おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

竹河 二

2021年9月10日  2022年6月9日 

 


 何不自由ない優雅な暮らし。それは決して当たり前でもなく、永遠に続くものでもない―――お若い頃に苦難の日々を過ごした経験がおありの玉鬘の君には、骨身にしみておられます。先々の心許なさに、絶えずあれこれと思案を巡らせていらっしゃいました。

 その間にも冷泉院より矢の催促、ついには弘徽殿女御からも懇切丁寧なお手紙が届きました。

「もしや他人行儀に距離を置いていらっしゃるの?院の上は、わたくしが邪魔をしているんだろうと憎まれ口を仰るものだから、冗談にしても辛うございます。どちらにしても同じことなら、早い内にご決心なさいませ」

 玉鬘の君は、

(あの女御がここまで仰られるなんて……普通なら、新たな若い后など歓迎するはずもないお立場だというのに、なんと勿体ないこと)

 ここに至りとうとう大君の入内を決められました。主だった調度品などは元々用意がありましたので、女房達の装束や細々としたものを手配します。

 これを聞きつけた蔵人少将の悲嘆たるや、大変なものでした。どうにかしてくれと泣きつかれ、責めたてられて困り果てた母君の雲居雁の君は、

「大変お恥ずかしい話で、其方のお耳にいれますのもまことに愚かな親心にございます。お心あたりがあらばどうかお察しくださいませ。すこしでも慰めがありますように」

 という悲痛な手紙を寄越されました。玉鬘の君は、

(ああ……心苦しい)

 と嘆かれつつも、もうどうしようもございません。

「どうなることやら方向も定まりませんが、冷泉院より強いお言葉もあり思い悩んでおります。真面目にお考えでしたら、今回は堪えてください。きっと悪いようにはいたしませんので、どうぞ暫くの間お見守りくださいませ。その方が世間にも穏やかに受けとめられるかと」

 暗に、大君の入内が終わってから中の君を、と示唆したお返事を書かれました。

(さすがに同時期に二人とも出すのは、あまりにこれ見よがしで外聞がよろしくない……蔵人少将はまだ位階もそれほどではないし……)

 家柄も人柄も申し分ないとはいえ、まだまだお若い蔵人少将にございます。姉妹で差をつけたのかなどと言われてしまっても困りますので、ある程度時を置くというのは至極真っ当なご判断にございました。

 しかし当の少将にすればおさまりません。妹ならばとほのめかされたところで、急に気持ちの整理がつくはずもなく、まして垣間見したことでますます大君への思慕が募り、いつか必ず我が妻に……!と盛り上がっていらしたタイミングにございます。望みの糸がふいに、完全に断ち切られたことをただただ嘆くばかりにございました。

 愚痴でも零そうかと、いつもの藤侍従の部屋にいらした蔵人少将。

「おや、誰の手紙?」

 藤侍従は咄嗟に隠そうとなさいましたが、あえなく奪い取られてしまいました。薫さまからの手紙です。

「べ、別に何でもないよ?読んだら返して」

 藤侍従は平気な顔をして無理に取り返そうとはなさいません。

「私の気持ちをわかっていただけないまま過ぎた月日を数えるうちに

恨めしくも春は暮れてしまった」

 具体的なことは何も仰らず、ただ何となく世を憂うといった風情のお歌にございました。

「ふーん。こんなお呑気で、カッコつけた感じに恨むんだね他の人は。私のように物笑いの種になるほどいちいち動揺してみっともなく右往左往してると、まずここの邸の人は見慣れてしまって、ハイハイまたですかって気にもされなくなっちゃったんだな……」

 薫さまとの果てしもない温度差を見せつけられて、少将はいたく傷つかれたようでした。ろくに物も仰らないまま、仲良しの女房・中将の御許のいる部屋の方へフラフラと歩いて行かれます。いつものように、埒も無い溜息をつかれながら。

 藤侍従は、手紙の返事をどう書いたらいいかを聞きに母君の元へと走られました。その姿すら蔵人少将には腹立たしく面白くなく、まことに厄介な若い一途さにございますこと。


 ――ではここで大君の側近の女房でいらっしゃる、中将の御許さんにインタビューしたいと思います。御許さん、本日は宜しくお願いいたします。傷心の蔵人少将、どんなご様子でしたか?


「そうですね……とにかくグチグチとりとめもない話をずううううっとされて大変でした。お若いとはいっても、元服もとっくに済んだいい大人ですからね?それがエグエグ泣きながら酷い酷い、もうおしまいだしにたいって言い続けるんですもん。内容が内容だけに笑いごとにもできませんし、かといってお可哀想に~なんてこともウッカリ言えない。おちおち返事もできなくて……参っちゃいました」


――それは本当にお疲れさまでしたね。ところで、蔵人少将は姫君たちをどの程度ご存知だったのでしょう?小さい時から出入りはなさってたんですよね。


「はい……でも顔や姿を見せることは一切なかったです。お手紙のみですね。そこら辺は玉鬘の御方さまが厳しく隔てを置かれていましたから。なのに……ああ、こんなこと言ってしまっても大丈夫かしら」


――秘密はシッカリ守りますよ?もしどうしても言いたくなければ、言わずとも構いませんが。


「いえ!言います!聞いてください。今になって知られたところで何てことありませんもの。実は……覗かれてたみたいなんですよ、姫君がた。少将ったら急に真顔になったかと思えば、

『私は、観てしまったんだ……姫君がたが碁の試合をやってたあの夕暮れ。ああ、あの夢みたいなシーン、もう一度見てみたい。これから先何を目標に生きていったらいい?こんな風に君と話すことすらもう残り少ないんじゃないかと思うと……つれない仕打ちも懐かしいって言葉は本当のことだったんだな』

 なんて口走られて。まさか、と驚きましたよ……誰一人気づいてなかったので。なるほど、だから御方さまの、中の君ならOKよって遠回しなお言葉にも無反応だったわけですね。そっかーあの夕方のご様子を見ちゃってたと……そりゃ熱上げちゃうわ、とは思いました」


――これ、暗に手引きしてくれっていうお願いじゃないですか?


「そうなんですよ!とんでもないですよね!だから速攻で、

『こんなこと大君のお耳に入ったら、なんというけしからぬお心をお持ちかとドン引き確実ですわよ。私も、お気の毒だって心も失せちゃいました。油断も隙もございませんわ』

 キッチリ抗議申し上げました。そしたら、 

『は?それがどうした?私はもういつ死んでもどうでもいいんだから、怖いものなんかないね。それにしても、大君が碁の勝負に負けておしまいになったのが可哀想だった……私をお傍に招き入れてくださったらよかったのに。目くばせでも何でもして、勝たせて差し上げたのにさ。

 いったいどういうことなのか、数ならぬ身なのに

かなわぬものは負けん気だけだという』

 逆切れの上にこの歌ですもん、吹き出しちゃいました。

『無理です、強い方が勝つ勝負事を

貴方のお心ひとつでどうにもできません』

 いくら右大臣の子息とはいえ、もと帝の冷泉院にかなうわけありませんでしょ、とバッサリ斬って落しました。少将しょんぼりしちゃいましたけど、実に諦めが悪かったですね。

『哀れだと思って手を貸してくれ

私の生き死には君次第なんだわかるだろう?」

 それからも泣いたり笑ったり、一晩中愚痴を聞かされてほとほと疲れました」


――重ね重ね、お疲れさまです。すぐ四月に入って入内の準備もお忙しかったでしょうに困りましたね。蔵人少将も宮仕えの方は大丈夫だったんでしょうか。


「あー、大丈夫じゃなかったみたいですよ?ごきょうだいたちが皆参内の準備でバタバタしてるっていうのに、一人だけボーっと壁にもたれて座り込んでたらしいです。お母様の雲居雁さまももう涙涙ですよ……お父様の夕霧右大臣も、

『困ったね。少将がこんな状態だと冷泉院のお耳に入ったら何としよう。今となっては何故だかわからないが、あちらが相手にしてくれないだろうと思い込んで、切り出せないまま終わってしまった。対面の機会もあったのに……私から是非にとお願いすれば、無下に断られることはなかったかもしれない。残念だ」

 とボヤいておられたそうで。親御さんも大変ですよね……なのに、お手紙は欠かさないわけですよあの坊ちゃまは」


――えっ、まだそちらにお手紙を。差し仕えなければ内容を教えていただけますか?


「まあよくありがちな、恨み言全開ってかんじですね。

『花を見て春は過ぎました

 今日から繁った木の下で途方に暮れることでしょう』

 ただ、大君に求婚されていた殿方は一人や二人ではなかったですから、他からも山とこの手のお手紙が届きましてね。主だった上臈の女房達が姫君たちの御前にて、それぞれにおいたわしい言の葉を伝え知らせるわけですよ。誰が一番可哀想か合戦ですね定番の。そんな感じで少将のお手紙も回し読まれて、あらまあ大変ねーなんて盛り上がってたんで、私もつい、

『蔵人少将、生き死には君次第だ~とまで仰られたんですよ?言葉だけとも思えなくて超お気の毒でしたわ!』

 言わなくてもいいことをポロっと。殊更に大声でもなかったんですけど、それを玉鬘の御方さまがお耳に留められて(ホント、聞き逃さないんですよあの方。怖いです)。お美しい眉をひそめられつつ、

『お辛いことね。ご両親の親心もよくわかるし、そこまでお心が深いなら妹の中の君をとご提案したけれど……ただ、大君の入内を邪魔するように騒ぎ立てるのは如何なものかしら。この上ないご身分の方であっても臣下に嫁することは絶対に許さない、と亡き殿も仰っておられた。冷泉院ですら将来性の点においては不安があるというのに』

 なーんて呟かれてたんですよね……ヒッ、てなりましたねさすがに」


――賢い方ですからね。で、お返事はどうされたんですか?


「私が代筆しました。いやもう、メッチャ空気読みましたよ。

『今日という日に知りました、空を眺めているようなふりをして

花に心を移しておられたのだと』

 皆に散々からかわれましたわ……。『わーひっど。完全スルー』『これ、姫君がっていうより御許ちゃん自身の恨みじゃないの?』『姫君じゃなく私を見て!的な?もう代わりに付き合っちゃいなよ』とかなんとかやんやの騒ぎでウザ過ぎなんで、さっさと畳んで速攻持って行って貰いました」


――この場合、どっちつかずでぼやかすしかないですもんね。絶妙なお歌だったと思いますよ。ところで入内当日は如何でした?たしか、四月の九日でしたね。


「はい。夕霧右大臣からはお車やお付きの家来やら、たっくさん差し向けられて凄かったです。北の方の雲居雁さまも内心はうーんと思ってらしたでしょうが、一応御方さまとは姉妹ですからね。今までイマイチ交流がなかったのが、今回の一件で随分お手紙をやりとりしてぐっと距離が縮まったんですよ。これでまた離れてしまうのもあんまりだって大人の判断されたんでしょうね。禄やらキレイな女装束やら山盛り贈ってくださいました。ただお手紙に、

『魂が抜けたような有様の息子を介抱しつつ、はっきり承ることもなく、お知らせもいただけなかったのはあまりに他人行儀かと』

 とお恨みをほのめかされて、御方さま渋いお顔でした」


――そうはいっても、相手が相手だけに中々あからさまには申し上げられませんよね。玉鬘の御方さまもお辛い立場で、同情を禁じ得ません。ちなみに夕霧右大臣はどうでしたか?


「もちろん右大臣からもお手紙がありましたよ。

『私自身もうかがうべきと思っておりましたが、あいにく物忌がございます。息子たちを向かわせますので、何なりと遠慮なく使ってやってください』

 という極めて実務的な内容で、四男の源少将、六男の兵衛佐を寄越してくださいました。御方さまはたいそうお喜びでしたね」


――さすがは右大臣ですね。血縁としては遠くていらっしゃるのに、一番玉鬘の御方さまのお心をわかっていらっしゃるかも。他のごきょうだいはどうなんでしょう?沢山いらっしゃるはずですが。


「はい、御方さまのごきょうだい・紅梅大納言からも女房用の車のご提供がありました。この大納言の北の方は、亡き鬚黒大臣の前妻腹の娘御――かつて真木柱の姫君と呼ばれた方です。ご夫婦どちらからみても近しいご親戚には違いないのですが、やはり大して交流がないんですよね。その真木柱の君と同腹の兄君・藤中納言は自発的に手伝いにいらして、左近中将や弁の君といった腹ちがいのご兄弟とともに立ち働いておられました。一族勢揃いといったこの場に、父君の鬚黒太政大臣だけがいらっしゃらない……しみじみ寂しいことでした」


――大君の入内で、普段会わない親戚同士が集まって協力し合う、故大臣もきっと草葉の蔭でお喜びのことでしょう。改めて、ご結婚おめでとうございます。……それで、蔵人少将はこの日どうしてらしたんでしょう?


「それですよ、聞いてください。入内当日まーた延々愚痴られた挙句お手紙攻撃ですよ。その日は大君と中の君お二人とも朝からしんみりだったんですね。仲良し姉妹で夜も昼もご一緒、東西に分かれたお部屋も仕切りの戸が意味ないくらいでしたから、いよいよお別れとあって悲しくないわけがありません。晴れ着姿の大君は念入りにお化粧もなさっていて、それはそれはおキレイでした。悪いことに、ちょうど故大臣のお話などされて目を潤ませたタイミングだったんですよ、少将からのお手紙を持って行ったのが。当社比五割増しくらいおセンチになっておられた大君でしたから、ついウッカリ手に取られちゃったんですね……。  

『もうわが命もお終いと覚悟していたけど、やっぱり悲しい……せめて哀れに思うとだけでも一言仰っていただけたら、それを頼りに暫くは生き永らえられるかも……』

 いやね、もう頭抱えましたよ。このおめでたい日に縁起でもない。大君も困惑されて、

『少将のお宅は右大臣も北の方も揃ってご健在で、盤石なご家庭だというのに、どうしてこんな埒も無いことをお考えになって、手紙にまで書かれるの?不思議だわ……それにしてもこの、命がお終いって本当?心配ね』

 と仰ってお手紙の端に、

『哀れという一言もこの無常の世に

いったいどのような人にかけたらよいのか

 生死の問題ならば父を亡くしたわたくしにも少しはわかります』

 と書きつけられました。

『こんな風に言って差し上げたらどうかしら?』

 とのことでしたので、その紙ごと持って行きました」


――それは少将にはラッキーなことでしたね。さぞかし喜ばれたでしょう?


「ええ、走り書きとはいえ大君の直筆ですもんね。思いがけないお宝をいただいた!って狂喜乱舞でした。ただ、もう今日でこういったやり取りも最後なわけですから号泣されながら、驚くほど猛スピードでお返事書かれてました。

『誰が名は立たじ、といいますね。

恋ひ死なば誰が名は立たじ世の中の常なきものと言ひはなすとも」(古今集恋二、六〇三、清原深養父) 

生きている此の世の生死は思うようにはならないので

聞かずに諦めきれましょうか貴女の一言を

 墓の上にでもお声がけくださるようなお心があると思えましたら、一途に世を去りますことも急ぎましょう』

 何でしょう、ちょっとおかしくもなってたんでしょうけど、嫁入りする人に対してこれは無いですよね。大君もドン引きです。

『お返事なんてしなければよかったわ……今からでも取り消したいくらい……』

 もう一切、一言たりとも返されませんでした」

 

――それは大君も大変なことでしたね。ちょっと仏心を出すとあの手の殿方は一気に調子こいてストーカー化しますからね、超絶塩対応でちょうどいいんです。あっ、すみません聞き手が喋りすぎました。入内には御許さんも付き添われてらっしゃるんですよね。如何ですか、冷泉院の御所は?


「とっても素敵なところですごく快適ですよ!何しろおつきの女房や女童も見目の良い者ばかりが厳選されておりまして(ドヤ顏)、大方の儀式は宮中への入内と変わらない格の高さです。玉鬘の御方さまはまず弘徽殿女御さまのお部屋にご挨拶されて、大君が院のもとに上がられたのは夜も更けてからでしたけどね。まず女御さまはじめ他の后の方々は皆さまご年配でいらっしゃいますので、そこに大君のような可愛らしい若い盛りの新女御ですから目立つことこの上ないです。どうしてご寵愛を得られないことがありましょう。院の上からも、

『おお、花が咲いたように華やかになったね』

 というお声がありました。もともと堅苦しさはない、普通の臣下のように気楽に暮らしていらっしゃる御所です。何より、冷泉院がすっきりとお美しくて完璧なんですよ……私たちにも眼福というものですわ」


――それは何よりでしたね。玉鬘の御方さまはまだそちらに?


「いえ、御方さまはもうとっくにお帰りになられました。数日は滞在なさるだろうと踏んでいたのに、ふと気がついたらもういらっしゃらなくて。黙ってこっそり出られたみたいです。院もご存知なくて、たいそうガッカリなさってました。珍しいですわ、いつもはそういうところに一番気を遣われる方ですのに。流石に失礼ですよね」


――玉鬘の御方さまのお立場としては難しいところですね。はっきり帰るといえばまず引き留められること確実でしょうし、かといってあまり長くいすぎると「あの新参者が我が物顔で」となりかねない。ズルズルいてタイミングを見計らうより、院が大君を気に入られたとわかった段階でサっと去る、のが一番正解だったのかもしれません。

 ああ、また喋り過ぎました。冷泉院といえば薫さまがお住まいですよね?もうお逢いになりました?


「逢うどころか、毎日のように院のお傍にいらっしゃいますよ!本当に親子みたいです……というより、実の親子でもあそこまで仲睦まじくないんじゃないかと思いますね。私、宮仕えしてた祖母から

『桐壺帝の御代の頃は、ヒカルさまをそりゃご寵愛なさって、内裏が光り輝いてたものよ』

 って話を百万回は聞いたんですけど、まさにそんな感じなのかなって。薫さまがまた院内のどなたからも可愛がられていてツーカーなんですよね。私たちにもフレンドリーに話しかけてくださいますしホント素敵なお方です。大君にももちろん同じように振る舞っていらっしゃるんですけど、どうかな……微妙ーな揺れを感じますね」


――あら、どういうところがでしょう?そういえば薫さまも、蔵人少将ほどではないにしろ、あの姉妹には少なからぬご関心がおありでしたね。


「そうそう、そうなんです!態度が何となく違うんですよね。え、ちょっと格好つけちゃってる?みたいな。院内でただ一人の若い女御さまが珍しいってことも勿論あるでしょうし、気にしすぎかなーって思ってたんですけど、私聞いちゃったんですよね。……これ言っていいのかな」


――秘密は守りますよ。でも言いたくなければ言わなくてもOKです。


「やーだもうインタビュアーさんお上手!とある夕暮れにお見かけしたんですよ、藤侍従と連れ立って散歩されてる薫さまを。ちょうど大君のお住まいに近い、庭先の五葉松に藤の花がこぼれんばかりに咲きかかっていたんですね。それに目を惹かれたか、遣水のほとりの石の上、苔を蓆代わりに座って眺めておられました。ため息交じりに、

『世の中うまくいかないよね。

手に取ることができるものなら藤の花の

松より優れた色を虚しく眺めていましょうか』

 なんて歌を詠まれて、花を見上げられた薫さまの横顔ときたら!遠目でしたがキュンとしましたね。ましてすぐ隣にいらした藤侍従は尚更でしょう、明らかに動揺されながら言い訳がましく返されました。

『紫の色は同じだが藤の花は

私の思う通りにはならなかったのです』

 薫さまは真面目な方だしお気の毒だなとは思いましたが、まあそうはいってもさほどのお気持ちではないな、というのは見てとれました。まあ、蔵人少将のあの、理性も吹っ飛ぶ勢いの恋心に比べれば、ですが」


――蔵人少将、入内後はどうしておられたんでしょう。少しは諦めがついたでしょうか?


「それがですね……未だに、真剣に何とかならないか、過ちも辞さない!などと危険なお気持ちのままなんですよ。大君の求婚者には中の君に鞍替えした方もいらしたんですが、少将はまったくその気がないようで……玉鬘の御方さまが母君のお気持ちを慮ってなさったご提案も水の泡、すっかり音信も絶えてしまいました。何より、右大臣家のご子息として以前から伺候されておられた冷泉院に殆ど参上されなくなってしまいまして……たまに殿上の間に顔を見せても、逃げるように退出してしまわれる始末」


――はあ、それはまた厄介なことですね。ご両親のご心労のほど察せられます。世間の目も煩いでしょう。


「それなんです。世間はもちろん、何と今の帝までが今回の件に対して御不快なんだそうで……大君の兄君である左近中将が呼び出されて、

『妹姫が冷泉院に入内されたそうだね。おめでとう。だけど故太政大臣の御遺志と随分違ってない?私のところに宮仕えさせるってあれ程仰ってたのに』

 などとお叱りを受けたそうです。早速、弟君の弁の君と二人でお邸に来られて、

『主上はすこぶるご機嫌が斜めであらせられました。案の定ですね……世の人々も首を傾げるに違いないとかねて苦言を呈しておりましたのに、母君のご判断ひとつで決められ、結果こんなことに。何とも申し上げにくいことですが、帝がここまで仰せになられたというのは私どもの身にとり由々しき事態です』

 不愉快そうに玉鬘の御方さまに訴えられました。

『ちょっと待って?昨日今日で急に思い立ったということではないのよ?向こう様から殆ど無理やりに、おいたわしいほど懇願されて……後見役がいないまま宮中に入ってみじめな思いをするよりは、のんびり暮らしておられる冷泉院にお預けしようと考えたまで。そもそも何か不手際や不都合があればその場で指摘してくださればいいのに、誰も彼もはっきりしなかった。それを今になって間違っていただの何だのと……それこそ如何なものかしら?夕霧右大臣にしても同じ。終わったことをいつまでもネチネチと遠回しに責められるのは勘弁していただきたいわね。すべては前世からの因縁というものでしょう』

 まったく動じず、穏やかに応えられる御方さまに対し、なおご兄弟二人が口々に申し立てます。

『その前世からの因縁とやらは、目に見えませんよね。帝が仰せになったことに対して、ちょっとご縁が無かったみたいですね~なんて言えるわけないでしょ。明石中宮にご遠慮申し上げたという理由はともかく、彼方の弘徽殿女御はよろしいんですか?後見役として親同様にと仰られたからといって、いつまでもそうとは限りませんよ』

『まあまあ、もう言っても仕方ない。今後どうするかだよ。よくよく考えてみると、内裏に中宮がおられるからといって他の后を入れたらダメってことはない。今上帝への宮仕えは、さまざまな家のさまざまな女性が競い合うからこそ面白みがあると、昔から言われてきたんだ。冷泉院の弘徽殿女御は母君の姉上ですよね?近しいだけに、ささいな行き違いでお気持ちを害するようなことがあったら却って厄介ですよ。血縁同士で揉めれば、それみたことかと世間に聞き耳を立てられることでしょうね』

 我が息子にここまで言われて、御方さまもさぞかしお辛かったでしょう。確かに、お二人の言い分にも頷けるところはあります。ありますが、すべて今更な話です。御方さまが長いこと悩んで迷って、考えに考えられてようやく決められたことを、後から何だかんだと言うは簡単ですもの。ただ、その一方で冷泉院の大君へのご寵愛は日に日に深まるばかりなんですね。若く美しい聡明な大君に、院はもう夢中になっておられます。外野が何と言おうと、お二人が幸せならそれでいい。私はそう思いますね」


――そうですね、その通りだと思います。幸せが一番ですね。……さて、まだまだお話していたいですが、残念ながらお時間となりました。中将の御許さん、本日は長い時間まことにありがとうございました。


「こちらこそありがとうございました!またいつでも呼んでくださいね」


――はい、もちろんです。ではこの辺で、冷泉院御所からお別れいたします。ご清聴ありがとうございました。それでは、また。

プツッ。


 それから三か月後、七月に入ったところで嬉しいお知らせがありました。

 大君がご懐妊されたのです。

 つわりでお悩みのご様子は、なるほど世の殿方が煩いくらい求婚してこられたのも納得のお美しさにございました。これほどのお方をどうして疎かに聞き流したり放っておいたりできましょうか。

 冷泉院では毎日のように管弦の遊びがあり、薫さまもお傍近くに呼ばれて、大君の琴の音を耳にされました。玉鬘邸で薫さまと蔵人少将がともに謡われた「梅が枝」に、ぴたり合わせて琴を弾いた手練れの女房――中将の御許さんです――も常にお召しがかかり和琴を演奏します。お二人の奏でる音を聞き合わせて、心を騒がせる薫さまにございました。

<竹河 三 につづく

参考HP「源氏物語の世界」他

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