竹河 四
そんなこんなでその年も明け、男踏歌が催されました。若手の殿上人たちに芸達者が多い頃合いで、その中でも特に優れた方が選り抜かれたのですが、薫さまが右の歌頭、あの蔵人少将が奏楽の一人となられました。
曇りなき空に煌々と十四日月が輝く中、一行は内裏を出発し冷泉院へと向かいます。弘徽殿女御も御息所(大君)も物見のため院の御殿に各々局を賜り、上達部や親王がたも続々と集まっていらっしゃいました。
今、夕霧右大臣や故致仕大臣の係累から離れたところで輝くような方は一人もいらっしゃいません。その二家ともに縁続きの冷泉院は、内裏よりもなお気の置ける別格の存在にございます。
「皆が気合を入れて準備をして臨む中、あの蔵人少将……大君はどうご覧になられるか?」
周囲は興味津々です。
匂いも色もない地味な綿花も、かざす人により違って見えるもの。誰も彼も見事なお姿と声でした。「竹河」を謡い階段の下に踏み寄る刹那、あの夜のささやかな演奏――玉鬘邸で薫さまと蔵人少将が謡われ、女房の琴が合わせた――が頭をよぎられたか、弾く手が止まりそうに涙ぐまれた蔵人少将にございました。
一行は后の宮(秋好中宮)の御前に移動、院の上もそちらに渡られてご覧になられます。夜が更けるにつれ昼より明るく下界を照らす月の光。
(あの御簾の内のどこかで、大君がご覧になっていらっしゃる……)
蔵人少将の足もとは空を踏むようにおぼつかなく、酒の盃も一人だけ名指しで飲みっぷりが悪いぞと咎められる有様で、何とも不面目でしたとか。
一晩中あちこち回り歩いて歌や舞を披露するという男踏歌、若手中心とはいえ演者にとりましてはかなりハードな催しでございます。翌日には疲れ果てて朝寝をなさっていた薫さまに、冷泉院からお召しがかかりました。
「ええ……まだ寝ていたいのに」
と渋りながらもお断りするわけにもまいりません。参上された薫さまに院は、内裏でのご様子をお聞きになられ、
「歌頭は今まで年配者がつとめたものだが、その年で選ばれたとは薫も大したものだね」
目を細めて褒めそやされました。そのまま院は「万春楽」を口ずさまれつつ、薫さまを伴って大君の方にお渡りになられます。昨夜の男踏歌の見物のため泊りで来られた御親戚も多く、いつもより賑やかで華やいだ雰囲気にございました。
薫さまは渡殿の戸口辺りに座られて、顔見知りの女房たちと雑談なさっておられます。
「昨夜の月は明るすぎて困りものだったよね。蔵人少将がガチガチになってたたけど、どうやら桂の蔭をはばかってのことではなさそう。雲の上なる宮中では大して緊張してなかったから。何でかなあ?」
薫さまの少々意地悪な口ぶりに、
「え、さすがにお気の毒じゃない?」「あんな言い方しなくても」
同情した女房達がひそひそする中、一人が
「闇はあやなしと申しますが、月光に映える貴方のお姿はまた格別ですわね、とお噂しておりましたよ」
※春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる(古今集春上、四一、凡河内躬恒)
とお上手を申し上げて少将の話題を華麗にスルーしたかと思えば、また別の一人が、
「竹河を謡ったあの夜を覚えておいででしょうか
思い出すほどの節もございませんが」
と御簾の内から詠みかけました。この何ということもない歌――貴方だって何のお気持ちもなかったとは言えないでしょう?もうお忘れになられましたの?――に薫さまは目を潤ませて、
(あれ……意外に浅くもない恋心だった……?)
と初めて気づかれたようです。
「今までの期待もむなしく流れた竹河に
世の中は辛いものと思い知りました」
アッサリ認めて、素直にお気持ちを詠まれた薫さま。蔵人少将のようにあからさまな態度に出したり恨み言を仰ったりはなさらない、穏やかで落ち着いた佇まいの中でふと滲み出した哀しみ――チクリと刺したつもりの女房達は皆、あの憂いを帯びたお顔にやられてしまったようでございます。薫さまは、
「余計なことを言ってしまいました。失礼を」
と立ち上がられましたが、ちょうどそのタイミングで院より
「こちらに」
とお召しがありました。一瞬、バツが悪そうにしていらしたもののすぐお傍に寄られました。大君のいらっしゃる御簾の前です。冷泉院は、
「故ヒカル院が男踏歌の翌朝に、女楽の管弦の遊びを催されてね。それがたいそう面白かったと夕霧右大臣から聞いたことがある。今や何事につけても、ヒカル院の跡を継ぐような方はいない。あの頃の六条院には楽才ある女性たちまでが大勢集まっていて、ちょっとしたことでも楽しかったろうね」
と懐かしそうに仰ると、各楽器の調音を命じられました。筝の琴は大君、琵琶は薫さまに渡されます。院は和琴を手に取られ、お三方で「この殿」など合奏されました。大君の琴の音――ご実家におられる頃には何とも心許ない腕前でいらっしゃいましたが――院の丁寧なお仕込みのお蔭か、華やかで爪音もよく、歌の伴奏も楽曲も危なげなく上手に弾きこなしておられました。何をするにも物おじせず、飲みこみも速い聡明なお方であることが窺えます。
当然、容姿もかなりのお美しさにちがいない――薫さまの心がまた騒ぎます。
同じ院内にお住まいですから、その後も何度となくこういった機会はございましたが、薫さまはつかず離れずの距離を保ち、節度を守り、馴れ馴れしく恨み言など決して仰いませんでした。ただ折々につけ、叶わぬ思いを憂うお心をほのめかされるのみ。大君がどう思っていらしたかは……さあ、どうなんでしょうね。
四月、大君はご実家で姫宮をご出産なさいました。冷泉院の女二の宮であらせられます。
姫宮ですので男御子ほどの「栄え」はなく仰々しいこともいたしませんが、おめでたいことに変わりはありません。夕霧右大臣をはじめ多くの方々が産養の贈り物をなさいました。
玉鬘の君は姫宮をたいそうお可愛がりになりずっと抱きっぱなしでお放しになりません。大君も実家でのんびり過ごしておられましたが、院からは一日も早く帰参するようにとの矢の催促です。生後五十日ごろ、六月に戻られました。
姫宮は既にお一方、弘徽殿女御腹の女一の宮がいらっしゃいますが、久方ぶりの赤子に冷泉院のお喜びは大変なものでした。ますます大君のお部屋にばかり渡られます。女御方の女房達は、
「今更こんな目に遭うなんて」
と穏やかならぬ気持ちでひそひそ囁き合っていたようです。
当のご本人同士は、さすがに軽々しく対立するようなことはございませんが、お互いのお付きの女房の中には陰湿な小競り合いも出て来ました。兄君の左近中将が以前仰っていた通りの事態に、玉鬘の君も不安になられたようです。
(むやみに言った言われたを繰り返してどうなるというのかしら。物笑いの種になって面白おかしく弄られるだけではないの?院の上のご寵愛は浅くないけれど、長年仕えていらっしゃるお后がたが目障りな者と大君を疎むようなことになったら……)
悩み事はこれだけではありません。内裏においても、帝の御不快は未だに解けず、たびたびご不満を仰せになる――と聞こえてきます。ほとほと面倒になった玉鬘の君は心を決められました。
自らの尚侍の官職を中の君に譲られ、女官として入内させる。
朝廷において尚侍の交替は容易ならざることでしたので、再三申し出ても長いこと職を辞することが出来ませんでした。故鬚黒大臣の娘を入内させたいという御遺志に加え、遠い昔の事例を持ち出してようやく、母娘での官職の譲渡がかなえられることになりました。
もしかしたら、中の君の御ためにこれほど長い間この職に留まることになったのかも――そう思ってしまう程、見事な解決方法にございました。
「やれやれ、これで気楽に宮仕えもさせられるというもの」
とひと安心されたものの、
(とはいえ、あのお気の毒な蔵人少将をどうしよう……わざわざ此方に打診していらした母君に、悪いようにはしないと申し上げたのに。どう思っていらっしゃることか)
悩みはまだまだ尽きません。
次男の弁の君を夕霧右大臣のもとへ遣わされて、率直に相談を持ちかけられました。
「内裏からかくかくしかじかの仰せがありました。高望みして宮仕えばかりを好むかと、人聞きも悪く存じられまして悩んでおります」
夕霧さまは、
「経緯からすると、帝のご不興を買うのも道理かと思われます。公職にお就きになられたのなら尚更、宮中に入らないままでおられるのはよろしくないでしょう。早くご決心なされますよう」
ときっぱり仰られました。
右大臣の次は明石中宮のもとへもご機嫌伺いをされたのち、ようやく中の君の入内の運びとなりました。
(夫の鬚黒太政大臣がご存命であったなら、誰にもないがしろにされる心配などなかったろうに。わたくしがここまで動く必要もきっとなかった)
しみじみ男親不在の不利を噛みしめられる玉鬘の君。
帝があれほどご機嫌を損ねられたのも、ひとつには大君の容姿がたいへん美しいともっぱらの評判だったからです。その大君ではなく妹が入内という結果にはご不満もあったようですが、中の君も才気煥発で、洗練された立ち居振る舞いをされるお方にございました。
こうして二人の姉妹をどうにか片付けた玉鬘の君は、いよいよ髪を下ろし世を捨てようと思い立たれましたが、ご子息二人に大反対されました。
「あちらもこちらもまだまだお世話が要りますでしょう。勤行するにも忙しないと思いますよ。今少し、どちらももう安心と見極めがついてから、心置きなく勤行に邁進されては?」
言われてみれば最もだと一旦出家を取りやめられた玉鬘の君、実際内裏の方には時々こっそりと参上なさっていました。ところが冷泉院の方には、普通なら参上すべき場合にもまったく顔を見せられません。どうやら院のお心には、単にご寵愛の大君の母親という以上の感情がまだおありのようです。
(遠い昔のこととはいえ、尚侍として入内するはずだったわたくしが急に他の男と結婚などと、到底顔向けできないような失礼なことをしでかしてしまった挙句……息子たちが反対するのも聞かずに大君を入内させてしまった。これでもしわたくしまでが、たといお戯れとしても……院の上と何かあるのではないかと噂が立ったりしたら、それこそ目も当てられない)
いやはや、勘の良すぎるのも考えものですね……しかし、まだまだ若く美しい未亡人でいらっしゃる玉鬘の君のご心配も、あながち考えすぎとばかりは申し上げられないでしょう。だからといって大君にこれこれの理由で行けない、とはっきり言えることでもございません。
何もご存知ない大君は、
「昔から……故父大臣はわたくしを特にひいきなさって、母君は弟の味方ばかりしていたわ。あの桜の争いも他のことも。やはりわたくしのことはどうでもよいのかしら」
と恨めしく思っておられました。院の上もなおお辛いお心持ちで、
「酷いね、こんな終わった場所は放っておくということか。内裏より軽く思われるのは仕方のないことだが」
と仰せになり、ますます大君へのご寵愛も深まるのでした。
数年後に大君はまた懐妊され、男御子をお産みになられました。これまでお仕えしていたお后がたの間にはついぞ無かったことで、なんと並々ならぬご宿世と世間も驚きました。院の上はまして初の男御子の誕生を手放しでお喜びになられ、惜しみない愛情を注がれましたが、
「これが在位の時であったらどんなによかったか。今は何事も栄えのないわが身が口惜しいこと」
という思いもございましたとか。
女一の宮をかけがえのない一粒種として大事にしていらした院に、もう一人姫宮、そして若宮までが加わったのです。愛らしい二人のお子さまに、ますますご寵愛は深まる一方でした。ここに至りさすがの弘徽殿女御も、
「あまりにもあちらばかりね……不愉快だわ」
と、気分を害されてしまわれました。
女房の間でも事あるごとに、不穏な雰囲気、僻みっぽい言動がみられるようになり、大君と女御の仲は隔たってしまいました。世の常として、誰しも古い妻のほうにお味方したくなるものです。それはもう身分関係なく。院内の女房達は上から下まで、長いこといちの后として君臨なさっていた女御に肩入れし、些細な事でも大君の粗探しをするようになりました。
この事態に兄君達も、
「いわんこっちゃない。我々の意見は間違っていなかったでしょう?」
と口々に責めたてます。玉鬘の君はいたく心を痛められ、
「こんな気苦労など知らないまま穏やかに結婚生活を送る人も多いでしょうに。よほどの幸運に恵まれなくては、宮仕えなんてするものではなかったのね」
と嘆くばかりにございました。
かつて大君に想いを寄せた殿方たちはどうなったでしょうか。それぞれ順調に昇進され、どこやらの婿君となっても遜色ないくらい成長された方も大勢いらっしゃいました。中でも、まだあどけなさの残る少年であった薫さまは宰相中将、匂宮さまと並び世間で騒がれる若公達のお一人にございます。人柄も物静かで気品がおありなので、やんごとなき親王がたや大臣がたがこぞって我が娘の婿にせんと打診されますが、見向きもされないとのこと。玉鬘の君も、一時は薫さまを婿にと考えたこともおありでした。
「ついこの間まで幼くて頼りない感じだったのに、大人びて立派になられたこと。思っていた通り、いえそれ以上かもしれないわ……でも、もう御縁はないわね」
あの蔵人少将も今や三位中将となり、世間の評価も昇ってまいりました。
「容姿端麗でもいらしたのにねえ」
「正直、何やかんやと煩い宮仕えより此方のほうがマシだったんじゃ?」
などと口さがない女房達はひそひそと囁き合っておりました。
この中将は未だに大君への思いが断ち切れず、欝々と過ごしておられました。左大臣の娘を妻に得られたものの、さっぱり関心がございません。「道の果てなる常陸帯の」と手習いにも口癖にもされておられるのは、いったい何をお考えでいらっしゃるやら。
大君はギスギスした冷泉院での暮らしに疲れ、ご実家にばかりいらっしゃるようになりました。玉鬘の君は、よかれと決めたことが思うようにならず、ほぞを噛んでおられます。一方、内裏へ入内した中の君は、うまく溶け込んで心安く振る舞いながら、嗜み深く風雅な方との評判をも勝ち得ていらっしゃいましたとか。
参考HP「源氏物語の世界」他
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