浮舟 三
右近さん、大変お疲れ様でした。
次は二条院より、少納言がお送りいたします。
お帰りになられた匂宮さま、あまりにも浮舟さまとのお別れが辛かったからでしょうか、やりきれないお気持ちの矛先が中君さまへ向かわれたようです。
(なんで私に何も言ってくれなかったんだ?水臭すぎない?)
寝殿にあるご自分のお部屋に籠られたものの、どうにも眠ることがお出来になりません。たまらなく寂しく物思いも増すばかりなので、結局は中君さまのおられる対の屋へとお渡りになりました。
何も知らない中君さまはただただお美しくいらっしゃいます。
(宇治のあの子、誰より可愛いと思ったけど……やっぱり中君はそれ以上に稀有な美女だよね)
と実感されつつも、浮舟さまがその中君さまにそっくりだったことも思い出されて胸もふさぎ、ひどくお悩みのご様子で御帳台に入られました。ご一緒した中君さまに
「酷く気分が悪いんだ。いったいこの先どうなるんだろうと心細くてたまらない。私がいくら貴女を深く愛していても先立ってしまったなら、貴女の身の上はあっという間に変わってしまうだろう。あいつの本願もきっと叶うだろうね」
と仰ったもので、
(どうかなさったのかしら?こんなおかしなことを真面目なお顔で)
中君さまはため息交じりに、
「そんな人聞きの悪いことが漏れ聞こえましたら、彼方の方もいったいわたくしが何を申し上げたのかとお考えになりましょう。情けないこと。悩み多きわたくしには、戯れ言にしても酷く辛うございます」
とそっぽを向かれました。宮さまはなお真剣な面持ちで、
「本気で辛いと思ってることが私の方こそある、と言ったらどうする?私は、貴女にとってどうでもいい男なの?誰もが、滅多にいない人だなどと言い立てるほどの私が。誰かさんと比べて随分見下しておられるようだ。誰でも宿命には逆らえない、それは当然なんだけど、私を蚊帳の外にされるお気持ちが強いのは気に入らないね」
と仰いながら
(宿世が並々でなかったからああして探し出せたんだよね……)
などという思いが噴出されたのか、涙ぐまれました。とても冗談ごとではなさそうなそのお姿に中君さまは、
(どうしちゃったの?いったいどういうお噂がお耳に入ったのかしら)
と驚かれるばかりで心当たりはなく、返事のしようもございません。
(きちんとした結婚ではなかった……騙し討ちのように何となく結ばれたものだから、万事軽くみられてしまうのかしら。そもそも縁故も何も無い薫さまを頼りにして、その好意を受け入れたことが間違いだった。わたくしをその程度の女と侮っておられるのだわ)
考えるうち悲しくなって来られたのか、憂いに満ちたその表情はいっそう可憐にございました。
(あの人を見つけたことは暫く黙っていよう)
と心に決めている宮さまは、中君さまにそれ以上はっきりとした話をされません。薫さまとのことで真剣に恨みを告げているものと思い込まれた中君さまも、
(いったい誰が根も葉もない虚言を本当らしくお耳に入れたのだろうか)
何も言えなくなってしまいました。お互いに何一つ確かなことを言わない・聞かないのですから、もう顔を合わせることすら辛うございます。
そんな折、内裏の明石中宮さまからお文がございました。匂宮さまは驚かれて、未だ解けない気持ちのまま寝殿にお渡りになりました。
「昨日は心配しました。具合が悪くいらしたようですが、よくなったなら参内なさいませ。長いことお見えになりませんね」
などとありましたが、宮さまは
「心配をおかけして心苦しいけど、今日は本当に凹んでるからそんな気になれない」
とお出かけになられません。上達部がたが二条院に大勢参上なさっても、御簾の内にて過ごされました。
夕方には薫さまもいらっしゃいました。さすがに御簾の外とはいかず、お傍近くに招き入れられて対面なさいます。
「体調がお悪いそうだと聞きましたので、中宮さまも大変ご心配あそばされています。どういう病なのでしょうか」
薫さまの姿を見るだけでますます心が波立つ宮さま、言葉もあまり出ません。
(聖めいた男と言われているが、それどころじゃない。何ともすごい山伏心だな。あんなに可愛い人をさし置いて、平気で何日も待ちわびさせてるなんて)
いつもの宮さまならば、寄ると触ると、
「なんだよ、自分こそ品行方正な真面目男、みたいな顔してさ。忌々しい」
やたらと絡んでいかれます。ですが、宇治に浮舟さまをお隠しの件はまさか持ち出すわけにもいきません。冗談のひとつも言わず、ただ苦し気なご様子をご覧になった薫さまは、
「やはり具合が悪そうですね。大したご病気ではなくても、長く続くようなのはよろしくない。お風邪なら充分ご養生なさいませ」
丁寧にお見舞いの言葉を述べられて、すぐお帰りになりました。
(うーん、やっぱりかなりのイケメンだよね薫は。宇治のあの子、私と比べてどう思っただろう?)
何かにつけて、浮舟の君を思わずにいられない宮さまでございました。
二条院からは以上です。少納言でした。
「ねえねえ右近ちゃん」
「なあに侍従ちゃん。って久しぶりねこの始まり」
「言うて途中だけどね。なんかさーメッチャ暇なんだけど!石山詣でも結局取りやめになっちゃったし!」
「宇治ってなーんにも無いもんね……あっいけない言っちゃった☆」
「右近ちゃん、ここに来て連続出場だもんね!匂宮くんのラブラブ大作戦☆のせいで大活躍だったし!」
「ホントよ、超絶忙しかったわ。だいたいこういう上つ方の恋愛沙汰で振り回されるのはいつだって女房なのよ……お手当要求したいくらいだわ」
「ラブラブなお手紙バンバン来てるよね。あ、アタシは知らないことになってるんだった!」
「それさあ……見つかったら確実にヤバい内容なんだよね。一応『時方』の名で、全然事情知らない家来さんが持ってきてるんだけどね。でもほら、京からそれだけ頻繁に来てたら何何?ってなるじゃん」
「うんうん。皆、右近ちゃんお安くないわねえ♪って言ってる!」
「一応、『大将殿のお供でたまたま来てた元カレにバッタリ再会!』てことにしてるからね。懐かしがってお文寄越してきて右近困っちゃう☆的な」
「ありがちな話ではあるよね。右近ちゃんたらお上手!」
「どんどん嘘が上手くなってく……これも女房あるあるだけどさ」
「まあ全部匂宮くんのせいだもんね!もっといえば宇治くんだりまで浮舟ちゃん連れて来て甘甘ガードでほったらかした薫くんのせいでもある!」
「その匂宮くんはそれこそ中々宇治には来れないから、悶々とし過ぎて寝込んじゃってるんでしょ?最初っからわかってたじゃんそんなん……」
「うん!もう僕物思いでしんじゃうかもーって元気いっぱいおセンチしてる!」
「一番長生きしそうよね。まったくいい気なもんだわ……あっ、侍従ちゃんそろそろ出番じゃない?」
「いっけなーい☆スタンバイしなきゃ!(スリープモード解除)」
「便利な世の中ねえ(違)」
こんにちは、宇治の侍従です!じ、が多すぎだわね、どうでもいいけど。
二月に入って司召も終わり、ようやく繁忙期も過ぎたってことで薫右大将殿が例によってお忍びで宇治にいらしたのね。
まずはお寺に行って礼拝、誦経させてるお坊様たちにお布施したり色々してから、山荘にいらしたのはもう夕方だったかな。人目を忍ぶとはいっても宇治だから、そこまでガッツリ身をやつさなくてもいいわけで。烏帽子に直衣姿の薫さま、それはそれはもう研ぎ澄まされた美ってかんじ?歩いて入って来られただけでサッと空気が変わるのよね、思わず背筋が伸びちゃうみたいな。
アタシたちみたいな一介の女房ですらそうなんだから、まして浮舟の君はね。秘密を抱えちゃってるから、空から誰かに見られてるような気がして、恐くて仕方ないわけ。どうしても匂宮さまの一途な熱い目を思い出しちゃうのに、何もなかったように薫さまと顔を合わせるとか、もう辛くて辛くて仕方がない。
(『私が今まで愛した女への思いが皆、貴女に移ってしまいそうだ』と仰っていた宮さま……あの後本当に体調を崩されて、二条院でも六条院でも常のようではなく、御修法だ何だと騒いでいるとか。薫さまの宇治行きを耳にされたらまたどう思われるのか)
薫さまは宮さまとは違う雰囲気で、やっぱりイケメンなのよね。思いやり深い優雅な態度で、長くご無沙汰したことのお詫びを仰る際も、言葉少なで恋しいだの愛してるだのとガンガン詰めよるでもないんだけど、逢いたいときに逢えない恋の苦しさをサラリと伝える。言葉などじゃ言えぬアイラブユー♪ってやつね!女子の胸をキュンキュンさせるポイントを心得てる。いかにも艶めいた色男の宮さまより、この先ずっと信頼できそうな盤石な人柄、そこは断然薫さまの方が勝ってる。
(あの思いがけない出来事がこの立派なお方にもし漏れ聞こえてしまったら、どれほど大変なことになるか……あれほど狂おしく、正気をなくすほど熱愛してくださる宮さま、わたくしも惹かれてはいる。けれどそれはとんでもなく軽薄なこと……薫さまに疎まれて、捨てられてしまったらどれほど心細く、深い傷を残すことになろうか)
煩悶してらっしゃる浮舟の君に、何もご存知ない薫さま、
(この何か月かで随分男女の情愛を弁え、成長したんだな。何もすることのない住処にいる間に物思いを尽くしたのかも)
なーんて良い方に解釈されて、
(それにしても可哀想ではあるよね)
いっそうお優しく語り掛けられる。
「今造らせている所がだんだん出来上がってきていてね。先日見に行ったら、ここよりは穏やかな川があって、花もご覧になれる。三条宮も近い。その住まいなら日々会わないでいる不安も自然に解消されようから、この春の間に都合がつけばお連れしよう」
悪いことに、昨日来た宮さまからのお文にも同じようなことが書いてあったのよね。ゆっくりできそうな隠れ家見つけた!ってさ。浮舟の君、罪悪感やら宮さまへの未練やらでもう頭ん中グッチャグチャ。
(わたくしは宮さまにこれ以上靡くべきではない……なのに面影が離れない。何と愚かな、情けないわが身なのかしら)
思わず涙を零された浮舟の君をご覧になった薫さまビックリよ。
「どうしたの?貴女はいつも大らかでいらしたから、のんびりできて嬉しかったのに。誰かに何か言われたりした?貴女のこと、すこしでも疎かにする気持ちがあれば、こうしてわざわざやって来ないよ?身分的に外出は大変だし、険しい山越えもしなきゃならないしで」
とかなんとか宥めつつ、二月初旬の夕月夜を眺めましょうってことで、お二人ともちょっと端近に出たのね。
薫さまは、亡くなった大君さまに思いを馳せつつ、浮舟の君は、新たに加わった面倒事を嘆きつつ。寄り添っていても、心の中はお互いにぜんぜん違う。
山の方は霞んで見えなくて「寒い洲崎に立つ鷺の姿」も場所柄趣深く見えるのね。宇治橋がはるかに見渡せる辺りは柴積み舟があちらこちらと行き交ってたりして、他の場所じゃ見られない情景がテンコ盛りって感じ。ご覧になる度に、亡き大君さまとの日々がつい昨日のことのような気がして、全然関係ない女の人相手でも盛り上がっちゃいそうな薫さまだから、まして血が繋がってて顔も似てる浮舟の君なら尚更よね。
ただの世間知らずの田舎娘だったのが弁えも出来てきて、都馴れもして洗練されてくのって、面倒見てる側からしたら凄い可愛いよね。俺のおかげでこんなにイイ女に!みたいな満足感っていうのかな。
ただ浮舟の君の方はもういっぱいいっぱいなもんだから、しょっちゅう涙ポロリンして薫さまを慌てさせてた。
「宇治橋のように末永い約束は朽ちないから
危ぶむ方に心を騒がせないで
私を信頼してください」
優しい歌よね。浮舟の君の返しはこう。
「絶え間ばかりが危うい宇治橋ですのに
朽ちないものと頼りにせよと仰るのですか」
これ、放っておかれたら自分どうなるかわからない、アナタの気持ちは変わらないとか関係ないのよって歌よね。何も知らない薫さまでも、何となく以前とは違うぞ?とは気づいたみたい。
(帰りたくない。もう少し此処に居たいな)
とは思うものの、やっぱり人の目も噂も気になる。
(今更長居することもないだろう。どうせそのうち京で気楽に逢えるようになるんだし)
いつもの、自分の感情より理を取る感じね。結局夜明け方にはお帰りよ。
(何だか急に大人びたな……)
今まで以上に後ろ髪を引かれる薫さま、何かを感じてはいたんだろうけど―――まあ、仕方ないよね。
参考HP「源氏物語の世界」他
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