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日テレ・小学館 考察詳細(私見)

2024年6月13日  2024年6月18日 

  日テレの、原作をドラマ化するにあたっての意見:

尺、撮影、実写化するにあたり必要なこと、スポンサーの意向、1話ごとの盛り上げ等のため脚本でアレンジは必ず発生する」

 至極もっともな話であり、原作者もそこは承知していた。が、小学館側が日テレ側に修正依頼した内容の事例をみるかぎり

「ドラマ化にあたって必要不可欠な改変」

 とは到底思えなかった。極端な事例だけ出ているのかもしれないが「なぜそう変えたか」が素人目からも意味不明。

 ちなみに日テレの報告書で、当初原作者に「キャラクター表」を要求したものの作っていないと言われた、とあったがその後どうしたのかは記載がない。自分たちで作ったりはしなかったんだろうか。原作者の「この漫画はキャラクター漫画だ」との発言も、脚本家には伝わっていないという。「キャラクター漫画」なのに、十分なキャラ理解が出来ていない状態でセリフやエピソード順を変えたりすれば、それは齟齬が出て当然なんじゃないか?

制作サイドは各人が本件原作を読み込んで本打ちで議論する等して把握しようとしていたが、 原作者の意見と完全に合致することは難しかった」

と日テレ報告書にある)

 それでも8月までは、小学館側の緻密なチェックと、なぜこの修正をするかの丁寧な説明(まず以て原作者の能力が極めて高い)によりかろうじて何とかなっていた感じ。

 ところが9月に入り、小学館側が修正漏れについて日テレ側に問い合わせると、今回の修正はのめない、さらに「ここだけの話」として、脚本家がつらくなって原作者の指摘を直接読めなくなっている、原作者には伝えないようにと話した。

→個人的には、ここが一つの大きな節目だと考える。お互いビジネスとして理詰めのやり取りをしていた中で、日テレ側が急に目的不明瞭のエモーショナルな要素をぶっこんできた。これ以上の修正要請は勘弁してなのか、もう少しお手柔らかにというくらいのニュアンスなのか、いずれにせよ担当者一人だけに言ったところで何も解決しないだろう。なので、

 小学館側は「こんな重要なことを黙っているわけにいかない」と原作者に話し、その旨Pにも伝えた。(例によって脚本家には知らされなかった)。

→こうなった。当然の流れだ。

 脚本家は、本当のところPに対して何を要求したんだろう?ただの愚痴だったのか・具体的な対応を求めての発言なのか・それは小学館側に伝えることも含めてなのか、調査書だけではわからない。何にせよ言われた小学館側からしたら今後の対応を考え直さないといけない一大事だ。以下は私の妄想:(しつこく言い過ぎたか?申し訳ない)(だけどつらいって……仕事だよ?つらくない仕事なんてないわ。つかこっちだってつらいわ何回も同じこと言わされてさ。別に意地悪してるわけではなく、よりよいドラマを作るため必要と考えて、時間と手間をかけ言葉を選んでやり取りしているのになんなん?まず社会人としてどうなの?)妄想終わり:まあ普通に印象よくないですよね。それでこれ↓

「日テレP:折に触れプロットや脚本は脚本家だけの意見ではないことを繰り返し説明していたにもかかわらず、本メールの文章から原作者が脚本家に怒っていると感じた」

→自分自身が要らんことを漏らしたからこうなった、という自覚と反省が一ミリもないのに驚くし怖い。「脚本家がつらくなって」なんて名指しで言ったんだもの、そりゃそうなるよ。でも「原作者に言わないで」って言ったのに伝えちゃった編集者が悪いって思っているんだろうなきっと。

 そして起きた「第二話」の尺足りない事件しかも追加分やりとりした後にまた不足が発覚して更に追加。

→素人なのでわからんけど、コレってドラマ制作にはよくあることなの?両社ともにサラっと触れてるだけなんだけど(日テレの信頼を失った原因、のところに記載なし)。結果として原作者がほぼ全部ガッツリ書き直しってことになってるのに……で日テレPこれ↓

「小学館Cから原作者が考えた2話の追加脚本がメールにて送られてきたが、当初の追加脚本で本件原作者から一度OKがされた箇所も修正されていた。Aとしては、原作者が一度OKしたものを修正するのはルール違反であると思った」。

→えーとどこから突っ込めばいいのか。ミスは誰にでもあるし、ミスしたこと自体を殊更に責めるべきではないけど、立て続けにやらかした側のセリフじゃないでしょう(実際口に出してはいないにしても)。しかもここに至ってもコレ↓

同日の小学館Cとのやりとりについては、脚本家以外のコアメンバーにはそのまま伝え、脚本家には温度感のみ伝えた」。

→なんやねん温度感て……さらに小学館側の

「原作者が書き下ろした8-10話は基本的に変更なしで使用してほしいという話は脚本家に伝わってるか?Pの上司にも電話したがその件は伝わってるか?」

との問い合わせ無視。

 そしてこれ、未撮影シーンを撮影済と虚偽報告

 この嘘のきっかけになったダンス絡みの話も、原作者からの小学館を通した問合せに対し「専門家に確認したらOKだった」と答えているが、後日原作者の見解の方が合っていることがわかった。つまり確認自体していない可能性が高い。日テレ側報告書には

「(Pは)当該撮影シーンは客観的にも問題ないものだと思っていたこと、及び当該シーンの撮影のために2か月にわたってキャスト・スタッフが入念に準備を重ねていたため、撮影変更はキャストを含め撮影現場に多大な迷惑をかけるので避けたいと思って」

いたとあるので、端的に言えば「これ以上の修正も確認もしたくなかった」ということだろうか。撮り直しを「多大な迷惑」と見なしているところが興味深い。要するに小学館側の修正要請の是非が問題ではなく、修正要請それ自体がPにとっては「迷惑」という認識なのだ。何のことはない、脚本家だけじゃなくPも「つらくなった」状態なのではないか。

 ここまでくると、個人的にはよくぞ制作を続けられたな……と思う。脚本家どころかPはじめ主要スタッフ丸っと交替せえ!とならなかったのが不思議。ただ小学館、この後P抜きでその上の立場の人に訴えたりはしてる。つまり小学館側としては、このPに何を言っても話が通らないと判断していた。それでもPではなく脚本家の交代を要請したのは、今までの意味不明な改変の本丸がそこにある、と考えていた?

 そもそも何故Pはそこまで脚本家に何も言わなかったんだろう?単に面倒だったのか、実は脚本家の方がずっと立場が強くて言えなかったのか、それとも……全部伝えていたが脚本家自身が受け入れなかった→調査にあたって「脚本家は一切知らなかったということにした」のか。

「(Pは脚本家に)制作サイドで作成した脚本は認められないこと、自分も大変憤っているがこれをのまないと放送できない旨を伝えた。脚本家にとっては青天霹靂のことであり驚愕したが、これを受け入れないと本編放送及び二次利用についてもすべて差し止めると小学館から言われているので受け入れてほしいと懇願され、やむを得ず9,10話の脚本を降りる旨告げた」。

→「自分も大変憤っている」とあるけど、脚本家をなだめるためこう言ったのだとしてもなんだかオカシイ。「小学館がすべて差し止めると言ってきた」ことは自分にとっても「青天の霹靂」なんだ、とも聞こえる。そもそもこんな事態に陥ったのはひとえにP自身の不手際によるところ大きいのに、何故かPの責任について言及している箇所は他にも見当たらない。

(20240618追加)

 経緯にも追加したが、何故これを入れ忘れたのか自分でもわからないほど酷い。

 日テレの方は「その他のトラブル」として別項目に分けてあり、小学館も殊更に詳細を記述してはいなかったが、個人的にはかなり問題だと思う。

1)10/17 小学館側が海外配信拒絶(9,10話の脚本が未完成だったため二次利用の許可が出来ないとの理由)

2)11/22 Tver配信「第5話」にて曲の一部が差し替えられセリフが合わなくなっていることに原作者が気づき、日テレ側に問い合わせたところ、配信向けに楽曲の許諾が出来ていなかったとの回答。

3)12/4 Hulu配信のドラマクレジットに原作者の名前が一切載っていなかった。日テレ側は急ぎ修正、小学館側に謝罪メールを送った。

4)12/15 サントラが回収、発売中止となった(ジャケットに原作者名のクレジットなし)

1)はともかくとして(それも日テレ側のせいだけど)あとは全部上司交えての平謝り案件ではないの?特に2)は酷い。書いてないけど勿論謝罪はしたのよね?許諾出来ていないは回答じゃないぞ。連絡もせず勝手に変えたことの理由は?

3)4)に至ってはもはや故意ではないかと疑うレベル(ずっと前から用意してるだろうからそれはないかもだけど、純然たるミスならそれはそれで迂闊にも程がある)。日テレ側の方は「両者が微妙な関係になっていた」時期だとあったけど、そもそもこの意識の低さこそがトラブルを起こす要因のひとつになったんじゃないのかね。

(20240618追加終わり)


 で、クレジット表記をめぐるトラブル。

 原作者が書いた脚本を元に制作した9、10話のクレジット表記をどうするかでもめた。個人的には、結局のところ第9話と10話の脚本は原作者のものが使われたのだから、その二つに関しては脚本家のクレジット表記が成されなくても仕方ないのではと思う。「何も知らされないまま突然降板」となり、憤懣やるかたない気持ちは理解できなくもないが、「9、10話について自分のアイディアも入ってるから放送・配信の差し止めを法的に要求する」は後で取り下げたとはいえ明らかに言い過ぎ。この辺のやり取りは文字だけでも全く穏やかではなく、きわめて感情的で、脅すような物言いが気になった。噛み合うわけがない、あくまで事実に即して表記せよという小学館側に対し、此方は私の気持ちが収まるような表記をせよ、なんだから。

 そしてここでまた日テレはやらかす。第9・10話の脚本(製本されたもの)を小学館側に届けなかった。撮影現場には撮影稿だけが配布されており、不審に思った小学館側が問い合わせてようやく「クレジット問題がクリアしていないので印刷できないし配布もしていない」と回答。

→9、10話の差し止めを法的に要求する、なんて聞いたからなのかな。それにしても予め連絡しておかないのは心象悪いね。(20240618追加分)を鑑みると更に味わい深い。

 素人の私には、脚本家がなぜそこまでクレジットに拘るのかわからなかった。脚本家が途中降板されることはままあることだろうけど、降板以降の回は普通入れないでしょ。報酬と関わるのかなとも思ったが不明。

 そしてSNS投稿。

 個人的にはコレが一番罪が重いと思っている。後進の脚本家のために戦う旨の発言もしていたようだが、

・SNS上にて誰もが観られる状態で公開

したことは紛れもない悪手だった。仕事上の不満をネットに晒すような行為は一般的に正当とはいえないし、法的措置を考えていたなら尚更外に向けての発言は慎重になるはず。本気で訴訟する気があったのだろうか?内容にしても薄すぎて事情を知らないものには何とも判断できない「匂わせ」で、つまりは関係者(特に原作者)への意趣返しにすぎず、業界を良くするための問題提起とはとても思えない。この投稿により「小学館が日テレに対し『会社として二次利用を含め作品展開に関して、状況を動かすことが難しくなったと連絡』」する事態にまでなっていたというのに、更に二回目の投稿まで行った。結果がどうなったかは書くまでもない。ドラマはおそらくもう二度と放映できないだろうし、配信も二次利用も消えた。後進の脚本家のためになるどころか、脚本家という仕事へのイメージが少なからず毀損された。

 それに対し原作者。一回目の投稿後は「ドラマが台無しにならないように」と沈黙を守り、二回目の投稿以降は原稿がかけなくなるほどのストレスを受けた。小学館内で相談し熟慮の末出したアンサー記事は、あまりにも先の投稿とは違っていた。理路整然とした端正な文章、そこに込められた思いも、言語化し伝える能力も、何もかも違う。それはもう、当該ドラマも漫画も未見の私からしても一目瞭然の「差」。ここまで書いてきてやはり冒頭に戻る。その「差」こそがこの件を引き起こした遠因だろう。

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