「同志少女よ、敵を撃て」「戦争は女の顔をしていない」
消化するごとにまた新たに増える積読。

「同志少女よ、敵を撃て」逢坂冬馬(2021)
第11回アガサ・クリスティー賞を受賞してデビュー(2021)。翌年本屋大賞、第9回高校生直木賞を受賞。第166回直木賞候補。第二次大戦下のソ連で、ドイツ軍に襲撃された村の生き残りの少女が、訓練を受け狙撃兵となり仲間と共に戦線に出る、という話。
のっけから非常にテンポよく読みやすい文章ですっかり引き込まれた。第二次大戦に百万単位の女性兵士が参戦していた、というのも初めて知った。とにかく登場人物一人一人のキャラが立っていて、いずれ劣らぬ魅力がある。物語としての構成もしっかりしているし何より周囲の状況がわかりやすい。遠くの的の狙い方も勉強になった(自分には絶対無理、とは思ったが)。コミカライズされたのもわかる、どのシーンも映像がスっと浮かぶ。最後までハイスピードを保ち、一切ダレることなく突っ走った感じ。面白かった。
この本が出てから間もなくロシアがウクライナに侵攻、戦争が始まった(2022年2月)。文庫版にはその時の作者の思いがあとがきに書かれている。一部抜粋する。
①「戦争と殺戮が世を覆うとき、文化がしてはならないことは、それらの主体と見なされる、民族、国籍、人種等のアイデンティティ、およびそれらに属する人間を描くことではなく、描くことを拒絶することなのだと」
②「どのような時代も、いかなる民族、国籍、人種も、その全体を憎悪してはならず、戦争行為と悪行の責任が、それら全体に還元され、懲罰の対象と捉えられることがあってはならず、同様に、いかなるアイデンティティも共感の対象から排除されてはなりません。それは虐殺を防ぐ論理ではなく、あらたなる虐殺を誘発する論理であるからです」
①は丸っとその通りだと思う。描く側のみならず、それを読む側観る側も勿論そうだ。ただ②はちょっと引っかかった。前半はいいのだ、問題は後半。「共感の対象から排除されてはなりません」共感、は別にしなくていいのでは?内面を問題にするのは難しいと思うのよ。到底共感できなくても法と秩序を以て対応、むやみに排除しない、でよいのではなかろうか。
以前読んだ「暴力の人類史」(スティーブン・ピンカー)によれば、
共感には暗黒面がある。第一に、公平性と衝突したときに、福祉を転覆させる可能性がある。
・・・
近代性を備えた制度とは、共感の絆に縛られない抽象的な信任義務を遂行できてこそのものなのだ。
共感のもう一つの問題点は、人々の利益をあまねく考えるための力とするには、これがあまりにも偏狭なことである。
汝の隣人と敵を殺すな、たとえ彼らを愛していなくとも。
究極の目標は、政治と規範が第二の天性となって、共感が不要なものになることと考えるべきだろう。愛と同じく、実際には決して「共感こそがすべて」ではない。
ただ物語の中においては、様々な立場からのものの見方や諸問題をかなりバランスよく描いていたと思う。「いかなるアイデンティティもすべて共感の対象にすべし」ということであれば、共感する・しないではなくむやみに拒絶すんなって話なのかもしれない。まあ私が引っかかったのはこっちを読んだせいもあって↓
「戦争は女の顔をしていない」スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ(1985初版、日本語版は2006年群像社、2016年岩波新書←今回読んだのはこれ)
ウクライナ生まれ・ベラルーシの作家のデビュー作(出版年が奇しくも逢坂冬馬さんの誕生年と同じ!)。2015年にノーベル文学賞を受賞。
このタイトル、実をいうと数年前本屋で平積みになってるのを見かけた時には何となく抵抗を感じて、手に取る気になれなかった。まーた女の視点とかナントカの類?もういいよそういうの。男女どっちにとっても大変なことだしワザワザ分ける必要ある?なんてことを思ってた。まあ無知のアホだったわけです。そういう本じゃなかった全然。
そもそも当時のソ連から百万を超える女性が「自ら志願して」参戦してたこと、戦後彼女たちが英雄として称えられるどころか兵士だったことを隠さないと働き先や嫁の行き先にも困る、ふしだらな女と決めつけられ差別され村八分にされる、などという憂き目に遭っていたことなど、知らないことばかりだった。「勝利」の喜びはほんの一瞬、戦後は口を塞がれ、戦場における女性の存在は無かったことにされてしまった。なるほど、このタイトルは
「第二次大戦下で勝利したあの戦争は男だけのものとして語られ、女の声は全く取り上げられていない」
という意味だった。7年間で500人以上の証言……すごい仕事だ。著者の言葉が殆どないのもいい。内心はどうかわからないが、少なくとも形式としてはジャッジも過剰な思い入れも見当たらない。
長年語ることができなかったこともあり、個々の話す能力や事情もそれぞれなので、記憶の齟齬もあるだろうし必ずしも「全て」を語り尽くしているわけでもないだろう。そこを割り引いたとしても、ひとつひとつの話があまりにも「ドラマチック」なことに驚く。文庫本で一ページにも満たないほんの短い話であっても。
「同志少女」の参考文献にはもちろん挙げられている。たった一つのエピソードからも無限の物語が紡ぎだせそうなこの本から「読者の共感を呼べるか呼べないかギリギリのところを狙って」ピックアップし組み立てていった、というところだろうか。実際高校生をはじめ若者の支持を集めてるし、試みは成功してる。
多分だけど、令和の世に出す本として最も削ったところは当時の
「女性らしさ」
という価値観ではないだろうか。戦場でも身だしなみを気にしたり、暇があれば縫物をしたり花を飾ったり、「何か女らしいことをしたかったのよ」という言葉は「同志少女」には出てこない。そして男性の
「女性は守ってやらねばならない」「女性を前に出して戦うのは恥」
という価値観も。此方は僅かながらあったかな……戦場において、総じて男性が女性に対して優しいのにはちょっと驚いた。裏を返せば「戦利品」として蹂躙する存在にもなるんだけれども。ポリコレに配慮とかそういうことではなく、こういう要素を入れちゃうと令和の「リアル」ではなくなっちゃうのかもしれない。今そこで起こっているような現実感、が薄れるのかも。と考えると難しいな歴史ものって。
読みやすいけどヘビーな一冊だった。今まさに戦争やってる国でこそ読まれるべき本だと思うのに、何とも歯がゆいことよ。

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