おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

総角 五

2021年11月17日  2022年6月9日 


  こんばんは王命婦です。ただ今、内裏に潜入中。

 先ほど参上された匂宮さま、心ここにあらずといった趣でそわそわなさっておられます。うわの空のご様子を母君の明石中宮さまが見咎められて、

「やはりいつまでも独り身のまま、世に色好みの親王さまよと名が広がることなど、良いことはひとつもありませんね。何事につけ風流が過ぎるのも考えものです。帝の上もお心を痛めておりますのよ、貴方はちっとも参内して来ないし」

 二条院や六条院にばかり入り浸ってらっしゃるのも併せてきつくお諫めになられました。さしもの宮さまもこれには凹まれたようです。中宮さまのもとを退出され、宿直所で宇治への文を書いて出された後も、溜息ばかりつかれながらぼんやりしておいででした。そこに薫中納言さまがやって来られたのです。

 やれ味方が来たと嬉しく思われたのでしょう、

「どうしよう……もうメッチャ暗くなってきたよね。出るに出られなくてイライラするよ」

 と泣きつかれました。

(本気で恋しく思われてるのか、どうなのか)

 薫さまは確かめてみたくなったのか、

「久しぶりに参内なさったのに宿直もせずサッサと退出しては、ますます中宮さまのお覚えが悪くなりましょうね……台盤所でお話は聞いておりましたが、こっそり面倒な宮仕えをしたばかりに、私までいわれなきお叱りを受けるのではとドキドキしましたよ」

 と突き放した言い方をされました。宮さまは、

「言わないでくれ……大抵のことは誰かが大袈裟に言って回ってることなんだからさ。世間から非難されるようなことなんて何もしてない!まったく、こんな不自由な身分ならば無い方がマシだ!」

 心底からのお言葉のようでした。

(なるほど、これは本気だな)

 お気の毒に思われた薫さま、

「どちらにしろご不興をかうのであれば、今宵の罪は私が引き受けて身代わりになるといたしましょう。『木幡の山に馬』は如何です?ますますお噂が立つことになりましょうが」

山科の木幡の里に馬はあれどかちよりぞ来る君を思へば(拾遺集雑恋、一二四三、人麿)

 と提案されました。

 そうこうしているうちにも日は暮れて夜も深まってまいります。思い余った宮さまは、ままよと馬に飛び乗られました。

「さすがに私はお供できませんので。後を固めておきます」

 内裏に残ることになった薫さま、そのまま中宮さまの局に参上されますと、

「匂宮はもう出立したのね。何と呆れ果てた、困ったお振舞いだこと。世間にもどう見られることやら。主上のお耳に入れば、きっと『なぜもっと強く言い聞かせて止めなかったのだ』とお思いになるでしょうし、口にも出されることでしょうね……嫌だわ」

 既にすっかりご存知で、端正な眉をひそめておられます。大勢お産みになられた宮さまがたはもうすっかり大人になられましたが、この方はいよいよ瑞々しくも匂いやかにお美しい。さすがはあのヒカル院の娘御、入内以来いちの后として不動の地位に君臨し続けておられるお方にございます。

(女一の宮もこんな感じなのかな。チャンスさえあれば、このくらい近くに寄ってお声なりとも聞いてみたいものだ)

 薫さまは惚れ惚れしつつ、

(恋多き男がよからぬ気を起こすのも、こんな風な間柄でさして遠慮もなく出入りしていながら、思うようには出来ないという場合なんだろうね。私のような変わり者はなかなかいないと思うけど、それでも動いてしまった心をなかなか断ち切れないのだから)

 などと思いを巡らせていらっしゃいます。まあ「姉君」の中宮さまとは血が繋がっておりませんし、その娘御の女一の宮さまも同様ですからね……内心、色々と妄想されても致し方ないことではあります。……失礼、余計なことを申しました。

 中宮さま付きの女房たちは皆容貌も気立ても悪いところはなく、それなりのレベル以上の者ばかりよりどりみどりに揃ってございます。中には好みのタイプもおられるでしょうし、心惹かれる瞬間もきっとおありでしょう。ですが薫さまは、誰に対してもその手の方面には無関心、といった態度を貫いておいでですので、殊更に気を引こうとチョッカイをかける女房も一定数いるようです。

 総じて、此方が気後れするような落ち着いた雰囲気を醸し出しておられる薫さま。表面上とり澄ましている女房達も内面はさまざまですから、この子が?というような意外な一面をご覧になることもままあるのでしょう。

(人それぞれに面白くもあり、いとおしくもある)

 と立ち居する間も世の無常を思い続けておられるようです。

 何と言いますか……若いのに老成しすぎ、というより老成した自分に酔いしれているような、そんな感じもいたします。あ、またまた余計なことを。お忘れください。

 内裏よりは以上です。王命婦でした。


 ハーイ、宇治から帰るに帰れなくなった侍従でーす!(泣)

 此方では、薫さまからどどーんとご結婚準備品みたいなのが着いたのにも関わらず、夜になっても文の使いだけで匂宮さまご当人が中々いらっしゃらないんで、

「案の定よ、その程度だったんだわ」

 なーんて皆して凹みまくってた。

 ところが、よ!

 夜中近くになって殆どもう諦めかけてた頃。

 いつものごうごう鳴る山風を切って、馬のいななき&蹄の音が!

 あれよあれよと近づいてきたかと思ったら山荘前で停まった!

「こんな時間にお客……?」「まさか」

 そのまさかよ!

 匂宮さま、颯爽と登場ーーー!!!

 京から宇治までほぼ駆け通していらしたのね、肩で息をしていらしたわ。

 汗ばんだ額、上気した頬、どこまでも優雅な所作、立ち昇る得もいわれぬ薫り―――何より、中に入られた宮さまが中君さまをご覧になった瞬間の、あの目!

 もうね、完全に恋する男の目よ!!!

 もうマジイケメン!ヤバいくらいイケメン!!!

 あんなアツい視線を向けられて落ちない女なんていないわマジで!

 実際、中君さまも全力で着飾ってお化粧して、頭の天辺から爪先まで完璧に整えてたわけ。それだけで超絶キレイ!だったんだけど、宮さまと見つめ合った時の絵面ときたら尊すぎて……!ゼッタイ、中君さまも胸キュンしてたはず!辺りの空気がもうね、キッラキラに輝いてる感じ?!

 でね、京じゃチャラ男で有名な宮さまじゃない?それこそ名だたる美女をたっくさん見てるはずなのに、中君に本気で見とれちゃって言葉が出ないの。周りにいる古女房さんたちなんてもう、一気に若返っちゃって大はしゃぎよ。

「なんてまあ中君のお美しくお可愛らしいこと!」「並の身分の殿方などお呼びじゃないわね。ほんに、理想的な宿世をお持ちでいらっしゃる」「それに引きかえ、姉宮の頑固なことといったら……」

 何気に大君さまのワルクチも呟く始末。

 この女房さんたち、晴れの日だからって年甲斐もなく派手派手な色の衣裳を縫ってめかしこんでるんだけど、正直……似合ってる!素敵!って思うような人は誰もいないのね。

 大君さま、

(わたくしもだんだんと盛りを過ぎて来た身。鏡を見れば、痩せ細る一方なのがわかる。この人たちは自分を醜いとは思わないの?後姿は気にも留めず、額髪を引きかけては化粧で取り繕ってしたり顔をしているけれど……わたくしはまだあの者たちほど酷くはない、目鼻立ちも悪くないと思うのは自惚れかしら)

 ぜんっぜん自惚れじゃないんだけど、誰も褒めてくれないもんね大君さまのことは。しょんぼりされて、ひとり外を眺めつつ臥せってらした。

(薫さまのような立派過ぎる方と結婚だなんてますます似つかわしくない。もう一、二年も経てばすっかり衰えてしまうだろう、こんな儚い身の上のわたくしでは)

 大君さま、確かにすっごく細いのよね。お袖から見える手なんてもう折れそうな感じ。そのほっそい手を目の前にかざして、溜息ついてらした。

 いやいやいや、ぜんっぜん、女房さんたちなんかと格が違う、ステージが違うってやつよ!衰えるなんてとんでもない!メッチャお綺麗なのよ、中君さまとはタイプが違うってだけで。

 だからさー、薫くんがダメなのよ!匂宮さまみたいに顔見るなりラブ全開で、綺麗!可愛い!素敵!会いたかったよ君が一番!って言葉を雨あられと浴びせなきゃなのよ。それでこそ恋も女も輝くってもんでさあ……ハア。失礼しましたついコーフンしちゃって。

 

 お二人のラブラブっぷりは言うまでもないから置いとくとして、問題は匂宮さまが今後も宇治に通い続けられるかって話よね。親王って重い身分でホイホイといつでもどこでも出歩けるわけもないし、中宮さまにあれ程苦言を呈されればスルーも無理。

 宮さまはそんな事情をつらつら説明なさった上で、

「もう本っ当に辛い!んだけど、心ならずも途絶える時はきっとあると思う。どうしたのかしら心変わりかしら、なんてこと考えないでね。いい加減な気持ちなら、まずもって今夜ここにはいない。私の恋心を疑って思い悩むなんてことをさせたくなかったから、色んな事情もかなぐり捨てて来たんだ。ただ、いつもこんな風に抜け出せるとは限らない。やはり京に住まいを移すことを考えよう。なるべく早いうちにね」

 優しく懇々と仰るんだけど、中君さまはとても額面通りには受け取れない。

(途絶えがあるかもと仰る。つまりこれが噂に聞く宮の『風流好み』のお心というものなのかしら)

 両親いない、後見もない辺鄙な山里住まいの我が身の頼りなさを改めて実感されて、涙目になっちゃった。

 しらじらと明け行く空、匂宮さまは妻戸を押し開けて、中君さまのお手を引いて一緒に外をご覧になったのね。一面に霧がかかって、まさに山里の朝っていう風情。いつもの柴積み舟がしずしず行きかう度に立つかすかな白波を見た宮さま、

「京ではまず見たことがない。いい感じだね」

 と呟かれて、気分よさげに眺めてらっしゃる。

 山の端から徐々に光が射してきて、中君さまの超絶整ったお美しい容姿がはっきり見えてくると、景色そっちのけで見惚れてらした。

(どんなに大事に育てられた内親王であってもここまでのレベルの子は滅多にいない。姉君の女一の宮が素晴らしく思えるのは、身内びいきもありそう。この繊細な美しさ、いつまでも眺めていたい)

 中君さまを見つめる熱のこもった切ない目!アタシまできゅーんと来た、いやマジで。

 水の音がメッチャ煩いし、宇治橋は古すぎてもうボロボロ。霧が晴れてくるにつれて、趣深い通り越して荒っぽい岸辺が隠しようもない。宮さま、

「こんな場所に今までどうやって暮らしてきたのか……」

 って涙ぐんじゃってね。もちろん不憫に思われてのことだけど、中君さまは田舎暮らしを改めて指摘されたみたいに思ったんだろうね、顔を赤らめてた。

 何度も言うけど匂宮さまも超絶イケメン!なのよ。やっぱりヒカル王子の孫だけあるわよね、色気もお品もある端正なお顔立ちで、現世だけじゃなく来世まで夫婦の契りをなんて囁かれたひにゃもうねー。今までの何もかもどうでもよくなっちゃうわよホント。

(あまりにも思いがけない展開ではあったけれど……長く見馴れていた薫さまよりずっと心安い感じがする……)

 距離が一気に縮まったもんね。そらそうよね。

(そもそも薫さまのお心は姉君の方にあるし、あまりに品行方正が過ぎて気遣いなところはあった。匂宮さまは……お噂で聞いているだけの間は薫さまより遙かに遠い存在で、お返事を一行書くにも気が引けたものだけれど……今は、長く訪れが途絶えてしまったらきっと寂しくてたまらない……我ながら変わったものね。恥ずかしい……)

 なーんて感じでまた頬を染める若妻……初々しいったらないわー。

 お供の人たちがやたら咳払いし出した。「そろそろお帰りを」の合図ね。宮さまもあまり遅くならないうちに京に着かないとさすがにマズイってこと、じゅうじゅう承知なさってる。

「もし来られない日が続いても、どうか私を信じて!

 中が絶えるということではないのに

貴女は独り袖を枕に夜半涙に濡れるのだろう」

 慌ただしくお仕度して外に出た宮さま、立ち去りがたく振り返り振り返りしてらっしゃる。

「絶えないようにと信じて宇治橋の

遙かな中をお待ち申しましょう」 

 中君さまの、言葉にならないお気持ちがヒシヒシ伝わって来る……!もうこれは熱愛よね、間違いない。三日夜の間に二人ともすっかり激しく恋に落ちたってわけよ、うん。

 後ろ姿まで類まれなるイケメンの匂宮さまの朝帰り――これで何も感じない若い女なんているわきゃない!

 見送った後、宮さまの残り香にもウットリして余韻に浸る中君さま、まごうかたなき恋する女よ。

 こんな感じで、すっかり明るくなってからのお帰りだったものだから、女房さんたちも宮さまのお姿をしっかり覗き見たのね。

「薫さまは人懐こさと近寄りがたさが両立していらっしゃる感じだけど……匂宮さまはもうひと刻み上のご身分のせいか、今朝は心なしかいっそう素敵に見えましたわね」

 なーんて皆キャッキャ騒いでた。

 アタシもひっさびさに目の保養だったー!恋っていいわね(ポッ)。

 それでは京にお返しいたしまーす。王命婦さん、締めヨロシク!

 

 王命婦です。

 匂宮さまは道中も

(中君可愛かったなあ……帰るってなった時のあの泣くのを堪えてる顏……今すぐ引き返したいくらいだよ)

 と後ろ髪を引かれておいでのようでした。

 ただお帰りになって以降は、さすがに世間の噂を憚って容易にはお出かけもできません。

 お文は毎日毎日、たくさん書いて送っておられました。

 大君さまも宮さまの本気を認めざるを得ないものの、やはり訪れがない日が続くと我がことのようにお辛い気持ちにはなるようでした。

(でも、一番悲しいのは妹だわ)

 と思い直されて、自らは平静を装われておいでだとか。

(この上わたくし自身の結婚など、余計な物思いを増やすだけ)

 仲が深まるどころかますます望み薄になるばかりとは露知らぬ薫さまご当人、

「おいたわしい、さぞかし待ち遠しいだろうに。仲立ちした以上しっかり責任とらなきゃ」

 と、匂宮さまのお出かけを促すとともにお気持ちも逐時確認するという念の入れよう。もちろん宮さまのお気持ちがそう簡単に揺らぐことも醒めることもなく、中君さまに相当入れ込んでおられるご様子にほっと胸を撫で下ろす薫さま。

 とはいえ、次に宇治を訪問するのは九月に入ってからになりそう。

 ここでひとまず私たち女房ズの実況は終了させていただきますね。

 王命婦でした、ではではまた。

<総角 六 につづく

参考HP「源氏物語の世界」他

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