宿木 七
宇治の山荘を久しく訪れないまま時が過ぎた。昔の記憶からもいよいよ遠ざかる気がして寂しくなった薫は、九月二十日ごろに宇治へと向かった。
烈しい風が吹きすさび、恐ろしいほど轟き渡る水音だけが宿守の山荘には、いまや人影も殆どない。寂寞とした光景を前に薫の心もかき曇り、悲しみも尽きない。弁の尼を呼び出すと、障子口に青鈍色の几帳を置いて出て来た。
「大変畏れ多うございますが、以前よりもっと見苦しい有様ですので、失礼させていただきます」
と直には顔を見せない。薫は、
「どんな思いで日々過ごしていらっしゃるかと想像していたよ。貴女以外に同じ心で語る人もいない昔話をしたくて此処に来た。儚くも過ぎ去るばかりの年月だね」
言いながら目に涙を浮かべ今にも零れ落ちんばかりだが、老尼はそれ以上に涙を止められない。
「故大君さまが、妹宮さまのことでやきもきしておられた頃と同じ空かしらと……いつとなく秋の風が身に沁みて辛く思われますこと。まさに亡きお方が嘆いておられたような夫婦仲の有様を小耳に挟みましたが、それぞれにお気の毒で」
「どんなにややこしい状況でも、長く生きていれば収まるところに収まっていくものを……無暗と思い詰めてしまわれたのは、私自身の過ちのせいもあると今も悲しいよ。妹君のご夫婦仲についてはそれこそ世の常のことで、どうってことはない。将来の不安などないよ。言っても言っても何も無い、空に昇りゆく煙だけになってしまったら―――誰も逃れられないこととはいえ『後れ先だつ』際にはもう何を言ったところでどうにもならないんだ」
※末の露本の雫や世の中の後れ先立つためしなるらむ(古今六帖一-五九三)
薫はそう言ってまたひとしきり泣いた。
それから、例によって阿闍梨を呼び出し、故大君の忌日の経や仏像について打ち合わせた。一通り話が終わったところで、
「ところで……ここに時々はうかがうにしても、もう甲斐の無いことばかり思い出されて仕方がない。ゆくゆくは寝殿を壊してあの山寺の傍らに堂を建てようと思うんだ。それもなるべく早く始めたい」
予め考え置いていた計画を切り出した。堂の配置と数、廊の巡らせ方、僧房など必要なことをそれぞれ書き出していく。
「まことに尊い功徳にございます」
と頷く阿闍梨に、薫はさらに言葉を継ぐ。
「故宮が風雅なお住まいとしてお造りになった所を取り壊すのは無情なようだが、元々のお志に適うことかと。後に残される姫君たちを思いやり、ご自身ではついにお出来にならずじまいだったし……今は兵部卿宮の北の方である中君の所有だから、宮のご料地とも言えよう。だからこの形のままそっくり寺にしてしまうことは難しい。好き勝手には出来ないのだ。場所柄、あまりに川面が近く人目にもつくので、やはり寝殿を壊して別の形に造り変えるのがいいと思う」
「何から何まで、実に立派で尊いお志です。昔、愛する者を亡くし悲しみのあまりその屍を包み、幾年も首にかけておりました者が、仏の御方便にてその袋を捨て、信仰の道に入った――という話もございます。この寝殿をご覧になるたびいちいちお心を騒がせますのもよろしくありませんし、御堂の建立は来世への勤めともなりますもの。急いで取り掛かりましょう。暦の博士に良き日を選定していただき、建築に詳しい工匠を二、三人ほどいただければ、後の細かい作業は仏のお教えに従って進めさせていただきます」
あれこれと相談し決めるべきことを決めると、薫は荘園の家来たちを呼んでこの工事について説明し、阿闍梨の言う通りに働くよう命じた。そうこうしているうちに日暮れてしまったので、その夜は山荘で泊まることになった。
(さて、寝殿もこれで見納めだ。せっかくだから全部見て回ろう)
と立ち歩いてみると、仏像も皆山寺に移してしまった寝殿内は何も無くガランとしている。ただ弁の尼の勤行の道具だけが僅かに置かれた、何とも頼りなげな寂しい住いである。薫は、
(こんなところで毎日どう過ごしているんだろうか)
とつくづく哀れに感じつつ、尼にも
「この寝殿は建て直すことになった。完成するまであちらの廊で暮らすように。京の宮邸にお移しすべきものがあれば、荘園の人を呼んで適当に運ばせるなり何なりしてください」
などと懇切丁寧に指示をした。普段の薫はこれほど年を取った者に構うことなどないが、夜も近くに置き昔話をさせる。亡き父――柏木権大納言の生前の様子も、誰の耳に入る心配も無いので気楽に聞ける。弁の尼も微に入り細に入って存分に語る。
「柏木さまがもう命も絶えようという時に、生まれたばかりの貴方さまのご様子をしきりに聞きたがっていらしたこと、今も忘れられません。あの頃は思いも寄りませんでした……晩年にこうして貴方さまとお目にかかれるとは。生前に睦まじくお仕えいたした効験が自ずと現れてまいりましたのかと、嬉しくも悲しくも存じられます。情けなくも長く生きてまいりましたので、さまざまなことを拝見し考えても来ましたが、何とも恥ずかしく辛うございます。中君さまも、時々は顔をみせに来るようにとの仰せでしたが、何やかやとご無沙汰してしまいまして……もうすっかり他人のようね、などとお恨みもございますが、私は出家の身にて、阿弥陀仏以外にはお会いしたいお方もおりません」
故大君の思い出話も尽きることなく、長年仕えていた間のこと―――何々の折に何を仰った、花紅葉の色を見て詠まれた歌はこうだった、などとこの場に相応しく、声を震わせながらの語りである。大人しく言葉数の少なかった故大君、風雅の心得も深い人だったか……といよいよ耳を傾ける薫。
(宮の御方――中君は姉君に比べもう少し華やかだが、心を許さない男にはキッパリとした態度を取られる方だ。私に対してはかなり思いやってくださるし情もあるように見える。何とか男女関係抜きで交流は続けて行きたい、と思っておいでなのだろう)
心の内で姉妹を比較する。
薫はふと思いついて、あの「形代」の件を弁の尼に問うてみた。
「なんと、京にいらっしゃると?それは存じ上げませんでした……私とて人づてに聞いただけですが……」
やはり知っていた。
「亡き八の宮さまがこの宇治に住まわれる前、北の方さまがお亡くなりになってまだ間もない頃でした。当時宮さまにお仕えしておりました中将の君という上臈の女房、気立ての良い人でしたが、密かに情を交わされたようで……はじめは誰も知る者はおりませんでした。が、この中将が女の子を産みましたもので、宮さまにはお心当たりがおありだったのでしょう。何とも厄介で嫌なことと思われたか、二度と近づかれることはございませんでした。それ以来、その手のすさび事には懲りられて、ほとんど聖と同じような生活になられたのです。居づらくなった中将の君は宮仕えをやめて、陸奥国の守の妻となりましたが、一年くらいしてから上京したついでに、娘も無事大きくなりましたと知らせて来ました。宮さまもお聞きになりましたが、此方とはまるで関係がない、挨拶など無用、と突き放されましたので、中将はせっかくご報告した甲斐もないと嘆いたとか。それから夫が常陸介となったらしく東に下ったのですが、数年は音信も無く過ぎました。今年の春になってまた京に戻り、中君さまを尋ねて来られたとのこと。その娘御、お歳は二十ばかりにもなられましたか……たいそうお美しく成長なさいましたのに可哀想だなどと、近頃は文にまで書き続けていたようですね」
中君の話していたことは本当だったのだ。ここまで詳しい話を聞いてはとても放置できない、と思う薫。
「私は……亡き大君の気配に少しでも似通うような人を、見知らぬ国にまで探し求めたい気持ちなんだ。故宮は御子と認めなかったようだが、似ているなら姉妹に違いない。わざわざではなくとも、この辺りに来る折があれば、私がこんなことを言っていたとだけ伝えてくれ」
弁の尼は、
「母親の、中将の君は故北の方さまの姪御に当たります。つまり私とも縁続きではございますが、当時は別々の所に住んでおりまして詳しくは存じ上げません。先だって、京の二条院におります大輔の君が文を寄越しましたが、その姫君は亡き宮さまのお墓参りをしたいと申しているようで、そのつもりでいてくれとありました。今の所まだ直接の連絡はございませんが、きっとそのうち来るでしょう。そうしたら必ず仰せの通りお伝えいたします」
と約束をした。
夜が明けたので薫一行は京へと帰る。昨夜、後から供人が持参した絹綿などの物資を阿闍梨に贈り、尼君にも与えた。法師たちや尼君の下働きたちに配る料まで用意した。心細い住いだが、薫のこういった見舞いが欠かさずあるので、身分の割には不自由もなく、質素な暮らしながらも勤行に専念できる。
木枯らしが堪え難いまでに吹き通して、梢に残る葉はもう無い。散り敷いた紅葉に踏み分けた跡もない侘しさに、すぐに出る気にもなれない。良い形をした深山木に絡みつく蔦には赤がまだ残っている。せめてこれだけでも、と少し引きちぎらせて、中の君への贈り物として持ち帰る。
「昔寄り木(き)――泊まった所だと思い起こさなければ
木の下での旅寝もどれだけ寂しかったことか」
と独りごちる薫の歌を聞いて弁の尼が返す。
「こんなに荒れ果てた朽木のもとを宿り木――泊まった所と
思っていて下さるのも悲しいこと」
いたって古めかしい詠み方とはいえ、これはこれで風情がなくもない。薫にはいくばくかの慰めにもなった。
二条院の中君が薫からの宇治土産を受け取ったのは、ちょうど匂宮が来ていた時である。
「南の三条宮邸より」
として使者が何心もなく持参してきたが、中君は
(また煩いことを言って来たなら何としよう)
苦々しく思いつつも隠しようがない。匂宮は、
「ふーん、綺麗な蔦だな」
と当てつけのように言って、手にとってしげしげと見ていた。文には、
「この頃は如何お過ごしでしょうか。宇治の山里に参りましてますます峰の朝霧に惑いました話も、お目にかかった時に。彼方の寝殿を堂に造り直すこと、阿闍梨に命じておきました。お許しを得ましてから、他に移すことも取り掛かりましょう。弁の尼にしかるべきお指図をなさってください」
とある。
「よくもまあ、いけしゃあしゃあと何もないように書いたな。私が此処に来ていると聞いたか?」
あるいは匂宮の言う通りだったかもしれない。中君は、用向きだけの内容にほっとしたものの、何かと険のある言い方をする宮にほとほと困っている。その憂いを帯びた顔や姿は、すべての罪を許したくなるほどに美しいので、
「返事を書いたら?私は見ないから」
宮は拗ねたように言ってそっぽを向いてしまう。中君はうんざりしたが、だからといってそのままにしたらしたで邪推を呼びかねないので、
「山里へのお出かけ、羨ましゅうございます。彼方のこと、仰る通りにするのがよいと存じます。また別の『巌の中』を求めるよりは、宇治の山荘が荒れ果てないように維持したく思っておりましたので、如何様にでも、よきに計らってくだされば有り難く存じます」
とさらに事務的な書き方をした。宮は、
(別に嫉妬するほどのこともない間柄なのかな)
と推察するも、もし自分だったら中君レベルの女性を放っては置かない、と思うととても平気ではいられない。
枯れきった前栽の中で、尾花が手を差し出して招くかのように目立っている姿が面白い。まだ穂として出てこない辺りに、露を貫きとめる玉の緒が儚げに靡いている。毎年同じではあるが、夕風が身に沁みるこの季節ならではの風景である。
「穂に出ない――外に表さない物思いをしているらしい
篠薄が招くので袂は露でビッショリです」
着馴れた衣に直衣だけを着て、琵琶を弾き始めた。黄鐘調の掻き合わせを哀感たっぷりに弾きこなすので、心得のある中君も恨みを忘れて引き込まれる。小さい几帳の端から、脇息に寄りかかりほんのわずかに顔を出している姿は実に愛らしかった。
「秋が終わる野辺の景色も
篠薄がわずかに揺れる風に知らされます
『わが身一つの』」
※大方の我が身一つの憂きからになべての世をも恨みつるかな(拾遺集恋五、九五三、紀貫之)
と詠んだ中君は、浮かんだ涙を恥じらって扇で隠す。宮は、
(ほんのちょっとしたことでも仲が終わるしるしじゃないかって不安になるの、ってことか。カーワイイなーホント。でも、こんなだからこそ薫だって諦めきれないんじゃないの?)
などと疑惑は深まるばかりで、気の毒なのは中君である。
白菊がまだすっかり色を変えずに咲いている。手入れが入念すぎてかえって遅れているのかもしれないが、その中にどういうわけか一本だけ綺麗な紫があった。宮はこれを折らせて、
「
と、和漢朗詠集の一節を口ずさみ、
「何某の親王が花を愛でた夕暮れ、というやつだね。昔は天人が飛翔して琵琶の手ほどきをしたという。何事も浅薄になった今の世にはうんざりだ」
と琵琶を下に置いてしまった。残念に思った中君は、
「人の心は浅はかになったかもしれませんが、昔から伝えられたことまではそうでもないでしょう」
まだ聴いてみたいという雰囲気を醸し出すと、
「ならば、独り弾きは寂しいから一緒に!」
と女房に筝の琴を持ってこさせ、弾くように勧めた。
「昔なら教えてくださる人もおりましたが、ろくろく習得もしないままですから」
中君は気が引けて手も触れようとしない。宮は、
「これくらいのこともやってくれないなんて、情けないなあ。近頃よく行く辺りじゃ、まだ完全に打ち解けるまではいかないけど、まだまだ初心者って感じの手習いも隠さないよ?やっぱり女ってものは、柔らかく素直なのが良いことと、あの薫中納言も断言してたよ。アイツにはこんな風じゃないんでしょ?ずいぶん仲良しみたいだし」
と本気でグチグチと恨むので、中君はため息交じりに琴を引き寄せる。絃が緩めてあったので「盤渉調」に合わせた。掻き合わせてみるとその爪音は何とも美しい。「伊勢の海」を謡う宮の声も品よくすっきりと響き渡る。女房も皆物の後ろに集まり、ニコニコしつつ見守る。
「余所にもお心がありますのは辛いですが、それも致し方ないこと。やはり私たちの御方さまは幸福な方と申せましょう。なのに、今のような暮らしなど望むべくもなかった宇治のお住まいにまだ帰りたがられ、口にも出されるのは本当に困ったこと」
ずけずけと言いたい放題の老女房を、
「しーっ、聞こえますから!」
若い女房たちが慌てて止める。
琵琶などを中君に教えるため匂宮は三、四日間二条院に籠り、さらに物忌にもかこつけて外に出ようとしなかった。これでは六条院側も黙ってはいない。夕霧左大臣は宮中から退出するついでに二条院を訪ねた。
「あんなカッチリした正装で何しに来たんだろ」
宮は嫌がったが、会わないわけにはいかない。渋々ながら寝殿にて対面した。夕霧は、
「特に何かない限りこの二条院には来ないから、随分と久しぶりだ……実に感慨深い」
と言って昔の話を少しすると、そのまま宮を連れて二条院を出た。揃って高位の官人となった子息たちや、その他の上達部、殿上人を大勢従えての一団、その威容は大変なものである。とても二条院方とは比べ物にならず、皆気圧されてしまった。女房達は覗き見して、
「なんとまあ素晴らしく美しい大臣ですこと。ご子息の方々もそれぞれにお若い盛りで小奇麗にしていらっしゃるのに、とても父君には及びませんわね。本当にご立派なお方で」
と言う者もあれば、
「あれほど重々しいご様子で、わざわざお迎えにいらっしゃるなんて憎らしいですわ。何とも気苦労の多い世の中ね」
などと嘆く者もいる。中君自身も、過去の侘しい暮らしをまず思い出し、あのような華やかなご夫婦と肩を並べるべくもない影の薄い身の上よ、といよいよ心細さは増すばかりで、
(やはり気楽に山里で籠っているのが無難なのでは)
という気持ちを強くする。
そんなこんなでその年も暮れた。
参考HP「源氏物語の世界」他
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