2015年8月30日日曜日

読んだ本いろいろ 6

「光圀伝」冲方丁

水戸黄門でお馴染み、水戸光圀公の話。とはいえ、あのようなのどかな好々爺のイメージはない。歴史的事件はもちろん当時の日常生活に至るまで綿密に調べた上で、自由のきく小説というジャンルで思うさま描いている。知識のあまり無い身としては、ノンフィクションよりかえって彼が如何に稀有な人物だったかが心に響いた。
教科書に書いてある年表のような、何年に何々をしたとか何があったとか、そういう端的な情報から瞬時に人間ドラマを見出せるほどの知識と知見を身につけたら、この世の中は本当にもっともっと面白く楽しくなるんだろうなあ。やっぱりいくつになっても勉強は大事だ。

それにしても全編これ死、死、また死。当たり前の話だが、身分の上下・力の有る無しに関係なく、どんなに皆に慕われていても、将来を嘱望されていても、人はあっさりとかんたんに死んでいく。死にゆく人を送るたびに、光圀の死に対する受け止め方が変わっていくさまが秀逸。儒学によって「理」の素晴らしさに目覚め一生を賭けて「義」を実現しようとする光圀が、究極の不条理である「死」をどう受け入れていくのか、普遍的なテーマだが非常に興味をそそられる。登場人物たちの造形がしっかりしていて、それぞれに魅力的なので、光圀の感じる喪失感や悲嘆を、同じようにリアルに感じられる。特に女性。もう全員、私の好みどストライク!泰姫なんかもう、女子に好かれる女子の代表みたいな感じ。今まで読んだ小説の中で、1,2を争うほど好きかも。

「義」を自らの規範とし、まっとうすることを人生の目標とし生きてきた光圀が、同じように「義」を通そうとした人間を自らの手で葬る。「義」に従うというのはそれほどまでに覚悟の要ることであり、矛盾をも抱えることである。誰にでも通用するような絶対の「義」は存在しない。理詰めにみえた「義」は実は非常に個人に依存するものであり、時代や状況とともに変遷するものでもあった。つまり光圀の潰した「義」は死なず、結局は後々の「大政奉還」に繋がり、武士そのものを終焉に追い込むことになるのだ。

いやもう、中身が濃すぎて感想が書ききれない。最初から最後まで本当に面白かった!

しかし、読んでる途中で冲方さんのDV騒動ニュース。。。どんないきさつでそんなことになったのかは知る由もないが、何とか解決して1日も早く仕事に復帰してほしい。きっと、維新のあたりも書きたいのではないかと思うのだ。「天地明察」の安井算哲の世界とも繋がっていたし、連綿と続く人の生死、すなわち歴史を文書に残す、光圀が残した歴史書と同じく、確かに生きていた人のことを、小説という手法で綴っていこうとしているのだと勝手に解釈している。自らの「義」を明らかにし、仕切りなおしてまた素晴らしい小説を書いてほしい。お待ち申し上げております。

2015年8月21日金曜日

読んだ本いろいろ 5

「文明崩壊」上下巻 ジャレド・ダイアモンド

タイトル通り、ある文明が崩壊するときどういう原因があり、どういうふうに滅びていくのかを、主に「環境」という観点から探った本。上下巻でメチャクチャ長いが、参考文献もメチャクチャ多いので、そこは致し方ないかも。作者は学者だし、こういう細かい調査の目的や経緯や出たデータ云々等、端折れないのだろうなあと気持ちはわからんでもないが、私のような一般人には正直つらかった。ぶっちゃけ、えんえん続く調査云々の話はナナメ&飛ばし読みしましたすみません。
結論的には、文明の継続には今も昔も「食」の問題が第一のキーワードであるということ。人口に対して、その分の食を生み出せる農地はどれくらいあるのか、とか具体的に考えるとけっこう怖い。
ベストセラーとなった「銃・病原菌・鉄」も持っているが読んだのが随分と前なので、もう一回読みなおそうと思う。だいぶ中身を忘れてしまってはいるが、圧倒的に面白かったのは「銃・病原菌・鉄」の方。タイトルもいいよね。


「ドキュメント戦艦大和」 吉田満

淡々と、時系列に起こったことを書き連ねる地の文と、合間に挟まる日米両方の生の証言。相当のボリュームだが、こちらは読み飛ばすことは出来ない。ひとつひとつが、大和の戦いそのものだからだ。
時系列、といったが、実際には別々にではなく同時にいろいろなことが起こっていたのだ、という著者の言葉が重い。
結果を知っている現代の人間が、この戦いを「愚か」とか「無謀」とか切り捨ててしまうことは簡単だけれども、やはりこれはいろんな意味で必然の戦いだったようにも思える。大きな戦艦での戦いが、事実上これで終焉を迎えたことから考えても。
ただただ、先人の奮闘と心意気に感謝。

「卑怯者の島」小林よしのり

小林氏が以前出していた月刊誌に連載していたが、途中で廃刊になってしまい続きが気になっていたので、買って一気に読んだ。感想はただ一言、読んで良かった!
「戦争論」から始まる一連の著作で小林氏の言いたいことすべてが、フィクションという枠に囲ったことで一気に明確になり、ストレートに伝わってきた。戦争を経験していない世代のはずの小林氏が、遠慮会釈なしに描く戦争は、怖ろしいほどの現実感でこちらに迫ってくる。ある意味フィクションだからこそ自由に世界を構築でき、自在に動き回ることができるのだ。ここ最近の小林さんの主張とは相容れない部分も多かったが、フィクションならば考え方の違いなど関係ない。このような漫画を描くことができる小林氏はやはり天才だ!と思う。
戦後70年の今年、この本を読むことが出来て良かった。戦争に関してはもちろんのこと、創作ということの本質や可能性についても、新たに考え直すことができた。本人もあとがきに「代表作にしたい一作」と書いていたが、いやホントにゴーマンでもなんでもなく、その通り。今までで一番の出来だと思う。小林氏には、出来れば今後もっともっとフィクションを描いてほしい。

2015年8月17日月曜日

読んだ本いろいろ 4

なんとなく思い立って、心理学関係の本を続けざまに読んでみた。



「平気でうそをつく人たち」虚偽と邪悪の心理学 M・スコット・ペック
内容とタイトルが微妙に合ってない気もするが、良書。
ここでいう「平気でうそをつく人」というのは、自己の利益のため(問題や責任から逃げるため・自分を『自身が考える範囲内での』良い人に見せるため)には手段を選ばない人、ということ。
そういう人は普段まるきり普通、むしろ地域活動などに積極的だったりする、常識的ないい人として生活しているが、ひとたび「自己のあるべき姿」が損なわれるまたはその危険があると判断すれば、対象に向けて執拗な攻撃を開始する。何が引き金になるかはその人次第なので、
「なぜこんな小さなことで、あんなに良い人がこんなことをしでかしたのか」
と周囲が驚くことになる。
およそ「邪悪」なふるまいは客観的事実を学んだり調べたりしない「怠惰」と自分のことしか考えない「ナルシシズム」から起こるとし、それが集団ともなると、個々の思考停止または誤った判断によって、より大きな邪悪を生むことになるという。ナチスのユダヤ人虐殺しかり、広島長崎の原爆投下しかり。
しかしその「邪悪」を完全に排除したり破滅させたりするのではなく、あくまで愛を以て、悪の正体を正面から見つめ、だが巻き込まれることなく、その時々で常に科学的・道徳的に正しい判断を下していくことが、世界をより良くしていく端緒になる---というのが作者の結論。

む、むずかしいぞ。

「結局、自分のことしか考えない人たち」自己愛人間とどうつきあえばいいのか サンディ・ホチキス
こちらはもう少し限定した感じ。
「自己愛」の人は「恥」の感情に耐えられない、というのが興味深い。本質的には弱いのだ。
赤ん坊の頃は皆自分が世界の中心であり、親も他者も自分の一部とみなしているが、成長とともに母親から分離し自立する。このときに適切な「恥」の処理を学ぶのだという。すなわち自分と親は別の存在であり、必ずしも自分の思う通りに世界は動かない、等身大の自分を認識し受け入れることだ。
傷は優しく負わせなければならない---子供がより強く成長するには、多少の傷や痛みを負い、それを癒やし回復するという一連の流れの繰り返しが必要。このへんがうまくいかないと、自己評価が歪み、恥=痛みに耐えられない自己愛的人間が生まれる、と。

うーん、子供が小さい時に読みたかったなあ。こういう観点で子育てをすればかなり気持ち的に楽だったかもしれん。育児ってシンプルだけど、だからこそ深くて難しい。

「良心をもたない人たち」25人に一人という恐怖 マーサ・スタウト
こちらは原題が「隣のソシオパス」(The Sociopath Next Door)。ソシオパス(社会病質)、またはサイコパス(精神病質)は人格障害の一種。一切の良心を持たず、他人と共感することがなく、罪悪感もない。自分の目的を達するためならどんな酷いこともためらいなく行うことができる。かといって全員が重大な犯罪を犯すとは限らない。見た目にはいたって普通、口が達者で魅力的であることも多いという。一切の逡巡無く物事を進められるので、立場によっては相当のカリスマ性を持つことも。確かに生きるか死ぬかの戦闘行為などにおいては、罪悪感のないサイコパスは「優秀な戦士」になる可能性が高いだろう。
だが、それならばなぜサイコパスは25人に一人、なのだろう。弱肉強食の世界で生き抜く力が強ければ、サイコパスばかり生き残って増えそうなものではないか?
結局のところ、自分という個だけを守るサイコパスは、群れを守れない。より多くの遺伝子を残すという目的においては、良心を持ち他者と協力・共感ができる人間の方に軍配が上がるのだ。
面白いのは、アメリカではサイコパスが増えているが、アジア圏ではその割合は低い、という話。個人主義を価値の中心におき、実力でのしあがる「自分本位」の態度を容認する米国の社会は、サイコパス的な生き方をむしろ薦めているかのようにも思える。対するアジアでは、万物とのあいだの相互関係を重んじ、他者に対する義務を、認識面をとおしてその個人に厳しく理解させるため、社会的にサイコパスの芽を摘むことが可能になるのではないか。
この本が著されたのは10年前だが、個人主義の限界はこの頃すでに盛んに言われていたのかと感慨深い。そういえばスカーペッタシリーズもここしばらくそんな感じだものなあ。まさに「個人の能力でのしあがり」「すべてを持っている」登場人物たちは、決してサイコパスではなく、並以上に感情豊かな人々だが、何故かあまり幸せそうではない。アメリカはまだまだ、そういった社会から脱するのは難しいかもしれない。

というわけで三冊読んだがどれもかなり面白かった。こういう本って時々ハマるわ。
ちなみに一般的には、このような方々とリアルに遭遇したら、まずは逃げるが勝ち。どれも気づきにくい場合が多いが、最初の勘を信じろというのも共通している。良心を持つ遺伝子を守るため精進せねば。