12月に観た映画 その二
タイトルそのままの、身も心も凍るような寒さ。暖かい家の中で観ているのに本当に寒かった。「ガラスの仮面」の「二人の王女」で、姫川亜弓扮するオリゲルドが観客に感じさせた寒さ、を思い出した(ふざけていない。大真面目)。
寒さ=貧しさ、であるのだろうなあと実感。
ここでも強いのは例によって母である。単純に母親、というよりは「母性」というべきか。男でも女でも、守るべきものを持つ者は強い。
冒頭、シミと皺だらけの疲れた中年女の顔がアップで映される。その張りのない肌の上を、つーっと涙がこぼれ落ちる。思わずノリPの例の会見を思い出してしまったが、あれとは比べ物にならない女優魂だ。身支度をきちんと整え折り目正しく「お詫び」をしたノリPより、フィクションであるこちらの方がストレートかつ峻烈に、苦悩・悔恨・深い疲労感を伝えている不思議。主演女優がアカデミー賞にノミネートされたのも納得いく。この冒頭だけで、主人公がどういう状況にあるのか感覚的にはっきり理解できるのだ。
蟻地獄のような貧困の実態と、犯罪に走る心理を克明に描いてはいるが、決して「社会派」といわれるような映画ではないところがまた好ましい。「絶対悪」のような存在はなく、ただ個々の欲や願望や、下手すると向上心、自立心、家族への愛情、もろもろの感情や思惑が絡んで、悪い方に向かってしまうやるせなさ。淡々と描いているゆえによく響いてくる。子どもがまた揃いもそろって可愛くていい子で、こんな子たちを守るためならそれは鬼にも蛇にもなるよなあと思ってしまう。
先行きは不透明で、相変わらず寒いが、ラストはハッピーな予感に満ちている。冒頭で独り泣いていた主人公は、同志を得たから。
結局のところ、アメリカは極端な個人主義に疲れているのだろうなあ、と思う。
本来、罪のない人間が、善悪を背負い、罪と罰のカルマを創造するのは、忘れた事を思い出す遥かな旅の、神の仕組みだろうか。
返信削除正しいと云うのは、ただ数えることでなかったか。それは、一元的な無限の、内なる喜びであったはずだ。
この二元の世界では、偏りが生ずる。波の、光の、力の発生である。
それは且つ、愛の表現を具現したのだ。
罪、悪は、幻だとしても、それなしには慈しむ夢が発生しないこと、それが愛である。
存在とは、限りなく夢であり、果てしなく永遠の響きである。
男は力であるが、女という存在自体がなければ、理由(愛)を発揮できない。
女は存在であるが、男という力がなければ、意味(喜び)が発生しない。
三十年後の告白は、ただ私という男のエゴの格好良さに、自分を紛らわせたように感じている。本当に格好良さを、求めれば墓場まで持って行くべきだと。
愛していて、愛している事を、向こうが知れば、それこそ向こうのしたことの振り返りがあるだろうから。
懺悔。
預言者様
返信削除あら、懺悔だなんて。
常に静かで波立たない人生が良いかというと、そうでもないわけで。人間は勝手な生き物ですから。
格好をつけたつもりがその逆の結果になったからといって
意味がない、ということはないですよね。
むしろ行動に出た預言者様は素晴らしい「男」だと思いますよ♪
今日から新学期です、私もいろいろと行動しなきゃですわ♪
真実はひとつでない。この事を体験するために、そして宇宙の豊穣な無限の喜びにアクセスするには、自分の本来持っているムーブするエネルギーに乗りながら、今という永遠を感じることかもしれません。
返信削除信じられないことに、永遠も真実も常に変化する。そう、変化することが、永遠であって、真実だ。数学者が、無限を扱って気が振れるのと同様に、大いなる一つという無限、乃而は神の在り様を尋ねるのと等しい。
出来るのは、ただ自分の素直なダイレクトな面持ちを表現することかもしれません。
預言者様
返信削除新記事をアップしたらすれ違いー。
完全なる静止はない・・・と太極拳おっしょさんにも教えられておりますので、つまりは変わらないものはないのですよね。常に変化していることが永遠であることの証拠のような。
本当に、
>ただ自分の素直なダイレクトな面持ちを表現
することが大事ですね。変わっていく前の一瞬を捉えるというか。