おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

浮舟 一

2022年2月4日  2022年6月9日 


 侍従さん、お疲れ様でした。

 さて、再び二条院に戻ります。あ、少納言です。

 匂宮さま、未だにあの夕べの事件をお忘れではございません。

「さほど高い身分ではなさそうだったけど、何かメッチャ良さげな女子だった。邪魔さえ入らなきゃなあ、まったく」

 などと困ったご性分全開で、中君さまに対しても、

「ちょっとチョッカイ出したくらいでそんなに怒ることないじゃない?案外嫉妬深いんだね」

 焼餅で浮舟の君を追い出したと言わんばかりです。

 それがまた一度や二度ではなくかなりシツコイ。中君さまは、

(もう全部、洗いざらい事情をぶちまけてしまおうかしら)

 というお気持ちにもなったものの、

(薫さまが宇治に連れておいでなのよね……正式な妻とまではいかなくても、決して疎かなお扱いではない。真剣なお気持ちで人知れず匿っておられるのに、わたくしの口からうかうか漏らしてしまっては、この宮がハイそうですかと放っておくはずがない。仕えている女房たちですら、ほんの些細なきっかけでも一旦好き!となったら実家にまで追いかけていく、なんて身分からしたら全くありえないことをなさるお方ですもの……あれから結構な月日も経ったというのにまだ拘っておられるくらいだから、居所がわかれば速攻で行動なさるに違いない。ろくなことにならないわね……)

 さすが、宮さまをよくおわかりでいらっしゃいます。

(わたくしが黙っていたところで、いずれはどこかから話が伝わっていくのでしょう。薫さまにとっても浮舟の君にとってもお気の毒なことではあるけど、どうしたって防ぎようもない、あのご性分では。自分の夫と実の妹との浮気沙汰なんて聞きたくもないのに……とにかくどうあっても、わたくしから口火を切ったなんてことには絶対したくない)

 固い決意を胸に、貝のように口を閉ざす中君さまです。適当な嘘をいって取り繕うなどということはお出来にならないお方ですので、怒りや恨みは心の内に押し込め、ただただ沈黙を守る――世間でよくある妻のあり方を踏襲する形になってしまわれました。

 さて、中君さまがこれほどお困りになられていた同じ頃、薫さまがどうしていらしたか、と申しますと―――。

 三条宮の侍従さん、お願いします。

 ……あら?いらっしゃらない?おかしいわね……繋がってないのかしら。

 ピコーン。

 ハーイ侍従です!ゴメーンちょっと外出してたー!

 あっ薫さまの現状ね!りょーかい!

 薫さまね、何ていうのかな……お呑気に構えてる。ぜんっぜんコッチ来な……いやいやいや今のナシ、えっとー宇治には!お越しにならないみたいなの。浮舟ちゃんほったらかし。まあね、右大将で権大納言っていう重職ついてて忙しくないわけないし、何やかや外出もままならない事情はわかる。まして宇治まで遠いし。正直「神様に止められる」以前にあの山路に阻まれる感じよね。

恋しくは来てもみよかしちはやぶる神のいさむる道ならなくに(伊勢物語)

 だけどさあ、

(いずれは充分に世話をするつもりはある。もともと宇治の山里での形代のつもりだったんだし、ある程度まとめて滞在できるような言い訳用意して、ゆっくり行きたいよなあ。暫くの間は誰も知らない住処で徐々に馴れていけばいい。私にとっても、他人から非難されないよう何気なく事を運ぶのが望ましいし。急に自分ちに迎えたら、え?誰なの?いつから?!なんて詮索されてウザイだろうし、最初の心づもりからは外れるよね。まして中君が聞いたらどう思うか……思い出の地をアッサリ捨てて離れて、昔なんて忘れたよ的な顔してるって見られるのも不本意だ)

 どうなのよコレ……割に大胆な行動をした後、急に我に返っちゃうこの感じ。そしてやけに腰の引けた対応。そうはいいつつ、こっそり三条宮に浮舟の君の居場所は作ってるっぽいけどね。

 以上、侍従でした!


 侍従さん、遠くからありがとうございます(ニッコリ)。では再び、二条院にて。

 薫さまご多忙になられたとのことですが、此方には定期的にお心寄せいただいており、以前とさして変わりありません。そのご様子をお傍で見ている女房たちも何故そこまで律儀?と訝しむほどですが、中君さまご自身は―――匂宮さまの妻として世の中を知り、他の夫婦の有様も見聞きなさるうち、

(これこそが真実昔を忘れないお心と言うのでしょうね。しかもその思いもいっこうに擦り減らない……滅多にあることではないわ)

 と感心しきりにございました。

 年を重ねられますとともに、いよいよ人品高潔にして評判もうなぎ上りの薫さま。宮さまの浮き名に悩まされるたび、

(思いもかけなかった運命だわ。薫さまをわたくしの婿に、という故大君のお心づもりを違え、一向に心の休まらない方と縁づいてしまって)

 などと思わないでもない中君さまでしたが、今は対面されることも容易ではありません。

 宇治から上京していらして以来、随分と年月も経ちました。内々の事情を深くも知らない女房たちは、

「何でしょうね、いくら昔お世話になった方とはいえ」「普通のご身分なら、ちょっとした縁でも忘れず親しむのもありでしょうけど」「高貴な方々の間柄でここまで近しいままなのも珍しいですわね」

 などと噂し合いますし、宮ご自身の疑いも晴れたわけではありません。つくづく煩わしく面倒になった中君さまは薫さまを極力避けられ、関係は疎遠になる一方なのですが、薫さまご自身のお心は依然変わらないままのようです。

 浮気癖にはつける薬もないとはいえ、宮さまはすくすくとご成長なさる若君を目に入れても痛くない程可愛がっておられます。

(他に生まれなきゃこの子が唯一無二の我が子なんだよね)

 という思いもおありなのでしょう、この二条院を一番リラックスできる癒やし所として、かの六条院以上に厚遇していらっしゃいます。中君さまとしては少し安心できる状況ではありましょう。

 正月一日が過ぎる頃、匂宮さまが二条院に渡られました。ひとつ年を加えられました若君をお相手に、楽しく遊んでおられたその昼のこと。

 幼い女童がたたたっと駆けてまいりました。

 その手に持った少し大きめの緑の薄様の包み文、小さい鬚籠を結び付けた小松、カッチリとした立て文が、中君さまに渡されました。宮さまが、

「それはどこからの文?」

 と問われますと、女童は、

「ハイ、宇治からです!大輔の君はどちらに、と使者がまごついていらしたので、そうだ、いつもご覧になってるお方さまに!と思ってお持ちしました!」

 と早口でまくしたて、

「この籠は、金属を竹っぽく色づけして作ってあるみたいです。松も本物みたいですがこれも作り物なんですって!ビックリです!」

 ニコニコと喋り続けます。宮さまも微笑まれて、

「そうなんだ。どれ、見せてご覧」

 と手に取られました。

 中君は気が気ではなく、

「文は大輔の君に持ってお行きなさい」

 と仰いましたが、そのお顔が少し赤らみましたのを宮さまは見逃しません。

(さては薫がさり気ない風を装って寄越した文か?宇治から、と名のるのも如何にもそれっぽい)

 と思われたのでしょう、サッと文を取られました。

 とはいえ、

(もし本当に奴の文だったらどうしよう)

 と急に不安になられたか、

「開けてみるけどいい?後でやっぱりダメだとか恨まないでね」

 などと仰るものですから、中君さまは逆にスっと真顔になられ、

「なんとまあお見苦しいこと。女同士で交し合う内輪の文などどうしてご覧になりたいのですか?」

 クールに応えられました。

「じゃあ見るよ。女同士の文とやらはどんな感じなのかな」

 宮さまが文を開けますと、これが如何にも若々しい筆跡で、

「ご無沙汰のまま年も暮れてしまいました。山里は侘しいものでございます。絶え間なく立ち昇る峰の霞のような心持ちです」

 とあり、端に、

「此方も若宮の御前にどうぞ。つまらぬものでございますが」

 と書きつけてありました。

 特に才気溢れるご筆跡というほどでもありませんが、宮さまには誰なのか見当もつきません。さらに立て文もご覧になりました。此方もはっきり女手で、

「年が改まりましたが如何お過ごしでしょうか。其方はどんなに楽しくお喜びが多いことでございましょう。此方は、大変結構な住まいで行き届いておりますが、やはり相応しくないのでは、と存じております。このように物思いばかりで侘しく過ごすより、時々は其方にお伺いでもされて気晴らしなさればと思うのですが、やはり怖気づいておられまして、とても無理だと嘆いておられます。若宮の御前にと、卯槌をお贈りしました。宮さまのお目に触れない時にでもお渡しください、とのことです」

 細々と、年始の忌み言葉も構わず使っていささか感情過多ぎみに書かれておりました。宮さまは首を傾げながら何度も繰り返し読み返された挙句、

「この際だからもう言っちゃってよ。誰これ?」

 と問われました。

「昔、宇治の山荘にいた頃に仕えていた女房の娘が、訳あって今彼方に身を寄せていると承っております」

 中君さまの言葉にひとつも嘘はございません。事実をそのまま、余計なことは差しはさまずに述べられただけです。

 しかしそれで誤魔化される宮さまでもございません。女主に仕えている女房といった書きぶり、しかもその女主とやらは何かを恐れて此方に来ない、そして宮さまのお目に触れない時にという一文―――。

 卯槌は見事な出来で、とうてい片手間に作ったというものではありません。時間のあり余っている、それなりに嗜みのある……それはどういう立場のお方か。宮さまはもうひとつの文も開けられました。小松の二股部分に山橘の実を作り、貫き通した枝に結んだ文です。

「まだ古木にはなっておりませんが若宮のご成長を

 心からご期待申しあげております」

 ありきたりな詠みぶりでしたが、

(これがあの時の娘の歌か)

 もはや確信された宮さまは、じっくりと眺められると、

「返事はしなさいよ。これほど出来のいいものを贈ってもらったんだし、無視じゃあんまり情が無い。別に隠すような文でもないのに、何で私に見せまいとしたの?」

 と問いかけられました。無言のままの中君さまに、

「……何か、機嫌も悪そうだね。もう退散するよ」

 と仰られるや席を立ち、部屋を出ていかれました。

 中君さまは少将の君に向かって、

「困ったことになったわね……どうしてあの女童が受け取ったのを誰も見ていなかったのかしら」

 と小声で仰いました。

「気づいていたなら此方には来させませんでしたよ。だいたいこの子はお調子者すぎるのです。将来どうなることやら。女子はお淑やかなのが一番ですのに」

 少将の君が女童を腐しますと、

「まあまあ、そんなに言わないで。まだ幼い子なんだから」

 中君さまが宥められました。この女童、どなたかの紹介で去年の冬から来たばかりの子で、まだ何の弁えもございません。ただ顔立ちがとても可愛らしいので、宮さまがいたく気に入っておられます。

 一方、ご自分のお部屋に戻られた匂宮さまは、

「アレレー?おかしいぞ?薫の宇治通いは長年欠かさず続いてる上に、泊りまであるらしいって誰やら言ってたな。いくら故大君の思い出深い地とはいえ、あんな山奥で旅寝かよと思ってたけど、何のことはない、誰かさんを隠してたってわけか」

 などとブツブツ呟かれつつ、ふと思いついて、漢籍関連で使っている大内記という者を呼び出されました。この家来は三条宮邸に普段からよく出入りしております。 

「韻塞をするから、詩集など選り出して此方の厨子に積んでおいてくれ。ああ、ところでつかぬことを聞くが――薫右大将は相変わらず宇治に行ってる?寺をたいそう立派に造ったって聞いたから、ちょっと観に行ってみたいなと思ってね」

 さりげなく問われた大内記は、すらすらと応えます。

「はい、寺はたいそうご立派かつ荘厳に造られましてございます。不断の三昧堂なども仏の教えに従ったこの上なく尊い設計と聞いております。宇治へのお渡りは……そうですね、去年の秋ごろから、以前より頻繁なようで。下々の者どものヒソヒソ話によると、

『大将殿はどうやら女を囲っておられるらしい。相当の入れ込みようで、あの近辺に所領されてる荘園の者どもが皆駆り出されてる。宿直に充てられては、ごく秘密裏に生活用品など京から取り寄せているそうだ。どんな幸運に恵まれた人か知らないが、どうしてまたこんな心細い山住いなのかねえ』

 ということらしいです。これが年明け前、十二月の頃合いでした」

(これはいいことを聞いた)

 宮さまはもう嬉しくてたまりません。

「はっきりどういう人かは言っていなかったのか?彼方に元からいる尼君を尋ねると聞いていたが」

「弁の尼君のことでしたら、廊に住んでおります。その女性は、建ったばかりの新しい部屋に、小奇麗な女房たちを大勢仕えさせ、それなりに品格ある暮らしをしているようです」

「興味深いな。いったいどういうつもりで、どういう人をそんなところに囲っているんだろう。しかし……やっぱり裏があったんじゃないか、如何にも清廉潔白ですよみたいな顔してさ。普通じゃない性癖の持ち主とかかな?夕霧右大臣なんかは、

『薫はあまりにも道心にのめり込み過ぎだ。山寺に泊りがけで行くなんて軽率すぎる』

 なんてブツブツ仰ってたらしいが、私も変だとは思ったよ。なんでまた寺に夜こっそり行かなきゃならないのかって。それほど昔の恋が忘れられないんですよと言う者もいたけど、ふーん。そういうことだったわけね。どうよ、誰より真面目ぶって分別臭いヤツほど、誰も思いもつかないような、とんでもない裏の顏があるものだよ」

 宮さまはこんな面白いことはないとばかりにニヤニヤしていらっしゃいました。この大内記は、三条宮で長年親しくお仕えしている家司の婿ですので、立ち入った話も耳に入るのでしょう。

 宮さまのお心の内は、

(どうやったらあの時の子かどうかを特定できるかな。薫がそれだけ大事にしてるなら、並大抵の女じゃないだろう。中君とも親しそうなのは何で?二人で示し合わせて隠してたみたいで妬ましいな)

 やはり嫉妬で一杯です。

<浮舟 二 につづく

参考HP「源氏物語の世界」他

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