竹河 一
こんばんは、右近でございます。ひとり語りのステージとしては随分とお久しぶりですね。「玉鬘」に引き続き今回もリモートでやらせていただきます。まだまだ状況は厳しいようですが、ワクチン接種も日々進んでいるようですので、今しばらくの辛抱です。どうか皆さま、感染予防万全に、ご自愛くださいますよう。
さて、今からお話いたしますのは、ヒカルさまのご一族とはすこし離れたあの鬚黒大将――のちに太政大臣にまでなられました――周辺のアレコレでございます。大臣が亡くなられた後から始まりますので、正妻の玉鬘の君とそのお子さま方を中心としたお話になります。もちろんわたくし右近が実際にその邸にお仕えしていたわけではございません。今も生き残っておいでの女房がたが問わず語りに語られた内容を集め、まとめて、わたくしなりの解釈も入れさせていただきました。というわけで今までの「紫の物語」とは似ても似つかない形ですが、ご了承くださいませ。
ひとつ面白かったのは、話を伺った方が皆揃いも揃って、
「ヒカルさまの子孫について、いい加減なことばかり聞こえてくるのは何なの?私より耄碌した婆さまがたのたわ言?」
などと不思議がっていらしたことです。
はて、何が真実で何が偽りなのか?
長いお話で恐縮ですが、最後までお聞きいただいた上でご判断いただければ幸いに存じます。
玉鬘の姫君―――皆さま、覚えておいででしょうか。今は亡き致仕大臣と夕顔の君の間に生まれ、一時ヒカルさまの養女となり、六条院にて(不本意ながら)鬚黒大将とご結婚されました。
大将邸に移られた後、男子三人、女子二人をお産みになりました。それぞれ大事に育て上げようと考えおかれ、ご成長を待ち遠しく思っていた矢先、鬚黒太政大臣が突然亡くなってしまわれたのです。ご家族一同、まるで夢を見ているかのように茫然とするばかりで、なるべく早くにという心づもりでいた姫君の入内準備も中止となりました。
とかく人の心は時勢に靡くものでございます。あれほど威勢のあった大臣亡き後は、内々の宝物や所領等の財産が減ることこそございませんでしたが、人の出入りはがらりと変わり、邸内はひっそりと静まりかえりました。
玉鬘の君に近い縁者は大勢世の中にいるものの、そこは「やんごとなき」間柄にございます。元より薄い関係性の上に、故大臣が少々――人の心がわからず、むら気に過ぎる性格だったために敬遠されがちでした。そのせいで誰とも親密な交際はしておられなかったのです。
ヒカルさまは、玉鬘の君のご結婚後も娘としての待遇を変えられませんでした。亡くなった後のことを書き置いた相続文書にも、明石中宮の次に名を連ねておいででした。夕霧右大臣はその心を引き継がれてか、今に至るも何かと気遣われ、交流を絶やされません。
二人のご子息はそれぞれ元服も済み成人されています。父大臣が亡くなった当初こそ不安がられてお気の毒なこともございましたが、既に官職に就かれている以上何とか暮らしてはいけるでしょう。
「問題は姫君たちね。さて、どうしましょうか……」
玉鬘の君は悩んでおられました。
亡き大臣は生前、宮仕えの強い希望がある由を奏上しておられました。内裏からは、そろそろ頃合いなのでは?と再三入内を促されています。
(そうはいっても、あの明石中宮のご威勢がいよいよめでたく、どなたも到底勝ち目のないところにのこのこと後から入っても……何なのあの子?って睨まれるだろうし、数にも入れられない体たらくで、お世話するにも気苦労が多そうだわ……)
迷ううちに、なんとあの冷泉院からたいそう懇ろに引き合いがございました。昔、玉鬘の君が尚侍として入内することが内定しておりましたのに、思いがけない出来事にて叶わず終わってしまった――その口惜しさを再び蒸し返され、
「年も取った今はまして見苦しい有様とお見捨てになっておられましょうが、将来安泰な保護者と思い成して姫君をお譲りいただけないか」
と真剣に仰せになられます。
(どうしたものかしら。わたくし自身の拙い宿世のせいで、想像以上に不快な思いをしていらしたのね。恥ずかしいし畏れ多いこと。もし娘をお譲りしたなら、この年になってようやく見直していただけるかしら……)
迷いに迷う玉鬘の君にございました。
二人の姫君はどちらも器量良しと評判で、思いをかける男のかたも多うございます。夕霧右大臣と雲居雁の君のご子息・蔵人少将もその一人で、特に熱心に求婚しておいででした。この方はお兄さまがたを飛び越して可愛がられていらして、人柄も大変素晴らしゅうございます。
玉鬘の君と夕霧右大臣は義理の姉弟、雲居雁の君とは腹違いの姉妹であり、どちらからみても近しい間柄にございます。右大臣家の子息たちはよく遊びにいらっしゃいましたし、迎える此方も余所余所しい扱いはしませんでした。女房たちとも気安く馴れ親しんでおられるので、恋を語る伝手には困りません。夜となく昼となく何だかんだと頼まれるのは煩わしいものですが、そういうわけで邪険にも出来ないでおります。
蔵人少将の母君・雲居雁の君からお手紙もしょっちゅう寄せられる上に、
「まだまだ軽い身分ではございますが、お許しいただけたら……」
と父君の夕霧右大臣からもそれとなく推される始末。
玉鬘の君は、長女の大君を臣下に嫁がせる気など全くございませんでした。蔵人少将の身分では尚更です。いま少し出世して世間の評判も上がったとしたらあるいは、次女の中の君なら考えなくもない……といったお気持ちです。ですが少将の方は、もし許されなければ盗み取るまで、という不埒なまでの強い執着心をお持ちでした。決して不釣り合いな縁談ではないにしろ、女側が心を許さないうちに入り込まれては世間の聞こえが悪うございます。何より意に染まぬ結婚の辛さは、玉鬘の君ご自身が身に沁みておりました。
(親同士が同意しているからと女房の手引きで知らぬ間に招き入れられて、無理やり結婚をさせられたら……あんな思いを娘たちにはさせたくない)
「ゆめゆめ過ちを引き起こさないように」
常日頃から、女房たちにはきつく申しつけていらっしゃいました。皆すっかり怖気づいて、お手紙を取り次ぐことすら億劫がるようになったのです。
薫さま――ヒカルさまの晩年に降嫁された朱雀院の女三の宮がお産みになられた若君――は、ヒカルさま亡き後は冷泉院がご後見となられ、我が子同様に慈しまれておられるようです。十四か十五で元服されて四位侍従となられ、見た目にはまだ幼さが残るものの、大人びた心構えをお持ちの実に魅力的な若者で、抜きんでた将来性が窺えます。玉鬘の君は、この薫さまこそ我が娘の婿に、と常々思っていらしたとか。
玉鬘の君のお邸は、薫さまの母宮のお住まいである三条宮に程近うございました。右大臣家のご子息たちが遊びにいらっしゃるのに薫さまも引っ張られてか、ご一緒に現れることが多かったようです。お年頃の姫君が二人もおられる邸ということで、若い殿方たちは気もそぞろに格好をつけていらっしゃいます。その中でも、容姿端麗なのは常に入り浸っておられる蔵人少将、つい声をかけたくなる馴染みやすさと気恥ずかしくなるほどの気品、瑞々しい美しさとを兼ね備えられた薫さま、この二人以上の方はいらっしゃいませんでした。
あのヒカルさまのご子息、という頭もあるからでしょうか、当然大事にされるべき特別なお方と、若い女房たちは手放しで褒めそやしておりました。玉鬘の君も、
「本当に感じの良い方ですこと」
と、親しく言葉を交わされておいででした。
(ヒカル院のご厚意を思い出すたび、もう此の世にいらっしゃらないことが身に沁みて寂しく悲しい。いったい誰があの方の代わりになろうか。夕霧右大臣はあまりに重々しいお立場で、特に用もないご対面は難しいし)
玉鬘の君は、薫さまをまるで弟かのように親身に接しておられました。薫さまの方も気軽に立ち寄られますが、普通の若者のようにフラフラ浮つきもせず、常にクールな佇まいでいらっしゃいます。どちらの若い女房たちもそんな薫さまを悔しく物足りなく思ってか、やたらに声をかけては困らせておりました。
正月元旦、玉鬘の君の腹違いのごきょうだい・紅梅大納言――幼い頃、二条院にて「高砂」を謡われた――、藤中納言、故鬚黒大臣の先妻腹のご長男がお年賀にいらっしゃいました。夕霧右大臣もご子息六人を引き連れてのご訪問です。皆さま容姿の良さはもちろんのこと、立ち居振る舞いから発する言葉ひとつから非の打ち所がございません。
ご子息がたもそれぞれすっきりとお美しく、年齢の割には官位も高くて、悩み事など何もなさそうに見えます。例の、蔵人少将はその中でも扱いが別格ではございますが、浮かない顔でいかにも思うところがありそうなご様子でした。
夕霧右大臣は几帳越しに、昔と変わらぬ態度で語りかけられます。
「内裏からも仰せがあったと承っておりますが、はて、どちらがよろしいでしょうかね。冷泉院は位を退かれて盛りを過ぎたと思われるでしょうが、まことに比類なきご様子はまったく衰えていらっしゃらない。私にも人並に成人した娘がおりましたらと思いながらも、立派な方々の中に立ち交じるに足る者はなく、残念に存じます……そもそも、女一の宮の母君の弘徽殿女御はお許しくださったのでしょうか?これまでもあの女御に憚って躊躇う向きもございましたから」
夕霧右大臣のご質問に玉鬘の君は、
「それが、女御からは『もうすることもなくてのんびりした暮らしだから、親同様に面倒をみて慰められたいですわ』とお言葉をいただいていて、こうなると本気で考えねばならないかと思っております」
と答えられました。
あちらからもこちらからもこの邸に参集され、揃って三条宮へと参賀に向かわれます。朱雀院に古くから厚誼のある方々、六条院に繋がりのある方々もそれぞれに、未だあの入道の宮を素通りはできません。玉鬘の君のご子息である左近中将、右中弁、侍従の君なども、そのまま右大臣のお供について出立です。大勢の公達や殿上人を引き連れて移動される夕霧右大臣のご威勢はまた格別にございました。
夕方には薫さまもいらっしゃいました。大勢の成人した若君たちもそれぞれいずれ劣らぬ面々にございます。粒ぞろいの中、一人遅れて現れたこの薫さまが際立って目を引き、いつもの熱を上げやすい若い女房達は
「やっぱり違うわね!」「姫君のお隣には、この方こそ並べてみたいものだわ」
とつつき合い、手放しで褒めちぎります。確かに、薫さまの若々しく優美な姿態、そこから放たれる得も言われぬ薫りは尋常ではございません。
「姫君と申されても私どもと同じお心がおありなら、本当に他の人より勝っておられるとおわかりになるはず……!」
口々に囁き合います。
その時、玉鬘の君は念誦堂におられました。薫さまは「こちらに」と案内されて東の階段から昇られ、戸口の御簾の前に座られました。庭先の若木の梅がまだかたい蕾をつけ、鶯の初声もたどたどしく聞こえます。いかにも初々しいさまの薫さまに、早速女房達が戯れかかります。しかし薫さまはまったく動じることなく、言葉少なにすげなくかわすばかり。悔しがった宰相の君という上臈が詠みかけました。
「折ってみればなお匂いも増すのでは?
すこしは色づいてみてはいかが、梅の初花も」
このあからさまな挑発に薫さまはニヤリとされて、
「傍目には枯れ木だと決めつけていましょうが
心の中は咲き誇る梅の初花ですよ
ならば袖を触れてみては?」
煽り返されましたのでさあ大変です。
「本当は色よりもその香りが」「貴女、触りにいきなさいよ」「貴女こそ」
女房達は色めき立ち、袖を引っ張らんばかりに大騒ぎです。
玉鬘の君が奥の方からいざり出てらっしゃいました。
「困った人たちだこと。こんなに上品な、お堅い方をつかまえて恥ずかしげもなく」
とこっそり窘められます。薫さまは、
(お堅い方、と言われてるのか。なんだか凹むなあ)
と思いつつも表情には出されません。ちょうどその時、玉鬘の君の三男である藤侍従が、果物や盃の載った浅香の折敷を二つばかり持っていらっしゃいました。まだ殿上もしていない身でしたので、年賀回りには参加せず此方にいらしたのです。
しばらくして薫さまが退出された後、玉鬘の君は、
「夕霧右大臣は年を取られるにつれ、ますます故ヒカル院にそっくりになっていらっしゃる。薫の君は特に似ておられるところはないのに、気配がしとやかで優美な仕草が、お若い盛りの頃の院を思わせますわ。きっとあんな風でいらしたのでしょうね」
と仰って、思い出に浸っておられました。ヒカル院を知らない、興味も無い若い女房達は薫さまの残り香にすらざわめいて、いつまでも止むことがなかったとか。
薫さまは「堅物」という評判がよほど不本意であったのか、同じ月の二十余日、梅の花盛りの頃に再び玉鬘邸に立ち寄られました。
「色恋に無縁な男だと思われたくない。ひとつ『風流』を気取ってみるか」
中門を入られたところ、同じような直衣姿の人が立っています。隠れようとしたのを引き留めてみますと蔵人少将でした。大君に想いをかけている少将は、いつも邸の周辺をこうして徘徊しておられるのです。
その場所では琵琶や筝の音がかすかに聴こえておりました。方向的には寝殿の西面……姫君たちのいらっしゃるお部屋の辺りからです。
(なるほど……この音に心を奪われて立ち聴きしていたのか。キッツイな……親が許さぬ恋に執着するのは罪深いことだ)
琴の音が止みました。
「さあ少将、案内してください。私にはさっぱり勝手がわからないから」
薫さまは蔵人少将と連れ立って、西の渡殿の前にある紅梅の木のたもとに「梅が枝」を口ずさみながら近づかれました。すぐに花よりもあざやかにさっと香り立ったので、気づいた女房達が妻戸を押し開け、東琴を歌に合わせて掻き鳴らし始めました。呂の調子の歌に、琴を合わせるのは特に女性には難しいものでございますが、手練れの女房がおりましたのでしょう。まことに見事な合奏にございました。薫さまも感心されたのか、もう一度繰り返して歌われます。二度目には琵琶も加わって、比類なき華やかな音色を響かせました。
「なんと風雅なお邸か」
とすっかり感じ入った薫さま、年賀の挨拶の時より打ち解けたご様子で、冗談なども仰います。
御簾の内から和琴が差し出されました。お二人がお互いに譲り合われて手も触れられないので、藤侍従が玉鬘の君のご意向を言付けられます。
「亡き父君……致仕大臣の爪音に似ていらっしゃると聞いております。是非聴かせていただけないでしょうか?今宵は、鶯に誘われたということで」
薫さまは、
(何もモジモジするようなことでもない)
とでも思われたか、如何にも気の乗らない風にさらりと掻き鳴らされました。多彩な音が重なり合って響き渡ります。玉鬘の君は思わず涙ぐまれて、
「いやだわ、年を取ったせいかすぐに涙が……お傍でいつも馴れ親しんだ父君ではありませんが、もう此の世におられないと思うと心細くてなりませんの。ふとした時に思い出すのも悲しゅうございます。だいたい、薫の君は不思議に亡き柏木大納言のご様子に似ていらっしゃいますのよ。琴の音などそっくりそのままのような気がいたしますわ」
などと仰います。いやいや、年を取ったなどととんでもない。さすが聡いお方でございます。ここにいらっしゃる方全員、誰一人としてご存知ない真実をそれと知らずに言い当てられるとは。
失礼いたしました、余計なことでしたわね。
蔵人少将も「さき草」を謡われました。中々の美声にございます。横から賢しらに口を出してくる年配者もいらっしゃらないので、お若いお二人がお互い気持ちの向くまま、存分に演奏したり歌ったりなさいます。藤侍従は亡き父大臣に似て風流の方面は不得意らしく、お酒をすすめるばかりでしたので、
「せめて祝い詞だけでも歌え」
とはやしたてられて、全員で「竹河」を声を合わせて歌われました。
竹河の 橋のつめなるや 橋のつめなるや
花園に はれ 花園に
我をば放てや 我をば放てや 少女伴へて
幼さの残る声でしたが見事にございました。御簾の内から盃が差し出されます。薫さまは、
「あまり酔いがすすんでは、心に秘めたことも隠せなくなってしまう、よろしくないことも口走ってしまうと聞きます。私がそうなったらどうなさいます?」
と仰って盃をかわされます。玉鬘の君からのご指示で、ありあわせの小袿を下に重ねた香り高い細長をその肩にかけますと、「え、何で何で?」とはしゃいだ声を上げられて、藤侍従に返して逃げられます。引き留めてかけなおそうとしても、
「水駅に寄っただけのつもりが、遅くなってしまいまして」
と逃げ帰ってしまわれました。
蔵人少将は、
「薫の君に全部持ってかれた……こんな感じで出入りしていたら、この邸の人たちは皆そっちを向いちゃうだろうな。私なんてますます隅に追いやられてしまう。凹むわ……」
聞こえよがしに恨み言を仰って、
「人はみな花に心を移すでしょうが
私ひとり迷っております、春の世の闇の中で」
ため息交じりに席を立たれると、御簾の内から返しがまいりました。
「時と場合によっては心を寄せることもありましょう
梅の花はただ香りばかりに惹かれるものではありませんよ」
慰めになったのかどうか。
翌朝、薫さまから藤侍従のもとに手紙が届きました。
「昨夜は随分酔っぱらったような気がしますが、皆さんどうご覧になったでしょうか?
竹河の橋をうち出した歌の一節に
私の深い心のうちを知っていただけたでしょうか」
女房たちが見るのを意識されてか、平仮名多めに書いてございました。藤侍従は早速寝殿に持って行かれ、皆でご覧になったようです。玉鬘の君は、
「まあ、歌はもちろん手蹟も素晴らしいこと。いったいどういう方があの若さでここまで整っておられましょうか。幼くして父君のヒカル院に先立たれ、母宮だけでのんびりお育ちになられたでしょうに、それでも人より優れていらっしゃるとは」
と仰って、我が子たちの字が下手なことをたしなめられました。藤侍従が返事を書かれましたが、その字は確かに……まあ、私からは何も申し上げられません。
「昨夜は『水駅』と仰ってお帰りになられたことを、如何なものかと申しておりました。
竹河を謡い夜を更かすまいと急いでらしたのも
何をお心に留めていらしたのやら」
それ以来、薫さまは藤侍従のお部屋に頻々といらして、姫君たちへのご関心も隠さなくなられました。蔵人少将の予想通り、皆が薫さまに夢中です。藤侍従も幼な心に、近しい親戚としてもっと仲良くなりたいと思っていらしたようです。
弥生三月、咲く桜もあれば空も覆うほど散りしきり、ほぼ花の盛りの頃。玉鬘の君のお邸は、さしたる用事も来客もなくまったりと過しておられました。端近に出て桜を眺めても、誰にも咎められません。
玉鬘の君の姫君たちはその頃十八、九歳だったでしょうか。容姿も気立てもそれぞれに素晴らしゅうございました。
長女の大君は際立って気品がありはなやかなご様子で、なるほど臣下に嫁するには勿体なかろうと見えます。桜の細長に山吹の襲、季節に合った絶妙な色のとりあわせは裾までつづき、愛らしさが零れるようでした。立ち居振る舞いも洗練しておられて、気圧されるような雰囲気さえ漂っていらっしゃいます。
次女の中の君は、薄紅梅に桜色をあわせ、柳の糸のようにしなやかにすらっとしたお姿が優雅です。取り澄ました感じで、重々しく嗜み深い気性が勝っておられるものの、輝くような美しさは誰にも負けない、とお付きの女房達は思っていたようです。
碁を打とうとお二人差し向かわれている各々の髪の生え際、かかり具合なども見事にございました。藤侍従が審判役としてすぐ近くに控えておられたのですが、兄君たちが覗かれて、
「ほう、藤侍従も大したものじゃないか。碁の審判を許されるとは」
と仰るや大人ぶったご様子で座られたので、お付きの女房達も居ずまいを正しました。
長兄の左近中将が、
「宮仕えが忙しくなってきたから、弟に出し抜かれてしまったよ。残念なことだ」
と嘆かれると、一つ違いの右中弁も
「弁官はそれ以上に、家での御奉公はお留守になってしまう。だからといってお見捨てになられるなんて」
と調子を合わせて愚痴られます。兄君たちのからかいに碁を打つ手を止めて、恥じらっておられる姫君たちの愛らしいことといったら……左近中将はその光景に思わず涙ぐまれて、
「内裏辺りを出歩いていても、亡き父大臣がいらしたらと思うことがよくあるよ」
と仰いました。お歳は二十七、八ぐらいでしょうか、均整のとれた体つきをしてらっしゃいます。
(この妹たちを、何とかして父君の考えていた通りにしてやりたいものだ)
と思い続けておられるのです。
お部屋には桜が飾られておりました。庭先の花咲く木々の中から特に色合いの優れて美しい枝を折らせたものです。姫君たちが
「やはり他とは違いますわね」
と愛でていらっしゃるその桜を見て、
「まだ貴女がたも私も幼かった頃、この花は私のよ、いや私のだ!なんて争ったことがありましたね。亡き父大臣は『大君の花だ』とお決めになった。母君は『一番小さい若君の木だ』と仰った。泣きわめいて愚図ったりこそしませんでしたが、面白くはありませんでしたよ」
微笑まれつつ、
「この桜もすっかり老木になりましたね。過ぎ去った年月を思うにつけ、多くの人に先立たれた我が身の悲しさもきりがございません」
と仰ってまた涙ぐまれます。いつもより随分とくだけたご様子にございますね。他家の婿となられ、仕事に家庭にと多忙な日々を過ごしておられる左近中将、今日は花に目が留まるだけの余裕がおありのようです。
玉鬘の君は、成人した子の親にしては年齢よりずっとお若くお美しくて、まだまだ女盛りのご容貌に見えます。冷泉院はおそらく、昔ご覧になった若き日のお姿を今もお忘れではないのです。恋しい面影を姫君に投影されておられるものだから、あれほどの熱意で仰ってこられるのでしょう。ただ、院への入内について兄君たちは良い顔をされません。
「やはり今一つ栄えのない気がしますね。何事も時流に乗っていればこそ、世間も認めるというもの。院ご自身は今も比類なきご様子でいらっしゃるけれど、盛りを過ぎた感は否めない。琴や笛の調べ、『花鳥の色をも音をも』時に従ってこそ人の耳も留まるというものです。春宮はいかがでしょう?」
※花鳥の色をも音をもいたづらにもの憂かる身は過ぐすのみなり(後撰集夏-二一二 藤原雅正)
「それもどんなものかしら。初めから、やんごとなきお方が並ぶ者なきご威勢でいらっしゃいます。なまじな宮仕えは心配だし物笑いにもなろうかと躊躇しておりますの。殿がいらしたなら、遠い将来はわからずとも、今は満足いくように取り仕切ってくださったでしょうに」
玉鬘の君の言葉に皆しんみりされてしまいました。
お二人が退出された後、姫君たちは途中だった碁を再び打ち始められました。昔から争いの種になっていた桜を賭け物とされて、
「三番勝負で、一つ勝ち越した方の桜といたしましょう」
と冗談交じりに言い合っておられました。暗くなってきたので端近に出られての対戦です。御簾を巻き上げて、女房達も競い合ってそれぞれの勝利を念じています。
折しも、藤侍従の部屋にいらしていた蔵人少将が出てらっしゃいました。藤侍従は他の兄たちと一緒に出掛けてしまわれたのでお独りです。ただでさえ人少なな時間、うっかり廊の戸が開いておりました。少将はそっと近づいて、覗きこまれました。
(こんな絶好のチャンスに出遭うなんて……まるで仏の出現に居合わせたようなものだ)
と胸を高鳴らせる少将でしたが、哀れな恋心と申し上げる他ありません。夕暮れの霞に紛れてぼやけているものの、よくよく目を凝らすと桜色の色目もはっきりそれとわかります。まさに「花の散った後の形見」とも言うべき、豊かな色彩。余所の男に取られてしまうのが何とも口惜しくてなりません。若い女房達が思い思いにくつろぐ姿も、夕映えに照らされて美しゅうございました。
そうこうしているうちに、右方の中の君が勝ちました。
※桜色に衣は深く染めて着む花の散りなむ後の形見に(古今集春上-六六 紀有朋)
「勝った時に鳴らされる高麗の乱声はまだ?遅いわね」
などとはしゃぐ女房の声も聞こえます。
「右方に心を寄せて西の庭先に寄っていた木が、左方のものとされたものだから、長年の争いがこうして続いたわけですよ」
中の君付きの女房達は気持ちよさげにはやしたてます。蔵人少将は事情がわからないままに、お声をかけたくてたまらなくなったようですが、
「誰もいないと気を抜いていらっしゃる折に水をさすのも」
と思い直され、そのまま立ち去られました。
それ以降、
「またこんな隙があるかも」
と物蔭に隠れ窺い歩いておられましたが、詮無いことでした。
姫君たちは何も知らないまま花の争いに興じていらっしゃいましたが、夕方には激しい風が吹き荒れて庭の桜を散らしました。負け方の大君は花を惜しまれて歌を詠みます。
「桜のせいで風に心が騒ぎます
私を思ってくれない花と思いつつも」
大君方の女房・宰相の君が続きます。
「咲いたかと思うとまた散ってしまう花だから
負けても深く恨むこともないですわね」
チクリと刺した歌に対し右方の中の君、
「風に散ることは世の常ですが、枝ごと
そっくり此方の木になった花を平気で見てはいられないでしょう?」
中の君の女房・大輔の君がすかさず加勢します。
「此方に味方して池の汀に落ちる花よ
泡となっても私たちの方に寄りなさい」
※枝よりもあだに散りにし花なれば落ちても水の泡とこそなれ(古今集春下-八一 菅野高世)
中の君付きの童女が庭に下りて、花の下に散った花びらをいっぱい拾ってきて詠みました。
「大空の風に散った桜の花を
私たちのものとかき集めて見ました」
すると大君付きの童女・なれきが、
「桜花のはなやかな美しさを方々に散らすまいとしても
大空を覆うほど広い袖がありましょうか
心が狭く思われますわよ」
などと応えて、ようやくこの花争いは一段落いたしましたとか。
参考HP「源氏物語の世界」他
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