2016年1月15日金曜日

若紫 三

さてやってきました、坊さまの屋敷。 
自慢するだけあって庭はなかなか趣がある。月が出ていないため遣り水に篝火をともし、灯籠も置く。ヒカルが座る南面の部屋は小奇麗にしつらえてあり、漂うお香も品よく薫りわたる。 
しかし。 
ヒカル王子のかもし出す空気は何より格別で、屋敷内の人々もいつになく気を遣うのだった。 

坊さまは世の無常や来世の話を長々と続け、ヒカルは自分を振り返ってややビビる。 

「俺はいつもどうしようもないことで頭が一杯だから、生きてる限り思い悩み続けるんだよなあ、きっと。今でこんな調子じゃ来世はどんだけ罪深くなるんだよ」 

自分のような奴はさっさと出家してこういう隠遁生活をすべきかもと思いつつも、やっぱり昼間見た光景が忘れられないヒカル。 (懲りない)

「こちらにいらっしゃる方がたはどなたですか? お尋ね申したい夢を見ましたよ。今日ここに来て思い当たりました」 

などとミエミエの言い方をすると坊さまは笑って 

「そりゃまた唐突なお話でございますなあ。お尋ねになりましても、きっとがっかりなされますよ。 
先の按察使大納言(あぜちだいなごん)、亡くなられてから大分経ちますからおそらくご存知ないでしょうが、その正妻が私の妹でございました。 
夫を亡くしてから出家したのですが、この頃病気がちになりましたものですから、京の都を出てこちらを頼りにひっそり暮らしているのでございます」 

「その大納言の娘さんがいらっしゃるそうですよね? いや、別にどんな人かということではないんですが」 

ヒカルは真面目くさった顔でシレっとカマをかける。 

「そうです、娘が一人おりました。亡くなってからもう十年以上になりますね。亡き父親は入内させるつもりでそれは大事に育てたのですが、その願いもかなわずみまかったものですから、ただこの妹尼が女手ひとつで育てておりましたうちに、誰が手引きしたものか、兵部卿宮が忍んで来るようになりまして。 
ですがご存知のとおりあそこの本妻さまは身分も気位も高い方でございますから気苦労も多く、娘は始終思い悩み続けてとうとう亡くなってしまったのです。 
何かを気に病んでばかりいると本当に病気になる、その実例を私は目の当たりにしたのでございます」 

ヒカル心の声 

ふうん。じゃあその、兵部卿宮と娘の間の子ってことだな。 
ってことは、つまりあの子も親王(皇家)の血筋。 もしかしたらあの人にも似てるのかも。 
品もよくてかわいらしい、なまじに偉ぶったところもないあんな小さなうちから一緒に暮らして、自分の理想どおりの女性に育て上げてみたいものだ」 


ヒカルはあれこれ思いを巡らせつつ、そこは慎重に言葉を選ぶ。 

「それは大変お気の毒なことで。娘さんの面影をとどめるようなお形見もいらっしゃらないのですか」 

「ちょうど亡くなるころに生まれました。それも女の子でした。物思いの種になるばかりで、寄る年波に思い悩んでおるようです」 


「!」 
ヒカル決心。 

「おかしなことを言うと思われるかもしれませんが、わたくしをその幼い方の後見人と思ってくださるよう、お話していただけませんか。 
思うところあって、通い関わっている所もありますが、どうも何か心に染まないようで、いまだ独り住まいしております。 
まだまだ不似合いな年頃ではございますが、決して卑しい気持ちで申し上げているのでありません、その辺誤解のなきよう」 

「それは……たいそう嬉しいお申し出ではございますが、まだ本当にがんぜない子どもでございますから……お戯れにも、お世話なさるのは難しいと存じます。 
まあ、女の子というものは、人に世話をされつつ一人前になっていくものですから、あまりどうこう申し上げられませんが…・・・あの祖母に相談いたしました上でお返事いたしましょう」 

当然だが坊さま、ドン引きである。 
相手は何しろ十歳にもならない幼女、それをまだ若いヒカルが引き取るって……ちょ、あんさん何言うてますのん何か勘違いしてはりませんか?という感じである。 
ヒカルの方もさすがに気配を感じ取り赤面、しどろもどろと言葉に詰まる。 

「阿弥陀仏のおいでになる堂にて、勤行の時間です。初夜のお勤めをまだしておりません。済ませてまいりましょう」 
坊さまは話を断ち切ってそそくさと立ち去る。 

ヒカルはあれやこれやと頭に浮かぶことが多すぎて、眠れない。
雨がさわさわと降りそそぎ、吹く山風は冷ややかだ。滝の淀みも深まり、落ちる水の音が高い。絶え絶えに聴こえる眠たげな読経の声。特に趣味人でなくとも、しみじみとするような雰囲気のなか、夜もとっぷりと更けてきた。 
家の中で誰か起きているような気配、とても静かにしているが、数珠が脇息に当たって鳴る音、優しくさわめく衣擦れの音がきこえる。さほど遠い場所ではなさそうだ。 
近くに寄り、外側に立て渡してある屏風の中をすこし引き開けて扇を鳴らすと、誰かが気づいてこちらにやってくる。 

「おかしいわね。聞き間違いかしら」 
と呟くのを聞いて、 

「仏の御導きは、暗い中でも間違うことはありますまい」 
とヒカル。 
若く品のある声に、出てきた女房は驚き恥ずかしがりつつも問う。 
「どなたへのご案内でしょうか? わかりかねますが」 

「唐突な申し出だと思われるのも道理でしょうが 

若草のような少女を目にしてからというもの 
私の旅寝の袖は、恋しさの涙で乾く間もありません 


とお伝えください」 

「まあ、このようなお言葉を承って理解できそうなお人などこちらにはおりませんわ、おわかりでしょう。いったいどなたに?」 

「もちろん承知の上で言っているのだと、お思いください」 

女房はヒカルの言葉を伝えに中に入っていった。

「まあ、なんて華やいだことを。この姫君を、お年頃なのだと勘違いしてらっしゃるのかしら。 それよりどこでこの『若草』をお目に留められたのか……」 
と訳がわからず思い乱れる尼君、 あまりお返事が遅くなっては申し訳ないと思ったのか 

今宵ばかりの旅の宿で涙に濡れていらっしゃるからといって 
深山の苔のようにひっそり住むわたくしたちには関わりはございませんわ 


乾きそうにございませんのに」 
と答える。 
けんもほろろである。 
ヒカル慌てて言う、 
こんな真似をしたのは初めてのことですよ。戯れ心ではございません。恐縮ですが、この機会に真面目にお話したいことがあるのですが」 
 
尼君はあくまで、 
「聞き間違いでございましょう。こんながんぜないご様子の方に、いったい何を答えよというのでしょうか」 
と、はねつける。 
周りの人々が気の毒がって 
「そこまではっきり仰らなくても」 
と言うので、

「なるほど、若い人なら嫌なことでしょうが、真面目に仰っているのにおそれ多いですわね」 
尼君、近寄ってきた。 

「出し抜けに、あさはかな振る舞いをするとお思いかもしれませんが、私自身はそういうつもりはありません。仏はもとよりご存知でいらっしゃいましょう」 

若くイケメンのヒカルの君が、かしこまっていうさまはいかにも華やかで気後れがして、尼君もすぐにはどう答えていいかわからない。 

「おっしゃるとおり、思いも寄りませぬ機会にこのように仰っていただけて、お話できますのも、どういったご縁でしょうか」 

「お気の毒なご境遇と承りました、亡きご両親に代わって、この私を頼りにしていただけないでしょうか。 
私もごく幼い頃に、可愛がってくれるはずの母に先立たれました身、心もとなく落ち着かないまま、ただ年だけ重ねてまいりました。 
同じような境遇でいらっしゃるので、是非ともお仲間に入れていただきたい。 
滅多にない機会ですから、どう思われるかも憚らず、切なる願いを言葉にしてしまったのでございます」 

ヒカルせつせつと訴える。 

「たいへん嬉しいお言葉です、と言うべきなのでしょうが、やはり何かお間違いになっているのでは……。 
わたくしのような年寄り一人を頼みにしている人はおりますけれど、何と言ってもまだまだ幼く、お会いになられましてもお見苦しいばかりだと思いますから、とても本気で受けとめるわけにはまいりません」 

尼君、あくまでやんわりと、だがきっぱりと線を引く。

「すべて承知の上で申し上げているのですから、何もご遠慮なさることはありません、ただ私の深い心のうちをおわかりいただければ」 

ヒカル、食い下がる。 
尼君側にしてみれば、どう考えても無理な話、こちらに年頃の娘がいるとでも思っているのだろうと推察して、打ち解けることはない。 
そうこうしているうちに坊さまが戻ってきた。 

「一応思っていることはすべて申し上げました……ご一考ください」 

ヒカル、屏風の隙間を閉めて、一旦引っ込む。 

明け方、法華経などの勤行を行う声が山から下りてくる風に乗って聞こえてくる。滝の音に響きあう神々しい雰囲気に、ヒカルはすっかり感心して歌をよむ。 

深山おろしの風に乗る、勤行の声に悪い夢もさめる心地がする 
滝の音がまた涙ものだね」 

不意に来られた貴方さまがお袖を濡らされたという山の水ですが 
悟り澄まして住んでいる私の心は騒ぐことはありません 


耳慣れておりますから」 

僧都はあくまで冷静なのであった。 

<若紫その四につづく> 
参考HP「源氏物語の世界」 

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