東屋 三
「ねえねえ右近ちゃん」
「なあに侍従ちゃん。……ってこの冒頭久しぶりだわ」
「そうなの!この頃みんなして出張ばっかりだったもんね!はー久々の古巣ラクー(ゴローン)」
「そのうち出ずっぱりになるから今の内休んどかないとね」
「ハア???アタシたちもうしんでるでしょ作中じゃ???」
「いや(笑)別の右近に侍従よもちろん。なんとなんと、これからバッチリ重要な役回りで出てくんのよね。おさ子も気づいてなかったみたいで、今頃になってアワアワしてるわ」
「知らんかったんかーい!なんちゅう行き当たりバッタリ……いや最初からずっとそうだけどさ」
「というわけで、準備作業としてとりあえず中将の君さんの連れ子の姫君は
『浮舟』
って呼ぶことにしましょ」
「あー確かに、姫君呼びだと色々紛らわしいもんねー」
「この先の巻名にもなってるしね。今後更なる波乱万丈よ、名前の通り」
「嵐のヨ・カ・ン……てことで、とりま二条院の少納言さんお願いしまっす!」
はい、少納言です。
あの姫君、浮舟さまとお呼びすればよろしいのですね。了解です!
さて、中将の君がその浮舟さまを伴われて、先ほど中君さまの御前に出ていらっしゃいました。ああ、匂宮さまを手放しで褒めちぎっておられますね……如何にも田舎の気のいい小母さま、といった感じで和みます。中君さまも思わず笑みを誘われておいでです。興奮冷めやらない中将の君はなおも話し続けます。
「北の方がお亡くなりあそばされた時は、姉君はまだお小さくて、貴女さまは生まれて間もない赤子でいらっしゃいましたからね、一体どうなってしまわれるのかと……お世話する女房も、故宮もそれはそれはお嘆きでした。よくぞあのような山奥で無事お育ちになられて……余程のご幸運をお持ちだったんでしょうね。なのにあのお可愛らしかった大君がはや世を去られましたとは。実に惜しまれますこと……」
涙声になる中将の君に、中君さまも貰い泣きされて、
「時にこの世が恨めしく心細くなったとしても、こうして生き永らえていれば少しでも慰められる折もあります。わたくしを産んでくださった母君に先立たれましたのは、まだ世の常のことと諦めもつきます。お顔も存じ上げませんしね。ですが、姉の大君のことだけはまだ忘れられない。薫右大将が何にも心を移せないと嘆かれる、浅からぬご愛情をみるにつけ残念でなりません」
と仰いました。
「その大将殿ですが、あのように――前例のないほど帝に大切な方と思し召され、お心驕りということはございませんでしょうか?大君がご存命ならば、女二の宮のご降嫁はお断りになられましたかしら?」
鋭い質問です。
「さあ、どうでしょう。姉妹揃って似たような運命だと人に嗤われる気もしますわね……かえって辛い思いをされたかも。思い半ばのまま儚くなられたことで余計にお心残りなのかもしれませんが、薫さまはどういうわけか不思議なまでにお忘れになりませんの。故宮の追善供養さえ親身にお世話してくださるくらいで」
素直に応えられました。中将の君はまた、
「故大君の身代わりを探し出して逢いたいと、こんな物の数にも入らない娘をすらそのように思し召しておられる由、弁の尼君から聞きました。かといってじゃあそういたしましょうとはとても申し上げられませんが……『一本ゆえに』――一応ゆかりの者ではあるから、でしょうか。こんな風に申し上げるのも畏れ多いですが、それほどまでに昔の恋を忘れない、深いお心でいらっしゃるのですね」
※紫の一本ゆゑに武蔵野の草は見ながらあはれとぞ見る(古今集雑上-八六七 読人しらず)
と言うと、浮舟さまの身の振り方に悩んでいる、と泣く泣く語り出しました。
先ほど二条院内でも噂をしていた者がいましたので、だいたいの話は届いていると思われたのでしょうか。あまり事細かではなくザックリと、あの左近少将に侮られた件にも触れて、
「私の命があります限りは、どうにか朝夕話し相手としてでも暮らせますが、その後は―――きっと思いも寄らぬ境遇に落ちぶれて流離いましょう。そんな悲しいことになるくらいならいっそ尼にしてしまって、深い山中にでも住まわせ、人並の結婚などということは諦めたほうがよいのか、などと思案の末にそうも思うのでございます」
と言いますので、中君さまは、
「まことにお気の毒なご境遇ではございますが、父の無い子が人に低く見られますのは世の常。女が独り身のままでいますのも中々難しいことです。故宮はまさにわたくしたち姉妹を宇治の山住みとするおつもりでしたが、これこのように心ならずも生き永らえております。まして出家するなど……御髪を下ろされるには惜しいお方ですのに」
姉の立場として大人らしく諭されました。親身なお言葉に嬉しそうにしていらっしゃる中将の君、すこし老けてはいますが目鼻立ちは整っておられて品のあるお顔つきです。ややふっくら気味のところが如何にも「常陸殿」、受領の妻といった感じではありますが……失礼ですね、すみません。
「故宮が私たち母子を冷たくお見捨てになられたことで、ますます惨めに、他人にも侮られるのだと落ち込んでおりましたが……こうして貴女さまにお目通りが叶い、お話までさせていただいて、辛かった思いもすっかり消えたような気がしますわ」
中将の君は上機嫌で、長年回った国々について―――陸奥国の塩釜、浮島の美しい景色など――ひとしきり語りますと、
※塩釜の前に浮きたる浮島の浮きて思ひのある世なりけり(古今六帖三-一七九六 山口女王)
「『我が身一つの』独りで辛い気持ちを抱えて、相談する人もない筑波山での暮らしぶりも、すっかりお話しできて胸が晴れました。いつもこんな風にお傍にいたくなりましたが、彼方にはふつつかな娘たちがおります。私がいなくなってどんなに騒いで探しているかと思いますと気が気ではございません。このような有様に身を落しましたのは残念にございますが、だからこそ――どうか哀れなこの子ばかりは、貴女さまにすべてお任せしたく存じます。よしなにお取り計らいくださいませ。私はもう縁のない者とお思し召して……」
※おほかたは我が身一つの憂きからになべての世をも恨みつるかな(拾遺集恋五-九五三 紀貫之)
※世の中は昔よりやは憂かりけむ我が身一つのためになれるか(古今集雑下-九四八 読人しらず)
といって深々と頭を下げました。中君さまも
「本当に、良いご結婚をしていただきたいわね」
と呟いておられます。
浮舟さまですが―――お顔つきも性格も難の無い、可憐なお方でした。はにかんではおられますが必要以上の物怖じはされませんし、程よく茶目っ気もあり、端々から才気も感じられます。中君さまとお傍付きの女房たちに囲まれていても、まったく遜色ありません。何より、話し方が亡き大君さまに不思議なほど似てらっしゃる。「人形」を求めてらしたあの薫さまに是非会わせたい、と中君さまが思っておられたちょうどその時―――。
「大将殿のおなりです!」
と呼ばわる声がしました。
いつものように几帳など整えて用意をいたします。
「なんと、ついに薫右大将殿を拝見できますのね。チラッとお見かけしただけの乳母がすっかり浮足立っておりましたけれど、匂宮さまにはきっと及ばないでしょう?」
中将の君がそう言いますと、御前にいる女房たちは、
「まあ、そんなこと」「どちらが上とも下とも決められないですわ、ねえ?」
とつつき合っています。
「なんですって?あの宮さまと張るようなお方とはいったい」
と言っているうちに
「今車より下りられました」
という声。引き続く先払いの声も騒がしく、中々此方においでになりません。待ちくたびれた頃やっと、歩いて入って来られた薫さま―――。
匂宮さまのようなパッと目を惹く華やかさはないものの、優雅で気品高い、清新なお美しさにございます。
そのお姿を目にしただけで誰もが気恥ずかしくなり、額髪を直すやら、居ずまいを正すやらしてしまうような、何とも言えない深みのある雰囲気を纏われていらっしゃる。その不可思議な吸引力に、あっけにとられるばかりの中将の君にございました。
内裏から退出した帰りでいらしたので、前駆も大勢いるようで賑やかです。薫さまはいらっしゃるなり、
「昨夜、后の宮の具合が良くないとの報を受けて参内しましたら、宮たちは誰もいらっしゃらなかったのでおいたわしく存じ、匂宮の代わりにと今まで伺候しておりました。今朝も随分と遅れて参内されたもので、もしやこれは貴女の過失かと――長く引き留められたかと推察した次第です」
サラリと軽口を投げかけられます。
「さようでございますか。それはまた、まことに行き届かれたお気遣いと存じ上げます」
中君さまは乗らず、わざと慇懃に返されます。どうやら薫さま、匂宮さまが内裏に宿直されるのを見届けて、ならばと此方にいらしたようです。
例によって些か距離の近い対面にございます。何かにつけ故大君を思い出し、世の中がますます嫌になって~などということをそれとなく仰って憂い顔の薫さまに、
(何故、いつまで経っても亡き姉君のことがお心から離れないのかしら。やはり一時は『浅くない思い』と仰ったものだから、まだまだ忘れてませんよアピール?)
中君さまは少々疑いを持たれましたが、そうはいっても薫さまの言動ははっきりとしております。じっくり観察していれば、如何に亡き人への思いが強いかは誰にでもわかるほど。
その一方で中君さまに対し、思わせぶりなお恨みを仰ることも多うございます。中君さまは困惑されて、
(こういうお心を止めるような禊をして差し上げたいわ)
と溜息をつきつつ、いよいよあの「人形」――浮舟さまですね――の件を持ち出されました。
「実は……内緒ですがこの辺りに来ております」
とほのめかされた薫さまは、誰のこと?とわからない振りをなさいましたが、そんな訳はありません。
「はて、その本尊とやらが私の願いを満たしてくださるなら尊いことでしょうが、時折心を悩まされるようなら、かえって悟りも濁りましょう」
などと嘯かれまして、中君さまに
「なんとまあ、困ったご道心ですこと」
と笑われておられました。薫さまが内心興味津々なことなどお見通しなのです。
「ならばその人に私の気持ちをすべてお伝えください。こういう『私の代わりに誰々を』という言葉はもう言い逃れとしか聞こえない……縁起でもない」
薫さまはそう仰って、また涙ぐまれます。
「亡き人の形代ならいつもそばに置いて
恋しくなった瀬々の撫物※にしましょうか」
※身の穢(けがれ)を除くために用いる呪物。一般に陰陽師(おんみようじ)が祓(はらい)や祈禱を行う際に,人形や衣類等を用意し,これに依頼者の穢をなでて移し,川に流し去るものである。
などと冗談めかして紛らわせてしまわれました。はっきりと意思を伝えないまま引っ込んでしまう、いつものお癖ですね。中君さまが返されました。
「禊河の瀬々に流し出す撫物が
いつまでも傍にいるとは誰が期待しましょうか
引く手あまたに、と申します。穢れを祓う大幣はいったい何人の手に触れますやら。禊の度ごとに流される撫物となぞらえられては、何やら不憫にございますわ」
※大幣の引く手あまたになりぬれば思へどえこそ頼まざりけれ(古今集恋四、七〇六、読人しらず)
「『終に寄る瀬』とはどこの誰なのか、おわかりでしょう?儚い水の泡にも負けてあえなく流されてしまう撫物、それこそが私。どうして心を慰めましょうか」
※大幣(おほぬさ)と名にこそ立てれ流れてもつひに寄る瀬はありてふものを(古今集恋四-七〇七 在原業平)
※水の泡の消えて憂き身と言ひながら流れてなほも頼まるるかな(古今集恋五、七九二、紀友則)
などと話が一向に進まないまま、暗くなってまいりました。
中君さまは少々うんざりされつつも顔はにこやかに、
「そういうわけでお客さまがおいでですので……今宵はそろそろ」
お帰りを促されました。薫さまは、
「そうですか。ではその客人に、私の長年の願いは今急に思い立ったことではない、とよくよくお伝えください。浅い心で飛びついたわけではないと。何しろこの手のことには馴れないまま過してきた私ですから、万事愚かしい振舞いばかりしてしまうもので」
と言い置かれてお帰りになられました。
中将の君はすっかりそのお姿に目を奪われて、
「まあ、なんと……なんと素晴らしい、まさに理想的なお方……!」
と放心状態です。大将殿を婿君に!と乳母から度々そそのかされましたのを
「とんでもない、そんな恐ろしいこと」
と一蹴していたことも、実物を目の前にして吹っ飛んでしまいました。
(天の川を渡っても、こんな彦星の光ならいくらでもお待ち申し上げる!娘はそんじょそこらの平凡な男に娶わせるには惜しい子なんだから。東国の田舎者ばかり見ていたせいで、あんな……左近少将とかいう、しょうもない男をやんごとなきお方~なんて勘違いしちゃったんだわ。残念すぎでしょ)
薫さまが寄りかかっていた真木柱、座られていた茵、すべてが残り香につつまれ、言葉にはとても言い表せない尊さにございます。何度も薫さまをお迎えしている女房たちですらこんな調子で―――。
「お経を読むと、功徳の優れた中でも最高なのは、その身体の内から芳香を発せられることだとありますわ。仏がそう仰られたというのも頷けます。ほんに素晴らしいこと」
「法華経の薬王品(ぼん)にしっかりと書かれておりますものね」
「牛頭栴檀(ごずせんだん)と聞くと何やら恐ろし気だけど、薫さまが間近で身動きされる度これがそうなのかしら、と思いますの。なるほど仏様の説かれたことは真実なんだわって。幼くていらっしゃる頃から、勤行も熱心になさっていたそうですものね」
牛頭とは天竺にあるという牛頭山で、栴檀という素晴らしい香の産地だそうです。
「いったい前世でどんな徳を積まれたのかしらね……」
女房達がうっとりと褒めそやすのをニコニコしながら聞いている中将の君でした。
中君さまは、薫さまの言葉をそれとなく伝えられつつ、
「あのお方はいったん思い初められると、執拗なまでにのめり込まれるところがおありで……今は女二の宮がご降嫁されたばかりですし、その点でもなかなか厄介なことがありましょうが、世を捨ててもと仰るくらいならいっそのこと、試してみては如何でしょう?」
と仰られました。中将の君は、ハッとした顏をされると、
「辛い思いもさせたくない、人にも侮られたくないとの思いで、鳥の音すら聞こえない深山に住まわせようかと考えておりました。仰る通り、大将殿のお姿やお振舞いを拝見して思います事は、たとえ下仕えの身分でもあのようなお方の身辺で親しくお仕えさせていただけるなら、さぞ生き甲斐のあることでしょう。まして若い女ならきっと心をお寄せ申し上げるにちがいありません。数ならぬ身に余計物思いの種を蒔くようなものかもしれませんが……身分の高きも低きも、とかく女は恋愛沙汰で現世から来世まで苦しい身の上になりがちだと存じ、哀れでなりません。何もかも貴女さまのお心一つにお任せいたします。ともかくもお見捨てになることなくお世話くださいませ」
切に訴えられました。すっかり背負わされてしまった体の中君さまはさすがに重いと思われたか、
「そんなに仰られましても……わたくしは今までのお心の深さはよく存知上げていますけれど、この先も同じかどうかは……」
と仰ったきり、話はそれで終わりました。
夜が明けるや、常陸国守からの迎えの車がやってまいりました。携えられた文も、守がいたくご立腹と脅すような内容で、中将の君はもう帰宅するしかありません。
「大変畏れ多うございますが、万事よろしくお願い申し上げます。私の娘を、どうかもう暫くお匿いくださいまし。巌の中に――尼にするか、はたまた別の道を選ぶか、私の気持ちが定まりますまで、ふつつか者ではございますがどうかお見捨てなく、何事もお教えくださいますよう」
中君さまに丁寧にお願い申し上げて、帰って行かれました。独り残された浮舟さまは、母君と離れたのもこれが初めてだったのでしょう、ひどく心細げなご様子ではありましたが、一方で―――二条院のような華やかで美しい場所で暫しの間でも立ち交じれることが嬉しくもありましたようです。
参考HP「源氏物語の世界」他
にほんブログ村
コメント
コメントを投稿