若紫 十一
面白くないので和琴を即興でかき鳴らし「常陸では田を作っているが」とかいう歌を朗々と口ずさんでいるうち、惟光参上。呼び寄せたところ、衝撃の報告が!
明日、少女の邸に父宮の迎えが来る、という。焦るヒカル。
(兵部卿宮の邸に移っちゃうとなると、こちらに迎えとるどころか会うことすら難しくなるな。大人の女性を扱うのと同じ、いやもっと悪い。あんな幼い子に懸想しちゃって何なのあの人? ロ◯コン?などときっと非難されるに違いない(いや、もうされてるが)。
よし、父宮が来る前に、連れてきちゃお!しばらくの間女房たちには口止めをすることにして、と)
惟光に向き直り、命令を出す。
「明け方、あの邸に向かう。車の装備は今のままで、随身を一人か二人確保しておけ。今からミッションスタートだ! 行け」
惟光はラジャー! とばかり、準備に走る。
ヒカル
(さて、どうしようか。また世間で噂になって、私が見境ないタラシだとか言われちゃうんだろうなあ(いやその通りだが)。せめて相手が妙齢なら、女だって満更でもなかったんじゃないの? 珍しい話じゃないよねってことになるけど、まだほんの子供だからなあ。
実の父親である兵部卿宮に探し回られて、万一誘拐だなんだと騒ぎたてられたら、体裁も悪いし、格好つかないよな)
などと思い悩むが、ではこの機会を逃すのか? それでいいのか? いやよくない!ということで、結局夜遅くに出発することと決める。
正妻・葵の上は、いつものように渋々といった体で、打ち解けず人形のように座っている。
「某所で、どうしても今処理せねばならないことがあるのを思い出しました。すぐに戻ってきますね」
といって返事も待たず(どうせ返事しないし)さっと出たので、お側に仕える女房たちにも気づかれない。自分の部屋で直衣を身につけ、惟光だけを馬に乗せて邸に向かった。
惟光に門を叩かせると、何も事情を知らない者がすぐ開けてくれたので、サクッと車を引き入れる。惟光が妻戸を鳴らし咳払いをすると、少納言が聞きつけて出てきた。
「こんばんは。(ヒカル王子が)いらしてます」
「姫君はお休みになってますわ。どうしてまた、こんな夜遅くにお出ましになられましたの?」
夜歩きのついでに立ち寄ったと思っているふうだ。
「兵部卿宮の邸へ移られるそうですね。その前に申し上げたいことがございまして」
「まあ、何事でございますか。姫君には、はかばかしいお返事などできないと思いますが」
少納言は笑ったが、ヒカルを目にすると一転困り顔で
「老いた者どもが、いぎたなく眠っておりますので…」
と制止する。
「姫君はまだお目覚めではないと? ちょっと起こしちゃいましょう。こんな素晴らしい朝霧を知らずに寝ているなんて」
と言いつつズカズカと入っていくヒカル。不意を突かれた少納言は「いや、ちょ、待って」と言葉にならない。
姫君は何も知らず眠っている。ヒカルが抱き起こすと目を開けたが、寝ぼけて父宮が迎えに来たのかと勘違いしたようだ。
ヒカルはその髪を撫でつけて
「さあおいで。父宮さまの御使として来ましたよ」
という。
「父宮さまじゃない!」
姫君はびっくりして、震えあがった。
「ああ、そんなに驚かなくても。私も同じ人間ですよ」
と言うが早いか抱きあげて出て行くと、大輔、少納言などが
「何をなさいます! 一体、どういうことなのですか?!」
と口々に騒ぐ。
「ここには、いつでも来られるわけではないのが心配だから、もっと気楽な場所にとお願いしていたはず。なのに、兵部卿宮の邸にお移りになるのですって? 困ったものだね、そうなるとますます、お話もできなくなるよ。というわけで誰か一人、ついてきてくれ」
ヒカルの言葉に、皆パニック状態、少納言が必死に訴える。
「今日のところは、どうかご勘弁を! 父宮さまがいらしたら、どうご説明せよと仰るのですか? 年月を経て、自然にしかるべきご縁で結ばれるのならともかくも、これではあまりに考えなしのお振る舞い、お仕えする私たちにも大迷惑ですわ!」
ヒカルは聞き入れず、「ハイハイ後からついてきてもいいからねー」と言って車を寄せてしまう。皆アワアワするばかりで何もできない。
姫君も、ただならぬ雰囲気を感じ取って泣き出してしまう。少納言は、これはもう止められない、と覚悟を決め、昨夜縫った衣装類を引っさげ、自らも適当に着替えると車に乗り込んだ。
ヒカルの住まいである二条院はすぐ近くなので、車はまだ暗いうちに到着、西の対の前で止まった。
姫君を軽々と抱き下ろすヒカル。
少納言は茫然として
「やはりまだ夢のような心地がします……私はこれからいったいどうしたらよいのでしょうか?」
と下りることを躊躇うが、
「それは貴方の心ひとつだ。姫君奪取ミッションはコンプリートしちゃったし、帰るなら送るけど?」
といわれ、もう笑うしかなく、車を下りた。あまりに急な展開に気持ちがついていかず、胸がドキドキする。
「父宮さまは姫君のいなくなったことをどう思い、なんと仰るだろう。姫君はこれからどうなっていくのだろうか……兎にも角にも、お身内に先立たれたことが本当にお気の毒だ」
と思うと涙がこみ上げてくるが、さすがに不吉なので、じっと堪えた。
西の対は誰も住んでいないので、御帳などもない。惟光を呼んで、御帳や屏風などをあちらこちらと配置させる。御几帳の帷子を引き下ろし、御座所など、ちょっと手を入れれば使える状態ではあったので、東の対から寝具など運び入れて何とか寝る場所は整った。
姫君は、未知の場所に連れてこられてわけもわからず、どうなるの? と震えているが、さすがに
声を立てて泣くことはできないでいる。
「少納言と一緒に寝たい……」
という声は怯えているせいか赤ん坊のようだ。
「これからは、乳母とお休みになるようことはしないのですよ」
とヒカルが諭すと、ひどくしょんぼりして、泣きながら横になった。少納言はましてとても寝るどころではない。心乱れて何も考えられないまま、一晩中一睡もできなかった。
<若紫 十二につづく>
参考HP「源氏物語の世界」
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