おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

「高宗・閔妃 -然らば致し方なし-」「マリー・アントワネット」「くちぬい」

2023年6月8日  2023年9月12日 

 何だか急に暑くなった。読書にはキツイ季節が早到来である。なのに積読は増殖するばかり。ひー。


「高宗・閔妃 -然らば致し方なし-」木村幹(2007)

 前回の記事の「誤解しないための日韓関係講義:同著者」で基本を押さえた上で此方を読んでみた。韓国最後の統一王朝・李氏朝鮮最後の王が如何に終焉を迎えたかという話。

 読了してみてまず、徳川慶喜を思い出した。此方は「王」ではなく将軍という、武力も含んだ政治リーダーであるが、徐々に力が削がれて/削いでいき、維新という大内乱の危険をはらんだ激動を切り抜け、最後はいち国民・いち家庭人として余生を過ごした。高宗にしても慶喜にしても、その地位に就いた時点で既に国のシステムが時代に合わなくなっており、大きな改革が必然なタイミングではあったのだ。亡国の危険も大きかった中で最後の「王」「将軍」を勤め、それまでと形は違えど国を残した二人に共通の思いを感じるのも、また当然なのかもしれない。

 国の中枢がガタガタに崩れていく中、最終的に信用できるのはごく一部でしかない。国を守るといっても何をどう守ればいいのか。大きな義を以て動くことは大きな犠牲をも伴う。自分と家族を守ることを第一義として動く選択をしたこの二人は、もしかしたら最後のトップとして最適な仕事をしたのかもしれない。

 それにしても、この時代の日本が隣国に干渉しまくりなのは本当にいただけない。実際に昔から身近な国ではあったのだろうし、世界中に帝国主義が席巻していた時代の成せる技といえばそうだが、それにしても。この本の内容からすれば、閔妃がもう少しばかり生きていようがいまいが、その先の歴史は何ら変わらなかったように思える。程よい距離を保つのは個人でも国家でも同じように大事。



「マリー・アントワネット 上下」シュテファン・ツヴァイク(1932)
訳:中野京子(2007)

 さて此方も、フランスにおける最後の王妃。以前も違う人の訳で読んだことはあるかもしれない。いや、ダイジェスト版かな。とにかくここまで詳細な伝記を読んだのは初。

 ちょっと前に読んだ「人類の星の時間」もメチャクチャ面白かったのだが、上下の二冊あるこちらもとんでもなく面白かった。訳者の力量はもちろん、元の文章も良いんだろうきっと。

 まずもってアントワネットという人間が魅力的。堅苦しいこと、深く考えることは嫌い、楽しい事だけして過ごしたい、今風にいえば超ポジティブでアクティブなリア充・ウェイ系女子が、数々の苦難に遭い人間的に成長していくさまが感動的でもあり、哀しくもある。お輿入れ時点で既に革命前夜だったフランス、旧態依然とした宮廷生活から飛び出し、何かに追い立てられるように夜な夜なパリで遊びまわっていたアントワネットは、まさにその時代を体現する存在だったんじゃなかろうか。

 そしてその夫たるルイ16世。最初から最後まで気の毒なくらいボロカスな評価で、漫画ベルばらでは相当いい感じに描かれていたことがよくわかる。ツヴァイクによると王の愚鈍さ、無神経さ、無感動さは男性機能の不全が大きな原因ということだが、これはどうなんだろう。逆じゃないのかな。もともと男のプライドとか沽券とか気にするようなタイプじゃなくて、手術はリスクもあるしできればしたくない、そのうちそのうち…と先延ばししただけのような気がする。性格からしてまったく専制君主向きじゃなく、そのあまりの優柔不断さが命取りになったのは確かだろうが、王だけが悪いわけじゃないと思う。お坊ちゃま育ちで世間知らずという点においては周囲の人間も、あのフェルゼンすらも同じである。(ヴァレンヌ逃亡のくだりは全員のあまりの甘さ・呑気さ・無能っぷりに超イライラした)それでなくとも世界中の誰も体験したことのない「革命」下の国で、いったい誰が迅速に最適解を得られるだろうか(というようなことは当のツヴァイクも作中で述べている)。

 さてこの本で一番の目玉は、「革命」の原動力となった「情報」の記述。事実改ざん、捏造、あることないこと盛りに盛って、売らんかなの下種な思惑から大量にばらまかれた「流言飛語」そのものの記事や冊子。民衆の不満や怒りのすべては対象者へと向かう。その憎悪に燃えた意思の塊は寄り集まって肥大し、扇動者の予想をはるかに超えて荒れ狂う。あの「首飾り事件」、バカげた詐欺が成り立つ素地はアントワネット若かりし頃に流れた根も葉もない噂から始まっていた―ーーつまりこういう与太話は出たらすぐ叩き潰した上に定期的に客観的事実を周知しないと、思わぬタイミングで思わぬ影響が出てしまうのだ。そういった、今のSNS空間でも通じる教訓を此処で見るとは思わなかった。

 流言飛語により戦いを有利にもっていく手口は古代よりあるが、大量の民衆を扇動して一国の王政を倒し王と王妃を処刑するまでに至った「成功例」は初めてだったんじゃなかろうか。その後の世界の色々な悲劇を起こした人間がしっかり参考にしている気がして暗澹とする。というか今でもネット上でよく見る光景。

 今のフランスは共和制、王が立つことはもう未来永劫ないだろう。何か不満が溜まるたびにテロや暴動の起こる国、あの革命が果たして本当に「成功例」だったのかどうか、私にはよくわからない。



「くちぬい」坂東眞砂子(2011)

 最近話題になっていた高知が舞台、しかも移住者と地元民がいさかう話である。さらにさらに、この本が出たのは2011年9月。震災直後から書き始めたとしか思えないタイミングで、「原発事故で放出された放射性物質の汚染を忌避して移住を承諾した妻」像がやたらにリアル。都会育ちでそこそこ教養もあり仕事もできる女性が、かくも非科学的な思い込みに囚われて田舎に逃げる、事故が大方落ち着いてからもよく聞いた話だが、高知出身の坂東さんはかなり早い時期にピキーンと来たんじゃなかろうか。

 何故そう思うかというと、この妻が途轍もなく嫌な女だからだ。陶芸がやりたくて移住を望んだ夫に首尾よく乗っかったという設定からしてまず悪印象である。物語の進行とともに募るばかりの嫌悪感。地方出身者がこの手の移住者に怒りを覚えるポイント、女が女に感じる嫌ったらしさ、福島からはるか離れた場所で不安にかられ遠方に逃げた人々に当時抱いたモヤモヤ、全部凝縮されてこの妻の中にある。田舎の奇妙な因習や隠し通された秘密のおぞましさといい勝負である。

 この嫌な女をどう料理してやろうか?

 そんな作者の呟きが聞こえるような、そこはかとない怒りに覆われたうすら寒い物語だった。

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