蜻蛉 六 ~オフィスにて~
「ねえねえ右近ちゃん」
「なあに侍従ちゃん」
「自分で語っておいてなんだけど、『遊仙窟』ってなんなんコレ。何で皆知ってる前提なの?!」
「七~八世紀ごろの唐の詩人さんが作った短編らしいよ。遣唐使が持ち帰ったんじゃないかと言われてて、万葉集にもよく取り上げられてるから、古典の嗜み的な扱いだったんじゃないの?」
「いやさ現代ならコトバンクでもウィキでもそのぐらいは調べられるけどさ。話の筋がコレだからね?
『主人公が旅の途中で深山の神仙郷に迷いこみ,2人の仙女と歓楽の一夜を過ごす』
ちょっと斜め読みしてみたけど、ちょいエロつうか当時としては大分エロ寄りなかんじよ?」
「恋のお歌が八十四首もあるんだってね。相聞歌の走りみたいなもんかな。雅ねー」
「雅……なの?なんだろ、近代日本でいうと、誰とは言わないけどおフランスの詩人のヤバい隠喩暗喩テンコ盛りの詩をこれこそ芸術!って崇め奉るみたいな感じなのかな?」
「誰のことよそれ(笑)たしかに日本人ってそういうの多いかもね。この作品も本国じゃ散逸しちゃったのに、日本に渡ってブレイクしたお蔭で万葉集に残されて、後々もこんな感じで楽しんでましたよ~って源氏物語にまで書かれて更に受け継がれていったんだもんね。凄いラッキーよ、長い間広ーく愛読されてさ。ああ、もしかしたら大人用の漢詩文入門書だったのかもね、気軽に読めて勉強にもなる的な。姫宮に仕えてるような、そこそこ気の利いた女房なら履修済みのはずって確信が無いと、薫くんだってあんな風に声掛けらんないだろうし」
「ヒエー、平安貴族って半端ないわホント……それだけごくごく一部の、狭い世界だったっていうのもあるんだろうけどアタシとても勤まんない……」
「たださー薫くんもこんな色っぽい極みの切り出し方しといて、後の立ち回りは野暮天もいいとこよね。なんだろねアレ。頭はいいし知識も充分で使えるのは使えるのに、結果出せないっていう」
「右近ちゃん、キビチイーー!!でも、完全同意!!ヒカル王子だったら『兄が~』て言った女房さんソッコー呼び出して手のひとつでも握って、さらに姫宮情報をさり気なく聞き出してたと思う!」
「結局そこに行きつくのね(笑)」
はい、久しぶりにこの手のこぼれ話です。
私もこの年になるまで全然知らなかったんですが、この「遊仙窟」、万葉集をはじめとして多々引用され、写本、翻案本やらあって、江戸の洒落本にまで影響を与えたらしい超絶ロングセラー。さらに二十世紀になってから初めて中国に里帰り(逆輸入)も果たしたんですってよ。ビックリです。
遣唐使が持って帰ってきた(らしい)外国の短編小説。夢のように美しいこの世ならぬ神仙の世界に迷い込み、艶めかしい仙女二人とのめくるめく一夜―――今で言うとR18のファンタジーノベルみたいなもんでしょうか。
もしかしたら、紫式部自身がこの作品の息の長さに憧れていたのかもしれない。この時点で渡って来てから三百年以上経ってる古典ノベル、(ストーリーとしては単純でひねりも何もないのに!なんなん!)(是非ともあやかりたい!)という思いを込めて薫に言わせたのだとしたら、お見事というしかない。そうそうコレ、薫ってところがまたポイントなのよね。生身の女性との恋のやりとりはどうにもうまくいかない。現実に目の前にいる女性より、此の世ならぬ女性にばかり心を留めっぱなしの薫だからこそ活きるこの引用。
これで三百年どころか千年超えですからね、凄いものです。
公文書でも何でもない、単なるフィクションの文字の羅列が読む人を魅了し続け、時を超えて未来に届くって、それこそ神仙世界のミラクルって感じしますね。
参考HP「源氏物語の世界」他
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