総角 四
ColBase H甲92-34 |
こんばんは、少納言です。一旦、こちら六条院に切り替えさせていただきます。
つい先ほど薫さまがお帰りになったようでございます。
ああ、そのまま匂宮さまのところに向かわれるようですね。
三条宮が焼けた後、母君の入道の宮さまともども六条院に移られた薫さま。匂宮さまのお部屋と同じ春の町内にお住まいですので、いつでも気楽に行き来できるようになりました。
春の町―――かつてヒカルさまが紫上のために整えられた理想的な居住空間―――は、当時の佇まいをそのままに維持されてございます。御前の前栽、咲く花の姿、木草がなびくさまに至るまで、他の場所とは一線を画す素晴らしさ……すみません、つい涙がこみあげて……失礼いたしました。
まして今宵は月夜、遣水の面に映る月影も澄み切って、一幅の絵と見まがうような美しさにございます。
薫さまの予想通り、匂宮さまはまだ起きておいででした。
風に乗って馥郁と広がるその薫りにすぐ気づかれたのでしょう、直衣をお召しになり身なりを整えてからお出ましになりました。
階段の途中で畏まっている薫さまに、
「上がるように」
とも仰らず高欄に寄りかかられたままでお喋り開始です。
ああ、早速宇治の姫君たちのことも話題に出てきたようですね。細かいところまではわかりませんが……宮さま、進展の無さを随分と愚痴られておいでです。
薫さまの心の声が聞こえてまいりました。
(ああもう、全部私のせい?ホント割に合わないよね。私自身の恋は全然なのに。だけど、宮と中君の結婚がうまくいけば、此方も少しは望みが出て来るかも……)
そんな思いのせいでしょうか、薫さまは常よりも懇切丁寧に今後の見通しと展望を説いておられたようです。
明け暗れの中、あいにくの霧がたちこめて、空の気配も冷ややかに、月は霧に隔てられ木の下も暗く潤んでおります。
かの山里の情景を思い出されたのでしょう、
「薫、今度宇治に行く時はゼッタイ私も連れていってよ!」
強くおねだりなさる宮さま。
薫さまがわざといつもの塩対応で応えられたのに焦れて、歌を詠まれます。
「女郎花が咲く大野に人を入れまいと
心狭く縄を張り巡らすんだね」
澄まし顔で応酬する薫さま。
「霧深い朝の原に咲く女郎花は
深い心をお寄せの方だけが見えるのです
誰でもOKというわけでは」
「なんだよ勿体ぶっちゃって。花の盛りはひと時なんだから煩いこと言ってグズグズしてる暇なんかないよ?」
と匂宮さまは本気でむくれてしまわれたようです。
二年前から、お二人で何度このようなやり取りをなさっておられたでしょうか。
薫さまは面白がられるだけでもなく、
(宇治の姉妹は、故八の宮の容姿からして見た目はそこそこイケるだろうと踏んでたんだよね。内面は間近で接してみないとわかんないから心配だったけど、この間の様子からしてどちらもまったく問題ない。ただ気になるのは大君の意向、中君を私にっていう……私には乗り換える気はない。むしろ匂宮にお譲りして、大君と中君どちらの恨みをもかわないよう立ち回ろうとしてるのに、心狭いとか言われちゃってホントにもうね)
アレコレと思いを巡らせておいでだったので、
「いつものお軽いノリで突っ走られて、相手を悩ませるのもお気の毒だからね」
まるで保護者のように厳かに仰られました。宮さまは、
「ハア?いやいや、見てなよ?これほど誰かにのめり込んだことなんてついぞ無かったんだから!」
真面目な顔で言い募られましたが、薫さまは、
「あのお二方のお心持ちとしては、まだ承服されたわけではなさそうだよ。なかなか難しい宮仕えになるかもね」
勢いづく宮さまを抑えつつも、戦略を細かく練っておいででした。
折しも八月二十八日、彼岸明けの吉日にございます。今日という日に何としても宇治へ!という匂宮さまの切なる願いを叶えるため、薫さまは大変な苦労をされたようです。
宮さまはその身分の重さもさることながら、母君の后宮さま(明石中宮)にこの類の夜歩きを厳しく戒められておいででした。宇治行きはお忍びもお忍び、超のつく隠密行動を余儀なくされたのです。
以前のように対岸にある夕霧さまのお邸を使うわけにもまいりません。目立ちすぎますし、いちいち舟で渡らねばならないのも面倒です。そんなわけで山荘に程近い所領地内の民家を使われ、宿直人も形ばかり外を見回る一人だけとしました。
つまり山荘へはひとまず薫さまお一人で向かわれた、ということですね。
六条院からは以上です。少納言でした。
では再び、侍従さんお願いいたします。
侍従です!エっ、とんでもなく急展開!
なるほど、だから薫さまお一人だったんだ……何この綿密な企みっていうか何て言うか。
「いつもの中納言さまがお見えです」
って声がしたもんだから、皆(え、今日も?)って思いつつもバタバタお迎えの準備してたのよ。姫君たちも二人して眉間にしわ寄せてはいたんだけど、思いはそれぞれ違った感じね。
大君さまは、
(わたくしではなく中君を、と申し上げた件かしら?今度こそ中君へ正式にお申し込みを?)
なんて勝手に期待してるし、中君は、
(薫さまの思う相手は姉君のようだから、わたくしに用はないだろうけれど……何にし姉君の動きには注意しておかないといけないわね)
チョー猜疑心バリバリの警戒モード。
しばらくは何てことないやり取りが続いて、女房ズ一同どうなることかとドッキドキよ。
アタシ?もちろんそーっと外を窺って、微かーな馬の蹄の音を聞きつけたわよ。
闇に紛れて匂宮さま、登場ー!!でも、だーれも気づいてない!!
薫さまは例の弁の君を呼び出して、
「大君に、もう一言だけ申し上げたいことがあるんだ。昨日のことで嫌われていることはよーくわかったしメチャクチャ恥ずかしいけど、かといっていつまでも引っ込んではいられない。もう少し夜が更けたら、また以前のように案内してもらえない?」
直球で手引きを依頼!
これ中々うまい言い方よね。「妹君に乗り換える」のか「再度姉君にアタックする」のか、どちらが目的なのかこれだけじゃわかんない。弁の君にしてみれば、薫さまが姉妹どっちとくっつこうが全然無問題だから、今とりあえず「会って話したい」っていう薫さまの要望は叶えないとねってなる。とすると後者の可能性なんて絶対おくびにも出さないわよね。それとなーく前者のニュアンスでお伝えするわけ。
「妹にお心を移されたということ?よかった。これで安心ね」
しょせん世間知らずのお姫様、コロっと騙された。
とはいえそこは慎重な大君さま、中君さまの部屋に通じる戸口以外の障子はしっかり錠をさしてのご対面。
薫さまはエってお顔で、
「一言申し上げねばならないことがありますが、また女房達に聞こえるような大声を出すのも何なので、すこし開けてくださいませんか?これではあまりに気づまりです」
必死で訴えたけど大君さま、
「十分よく聞こえますわよ」
と、頑として開けない。
(それにしても、一言、とは何なのでしょう……お心変わりされたのを、一応わたくしにご報告されるということ?もしそうなら、初めてお会いするわけでもないというのに返事もろくに聞かせず、いたずらに夜を更かしてしまうのはあんまりね)
姉として中君さまのもとへ快く送り出してあげないと、と思い直したんだよね。戸はそのままで、ほんのちょっとだけ近くに寄った。
薫さま、これを待ってた!!
障子からはみ出したお袖をすかさず掴んで引き寄せる!!
同時に口説き文句の雨あられ!!
大君さま驚きで声も出ない!
(なんてこと……どうして言う事を聞いてしまったのか)
悔しいやら怖いやらで内心パニックだけど、
(何とかなだめすかしてここから出して、中君の方に行かせよう)
ってまだ思ってらっしゃるのよね。
「わたくし同様に……中君を思ってくださいますよう」
震える声を抑えつつ、冷静に仰る大君さまの振舞いようがいじらしいやら愛らしいやらで、薫さまはもちろん蔭で見てるアタシまでキュンと来ちゃったわ。とりまガンバレ、薫くん!
で、匂宮さまね。こっちは百戦錬磨のチャラ男だから、最初っから勢いが違う。
教えて貰った入口(薫さまが昨夜忍び込んだとこね)にススっとにじり寄り、扇を鳴らす。
と、手はず通り弁の君がいそいそ出て来た。
(なんだ、物馴れた対応だな。薫もいつもこんな感じなんだねフフ)
ニヤニヤしつつ、中君のお休みになっているお部屋にGO!
暗いからね、弁の君もすっかり相手は薫さまだと思い込んでる。いつもの香しい薫りも芬々だったし。
まして大君さま、夢にもそんなこととはご存知ない。
(なんとか薫さまを中君の方へ)
ていう一心で説得しようと必死。
薫さまは……え、何グズグズしてんの??
(……さすがに何も知らせないのは可哀想かな。事後に、えっ宮が来てたの?シラナカッターなんて通らないだろうし、今の内に話しておかないと禍根を残しそう)
「実は……匂宮が私の後をついていらしたんだよね。追い返すわけにもいかないから、もう此方にいらっしゃる。どうやら物音も立てずに邸内に紛れ込まれたみたい。大方、あの賢しらぶった女房が頼み込まれて手引きしたんだろうね。私は……貴女には断られ、中君は宮に取られて、世の物笑いになりそうだよ」
ちょっとー!まーた余計なこと言っちゃったよこの人!
「は……?匂宮がいらしてるって……中君のところに?!え?!」
大君さま、まったく予想外の展開に唖然茫然よ。
今までかろうじて平静を装ってらしたのに、もう目が眩むほど、口もきけなくなるほどの大ショック。
(こんな……万事につけおかしな企てをなさるお方とも知らず、此方がどれほど幼稚で考え無しなのか、無防備にさらけ出してしまっていた……わたくしたちは最初から見下されていたんだわ)
右「アカン……マジでダメダメすぎる。よりによって何でこの場で匂宮くんの話すんの。で、何シレっと女房のせいにしてんのバカなの」
王「この坊ちゃん、どうして大君ちゃんに逢った喜びを全身で語らないの?中君ちゃんじゃない、貴女じゃないとダメなんだ!ってひたすら口説くっきゃないっしょこの場は!後で文句言われるかもーじゃないわよ全く」
いや、ちょっと待って!
薫さま、スイッチ入ったかも?!
「今は何を言ってもどうしようもない。お詫びの言い訳は何度申し上げても足りないでしょうから抓るなりひねるなりなさってください。貴女はやんごとなき向きをお望みのようでしたが、宿世などというものは必ずしも心にかなうようなものではない。宮の心は中君にある、お気の毒だけれど。思いの叶わぬ私こそ身の置き所がなく辛いよ……」
ぐっと大君さまを引き寄せる!
「もう止められない。観念してください。この程度の障子くらい、いやもっと堅固な障壁があったとしても、私たち二人に何も無かったなどと考える人なんていない。私を案内人として誘った宮も、まさか私がこんなに胸を塞がれながら夜を明かすとは思ってもいないでしょう」
障子がもう撓んで壊れそうな勢いでにじり寄る薫さま!
大君さまピーンチ!だけど、それでも何とか説得しようと頑張る。
「いま仰ったこと、宿世とやらは目には見えないものですから、何をどうしようが予想などつきません。行方も知らない涙でただ霧にふさがれる気持ちです。わたくしをどうするおつもりなの?まるで悪い夢のよう……こんなことが、と後世に言い伝える人があれば、なんと荒唐無稽な、出来の悪い昔物語よと言われそうな話にございましょう。こんな企みを実行なさったお心のほどを、何故そんなにも、といぶかることでしょう。どうかわたくしに、これ以上の恐ろしい、嫌なことをぶつけて困らせないでくださいませ。辛くて死んでしまいそう……もし生き永らえられましたら、もう少し落ち着いてお話もできることでしょう。今は目の前が真っ暗でとても苦しゅうございますので……ここで休みます。どうかお許しを」
王「あー、こりゃ駄目だ。こんなに喋らせちゃったら無理」
右「そうよ話なんて聞かなくていいのよ!障子なんてぶっ壊せー!あーイライラするわマジで!」
右近ちゃんたら……でもわかる。メッチャわかる。
大君さまも賢い人よね。多分これ、無理に逃げ出そうとしたら逆に薫くんの理性ふっ飛んでた。だけどそこをぐっと抑えて冷静に筋の通ったこと淡々と仰ったもんだから、薫さまひるんじゃった。
「私は……誰よりも貴女のお気持ちに従いたく思ってる。ここまで頑なに拒否されてもね。言葉に出来ないくらい私を憎み疎んじておられるなら、もう何も申し上げる事はない。ますます此の世に跡を残そうとは思えなくなった」
なんて仰って、
「ならば隔てを置いてお話するとしよう。無下に捨て置くことはなさらないでください」
ああ、放しちゃった……袖を掴んでいた手を。
大君さまはすっと内側に寄ったけど、これがまた凄くてね。奥の方まで逃げ去りはしないわけ。
「……これだけのお情けを慰めにして、夜を明かしましょう。ゆめゆめ何も……」
そうはいったものの二人とも眠れるわけもないわよね。
激しい水の音、ごうごう吹き荒れる夜半の嵐に、まどろんでもすぐ起こされる。
(またコレか。谷を隔てて眠るという山鳥の夫婦……というかまず夫婦にもなってない)
右「ハア……(言葉も出ない)」
王「大君ちゃん、思ってたよりずっと難物ねえ。こりゃ並の若者じゃ太刀打ちできないわ……実際、姉妹逆が良かったんじゃないのもしかして」
ねー、さすがに同情しちゃう。
そんなこんなで夜も明け初め、鐘の声も聞こえて来た。
(宮は出て来る気配がないな。きっとまだ眠っておられるんだろう)
妬ましいわよねー。何で案内した自分がこんな目に遭うのかって思うとさ。宮さまのためにわざと咳払いしてみせるのもキッツイ……。
「案内をした私がかえって迷ってしまいそうです
納得いかずに帰る明け暗れの道で
こんなことが此の世にあっていいものだろうか?」
「中君とわたくしそれぞれに思い悩む心を察してください
手前勝手に道にお迷いならば」
返される大君さまのかすかな声に飽き足らない薫さま、
「どうしたことか、こんなに近くにいるのにメチャクチャ距離が遠い……堪らないよ」
グチグチ恨み言を述べておられるうち、ほのぼのと明けてきた。
どうやら宮さまもお出ましの様子。如何にもお育ちの良い、もの柔らかで優雅な所作なのよこれが。それで動くたびにふんわり良い薫りがするわけ。たぶん今夜のデートのために気合入れてご用意されたんだろね。
ご年配の女房さんたち、
「あら?何だか違う方向から香しい風が……」「不思議ねえ、薫さまがお二人いらっしゃるみたい」「何にせよ悪いことはないでしょ。メデタシメデタシですわ」
なんて囁き合ってる。お呑気ねー。
宮さま、何しろ超がつく隠密行動だから、暗いうちに京に着かないと!ってそそくさ帰ってった。ああー後ろ髪引かれるわー、でもこんな遠いところ、通うの大変すぎだよね……なんてぶつくさ言いつつ。
な、何かどっと疲れた……ストレスたまるわーなんなんコレ。
少納言さん、ヨロシク!
はい少納言です。おはようございます。
たった今、ご一行が六条院にお帰りになりました。
明るくはなっておりますが、まだ人少なな早朝にございます。
もちろん正面からではなく、中門の渡殿の辺りに車を寄せたのですが、女車の体でしっかり隠れたまま、そそくさとお入りになられた匂宮さまにお供の皆さま吹き出しておられました。
「薫、おろかならぬ宮仕えのお志、感謝するぞ!」
宮さまがふざけて仰いましたが、薫さまはニコリともせず憂いに満ちたお顔で突っ立っておられます。まあ、とても宮さまにはお話しできませんよね……お気の毒としか申し上げられません。
宮さまはお部屋に入られるやいなや後朝の文を書かれて、すぐに届けるよう命じておられました。
此方の首尾は上々だったようですね……寝耳に水の中君さまはどうだったのか存じ上げませんが。
六条院からは以上です。引き続き宇治山荘の侍従さん、どうぞ。
ハーイ侍従です!何かチョー忙しい!徹夜なんだけど!
後朝のお文、速攻でキタキタ!
だけどさー姫君たちお二方ともお通夜状態よ。特に中君さまは、
(昨夜のこと……薫さまも姉君も示し合わせてのことだったのね。よくぞ今まで一ミリも表に出されないでいらしたこと)
姉君への信頼はゼロどころかマイナスに振り切って、もう目も合わせないって感じ。大君さまにしても、薫さまに対して無理に中君を勧めようとした経緯があるもんだから、自分は無関係!とも言い切れないわけよ。騙し討ちみたいな結婚になったのも元はといえばコレだもんね。
(無理もない。恨まれて当然だわ)
と黙って耐えていらっしゃる。
女房たちは普通に
「如何なさいましたの?」「御気分でもお悪いのですか?」
ってご機嫌伺いするんだけど、中君さま突っ伏したままで一言も喋らない。
頼りの大君さまもボーっとしてらっしゃるから
「何事?」「お二人とも変ねえ……」
なんて言い合ってる。
届いたお文は一応大君さまが開いて、中君さまに見せようとするんだけど、起き上がりもしないものだから、
「早くお返事を」
ってお使いの人たちがじりじりしちゃってね。
「よくあることと思っていらっしゃるでしょうか
霧深き道の笹原を分けて来たというのに」
この宮さまの手蹟がねー!また墨付きの濃淡といい筆さばきといい、とんでもなく優美で見事なのね。普通に文通してた時ならまーステキ、さすがは宮さまねーくらいで済んでたんだけど、いざこうなってみると思うところ多すぎて何も書けないってなっちゃってる。
親代わりの大君さまがまたしても頑張る。
(こうなった以上わたくしが出しゃばって代筆するわけにもいかない。何とか自分で書かせないと)
こっちを見てもくれない中君さまを何とかなだめすかして、根気よく丁寧に、お返事として書くべきことを逐一教えつつ筆を持たせてんのね。
使者さんには紫苑色の細長ひと襲に三重襲の袴を禄として与えようとなさったんだけど、固辞されちゃったから、まとめて包んで供人に贈っちゃった。仰々しい御使者ってわけでもなくいつもの殿上童の子なのね。いや、そりゃ断るでしょ。
ねっ少納言さん!
はい、再びこちら六条院です。
そうですね、宮さまの意図としては「なるべく目立たないように」なので、そんな贈り物をいただくわけにはいかなかったんですが……致し方ないですね。
「さては昨夜の世間ずれした老女房の仕業だな。余計なことを」
って不機嫌でいらしたけど、大君さまのなさったこととは夢にも思っておられません。
そうそう、ご結婚ですので三日間は通わねばならないのですが、二夜目の本日は薫さま、
「今夜は行けません。冷泉院のところに行く用事がありまして……調整不可です」
すげなくお断りになられたんですね。
ですが宮さまには口実だってことはバレバレで、
「またそれ?!何かっていうと、斜めに世間を見てる俺!ってやつを出してくるよね。こんな時までやめてくれよ」
憎まれ口をたたかれておいででした。
六条院からは以上です。
少納言さん、ありがとうございましたー!
ま、まあ薫くん……昨日は中々ヤバい一夜だったと思うから、同情はする……匂宮さまはまさかそんな目に遭ってるとは思わないもんね。
此方は此方で、やんごとなきご身分の婿殿を迎える準備で大忙しよ。
「いくら不本意なご結婚とはいえ、相手が相手……疎かに扱うわけには」
さしもの頑固な大君さまも折れて、何もない質素な山荘なりに見栄えよく調えて待機よ。宮さまほどの方が京から遠路はるばる急いでいらしてくれるわけなんだもの、嬉しくないわけはないのよ待つ方も。ただ一人を除いてね。
当の中君さまは――我を失ったみたいな感じで、周りに着替えさせられたりお化粧されたりもされるがまま。無表情でただ涙だけぽろぽろ零してて、濃い色の衣裳の至る所にしみをつけてるもんだから、大君さまも貰い泣きして、
「わたくしは此の世に長く生きていようとも思いませんので、明けても暮れてもただ貴女の身の上だけをおいたわしく案じていたの。ここにいる女房達は、結構なご縁談だとずっと言っていたわね……煩わしくはあったけれど、年長者の考えにはやはり世の道理というものもあります。わたくしのような頼りない者の心ひとつで、こんな山奥に籠ったままにしておいてよいものかと思ってもいたし……でも、実際こうなってみるとわたくしの考えもまだまだ浅かった。こんなにも恥ずかしいことだらけで思い乱れようとは予想もつかず、なるほどこれが世の人の言う逃れ難い宿縁なのだと……本当に苦しいことね。少しお気持ちが落ち着いたら、わたくしが何も存じ上げなかった事情もお話しましょう。あまり憎いと思い詰めないで。罪業を得ることになっては大変だから」
中君さまの髪を撫でつくろいつつ仰るんだけど、返事もなさらない。でもしっかり聞いてはいるのよね。この姉君が誰より自分を心配してること、意地悪をしたわけじゃないってこと、よーくわかってらっしゃる。だけどとにかく昨夜から自分に起こったことの衝撃が強すぎる上に、みーんなに知られちゃっててもう恥ずかし過ぎていたたまれない。しかも相手は今上帝の三の宮さまっていう超のつくセレブで、ますます姉君に苦労をかけそう……とかなんとかもう頭ん中いっぱいいっぱいなのね。
だから匂宮さまがやって来て、
「うわあ今日もキレイだね!昨夜のビックリ顔もすっごく可愛かったけど、こうしてバッチリ衣裳着て決めた姿はますます素敵だよ……惚れ直しちゃうね」
なんて褒めちぎりまくって、
「それにしても宇治は本当に遠いね……もっと早く駆けつけたいのにどうにもならなくて胸が痛い……ますます思いが募るばかりだよ」
これでもかっていうほど甘ーく愛を語っても、なんも響いてない。心ここにあらずっていうか。
ぜんぜん世間を知らない深窓の姫君でも、せめてもう少し世間が近くて、異性の親きょうだいなんかの暮らしを普段見馴れてたりすれば、羞恥心や恐怖心も少しはマシだったと思うんだけどねー。お姫様とはいえ崇め奉られてたってほどじゃないし、他人と一切口きいたことないなんてこともなかったんだけど、何しろ人里離れた山奥だからさ……雑多な世間から隔離状態だったところに、いきなりの急転直下。相手がどんなにイケメンで雅な宮さまだって、いやだからこそ、超恥ずかしい無理!ってなるわ。なって当然。ずうっとお父様と姉君とのんびり暮らして来たんだもの。
そんなわけで緊張しっぱなしの中君、ちょっとしたお返事すら何をどう言っていいやらわかんないみたいで、ひたすら俯いてらした。でもすごく賢くて利発で、才気溢れる方だってことは窺える。そこは大君さまより勝ってるかも?
ところで今夜はご結婚二日目に当たるから、女房さんたちが口々に、
「明日の夜は餅を召しあがるのですよ」
って言うわけ。正式な結婚の儀式のひとつ「三日夜の餅」のことね。
大君さまは当然まったくご存知なくて、
「ああ、そんなに特別なお祝いをするものなのね」
慌てて御前で用意させるんだけど、何一つわかんないのに訳知り顔で指示を出すってけっこうきまり悪いもんじゃん?年寄りに聞きながら、恥ずかしそうに顔を赤らめつつ頑張ってる大君さますごい可愛かった。姉として親代わりにしっかりしなきゃってお心で、きりりとしてらっしゃるのよね。それだけ妹君への愛情が深いってことだもん、尊いお姿よ。
で、薫くんね。あ、薫中納言さまだったメンゴ(すでに適当)。
「昨夜、其方に参上しようと思っておりましたが、宮仕えの労いも何もないお扱いにお恨み申し上げたく。今宵は雑役でもと存じますが、宿直所があまりにあまりだった記憶も新しく……どうにもやる気が出ず、グズグズしております」
なんて内容を、公文書かっていうくらい律儀にキッチリカッチリ陸奥紙に書いてんのね。あ、もちろんお文だけじゃなく、ご祝儀用の品々も一緒。まだ縫っていない布を巻いたものとか、沢山の懸籠に分けて入れた衣櫃を弁の君宛に、
「女房達に用立てるように」
って。母宮さまのところに行ったついでにありあわせをかき集めたんだろうね、まっさらの絹綾とか下に隠し入れて、上には姫君たち用とおぼしきメッチャ綺麗でゴーカな衣装を二領。単衣のお袖にお歌が書きつけてあった。
「小夜衣を着て馴れ親しんだとは言いませんが
恨み言ばかりはかけてもいいでしょう」
なんもなかったからって、皆はそう見ないし、私だって諦めないからね!いくらそっけなくしても無駄無駄無駄ア!
って感じ?脅しよね。しかもそれを姫君用であろうお袖に書くって……メッチャ古くっさいやり方の上に陰湿じゃなーい?
大君さまも、自分ばかりか妹君まで顔見られちゃって、うわーやっちゃった……って感じなわけよ。何でそんな痛いところをわざわざ突くかな。
案の定、大君さま返事を書きあぐねて使者に逃げられちゃった。仕方ないから、普通なら声もかけない下人ふぜいを捕まえてお返事と禄を渡したわけ。
「隔てなき心ばかりは通い合いましょうとも
馴れ親しんだ仲などとは仰らないでください」
色々あり過ぎて余裕ゼロだから、もう心に浮かんだそのまんまの気持ちを詠んだのね。
薫さまの方はどう受け取ったか知らないけど、長いことじっくり眺めてたらしい。
はー、何だかねー。何がどうしてこうなった……!
チョー疲れたから今度こそもう寝るわ!おやすみなさーい。
参考HP「源氏物語の世界」他
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