おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

紅梅 二

2021年8月29日  2022年6月9日 

 


 ちょうどその時、若君がこちらにいらしたのね。今日は宮中で宿直だから、参内前に父君にご挨拶ってことで。いつものみづらを結った正装じゃなく髪を下ろした直衣姿で、今十一歳だけど女の子みたいに可愛らしくてね。大納言も目を細めておいでだったわ。

「姉君と母君のいらっしゃる麗景殿に言付けを頼む。今夜もお任せして私は参上しない、気分がイマイチだから、とね。それより若君、笛をちょっと吹いてみなさい。御前での管弦の遊びだの何だのに呼び出されることもあるだろう。ハラハラするよ、まだまだ未熟だからね」

 なんて笑って仰って、若君に「春の双調」を吹かせたの。とっても上手だったわね。

「ほう、だいぶマシになってきたではないか。やはりこの辺でちょくちょく姉君たちと合わせているからだろうね。さあさあ、貴女も弾いてやってください」

 若君にかこつけて催促されるものだから、さすがの宮の御方さまも断れない。琵琶を爪弾きで掻き鳴らされて、紅梅大納言もそこは馴れたもので口笛を吹いて拍子をとってらした。ほんの短い、触りだけって感じだけど、素敵な演奏だったわ。

 すっかり気を良くした大納言、この東面の端の軒近くで、今を盛りと美しく咲き匂ってる紅梅を目に留めて、

「なんと風情ある梅の花か。匂宮は今内裏にいらっしゃるのだろう?一枝折って差し上げなさい。『知る人ぞ知る』だ。

※君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る(古今集春上-三八 紀友則)

 思い出すな……亡きヒカル院が若い盛りの大将でいらした頃、私はまだ子供で、同じように馴れ親しませていただいた。何年経っても懐かしいよ。薫中将や匂宮を世間は格別だと持て囃し、実際大人気のお二人であるけれど、ヒカル院に比べたら問題にもならない。幼な心に何と素晴らしい、他にこんな方は知らないと強く印象づけられたせいかな。特に縁も無い私でも思い出すたび胸が締めつけられる。先立たれた近しい人たちはまして、あの人のいない現世で寿命をまっとうすることすら辛いだろうね……」

 最後はしんみりと、思い出に耽っておいでだった。

 そのおセンチな気持ちの勢いのまま、本当に梅を一枝折らせて若君に持たせ、急ぎ参内させることに決めたわけね。

「仕方がない。往年の輝きの形見としてはもうこの宮しかいないんだよね。お釈迦さまがお隠れになった後には阿難が光を放ったが、仏の再来かと賢しらに目を凝らした僧もいたという。私には本物かそうでないかの判別はつかないが、闇に迷う悲しみを晴らすよすがとして、せめて匂宮に申し上げてみよう」

 と仰るや、

「心づもりがあり、風が匂いをふりまく園の梅に

さっそく鶯の訪れがないことなどありましょうか」

 若者めいた直球ストレートなお歌を紅の紙に書かれて、折り畳んで若君の懐紙の中に挟んだのね。もとより匂宮に心酔していらっしゃる若君だから、喜び勇んで宮中へと出かけられたとか。


侍「な、なんかさあ……ヒカル王子に拘りすぎじゃない?いや、未だにいち推しファンのアタシが言うなだけど」

右「そうね、常に比較されてまだまだねーなんて言われちゃう側はキツイわね。ご本人に面と向かってじゃないにしてもさ」

少「それなんですけど……ヒカルさまといっても、今のお若い方にはもう全然通じないんですよ。同居なさってた匂宮さまですらかろうじておぼろげに覚えている程度で、それも五十歳前後の時ですし。若い盛りのヒカルさまを知ってる方なんて、最低でも四十代以上でしょうか。ああして思い出を語られても、殆どの女房さんたちはポカーンですわ……寂しいことですが」

侍「うわーーそうなんだ。がーん。あのキラキラ☆オーラを全方位に乱射しまくる、稀代の超絶イケメン王子を知らないなんて~って力説すればするほど『まーた始まったこの婆の昔話。何回おんなじこと言ってんのホント無理』とかドン引きされちゃうのね……」

右「それこそ世の無常ってやつね。仕方ないわよ」

王「作品的には、二番煎じで下手に似たようなキャラを出してこないのは凄いと思うのよね。薫くんも匂宮も完全に別人で、正直ヒカル院が築き上げたものの上にのっかってて、周囲の評価だって親の七光りどころじゃない。でも物語の中にいる大多数の人にはわからないのよね。ここまで物語を読んで来た人だけ真実がはっきり見えちゃう。ヘビーなファンだけがわかる醍醐味ってやつ。流石だわあザ☆イケズマスター紫式部さん」

少「ある意味、ヒカルさまを直接知らない人の中にもその影響力が未だに及んでるって言い方もできますよね。ヒカルさまだけじゃなく紫上や他の人たちも皆。人間の存在ってそうそう全部が全部消え去ったりはしないんですよ。そういうことも語る『宇治十帖』なんですよね……深いですわ」

右「この『紅梅』って巻も『あの人は今』的な感じで、メインストーリーからちょっと先いった話なのよね。あの二人の本格的な恋バナに行きつくまではまだ間がある。ひとまず匂宮くんの小ネタから入る感じかな」

侍「よーし!気合入れるぞ☆って、やっぱ嵐の予感なの?」

王「嵐、って感じじゃないかな。ま、ボチボチね(笑)」

侍「どゆことー!」

 ピコーン♪


 典局です。ただ今宮中に来ております。あ、右近ちゃん侍従ちゃん?申し訳ないけど、そのうち彼方此方に派遣して語っていただくから、心構えよろしく。


 ちょうど匂宮さまが明石中宮さまの局から出ていらっしゃいました。お見送りに、大勢の殿上人が詰めかけております。あ、紅梅大納言のところの若君もいますね。宮さま早速話しかけてます。

「ねえ、昨日はどうしてさっさと帰っちゃったの?今日はいつ頃参内した?」

 若君、

「あまりに早く退出しすぎましたのが残念で……宮がまだ内裏にいらっしゃると聞きましたので、急いで駆けつけました!」

 憧れの宮さまに声をかけられて頬を染めつつのお返事です。匂宮さまは、

「内裏だけじゃなくて、たまには二条院にも遊びに来なよ、そっちのほうが気楽だし、若い人ばかり誰彼となく集まって来る所だから」

 にっこり笑って追い打ちです。若君一人だけを呼んでピッタリくっついて話しているので、他の人たちは遠慮して近づきません。そのうち人も散って周りが静かになった頃合いを見計らって、踏み込んだ会話をするお二人。

「春宮からは少しお暇をいただけたかい?随分とお目をかけられて、中々離してもらえなかったみたいだね。今は姉君に寵を取られてガッカリってところかな」

「いえ、あまりに離していただけないのも辛うございます。でも貴方さまのお傍なら……」


侍「え、ちょっと……この二人つきあってんの?」

王「確かにアヤシイ雰囲気ねえ。若いイケメン親王と美少年」

右「王命婦さんメッチャ嬉しそうじゃん」


 言いさしてもじもじしている若宮を、匂宮さまがなお翻弄します。

「君の姉君は、私を中途半端な身分とみて春宮の方に行かれたんだね。当然といえば当然なんだけど、面白くはないなあ。ところで、其方の邸には私と同じ古い宮家筋の東の御方って姫がいるんだって?ぜひお近づきになりたいって、こっそりお話しといてくれない?」 

 我に返った若宮は、ここぞとばかり折り取った梅の枝と父の手紙とを差し出します。

「ふーん。すこしは恨む間くらいくれたらいいのに」

恨みての後さへ人のつらからばいかにいひてかねをもなかまし(拾遺集恋五、九八五、読人しらず)

 匂宮さまはまた笑って、下にも置かずじっくりご覧になります。枝のさま、花房、色も香りも並ではありません。

「花園で咲き匂う紅梅は、色こそ美しいが香りは白梅に劣ると言われてるけど、これは見事だね。色も香りも両方揃ってる」

 梅は特に宮さまのお好きな花にございます。若君が差し上げた甲斐があったと思う程、長いこと眺めておられました。
「今夜は宿直だろう?このまま此処にいるといいよ」

 若君は言われるがまま、春宮のもとには帰らずお泊まりです。花も恥じらう薫りに包まれて宮さまのすぐお傍で休む、幼な心に天にも昇るほどに嬉しく、胸ときめくひとときにございました。

「この花の主は、なぜ春宮に入内されなかった?」

「わかりません。知る人ぞ知る、としか」

 若君は口ごもるばかり。

(紅梅大納言の心づもりとしては、実子の中の君を私にってことなんだろうな)

 察しはついたものの、宮さまの御関心は完全に宮の御方に傾いておりました。大納言からの「花の贈り物」に対してはっきりした返事をするつもりもない模様です。

 翌朝、退出する若君に歌を託されました。

「花の香りに誘われるべき我が身ならば

風のたよりを見過ごしたりいたしましょうか」

 へりくだっているように見せかけてますが、つまりは中の君に対し大して乗り気でないってことですね。

「お年寄りたちにあれこれ口出されないように、そーっと宮の御方に繋いでね」

 仲介役の若君にはそう繰り返し言い含めることも忘れません。


右「何この宮さま。へそ曲がり野郎なの?人に勧められると違う方行きたくなる的な?」

侍「右近ちゃんったらいきなり直球!」


 ハイ再び、紅梅大納言邸に戻ります。あ、王命婦です。

 若君にしても、これで宮の御方をますます尊重すべき大事な姉君、って再認識することにもなったのね。

 大君や中の君は、腹違いの弟に顔や姿を見られようが何だろうがぜんぜん気にしてなくて、普通の姉弟として接してた。だけど宮の御方は違う。何しろお母様にすら滅多に顔見せしないんだから。大納言だってこの連れ子にかなり遠慮してたし、そりゃ幼な心にも、軽々しいご身分じゃないって刷り込まれるわよね。

「さぞかし立派な方とご結婚されるんだろうな。よっぽどの人じゃないと」

 なんて日頃から考えてたわけ。春宮に入内した大君がすごく華やかな暮らしぶりで、もちろん弟として嬉しくも誇らしくもあったけど、宮の御方を差し置いてって悔しい気持ちもあったのね。

「せめてこの匂宮を婿殿としてお迎えできたらいいのに」

 なんて密かに願っていた若君にとって、今回の花の使いは渡りに舟。持ち帰った返事を得意げにお父様の紅梅大納言にお見せした。

「はあ、よくもまあこんな白々しい言い方を。あまりに『風流』が過ぎるんじゃないかと苦々しく思われていることも承知の上で、夕霧右大臣や私たちの前では至って生真面目に、本性をひた隠していらっしゃるのが何とも言えないね。チャラ男と呼ばれても仕方のないお方なのに、無理に優等生ぶろうとしても却って美点が損なわれるんじゃないかね」

 などとブツブツ仰りつつも、また若君を介して手紙を送る。

「元々香り立つ貴方が袖を触れれば

花も素晴らしい評判を得ることでしょう

 風流めかしまして。あなかしこ」

 大納言の方ははなから迎える気満々だから、いつでもどうぞ的な明確なメッセージだったのね。本気度を察した匂宮さまもさすがに心をときめかせたはず……だけど、

「花の香りを匂わせる宿にうかうか尋ねていったなら

チャラい男だと誰かに咎められません?」

 わざとはぐらかすような歌を寄越したものだから、大納言はもう居ても立っても居られない。

 ちょうどその時北の方・真木柱の君が帰っていらしたのね。内裏での話ついでに、

「そういえば若君が昨夜、宿直のあと此方に参りましてね。とても良い薫りがいたしましたの。誰も特に気にはしなかったのですが、春宮さまがすぐに

『さては匂兵部卿宮のお傍にいたね。なるほど、私を避けられたわけだ』

 と見抜かれて、恨み言を仰ったのが面白うございましたわ。それにしてもお泊りなんて……宮さまからお手紙でもありまして?」

 って聞かれたの。大納言は、

「その通り。梅の花が殊の外お気に入りの宮だからね、庭の端で咲いていた紅梅があまりに見事で捨て置けず、折り取って差し上げたのだ。宮の移り香はさぞや格別だったろうね。晴れがましい宮仕えをしてる女たちだって、あそこまで焚き染められまい。一方、薫中納言は自然に薫って、人柄もすこぶる良いと来てる。不思議だね、どんな前世の宿縁があるのやら。同じ花でも梅の根から生まれ出たものはよき香りを放つ。匂宮が愛でられるのもよくわかる」

 花にかこつけて噂話よ。


右「うーーーん。薫くんが実はお兄さんの柏木くんの種、つまり自分の甥だなんて夢にも思ってないセリフだけど、知ってるこっちからするとフクザツよね」

王「そこがまた読者の醍醐味ってやつよ。くすぐってくるわあ」

侍「宮の御方さまって実際、どういう人なの?メチャクチャお嬢様育ちってイメージだけど」


 はい、では私、少納言から。

 宮の御方さま……年齢は二十歳前後というところでしょうか。物の分別もある大人の女性でございます。大抵のことは弁えていらして、適齢期の貴族の女性として何かと注目されていることもよくご承知ですが、

「わたくしが誰かの妻となって世間並に暮らすなど、ありえない」

 と頑なに思い込んでいらして、まるで結婚する気がありません。

 一般には、殿方はやはり時勢におもねって、より条件の良い――例えば本妻腹であるとか――姫君を手に入れようと全力でかき口説き、何かと派手にやり取りをするものですが、宮の御方さまは連れ子です。実父のいない自分には関係のないことと決めうって、ただ静かに引き籠っておられます。そんな宮の御方さまの日常を伝え聞かれた匂宮さまは、彼女こそ自分に相応しい!と心底はまってしまわれました。

 若君を始終お傍に置いては、こっそり宮の御方さまに手紙を寄越されます。

 そんなこととはまるでご存知ない紅梅大納言さまは、匂宮さまをぜひ中の君の婿に!という強い思いで、

「もし宮が我が娘にご興味を引かれて、何か言ってこられたら即座に対応しなければ……!」

 と、探りを入れたりほのめかしたりとさまざま策を練っておられます。真木柱の君は

「どうしたものかしら。微塵も結婚する気がない宮の御方に、気まぐれにでもお言葉を尽くされるなんて……何の甲斐もないことなのに」

 と気を揉まれておりました。

 当然のことながら、宮の御方さまからは一切お返事は出されません。匂宮さまはむきになってますます熱のこもった手紙を送りつけられます。真木柱の君は、

「匂宮のようなお方がウチの婿になられたら……きっとお世話も楽しいに違いない。将来有望なことは確かだし」

 とウットリもされましたが、そうはいっても相手は名うての恋多き宮さま。秘密の通い所も多い上に、最近では八の宮の姫君にご執心で、宇治に足しげく通っているという専らの噂です。ひとところに定まらない浮気な宮さまに、人並外れて世慣れぬ宮の御方さまの組み合わせなど、まるで現実味がありません。早々に進展は諦められたものの、さすがに親王というご身分の方のお手紙に対し何もせず無視し続けるのも畏れ多いことです。時折、母君がこっそり手紙の代筆などしていらしたとか。


侍「八の宮?誰それ。宇治に通うって?今まで出てきたっけ」

右「出てきてない。宇治十帖で初登場の人物ね。さっき、この『紅梅』はメインストーリーのちょい先の話だって言ったじゃない?まさに今、現在進行形なのよ違う話が」

侍「エエー!これだけ熱心に宮の御方さまに言い寄っといてソレ?!チャラいにも程があるじゃん匂宮くん!」

王「あら、ヒカル王子なんてもっとすごかったじゃない。葵上という正妻がいる身で、六条御息所さまやら空蝉さんやら夕顔さんやらほぼ同時進行だったし、藤壺女御さまとの密通もその頃だし。そうそう、あの常陸宮の姫君も。紫ちゃん連れ去った後も夜のお出かけしまくりで、さらに朧月夜の君にまで手出して須磨逃亡、明石で子づくり……」

侍「アーアーキコエナーイ!」

右「なるほど、こうやって美しい記憶だけが残っていくのねえ」

王「ファンの鑑ね侍従ちゃん。というわけでこの話一旦切れて次の巻はまた別の話。まだメインじゃなくて、玉鬘ちゃんのその後」

侍「へー楽しみー♪って、ちょっと待って、この縁談どうなるの?!」

右「聞こえてんじゃん。多分、結婚したんじゃないのどっちかと」

侍「テキトーすぎるう!」

<竹河 一 につづく

参考HP「源氏物語の世界」他

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