溜めてる録画の山から気まぐれ消化。
「オーメン」リチャード・ドナー
The Omen / Richard Donner(1976米)
小中学生の頃?に何度か観た。映画館で観た記憶はないのでおそらくテレビ視聴。しかしこういうのを9時台の洋画劇場とかで放映してたんだから凄いな。ガラス板で首チョンパとか真昼間の映画紹介番組で繰り返し放送してたし。以下、古い映画(五十年前てマジか!)なのでネタバレ気にせず行きますのでよろしくです。
推定40年ぶりくらいに最視聴してみた感想は、
「え、これ宗教戦争ってやつじゃない?」
だった。というのも、主人公ロバート(グレゴリー・ペック)に危機を告げに来る「善なる人」のはずのブレナン神父の言動もまんま狂信者のそれだったからだ。完全に「ある考えに憑りつかれた人」。こりゃロバートが信じるわけないし警備員も呼ばれるの当たり前。焦ってたとはいえもうちょっと上手い言葉選びとか伝え方とか出来んのかい神職なのに。もう一人の火傷した神父にしても、「神の罰」を受けている・償わねばならないと言ってるのがすごく気になった。どういう神なんだそれは。要するに、キリスト教徒VS異教徒(とはいえキリスト教の系譜でもある)の争いってコト?どちらがこの米国という超大国の実権を握るかの戦い、と考えると、21世紀の現在、世界で起こってることの写し絵のようにも思えてくる。つまりは超絶出来のいい映画なのだ。
ただ映画の中で繰り広げられる殺人は禍々しいが、ヒネた婆になった今観ると殆どは「人間が起こすこと可能」なやり方かもなとも思った。そこに悪魔が介在してるかどうかを「感じる」のは人間だからこそ。最初の乳母の身投げは、宗教に洗脳されたか催眠をかけられて「ダミアンの前で死んでみせること」が崇高な使命であり至上の幸せと刷り込まれてのことかと推察。「あなたのためよ!」という言葉が幼いダミアンの脳に与える影響も込み。代わりの乳母としてやってきたベイロックは、ダミアンに日々「教会は敵、避けるべき恐ろしい所」と吹き込み、自分がやることはすべて「あなたのため」「仲間以外は両親も含め全員敵」と繰り返して刻み付けたのだろう。本来警戒心の強いセレブ夫婦をいとも簡単に騙せる女だ、五歳の子の人心操作などお茶の子さいさい。
そういう意味でブレナン神父も操作されてたんではないかしら。一人歩く道で突風に追いやられて走り出す場面は圧巻にして、彼の中にある不安と罪悪感を具現化したような絵面。教会に逃げ込もうとして落雷とともに降って来た槍に貫かれる死に方は衝撃的だが、出来すぎというか、むしろ自分から招き寄せた感すらある(槍に細工はしてあったのかもだけど)。有名なガラス板の首チョンパは偶発的なのか人為的なのかどっちとも取れる。ただダミアンの出生の秘密を知ったあとのロバートにはもう「悪魔の仕業」としか思えない。さらに妻の転落死(これは明らかにベイロックの手による)も重なって「ダミアンは悪魔の子」が確信に変わる。絶対に滅さなければ!!!とガンギマったロバートだが、最後の最後に躊躇って、追って来た警察によって射殺……そりゃあ他人から見れば、妻の死でおかしくなった夫が錯乱して子供を殺そうとした、としか見えないわな。ここら辺も上手い。説明のつきにくい超自然的な現象(写真に写った槍とか、動物に忌避されるダミアンとか)と、リアルの様相が絶妙なバランスで構成されてる。
まあ家の中で三輪車転がしてた五歳児が母親の踏み台にぶつかって転落させるとか、悪夢としか思えないけど、年齢からして「リアルにあってもおかしくない出来事」ではある。キューブリックの「シャイニング」でもしっかりオマージュシーンがあったことに、最視聴でようやく気付いた(遅)。あのキコキコ音までそっくり再現してる。怖いよう。
色々気になったのでウィキなども読んでみたが、この映画に纏わる不吉なエピソードというのがテンコ盛りにあって、奇妙に一致する符号にヒイイっとなる。
監督のドナーは後年、「もし当時の私たちがロマンティック・コメディを撮っていたら、これらの偶然は気に留めなかったと思うが、『オーメン』という作品の性格上、目を背けるのは難しかった」と述べている(Wikiより)
まあそれはそうなんでしょうけどね。並外れて出来の良い映画というのは実際、関わった人に何らかの影響を及ぼさずにはいられないのかも。「エクソシスト」が1973年、その三年後の本作。世の中にはびこる不安が伝播し接続しあって何かを引き起こす、映画の中だけの話ではない気がする。面白かったです。

