰かが気づいてこちらにやってくる。 

「おかしいわね。聞き間違いかしら」 
と呟くのを聞いて、 

「仏の御導きは、暗い中でも間違うことはありますまい」 
とヒカル。 
若く品のある声に、出てきた女房は驚き恥ずかしがりつつも問う。 
「どなたへのご案内でしょうか? わかりかねますが」 

「唐突な申し出だと思われるのも道理でしょうが 

若草のような少女を目にしてからというもの 
私の旅寝の袖は、恋しさの涙で乾く間もありません 


とお伝えください」 

「まあ、このようなお言葉を承って理解できそうなお人などこちらにはおりませんわ、おわかりでしょう。いったいどなたに?」 

「もちろん承知の上で言っているのだと、お思いください」 

女房はヒカルの言葉を伝えに中に入っていった。

「まあ、なんて華やいだことを。この姫君を、お年頃なのだと勘違いしてらっしゃるのかしら。 それよりどこでこの『若草』をお目に留められたのか……」 
と訳がわからず思い乱れる尼君、 あまりお返事が遅くなっては申し訳ないと思ったのか 

今宵ばかりの旅の宿で涙に濡れていらっしゃるからといって 
深山の苔のようにひっそり住むわたくしたちには関わりはございませんわ 


乾きそうにございませんのに」 
と答える。 
けんもほろろである。 
ヒカル慌てて言う、 
こんな真似をしたのは初めてのことですよ。戯れ心ではございません。恐縮ですが、この機会に真面目にお話したいことがあるのですが」 
 
尼君はあくまで、 
「聞き間違いでございましょう。こんながんぜないご様子の方に、いったい何を答えよというのでしょうか」 
と、はねつける。 
周りの人々が気の毒がって 
「そこまではっきり仰らなくても」 
と言うので、

「なるほど、若い人なら嫌なことでしょうが、真面目に仰っているのにおそれ多いですわね」 
尼君、近寄ってきた。 

「出し抜けに、あさはかな振る舞いをするとお思いかもしれませんが、私自身はそういうつもりはありません。仏はもとよりご存知でいらっしゃいましょう」 

若くイケメンのヒカルの君が、かしこまっていうさまはいかにも華やかで気後れがして、尼君もすぐにはどう答えていいかわからない。 

「おっしゃるとおり、思いも寄りませぬ機会にこのように仰っていただけて、お話できますのも、どういったご縁でしょうか」 

「お気の毒なご境遇と承りました、亡きご両親に代わって、この私を頼りにしていただけないでしょうか。 
私もごく幼い頃に、可愛がってくれるはずの母に先立たれました身、心もとなく落ち着かないまま、ただ年だけ重ねてまいりました。 
同じような境遇でいらっしゃるので、是非ともお仲間に入れていただきたい。 
滅多にない機会ですから、どう思われるかも憚らず、切なる願いを言葉にしてしまったのでございます」 

ヒカルせつせつと訴える。 

「たいへん嬉しいお言葉です、と言うべきなのでしょうが、やはり何かお間違いになっているのでは……。 
わたくしのような年寄り一人を頼みにしている人はおりますけれど、何と言ってもまだまだ幼く、お会いになられましてもお見苦しいばかりだと思いますから、とても本気で受けとめるわけにはまいりません」 

尼君、あくまでやんわりと、だがきっぱりと線を引く。

「すべて承知の上で申し上げているのですから、何もご遠慮なさることはありません、ただ私の深い心のうちをおわかりいただければ」 

ヒカル、食い下がる。 
尼君側にしてみれば、どう考えても無理な話、こちらに年頃の娘がいるとでも思っているのだろうと推察して、打ち解けることはない。 
そうこうしているうちに坊さまが戻ってきた。 

「一応思っていることはすべて申し上げました……ご一考ください」 

ヒカル、屏風の隙間を閉めて、一旦引っ込む。 

明け方、法華経などの勤行を行う声が山から下りてくる風に乗って聞こえてくる。滝の音に響きあう神々しい雰囲気に、ヒカルはすっかり感心して歌をよむ。 

深山おろしの風に乗る、勤行の声に悪い夢もさめる心地がする 
滝の音がまた涙ものだね」 

不意に来られた貴方さまがお袖を濡らされたという山の水ですが 
悟り澄まして住んでいる私の心は騒ぐことはありません 


耳慣れておりますから」 

僧都はあくまで冷静なのであった。 

<若紫その四につづく> 
参考HP「源氏物語の世界」 

2016年1月14日木曜日

若紫 二

さて、柴垣に隠れて覗き見するヒカルと惟光、西側の部屋で経を読む尼君を発見! 
年の頃は四十過ぎといったところか?色白で上品で、痩せてはいるが頬はふっくら、目元や切りそろえられた髪の様子も、かえって若い女よりなまめかしく魅力的だ。身分も高そう、明らかにただ人ではない。 

何者? 
とドキドキなヒカル&惟光。 

同じ部屋の辺りには、垢抜けた感じの若い女房二人が居て、子ども達が出たり入ったりして遊んでいる。その中でも飛びぬけて可愛らしく将来性ありげな少女、年のころは十ほどか、泣きべそをかきながらやってくる。 

「あらあら、どうしました姫。喧嘩でもなさったの」 


声をかける尼君に、しゃくりあげながら話し出す少女。面差しが似ている。さては血縁関係か? 

「犬姫(いぬき)ちゃんが、雀の子を逃がしちゃったの。せっかく籠を伏せて逃げないようにしてたのにーウワーン」 

「まあ、またあのウッカリ者ったら。困りましたわねえ、一体どこに飛んでいったのかしら。せっかく可愛くなってきましたのに。カラスにでも見つけられたらことですわ」 

女房の一人が探しに出る。少納言と呼ばれたこの女房、少女の乳母とみえて、髪も長く美しい。なかなかのイイ女だ。

尼君はため息まじりに、

「なんとまあ、幼くていらっしゃいますこと。いくら言ってもお聞きになりませんのね。わたくしの命など、今日か明日かもわからないのですよ、なのに呑気に雀を追いかけているなんて。生き物を捕らえるのは罪深いことといつも言っているでしょう? ほんとに情けない。 
さあ、こちらへいらっしゃい」 

女の子はおとなしくちょこんとそこに座る。

とても可愛らしい少女、
眉はほんのりとして、何気なく髪をかきあげた額つき、生え際などが美しい。 

「これは……大きくなったらどんな超絶美女に」 


と王子、目が離せない。 
しかも、


似ている……名前を言えないあの人に。そうか、だからこんなに気になってしまうのか」 


思わず涙を流すのだった。 

尼君は髪をかき撫でつつ、

「梳ることをうるさがりますけど、素晴らしい御髪(おぐし)ねえ。子ども子どもしてらっしゃるのが本当に心配なこと。こんなお年になれば、もっとしっかりなさっている方もいらっしゃるのに。あなたのお母様は、十歳でお父様に死に別れたけれど、たいそう分別がおありでしたよ。今わたくしが突然いなくなってしまったら、どうやって生きていくおつもりなのですか」 

と、くどくど言って泣き始めた。単なるお説教ではなく本当に切実な感じが、覗いている方にも伝わってくる。 少女も幼いながらに空気を読んだのか黙りこくってうつむいている。 こぼれかかる髪はつやつやと美しい。 

これから何処でどのように育っていくかわからない 
若草のようなあなたを置いて 
消えゆくしかない露のようにはかない私の命 
死ぬに死ねない気持ちです」 

側にいる女房も「本当に」ともらい泣きしつつ 

初草のように幼い姫君の行く末を見届けることもなく 
どうして露のように消えるなどと…… 
そんな悲しいこと仰らないでくださいませ」 

などと返しているところに、この家の主である坊様があたふたとやってきた。 

「これこれ、人目もはばからず、今日に限ってそのような端近くまでお出ましになるとは。 
じつはここの上の坊に、源氏の中将さまがお休みを兼ねて加持祈祷にいらしてるんですよ、私もついさっき聞いたばかりですけどね。 
誰にも仰らない、正真正銘のお忍びということですので、仕方ないですが、こんなに近くにいらしてたのに今まで何もご挨拶しないままで……いやどうしましょ」 

「まあ、なんてこと。こんなむさ苦しい様子を誰かに見られていたらどうしましょう!」

 
女たちは慌てて簾を下ろしてしまった。 

「せっかくですから、素敵な王子さまをこっそりご覧になっては? 
私のような坊主でも、うっとうしい現世を忘れて、寿命の延びる心地がするお方ですよ。あぁ、いけません、もうご挨拶しに行かねば。それではまた」 

坊さんは言うだけ言って去ってしまった。 

「いいもの見ちゃったなあ。 
世の中の遊び人たちは、こんなそぞろ歩きをして相手を見つくろんだろうなあ。たまたま何も考えずに出てきただけなのに、思いがけない出会いって楽しい」 

ヒカルの君は上機嫌、 

「それにしても可愛い子だった。何者なんだろう。名前を言えないあの人の代わりに、朝から晩まで傍に置いて眺めていたいもんだなあ」

いろいろ思いはつきない。 

ゴロゴロしていると、誰かが惟光を呼び出している。ここのお坊様のお弟子さんらしい。狭いところなので、何を話しているか丸聞こえだ。 

「『王子がいらっしゃるんですって?!ついさっき聞いたばかりでびっくりですよ!すぐお顔を見に伺おうと思いましたが、私がいることを知ってて知らん顔なさってたと思うと、ねえ……ちょっとつまらないなと。あらかじめお越しを知っていれば、寝床でもなんでもうちで用意させていただきましたのに。本当に残念なことですわ!』

 
ウチのお師匠さんがそういうてました」 

ヒカルの代わりに惟光こたえる。 

「まあまあ、それはそれはすみませんでした。ヒカルさまは、十日も二十日も前から具合が悪くて……まあ瘧(おこり:熱病)ですな。何回も発作を起こされたので、都で評判のこちらのお寺にお世話になろうと、慌てて出向いてきましたんです。 
ですがなんといっても、世間の注目の高いヒカル王子ですからなあ。もし万に一つでも、こちらの加持祈祷の効き目が今ひとつ……なんてことになりましたら世間体も悪くなりますし、お気の毒なことになりかねないので、あまりおおっぴらではない、ごくごく内々の訪れということにさせていただいたんです。そんなわけで挨拶が遅れてしまい、いや申し訳ない」

ということで、ヒカル王子はかの柴垣の家の坊様に面会する運びとなった。 
身分はこちらが上といえど、相手は人品いやしからず世間にも名をはせている高僧なので、いくらなんでも会ってすぐに

 
ねえねえあの女の子たちはダーレ?」 


などと軽々しく聞くわけにもいかない。 
心の内を毛ほども見せずにいるヒカルを

 
「是非私の家にもおいでください。ここと同じくらい質素ですが遣り水もあって多少は涼しいですよ」 


と熱心に誘う坊さま。 
自分のことを何やかやと噂していたのを知っているので少々面映ゆかったが、やはり好奇心には勝てない王子、いそいそと出かけるのであった。 

<若紫・その三につづく> 
参考HP「源氏物語の世界」