「中世日本の内と外」「耳鼻削ぎの日本史」
積読、着々と消化中。
※1997年に出版された同タイトルの本の文庫化
呉座さんの、大学での指導教員だったという村井章介さんの本。ご専門は「東アジア海域の文化交流史」だという。講義を元にしているので非常に読みやすい、とのことなので読んでみた(「日本中世への招待」より)。
確かに読みやすかったが例によって中身が濃いい。講義で聴いていたらノートがえらいことになっただろう。特に「倭人」について自分がまったくといっていいほど理解していなかったことに気づいた。単なる大陸側からみた日本人の呼称、では全然ない。日本語を解する、なんか日本周辺から来た人、くらいでも「倭人」。海を自在に移動しつつ独自に活動する集団は複数いて、どの国にもまつろわず管理されずの狭間の人=「マージナル・マン」。何だか響きはカッコいいが、いつ何をやらかすか、敵なのか味方なのかわからない、一定の知識と技術も持った集団は権力者からすれば不気味だし邪魔な存在でもあったろう。一般民にとっても正体不明のならず者という認識に近いかも。「倭寇」がどういうものだったかも少しわかった気がする。
「元寇」にしても、大国が支配下の国の軍隊を使って周辺地域を攻略に向かわせる、まんま現在にも通じる図式。補給路が長すぎることと外人部隊の士気の低さがネックとなることも今と変わらない。やはり自国から遠く離れたところを攻めるのは難しいのだ。地続きだった高麗の惨状をみると、日本は間に海があってよかったとつくづく思う。
古代から海路を通じて活発に行き来していた日本と大陸、交易に使われていた対馬や半島の港などが多国籍というか無国籍というか、ある意味どの国なのか「曖昧」なエリアだったという見方が面白かった。この間読んだ「硫黄島」もそういった地域のひとつだったんだな。あちらはアジアだけでなくハワイやヨーロッパからも人が来ていたようだから、日本が自国の領土だと宣言していなければその国々のどこかが確保しただろう。あの時代にあの場所でそのまま、ということは考えにくい。色んな揉め事や海賊行為も発生したりして治安に問題があったようだし。
何者でもない・まつろわない自由は引き換えにしなければいけないものが多すぎる。現代の国家が百パーセント良いとは言えないが、概ね悪い方向ではない、と思った。
と、ここまで「一揆」から呉座さんお勧めの歴史本が続いているわけだが、こちらは中でも群を抜いた読みやすさで一気に読了。結構なベストセラーになっていたのも頷ける。最初から最後まで「耳鼻削ぎ」の話しかしていないにも関わらずまったく以てダレず飽きず、最後まで興味深く読ませていただきました。なんだか小説を読み終わったような気分です。高野秀行氏の解説も超面白い!
あまりにも面白いので紹介するのも勿体ないが、唯一この「耳鼻削ぎ」という慣習を国外で大規模にやらかしてしまった豊臣秀吉のエピソードにはうん、やっぱりか!と一人納得してしまった。やっぱり秀吉はあまり先々を綿密に考えるような人じゃない。戦国時代ただなかの当時の日本人にすら「無いわ」と思われた戦争の上に、これでかなりの遺恨を残してしまったし、何がしたかったん……と明智光秀に抱いたような思いがここでも。偉くなって怒られることがなくなると、誰しもこうなってしまうんだろうか。
それはそれとして「耳鼻削ぎ」という聞くだけで痛そうなエグイ所業が、ゲシュタルト崩壊を起こしそうなほどこれでもかと繰り出されるのに超絶面白いという、稀有な本である。

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