おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

宿木 二

2021年12月15日  2022年6月9日 

 また
夏が来て、女二の宮さまの服喪も終わりました。帝は、
「これでもう何憚ることもない。申し出があればいつでも」
 というご意向をもう隠すこともなくなり、それとなく薫さまのお耳に入れる人々もおりました。
 この頃の薫さまは、大君さまを亡くされてまだ半年余り……まだまだ完全に立ち直るまでには至っておられませんでしたが、素知らぬ顔ばかりもしていられません。何とか心を引き立てられて、折々にお文なども送られていたようです。
(相手が相手だしきちんとしないとね。もう具体的に日取りも決めてるみたいだし)
 周りからも伝え聞き、帝ご自身からもご内意を承り、今更断るわけにもまいりません。ですが、薫さまの心の内には未だ大君さまがいらして、忘れられようはずもない悲しみを抱えていらっしゃいます。
(辛い……これほど宿縁が深かった相手と、何故なにもないままで終わってしまったんだろう。不可解すぎる)
(大したことのない身分でもいい、大君のご様子に少しでも似ているところがある人なら好きになれそう……昔あったという反魂香でも焚いて、もう一度お会いしたい……)
 反魂香―――大君さまもいつか同じことを仰っておられましたね、亡き父君のお姿を一目見たいと。やはり似た者同士のお二人にございます。だからこそ結ばれなかったのでしょうが。……すみません、余計なことを申しました。
 そんなわけで、女二の宮さまという高貴なお方とのご婚儀に対しても、今か今かと待つ思いはまるで無い薫さまでした。
 一方、夕霧右大臣の方は早く早くとばかりに、
「遅くとも八月には、六の君と匂宮とを結婚させる!」
 と公言なさいましたとか。
 内裏周辺からは以上です。王命婦でした。


 少納言です。未だ二条院に居ります。
 匂宮さまと六の君さまとのご婚儀が本決まりとなったことはごく早いうちに、二条院の対の御方――中君さまですね――の知るところともなりました。
(ああ、やはり……わたくしのような数ならぬ身の上の者、きっと人に嗤われるような辛いことが出て来るだろうとは常々思っていた。宮が浮気性なのははじめからわかっていたし、危なっかしいと思いながら、二人きりの時には特にイヤなこともなく、誰より愛してるよずっと一緒だよという約束ばかり。なのにこんなにアッサリと……とても平気ではいられない。臣下の夫婦仲のようにまるっきり縁が切れてしまうことはなくても、どれだけ心配事が増えようか……情けない。わたくしのような者はいっそ宇治に帰った方がいいのかも)
(あのまま宇治に住み続けて独りひっそりと消えた方がまだよかった。今更おめおめと逃げ帰れば、山里に残って待ち構える人たちに何と思われるやら……返す返すも、亡き父宮のご遺言を違えて山荘を出てしまったのは軽率だった。いい気になってのこのこ京まで来てしまって……恥ずかしい)
(お姉さまは……とても鷹揚でいらして、何事もふんわり柔らかく振る舞っていらしたのに、芯のつよさは筋金入りだった。薫さまは今もお姉さまを忘れることなく嘆き続けていらっしゃるけれど、もしお二人が結婚なさっていたら、お姉さまはわたくしと同じような悩みを抱えることになったのでしょう。あの家柄とご身分で妻が一人だけということなどありえない)
(お姉さまのことだから、そこまで深くお考えになった末にやはり薫さまとは離れるのが得策と判断されて、出家をお望みになったのだ。亡くなる間際に突然言い出されて驚いたけれど……今思うと、何と周到なお心構えだったことか。亡き父宮ともども、わたくしをどんなに軽々しい女とみておいでかしら)
 中君さまのお心の声は悲痛なものでしたが、表に出すことはありませんでした。
(でも……何がどうなろうとわたくしの出来ることなんてない。宮にはウジウジ悩んでるなんて知られたくないわ)
 と口を噤まれ、何も知らない、耳にも入れないという振りで過しておられました。
 この方はこの方で、姉君にはない強さがございますね……だからこその匂宮さまとのご縁だったのでしょう。
 さて匂宮さまですが、常よりもさらにラブラブ……いえ親密に、寝ても起きても語らいつつ、此の世ならず遠い来世まで永遠の愛を誓っておられます。
 それといいますのも、五月に入りましてから中君さまの体調が思わしくなかったのです。酷くお苦しみになることはないのですが、いつもより食欲がなくずっと横になっておられました。はい、十中八九つわり、つまりオメデタですね。
 宮さまは妊婦を身近でご覧になった経験がありませんので、暫くは
「暑くなってきたからバテてるのかな?」
 程度の認識でしたが、長引く謎の体調不良にさすがに思い当たられたのでしょう、
「これってさ、もしかして……子供が出来た?こんな風にしんどくなるって聞くよ?」
 と仰ることもございました。が、中君さまの方が恥ずかしがられて、その度に平気な振りを装われ、女房たちもそこであえての口も挟めず、はっきりしないまま日が過ぎたのです。

 八月、匂宮さまと六の君さまとのご婚儀の日取りがどこからともなく伝わってまいりました。宮さまは隠し立てするおつもりなどなかったのでしょうが、自分から言い出すのはどうにも心苦しくてお嫌だったのでしょう、一切触れられません。それもまた中君さまには憂鬱なことでした。六の君さまとのご結婚は秘密でも何でもなく、世間では周知の事実です。予定すら教えていただけないのは切なすぎました。
 また宮さまは、中君さまがこの二条院にいらしてからというもの、内裏でも余程のことがなければ夜泊まられることはなく、ましてあちらへこちらへと渡り歩いたりすることは全く止めておられました。が、ご結婚後はそういうわけにもまいりません。中君さまが新しい生活に適応できるよう、時々内裏で宿直なさるなど少しずつ馴らそうとしてらっしゃるようです。宮さまなりのお心遣いではありますが、どうしてもこうしても中君さまにとって辛いことに変わりはありません。 
 二条院からは以上です。少納言でした。


 ハーイ、侍従でーす!再築成った三条宮邸なうです。

 薫さまの耳にもトーゼンその話は入ってきたわけね。以下、心の声。

(おいたわしいことだな。浮気な御性分の宮だから、中君への愛情はなくならないにしても、新しい方に目移りすることはあるだろう。六の君の里方は申し分ないお家柄、婿君を引き留めようとするだろうし、今までとは違い、何か月も訪れを待つだけの夜を多く過ごさねばならない……可哀想に)

 いたく同情しつつも、

(まったく、私は何てつまらないことを。どうして譲ったりしたんだ……亡き大君に想いを寄せてからというもの、世俗から距離を置き悟り澄ましていた心も濁り始めた。大君のことで頭がいっぱいになって、だからといってあの人のお心に適わないような仕打ちはするまいと……それでは初めの気持ちと違ってくるからと、手をこまねいていた。ただ何とかすこしでも好意を寄せていただいて、打ち解けたご様子が見たいと……将来ああなったらこうなったらという空想ばかりしていたんだ)

 やっぱり自分に引き寄せて後悔の嵐ね。

(だけど大君のお気持ちは私とは違っていた。そういうお扱いだった。それでも一方的に突き放してはいないという体で、此方が望んでもいない妹君を『わたくしと同じ身』だとして勧めてきたんだよね。あれはすごくショックだったし腹も立った。だから、

『よし、じゃあまずその了見を正してやろう。今すぐ宮と中君をくっつけてやる!』

 なんて、頭に血が昇ったまま勢いで宮をお連れして、騙し討ちみたいな有様で結婚させて……今思うと、我ながら頭おかしかったよね。何て酷いことをやらかしたんだろう。返す返すも悔やまれる)

(宮だってあの時のこと思えば、私に対して少しは配慮があっても良さそうなもんじゃない?……いや、あの宮が過ぎたことをわざわざ口に出すとも思えない。やっぱりああいうチャラい恋愛脳の人って、女性だけじゃなく人間関係すべてにおいてフワフワでお軽い感じなんだな)

 しまいには匂宮さまへの恨みつらみ、と。まあ自分が勧めたことなんだし逆恨みとか八つ当たりな気はするけど、自分は大君さま一筋に純愛を貫いた!って自負があるのよね。それからすると

(宮って私の尽力で中君を手に入れて散々いい思いしておきながら、時の権力者・夕霧右大臣の娘との結婚までするって本当ありえない、私なら中君一人を大事にするのに……!)

 なーんて、歯がゆい気持ちが無限大と。

 いやちょっと待って。アナタにも縁談来てるやん。今上帝のご寵愛めでたい内親王とのご結婚やん。もし大君ちゃんを妻にしてたとしてもそれ、断れるもん?

 あっいっけなーい、ついツッコんじゃった。はい、薫さま心の声の続き続き。

(大君をむなしく見送って以来……帝の娘御を賜るというおも向けにも嬉しさはなく、心にはただこの中君を手に入れていたら、という思いばかりが日に日に募るばかり……愛する人と血が繋がった人だから諦めきれないのだろうな。姉妹だからという以上に、誰よりも仲の良かったお二人だ。今わの際にさえ

『遺される妹をわたくしと同様に思ってください……不満など何もございません。ただ、妹の縁組がわたくしの考えとは違う形になりましたことだけ、残念で恨めしい心残りとして此の世に残りましょう』

 と仰っていた。天翔けりながら、中君の現状を苦々しくご覧になっておられるだろう)

 などなど、誰のせいでもない独り寝の夜な夜な、かすかな風の音にも目を覚まし、過去や未来、他人の身の上まで、世の無常に思いを馳せる薫さま。

 とはいえ三条宮内じゃ、傍仕えの女房さんたちの中にいわゆる召人(愛人)的な存在は複数いるのよね。仮初めだろうが一時の気の迷いだろうが、一応好みの女子には違いないわけなんだけど、その子たちに嵌ることは全然ないみたい。そこはハッキリしてるのよ。

 女房って言っても色々で、たとえば宇治の姫君たちみたいに元々の家柄は超いいけど時勢の具合で落ちぶれちゃって貧乏暮らししてる、そういう人を探し出して自邸で働かせるってパターンはよくあってね。ここにもそういう方は少なからずいらっしゃるわけ。出家されてるとはいえ二品の宮さまに仕えるんだもんね、身元はキチンとした人じゃないと。

 つまり客観的に見て、この三条宮に仕えてるお育ちのいい元姫君の女房さんたちと、宇治の姉妹とでは大した違いないのよ。薫さまとしては、

(さあ世を捨てる!ってなった時に、この人がいるから無理とか、ストッパーになっちゃうようなことがないように)

 ってしっかりコントロールしてたつもりが、ねえ。

(大君のことがどうしても忘れられないばかりか、縁の繋がった中君への執着……何ともみっともない上にややこしい男だよ、私は)

 グジグジ思いに囚われて、眠れないまま夜を明かしちゃった。

 明け方、霧のかかった籬の色とりどりの花々の中、はんなり開きかけた朝顔が見えたのね。

(朝の間だけ咲く儚い命の花か……無常の世にも似て、何だかやけに目についちゃうね……切ないな)

 なーんて朝だけど黄昏つつ、格子を上げてその辺でウトウトするうちにすっかり夜も明けた。朝顔が開き切るまで、たった独りで眺めてたみたい。

 それから家来を呼んで、

「北の院(二条院)に行きたいんだけど、適当な車を用意してくれない?」

 と聞いたら、

「匂宮さまは昨日より内裏にいらっしゃるようです。昨夜、お送りした車が帰って来ていました」

 なんと、宮さま今いないんだって!チャーンス!ってヒカル王子なら思うわよね。薫さまだってそこは同じ。

「ああ、それはそれでいい。対の御方(中君)がお苦しみとのこと、お見舞いに行こうと思う。今日は私も参内する日だから、日が高くならないうちに」

 涼しい顔でカッチリした衣装にお着換え。さあお出かけとばかり庭に降りて花の中に入ったその姿がまたね、ピッカピカのキッラキラ!って押し出しの強い感じじゃないのに、普通にしてるだけで何となくイイ感じでお品もよくて、そんじょそこらの俺様チャラ男なんて足元にも及ばない、完全天然ものの清らかな美しさっていうの?その手が朝顔をそ……っと引き寄せて、露がパラパラっとこう、零れるわけよ。

「今朝の間の色を愛でようか、置いた露が

 消えずに残っている僅かの間だけ咲く花だから

 ……はかないね」

 なーんてしんみり独りごちながら、折って手に持って、華やかな女郎花なんかには目もくれずに二条院へとご出発ー。すぐそこなんだけどね!

 というわけで、再び少納言さんヨロでーす。侍従でした!


 はい、少納言です。

 外がだんだん明るくなり、霧におおわれた空が綺麗に見えてまいりました。

「宮がご不在となると、女の人たちはまだゆっくり寝てるよね。格子や妻戸を叩いて咳払いするのも無粋だし……ちょっと早く来すぎたかも」

 いえいえ、二条院は一同もうとっくに起きておりましたよ。

 お供の人が中門の開いているところから覗き見をして、

「御格子は上がっております。女房達の動く気配もありました」

 とご報告しておられるのもよく聞こえました。あ、今お車を下りられたようですね。霧に紛れて、歩いてらっしゃる音がいたします。

「あら、宮さまがお忍び所から帰っていらしたのかしら?」

 などと言う女房もおりましたが、露を含んだ香りが得も言われぬ風に広がるのに気づいて、

「この香り……薫さまね!」「なんとまあ、目が覚めるような佇まいでいらっしゃること」「なのにちっとも色めいた風は見せないで澄ましていらっしゃるのは憎らしいわね」

 口さがない若い女房達が囁き合っています。

 突然のご訪問に誰一人驚いた顔もせず、衣擦れの音もさり気なく、すっと茵を差し出すタイミングも位置取りも物馴れております。さすがは二条院、並ではありません。

 薫さまが、

「此処に座るお許しを得ましたのは光栄ですが、やはりこうして御簾の前に放っておかれるのはあまりに寂しい、これでは頻繁にお伺いもできませんね」

 と仰るので、

「では、どうしたらよろしいでしょう?」

 女房が尋ね返します。

「北面のような目立たない部屋かな、こんな古なじみが控えるのにちょうどよい休み所は。ただそれは女主のお心次第、私が不満を申し上げるようなことではありません」

 薫さまは長押によりかかられて余裕の表情です。例によって女房達も、

「やはりもう少しお近くに」

 と中君さまを促し申し上げます。

 元より物静かで、荒っぽい所のない薫さまにございます。近頃はますますしっとりと落ち着いた立ち居振る舞い様でいらっしゃるので、以前は遠慮しいしい渋々だった中君さまも、だんだんと緊張も薄らぎ、ご自身で応対されるのも馴れていらしたようです。

 とはいえつわりでぐったりされている中君さま、薫さまに

「如何ですか」

 と問いかけられてもお返事らしいお返事もできず、いつもより元気のないご様子がいかにもおいたわしゅうございます。薫さまも理由を察しておいでなのかあくまでやさしく、こまやかに、夫婦仲のあるべき様などを、まるで兄君のように教え諭しお慰めになっておられます。

 ただ、内心はそういうものではなさそうです――。

(声が大君そっくりだ。不思議だな、以前はそれほど似ているようには思えなかったのに。人目に見苦しくさえなければ、簾も引き上げて差し向かいで話したい。弱っておられるお顔も見てみたい)

(やはりこの世の中、恋に悩まぬ人なんて一人もいないんじゃないだろうか)

 ご自身でもはっきりと自覚があるようですね。

 薫さまはふと手折られた朝顔の花を扇に置かれました。

「人並に出世して華々しい方面に身を置くことより、心に決めたことがあり……嘆きに我が身を持て余すこともなく世を過せるだろうと思いこんでおりました。実際には心底悲しいことも、愚かに後悔してばかりの物思いも、それぞれに止むことなく続くのは残念ですね。官位がどうのとか大仰に騒いで、日常の困り事にいちいち嘆いたり悩んだりする人よりも、私の方がより罪業が深そうな気がしています」

 朝顔の花が徐々に赤みを帯びて、色のあわいが繊細な美しさにかわっていきます。扇ごとそっと御簾の内に差し入れられ、

「なぞらえて見るべきでした、白露が

約束しておいた朝顔の花と」

 と詠まれました。

 わざとそうしたわけではないでしょうが、朝顔にはまだ露が落ちずに残っておりました。中君さまが眺めるうち、花はみるみる萎れていきます。

「消えぬ間に枯れていく花もはかないですが

置いていかれる露はそれ以上です

 何にかかれば……何を頼りにすればよろしいやら」

 中君さまのお声は小さく途切れ、慎ましく言葉を呑み込んでしまわれました。

(なぞらえる―――貴女を大君となぞらえて私のものにしておけばよかった、という下りは見事かわされたか……やはり姉君によく似ていらっしゃる)

 生前の大君さまを思い出されたか、悲しげなお顔の薫さま。

「秋の空はなお物思いを増やしますね。徒然の紛らわしにもと思い、先だって宇治に出かけてまいりました。庭も籬も実に酷く荒れ果てておりましたので、堪え難い思いがさまざまよぎりましたね。私の父―――ヒカル院のことも思い出しました。父院がお隠れになられた後、亡くなる二、三年前に出家し籠られた嵯峨の院にも、六条の院にも、立ち寄られる方はみな感慨に咽び、木草の色にさえただ涙、涙にくれてお帰りになるのが常だった。故父院の周辺にいた人たちは、上から下まで浅い心持ちの者はおりませんでした。あちこちから身を寄せられていた女君もみなバラバラになり、各々世を捨てて暮らされたとか。まして女房という心許ない身分では、悲しみを静める術もなく惑乱したまま山林に入り、ただの田舎人として哀れにさまよい散った者も多かったようです」

 薫さまは辺りを見回され、さらに話を続けます。

「そんなこんなで六条院もすっかり荒れ果てて忘れ草も生える頃、兄の夕霧右大臣が移り住み、宮たちも方々に居住されることになり、昔に帰ったようになりました。その当時、これ以上の悲しみはないと見えたことも、年月がたてば鎮まる時がきっと来る。私はそれを目の当たりにして、なるほど何事も限りというものがあるのだと学びました。ですが」

 寂しそうに微笑まれながら、

「そうは申しましても、父を亡くしましたのはまだ幼い頃でしたから、そこまで強く悲しんだわけでもありませんでした。やはりこの……近い夢こそ覚ますにも覚ませないように存じられます。同じように世の無常を嘆くといっても、親ではなく愛する人を喪った悲しみの方が罪が深いのでしょう。それもまた辛いことです」

 涙を零されました。亡き大君さまへの深い愛情が痛い程に伝わってまいります。

 大君さまのことをまったくご存知ない人でもつい貰い泣きをしてしまいそうな薫さまのご様子、まして中君さまには響き過ぎるほどに響きました。ご自身の体調不良やら匂宮さまの結婚やらでただでさえ心細く、常よりもますます姉君の面影を恋しく悲しく追い求めていらしたところです。御簾の向こうでまた一段と涙を催され、言葉も出ず、堪えきれずにいらっしゃる気配は薫さまにも伝わり、お互いに気持ちを一つに亡き人を偲んでいらっしゃいました。

 中君さまは涙をふきふき仰られました。

「『世の憂きよりは』侘しい山里の方が住みやすいと言いますが、わたくしはそんな風に比べてみたこともないまま長年暮らしておりました。今になってようやく、どこか静かな所で過したいと思うようになりましたが、中々今すぐにとはいかず、弁の尼が羨ましゅうございます。今月の二十日過ぎにはあの山寺の鐘の音も聴いてみたくて……こっそりお連れ下さいませんか、とお願い申し上げようかとも思っていました」

山里はもののわびしきことこそあれ世の憂きよりは住みよかりけり(古今集雑下、九四四、読人しらず)

 薫さまは、

「あの山荘を荒らすまいというお気持ちはわかりますが、それは如何なものでしょうか。身軽な立場の男ですら行き来が容易ではない山路ですから、行きたくても中々行けないまま月日が経ってしまう。故宮の御忌日については、あの阿闍梨にすべて言い置いてございます。彼方の山荘はやはり尊い方――仏にお譲りなさいませ。時々ご覧になったところで、お心迷いが絶えなくなっても困りますし、罪を滅する意味でも寺にしてしまうのが良いかと存じます。貴女は如何お考えでしょうか?どんなお考えであろうと従うつもりでおります。何なりとご希望を仰ってください。どんなことでも親身に承りますことこそ、私の望みです」

 一転、実務モードで語られました。ご自身でも経巻や仏像も寄進して供養など行うおつもりのようです。中君さまは、そのついでに自分も山に籠りたい、というご意向をみせられましたが、

「いや、とんでもない。今は何事もお心を広くゆったりとお過ごしください」

 キッパリと断られ、諭されました。

 日が高くなり、人が参集してまいりました。薫さまは、あまり長居して訳アリのように見えてしまっては、と思われたか、

「どんな場であっても御簾の外というのは馴れておらず、恥ずかしい気がいたしました。また近いうちにお伺いします」

 と席を立たれました。

(あの宮に、何で自分が不在の時に来たんだ?と疑われては面倒だな)

 と思われた薫さま、侍所の別当(長)という右京太夫をお呼びになり仰いました。

「昨夜ご退出されたと伺ったので来たんだが、まだお帰りではなかったようで残念だ。内裏に行った方がいいかな?」

「宮さまでしたら今日中にはご退出なさるかと」

「そうか。では夕方にでも」

 なかなか周到にございます。

 では再び三条宮の侍従さん、お願いいたします。少納言でした。


 了解、侍従でーす!

 あ、もう帰って来た……当たり前か、ホント近いからね。

 早速心の声がダダ漏れに聞こえてきたわよ。

(やっぱり中君の気配、雰囲気、声を聞く度、何で亡き大君のご意向に反して何も考えずに宮に譲っちゃったんだろうって、後悔がますます大きくなる……心に引っかかっちゃって取れない……何で私は自分から悩む方向に突っ走っちゃうんだろう。修行が足りないのかな)

 自分から悩む方向に突っ走る。

 なっつかしーい!ヒカル王子もよくそんなこと言ってた!でも次の瞬間キレイさっぱり忘れて、同じ口でヤバイ誰かをメッチャ口説いてたりとかしてたよね。イケメンってすごいわーさっすがアタシのいち推し王子♪なんて思ってたもんだけど。

 そうじゃなく、その「反省」が斜め上に暴走しちゃうのがこの薫さまって人で。

 やたらめったら精進だー勤行だーって日がな一日没頭しすぎるもんだから、あの!

 ボンヤリポヤヤンの三宮ちゃんこと、入道の宮さまにまで心配される始末。

(何この子……急にどうしちゃったのかしら。何か怖いし不吉だわ) 

 ドン引きしたんだろね、

「わたくしももう『幾世しもあらじ』、先もそうそう長くはない身なのですから、せめて一緒にいる間だけでも嬉しい姿を見せてくださいな。この世を思い捨てるにせよ、わたくしのような尼姿の者が反対することでもないけれど……此の世がもうどうしようもないところと思うそのお心迷いこそ、ますます罪を得ることになろうかと思いますよ」

幾世しもあらじ我が身をなぞもかくあまのかるもに思ひ乱るる(古今集雑下、九三四、読人しらず)

 ド正論をかまされちゃった!完全に保護者側にいたはずの薫くん、ションボリ。

 グズグズ拘ってたこと無理くり薙ぎ払って、母宮さまの前だけでも悩み顔を見せないように頑張ったみたい。すごいわ、ちゃんと母親してるじゃん三宮ちゃん!見直した!

 というわけで三条宮からは以上でーす!侍従でした!

<宿木 三 につづく

参考HP「源氏物語の世界」他

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過去記事の改変は原則しない/やむを得ない場合は取り消し線付きで行う/画像リンク切れ対策でテキスト情報追加はあり/本や映画の画像はamazonまたは楽天の商品リンク、公式SNSアカウントからの引用等を使用。(2023/9/11-14に全記事変更)

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