手習 一
浮舟が姿を消した三月下旬―――。
いったいどういったお導きであったことか。今思い出してみましても、まるで春の夜の夢か幻―――齢五十も過ぎてまいりますと、不思議な巡り合わせのひとつやふたつ経験するものでございますが、これほどの凄まじい、恐ろし気な出来事はそうそうありますまい。
申し遅れました。わたくし、世を捨てて比叡坂本の小野に庵を結び、八十過ぎの母尼と住まう者にございます。小野の尼、とでもお呼びくださいませ。比叡山三塔のひとつである横川には兄がおります。尊い僧都として評判も高いようで、まことに心強く有り難いことにございます。
この春、わたくしたち母子は古き願を果たすべく大和国の初瀬寺詣でを思い立ちました。何分母もわたくしも年寄りですので、心配した兄が付き添いを寄越してくれました。兄の信頼篤い弟子の阿闍梨です。お蔭様で無事お寺に到着し、仏像や経典の供養など存分に仏事を勤めることができました。
ところが帰途、奈良坂という山を越えた辺りで母が急に調子を崩したのです。到底京まで辿り着けないと申しますもので、急遽宇治近辺の知人の家を頼り丸一日休養したのですが、ますます悪くなるばかり。やむなく横川の兄僧都に知らせました。
今年いっぱい山籠りするつもりでいた兄ですが、老い先短い母が旅先で亡くなりでもしたら……と考えたのでしょう、急ぎ駆けつけてくれました。
老母はもう惜しむほどの年齢でもございませんが、兄は弟子の中でも特に効験のある僧を連れ、皆で加持祈祷の限りを尽くしました。
ただ、その家の主はあまりいい顔をしませんでした。
「どうしてこの院の中に死人を投げ込んだりしましょうか。たとえ本当に人であったとしても、狐や木霊のような物の怪にたぶらかされて連れて来られたのでしょう。何にせよ不都合なことですな。元よりそういった穢れのある場所なのかもしれません」
弟子の一人がそう言って、先ほどの留守居のお爺さんを大声で呼ばわりました。まず山彦が答えましたのは、さすがに背筋が寒くなるようなことでございました。
お爺さんは慌てたのか、烏帽子を額の上に押し上げるような体で出て来ました。
「此方には若い女など住んでおられるか?これ、このようなことが……」
と指さしますと、
「ははあ……狐の仕業でしょうな。この木の根元では時々おかしなことが起こります。一昨年の秋も、この辺りの里人の二歳の子を攫って、ここに打ち棄ててございました。誰も特に驚きもしませんでしたよ」
「何と。その子供は死んでしまったのか?」
「いいえ、生きておりますとも。狐は人を驚かすだけで、大それたことは出来やしません」
お爺さんは事もなげにそう言いました。それよりも彼方で用意している食事の方に気を取られている様子です。僧都は、
「ではそういった妖かしの仕業かもしれないな。さあ、もっとよく見てみよ」
と、先ほどの物怖じしない下臈僧に申しつけました。この僧が、
「鬼か神か、はたまた狐か木霊か?此方、天下一の験者であらせられる僧都の御前では隠れようもないぞ。名を名のりなさい!名を!」
と衣を手で引っ張ると、女は顔を袖に引入れてますます泣きます。
「こら、なんという聞き分けの無い木霊の鬼だ。正体を現せというのに」
顔を見ようとしますが、この僧も
(昔話に聞く、目も鼻もない女鬼だったら)
と恐ろしくもあったのです。ただ頼もしく威勢の良いところを見せつけたいとむきになって、衣を引っ張って脱がせようとしました。そんな狼藉には全力で抵抗するに決まっています……突っ伏して泣き声を上げるばかりでした。
「なんという……本物の女人のようだ」「こりゃ滅多にお目にかかるものではないな」
と誰もが口々に言い、何者かを見定めようとするうち、雨がぽつぽつと降り出しました。
「これは本降りになりそうですな。このまま放置すれば死んでしまうでしょう。垣根の下にでも引き出しましょうか」
一人が言うと僧都は、
「この者、まこと人間の姿そのままではないか。命が絶えるのをみすみす置き去るなど酷すぎる。池に泳ぐ魚、山で鳴く鹿であっても、人に捕らえられて死にかけているのを見過ごすのはあまりに無慈悲というものだろう。人の命は長くないが、残り一、二日でも惜しまない者はいない。鬼であれ神であれ取り憑かれて、誰かに追われ謀られて亡くなるというのは横死というものであり、仏が必ず救うべき人であろう。やはり試しに暫く薬湯を呑ませるなど出来るだけのことをしてやろうぞ。結局死んでしまったならそれはそれで仕方がない」
と言って、この僧に抱え上げさせて院内に運び入れました。弟子たちは、
「する必要もないことをなさる……ただでさえご病気の方がいらっしゃるところに、さらに良くないものを近づけるなんて。何か障りがきっと出てこよう」
と文句を言うもの、
「いや、何かが変化したものであっても、まるきり生きている人間のように見えるものを、こんな雨の中死なせてしまうのはやはり寝覚めが悪い」
などと同情するもの、様々でした。
下人たちに見つかりますときっと煩く騒ぎますし、大袈裟に物事を言い立てかねないので、あまり人の近づかない隅の方に寝かせたのです。
母尼とわたくしが宇治の院に到着しましたのは、ちょうどその頃でした。
車を寄せて下りる際に母がたいそう苦しがって、数人がかりでようやく院内に落ち着きました。食事もいただき人心地ついたところで、兄僧都が傍にいる弟子に訊きました。
「先ほどの人の様子はどうだ?」
「ぐったりとして物も言わず、息もしているのかどうか……何かに魂を抜かれているのかもしれません」
わたくしは驚いて、
「まあ、いったい何事ですの?」
と問い返しました。兄は、
「六十に余るこの年になって、実に珍しいものを見たんだよ」
と、先ほどの話を聞かせてくれたのです。わたくしは全部聞き終わらないうちから涙が出て止まらなくなり、
「長谷寺詣での時に、夢を見たんですの……どんな人なんでしょう?今すぐに見てみたい」
と兄にねだりました。
「ちょうどこの東側の遣戸あたりにいる。すぐにご覧になれるよ」
というので急いで行ってみると、誰も傍には付き添わないままただ寝かせてあります。たいそうお若く可愛らしい女のかたで、白い綾の衣ひと襲に紅の袴を身に着けておりました。しっかり焚き染めた香がかぐわしく薫り、この上なく上品な雰囲気をまとっています。
「これは、この方は……」
わたくしは我を忘れました。
「恋しい恋しいわたくしの……亡き娘が帰って来たようだわ」
涙で目を曇らせながら年輩の女房たちを呼び出し、自室にお移ししました。どういう事情か、どこで見つかったのかも知らない女房達は怖がりもせず抱き起して運んだのです。顔には血の気がありませんでしたが、それでも目をわずかに開けたので、
「何か仰って?貴女は誰?何故ここに?」
と話しかけましたが、何も分からない様子でした。薬湯を持って来させて手ずから飲ませたりしましたが、ただただ息も絶え絶えに弱っております。
「これはまた大変なことになったわね……死んでしまいそうだわ。加持をお願い」
と験者の阿闍梨に頼みました。
「言わんこっちゃない。そもそも関わるべきじゃなかったんですよ」
文句を言いつつも、悪神を退け善き神の加護を祈る経を読んでくれました。
僧都も顔を覗かせて、
「どうだ?何の仕業か、よく調伏して問うのだぞ」
と仰いましたが、ご本人は今にも消え入りそうです。周りにいる僧たちは
「これはもう無理でしょう。死穢に触れたとなれば、当分ここから出られなくなりますよ。面倒なことだ」
「そうは言っても、そこそこ高い身分の人のように見える。もし息絶えたとしても、普通の人のように捨て置くには忍びないよ」
などと言い合っておりますので、思わず窘めました。
「お静かに。むやみに人に聞かせてはなりません。厄介事が起こっては大変でしょう」
この時点で、正直老いた母よりもこの若い娘さんを回復させたいという気持ちが強く、すっかりつききりになりました。見ず知らずの人ですが容姿がこの上なくお美しいので、一目でも見た者は皆惜しんで熱心に看病したものです。そうこうしているうちに時々は目を見開くようになったものの、いつも涙を流していらっしゃいました。
「まあまあ、お辛いことね……わたくしの恋しい娘の代わりに、仏様が引き合わせてくださったと思っておりますのに。貴女がこのまま儚くなってしまわれればさらなる悲しみが加わるでしょう。何か宿縁があったからこそこうしてお会いできたのですよ。どうか何なりと仰ってくださいまし」
繰り返し話しかけましたら、やっとのことで言葉が出て来ました。
「生き返ったとしても……此の世には無用の者です。誰にも見られないように、夜この川に落してくださいませ」
苦しい息の下でこんなことを仰るのです。
「とうとうお話しくださった、やれ嬉しやと思いましたら、何ということを仰いますの。どうしてそんな……何故、あのような場所にいらしたのですか」
何を問うてももう返事はありません。
(身体のどこかに疵があるのでは)
見てみましたが、これといって難は無いどころか驚くほどお綺麗でした。
(やはり、人心を惑わせようと女の姿を借りて出て来た物の怪なのかしら)
と思わず疑ってしまうほどに。
そうして籠っておりましたのは二日ばかりだったでしょうか。
二人の病人のための加持祈祷の声は絶えることなく、周りの者たちもあれこれ心を騒がせ通しでした。
そんな折、以前兄僧都に仕えていたという里人たちがご挨拶にとやって来たのですが、
「故八の宮の娘御――薫右大将殿が通っておられた方ですが、特に病ということもなく突然お亡くなりになった、と大騒ぎのようです。そのご葬送の雑事を承りましたので、昨日は此方へ伺えませんでした」
こんなことを言いました。
(さてはそのお方の魂を鬼が攫って、此方に持ってきたのだろうか)
などと考えますと、見れば見る程此の世の人とも思えず、今にも消えてしまいそうに危うく、背筋が寒くなるばかりでした。女房の誰かが、
「そういえば昨日ここからも火が見えたわ。だけどそこまで大がかりな野辺送りとも思えなかったわね」
と言いますと下人はこう答えました。
「あえて簡略になさったようですよ。まったく盛大な葬儀ではありませんでしたね」
まだまだお喋りしたそうな下人でしたが、死穢に触れた者を中には入れられません。早々にお引き取りいただきました。
「大将殿が通っていらした故八の宮の娘御って、大君のこと?亡くなられてもう数年になるわよね」「誰のことを言ってるのかしら?」「今は姫宮がご正室でしょ?あの方を差し置いて、ゆめゆめ目移りなど……」
女房達のひそひそ話は暫く続きました。
母尼の病はついに完治をみました。方角の障りも解消しましたので、
「こんな禍々しいような場所にいつまでもいることはない」
と、帰ることになりました。
「この子はまだまだ弱っているようね。道中は大丈夫かしら。心配だこと」
車は老母とお付きの尼二人で一台、もう一台にはこの人を寝かせて、傍らにもう一人付き添わせました。あまり速くも動けないので、車を停めて薬湯など飲ませました。
わたくしたちの住まいがある比叡坂本・小野まではまだまだ遠うございます。
「途中でもう一泊すべきだったかしらねえ」
と言いながら、夜更けにようやく到着いたしました。
兄僧都は母を、妹のわたくしはこの見知らぬ娘さんを介抱して、皆で抱き下ろして休みました。
母の、老い故の病はいつまたどうなるかはわからないものの、遠路はるばる初瀬詣でをした疲れが癒えるにつれ、少しずつ元気を取り戻しました。その快復を見届けて、兄はまた山に戻りました。
「女を連れて帰った」という噂が立ちでもしたら、法師の立場上よろしくありません。事情を知らない人には一切何も話しませんでした。
わたくしも周囲に口止めをしましたが、
(もしかしたら尋ねて来る人もあるかもしれない)
と思うと心穏やかではございません。
(どうしてあんな、田舎人が住むような辺鄙な所に、こんな綺麗な子が彷徨っていたんだろう?物詣でなどの途中で気分を悪くしたか何かで、継母のような者に謀られて置き去りにされたのかしら?)
あれこれ想像してみました。
「川に流してください」
という一言の他には何も喋りませんので、調べようにも手がかりがないのです。
(早く良くなって、普通の人のように健康に)
と願っておりましたが、ぐったりして起き上がる力もなく、まことに心配なばかりの容態でした。
(結局は生き永らえられないのかしら……でも、このまま諦めて放っておくのも忍びない)
色んな話をしました。あの夢の話も。
初めに祈祷してもらった阿闍梨にも頼み、こっそり芥子を焼かせたりもしました。
何があったか知らない
が、悪い業は焼き尽くしてしまえばいい……まだお若いのだから、いくらでもやり直せる。そう信じておりました。
参考HP「源氏物語の世界」他
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