おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

蜻蛉 四

2022年3月14日  2022年6月9日 


 右近です。

 匂宮さまの使者に引き続き、薫さまも直々に宇治にいらっしゃいました。やはり同じように詳細を知りたいとの思いです。道中で過去の記憶を一つ一つ拾われて、

(いったいどういった宿縁で、あの八の宮親王のもとに来ることになったんだろう。こんな……あの頃は存在すら知らなかった人の最期まで世話をすることになるなんて。いったいこの一族にどれほど悩まされるのか私は……俗聖とまで呼ばれた尊いお方に仏のお導きでお近づきになり、来世を祈願していた、それだけなのに。その後の私の行動があまりに心得違いなせいで、仏に思い知らされているってこと……?)

 こんなことをお考えにもなられていたようです。

 山荘に到着するや、私を呼び出され、

「右近、聞かせてくれ。いったい何があったのか、どうしてこうなったのかもろくに聞かないままでは、やはりあまりに情けないし虚しすぎる。忌籠りの日数も残りわずか、明けてからと思っていたがどうにも待ちきれない。浮舟は何故亡くなった?病いならば何か症状があったろう。どういう状態だったんだ?」

 と問いかけられました。

(弁の尼君も経緯は知ってるし、最終的にはお聞き合わせになるわよね。なまじ隠したところで、話が食い違ったりしたらまずいことになる。匂宮さまがいらした時は適当な嘘で誤魔化したけれど……こんな真面目な態度のお方に面と向かっては、前もってああ言おうこう言おうと考えていた言葉も忘れそう。厄介なこと)

 などと考えつつも、問われたことについてのみ申し上げました。

「浮舟の君は……入水をされたのでございます。自ら川へ身を投げられました」

 薫さまは非常に驚かれて、暫くは言葉も出ませんでした。

(何とも信じがたいことだ……普通の人なら態度や言葉で気持ちを表す場面でも、珍しいくらい言葉少なで大らかな人だったのに。どうしてそんな恐ろしい決心を……それとも別の理由があって、女房たちが口裏を合わせているのか)

 ますます混乱しておられるようでしたが、

(匂宮も心底嘆いておられたご様子だった。そこは明らかだ。これまでの経緯にしても、知っているのに知らない振りをしていたならば、いつかどこかで漏れるもの。こうして来てみても、これといって不審な点は見当たらない……上から下まで皆が皆、一様に悲しくてやりきれないことと泣き騒いでいる)

「右近、浮舟の供について姿をくらました者などはいないのか?どういう状況だったのか、正確に言ってくれ。私を薄情だと思って逃げ去った、などということはよもや無いとは思うが……何があった?こんな突然に……他に私の知らないことがあるんじゃないのか?とても信じられない」

 さらに問いただされました。

(やはりそうなりますよね……想定通りだけど、心して申し上げないと)

「自然とお耳に入ってもおられましょうが、浮舟の君は元より不如意な境遇に生まれ育ったお方です。この人里離れた住まいに移って以降は、いつとなく物思いばかりされていましたが、たまさかにでも殿のお渡りがございますのをお待ちになることで御身の不幸をも慰められつつ、穏やかに過していらっしゃいました。殿とお逢いするたびに、いつかは―――と口に出しては仰いませんでしたがずっとお心にはありましたでしょう。近々、やっとその望みが叶いそうなことを承りまして、ご本人はもちろんのこと、お仕えしております私たち女房も嬉しいことと存じて準備にかかり、あの筑波山の母君もようやく期待通りの暮らしが出来る、とお引越しに向けて動いていらっしゃいました。ところが……ある時、殿より合点のいかないお文がございましたようで、宛先をお間違えではないかと仰っておられたのですが……ここで宿直を勤める者どもにも『女房達が浮ついている旨お咎めがあった』と言われ、弁えもない荒々しい田舎侍どもに、まるで此方に何か非があるかのように取り扱われました。それ以降殿からのお文も途絶えてしまいましたし……寄る辺ない身の上と幼い頃より思し召しておられました浮舟の君です。こんなことで世間の物笑いになりましては、何とか一人前にと万事お心を砕いてらっしゃる母君がどれほどお嘆きになろうかと、悪い方に悪い方にお考えになって、日々欝々としていらっしゃいました。それが積もりに積もって、ついに―――ということではないでしょうか。それ以外に何があろうかと思案しましたが、心当たりはございません。鬼などが隠し申し上げたにしても、僅かなりとも痕跡はありましょうに……」

 話している最中に本気の涙も出てまいりました。薫さまも堪えきれず、疑いのお心も失せたようにございます。

「私は……思うままに振る舞うことも出来ず、何をしても目立ってしまう立場だ。気がかりには思っていても、もうすぐ近くに迎えるのだ、心置きなく体裁よくもてなして末永く添い遂げるのだ、と自分に言い聞かせ、はやる心を抑えながら過ごして来た。それを冷淡だと受け取られたということは……やはり他の誰かに心を分けていたということではないか?」

 鋭い指摘にございます。

「今更こんなことは言わないでおこうと思っていたが、誰も他に聞く相手はいないからね……右近、匂宮のことだ。いつから関係があった?この手の恋愛ごとには人一倍長けておられて、女の心をやすやすと掴み惑わせる宮だ。そうそう頻繁にはお渡りになれないのを嘆いての入水ではないのか?さあ、正直に言ってくれ。もう何も隠すな」

(ああ、すべてご存知の上で確かめようとなさっているのだ)

 薫さまの悲痛な思いがヒリヒリと肌を刺すような心地がいたしましたが、何としてもここは踏みとどまらねばなりません。

「……なんと情けないことを聞かれますこと。この右近、浮舟の君のお傍を離れたことは一時もございません」

 すこし間を置いて、

「お聞き及びとは存じますが……浮舟の君が宮の上、中君さまのところに密かに身を寄せておられた時、なんと呆れ果てたことに、宮さまが入り込まれたのでございます。その時は周囲の女房たちが厳しくお諫め申し上げましたので事なきを得ましたが……すっかり怖気づかれた浮舟の君は二条院を出られ、あの見苦しい三条の隠れ家に移られることになったのです。幸いその後は、特に噂にもならず音沙汰もなかったのですが、どこからお耳に入りましたものか……この二月辺りからお便りを頂戴するようになりました。お文こそ頻繁にはございましたが、浮舟の君がご覧になることはありませんでした。しかし相手は親王さまです。まるで無視いたしますのも畏れ多いことですし、失礼にあたりませんか?と、この右近が苦言申し上げたところ、一度か二度でしょうか、お返事を差し上げたこともございました。それ以外のことは存じ上げません」

 と申し上げました。

 薫さまは表情こそ変えられませんが、女房の立場というものも瞬時に察せられたようです。

(仲立ちをした当の女房に聞いたところで、こう答えるしかないだろう。無理やりに問いただすのはあまりに非情か……)

 長い沈黙が続きました。

(あの宮を、素晴らしいお方、愛しいお方とお慕い申し上げていたが、私の方も疎かに思うことは出来ず……どうしたらよいかわからなくなったのか。心が弱って、すぐ近くにある川にフラフラと誘われてしまったと。私がこの宇治に連れて来て放っておかなければ、どんなに辛い暮らしをしたとしても『深き谷をも求め』たりは……自死を選んだりはしなかっただろう)

※世の中の憂きたびごとに身をば投げば深き谷こそ浅くなりなめ(古今集俳諧-一〇六一 読人しらず)

(宇治川とはまさに憂し川に通じる、嫌な名前だ。疎ましい川よ……長年、愛する人に逢いたくて荒々しい山道を行き来したというのに。今はこの里の名を聞くことすら耐え難い)

(中君が初めに仰った『人形』という呼び方も思えば不吉だな。結局は、私の過失で喪ってしまったのだ)

(それにしても、葬送の儀式を里人も呆れる程簡略なものにしたのは何故だ。母親の身分が低いからか?)

 あの葬儀には全く納得しておられなかったのでしょう、そこは突っ込まれましたので、

「亡骸が無いことを誰にも知らせたくありませんでした。自ら身を投げたなどともし噂にでもなりましたらそれこそ大変かと……あの場では、あのようにするしかございませんでした」

 ありのままに申し上げました。

(母親はどんな気持ちだろう……あの程度の身分にしては破格なレベルの娘をあたら死なせてしまって。宮の話は知らないかもしれないな……ただ私に関して何かがあった、とは思うだろう)

 薫さまはまた考え込んでおられます。

 亡骸がないお弔いでしたので穢れということはありませんが、供人の目もございます。内には上がられず、妻戸のすぐ前で車の榻に腰掛けておられましたが、さすがにそれでは……ということでこんもり繁った木の下で苔を御座所代わりに座られました。

(これからは此処に来ても辛いばかりだろう)

 とばかり辺りを見回されて、歌を詠まれました。

「私もまた嫌なこの古里を離れて荒れてしまったら

 誰が宿木の蔭を偲んでくれようか」

 宇治の山寺に住み、故八の宮さまや冷泉院さまとも懇意でございました阿闍梨―――今や律師となりました―――を召し出されて、今回の法事の一切を任されました。念仏僧の数も増やされました。

(自害はさぞ罪障が深かろう……少しでも軽くしてやろう)

 と思し召し、七日ごとに仏やお経の供養をする旨細やかに仰せつけになられているうち、とっぷりと日も暮れました。そろそろ帰り支度です。

(もし浮舟が生きていたら、今宵は帰らず泊まっていたのだろうな)

 弁の尼君にもご機嫌伺いをされたものの、

「とてもお目にはかかれません……なんとも不吉過ぎる我が身だとばかり思われて、気持ちも沈み何も考えられません。ただ茫然として臥せっております」

 と言づけただけで出て来ません。薫さまもそれ以上面会を強いることはございませんでした。

 帰り道、どれだけ後悔の念に襲われたことでしょうか。もっと早く迎えていれば、もうすこし此方に来ていれば―――と。水の音が聞こえている限りは心穏やかではいられません。

(亡骸さえも探さずに、可哀想な終わらせ方をしてしまった。今頃どんな姿で、どこの水底に貝殻とともにいるのだろうか)

 まことにやるせないことにございます。

 以上、宇治の山荘より右近でした。


 浮舟の母・中将の君は、死穢に触れたということで暫く京の常陸守邸には入れなかった。妹娘の出産もあり厳しく潔斎が言われていたせいもある。心ならずも旅寝ばかりの日々に安らぐ折もなく、妹娘のことも心配していたが、どうやら無事に産まれたらしいとの知らせは耳に入った。まだ当分は邸に戻れないので、残りの家族がどうしているか何もわからず、ただ茫然と過ごしているところに、薫から密かに使者が来た。癒えない悲しみに沈む中将の君にとっては、たいそう嬉しく心に沁みるサプライズである。

「あまりの出来事に、すぐご連絡しようと存じておりましたが、心も落ち着かず、目の前が真っ暗になるような思いでおります。まして母君ならばどれほど闇に惑われておられるかと、暫く躊躇ううちに、あっという間に月日が過ぎてしまいました。この世は無常、ますます不安だけが募りますが、思いのほか生き永らえたならば、亡くなった方の縁者として何かの時にはきっとお声をかけてください」

 などと細やかに書いてある。使者はあの大蔵大輔仲信であった。

「万事悠長に構えて幾年も経ってしまいましたので、必ずしも誠意があるようには思えなかったかもしれません。ですが今後は、何事につけても絶対に忘れることはありません。貴女もそのようにお含みおきくださいますよう。幼いお子さまもおありとのこと、朝廷にお仕えする際にはきっとお力添えをいたしましょう」

 口頭でも伝えた。

 そもそも亡骸のない弔いだったため忌むべき穢れなどない。母親の中将の君は、

「穢れには殆ど触れておりませんので」

 と言い張って、仲信を強引に招き入れた。泣きじゃくりながら、

「たいへんな悲しみの中でも死ねない我が命が情けなくも嘆かわしく存じますが、このような仰せ事を拝見するためだったかと思っております。長年、娘の心細い様子を見守りながら、これもひとえに数ならぬ身の拙さからと存じつつ、畏れ多い一言を末永くお頼み申し上げておりました。それが何とも言いようのない結果になってしまいまして、宇治という里の名の縁もまことに辛く悲しいことでございます。さまざまに嬉しい仰せ事に寿命も延びて、もう暫く永らえれば、きっとお頼み申し上げることもございましょう。そう思うにつけても目の前が涙に霞んで、とても全てをお話しすることなど―――」

 などと返事を書く。

 こういった場合の使者に、通り一遍の禄などかえって似つかわしくない。薫の心遣いに対して何をしても物足りない気がするので、浮舟に贈るつもりで用意して持っていた、立派な斑犀の帯や太刀などを袋に入れ、車に乗り込んだ使者に、

「これは故人のお志にございます」

 といって渡した。

 使者が戻って薫に報告する。

「これはまた……筋違いなものを貰ってしまったな」

「彼方は直接お会いくださって、泣き泣きいろいろなことを仰いました。幼い子供達のことまで仰せられたのが何とも勿体なく、数ならぬ私どもにとりましては恐悦至極に存じます、他人にはどういう訳かとは知らせないまま、不出来な子ばかりではございますが皆まとめてお仕えさせましょう、とのことです」

 使者を下がらせて、薫はつくづくと考える。

(たしかに、大してパッともしない親戚づきあいのような体だが……帝にも、このぐらいの身分の娘を入内させることもなくはないし、それでご寵愛を受けたところで誰が非難しよう?臣下ではまして、貴族ではない下層階級の女、夫を持ったことのある女を妻とする事例もままある。常陸守の娘を囲っていたと取りざたされたとしても、正式の妻として遇したわけでもなく、私にとって何ら疵になるものではない。ただわが子を亡くして悲しんでいる母親の心を汲んで、亡き娘の縁で面目を施すことができたと思える程度には、きっと配慮はしてやろう)

 

 夫の常陸守もこの家を訪れた。守は立ったまま、

「こんな大変な時に、こんな場所で引き籠っているとは!」

 と腹立たし気にまくしたてる。この数年、守には浮舟の居所や挙動を明らかにはしていなかったので、

「きっとみすぼらしい有様で暮らしているのだろう」

 と思い込んでいたのだ。中将の君は中将の君で、

「ゴチャゴチャ割り込んで来られたら鬱陶しいから、京のお邸に迎えられてから、どうよ!こんな名誉な結婚をしたんだから!って伝えればいいわ」

 という心づもりで黙っていたが、今は隠す理由もなくなった。涙を零しながらこれまでの経緯を語り尽くし、薫からの文も取り出して見せた。元より貴人には頭の低い田舎者で、何でも感心する守なのでたいそう驚いた。繰り返し繰り返し

「なんという……なんと素晴らしいご幸運を捨てて亡くなられたのか……私も殿の家来として参上しお仕えしてはいたが、近くで召し使われたことなどない。雲の上のお方だ。なのに我らの幼い子供たちについても仰せになられたとは、頼もしい……!」

 と言っては喜んでいる。その様子に中将の君は

(ああ、本当に浮舟がここにいたら)

 と身悶えして泣く。守も今さらながらに浮舟を惜しみ、涙を見せた。

 浮舟の生前にはこういった階級の者どもにはまったく関わる事のなかった薫だが、

(私が至らなかったせいで喪った命だ。哀れな家族たちを慰めてやらないと。人に何を言われようがどうってことはない)

 という思いだった。


 月日だけが矢のように過ぎていく。

 四十九日の法要をさせる段になっても薫は、

(浮舟は本当に死んでしまったのか、それとも……)

 との思いが消えない。どちらにせよ供養をしても罪を得ることにはならないだろうと、密かにあの律師の寺で行わせた。僧への布施は六十人分、豪気にそろえた。母親の中将の君も来て、布施を加えた。

 匂宮からは、右近のもとに黄金の入った白銀の壺が下された。誰からとも言わずただ右近の志として供えたのを、事情を知らぬ者は

「ただの女房がなぜこんな豪華な布施を?」「いったい、どなたからなのかしら?」

 などと訝しがった。薫の主だった家来たちも皆派遣された。

「不思議なこと。今までとんと噂にも聞かなかった人ですのに」「こんな盛大な法要を催されるとは……いったいどういう人だったのかしら」「それにほら……あの方はいったい?」「常陸守よね。あんなに良い席に案内されて」

 常陸守は近い親族として丁重に遇されつつ、薫とのレベルの違いをまざまざと見せつけられていた。

(ウチでも、妹姫と左近少将との間に子が生まれた祝いにと派手に大騒ぎして、家の内を物で溢れさせ、唐土や新羅の調度類で飾り立てたが……とてもじゃないが比べ物にならない)

(ごく内々に、との話だったが、何もかも見たことがないくらい豪奢で立派だ。浮舟がもし生きていたら、私など足元にも及ばない宿世だったんだな)

 継子の類まれなる資質を認めざるを得なかった。

 姉の中君も誦経を寄進し、七僧への饗応を受け持った。

 今上帝のところにも話は届いた。

「なんと、薫がそれほどまで大事に世話をしていた人がいたとは。女二の宮の手前、山奥に置いてひた隠していたんだな……いたましいことだ」

 

 薫と匂宮の二人の心中からはいつまでも悲しみが去らなかった。横恋慕をした宮にとっても、気持ちが最高に盛り上がっていたところで急に断ち切られたものだから喪失感は大きい。しかしそこは色好みたる宮、心を慰めるべく他の女に言い寄ることもし始めた。

 薫は故人の家族や縁者に気を遣い、何やかやと便宜をはかってやった。ただ、残された人をどう世話しようと何の甲斐があるわけではない。依然、浮舟を恋しく、忘れがたく思っていた。

<蜻蛉 五 につづく

参考HP「源氏物語の世界」他

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