2009年11月30日月曜日

「ギネ」を観るなら「ノーフォールト」を読むべし!

さてさて毎回突っ込みどころ満載のドラマ「ギネ」の原作。

「ノーフォールト」上下巻(岡井崇、ハヤカワ文庫)

近所の本屋に平積みされてたので、図書券使って買った。
ちなみに「「無過失(ノーフォールト)医療補償制度」とは「医師・病院にミスがあってもなくても、患者や遺族に充分な補償がなされる制度」のことで、日本でも今年からようやく産科医療補償制度が始まったらしい。
ふむふむ。読んだ(ほぼ一気読み)。

…………

柊せんせ、キャラ違う!

てか、ぜんっぜん、違う話やないかい!

予想がついていたことではあったが、あまりの違いっぷりに脱力した。小説をドラマ化やアニメ化、映画化した場合、細かい設定や人物に多少の変更があることは、別にダメなことではない。書き方によっては、そのままでは絵にならない・しにくいことも往々にしてあるだろうし、登場人物のバランスというものもあるだろう。だけど主人公のキャラがここまで違うと……名前と性別が同じというだけで、真逆といってもいいぞ。それにストーリーの大筋は同じだけど、テーマはあさっての方向に行っちゃってる感じだ。どんなふうに行っちゃってる、のかというと……。

ドラマを観ている人にとっては完全なネタバレにはならないと思うが、念のため、知りたくない人はここからは飛ばしてください。で、「ノーフォールト」読みましょう。読むべしです。

~以下、ややネタバレにて注意~

「ノーフォールト」
周産期医療センターを抱える大学病院の産婦人科で、勤続五年目の医師・柊(ひらぎ)。過酷な労働条件下、医師や看護師、助産師などの医療チームとしての結束は固く、毎日必死で患者のため働く。
柊はそこそこ優秀な中堅医師で、患者の気持ちに寄りそい、安心させるのがうまく(技術ではない天性のもの)、信頼は厚い。
そこに起こる母体死亡の悲劇。柊は大きなショックを受けるが、周囲の励ましにより何とか立ち直ろうと決意、職場に復帰する。
ところが、母体死亡の件はマスコミに大きく報道され、訴訟騒ぎに。参考人として呼ばれた裁判所で、原告の弁護士から「あの患者はお前が殺した」と面と向かって罵られる。柊は精神のバランスを崩し、医師としての熱意も失う。………

対する「ギネ」。
柊医師は腕はいいが自信過剰気味で、冷静さに欠け、感情に走りやすい。協調性もないので医療チームとしての動きが出来ず、周囲からひんしゅくをかうこともしばしば。だが患者からは「嘘がない」として(なぜか)信頼されている。ところがまさかの母体死亡。マスコミの報道を見て話をしにきた遺族に「もう忘れたい、忘れて前だけみて歩く」などと口走り、遺族どころか同僚医師からも見放される。そしてその言葉が遺族に訴訟を決意させるきっかけの一つにもなる。
………

「ノーフォールト」の作者、岡井崇氏は現役のお医者さまである。まさに「ノーフォールト=無過失補償制度」を日本でスタートさせるきっかけを作ったその人、だそうだ。私は医療従事者ではないが、岡井氏の作品はとてもわかりやすく、言いたいことがストレートに伝わってきた。

岡井氏が問題としているのは
「一般人としてもどうよと思われる、問題を抱えた医師の心ない発言によって傷つけられた遺族が、やり場のない怒りを解決させるために起こす訴訟」
ではなく、
「能力も経験も(もちろん一般常識も)年相応にある普通の医師が、全力を尽くしたが不幸な結果に終わったのを『医療ミス』とみなし、遺族の生活保障を得るのを主目的に起こす訴訟」
である。
医師は誠実に対応、患者側もごく常識的、弁護士だって決してお金目当てではない。人間として何らの落ち度があるわけではない人たちが「医療訴訟」によって傷つけあい消耗する、それがどんなに不毛で愚かな行為か、そこを書きたかったのだろうと、私は思った。

「ギネ」の柊医師は傲慢で思いやりに欠け、子どもじみた振る舞いをする困ったちゃん。弁護士は最初から憎々しげに描かれており、依頼人のためというより自分のために勝ちたい感じだ。でもそこも違うのだ。何もかも違う、違いすぎる。
医療訴訟は「一部の変な人」が起こすものではなく、「普通に善意ある人」が起こすから問題なのだということ、ドラマで表現するのには難しかったんだろうか?

とりあえず「ギネ」を観たことで得た収穫は「ノーフォールト」という本を読む気になり、実際に読んだ、ということ。私としてはそれで良し、としよう。「JIN」は相変わらずのクオリティの高さで面白いし。

2009年11月26日木曜日

さすがの「JIN」、なんでか「ギネ」

「JIN」はすっごい視聴率みたいだ。五回目以降から二十パーセント超え。もちろん今クールではぶっちぎりのトップばく進中♪ 私も欠かさず観ている。
毎回、何かしら事件は起こるのだが、それが大仰な感じじゃないのがとてもいい。俳優もベテランぞろいで、全体的に抑制された演技、演出のおかげで、テーマがくっきり際立つのであろう。小道具や伏線もさりげなく、だがぴりりと効いている。何より、ひとつひとつのセリフを、ひとりひとりがすごく大事に、誇りを持って言っている、その気持ちがビンビンに伝わってくるのもいい。そういうのが役者の技術ってもんなんだろうなあ。
金八先生、じゃない緒方先生、今回は泣かせてもろたぜ。
といいつつ私はすっかり大沢たかおファン。今は演劇の方に力を入れているらしいが、もっとドラマにも出てほしいなあ。

で、「ギネ」。
6回めでガクっと10%落ち。私が観ないって言ったせいかしらん!(違)
実をいうと、結局観てしまっている。今の産科事情にシャレにならないものを感じているからに他ならない。なんてカッコイイ理由ではなく、何と言うか、出来の悪い子ほど可愛いというか目が離せないというか。7回目では裁判が始まったが、案の定「徳本さんのことは忘れたい」といったことを弁護士につっこまれてノリカさん絶句&ピンチ。そこに「偶然」怪我をして運び込まれた徳本さんの娘の血液検査をした「柊医師の元夫」、データに疑問を抱き調べると、徳本さんにはもともと遺伝性の血液疾患があったことが発覚。裁判は和解へ。……出来すぎじゃないかい? 
さらに次回は病院お抱え(&病院長と入籍)の弁護士が卵巣がんで子どもを諦めるか否かという決断を迫られる。周産期医療センターであるから、様々な症例が集まるのは当然にしろ、半径五メートル以内の人間関係でこんなにいろいろあるかいな。テーマはなんやねん、テーマは。
回を追うごとに突っ込みどころが蓄積していく感。医者じゃなくても突っ込めるドラマという意味では今期ピカ一かもしれん。

2009年11月21日土曜日

「沈まぬ太陽」山崎豊子 を読んだ


文庫本にして五冊の大作。映画化されて一躍脚光を浴びている今買うのは気恥かしかったが(へそまがりなので)、一巻だけ、と買ったらあれよあれよと引きこまれ、ついつい全部読んでしまった。「不毛地帯」の時も同じ感じ。何がいいって、主人公にしびれるんである。有能かつ人格も行いも高潔、一本筋の通った男を書かせたら、山崎さんの右に出るものはいない。少年漫画に出てくる、男性にとってだけの完全無欠な美少女と同じく、現実にはいない男性だとしても、やっぱりいいものはいいんである。

元・毎日新聞学芸部で、かの井上靖のもとで記者として働いたことのある山崎さんの筆致は、相当な情報量でありながら簡潔で読みやすい。小説としては文句なく面白いが、虚実織り交ぜて書く手法には賛否両論あるらしい。モデルと推測される人物が全然違うように描かれてる、とかひとつひとつこう違うああ違う、と説明してあるサイトまである。
文庫本の帯にも「自分の夫の会社がこんなひどいところだとは知らなかった」みたいな感想が載っていた。
ある意味めちゃくちゃ思い切った手法というか「どんなことをしてもこのテーマで書いてやる!」というなみなみならぬ決意、気合と根性なしには出来ないワザである。その意味ではかなり尊敬ものだ。今、こんなの書ける作家がどこにいるだろう?
「ダヴィンチ・コード」みたいに、丸まるトンデモの癖に冒頭で「これは小説である」と逃げ道打って、広告代理店の販売キャンペーンに完全にのっかったような、ヌルい小説とはわけが違うんである(といいつつあれも結構面白かったけど。ただ十年二十年しても売れる本かな、と考えると疑問)。

この小説の意義について語るならば、忘れてはいけないのが「御巣鷹山での墜落事故」。私自身、あのニュースの第一報からリアルタイムで観ているし、手帳に書かれた遺書にも涙した。いろんな形で残すべき記憶であると思う。モデルとなられた航空会社の方々も、そこは当然、じゅうじゅうご承知のことであろうが。

御巣鷹山墜落事故に関する書籍ではこちらもオススメ。ノンフィクションです。
「墜落遺体」飯塚 訓

2009年11月17日火曜日

四十代主婦、西尾維新を読んでみた

中学生の娘が最近、ライトノベルばっかり読んでいる。
と、以前の日記にも書いた気がするが、相変わらずである。
このところ、やっと私にもわかる、というか聞いたことのある作者のものを借りてきたので、読んでみた。

「クビツリハイスクール」西尾維新

おどろおどろしいタイトルの割にこのアニメな表紙、ポップな装丁。世間一般で言うライトノベルのイメージそのものの外見に、正直のっけから引いた。

で、二ページほど読んでみて。
おお、案外文章は確りしている(失礼!)。四十代の、本にはちょっとうるさいオバちゃんの目にも、特にひっかかることなくするする読める。登場人物の名前と喋り方と設定そのものがアニメっぽいというきらいはあるが、まあその辺慣れればなんてことない、かもしれない。
といいつつ、そのまま放置して一週間。そろそろ返さなきゃイカンというので、しぶしぶとまた読み始めた。今度は最後まで何とか読んだ。

うむむ。
なんともいえない読後感。
読みにくいかといえばそんなことはない。ドライブ感もあるし、キャラクターも面白い。話のつじつまとかは、あって無きが如し、というか、言うのは野暮……という雰囲気で、まあ特にそこがどうこうと突っ込む気はさらさらない。そんなこと問題じゃないのだ。
お話としては、こんな感じ。
世間的にはお嬢様学校として知れた学園に、訳もわからず女装して乗り込まされた主人公。ある女生徒を救い出すのが任務だが、いまいち事情がわからない。どうやら学園は通常の学校ではないらしい。そこで起こった密室バラバラ殺人事件、主人公と請け負い人は、否応なく巻き込まれていく……
書いてて思ったが、漫画みたいだなあ。この荒唐無稽な設定と無茶ぶりなストーリー展開、あり得ないキャラクターたち。まあしかし、そういうのも嫌いではない。アニメ声の危ない武闘派少女とか、口は悪いが超絶美人で天才・最強のお姉さまとか、よわっちそうなのに実は策士の主人公とか。悪くはない。最後まで飽きずに読めたし。
しかし、思った。この主人公(男)の語り口だけ、なんか純文学っぽい。文体が、という意味ではない、言ってることがである。以下、私が勝手に抱いている純文学風の考え方のイメージ:
「だって、俺(私)はこんなだから、当然こうするっしょ?」
そこに論理的思考とか、世間一般の常識とか、フツーの大人ならこう考えるっしょ、などというものは存在しない。ただ「自分」のみ。「俺(私)が基準」。
いや別に私は純文学を否定するつもりはない。むしろ好きである、ただし現実に自分の近くにそういう人がいたらイヤだし困るが。
これ読んで、ますますライトノベルの定義がわからなくなった。定義なんてする必要もないのかもしれないけど。

ちなみに中学生の娘の感想:
「面白いんだか、面白くないんだか、わかんなーい」

……だったら勧めるなよ。

2009年11月14日土曜日

ギネ~やっぱり観るのやめたっ!

もう一度納得いかないことがあったら、観るのやめる、と言った。
この間の水曜日、五回目。

柊先生、前回の騒ぎにより、産婦人科から婦人科に移らされる。
柊「嫌です! 私、お産が好きなんです! 移りたくありません」
(中略)
先輩医師「君は、死から逃げてる。自分の母親の死からも、徳本さんの死からも。医者がそれではダメだ。医者に必要なのは客観性。それを身につけて冷静になるまでは、執刀はさせない」
(中略)
柊「いやです! 私は逃げてません! 死を考えているからこそ産婦人科医になったんです!」
(中略)
先「婦人科でダメなら、あとは辞めてもらうしかない。よく考えろ」

また別の場面、執刀医に自分より下手な人間が選ばれたことに怒り、直接上司に
「私の方が技術は上です! なんで○○さんなんですか!」
とくってかかる女性医師(柊ではない)。

……えーと。

人前で、上司にこれだけストレートに自分の思いをぶつけられるなんて、なんてリベラルな職場なのかしら。上司の度量はどんだけ広いんや。
私がかつて勤めていたシステム系の職場風に言うと「あの人がなんでこのシステム担当なの? 私の方が速いし正確だし適任ですよ!」て上司に訴えるのかな。ありえない。
しかしこの病院、上司以外は全員、客観性も冷静さも、欠けてないか? てか、好き嫌いで仕事を決めないように、プロなんだから。

そして、私が観るのをやめることにした、決定的なひとこと。

(亡くなった妻のことが、医療過誤の疑いありと週刊誌の記事に載ったため、担当医であった柊に説明を求めにやってきた夫に対し)
私は……徳本さんのことはもう忘れたいんです。忘れて、前を向いて行きたい

…………
今回、ネットの動画で観ていたんだが、ここでぶちっと☓をクリック。

これはアカン。

この夫、何も喧嘩腰で来たわけではない。この時点では、恨んでいるわけでもない。ただ亡き妻が、一番信用していた先生だから……と縋る思いでやってきたのだ。なのにこのセリフ。医師として、という以前に人間として、そりゃないだろう。
これじゃあ柊医師、単なる困ったちゃんじゃないか。私なら、こんなこと言われたら、何としても訴訟を起こす。ミスがなくても、起こす。自分の家族の死を、忘れさせたりなんかしない、絶対に。

原作の「ノーフォールト」、立ち読みでほんのすこし読んだが、おそらくドラマとはまったく違う、と思われる。やっぱり本の方を買ってみよう。ドラマはもう観ない。ノリカさんの美しさは捨てがたいが、なんだか可哀相で観てられない。
産婦人科の方々、挫けず頑張ってください。私はもう子どもを産むことはないと思うけれど、陰ながら応援しております。

さて明日は「JIN―仁―」だ。
原作者、村上もとかさんだったのね。「メロドラマ」の人。うちの旦那いわく「ライトにさらりと描くのがいい。新しいパターンを作り出す姿勢もいい。この作者ならこういうラストかな、て察しはついても、そこに至る過程を楽しめる」。
ドラマの方も、人物の描き方が丁寧で、納得がいくストーリー展開なので、引っかかることなく安心して観ていられる。漫画も読みたいものだ。「ギネ」の方の動機とは真逆だが。

2009年11月11日水曜日

文學界特別賞・合原壮一朗「狭い庭」について

いつも手厳しい講評をする花村萬月さんと松浦理英子さんによる、特別賞をとった作品。

作者は高校三年生の男子。特にストーリーらしいストーリーはなく、作者と等身大と思われる主人公の日常の脳内探検といった趣の作品。
新人賞を獲った「ディヴィジョン」とは対照的に、真っ正面からの自分語り、こういう文章を照れもなくすぱーんとかけるのはこの年齢がぎりぎりかもしれない。特別賞を与えたお二人も「これからどう、とかいうのはとりあえず問題にせず、今、世に出しておくのもいいと思った」と異口同音に仰っている。
内容はかなりの不思議ちゃんだが、文章自体には破たんがなく、几帳面だ。何もそこまで丁寧に書かなくてもと思うほどきっちりしている。しかもその調子が最初から最後まで一定で、むらがない。そういうフラットな文体だからこそ、中身が引き立つというか、すくなくとも読み切らせる力になっていると思う。「単なる独り言」ではないのは確かだ。ただ、これが例えば短編集だったとして、全部こういう調子だったら、ちとキツイ。

この作者が次にどういう作品を書くのか、書こうと思っているのかは、この作品からはまったく予想できない。つまりは、現在のところでは「一発芸」なのである。これを乗り越えて、さらなる新天地に向かえるか、はたまた小説ではない、別の表現方法を見つけるか、または全然関係ない道に進むかはわからないが、もし作家の道に進むなら、一年か二年、ある程度の時間をおいてから新作にかかったほうがよさそうな気はする。
この先どうなるか予測のつかない点で、とても興味深い書き手と言えるだろう。

2009年11月10日火曜日

どちらが信用できる医者か?

ドラマはたまーにしか観ないのだが、何年に一回か、継続して観てしまうことがある。今年はそういう年らしい。
このところよく観ているドラマは二つ。どちらも医療系である。

1.「ギネ~産婦人科の女たち」
2.「JIN―仁―」

この間の回で出たセリフ:

1.柊医師「○○さんは、死にません!」

2.南方医師「死ぬことも、救いなんだよね」

状況を簡単に説明すると、1.は帝王切開後に出血して、再手術になった(手術は成功、だがその後感染症で命を落とす)患者に対して言った言葉で、2.は、末期の梅毒患者に手を尽くしたものの、亡くなってしまったその後につぶやかれた言葉。

私は幸い、命に関わるような状態になったことは一度もないが、もし何かで入院したとして「あなたは死にません」なんて面と向かって言う医者は信用できない。人間はいつかは死ぬ、致死率100%だ。そういうことは重々承知の上でなお目の前の人を助けるべく最大限の努力をする、それがプロの医者ってもんだろう。軽々しく断言してほしくない。というか普通言わないのでは? 今まで子どもを連れてそれは何回もいろんな病院に行ったが、どんな軽い病気であっても「すぐ治るから絶対大丈夫!」なんて言われ方をしたことは覚えている限り一度もない。「大体はすぐ治るけど、もしこうこうなったらすぐ来てくださいね;こうなってないか様子を見てくださいね」とかそんな言い方だ。

医療系ドラマはなかなかに難しいところはあるだろうが(実際、現場のお医者さんたちからしたら不自然なことや間違い・誤解は多々あるらしい)、

「地域でも有数の、高度医療を扱う病院」で「勤務五年目」の医師が、
十万人に一人という母体死亡の例にぶつかり「多大な精神的ショックを受け」、
「前向きで進むために後ろは振り返らない:亡くなった患者のことは忘れる」などと口走り、
「普段なら経過観察しつつ普通分娩という妊婦を帝王切開しようとする」など常軌を逸した行動に出る、

なんてことはさすがにあり得ないのではないだろうか。実際にこんなトンデモ医者がいたら訴訟ものである。というか、この先医療過誤の疑いで訴訟を起こされるという筋のはず、観てる人に「こんな変な医者だったら訴えられて当然」て思われるのでは? 演じるノリカさんも可哀相である、最初は「愛想はないが、冷静で頭が切れて腕もいい勤続五年目のプロ医師」という設定のはずだったのに。

最善を尽くしても、ミスが一切なくても、亡くなってしまう命はある。こういう「地域でも有数の、高度医療を扱う病院」ならなおさら、他の病院で手におえないような重症患者が多く搬送されてくるだろう。必然的にそこで亡くなる人も多いということになる。ノリカさん扮する柊医師は「敏腕医師がどんなに手を尽くしてもダメだった」事例というのを見たことはなかったんだろうか? だいたい「柊先生は嘘をつかないから信頼する」と患者に言わせておいて、なぜ「死にません」なんてセリフが出てくるのか……そこですでに嘘じゃないか。

「精神的なショックを受けた人」を表現するのに、大袈裟に泣き叫んだり「変」になったり、というやり方はテレビ的にはいいのかもしれないが、あまりにキャラクターにそぐわないと白けてしまう。
患者が壮絶な最期を遂げ、母を亡くした子が泣き叫ぶ、その同じ病院の他の場所では、新しい命が生まれ喜びに包まれている。産婦人科ならではの状況だ。その様子を描くだけでは何がいけないのか? 充分衝撃は伝わると思うが。

ただ。
普通なら「ご臨終です」で終了してしまう患者死亡の場面が、病院から自宅に帰るところ、帰ったあと、妻の遺体の脇で、泣き続ける子どもをよそに新生児の世話や葬式の手配に忙殺される夫の姿をきっちり描いているところはかなり評価できた。家族の、特に一家の主婦の死は本当に大変なことである、毎日の生活は待ってはくれないのだから。

なんだかんだと垂れてしまったが、まあ、結構真剣に観ていたりするんである。でも「ギネ」は、もう一回変な状況が出てきたら観るの止めるかも。

「JIN―仁―」の方がちゃんとエンタメになっている気はする。こっちはずっと観るつもり。