藤裏葉 三
こんにちは、少納言でございます。いよいよ明石の姫君が入内の運びとなりました。少し寂しい気持ちもありますが、私も古女房の一人として何かのお力になれるよう、精一杯励みたいと思っております。
入内には北の方が付き添うのが通例となっています。この場合ですと勿論紫上ですが、そのままずっと宮中にいるというわけにもまいりません。いつかは離れなければならない。では、その代わりにどなたを?
その問題はヒカルさまも早くから気づいておられて、
「実母である明石の方を後見役につけようか」
という心づもりはおありだったようです。紫上も、
「本来なら共に暮らすはずの実の母子がこうして隔てられて、あちらの方もさぞお辛かったでしょうし、嘆かれてもいたはず。姫君も慣れない生活で心細くなられて、心の内で実の母君を恋しく感じる折もありましょう。お二方に気兼ねをされてしまっては、それこそ不本意なことだわ」
と常々仰っていて、ヒカルさまにもご提案されました。
「いい機会ですから、冬の町の御方をご後見にお願いできないでしょうか?姫君はまだとてもか弱くいらして心配ですのに、伺候する女房達はお若い人ばかり多うございます。乳母たちにしても、片時も目を離さないというわけにもいきません。私自身もいつまでもお傍にはいられませんし……あの方なら安心してお任せできましょう」
ヒカルさまは、
「よく言ってくれた」
と喜ばれてすぐに話がまとまりました。誰が考えてもベストの人選にございますが、これが紫上からの進言である、というのが重要ポイントです。ヒカルさまから言われて従った、という形ではそれこそ要らぬ当て推量の種になりかねません。紫上のご判断は的確にして最良でございました。
向こうさまにしてみれば、まさに願ったりかなったりの成り行きにございます。早速、女房の装束やその他諸々の事まで、それはもう大変な勢いで準備を始められました。お祖母さまの尼君も、
「なんと素晴らしい……姫君の行く末を見届けたい一心で、恥ずかしながらこの歳になるまで生き永らえてまいりました。ほんに有り難いこと……」
と嬉し涙を流されたとか。
そうして迎えた当日の夜、姫君は紫上に付き添われて宮中へと向かいます。その車の遙か後ろに、明石の御方のお姿がありました。実の母君ですのに徒歩でついていかれるのはお気の毒なことですが、嫌な顔ひとつせず終始立派な態度でいらっしゃいました。
入内の儀式は、ヒカルさまの「世間の人の目を驚かすような派手さは無しで」というご意向の元、出来るだけ控えめにはしていましたが、そうはいっても太政大臣の娘御でございます。やはり別格にならざるを得ません。この上なく慈しみお育てした大事な姫君を、紫上は心の底から愛しく思っておいでで、他人に譲ってしまうのが辛くてたまりません。
「同じことならこの方の腹から……」
姫君を六条院に引き取ってからというもの、何度となく皆の頭をよぎった思い。この時紫上ご自身はもちろん、ヒカルさま、夕霧さまに至っても、心は同じであったでしょう。まことに、思い通りにならない此の世にございます。
お久しぶりでございます、この度入内の運びとなりました姫君……いえ、もう女御さまとお呼びしないといけませんね……にお仕えしております、乳母のせっちゃんこと宣旨です。
桐壺で三日間を過ごされた紫上はこれで一旦退出され、入れ替わりに明石の御方さまが付き添われるのですが、その夜初めてお二人のご対面がありました。
「こうして女御とお成りになった節目に、時の流れを実感いたしますわ。ここまで来ましたらもう余所余所しい心の隔てなどございませんね」
そう仰ってにっこりされた紫上のお優しさ、お美しさときたら!最初のこの一言で、お二人の距離はぐっと縮まった感じがいたしました。お言葉を交わすごとに、その態度や言葉の選び方など、もう本当に本当にレベルが違うといいますか……!贔屓目かもしれませんが、紫上は明石の御方を、明石の御方は紫上を、お互いに認め合っていた、そんな気がいたしました。いずれ劣らぬ気品をまとわれた女盛りのお姿を目の当たりにして、
(ヒカルさまの抜きんでたご寵愛を受けるのも至極もっともな事)
とお考えになられたに違いありません。
明石の御方さまは後に仰っておられました。
「あのような素晴らしいお方と肩を並べてお話ができるなんて、持って生まれた宿縁は並大抵ではなかったのね。ただ……退出の儀式は殊の外盛大だった上、御輦車をも許されて、まるで女御さまと同じ扱いでいらした。やはりわたくしとは比べ物にならない。身分の違いは大きいわね……」
とはいえ、ひな人形そのままに愛らしい女御さまのご様子を間近で拝見し、お世話できる嬉しさは何物にもかえがたいことでございます。長年何かにつけ悲しみに沈まれて、運命を悲観して来られたお方さまが、今は晴れがましい幸せな涙に暮れておられる……本当に、住吉の神の霊験あらたかなこと格別と申せましょう。
もとより聡明なお方さまにございます。何から何まで行き届かないことなどなく、新しい女御さまのいらっしゃる桐壺(淑景舎)はたちまち世間の評判となりました。女御さまのご容貌や立ち居振る舞いも並々ならぬすばらしさで、お若い春宮さまも殊の外お心を寄せていらっしゃいます。
先んじて入内されていた麗景殿の辺りでは、
「賤しい出自の母君など、疵にしかなりませんわ」
などと貶める向きもありましたが、何の、そんな声に負けるお方さまではございません。
今めかしたはなやかさは並ぶものとてない上に、心にくく由ある雰囲気もあり、ちょっとしたことでも最高にセンス良くもてなされるのです。そんなお方さまの指導下で、若手の女房たちの心構えや態度もきりりと締まり、誰に何を問いかけても当意即妙に返って来る……風流に煩い殿上人にとっても珍しい「挑み所」、知的で風雅な会話を楽しむ場として親しまれることになりました。
紫上も事あるごとに参内されます。お二方の仲はお逢いするごとに深まっていくご様子ですが、決して馴れ合うわけではなく、どちらかが出過ぎたり、へり下り過ぎるということもございません。お互い不思議なほどに理想的な距離、良い関係性を維持しておられます。
参考HP「源氏物語の世界」他
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