おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

椎本 五

2021年10月22日  2022年6月9日 


 新しい年が明けた。

 空の景色もうららかに、汀の氷も温み解ける。新春の情景を不思議な思いで眺める姫君たちであった。

 あの阿闍梨の草庵から、
「雪解け水の合間から摘みました」
 と沢の芹、蕨など献上された。精進の膳として食す。

「場所柄、このような旬の草木に従って、移り変わる月日の節目も見えますのは面白うございますね」

 などと女房達が言うが、姫君たちは、
(何も面白いことなどない)

 と思っていた。

「父君が手折られた峰の蕨だったなら

これぞ春が来たしるしと知られましょうに」

「雪深き汀の小芹は誰のために
摘んで楽しみましょうか親なくして」
 いまだに詮無いことを語らいあう日々を送る。
 もちろん薫からも匂宮からも折節を逃さず文が届いていたのだが、これといって特筆すべきこともないので例によって省略する。


 花盛りの頃、匂宮は中の君にあてて詠んだ歌をふと思い出した。

「山桜の匂う辺りに尋ね来て

同じかざしを手折りました」

 初瀬参りの途中で宇治に立ち寄り、桜花の枝を添えて贈ったのだ。

 当時供をした公達たちも、

「実に風雅な八の宮親王のお住まいぶり、もう見られないんですね……」

 などと世の儚さを口々に訴える。

 また宇治に行きたくてたまらなくなった宮は、

「以前ことのついでに見た宿の桜をこの春は

霞を隔てることなく手折ってかざしたいものだ」

 直球ストレートな思いを歌にして送りつけた。

 中の君は、

「何これ、ありえないわ」

 と思いつつも、あまりに退屈な時だったので、この見所ある文の字面だけでも無にすまいと、

「どちらへ尋ねて何を折られるのでしょう?

墨染に霞み籠っている宿の桜を」

 バッサリ容赦なく突き放した歌を返した。匂宮は、

「ちょっとさあ薫……あんまりじゃないコレ。どういうこと?」

 とあれやこれやと責めたてるやら八つ当たりするやらで、薫は内心面白くてたまらない。宮に恋愛絡みの怪しい動きが見えようものなら、表向きいかにも後見役という澄まし顔で、

「そんなことでは、宇治の姫君へのご案内などとても無理ですね……」

 などと脅しをかける。宮は気が気ではなく、

「心に適う相手が見つかるまでの繋ぎだよ!」

 と言い訳をする始末である。

 そもそも匂宮には、夕霧右大臣の娘・六の君との縁談もある。容姿端麗で気立ても良い自慢の愛娘にも関わらず、肝心の宮がまるで興味を示さないことに夕霧はいたく不満を抱いているらしい。

 だが宮にしてみれば、

「まあ別に珍しくもない身内の女子だし(従姉妹)。右大臣も何かと大袈裟な感じがウザイんだよね。ちょっとしたことも逐一チェックされそうで嫌だ」

 苦手な伯父が舅にまでなる事態は出来れば回避したい。宇治の姫君たちに拘るのは、

「他に意中の女性がいますよ」

 というアピールでもあった。


 その年、三条宮が火事で焼けてしまい、薫の母・入道の宮は六条院に移ることになった。薫は後始末や引っ越しに追われ、宇治に行けないまま久しくなってしまった。

 実直な性格の薫は匂宮とはまったく違って、慌てず騒がず、

(どうせそのうち私の妻になる人だ。その心が開かれないうちは性急な真似はしないでおこう。故宮との約束を忘れていない私の真心をよくよく知っていただきたいな)

 などと思っている。

 今夏は例年より暑いと家来たちがこぼすので、

「川辺なら涼しかろう」

 と突然思い立って宇治へと出かけた。

 朝涼しい間に出立し到着したのは昼ごろであったので、いつもの西面の辺りは日光が入って眩しい。宿直人を召し出し、故宮の居室であった西廂の間に落ち着いた。

 母屋の仏間にいた姫君たちは、これではあまりに近すぎると東面の自分たちの部屋に戻ることにした。音を立てないよう気をつけてはいたが、やはり動く音も気配もそれとわかる。いてもたってもいられなくなった薫は、二間を仕切る障子の端の掛け金付近に小さな穴が開いているのを見つけ、立ててあった屏風を除けて覗きこんだ。

 だが、ちょうど視線の先に几帳があり何も見えない。

「ああ、残念」

 と引き返そうとしたその時、風が簾を高々と吹き上げた。

「まあ、大変。丸見えになってしまう。その几帳を此方に押して来て」

 女房の声が聞こえる。薫は、

(バカだなあ、却って見えてしまうのに)

 とほくそ笑みつつ覗き直す。

 女房達は目隠しの几帳を高いのも低いのもすべて二間の南側の簾に寄せてしまった。薫のいる場所からはちょうど真正面の、開け放した障子の向こうに移動するらしい。

 まず一人が立って出てきて、几帳の蔭から庭を窺う。薫の供人があちこち歩き回って涼んでいるのを見ているらしい。濃い鈍色の単衣に萱草色の袴という組み合わせが絶妙で、喪の装いにしては新鮮で華やかに見えた。着こなす人が人だからかもしれない。

 帯は軽く締めて、数珠を袖に隠して持っている。すらりとした姿態、髪は袿に少し足りないくらいだろうか、先まで一筋の乱れもなく艶々と豊かで美しい。

(おお、なんて愛らしい横顔か。艶やかでしなやか、大人しそうな感じだな。冷泉院の女一の宮もこんな風だった……チラっとしか見たことないけど)

 思わずため息を漏らす。

 もう一人がいざり出て来た。

「あの障子から素通しになっていない?」

 と此方を見やる聡明な目つき、毅然とした態度は育ちの良さを感じさせる。頭の格好や髪の具合は、先の人よりもう少し気品があり優雅さも勝っている。

「彼方には屏風も立ててありますから。今すぐに覗きあそばされることはないでしょう」

 と、何も知らない若い女房達が応える。

「でも……万一のこともあるでしょう?何だか不安だわ」

 と用心深く奥にいざり入る仕草も、気高く奥ゆかしい気配が漂う。黒い袷をひと襲、同じような色合いを着こなしているが、それはそれで心惹かれる優美さがあり、同時にいたましさに胸を突かれる。

 髪は少し抜け落ちたのだろうか、こざっぱりとしていて先が少し細くなっている。その色はいわゆる「色なり」で翡翠のように美しく、縒り糸を垂らしたようだ。紫の紙に書いた経を片手に持っているその手つき、先の人よりもなお細い。きっと身体もやせ細っているのだろう。

 立っていた姫君がいつの間にか向かいの障子口に座っている。何か面白いことがあったのか、此方に顔を向けてほがらかに笑った。

<椎本 六につづく

参考HP「源氏物語の世界」他

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