総角 十
「ねえねえ右近ちゃん」
「なあに侍従ちゃん」
「なんか……エライことになっちゃったね。薫くん大丈夫?何だか薫くんだけ踏んだり蹴ったりじゃないのこれ」
「いや大君ちゃんもかなり可哀想。中君ちゃんの親代わりで頑張り過ぎた上に、タイミング悪く色々重なって拗らせまくって、精神的に参っちゃったのね……気の毒すぎ」
「ていうかさー、まーたあの阿闍梨!ヤバくない?!八の宮さまが夢に出て来て~ってアレ嘘でしょ!追善供養ドーンといきましょ!ナントカっていう内裏じゃやらない(つまり相場もよく分かんない)行をやりますよってかもうやってます!もち特別料金ヨロ!て感じ?騙されてない?!」
「侍従ちゃんたら、そういうことはもう少しオブラートをかけるものよ。まあ前から変な人よね、出家もしてない八の宮さまにもう娘と会うな!とかさ。山荘に帰してあげてたらせめて死に目にはあえたかもしんないのに。娘ちゃんたちだって別に尼でも何でもないんだから、父親の亡骸すら見せないとかオカシイわよ。その上、大君ちゃんただでさえ弱ってるところにあんな説教臭い夢の話なんかして更なる罪悪感植え付けてさ。一気に悪化したのはほぼアイツのせいね。ホントにもうあの手の聖職者ときたら」
「右近ちゃんこそオブラート皆無ー!前からお坊さんに対しては手厳しい紫式部パイセンだけど、今回は特にガンガンいってたね。神も仏もないとはこのことよ」
「盛り上がってるわね」
「あっ王命婦さん!」
「いらっしゃい。ささ入って、話したいこと山ほどあるから!」
「あら、もうお茶とお菓子用意してある」
「そうでーす♪きっといらっしゃると思って!何の変哲もない蕎麦ぼうろですけど」
「私好きよ蕎麦ぼうろ。シンプルだけど技を感じる味よね」
何だかんだでお茶タイム。
王「今回なんといっても一番株を上げたのは匂宮くんね。あれほどの逆風の中で順当に中君ちゃんの将来をガッツリ保証」
侍「うん!単なるチャラいだけのボンボンかと思ってたら、しっかりお母様との交渉もして、二条院に住まわせる許可も勝ち取っててエライ!」
右「あの紅葉狩りの時は薫くん共々まんまと夕霧くんにしてやられてたから、あーあと思ってたけど、手紙で下手な言い訳しないで、とにかく中君への気持ちは本物だから信じて!って言い続けたわけでしょ。なかなか男気があるわよね」
侍「エッ、あの突然のお迎えの黒幕ってやっぱ夕霧くんなの?!」
右「そうよー当たり前じゃん。宇治の姫君に会うの邪魔して京に帰らせて、帝や中宮さまにあることないこと吹き込んで外出禁止に仕向けるって誰がみても妨害工作でしょ。六の君ちゃんとの結婚は一族繁栄のためのマスト項目だからさ、家族ぐるみで一致団結よ。逆効果だったみたいだけど」
侍「うわーあの、ヤーイ浅葱ってバカにされてベソかいてた夕霧くんが?!陰謀渦巻く王朝ロマンってかんじー!でもそれで逆に燃え上がっちゃったよね!」
王「匂宮くんのいいところはさ、情熱を躊躇いなく表に出すところね。雪の中駆けつけるサプライズ訪問とか、あれポイント高かったもの。忌明けギリ前っていうのがまた絶妙よ」
右「少し落ち着いたところだし、明けるの待ちきれませんでしたっていうアピールにもなるもんね。こういう手練手管がややあざといかな~って気もしなくもないけど、若い中君ちゃんにしたらインパクト大。さすがは稀代のチャラ男の血筋ね」
侍「いやちょっと待って!ヒカル王子だったらあの場でバッチリ言いくるめてラブラブ状態まで持ってくと思う!ゼッタイ!」
王「アハハ、そうかもね。私、ちょっと前から考えてたんだけど、大君ちゃんをヒカル王子が口説いたらどうなるかしらって」
右「そりゃあもちろん最初に乗り込んだところで一気に、じゃない?あんな近くで一晩過ごして何もないなんて、ありえないでしょ王子なら」
侍「右近ちゃん即答ー!でもアタシも同意見ー!」
王「王子のマネは未経験だけど、この際だからやってみましょうか。えーと、八の宮さまの一周忌直前のアレね。屏風をどけて入ったところ(ウォホン)。
『隔てない、という言葉の意味?さあ、どうだったか……愛しい貴女を目の前にして、隔てというものが何なのかもうわからなくなったよ。ああ、なんて美しいんだ貴女は!思っていた通り、いやそれ以上だ(ぐっと抱き寄せる)震えてるね?大丈夫、怖くないよ……(髪を撫でる)』
ここで大君ちゃんのセリフね。
『こんな……こんなお心をお持ちとは思いも寄らず、不思議なほど親しくさせていただいたのに……不吉な袖の色まですっかりご覧になってしまわれる思いやりの無さ……わたくし自身の不甲斐なさも思い知られて、どうにも立ち直れそうにありません……』
『何を仰る。どんなに華やかで豪奢な衣装を着た姫君よりも貴女は清らかで、上品で、綺麗なのに!亡き八の宮にも生前、くれぐれも娘をよろしくとお言葉をいただいて、私はとても嬉しかった。ずっと貴女を思っていたから(ここで涙ぐむ)……そのお袖は、私がこれまで堪え続けた涙の色。不吉だなんてとんでもない、私には何もかもが愛おしい。可愛い人、立ち直れないと仰るなら私にすべてを預けて。さあ、もっと近くに―――(さらに引き寄せる)』
『だ、だれか』
『私は何をしても許される身だから、誰を呼ぼうと無駄ですよ……』」
侍「ひっ、ひゅうっわあああああっうぉっ(昏倒)」
右「じ、侍従ちゃん、気をしっかり持って!さすがね……こりゃさしもの大君ちゃんでもひとたまりもないわ」
王「え、似てた?テキトーに声つくって言いそうなこと言ってみただけなんだけど」
侍「うわーーーーん王子いいいいい(号泣)」
右「下りてた下りてた。ヤバかったわ……鳥肌」
王「今言いながら思ったんだけど、考えてみればこの時が千載一遇のチャンスで、ターニングポイントだったのねえ……薫くんにしても大君ちゃんにしても。ここで一気になだれ込んでいれば全然展開が違ったかもね。今更何を言ってもタラレバでしかないけどさ」
右「いやホント、私も聞いててやっと気づいた。薫くんも自己肯定感メッチャ低いんだわ。王子や匂宮くんみたいに自信満々でグイグイ行く感じははなから無理だったのよね」
王「出生の事情が事情だけに不憫ね。薫くんの責任じゃ全然ないのに」
右「ねー、今回の失敗はトラウマになっちゃいそう。今後の恋愛にも差し支えるわ。……えっと侍従ちゃんが立ち直れそうにないから、代わりに言っとく。まだまだ、嵐の……」
侍「ヨカーン!!!」
王・右「もう立ち直ったんかい!」
閑話休題。
えー、侍従ちゃんは山寺の阿闍梨の夢の話を単なる営業活動じゃん!と断じておりましたが、実は金目当てばかりとも言い切れない。「常不軽(常に軽んぜず)」という、実際やるには結構シンドイ行をわざわざ持ち出した理由は別のところにあったようです。
【コトバンクより】法華経・常不軽菩薩品の中で常不軽菩薩が説いた二十四の語を唱え、人々を礼拝して巡り歩く行。人はみな成仏するとして、会う人ごとに軽んずることなく礼拝した。
我れ深く汝等を敬う、
敢て軽慢せず、
所以は何ん、
汝等皆菩薩の道を行じて、
当に作仏することを得べし
(我深敬汝等。不敢軽慢。所以者何。汝等皆行菩薩道。当得作仏)
身分の別なく誰でも平等に仏に成れるという考えのもと、会う人ごとに額づくということをやる行ですが、これが亡き八の宮のためとはどういう意味なのか。
橋本治さんの「窯変源氏物語」には―――ついに出家することなく親王のまま世を去った八の宮は、この二十四の語でいう「軽慢」の罪を犯している疑いがある。解脱できず、極楽浄土に行けないでいるのはこのせいかもしれない。だからこそ親王の身分では絶対にしない(できない)であろう「誰にでも平等に額づく」行を供養とした。ただ、この考えを在俗の貴人である薫や大君に説くのは憚りがある。そのため多くを語らないまま阿闍梨は去った―――とあります。
つまり中君の結婚がどうとか、大君と薫の色々とか、ぜんっぜん関係ないわけですね。 営業活動かどうかはともかくとして、少なくとも病身の大君への配慮は何も無い。阿闍梨も罪なことをしてくれたものです。
ただ阿闍梨からすると、はじめは道心深いと見えた八の宮が口ばかりで俗世から離れようとせず、姉妹を手放さないままついに世を去ったことに対して思う所は大いにあったでしょう。悟り澄ました聖、俗人とは価値観も見えている風景も違う。父の遺した言葉、宮家という身分、困窮する家、姉という立場、幾重もの鎖に囚われた大君は、もう死によってしか解放されないとみていたのかもしれません(それもどうかとは思いますが)。
一方、紫式部がこの「常不軽」を作中に取り上げた理由は何だったのかが気になります。身分制度にガッツリ縛られた平安時代、「誰にでも平等に」といったワードが響いたのでしょうか。当時の仏教に対する痛烈な皮肉でもあるのでしょうか。今後はこういう方向にいくはず、いってほしいと願っていたとしたら……もはや予言者ですね。
ともあれ、「常不軽」の説示は時空を超えて、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」まで受け継がれてゆきます。いやーホントに源氏物語って凄い。
参考HP「源氏物語の世界」他
にほんブログ村
コメント
コメントを投稿