宿木 一
こんにちは、王命婦です。
先ほど少納言さんが「次世代の二条院」を語っておられましたので、私も元・藤壺の女房の一人として「次世代の藤壺」を語ってみようかと存じます。よろしくどうぞ。
この御代において「藤壺の女御」と呼ばれるお方は、先ごろ亡くなられた左大臣さまの御息女にございます。今上帝がまだ春宮であらせられました折、誰よりも先に入内を遂げられ、そのご寵愛も格別のものだったのですが……後からいらした明石女御さまに、あっという間に取って代わられてしまいました。今や中宮さま、何人もの宮さまがたがそれぞれ立派に成長しておられます。
藤壺女御さまは、
(わたくしには女宮がたった一人だけ。何とも情けない……これほど他人に圧倒されどおしの運命だったとは。わたくしの代わりに、せめて将来に不安のないようお世話してあげたい)
との思いを込めて、一粒種の女二の宮さまを大事に大事に育てておられました。ご容貌もたいそうお美しくいらして、帝もお気に入りの宮さまでございました。
明石中宮さま腹の女一の宮さまはまさに比類なき持て傅かれよう、押しも押されぬご威勢ですが、女二の宮さまとて、内々では決して劣らないご待遇でございます。父大臣の御威勢が盛んであった頃の名残も衰えることなく、何の不足もございません。仕える女房達の身なりからして一分の隙もなく、季節に応じて趣味よく調え、華やかかつハイクラースな雰囲気の中で暮らしておいででした。
その女二の宮さまが十四歳になられた年のこと。
母女御さまは早々に裳着の式の準備を始められました。何事も並々ならぬ風にと気合を入れられて、代々伝わる宝物の数々もここぞとばかりに探り出しては一つ一つ吟味されるなど、多忙な日々を送っていらっしゃいました。
ところが何としたことか―――夏頃、女御さまが物の怪を患われ、あっけなく世を去られたのです。突然のことに皆言葉を失い、帝も大変なお嘆きようでした。
人あたりの良いお優しい方でしたので、殿上人たちも
「なんてことだ……寂しくなるなあ」
と惜しみ、さして関係もない普通の女官まで残らずその死を悼みました。
ましてまだお若い女二の宮さま、どれほど心細く悲しかったことでしょう。帝もいたくご心配されて、四十九日が過ぎるや、母君のご実家にいらした宮さまをこっそり藤壺に呼び戻されました。以来毎日のようにお渡りになり、お会いになっておられます。
黒い喪服に身をやつしていらっしゃるお姿はますます愛らしく、上品な雰囲気がいや増しています。お心構えもたいそう大人びておられ、お淑やかで威厳のあるところは母女御さまに勝るとも劣りません。帝も、将来有望なお方とお認めでしたが、いかんせん母方にはかばかしい後見役がいらっしゃいません。男性親族は異母兄弟のわずかお二方のみ、それも大蔵卿、修理大夫という程度でした。
官職もパッとしない、身分も高貴ではない人たちに頼るしかない女二の宮さま、
「これでは何かと不都合なことも多かろう……哀れなことだ」
帝お一人だけでこの宮さまの人生を背負わねばならない―――中々厳しいことにございます。
お庭先の菊が色とりどりに咲き乱れまさに花盛り、空模様は時雨れて胸に染みる日、帝は真っ先にこの藤壺に渡られしんみりと昔話などなさいました。宮も、おっとりとしてはおりますが決して幼稚な感じはしないお返事をかえされます。
(なんと愛らしい娘だろう)
帝は目を細めつつ、あれこれと思いを巡らせておられるようです。
(この容姿、この雰囲気、話し方……どれをとっても、誰もがきっと好ましく思うに違いない。そういえば父の朱雀院も姫宮を六条院に降嫁したよね。あの時は、いくら相手がヒカル院といえども内親王が臣下に降嫁など勿体ない、独身のままでよくない?って声も暫くは出てたけど……今や息子の薫中納言が誰より丁重に、何から何まで面倒をみているものだから、往時の威勢も衰えずセレブな暮らしを維持しておられる。もし独り身のままだったなら……父院亡き後うら若い女一人でどうなったやら。他人に軽んじられるようなことも起きかねなかったよね。ま、ともかくも女二の宮の落ち着き先、私が在位している間にどうするか決めてしまわないと)
女二の宮さまを降嫁させても遜色ないようなお相手―――やはり、薫さま以外には考えられません。
(薫なら、どの内親王と並べても釣り合いが取れないなどということはあるまい。もとから心を寄せている人があったとして、悪い噂などとんと聞かないし、いずれは正妻を持たないわけにはいくまい。その前に私の意向をほのめかして確保しておかないと)
はっきり心に決められて、折々に算段なさることになったのです。
そんなある日のこと、帝は女二の宮さまと碁を打っておられました。時雨がさっと降りかかり、濡れた花の色が夕映えに美しい暮れ方にございます。帝は蔵人に問われました。
「今内裏には誰がいる?」
「中務親王、上野親王、中納言源朝臣がいらっしゃいます」
「では、中納言朝臣をこちらへ」
薫さまをお呼びになりました。帝のお気持ちもわかります、薫さまがいらっしゃる際には、遠くから間違えようもない薫りが満ちみちて、そのお姿はこよなき素晴らしさなのですから。
「今日の時雨はいつもより特に穏やかだが、楽の遊びなどは憚られる時だから暇をもてあましていてね。こういう時の気慰みにはやはりコレかな」
帝は碁盤を持って来させ、薫さまにお相手を命じられました。帝がこのように間近で接されるのはいつものことですので、薫さまも普通にはい、と返事をされて差し向いに座られます。
「ちょうどよい賭け物があるようだが、軽々しくは渡せないな……さて、何かな?」
帝が仰った一言を、薫さまはどう捉えられたか――いささか顔を引き締められたかのように此方からは見えました。
お二人の対戦は三番勝負で、帝が一つ負け越されました。
「うーん悔しいな。よし、今日のところはまずこの花一枝を許そう」
帝のこのお言葉には返事をしないまま、階を下り良さそうな枝を見繕って手折られました。
「普通の家の垣根に咲く花ならば
思いのまま折って賞美しましょうものを」
薫さまに、帝の内意は確かに伝わっているようです。帝も、
「霜に堪えかねて枯れてしまった園の菊でも
残った花は色あせず咲いているよ」
とお返しになりました。
こんな風に、折々ほのめかされる女二の宮さまとのご結婚―――人伝てではなく直に承わりながらも、そこはいつもの薫さま。慌てず騒がず、
(私、結婚する気はないんだよね……今までもいろいろな縁談が舞い込んで、断るのは心苦しいような相手もいたけれど、無理やりスルーしてきたんだ。今更妻を持つなんて、まるで聖が還俗するようなものじゃないか)
なーんてイキリたおし……いえ、平静を装っておられるようです。
(恋しくてたまらない相手ならともかく……后腹の、女一の宮ならまた別だけど!)
おやおや、案外と栄耀栄華をお望みのようで。少なくとも聖とはいえませんわねえ。
夕霧さまのお耳にも入った模様です。
「エエー帝が?!何と……わが六の君は薫にと思ってたのに。渋られても、根気よく頼みこめばきっと断り切れまいと……これは意外な伏兵が出て来たものだ。どうしたものか」
とはいえ匂宮さまと六の君さま、正式な求婚の形ではないにしろ折々の風流なお文のやりとりは依然続いております。
「うーん……まあ別に、真剣な気持ちでなくてもいいのかもしれん。六の君ほどの娘なら、いざ結婚してしまえば情もわくというものだろう。水も漏らさぬ真面目男に!と拘りすぎて結局大した身分でもない輩に下げ渡すなんてことになったら外聞も悪いし、だいいち勿体なさすぎる!」
一度は傾いた心が、また元に戻ろうとしています。
「何しろ女子の身の振り方が難しい昨今だ。帝すら婿をお探しだというのに、まして臣下の娘が盛りを過ぎては元も子もない……」
ご心配のあまりでしょうか、帝に対して批判がましいことを仰るばかりか、妹君の明石中宮さまにまで本気の苦情を申し立てることが度重なりました。ほとほと困り果てた中宮さま、
「匂宮、大臣がお気の毒よ?あんなに一生懸命にお願いしてらしてもう何年経ったのかしら。のらりくらりと言い逃れてばかりではさすがに通りません。そも親王というものは、妻となる方のご実家次第。主上とて、御代もそろそろ終わりに近いと始終仰せになっているんですからね?臣下の者は正妻が決まれば他に心を分けることは難しいもののようですが、兄大臣は律儀に、彼方も此方も羨むことのないよう平等に遇していらっしゃる。やれば出来ないこともないのよ……まして貴方は――主上のご意向叶って春宮に成られたなら、それこそ何人でも伺候させることが出来ますわよ?」
いつにも増して懇々と諭され、道理を説かれました。
匂宮さまもさすがに大人しく聞いておられたようです。心の声が聴こえてまいりましたよ―――
(私だって、元から六の君が絶対イヤとかじゃないんだよね。完全に拒絶する気は無い。ただ……あの伯父の、万事キッチリ格式ばった邸に閉じ込められて、今までの自由奔放気ままな生活サヨナラ~ってなるのが耐えられないんだよね。だけどあんまりにも怨まれて、見捨てられちゃっても困るな……)
抵抗もここまでといった感じでしょうか。そもそも浮気性なお方ですし、あの紅梅大納言の継娘・宮の御方さまのこともまだ諦めておられず、花紅葉にかこつけてはお歌を贈るなど、どちらにもご関心がおありのようです。
とはいえこの年は何もないまま暮れました。
参考HP「源氏物語の世界」他
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