橋姫 一
こんにちは、典局にございます。
さてこの「橋姫」からいよいよ、「宇治十帖」のメインストーリーに入るわけですが、少々時を遡る必要がございます。そうですね、この婆がまだ源典侍と呼ばれていた頃―――ヒカルさまの父君・桐壺帝の御代まで。
その頃、後宮にいらしたとある女御さまが男御子をお産みになられました。
桐壺帝の、八の宮さまにございます。ヒカルさまの腹違いの弟君にあたられ、お年はたしか十四、五ほども離れておられましたか。
この八の宮さま―――母方は高貴な家柄で皇太子となられても遜色ない血筋でいらしたのですが、時勢が移りまして……詳しくは後ほど……ある政争に巻き込まれ日陰に追いやられてしまわれました。往年の栄えは見るかげもなく、後ろ盾となっていた面々も諦めて出家するやら政界から引退するやらで一人減り二人減り、公私ともに拠り所は失われました。以来、誰にも顧みられることなく完全に孤立してしまわれたのです。
宮さまの北の方は左大臣の娘御でした。左大臣は失脚こそ免れたものの敵方に与していたとして力を削がれ、期待していた将来――立后――の望みはもうありません。言いようのない哀しみを覚えながらも、唯一の慰めは睦まじい夫婦仲でした。お二人は互いに支え合いながら、つつましくも幸せに暮らしておられました。
ただ、一向に子宝に恵まれませんでした。八の宮さまは、
「夫婦二人だけの暮らしも悪くはないが、子供がいれば暇を持て余すこともないだろう。何とかして授からないものか」
と始終仰っておられたものの、こればかりはどうにもなりません。
ついにその願いがかなえられたのは、待ち続けて十数年の後でした。たいそう可愛らしい女の子が産まれたのです。
ご夫婦ともにこの姫を愛し慈しんで育てておられるうち何としたことか、立て続けに北の方が身ごもられました。たった二年後のことです。
「よし、今度は男子を」
との宮さまの期待は外れてまた女の子でした。
お産は無事に済み赤子も健やかでいらっしゃいましたが、北の方が―――産後の肥立ちが悪く、あっという間に酷く衰弱して世を去ってしまわれたのです。
宮さまはこの突然の別れに嘆き悲しみ、途方に暮れるばかりにございました。
「年々、まことに外聞も悪く堪え難いことも増えるばかりで、いっそこの世なぞ捨ててしまおうと何度思ったか……ただ妻への愛情ひとつに引き留められて過して来たというのに、独り取り残されてしまった。なんと人生は味気ないものか……頑是ない娘たちを私一人で育て上げようにも、親王という身分からの制約がある。細々世話を焼くのも似つかわしくないし世間体も悪かろう……」
ひと思いに出家してしまおうと心を決められたものの、姫君たちを引き取ってくれるようなところなどありません。どうしたものか……すぐには無理だ、もう少し、あと少し、と迷われるうち数年が経ちました。
二人の姫君――大君と中君はまことに愛らしく日々すくすくと成長され、いつしか宮さま自身が慰められる側となっておりました。
ですが……仕えている女房達の中には、
「中君を身ごもらなければ、お方さまが亡くなることもなかったでしょうに。悪い時に授かられたこと」
などと腐して、中君に対し冷ややかな態度の者も少なくありません。
八の宮さまは、
「何ということか……中君に咎のあるはずがない。ただ前世からの定めだったというだけだろう。妻との別れは身を切るように辛かったし、妻もきっと同じ気持ちだったろうが、今わの際で朦朧としながらも、ひたすら産まれたばかりの赤子を心配していた。何度も何度も、
『どうかわたくしの形見として可愛がってやってください』
と懇願しながら息絶えたのだ。どうしてないがしろになどできようか」
と不憫がられて、よりいっそう中君を構われました。この姫は産まれた時からお顔立ちが整ってらして、何かに魅入られそうなほどお美しゅうございましたので、その点でも目をお離しになれなかったのかもしれません。
一方、大君は淑やかで嗜み深く、見た目も立ち居振る舞いも気品に溢れておられました。高貴な血筋は中君よりも色濃く出ておりましたようです。
宮さまはこの姉妹をどちらも分け隔てなく扱われ、大事にお世話をされておられました。
しかし―――蓄えを食いつぶすばかりの暮らしは年々思うに任せないことが増えていき、宮邸の懐事情は厳しくなる一方でした。
仕えていた女房達も窮乏ぶりに堪えられず、一人また一人と邸をあとにしました。中君の乳母さえも。この乳母は、北の方の死で混乱する中急場しのぎに連れてこられた、さして深い心ざしもない者でしたので当然の成り行きではございましたが。
結局のところ、宮さまが手ずから姉妹を育てる他なくなってしまわれたのです。
広く優雅な佇まいの邸からは人影も消えました。池や山の景色こそ昔と変わりませんが、手入れする家司もおりません。草はぼうぼうと生え、軒先の忍草も我が物顔に青々と伸び放題。四季折々の花や紅葉の色や香りを、ともに眺めて慰めあった北の方はもういらっしゃらない。宮さまは、先祖代々の邸が荒れていくさまをただ見守ることしかお出来になりませんでした。
ますます寂れ果て、誰一人寄りつく者もいない邸の中で、ただ勤行の声ばかりが日がな一日響きます。持仏の飾りばかりは立派に整えていらっしゃいました。
「娘二人の世話のために出家もままならない……我ながらなんと思うに任せない運命を背負っていることか」
嘆きつつも時は流れ、世間からはいよいよ遠ざかり、心ばかりは聖と成り切ってゆかれる宮さま。再婚の話もチラホラと舞い込みますが、北の方が亡くなって以来まったくその方面へのご関心は失っておられたようです。
「宮さまは何故そこまで意固地でいらっしゃるのか……死に別れてすぐは、誰でも此の世にこんな悲しみがあるのかと思うものですが、いつまでも同じ気持ちでもないでしょう?やはり世間並に再婚なさっては。そうしたらこんなに見苦しく窮乏した宮邸のありさまも、少しはマシになるでしょうに」
家柄目当ての縁談を親切ごかしに持ってくる向きも多かったのですが、お子様たちのことも考えて真剣に窘める方もいらしたのです。ですが八の宮さまにとってはどちらも同じ雑音でしかなく、耳を傾けることはありませんでした。
念誦の合間に姫君たちのお相手をされ、ある程度大きくなると琴を教えられました。碁打ちや偏つぎなどちょっとした遊びごとにつけても、姉妹の性格の違いは見て取れます。大君には何でもそつなくこなされる賢さがあり、奥深い威厳がございます。中君はおっとりとして可憐、はにかみ屋なところが何とも可愛らしゅうございます。それぞれに違う魅力をお持ちのお二人でした。
うららかな春の日に照らされる池の水鳥達が、羽をうち交わしながら囀り合っています。ありふれた風景ですが、つがいの鳥の姿が宮さまのお目に留まりました。ちょうど姫君たちに琴を教えている折にございます。まだ幼さの残る愛らしいお二人がそれぞれに掻き鳴らす琴の音に心打たれたか、宮さまは思わず涙を浮かべられて、
「打ち棄てて一人去ってしまった水鳥の雁は
仮の世に子孫を残していったろうか
気の揉めることだ」
と詠まれ、お目を拭っていらっしゃいます。元より容姿端麗な宮さま、長年の勤行で痩せられたものの、なお気品に満ちどこまでも優雅な佇まいにございます。姉妹を一人前の姫君として扱おうというお気持ちなのでしょう、古びてはいても上等な直衣をお召しになられてくつろいでいるお姿は、やはりまごうかたなきハイクラース。お育ちが違うと申し上げるしかございません。
大君は硯をそっと引き寄せられ、その上で手習いをするように書き交ぜられました。
「大君や、こちらの紙を使いなさい。硯に書くものではありませんよ」
宮さまから渡された紙に、大君は恥じらいつつ筆を走らせます。
「どうやってこのように大きくなったのだろうと考えると
水鳥のような辛い運命を思い知らされます」
ありきたりな歌ですが、この折節にはピタリと嵌って心に沁みます。手蹟は未熟ではあるものの将来性が見える筆筋にございました。
「中君もお書きなさい」
宮さまに促されると、中君はさらにたどたどしい筆先で、長い時間をかけて書き上げられました。
「泣く泣くも羽を着せかけてくださる父君がいなかったら
私も大きくなることはできなかったでしょう」
姫君たちの衣装もすっかり皺になってございますが、ととのえる女房もおりません。あばら家のような邸内でこの可憐な姉妹お二人がただ無為に時を過ごされる――何ともいじらしく、不憫なことにございます。宮さまは経本を片手に読経しながら、琴にあわせて唱和されました。
大君に琵琶、中君に筝の琴、常に合わせつつ練習された甲斐があってか、まだ幼いお二人とも危なげなく弾きこなされ、佳き音色を響かせておいででした。
八の宮さまとはどういうお方でいらしたか―――ここで少し詳しく語るといたしましょう。
まだ十にもならないうちに父帝は崩御され、母女御さまにも先立たれました。はかばかしい後見役もおらず学問は殆ど習わずじまい、まして処世術など知るべくもございません。貴人の中の貴人と呼ばれる中でも、超がつくほどのお坊ちゃま、いえ、深窓の姫君同様の世間知らずと申し上げても過言ではなかろうと存じます。
先に申し上げた通り母方の家柄は良うございましたので、代々受け継いだ宝物や祖父大臣の遺産や何やかや、山ほど所有しておられたはずでした。ところが、いつの間にやら大半が何処へともなく消え失せております。おおかた、この頼りない後継者を見限った家来や女房が持ち去ったのでしょう。簡単には運べない室内の調度類だけはすっかり綺麗に残っておりました。
昔から伺候する者もご機嫌伺いしに来るような者もおりません。暇に任せて雅楽寮から優れた楽師を召し寄せては、とりとめもない楽の遊びに夢中になりながら大人になられた方です。そのお蔭で、音楽の道にかけては人より秀でておられたようですが。
ハイクラースの肩書だけはあるものの、教養も世間知もまるでない浮世離れした宮さま。畏れながら、不心得者がよからぬ企みに利用するには、まさにうってつけの人材にございました。
冷泉院が春宮でいらした頃―――桐壺院が崩御されると、朱雀帝の母君・大后さまを中心とした右大臣家の一派が権力を握り専横を極めました。藤壺中宮さま周辺を冷遇しついにヒカルさまが須磨へと去られた後も、大后さまは水面下でさらなる計画を進めておられました。現春宮を廃し、八の宮さまを新春宮として担ぎ上げようと目論まれたのです。ですがこの陰謀は、右大臣の急死、朱雀帝と大后さまが揃って病に倒れられるという「故院の祟り」により頓挫しました。その後の流れはご存知の通り、ヒカルさまは赦免され復権、帰京を果たし、勢力図は再び逆転したのです。
ヒカルさまのご一族が隆盛を極める時代、敵方に御輿として担がれた親王とわざわざ交際するような物好きなどおりません。宮さまご自身もここ数年ですっかり聖めき、自らを終わった人間として万事を諦めておられました。
ところが更なる悲劇が八の宮さまを襲います。
宮邸が火事で焼けおちてしまったのです。
災難続きの人生にますます嫌気がさした宮さまは、都の内には手ごろな移転場所がなかったこともあり、宇治に所有されていた山荘への引っ越しを決心なさいました。この世にはもう何も期待しない、未練はないと思っておられた宮も、いざ住み馴れた京を離れるとなるとやはり寂しいお気持ちにはなられたようです。
宇治の山荘は網代川にほど近く、水音がうるさいほど聞こえる辺りにございます。静かに物思いに耽るには相応しくない点もあれど、もう他に行くところもありません。花や紅葉、水の流れを、心を癒すよすがとしてただ眺めるだけの生活。
このような俗世間から隔絶された野山の果てに籠られても、なお宮さまから
※いづくにか世をば厭はむ心こそ野にも山にも惑ふべらなれ(古今集雑下、九四七、素性法師)
「ここに亡き妻がいてくれたら……」
との思いが去る時はございません。
「妻も屋敷も煙になってしまったが
なぜ私だけが消え残っているのか」
生きる甲斐もなく、恋い焦がれておられましたとか。
参考HP「源氏物語の世界」他
にほんブログ村
コメント
コメントを投稿