2012年6月15日金曜日

【覚書き】一年三ヶ月後の所感

結っこプロジェクト」のUSBメモリ。陸前高田の松の木で作られているという。

USBのなかに入っていた動画には、震災前の美しい浜と、津波の映像、現在の姿が収録されている。

このUSBメモリは寄付のつもりで買った。現地に行けない、何も出来ない自分の、せめてもの支援と思った。
もちろん今までも、信用のおける、行き先使い道が明確なものを選び、出来る範囲で少しずつだが寄付はしていたし、食べ物もなるべく東北産のものを選んだり、チャリティDVDやCDを買ったりもした。
だが考えてみれば、現に被災地にいる人から(ネット越しではあるが)直接ものを買ったのはこれが初めてだった。


動画は衝撃的だった。

元は本当に平和で美しい風景が、いとも簡単に押し流され、無残に変わり果てる。
何度も見たはずの津波映像が、今そこにあるリアルな出来事として、眼前につきつけられる。

出来る範囲で少しでも何かの助けになればいい、という気持ちは美しいが、ある意味傲慢なのかもしれない。「支援してやる」というような気持ちはないつもりだが、同情や共感、憐憫といった言葉のあいだに共通する意味、使い方言い方、タイミングによって微妙に変わるそのニュアンス、一種の危うさを、見透かされたような気になった。
ほんの少しの足し、は現実問題としてあくまで「ほんの少し」の足しでしかないのだ。

もちろん一番強いメッセージは「記憶にとどめよ」というものであり、プロジェクトに関わる人達が、支援に対してそんなふうに考えているという意味ではまったくない。あくまで、私個人の受け取り方である。

そういうわけで「ささやかな支援を人に知られずそっと行う謙虚な自分」への鉄槌(?)を自らの手で下したわけだが、当然ながら支援は続ける。傲慢だろうが自己満足だろうが、細々とでも、長く続けることが肝心と思う。

それから。

基本、他人にこうしろああしろと指示するのが好きではないし、他人の考えを変えてやろうなどと、困難で無理な仕事もしたくはない。だがこれだけは声を大にして言う。

瓦礫を早いとこ片付けよう。

そのためには広域処理でもなんでもやる。現地で処理しきれない分は他で引き受けるしかない、誰かがやるしかないのだ。地震列島で原発が其処此処にある日本では、何処に住んでいてもいつ今の被災地と同じ状態になるかもしれない。日本に住んでいる以上、明日は我が身。助けなくてどうする。

自分が不安だから、心配だから、わからないからと、何を言ってもやってもいいというわけじゃない。子供を守るというお題目さえ唱えれば、何もかも許されるわけじゃない。親の愛ゆえの愚かさを否定はしないが、度を超えた愚かさは、はっきりと罪だ。勉強が出来る出来ないではない、社会的地位があるかないかではない。目の前の現実をまっすぐ見る力と、自分以外の人へのほんの少しの心遣いがあるかどうかだ。

人によっていろいろ考え方があることは理解するし、尊重もする。が、自分の考えをつぶさに検証することもなく無批判に垂れ流すのはよろしくない。この辺は自戒するところでもあるが、何にせよ今の世の中、無知と愚かさに対して寛容になりすぎた。

ちゃんと勉強しよう。
他人の気持ちを良く考えて行動しよう。

親なら必ず子供に言ってることではないのか?

私も自分の知識と見識に絶対の自信があるわけではないので、あまり偉そうに発言は出来ないのだが、声高にいろいろと失礼なことを叫ぶ輩にはちょっとちょっと待て、と注意するくらいはしないといかん、とこの頃思う。陸前高田の松でできたUSBメモリが私に要求している。ああえらいものを買ってしまった。気を引き締めて頑張ろう、いろいろと。

とりあえず近所のイ◯ん、「放射性物質ゼロ宣言」なんつーアホウな看板を片付けない限り、お宅で売ってる食べ物は一切買わんからなっ。
科学的知見ゼロの企業なんかに本当の食の安全が守れるかってんだてやんでい。
デカイ企業のこういう愚かな行動が、瓦礫を穢れとしかみない・被災地の人を侮辱して平気・な人の主張の助けになってる気がしてならない。ある意味東電より罪が重いと思うのは私だけか?



2012年6月12日火曜日

【覚書き】計画停電

大飯原発の再稼働(起動?)、一応決まったらしいが反対運動もまだまだ喧しい。
今のところ私は、緩やか~な脱原発を望んではいるが、ゼロリスクというあり得ないものを追いかけるつもりはさらさらないので、今後を考えるための一助として昨年の記憶を掘り起こしてみる。

震災時はさほどの被害がなかった埼玉県であったが(だからこそ?)、計画停電(輪番停電)はほぼ全域で実施された。
なんだかすごく長く続いていたような気になっていたけれども、今wikiなどを見返すと

3/14から3/27まで

という二週間にも満たない期間。うーん、細かく記録しておくべきだったな。あの頃は一日をこなすのに必死でそこまで思い至らなかった。反省。とりあえずつらつら思い出すままに書いてみよう。


輪番場所と時期
当初はそれなりに混乱した。何しろ自分の地域がどのグループに入るのかわからない。行政もよくわかっていない。東電には問い合わせ電話が殺到してたらしく、近所の支店にも大勢並んでいた。ネットなしで情報を得るには難しい状況だったと思う。
東電HPにもアクセスが集中し見られない事態が起こったが、すぐに個人でスケジュールを記載するHPを立ち上げる人が続出、検索すればいくつもそういうサイトが出てくるようになった。調べて即ママ友に一斉メール、というのもよくやった。震災直後も唯一使えていたツイッターも活躍。

しかしこの混乱もそれほどではなく、連絡体制が整ってくると共に徐々に解消。毎日テレビで連呼していたし、マンションの掲示板にも予定が貼られた。もともと私の住んでるあたりは昔ながらの地域の結びつきが残っていて、自治会などの組織は早い時期から動いていた。輪番3回目からはもう慣れたもんだった。

家庭内(マンション)
コンセントは抜き、停電後にはブレーカーを落としておく。
(精密機械などは通電したときがヤバイ。事実うっかりコンセント抜くの忘れたルータが壊れた)

水まわりのこと。
マンションで電気系統が止まるということは、水道も使えないということなので、まずやったことは水の確保。風呂に水を多めに張り(トイレ流し用)、ペットボトルなどに飲料用の水を貯めた。電気ポットはしばらくの間保温されているものの、電気がないとお湯を出せないタイプのものは大変不便。うちのポットは一応電池でも動くはずだったのだが、久々にその機能を使おうとしたら壊れてた…(その後、電気なしでも使えるものを購入)。
冷蔵庫は保冷剤を大量投入したうえ、停電中原則として開けること禁止、とした。
うちは幸いオール電化ではなかったので、ガスが使えたことは大きく(ただし点火するのに乾電池が必要)調理に関してはそれほど困らなかった。ただ、店頭からパンや麺類、粉類が消え、お米も品薄だったのでメニューは限定的なものにならざるを得なかった(つか最初からあんまりレパートリー広くないし、決める手間が省けて実は楽…)。

灯りのこと。
時間が夜にかかった場合、あらかじめ子供全員同じ部屋に集め、それぞれたっぷり充電したDS片手にスタンバイ。これ相当明るいので懐中電灯がわりにもなる。何より停電中は堂々とゲームが出来て嬉しかったようだ(笑)。
私は同じく充電フルの携帯をいじったり、音楽を聴いたり昼寝したりして過ごした。

暖房のこと。
こたつを出していたので、全員で足つっこんでいれば電気切れても十分暖かい。そもそもマンションは気密性が高く、寒さはあまり感じなかった。夏でなくてよかった、とはよく思った。

外の様子(道路、店など)
今まで意識したことがなかったが、非常用電源を備えている信号機の存在がありがたかった。それほど人通りのない道でも、やはり信号がないと怖かった。特に夜は危ないので、暗くなったら極力外出は控えた。周囲の家いえが真っ暗になるさまは異様だった。

店の多くは、停電のある日は開店を遅くしたり閉店を早めたり営業時間を調整していた。何が売っているかも含め、この辺はママ友やご近所ネットワークのみならず、道で会った人ともよく情報交換した。

その他所感
地震による被害がほとんどなかった地域であったこと(電気・ガス・水道すべて正常稼働)、期間が春休み中であったことと、何より震災直後で住民の間に一定の連帯感と緊張感、および「もっと大変な人がたくさんいるんだから不足をいってはいけない」というような意識もあり、さほどの混乱なく粛々と停電を受け入れられたのだと思う。だがもしこれが都会のど真ん中、通行量も多く、種々雑多な店や会社や家が立ち並び、隣に誰が住んでるのかもわからないところなら、この程度の混乱におさめることはなかなか厳しいんじゃなかろうか。
ぶっちゃけ、電気が止まるって結構大変なことだと思った。たった二週間足らず、一回につきたかだか2,3時間、しかも開始と終了時間がほぼ正確(多少の前後はあったが)、という停電でも、全員健康に問題のない一般家庭の運営においてすら雑多な作業が確実に発生するのだ。介護すべき病人や乳幼児を抱えた人はさらに大変、まして企業は本当に膨大な手間、経済的損失を強いられるだろう。

震災以来、当たり前だと思っていたことが実は微妙なバランスの上に成り立っていたことを思い知ったが、電気の安定供給もそのひとつだ。
計画停電は、当初の混乱とか、実は必要なかったんじゃないかとかいろいろ批判されているが、電気の安定供給が脅かされることの疑似体験=壮大な訓練だと思えば、有意義だったのではないか。

脱原発叫ぶのはいいが、一気に原発ぜんぶ止めてホントにそれで大丈夫か?火力は原油の輸入が止まったらアウト。太陽光や地熱や風力は、そのバックアップに足るほどの供給能力は現時点でない。
蓄電できない以上、使用電力<供給電力であれば単純にOKとはいえない気がする。総量が明らかに減る状態で、これまでどおりの電気の安定供給を目指す、なまじっかな節電やちょっとの我慢で済む話ではない。だいたい瓦礫の受け入れですらこんなに揉めるのに、みんなでその「ちょっとの我慢」(ちょっと、じゃ済まない可能性も大)を今後ずっとわかちあうなんてこと、出来るんですかね。