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藤裏葉 五


 はい、右近でございます。画像、音声とも異常ないでしょうか?大丈夫ですね。では、六条院より行幸の模様を中継いたしたいと思います。よろしくどうぞ。

 本日神無月(旧暦十月)二十日、六条院はまさに紅葉の盛りでございます。元より素晴らしいお庭の景観が絢爛豪華に彩られ、この世ならぬ雰囲気を醸し出しております。きっと興趣ある催しとなることでしょう。否が応でも期待が高まってまいります。

 巳の刻(午前十時~)を過ぎました。今上帝、ならびに朱雀院さまご到着の儀です。夏の町の馬場殿に左右の馬寮から多数の馬が牽き出され、五月の節会さながらに左右近衛府の官人たちがずらりと立ち並びます。その前をしずしずと進む長い車の列……実に荘厳にして身の引き締まるような眺めにございます。


 さて未の刻(午後一時~三時)になりました。ご一行は夏の町から中廊を抜け、春の町へと移られます。途中の反り橋や渡殿には錦が敷きつめられ、外から見えそうな箇所には軟障(ぜじょう)が引かれ、隅から隅まで厳重に設えられております。

 その通路から見えます東の池には舟が浮かべられております。内裏の御厨子所に所属の鵜飼の長が、六条院付きの鵜飼を召し並べて小鮒を漁らせています。じっくりご覧に入れる程ではない、通りすがりの一興といった体ですが、季節柄に合って何とも風情ある景色にございます。

 六条院はどこの町も、築山の紅葉が今を盛りとばかりに色づいておりますが、その中でも殊の外素晴らしいのが秋の町・西の庭先にございます。ご覧ください、春と秋の町を隔てる中廊の壁を崩し、中門を一杯に開けましたので、今は霧すらも遮ることなくすっかり見渡せるようになっております。

 春の町の寝殿に、御座所は今上帝と朱雀院のためふたつ準備してございます。主であるヒカル院のお席はもちろん下座で……あっ、たった今……帝から何か……なんと、宣旨によりヒカル院のお席もお二方と同列に改められました。いや凄いですね……まことに、帝のヒカル院への御おぼえは並大抵ではございません。

 捕まえた池の魚を捧げ持つ左少将、蔵人所の鷹飼が北野にて狩ったつがいの鳥を捧げ持つ右少将、寝殿東から御前に出て、階段の左右に膝をつき奉られます。太政大臣さまが受け取られ、仰せ事を伝えられます。魚と鳥は御膳に奉られ、並み居る親王さまたちや上達部たちに振る舞われるとのこと。平安貴族といたしましても、普段は召し上がることはもちろん、目にすることすら珍しいメニューにございますね。


 日も西に傾いてまいりました。皆さん良い感じにお酒も回りましたこのタイミングで、楽所(がくそ)の人々が召し出されてまいります。とはいえ殊更な大楽というものではなく、やさしい優雅な演奏に、殿上童が披露する舞が華を添えます。

 思い出されますね……あの紅葉の賀のことを。あれは故桐壺帝の御代にございました。

 今、太政大臣さまの末のご子息が「賀王恩」という楽に合わせそれは見事に舞っておられます。まだ十歳ということですが何とお可愛らしい事!あ、帝がお召し物を脱がれました。上手に舞い切ったご褒美として賜られるようです。父君である太政大臣さまも下りられて拝舞なさいました。

 ヒカル院さまが菊を手折らせて、遠い日に舞った「青海波」を詠まれます。

「色濃くなった籬の菊も折に触れて

袖を打ちかけた昔の秋を思い出すことだろう」

 あの日同じ舞台で立ち並ばれ、同じ舞を舞われた太政大臣さまも、感慨深げに頷かれつつ詠まれます。

「紫の雲と見まがう菊の花は

濁りなき世の星かとも思えます

『時こそありけれ』まさに一段と濃いこの秋の色よ」

※久方の雲の上にて見る菊は天つ星とぞ過たれける(古今集秋下-二六九 藤原敏行)

※秋をおきて時こそありけれ菊の花移ろふからに色のまされば(古今集秋下-二七九 平定文)

 天までも懐かしんだのでしょうか。折しも、時雨がさっと降り注ぎすぐに止みました。まるであの日と同じように……偶然とはいえ、この巡り合わせに空恐ろしささえ覚えます。


 夕風が吹き散らした色とりどりの紅葉、濃き薄き色に飾られた庭の面は、渡殿に敷いた錦ともみまがうほどの美しさにございます。高麗楽の童子は青白橡(しろつるばみ)の袍に葡萄染めの下襲、唐楽の童子は赤白橡の袍に蘇芳の下襲。みずらを結った額に天冠を飾りつけ、短い曲目を少しずつ舞っては紅葉の蔭に帰って行きます。その可愛らしいことあでやかなこと、日が暮れるのも惜しいほどでございました。

 仰々しい楽所などは設けてありませんが、書司(ふみのつかさ)から取り寄せた種々の琴が置かれ、堂上で管弦の遊びが始まりました。ひとしきり盛り上がった頃合い、御前に和琴の銘器「宇多法師」が届きました。ここはやはり名手・太政大臣さまの出番です。その変わらぬ音色を、朱雀院さまは実に感慨深げにしみじみ聞き入っておられます。

「いくたびの秋を経て時雨とともに時を経た里人でも

こんな美しい紅葉の時節は見たことがなかろう」

「世の常の紅葉と思ってご覧になるのでしょうか

往古に倣ったこの紅葉の錦ですのに」

 見たこともない美しさと仰る朱雀院さまに、私も同じ、なぜならこれは桐壺帝の御代に倣ったものですからと応えられる今上帝。そのお顔はいよいよ大人びられて、ヒカル院とまったく生き写しであらせられます。まあ、ごきょうだいでいらっしゃいますから当然のことなのですが。近くに控えておられます夕霧中納言さまがこれまた似ていらして、三人が三人とも優劣つけがたい気品の高さにございました。ただ、やはり新婚の夕霧さまには、鮮やかに匂いたつような輝きがみえますね……ってちょっとオバサン臭い物言いですね、すみません。

 帝が笛をご所望のようです。夕霧さまが吹きはじめました……まことに素晴らしい音色です。階段に控えた殿上人も唱和いたします。ひときわ目立つ美声は、太政大臣の次男・弁の少将さま。やはり前世からの宿縁というものでございましょうか、優れた方ばかりがお揃いの両家にございます。

 さて、まだまだ宴たけなわといった状況でございますが、そろそろ私のシフトの時間が近づいております。名残り惜しゅうございますが、この辺で実況を終わらせていただきますね。ご清聴、まことにありがとうございました。六条院春の町から私、右近がお届けいたしました。ではでは、また。

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藤裏葉 四


「ねえねえ右近ちゃーん!」

「なあに侍従ちゃん、慌てて」

「お、王子が!ヒカル王子が大変!」

「何?准太上天皇になったこと?」

「ヤダー知ってた!うわーんすごくなーい?!だってだって天皇だよ?!ヤバくなーい?!」

「まあまあ落ち着いて。……って王命婦さん、いつの間に」

 侍従の後ろから王命婦が顔を出す。

王「いや、途中で侍従ちゃん見かけて声かけようとしたんだけど、すっごい勢いで走って行かれちゃったからさ」

侍「ごめんなさいいいい動揺してるううう」

右「はいはい、どうどう。たまには私がお茶入れるわ」

 右近、給湯室に。

王「まあ、今までと違うっていうのは確かにそうね。臣籍からは離脱するもんね」

侍「そう……おめでたいんだけど、何か一気に遠くに行っちゃった感……実際、宮中に来るのも大変なことみたいになるわけじゃん?」

王「御封、つまり収入もえらいことになるし、年官とか年爵とかもぜーんぶ上がるもんね。専属の院庁ができて院司もついて、まさに上皇に準ずる人。帝はこれでも満足いかないらしいけどね。本当は譲位したいのよ、無理だけど」

右「お待たせ~」

王「ありがとう。あら金平糖、可愛いわね」

侍「いただきます……」

 しばしお茶とお菓子をつまむ三人。

侍「年齢とかは別に気にならなかったんだけどさ、来年四十とか聞いても。だって相変わらずのイケメン☆キラキラオーラじゃん?でもここまで昇りつめちゃうと、後はもう引退?とか出家?とかぐっと視野に入ってくるっていうかさあ」

右「なるほどね。それはそうかも。王命婦さん、どう?何か聞いてる?」

王「具体的にはまだ何も。だけどご本人は結構考えてはいるみたいよ。入内させた娘の女御さまは春宮のご寵愛もめでたいようだし、フラフラしてた夕霧くんもすっかり落ち着くところに落ち着いたし、もうそろそろいいんじゃない?って」

侍「エエーやめてえええ。寂し過ぎる……」

右「まあ、もし出家したにしても何処かに引っ込むのはまだ先なんじゃない?六条院に紫上も他の女君たちもいるんだし」

王「そこなのよ。ヒカル王子……いやもう『六条院殿』ね。以前から出家出家言って準備してただけあって、織り込み済みなのよ」

侍「どゆこと?!」

王「まず六条院は、秋好中宮さまのお里でもあるじゃない?しかも、形式上とはいえ紫上は親代わり。実際しょっちゅうお手紙交わしてる仲良しさん。夏の町の花散里の御方は、夕霧くんの親代わり。今や中納言に昇進の夕霧くん、頼りになる息子よね。明石の御方はもう宮仕え状態でしょ、娘さんの付き添いで。万一ヒカル院に何かあっても、何とかなるようになってるのよね」

侍「そ、そっか……さすがは王子……でも寂しいよーん。理屈じゃないのよーうわーん」

王「大丈夫よ。まず帝が完全引退は許さないだろうし、もし出家したとしても藤壺女院さま形式で都からは離れないわよ。つまり今までと変わらない」

右「うん。正直そこまで悟りきってるようにも思えないしね。しかしヒカル院って呼び方じわじわ来るわね(笑)」

 ピコーン♪

侍「あっ小侍従ちゃんだ!やっほー!」

右「(気が紛れてよかったわ)こんにちは。……あら、場所変わった?」


 はい!さすが、よくお分かりになりますね!実は内大臣さまのお邸から引っ越して、今夕霧さま・雲居雁さまお二方とともに三条宮邸におります。故・大宮さまのお住まいですね。あっ、内大臣さまもご昇進なされて、今や太政大臣です!失礼しました。


王「こちらも順調に出世していらっしゃるわねえ」

右「ぶっちゃけ一番繁栄してるお家じゃないの?お子さん多いし賑やかそう」

侍「いいねー、新居で新婚生活!やっぱラブラブな感じ?」


 もちろんラブラブ×100って勢いです!とにかく夕霧さまがイケメン過ぎて眩し過ぎて、太政大臣さまも

「中途半端に宮仕えさせて勝率低い賭けに出るより、断然こっちの方がよかったよね!」

 ってご満悦です。そうそう、ウチの母……夕霧さまに「六位ふぜいが」発言した乳母ですね、遂に謝罪&和解に至りました!


侍「マジで!よかったじゃん!」

右「アレはちょっとないわーって感じだったもんね」

王「女房的には消したい過去よね。どうやって和解したか参考までに聞きたいわ」


 ですよね……本当にあの時は母がご無礼を。今考えてもうわあああってなります……。

 切り出したのは夕霧さまの方ですね。お庭の菊がキレイに咲いてたんですけど、その中でも色が途中で変わってるやつを取り出して、

「浅緑色の若葉の菊に

濃い紫の花が咲こうとはつゆほども思わなかったろう

 辛かったあの時の一言が忘れられないよ」

 って、母に渡しながら仰ったんですよ。満面の笑顔で。もう眩しくてとても正視できないくらいでした。さしもの母も赤面して小さくなってはいましたが、あの時はあの時で雲居雁の姫君を思っての行動ではありましたからね……今のこの成り行きは、誰よりも喜んではいるんです。

「二葉の時から名門の園に育つ菊ですから

浅い色と分け隔てするような者などいないでしょう

 そんなつもりでは……まだお気にされておられたとは思いませんでした」

 ヤダーもうそんな昔の事忘れて下さいよう♡みたいな感じですね。娘からみても、エッこの人何言ってんのあの時はガッツリ馬鹿にしてたじゃん普通に謝んなよって思いましたけど、夕霧さまは余裕の笑みでお許しくださいました。


右「まあそうはいってもねえ。見下してましたサーセンなんてストレートに言えないだろうし、このくらいのボカし加減でちょうどよかったんじゃない?」

侍「うんうん!新婚ベリベリハッピー状態でこれ以上ないタイミングだよね!」

王「夕霧くん権中納言だもんね。もう高官の立場だもの。いちいち女房の言うことに本気で怒ったりしてらんないわよ。まあよかったじゃん、この件に関しては大団円よね」


 そうなんです!メデタシメデタシですよ!

 しかも三条宮邸って思い出の地じゃないですか。大宮さまがいらした部屋を改修してお二人の居住空間にして、庭も少々荒れてたのを手入れしたんですね。あの頃背が低かった前栽もすっかり大きく育って、伸び放題だった「一村薄」も、遣水を覆ってた水草も取り払ってスッキリさせました。

※君が植ゑし一村薄虫の音のしげき野辺ともなりにけるかな(古今集哀傷-八五三 三春有助)

 恋が産まれたその場所で、お二人肩を寄せ合って夕暮れ時のお庭を眺めながら、昔話をされるんですよ。今にしてみれば幼さ故にうまくいかなかった愛しき日々って感じなんですけど、姫君、いえお方さまにしたらウワーって叫び出したい程の恥ずかしさでもあるんですよね。

「あの頃のわたくし……なんであんなに物わかりが悪かったのかしら……女房たちもさぞかし呆れて見ていたでしょうね」

 そんなことを仰っておられましたが、私のようなごく近しい者ならともかく、他の女房達はそこまで気にしてません。むしろ、このご結婚によりあちらこちらに散っていた古参の女房たちが再び一所に参集することとなり、懐かしいやら嬉しいやら……寂れた邸内も一転、明るく賑やかになりました。

 夕霧さまが歌を詠まれます。

「お前こそがこの家を守る主だ、お世話になった人の

行方は知っているか、邸の真清水よ」

 お方さまが応えます。

「『亡き人の影』さえ映さず知らぬ顔で

心地よげに流れている浅い清水ね」

※亡き人の影だに見えぬ遣水の底は涙に流してぞこし(後撰集哀傷-一四〇二 伊勢)

 そうこうしているところに、父君の太政大臣さまがお越しになられました。宮中より退出してきた途中、三条宮の紅葉があまりに見事なのに釣られたよ、と仰って。

「ほう、大分落ち着いたね。どこもかしこも、若々しく明るい感じがいいね。それでいて昔の……母君がお住まいだった頃の様子にもさして変わることもない。いや、感慨深いね」

 夕霧さまも改まった表情で、少し顔を赤らめられ、いつも以上にしんみりしていらっしゃいます。そのお顔とお姿のお美しいことといったら!太政大臣さまも後でこっそり

「まったく絵に描いたような初々しい新婚夫婦だな。まさに理想的。物凄い美女というほどではない、そこそこ可愛いかなくらいの娘にしちゃ、出来過ぎなくらいの婿だ」

 などと呟いておられました。古参の女房達が我も我もと、昔の話を持ち出す中、先ほどのお二人の歌が散らばっているのをご覧になって、涙ぐまれます。

「この清水の気持ちを訪ねてみたいが、老人は慎んでおこう。

 その昔の老木が朽ちるのも道理だろう

植えた小松にも苔が生えたくらいなんだから」

 夕霧さまの乳母である宰相の君は、雲居雁の姫君が連れ去られたあの日を忘れておりません。ここぞとばかりに返す刀です。

「どちら様をも蔭と頼みにしております、二葉の頃から

互いに仲良く大きくおなりになった二本の松でいらっしゃいますから」

 他の古女房達も我先に「あの頃」を歌に詠みます。夕霧さまは面白そうに聞いてらっしゃいましたが、雲居雁のお方さまは少々いたたまれないご様子で、顔を赤くしておられました。


侍「あーなんかわかるう。生まれる前から知ってる親戚のオバチャンたちに、小さい頃の失態を色々あげつらわれて可愛かったわねーそうよねーって悪気なく延々言われるあの感じね。つら!」

右「夕霧くんはその点、プライドが回復されてアゲアゲだから全然気にならないと。わっかりやすいわねー。まあでも、楽しそうな雰囲気は伝わって来るしいいんじゃない?」


 はい!お蔭様で今は誰も彼も何の不足も無い、大満足な日々を送ってます!私も、いつかこんな結婚が出来ればいいなあって感じ!まあ、あんまりメンドクサイ人じゃないほうがいいですけどねフフっ。

 三条宮邸からは以上です。ではではまた!


侍「若い……やっぱり若い」

右「ダメよ侍従ちゃん、私たち二十代設定なんだから。やっと同年代になってきた的な風に反応しなきゃ」

王「そうすると私は永遠のアラサー設定かしら。いいわね、それでいこうっと。あ、ところでさ、来月あたり行幸があるわよ?六条院に」

侍「エエっ!!行幸……そんな対象になるような所になったのね……すごすぎー!」

右「そうなんだ。通りで色々模様替えっていうか、あちこち整備してんのね」

王「今回はすごいわよ。何と朱雀院さまもいらっしゃるらしい。新旧帝揃い踏み。もちろん太政大臣も参加だから、主だった殿上人も殆ど行くんじゃない?お付きの数だけでも半端ないわね」

侍「マジで!っていうか王命婦さんの情報通っぷりが相変わらず半端ない……」

右「ホントそれ。何で私より詳しいの(笑)まあ警備の問題もあるだろうから、あんまり表には出してないのかもだけど。一大イベントよね」

侍「いいないいなー!六条院のお庭も紅葉がキレイな時期だしサイコーじゃん!お接待大変かもだけど、あとでレポよろしくねん右近ちゃん♪」

王「実況してもいいのよ?(タブレットすー)」

右「りょ、了解。頑張るわ」

参考HP「源氏物語の世界」他

<藤裏葉 五 につづく>

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藤裏葉 三


 こんにちは、少納言でございます。いよいよ明石の姫君が入内の運びとなりました。少し寂しい気持ちもありますが、私も古女房の一人として何かのお力になれるよう、精一杯励みたいと思っております。

 入内には北の方が付き添うのが通例となっています。この場合ですと勿論紫上ですが、そのままずっと宮中にいるというわけにもまいりません。いつかは離れなければならない。では、その代わりにどなたを?

 その問題はヒカルさまも早くから気づいておられて、

「実母である明石の方を後見役につけようか」

 という心づもりはおありだったようです。紫上も、

「本来なら共に暮らすはずの実の母子がこうして隔てられて、あちらの方もさぞお辛かったでしょうし、嘆かれてもいたはず。姫君も慣れない生活で心細くなられて、心の内で実の母君を恋しく感じる折もありましょう。お二方に気兼ねをされてしまっては、それこそ不本意なことだわ」

 と常々仰っていて、ヒカルさまにもご提案されました。

「いい機会ですから、冬の町の御方をご後見にお願いできないでしょうか?姫君はまだとてもか弱くいらして心配ですのに、伺候する女房達はお若い人ばかり多うございます。乳母たちにしても、片時も目を離さないというわけにもいきません。私自身もいつまでもお傍にはいられませんし……あの方なら安心してお任せできましょう」

 ヒカルさまは、

「よく言ってくれた」

 と喜ばれてすぐに話がまとまりました。誰が考えてもベストの人選にございますが、これが紫上からの進言である、というのが重要ポイントです。ヒカルさまから言われて従った、という形ではそれこそ要らぬ当て推量の種になりかねません。紫上のご判断は的確にして最良でございました。

 向こうさまにしてみれば、まさに願ったりかなったりの成り行きにございます。早速、女房の装束やその他諸々の事まで、それはもう大変な勢いで準備を始められました。お祖母さまの尼君も、

「なんと素晴らしい……姫君の行く末を見届けたい一心で、恥ずかしながらこの歳になるまで生き永らえてまいりました。ほんに有り難いこと……」

 と嬉し涙を流されたとか。

  

 そうして迎えた当日の夜、姫君は紫上に付き添われて宮中へと向かいます。その車の遙か後ろに、明石の御方のお姿がありました。実の母君ですのに徒歩でついていかれるのはお気の毒なことですが、嫌な顔ひとつせず終始立派な態度でいらっしゃいました。

 入内の儀式は、ヒカルさまの「世間の人の目を驚かすような派手さは無しで」というご意向の元、出来るだけ控えめにはしていましたが、そうはいっても太政大臣の娘御でございます。やはり別格にならざるを得ません。この上なく慈しみお育てした大事な姫君を、紫上は心の底から愛しく思っておいでで、他人に譲ってしまうのが辛くてたまりません。

「同じことならこの方の腹から……」

 姫君を六条院に引き取ってからというもの、何度となく皆の頭をよぎった思い。この時紫上ご自身はもちろん、ヒカルさま、夕霧さまに至っても、心は同じであったでしょう。まことに、思い通りにならない此の世にございます。



 お久しぶりでございます、この度入内の運びとなりました姫君……いえ、もう女御さまとお呼びしないといけませんね……にお仕えしております、乳母のせっちゃんこと宣旨です。


 桐壺で三日間を過ごされた紫上はこれで一旦退出され、入れ替わりに明石の御方さまが付き添われるのですが、その夜初めてお二人のご対面がありました。

「こうして女御とお成りになった節目に、時の流れを実感いたしますわ。ここまで来ましたらもう余所余所しい心の隔てなどございませんね」

 そう仰ってにっこりされた紫上のお優しさ、お美しさときたら!最初のこの一言で、お二人の距離はぐっと縮まった感じがいたしました。お言葉を交わすごとに、その態度や言葉の選び方など、もう本当に本当にレベルが違うといいますか……!贔屓目かもしれませんが、紫上は明石の御方を、明石の御方は紫上を、お互いに認め合っていた、そんな気がいたしました。いずれ劣らぬ気品をまとわれた女盛りのお姿を目の当たりにして、

(ヒカルさまの抜きんでたご寵愛を受けるのも至極もっともな事)

 とお考えになられたに違いありません。

 明石の御方さまは後に仰っておられました。

「あのような素晴らしいお方と肩を並べてお話ができるなんて、持って生まれた宿縁は並大抵ではなかったのね。ただ……退出の儀式は殊の外盛大だった上、御輦車をも許されて、まるで女御さまと同じ扱いでいらした。やはりわたくしとは比べ物にならない。身分の違いは大きいわね……」

 とはいえ、ひな人形そのままに愛らしい女御さまのご様子を間近で拝見し、お世話できる嬉しさは何物にもかえがたいことでございます。長年何かにつけ悲しみに沈まれて、運命を悲観して来られたお方さまが、今は晴れがましい幸せな涙に暮れておられる……本当に、住吉の神の霊験あらたかなこと格別と申せましょう。

 もとより聡明なお方さまにございます。何から何まで行き届かないことなどなく、新しい女御さまのいらっしゃる桐壺(淑景舎)はたちまち世間の評判となりました。女御さまのご容貌や立ち居振る舞いも並々ならぬすばらしさで、お若い春宮さまも殊の外お心を寄せていらっしゃいます。

 先んじて入内されていた麗景殿の辺りでは、

「賤しい出自の母君など、疵にしかなりませんわ」

 などと貶める向きもありましたが、何の、そんな声に負けるお方さまではございません。

 今めかしたはなやかさは並ぶものとてない上に、心にくく由ある雰囲気もあり、ちょっとしたことでも最高にセンス良くもてなされるのです。そんなお方さまの指導下で、若手の女房たちの心構えや態度もきりりと締まり、誰に何を問いかけても当意即妙に返って来る……風流に煩い殿上人にとっても珍しい「挑み所」、知的で風雅な会話を楽しむ場として親しまれることになりました。

 紫上も事あるごとに参内されます。お二方の仲はお逢いするごとに深まっていくご様子ですが、決して馴れ合うわけではなく、どちらかが出過ぎたり、へり下り過ぎるということもございません。お互い不思議なほどに理想的な距離、良い関係性を維持しておられます。

参考HP「源氏物語の世界」他

<藤裏葉 四 につづく>

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藤裏葉 二

桂の葉
桂の葉(庭木図鑑植木ペディアより)

「ねえねえ右近ちゃん」

「なあに侍従ちゃん」

「明石の姫君の入内、四月二十日に決まったんだってね!いよいよだわね。はーーー、せっちゃんに抱っこされてふええええって言ってた顔しか浮かばないわあ……あんなにちっちゃかった子がもうお嫁さんだなんて」

「侍従ちゃん、オバサン通り越してそれもう孫じゃん(笑)ああでもわかる、早いよねー。まして母親代わりだった紫ちゃん寂しいんだろうね。この間の賀茂祭りの時さ、思い立って御阿礼(みあれ)神事ってやつを早朝に観に行ったんだよね」

「みあれ?何?」

「神様を召喚する、つまり神様が産まれる神事のこと。賀茂祭のいっちばん初めにやるんだよね。朝早いっていうかまだ夜中っていってもいいくらい。真っ暗な中でやる」

「へーえ。右近ちゃんもついてった?」

「うん一応。眠かったわ……他の、夏冬の町の人たちも誘ったは誘ったんだけど断られたのよね。まあ大勢で行かなくて正解。うちらだけでも車二十台に随身さんそれなりに付くしさ、これ以上増えると何ごと?!ってなっちゃうわ」

「そうだねー。紫ちゃんについてく形になるから、外から見たら

『六条院の北の方さまが大行列よ!あんなに他の奥方様たちを付き従えて……大変なご威勢だこと』

 ってなっちゃってお互い気まずくなりそうだもんねー。わかるー」

「そうそう。実際は特に序列もないんだけど、世間はそう見ないからね。地味~に静か~に行ったことで、エラソーなところがなくてイイ感じーって好ましい印象に」

「さっすがー!で、その後の賀茂祭り見物にも繋がるのねん。あの時は凄かったもんね、六条院関係者の車と人の数ヤバ!アタシまでお席いただいちゃってホントありがとねー♪桟敷席のすぐ近くで王子の顔もよく見えたしサイコーだった♪」

「いえいえそんなのお安いご用よ。紫ちゃん以外、各町のお方さまたちは院に残留だったからね、気楽なもんよ。女房さん達が圧倒的多数で、どんどん誰でもオッケー状態だったからさ。日帰り社員旅行のノリよね」

「ビバ☆福利厚生@六条院じゃん太っ腹ア!沿道にいる人たち皆、コッチを指さしてアレがヒカル太政大臣だってーキャーイケメーンなんて騒いでたもんね。ふっ下々どもが……って気分になったわん。右近ちゃんは紫ちゃんの近くにいたんでそ?何話してたの?」

「それがさ、よりによってアレよ『車争い』の話。いや縁起悪くないかって思ったんだけどさ、物見車がわさわさいる感じで思い出したんだろうね」

「えっあの……『葵』で六条御息所さまの車が葵上の一行に押しのけられちゃったやつかー。アレ酷かったもんね。お忍びだったせいでなんかウヤムヤになっちゃったし」

「ヒカル王子はあの後一応フォローしようとはしたんだよね、受け入れて貰えなかったけど。だけど当時の葵上……左大臣家側からは何ひとつなかった。

『家来どもが仕出かしたこととはいえ、時勢に乗って驕り高ぶった結果あんなことになったのはホント、心無いことだったよね……全く知らんぷりでいた人は、その恨みを負うように亡くなってしまったし』」

「あら、結構踏み込んでるのねん。でも葵上は車中にいたし妊婦だったし、酔っぱらって暴走しちゃった家来を止めるなんて無理じゃん?さすがに責任はないっしょ」

「うん、葵上個人の責任は問えないと私も思う。ただ相手は前春宮のお后だからね。噂は回ってたわけだから、左大臣家として家来の不始末に一言あってもよかったよね。そこは驕りって言われても仕方ないんじゃないかな。まあ王子自身の立ち回りもイマイチだったのを自覚してるからか、その辺は濁してたわ。

『後に残された夕霧は、臣下としてようやく立身した程度だけど、貶められた方の娘である秋好中宮はいまや並ぶ者なき地位にいらっしゃる。実に感無量だね。定めはない世の中だから、何事も思うままに現世を過したいものだけど、私の後に残される人々が甚だしく衰退するようなことがあってはと、そればかり心配でね』

 だって。充分気ままに過ごしてると思うけどね。欲深いわあ」

「こんにちは」

「あっ王命婦さんだ!」

「こんにちは。ささどうぞ中へ」

「賀茂祭の時はお席ありがとね。堪能したわ。ハイこれ、お礼といっちゃなんだけど」

「キャー、八種のドライフルーツ蘇仕立てシュトーレン!」

「凄いわね。おさ子がこれ書いてる時期がクリスマスだからなんだろうけど」

「ふふ、姫君が入内するまでちょっとずつ切って食べるのよ。なんてね」

「完全シュトーレンじゃん!ていうか今いただきましょ!お茶入れてきまっす♪」

 給湯室に消える侍従。

王「玉鬘ちゃんも夕霧くんも無事片付いたし、明石の姫君の入内も目前だし、ヒカル大臣はもう悠々自適って感じね」

右「そうねー。一気に六条院の平均年齢上がっちゃうけどね。王子も来年四十?侍従ちゃんがいない間に言うけど、平安時代じゃもうお爺さんの部類よね」

侍「お待たせー♪何か言った?」

右「ううん何も。わー美味しそう!いただきまーす」

 しばしシュトーレンをつまみつつ歓談する三人。

王「ところでさ、藤典侍ちゃん覚えてる?五節の舞姫やった、惟光さんの娘さん」

右「覚えてる覚えてる。この間のお祭りでも勅使だったわよね。もうひとりは近衛府の柏木中将だっけ」

侍「ハイハーイ!五節の舞姫といえばアタシに聞いて!藤典侍ちゃんはねー、何年かに一度の逸材よ?見た目は勿論のこと、妙に人好きがするんだよね。お父さま譲りの気働きっていうのかな、目端がきいてナチュラルに人の警戒心を解くのが上手い。何をさせても安心なあの感じ、いそうでいないのよね。今回勅使に選ばれたのも納得!すっごい色んなところからお祝い来たらしいよ、帝と春宮さまと、六条院と」

王「さすがの舞姫ウォッチャーね。推し愛が半端ない(笑)実際、内裏でもすごく評判がいいのよね、仕事も出来るし愛想も良いしで。さしもの新婚ラブラブの夕霧くんもこの子はまだ手離せないみたいね」

侍「そうそう、出立前にお手紙渡してたよね!あっでも、多分他の人はほとんど気が付かなかったと思う。牛車乗るドサクサにささっと、て感じだったから」

右「侍従ちゃんたら凄すぎ。私も近くにはいたけど全然知らなかったわ」

王「身分からして正妻になることはないって両者納得の上のつきあいだろうから、平安時代的にはいいっちゃいいんだけどね。手紙がさ(ごそごそ)これどう思う?写しだけどね(ファサー)

『何だろう……今日のかざしの葵(逢う日)を目前に

よくわからなくなってしまった

 呆れたものだね自分』」

侍「……えっとー、ちょっといつ逢えるかよくわかんなーい僕新婚だから☆でも一応こんな時も逃さずに出してみたよ!みたいな?」

右「ないわーいくら新婚で浮かれてるからってコレはないわー。出さない方がマシ」

王「でしょ。さすがの気立てのいい藤典侍ちゃんも激オコよ。こっちが返しね、写しだけど(ファサー)

『かざしてもなおはっきりと思い出せない草の名は

桂を折られた貴方ならご存知でしょう?

 博士さまではない私にはわかりかねますわ』」

※久方の月の桂も折るばかり家の風をも吹かせてしかな(拾遺集雑上-四七三 菅原道真の母)

右「わお、さすがの切り返し!」

侍「エッ何?!解説よろ!」

王「ダブルミーニングよ。桂を折るって、省試を受けて進士に合格することをいうんだけど、藤典侍ちゃんは勅使だから頭に葵と桂の葉をつけてる。なーに白ばっくれてんのよ私を手折ったのは貴方でしょ?その『桂を折った』お偉いオツムで考えなさいよって感じ」

侍「なーるほど、つまり最後まで責任持ちなさいね!ってことか!やるねー!」

右「この機転と切れ味に引きかえ、夕霧くんの朴念仁っぷりよ……やっぱり勉強だけでもダメね。出世はするだろうけどさあ」

王「正直、藤典侍ちゃんは彼には勿体ない気もしなくはないけど、あのレベルのイケメンかつ将来盤石な若者なんてそうそういないからね。このまま続いてくんじゃない?」

侍「ああもう、あのピュアホワイトだった夕霧くんはいないのね……グッバイ青春……」

右「いや最初から単なる誤解でしょそこは。王子よりはマシとはいえ、普通の健康な平安貴族男子ってやつよ」

王「(笑)何でもいいのよ、幸せならば。うん」

参考HP「源氏物語の世界」他

<藤裏葉 三 につづく>

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藤裏葉 一


 明石の姫君の入内準備が着々と進む六条院で、夕霧はぼんやりと空を仰ぐ。

「私は何をこんなに執念深く拘り続けているんだろう。あの厳しく目を光らせてた内大臣も、もはや『関守の、うちも寝ぬべき』というくらい弱気になっておられると聞く。どうせなら、自分なりに納得いくまであちらの動向を見届けたいものだけど……だけどこれ、何のための我慢?」

※人知れぬ我が通ひ路の関守は宵々ごとにうちも寝ななむ(古今集恋三-六三二 在原業平)

 六年間堰き止められ続けた流れはもはや方向を見失い、いずこともなく迷うばかりだ。

 一方、雲居雁の姫君は、内大臣が漏らした夕霧の縁談話が心から離れない。

「もし本当ならば、わたくしのことなんてすぐに忘れてしまうわね……」

 行き違ってはいるが何のことはない、「御もろ恋」つまり相思相愛の仲なのである。

※みごもりの神しまことの神ならば我が片恋を諸恋になせ(古今六帖四-二〇二〇)

 あれほど強情だった内大臣も、一転ガックリと思い悩み、

「中務宮の件が本決まりになっちゃったら、改めて婿を探さなきゃだよね。でも、明らかに夕霧との仲がダメになったから他をっていう体になるから相手にも申し訳ないし、まずコッチが『何やってんのあそこんち(笑)グズグズしてるうちに横から攫われてバッカじゃないの』って格好の噂の種になるよね……間違いなく。今更隠そうにも、そもそもの事の初めも既に漏れだしちゃってるからどうにもなんない。やっぱり此方から折れて、破れかぶれの世間体を繕うしかないよね……うん」

 遂に心を決めた。とはいえ、お互い表面上は何もない風を装っているので、

「急ににじり寄るのも如何なものか。いきなり手のひら返して仰々しく扱い出したら、それこそ世間に何なの?お間抜けな家だわねって言われるよね。とすると、わざとがましくない、自然に顔合わせてそれとなく切り出せるようなシチュエーション……」

 などと思案したところ、うってつけの機会を思いついた。故大宮の御忌日である。


 三月二十日、極楽寺。

 子息たちを引き連れて参詣する内大臣の威勢はこの上ない。大勢の上達部も参集する中、宰相中将の夕霧は少しもひけを取ることなく、すっかり大人びた容貌は完成された美しさで、どこもかしこも非の打ち所がない。六条院から御誦経などに多額の布施を出していることもあり、太政大臣の名代としても堂々たる存在感である。

 雲居雁との一件以来、内大臣とは顔を合わせるのも緊張し、たいそう気を遣って取り澄ましていた夕顔だが、今日は違う。法要全般を取り仕切り、誰よりも細やかに気を配り熱心に奉仕した。内大臣はその姿を、常より身を入れて見つめている。

 夕方になり皆帰り支度をはじめる頃、花はすべて散り乱れうっすらと霞がかかる。内大臣は昔を思い出してか、何やら優雅に口ずさみぼんやりしている。「雨が降りそうです」と人々が騒ぐ中、夕霧もまた哀れを誘う夕べの情景にすっぽり沈む込んでいる。ともに同じ亡き人に思いを馳せた、まさにその瞬間であったのか。内大臣がつい、と袖を引き寄せる。

「何をそこまで怒っておいでなのだい?今日の御法要の縁故をお考えになって、至らなかったところは許してくださいよ。残り少ない老いの身なのに、見限られてしまうなんてあんまりじゃないか?」

「見限るなどと……故人のご意向にも、お頼り申し上げるようにと承っておりましたが、お許しの無い様子に遠慮いたしておりました」

 その日の会話はただそれだけで、雨風に追い立てられるように皆散り散りに寺を出た。

 夕霧は、

「どういうおつもりで、いつになくあんな風に仰ったのか」

 と気になって仕方がない。あれこれと内大臣の真意を想像しつつ夜を明かした。 


 何にしろ、長年思い続けて来た甲斐があったというものだ。さしもの内大臣もすっかり軟化して「ちょっとした機会に」「特別というのではなく」「そうはいっても相応しい時期」を見据え、本格的に結婚へと至る道筋を思案する。

 四月の朔日。内大臣家では庭先の藤が今を盛りと咲き乱れている。この世のものとも思えぬその色合いは見過ごすには惜しい。管弦の遊びなどにかこつけて客人を迎えるには絶好の機会と思われた。

 暮れゆく頃にはますます色濃く美しさを増す藤の花の下、内大臣は夕霧に手紙を書いた。使者は長男の柏木中将である。

「先だっての花の蔭での対面が、いつまでも心にかかって離れません。お暇があるならお立ち寄りくださいませんか」

 と口上し、美しい藤の木の枝に結んだ文を渡した。

「わが家の『藤の色濃きたそかれに』

尋ねてきませんか、春の名残を楽しみに」

 待ちに待っていたこの招待に夕霧は胸のときめきが止まらない。かしこまって返事をする。

「かえって藤の花を折るのにまごつくのではないでしょうか

うすらぼんやりした黄昏時には

 ……いや、何だこの歌。動揺してる。適当に取り繕っといて……」

 相手は仲良しの柏木中将である。笑いを堪えつつ

「何なら自分がお供しようか?」

 揶揄うのを、

「いや。そんな厄介な随身いらないから」

 と帰らせて、ヒカルの御前に出て報告する。

「ふーん。それはもう、思うところあって仰っているんだろうね。まったく、もっと早くそうやって折れてくれればよかったのに。まあこれで、亡き大宮に対する親不孝のお恨みも解けるというものだね」 

 ヒカル、「どっちが先に根を上げるかチキンレース」に勝った体で得意満面である。

「そうでしょうか……対の屋の藤が例年より美しく咲いているというので、行事も無い暇な頃合いですから、管弦の遊びでもしようというだけでは……」

 夕霧はこの期に及んでも自信なさげである。

「ま、わざわざ使者まで差し向けられたんだからさ。サッサと出かける用意しなよ」

 ヒカルにそう言われても、夕霧はなお不安げな顔をして、そわそわと落ち着かない。

「ああ、ちょっと待って。その直衣、色が濃すぎじゃない?軽く見える。参議でもない若造なら二藍でもいいけど。とりあえず着替えよっか」

 ヒカルは手持ちの中から、特に見事で夕霧に似合いそうな衣装を探し出した上に、こちらも段違いにクオリティの高い下着類も揃えてお供に渡した。

 夕霧は自室で念入りに身づくろいをして、黄昏時もとっくに過ぎた頃、満を持して内大臣家に参上した。柏木中将をはじめ子息たちが七、八人うち揃って出迎える。いずれ劣らぬ美形の面々だが、夕霧は誰より際立って輝いている上に、人を惹きつける魅力と風情、犯しがたい気品を兼ね備えている。

 内大臣は裏で、ああでもないこうでもないと座席を整えるのに余念がない。自分自身も冠までつけて出ようとしつつ、北の方や若い女房など相手に褒めちぎる。

「ちょっと、覗いてみなさいよ。夕霧はこれからどんどんいい男になりそうじゃない?所作も落ち着いていて堂々としたものだ。これだけ抜きんでて老成してる点においては、ヒカル大臣より勝ってるんじゃない?あの人はさ、色気も愛嬌もたっぷりで、顔見たら誰でも笑顔になっちゃうし世の中の憂さを忘れちゃいそう~なんて思わせる魅力に溢れてるんだよね。だからこそ政治面じゃ少々砕け過ぎてるっていうか、儀式ばらない感じになりがちなんだよな。その点夕霧は学才も優れてるし、心構えも男らしくて健全で、不足なところなど何もないと評判らしい」

 現金なものだ。


 さて遂に二人の対面である。儀礼的な堅苦しい挨拶はそこそこに、花の美しさに話題を向ける。

「春の花はどれもこれも皆、咲き出す色ごとに目を驚かされるんだけど、移ろいが早すぎてすぐに散っちゃうのが残念だよね。そんな時にこの藤の花だけひとり遅れて、夏にかけて咲きかかるのが不思議で、しみじみいじらしい感じがする。色も色、縁を匂わせる紫の慕わしさなのだろうね」

 思わせぶりに微笑む内大臣の顔もつややかに美しい。

 月は昇ったがその光は弱く、花の色もさだかには見えない。花を愛でる心に寄せ、酒を飲んで管弦の遊びなどをする。程なく内大臣は酔ったふりをして夕霧にガンガン飲ませようとするが、本人は酔うどころではない。注がれる酒を何とかかわし続ける。

「夕霧くんさ、君はこの末世には出来過ぎな程の天下の有職でいらっしゃるようだけど、年寄りをお見捨てなのは辛い事だね。漢籍にも、家礼ってことがあるでしょ?何某の教えにもよく通じていらっしゃるとは存じてるけどさ、まったく心を悩ませてくれるものだと、お恨み申したいのですよ」

 内大臣は泣き上戸を装いつつ、うまく意思をほのめかす。

「どうしてまたそのような……今は亡き母君、祖母君を思い出す折には、その御身代わりとして縁の大臣にと、我が身を捨ててまでご孝養を尽くそうと思い誓っておりますのに。どのようにご覧になってのことでございましょうか。もとより愚かな私の至らなさで、そのように嘆かせてしまったとすれば、まことにお詫びの申しようも」

 夕霧は生真面目に恐縮しつつ応える。内大臣は頃合いを見計らって「藤の裏葉の」と謡い出す。

※春日さす藤の裏葉のうらとけて君し思はば我も頼まむ(後撰集春下-一〇〇 読人しらず)

 その意を受けた柏木中将が、特に色濃い花房の長い藤の花を手折って、客人の盃に添える。夕霧は受け取ったものの持て余していると、内大臣は

「紫色のせいにしましょう、藤の花の

待ちすぎてしまって恨めしいことだが」

 夕霧は盃を持ったまま形ばかり拝舞する。その仕草は実に優雅であった。

「幾度も露めいた春を過して来ましたが

今日初めて花の紐を解くお許しを得ました」

 盃を頭中将に廻す。

「うら若い女の袖に見まがう藤の花は

見る人が立派だからかいっそう色を増すだろう」

 次々と盃が廻り歌を詠み添えていったようだが、酔いの乱れであとは大したこともなく、これより優れた歌は出なかった。 


 七日の夕月夜でほのかな月光の下、池の水は鏡のように静かに澄み渡っている。木々の梢がまだ育ち切っていない初夏の庭、さほど高さはないが重々しく横たわる松に咲きこぼれる藤の花のさまは、比類なき美しさだ。

 例によって弁の少将が美声を響かせ「葦垣」を謡う。

 葦垣真垣 真垣かき分けて 

 てふ越すと 負ひ越すと誰 

 てふ越すと 誰か 誰か この事を

 親に まうよこし申し 轟ける この家 

 この家の 弟嫁 親に まうよこしけらしも

 内大臣は、

「まさか『娘を盗み出す男』の歌を謡うとは」

 と笑いながら、「年を経たこの家の」と絶妙な呼吸で添える。興趣ありかつ戯れ心もまじった和やかな管弦の宴で、蟠りもすっかり解けてしまったようである。

 さて十分に夜は更けた。夕霧は酷く苦し気な振りをして見せ、

「酔いが回りました。どうにも辛くて、帰り道もおぼつかないかと。泊まる部屋を貸していただけませんか」

 と柏木中将に訴える。内大臣は

「柏木朝臣よ、お休み所を用意してやりなさい。どれ、爺いは酔っ払い過ぎてどうしようもないから引っ込むよ」

 言い捨てて奥に入ってしまった。

 案内役を仰せつかった柏木中将が勿体をつける。

「花の蔭の旅寝か。何だろうなあ、連れていっていいものかどうか?」

「色も変わらない松と約束して咲く花が浮気なものか、まったく」

 即座に切り返す夕霧に、柏木中将は内心、

(エッ妹が心変わりしないかこの俺が心配したと思ったの?!普通逆だろ逆。旅寝、つまり一夜限りの仲に終わっちゃったらどうしよう妹可哀想だからちゃんとしてねっていう兄心じゃん……)

とイラっとしたものの、そこは昔から馴染みの従兄弟同士、人柄の良さも承知している。妹との結婚は長年願い続けてきたことでもある。

(たしかに、誰よりも安心安全な男であることは間違いないよね……うん)

 と気を取り直して、夕霧を雲居雁の部屋の前まで連れて行き、すぐに立ち去った。

 この夢のような成り行きに、夕霧はあの頃とは格段に違う我が身の立場を噛みしめた。雲居雁の姫君は、ただただ恥ずかしいとばかりにひたすら顔を隠していたが、すっかり大人の女性となったその姿は充分に美しい。

「恋に焦がれて『世のためしにも』なりかねなかったわが身だけど、ここまで耐え忍んだからこそ父君にもお許しいただいた。そんなに隠れてばかりではおかしいよ。さあ、私を見て……」

※恋侘びて死ぬてふことはまだなきを世のためしにもなりぬべきかな(後撰集恋六-一〇三六 壬生忠岑)

「さっき弁の少将が進んで謡い出した『葦垣』、聞こえた?意味は分かるよね、まるで私が一方的に貴女を盗み出すみたいな。酷いよね。『河口の』と謡い返したかったな」

 河口の 関の荒垣や 関の荒垣や 

 守れども はれ 守れども 出でて我寝ぬや 

 出でて我寝ぬや 関の荒垣

(えっ……目の詰んだ葦垣ではなくスカスカの関の荒垣、つまりわたくしの方もその気だったでしょって?その通りではあるけど、そんな風に言う?!)

 カチンと来た姫君、

「浅い気持ちで浮名を流した河口、つまり貴方の口は

どうして関の荒垣から漏らしたのかしらね

 あきれたこと!」

 と子供っぽく言い返す。夕霧は笑って、

「漏れ出したのは岫田(くきだ)の関、つまり父大臣のせいでしょう

 私のせいばかりにしないで

 この六年間、積もりに積もった思いが切なくて苦しいんだ……もう、何も考えられない」

 酒に酔ったか、ちがうものに酔ったのか。ともあれ晩春の夜は深く、若い二人を包み込む。


 夜明けも近づいたというのに夕霧は起きてこない。女房たちが、

「どうしましょう……お声かけてみます?」「誰が?」「貴女どうぞ」「いや貴女が」

 とヒソヒソしているところに、内大臣がそっと顔を覗かせた。

「なんだ、したり顔に朝寝して」

 文句を言いつつも何もせず、すぐ戻っていった。

 夕霧はかろうじて夜が明け切る前に内大臣家を出た。寝乱れ髪の朝の顔は、さぞかし見応えのあったことだろう。


 後朝の文は人目を避けて届けられたが、雲居雁は却って返事を書けないでいる。口さがない女房達が興味しんしんでいるところ、またもや内大臣が渡って来た。早速、当たり前のように夕霧の文を手に取る。

「尽きせぬとは申しがたい昨夜のご様子、ますますわが身の程が思い知らされます。堪え難い辛さにまたも命が絶えてしまいそうで。

お咎め下さるな、人目を忍んで絞る手も弛み

 今日は露わになりそうな袖の涙の雫を」

 などといきなり馴れなれしい、直球ストレートな詠み振りである。内大臣は微笑みつつ呟く。

「手蹟も随分と書きなれたものだ」

 もうまったく昔の恨みなどはない。

 未だ返事を書けない雲居雁に、

「さっさと書かないと体裁が悪かろう」

 とハッパをかけてみたものの、父がいると書きにくいのももっともだろうと早々に退散した。

 使者はありったけの禄を下賜され、柏木中将が完璧にもてなした。常日頃、人目を忍んでの持ち運びであった使者も、今日は顔つきも一人前に振る舞っているようである。官職は右近将監で、夕霧が普段から親しく使っている者であった。

 ヒカルは、いつもより輝かしい表情で参上してきた息子をじっと見つめると、

「今朝はどうだ、手紙など差し上げたか?どんなに賢明な人でも女絡みでは失敗する事例もあるけど、ドン引きされるほど思いつめたり、焦れたりせずに過した点は、少し人より優れたお人柄だと思ってたよ。よかったね。しかしあんなにも頑なだった内大臣の方針が、跡形もなく折れてしまわれたとは、さぞかし世間の噂になるだろう。だからといって、自分の方がエライという顔でいい気になって、浮気心とか出しちゃダメだよ。内大臣はさ、おおらかで寛大な性格に見えるけど、あれで内心は女々しくて癖の強い、付き合いにくい所のある方だからねえ」

 などと例によってお説教と内大臣の悪口のコンボだが、ヒカル自身、夕霧と雲居雁は釣りあいもよくお似合いの夫婦だと喜んではいる。

 こうして父子で顔をつきあわせていると親子というより、ヒカルが少しばかり年長の兄と見えなくもない。別々だと同じ顔を写し取ったように思えるが、並べるとそれぞれの違いがはっきりしてそれもまた見所である。

 ヒカルは薄縹色の直衣に唐風の織の白い袿で、くっきり浮き出た紋様がつややかに透けて見える。この上なく上品で優雅である。夕霧はすこし濃い目の縹色の直衣に、丁子で焦げ茶色になるまで染めた袿と柔らかな白い綾の襲がことに美しい。


 その日はちょうど灌仏会の式日であった。誕生仏像を伴う導師役の僧の到着が遅れたので、日が暮れてから六条院各町より童女たちを布施物の使者に出し、それぞれ宮中の儀式と変わらない作法で行った。公達も大勢参集したが、内裏で型通りの儀式をいとなむよりも御前との距離が近いせいか、かえって臆する者も多かった。

 夕霧は心ここにあらずといった風情で、ますます入念に身づくろいし衣装を整えて雲居雁のもとに出かける。たまさかに情けをかけられた女房達の中には恨めしく思う者もあったが、積年の思いがやっと実ったこの夫婦は、水も漏れない仲睦まじさであった。

 主の内大臣は、この婿を傍近くで見れば見るほど可愛く思い、いっそう心をこめて世話を焼く。先に折れた口惜しさはまだ残っているものの大きな蟠りはもうない。夕霧の真面目な性格、特に浮気沙汰もなく長年過ごしていたところを、滅多にない誠実さだと高く評価していた。

 ただ北の方と仕える女房たちにしてみれば、はなやかに祝われた理想的な結婚をした二人が、この邸では帝の寵愛深い弘徽殿女御よりもちやほやされている気がして面白かろうはずがない。実際に口に出す者もいたが、幸せな二人は意にも介さない。というよりお互い以外全く見えていない。雲居雁の実母である按察使大納言の北の方は、娘の結婚をたいそう嬉しく思っていたとか。

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