橋姫 二
京の都から、山また山を隔てた宇治の山荘にわざわざ足を運ぶ人もいない。賤しい下衆や、田舎びた山住みの者だけがたまに御用聞きで立ち寄る程度である。
峰にかかる朝霧が日がな一日晴れる間もない―――そんな宇治山に、いかにも聖といった風体の阿闍梨が住んでいた。
大変な学識ありと評判の高いこの阿闍梨は、滅多に公事にも出仕せず山に籠りきりである。八の宮の山荘はその僧坊のすぐ近くにあった。
「京を出てこんな山奥までいらした八の宮さまとやら、人交わりもせず、ひたすら仏事をおこないつつ経文を読み習っておられるようだ。何と尊いお心がけであらせられる」
感激した阿闍梨は、定期的に宮のもとに参上するようになった。
宮が長年学んできた知識を阿闍梨がさらに深堀りして説き、この世は仮の世であり無常であると強調する。宮は、
「心ばかりは蓮上に乗り、濁りなき池に住んでいるつもりだが……見ての通りまだ幼い娘たちがいる。この子らを見捨てる心苦しさに、一気に世を捨てることもできないでいるのだ」
と率直に心持ちを語った。
この阿闍梨は冷泉院にも親しく伺候して経を教える人であった。京に出た折には参上し、院の御前で経文など広げて質疑応答を行うのが常だったが、ある時この宮の話を出した。
「そうそう、先に宇治に移っていらした八の宮さま、この方が実に聡明でいらして、経典の御学問にも深く通じておられます。あんな風に俗世を離れ修行する方としてお産まれになったのでしょうか。深く悟り澄ましておられるご様子は、本物の聖の心構えと何も変わらないようにお見受けしました」
院は、
「なんと、八の宮はいまだ僧形とならずにおわすのか。在京の頃には俗聖、とこの辺りの若い者が名づけていたがまさに……殊勝なことだ」
といたく感じ入っている。
当時宰相中将であった薫もすぐ傍に控えて、
(私だって……この世を無常で無意味と思い知りながら、人に見咎められるような仏道修行は出来ないまま、心ならずも過してきた)
密かに思いながら、
(俗世に留まりながら聖になられるという心構えとは、どういったものだろう)
興味しんしんで耳を傾ける。阿闍梨の話は続く。
「出家の心ざしは元よりお持ちであったが、つまらないことでご決心が鈍り、今となっては哀れな娘たちの御身上を見捨てられぬと嘆いておられます。ああ、それから姫君たちが琴を弾き合わせておられる音色、川波と競うように聴こえますのが何とも興趣がございまして、極楽浄土もかくやと思われるほど」
音楽にも造詣の深い阿闍梨が古風に褒めてみせると、院は微笑んで、
「そんな聖の家に生まれ育って、現世の方面はさぞかし疎いだろうと思いきや、興趣があり極楽浄土とな。心苦しくて見捨てられず持て余しておられるのなら、私にお譲りいただけないだろうか。もし宮より長く寿命があればの話だが」
などと言う。冷泉院は故桐壺院の十の宮で、八の宮の五歳違いの弟にあたる。かつて朱雀院が故ヒカル院に預けた入道の宮の事例を思い起こし、
(姫君たちを此方に引き取りたいものだ。つれづれの慰めにでも)
と考えていた。寵愛している御息所――玉鬘の長女――が姫宮に続き男御子を産み、里がちになっていた頃である。
一方、薫の関心はただ八の宮に向いていた。悟り澄ました心のありようを
「直にお会いして確かめたい」
という気持ちが募るばかりである。阿闍梨が院を辞して山に帰ろうとするのをつかまえて、
「是非とも宇治に伺って八の宮の教えをいただきたい。まずは内々にでもご意向を賜りたく」
と言い含めた。
冷泉院からも歌が託された。
「物寂びたお住まいのご様子を人づてに聞きまして。
世を厭う心は宇治山に通じていますが
八重立つ雲で封じておられるのでしょうか」
阿闍梨はこの使者を先に立たせたのち、八の宮のもとに参上した。並の人からの使いですらまれな深山に、かの冷泉院から……宮にとっては大きなサプライズで、たいそう喜んで阿闍梨を待ち受け、地元の酒肴を用意し山里らしく歓待した。
冷泉院への返事には、
「世を捨てて悟り澄ましているわけではありませんが
世を宇治山になぞらえて借りぐらしをしています」
とあり、仏道修行の方面は謙遜した物言いであった。院は、
「やはり現世に恨みが残っておられるのか」
と不憫に思う。
阿闍梨はまた、道心深い風の薫について宮に語り聞かせる。
「経文などの真意を会得したいお心が幼い頃より深くあそばしながら、ままならず世を過され、公私において終日ご多忙の中、強いて閉じこもって習い読みされておられるとか。
『だいたいが取るに足りない身の私が、世の中に背を向けたところで誰憚ることもない。なのにズルズルと修行を怠り、俗事に紛れて過して来た。そこに八の宮の尊い生き方を承った。是非いちど直にお話を賜りたい』
などと熱心に仰せにございました」
宮は、
「現世を仮初めと見切って厭わしいものと思う心が起き始めたのは、自分の身に不幸があった時だね。なべてこの世がままならぬ恨めしいものと思い知るきっかけがあればこそ、道心も起こるというものだが――お年若で世の中思い通り、何不自由ない身の上で、後世にまで考えが及んでおられるとは珍しい。私は……どういった巡り合わせなのだろうね。世を厭い離れよと、殊更に仏か何かに促され追い打ちをかけられるような有様だったから、いつのまにか静かな思いも叶えられていったが……もう残り少なかろう命もろくに悟りもせず、過去も未来も何ひとつ得るところなく終わるような気がする。私のほうこそお恥ずかしい限りだが、ただ……仏法の友としておつきあいいただけるならば」
と薫の願いを承諾した。以来、互いに手紙を交わし合い、薫自身も宇治を訪れるようになった。
事実、八の宮の暮らしは耳で聞く以上に物寂しく、山荘じたいも仮の草庵という趣の簡素なつくりであった。同じ山里といってもそれなりに趣のあるのどかな場所もあるが、こちらは荒々しい水音や波の響きが激しく、物思いにふけるどころではない。夜は夜でゆっくり夢を見る間もなく風が吹きすさんでいる。
(宮のように聖めいた方にはこんな厳しい環境も苦にならないだろうが、姫君たちはどのようなお心持ちで過しておられるのだろう。都住みの女のようななよやかさとは離れているのでは)
などと薫が推察するほどのすさまじさであった。
仏間との仕切りはただ障子だけである。好き心のある男ならば、これはと勢い込んですり寄り、姫君の気配を窺いたくなるにちがいない。薫にしても、強く興味は惹かれる状況であった。
(いや、ダメだ。そういう世俗を離れようという目的で山深く尋ね来ているというのに、姫君がどうだこうだ、なんて軽薄な真似はお門違いというものだろう)
薫は浮いた気持ちを振り払い、度々宇治に足を運び、わびしく暮らす宮を丁重に見舞った。当初考えていた通り、在俗のまま山に籠り修行する極意、経文などの教えを請う。宮は偉ぶることなく懇切丁寧に教え説く。
聖めいた人も学識高い法師も世に山といるが、あまりに堅苦しく近寄りがたい高徳の僧都や僧正といった面々は、常に多忙を極めており気軽には会えない。そもそも、そんな重鎮にわざわざ物の道理を説いてもらうのも仰々し過ぎる。
かといって、ただ仏弟子として戒律を守っているだけが取り柄の僧では困る。得てしてそういった輩は、貧乏臭い格好をして言葉も訛っており、不作法で馴れ馴れしい。公事があり暇がない昼を避け、静かな宵の間に枕元近くまで召し入れて話し相手とするのに、そんなむさ苦しい僧ではげんなりしてしまう。
その点、八の宮は気高く畏れ多いほどの風体で、口から出る言葉ひとつ、同じ仏の教えひとつ取っても、適切な例えをまじえて理解しやすく話してくれる。深遠な悟りを得ているというほどではないものの、そこはやはり貴人、道理を心得る方法が格別ではあったので、徐々に親しくなるにつれ、
(毎日でもお会いしてお話を伺いたいものだ)
という気持ちが強くなり、行けない日が長引くような時には酷く恋しくなった。
薫がこれほど心酔しているので、冷泉院との交流も途切れることなく続いた。長年、ちらとも噂にのぼらず寂れ切っていた住まいも、徐々に来訪の人影を見るようになり、折節に大層な贈り物も届いた。薫も何かにつけ、風流の面でも経済的な面でも厚意をみせることを怠らないうち、三年が経った。
参考HP「源氏物語の世界」他
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