「ルックバック」
子に誘われて。子と一緒に行った映画では今のところハズレなし。まあこちらは原作漫画も読んでいたしクオリティは初めから保証されていたも同然だったが、言われなきゃ映画館まで観に行ったかどうかわからない。結論からいうと映画館で観てよかった。
『#ルックバック』の公開を記念致しまして、
— ルックバック【劇場アニメ公式】2024年6月28日(金)全国公開 (@lookback_anime) July 5, 2024
7月13日(土)109シネマズ名古屋(愛知)及び
T・ジョイ梅田(大阪)にて、#押山清高 監督が登壇する舞台挨拶の開催が決定いたしました。
▼詳細はこちらhttps://t.co/4jpnD8hif1
皆様のご参加お待ちしております。
「ルックバック」押山清高(2024)
※今回は思いっきりネタバレありなので、原作漫画を読むか映画を観てからどぞ!
主人公藤野はほぼ原作者そのままなんだろうなと思いつつ観てた。
「私より絵が上手いやつがいるなんて許せない!!!」
結構きわどいセリフだ。その「自分より絵の上手い子」に対し何らかの害を与えるつもりなのかとも思われかねない。
けれど(当然のことながら!)藤野の行動はそうはならない。
その瞬間から、勉強も遊びも全部ほっぽらかし、お小遣いも絵の描き方本やスケッチブック他画材につぎ込み、昼夜を問わず描いて描いて描きまくる。リソース全てを「絵をうまく描く」ことに全振り。
普通なら「そりゃ世界は広いんだし自分より上手いヤツなんか沢山いるだろ」でさしてショックも受けなければ、ここまで必死にはならない。努力が出来ることも天才の条件の一つだというけど、まさにここでガムシャラに突っ走ることができるかどうかが常人との大きな違いなんだろうなと思う。とはいえそれでも敵わなくて一度は筆を折る。ところがその「自分より上手いヤツ」京本の言葉により、再び漫画を描き始める。そして京本を外に引っ張り出す。
そこからは明るく希望に満ちた展開で、その先に何が起こるか知っている者にはかえってキツかった。「火垂るの墓」冒頭の幸せ家族場面と同じように、もう二度とない輝きが眩しすぎて胸が痛い。
作者がこの作品を書いた動機は明らかで、あの「京アニ事件」への激しい怒りだ。全編、犯人(もしかしたら予備軍も)への激烈なメッセージにもなっている。自分のスキル不足・努力不足を他人のせいにするな!下手なのも成功できないのも全部自分が原因。出来ない?羨ましい?ズルイ?何言ってるんだお前。そうじゃないだろ。つべこべいわず
出 来 る ま で や れ
と。
お前が手にかけたのはこういう奴だ。色んな困難にぶつかっても、諦めずただ描き続けた奴だ。
と。
OASISの「Don’t Look Back」は、
Don't look back in anger
怒りに変えちゃいけない
At least not today
せめて今日だけは
と歌っている。「Don't」を取り去ったタイトルにどういう思いが込められているのか、これだけでも窺い知れる。これほどまでのやり場のない憤りと悲しみを、ひとつの物語として描き上げた作者の才能、クリエイターとしての矜持のつよさには感嘆するしかない。
藤野と京本、ただ二人の物語である。家族や周囲の人々は殆ど出てこない。が、子は「京本の親」の存在を強く感じたという。小学校から不登校だった娘をどれほど心配していたか、やっと部屋を出て友達も出来、自分の意思で大学に通うまでになった娘の姿をどれほど喜んでいたか、藤野にどれほど感謝していたか、なのに理不尽極まりない凶行によりその人生が断たれてしまった。描かれない親の思いが迫ってきて辛かったと。
事件を伝えるニュースの直後、藤野は京本に電話をする。履歴からではなく住所録から探す仕草で、最近は連絡を取っていなかったことがわかる。出ない。それから程なく、藤野の母からの着信、最悪の知らせがもたらされる。京本の親も藤野の親も、真っ先に藤野に伝えるべきという判断をした。これまでの二人を、その関係をずっと見守っていたということだ。
ここからの展開がまた圧巻。詳細はあえて言わないが、藤野がまたひたすら描いて描いて描きまくる姿で終わる。
すごいな、本当にすごい。あの事件から受けたショック、荒々しく渦巻いた感情のすべてをよくぞここまで表現しきった。奇しくも観た日が安倍元総理暗殺の数日前。何らかの因縁を感じずにはいられない。
余談だが、Twitter(x)他で見かけた「京本の部屋に貼ってあるポスター」、そのひとつに、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」がある。此方の映画はバイオレンスバリバリとはいえ、根底に流れるものは同じだと思う。本当に細かいところまで拘って作ってる。まだまだ見落としてるものがたくさんあるんだろうな。

コメント
コメントを投稿